「待って言い過ぎ。それ今回のやつ」
「リサは今日一日休んでいなさい」
友希那にそう言われ、言葉に甘えて今日はRoseliaの練習を休むことにした。そしてまた一人になった部屋の中で、アタシは今も心の中に響くあの温かい音に耳を澄ませていた。麗牙の響かせるヴァイオリンに乗せて、アゲハや愛音の、そして友希那の音が私を包み込んでいた。この手に感じた温もりも、心に感じた温もりも、アタシは忘れることはないと思う。目に見えていなくても、みんなが繋がっている……そう感じられたことが何だかすごく誇らしいことのような気がしていたから。
前に麗牙や愛音の言ってた心の音楽って、こういうことだったんだ。ただその人の心を知るとかじゃなくて、それぞれの違う心を繋ぐための架け橋となる音……それが彼の奏でた音だった。彼の音がアゲハや愛音と繋がり、友希那にも繋がり、最後にアタシにまで……。友希那の音楽がアタシの中に流れてきたのも、偶然じゃないと思う。人が手と手を繋ぐように、心の音楽もまた優しく繋がる。心が暗闇の中に閉ざされた中でも、アタシは確かに友希那の手に握られていたのを覚えていたから。友希那の心の叫びが確かに聴こえていたから、アタシは自分の心の音も聴くことが出来たんだ。
「友希那……今頃、練習してるよね。みんなも」
だからいつもの事とはいえ、つい親友のことを考えてしまう。今日も今日であの音楽に真剣な彼女は熱心に努力を重ねているわけだ。そしてアタシのことは知らないけど、間違いなく心配をかけさせてしまっているRoseliaのみんなも。正直言ってアタシのいないRoseliaが二日も続いている事に不安が無いと言えば嘘になる。
本当はすぐにでもみんなに会いたい。会って、謝って、そしてまたみんなでバンドがしたい。今日のことで自分の中の音についても触れられたアタシとしては、すぐにでも家から出て行きたい気にさせられる。
──今度は……キミだね。
「っ……」
だけど、あの時の恐怖が完全に消え去ったわけじゃなかった。薄気味悪い声と、獣のような瞳と、そして本能的に決して敵わないと思わせるあの不気味な気配を忘れることなんて出来なかった。きっと外に出ればまた狙われる。だからほとぼりが冷めるまで外出なんてしない方がいいんだろうけど……。
本当はまだ怖い……怖いけど……。
♬〜〜
だけど、アタシの中には麗牙の奏でる音楽がいつまでも残っていた。アタシの心を落ち着かせてくれる、抱かれるような温かな音が、いつまでも消えずにアタシを励ますように歌っていた。
「怖いけど……アタシは……!」
決心を固めるのにそう時間はかからなかった。アタシはどんなになってもRoseliaのベースだ。それだけは誰にも譲れないし、何者にも邪魔なんてさせない!
「待ってて、みんな!」
とりあえずはボサボサの髪の毛や傷んだ肌を何とかしなければ外出すらできない。だから短めにシャワーを浴びて、必要最低限のメイクを決めて、なんと(自分にとっては驚くべき)三十分という時間で全ての行程を終わらせて、ベースを持って玄関から外へと飛び出した。
これならばRoseliaの練習にも一時間は参加できるし、帰りも明るいから襲われる心配はない……完璧じゃん!
「よしっ、行こう!」
「あ、やっぱり出てきた」
「ひゃっ!? だ、誰っ!?」
大きく決心して家から出た途端、待ち構えていたように話しかけられて気が動転してしまい、目の前の相手も分からず怯えた態度を取ってしまう。数秒前とは正反対の態度で自分が情けなくなるほどだ。
だけどその声の主は、アタシにとってはこの上なく安心できる人で、今もアタシの心の中に美しく輝いている人だった。
「って麗牙じゃん……もう、驚かせないでよぉ〜心臓止まるかと思ったよ」
麗牙の屈託のない笑顔がそこにあったことで、アタシは心に平常を取り戻した。麗牙は驚かせてしまったことに対して申し訳なさそうに、両手を合わせて許しを請おうとする。そんな様子がかわいくて、そして綺麗で、全てを許してしまいたくなる。別にかけらも怒ってなんかないけどね。
しかし麗牙はどうしてわざわざアタシを待っていたのだろう。「やっぱり」と言うことは、そういう予想をしていたってことなのかな?
