ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『愛する者のために自分の心を鬼にする幾馬の存在に、麗牙は迷いを深めていく。一方、コンクールの課題曲を思うように弾けない燐子は友希那から助言をもらい、その中で昔の記憶を思い出しつつあった』


第90話 想いは刃となりて

 明くる日の放課後、僕は学校が終わると同時にCiRCLEへと足を運んでいた。もちろん昨日会えなかった燐子さんと今日会うためにだ。彼女に感じた違和感の真実を知りたい、彼女の悩みを取り除いてあげたい、そんな風に逸っていた僕は今日のRoseliaの予定も知らないままただただ歩みを進めることだけを考えていた。

 

「って、あれ……?」

 

 しかしCiRCLEに着いても誰もいないことに気付いた僕は受付のまりなさんに確認して、今日はRoseliaが予約していないことをようやく知った。誰かにちゃんと聞いておけばよかったと頭を抱えるも、すぐに引き返して歩みを再開させていた。どこに、と言われても正直自分にも分からない。また病院に赴いて件の夫婦の話を聞くか、それとも城に行くか、商店街に寄り道していくか。自分の中でも考えが定まらず、頭の中に彼女と出会えなかったモヤモヤを抱えたまま歩き続けていた。

 

「紅さん?」

 

「っ? あ、紗夜さん。こんにちは」