「ごめんなさい。でも、友希那さん言ってたからね。『リサなら自分も行くって言うかもしれないから、その時は連れてきて』って」
「そ、そうなんだ……(すごいなぁ友希那は)」
なんと言うことか、友希那には全てお見通しだったなんて。自分の中ではかつてないほどの勇気を振り絞っての決心だっただけに、それが普通に読まれてたなんて……正直めちゃくちゃ恥ずかしいよぉ〜……。
「でも麗牙、ずっと待っていてくれたの?」
「うん。本当は僕もそうじゃないかって思ってたし。それに僕って結構心配性だから」
「……あはっ、そっか! じゃあ今日はお見送りお願いねっ、アタシのナイト様♪」
「仰せのままに、お嬢様」
麗牙がアタシのために守ってくれる。その事実が嬉しくてつい調子に乗って遊んでしまうけど、麗牙は恐ろしいまでに綺麗な礼をアタシに向けてくれた。本当に絵画とかの中から飛び出てきたようなその美しい振る舞いに、アタシは目を奪われてしまっていた。
「……」
「リサさん? ……リサさん!」
「うひゃっ!? は、はいっ! なんでしょうか!?」
「そろそろ行きますよ。練習時間、短くなっちゃいますよ」
「それはダメっ。は、早く行こう!」
紅く染まる顔を見られたくなくて、アタシは麗牙の服の袖を持ってCiRCLEへの道を進み始めた。いつしか引っ張られる必要のなくなった麗牙はアタシの真横で袖を掴まれるがままに、同じ歩調で歩いてくれる。それはさっきの彼の奏でてくれた音のように、優しく丁寧で紳士的に。
もう袖を掴んでいる必要もないよね。そう思って麗牙の服から手を放そうとしたけど……。
「ごめん、麗牙……やっぱりまだ怖いから……もう少しこのままでいい……かな?」
彼から離れようとした途端、胸の奥が締まるような気持ちと、そして少しの悪寒が走りそれを拒んでしまう。いくら自分の世界に光を取り戻したとしても、まだ完全に恐怖が抜け切ったわけではなかったから。だからアタシは情けなくも麗牙に懇願してしまう。
──アタシから放れないで、と。
「僕の袖でいいならいくらでも」
「ありがと……麗牙」
麗牙は当たり前と言わんばかりに、アタシを受け入れてくれた。それがあまりにも嬉しくて、アタシは彼の袖を掴みつつ、身体を一層彼に近づけるようにして、まるで恋人同士がそうするかのように揃って歩き出した。
そうしてCiRCLEまでの道を、アタシは彼に寄り添ったまま行くことになったけど、正直なところ恥ずかしさはあまり感じてはいなかったりする。人からなんと思われようとも今は死活問題なわけだし、それに……麗牙にこうして優しくしてもらうのはアタシとしても望んでいたことだし……っ。
「(って、アタシったら何考えてるんだろ!? 確かに麗牙といると落ち着くし、こうして守ってもらえるのも嬉しいんだけど……うぅ〜、考えてたらまた顔熱くなってきちゃった……)」
さっきの言葉を訂正しないといけない。やっぱり少し恥ずかしい。でも手を放したくないし身体ももっと近づけていたい、そう思ってしまうのも事実なわけだし……。
「ね、ねぇ麗牙っ。麗牙の、そのヴァイオリンについて聞いてもいい、かな?」
自分の沸騰しそうな頭を冷ますためにも、アタシはあのリサイタルの時からずっと気になっていた質問を彼に質した。麗牙はアタシの掴んでいる袖の反対側の手に握られているヴァイオリンのケースを少し持ち上げ、その瞬間だけアタシではなくそのヴァイオリンの方へ視線をやり、そして慈しむような表情を浮かべて答えてくれた。
「僕の父さんと母さんが二人で作り上げた『ブラッディ・ローズ』。僕にとっては命よりも大事な宝物なんだ」
「どうしてそんな大事なものを……」
「リサさんのためなら喜んで使うよ。それに、楽器は飾るものじゃなくて奏でるものだから」
アタシのため、という彼の言葉にまた顔が熱くなる。
だけど命よりも大事な宝物を、いくら楽器とはいえ知り合ったばかりの自分のために披露してくれるなんて、本当に彼は人が良すぎると言うしかない。やはり麗牙は誰が傷ついても、こうして親身になってくれるのだろうか。自分はたまたまそこにいただけで、特別な存在とかじゃないのかな。
……アタシにこんなにも優しくしてくれるから……ちょっと勘違いしそうになるじゃん。そう考えた瞬間、ズキリと胸が痛むのを感じた。恐怖とはまた違った寒さと辛さが襲いかかってきて、少しだけ涙が出そうになるのを何とか堪える。
「(アタシ、勘違いして……ううん、そもそもアタシって、麗牙のことどう思ってるんだろう……)」
自分の彼に対する感情が分からなくなってきたところで、視界にまたあの光景が映った。あの夜、例の男に出くわしたあの場所。今はまだ太陽が昇って明るいが、やはり人がいないところは変わっていない。あの日から三日しか経っていないのに、何事もなかったかのように流れているこの状況が理解し難く感じられる。
「リサさん、しっかり掴んでて」
「うん……」
アタシの恐怖を感じたのか、麗牙は放さないように言ってくれる。そうだよね、もう大丈夫。今は明るいし、今日は麗牙だっている。だから今日は何も起こらない、何も怖いことなんてない。
そう信じて再びあの路地を歩き始めたところで、麗牙の足が止まった。
「麗牙……?」
「……」
麗牙は何かを見つめている。いつもの優しい顔とは違う、少し怖い、威圧感のある表情で。その視線の先をアタシも追い、そして見てしまった。
「ひっ!?」
「クヒッ、クヒヒヒ……やっと、来てくれた……待っていたよぉ……」
あの時と何も変わりない黒コートの男が、アタシたちの行く先で待ち構えるようにして立っていた。なんで!? どうして!? 夜に一人のところを狙われるんじゃなかったの!? だけどそんな疑問も口にできないほどパニックに陥り、また震えが止まらなくなる。また涙が出そうになる。息も荒くなって倒れそうになった、その時──
「リサさん」
「ら、らい──ふぇ……?」
麗牙はアタシのことを抱き寄せた。そしてアタシを安心させるかのように静かに優しく、セットした髪を乱さないように頭を撫で始めた。瞬間、あんなに怖かった思いが消えていくような感じがした。彼のあの音楽が、またアタシの心の中に蘇ってきたから……。また彼に包まれている、それだけで全てが癒されるような心地だった。
「何、お前……せっかく待ってた、のに……邪魔だよ……」
「……リサさん。これ、持っててくれるかな?」
「え……でもこれは」
「僕は大丈夫だから。お願い」
男が苛つかせた声を振りかざす中、麗牙はアタシを解放し、そして手元に握られていたヴァイオリンのケースをアタシに手渡した。命よりも大事と言っていたものをどうしてこのタイミングでアタシに渡すのか……。それを考えて一つの答えが出た途端、アタシは麗牙に叫んでしまう。
「ダ、ダメだよ! アタシだけ逃げるなんて! 麗牙も一緒に──」
その瞬間、ものすごく嫌な予感がして、アタシは麗牙に逃げるよう懇願した。麗牙はきっとアタシを逃がすために自分が囮になるつもりなんだ。だから自分の命よりも大事な宝物をアタシに預けた……そうとしか考えられなかったから。だけど麗牙は……。
「違うよ」
あっさりと否定の言葉を告げて──
「──え?」
「そこで待っていて欲しいんだ」
彼は逃げるどころかそこにいて、と言った。麗牙は一体何をするつもりなの……? ゆっくりと男に向かって足を踏み出していく麗牙。もしかして、あの男と戦うつもりなの……?
──危ないよ! 相手は殺人鬼かもしれないのに!
だけどそう思った次の瞬間、さらなる異変が世界を包み込んだ。
アタシの世界を……
世界の常識をも覆す、そんな変化が……
「お前……邪魔だ……邪魔だ邪魔だ邪魔だ! 邪魔なんだよぉぉォォオオオオオオァァァァ!!!」
「っ!? イャアァァァァァァッ!!」
黒コートの男の顔に、ステンドグラスのような綺麗な模様が浮かび上がった次の瞬間、男の姿が変貌した。
五体こそあれど、人間の姿を留めていないその禍々しい立ち姿。
全身がステンドグラスのような綺麗な色取り取りの光沢で覆われ、手足には鋭い爪が生えて、口には獣のような牙。
頭部にある眼らしきものは横部に潰れた状態で存在し、その頭も二羽の鳥が翼で抱き抱えたような形をしていた。
そして何より、背中から生えた8本の蜘蛛の足。
もはや特徴を挙げれば挙げるほど、目の前の存在が自分の常識の中に存在しない異形であると認めざるを得なくなってくる。
「ゥゴアァァァァァァァァ!!」
「な……何なの……あれ……っ」
怪物は雄叫びを上げながら地団駄を踏み続け、なんとその足でアスファルトを踏み砕いていた。パラパラとアスファルトの欠片が舞い落ちる様を見て、アタシは更に戦慄する。もはや人間がどうこう敵う次元ではないと肌で感じてしまった。例えここに警官が駆けつけて銃を使ったとしても、アスファルトを砕いてもなお傷一つ付かないあの怪物に効く保証なんてない。
──こんな……こんな怪物が世の中に存在していたなんて……。
全てが異常で、何を信じていいのか分からない世界の中に突然放り込まれた気分だった。
だけど今のこれが現実。
人智を超えた異形が、今まさにアタシたちに牙を剥こうとするこの光景こそが、紛れもない現実。
この先に待ち受ける展開が簡単に想像できてしまい、アタシは今度こそ絶望の淵に沈んでしまうかと思った。
だけど、この異常な世界の中でただ一人、悠然と立ち構えた存在がいた。
「『
「らい……が?」
アタシの盾になるように、アタシに怪物を見せないように立つ麗牙は、でも何故だろう……今はとても遠い人物のように感じてしまっていた。
「何だお前……何故真名を……」
「既に罪状は明白だけど……何か言い分はあるかな」
「……ッハァ〜? 言うことなんかネェよ……オレはただ、人間の女の子が食べたいだけだよ! 今までもそうだしこれからもナァ!」
「そう……」
麗牙が何を言ってるのかさっぱり分からなかったけど、最後に消えるように頷いた時の彼の声が、とても哀しそうに聞こえたのは確かだった。今まで聞いたことのないような、泣きそうになる声……いや、それは彼の心の音だった。
「であるならば……」
でも、すぐにさっきまでの威風堂々とした立ち振る舞いに戻り、一歩一歩怪物へと近づいていく。その先にいるのが人智を超えた怪物だというのに、それに向かう彼の背中はアタシにはとても大きく、壮大に見えていた。
きっとこれからとてつもないことが起きる。
そう感じることが出来たのも、彼を見ていた自分の中から、恐怖心が消えていたからだろうか。
やがて麗牙は立ち止まり、左手をゆっくりと顔の横まで掲げる。
その手の甲にはいつの間か、見たことのない紋章のようなものが浮かび上がっていた。
そして──
「王の判決を言い渡す──」
重く、冷たく、気高く、でも悲しいまでに本当の気持ちを押し殺したような声で……彼は告げた。
「──『死』だ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──死、と。
麗牙は異形に宣言し、その手を翻して掌を見せた瞬間、異形は恐怖に慄いた。
左手の甲のみならず、その掌にも刻まれた紋章。薔薇から産まれた、禍々しい翼を纏ったチェスのキングの駒。それは異形と同じ種族であるならば誰もが知る、絶対的な存在の証。決して逆らうことを許されない、最強の証。
それを受け継ぐものの存在を、一族の中でも特に浮世離れしたこの異形ですら知らないはずがなかった。
それこそ、圧倒的な支配をもたらすもの──
闇の祝福の中で受け継がれ、選ばれた純血の継承者──
「キ……
そして、“ソレ”は麗牙の元へと飛来した。
闇の中でも輝きを保てるほどの眩い黄金に包まれたソレは、その小さな身体に見合わぬ大きな赤い眼を持ち、忙しなく翼を羽ばたかせて麗牙の伸ばす手の先へと飛来した。
次の瞬間、ソレは麗牙の差し伸ばした左手に噛み付いた。噛み付いた手の先からステンドグラス状の模様が身体中を駆け巡り、それはやがて彼の顔をも覆い尽くさんとしていた。
同時に彼の腰に鎖が大量に巻かれるように出現し、紅色のベルトのような形を構成した。
すると麗牙の手に噛み付いたソレは麗牙の腹部に飛び込み、その止まり木のようなベルトのバックルに脚をかけ、逆さまの状態でベルトに固定された。
それはちょうど、蝙蝠が翼を休めるかのような姿で……。
♬〜〜
笛の音がこだまする。
何度も何度も繰り返される同じ音。
始まりを待つかのように。
断罪が行われる時を待つかのように。
そして麗牙は、その最後のキーとなる
「変身」
その言葉と同時に麗牙の身体を銀色の膜が包み込み、そして次の瞬間、一気に弾け飛んだ。
「……ぁ……」
それを見ていたリサは思わず感嘆の息を漏らしていた。
彼の地に顕現せしは紅。
血脈が縦横無尽に迸る紅き身体。
両肩と右脚を堅く封印する
そして対峙するものの戦意を根こそぎ奪う、巨大な黄色の
この鎧こそ、正しく王の証。
古きより一族に受け継がれし王の鎧。
その名を──
「キバ……」
運命に翻弄されながらもその使命を受け入れた、悲しくも強かな吸血の種族の戦士が、今ここに降臨した。
そして吸血王と青薔薇を取り巻く運命の物語もまた、覚醒の時を迎えるのである。
Roseliaとキバの交わる物語、これより真の開演です。
どうかフィナーレを迎えるその時まで、存分にお付き合いください。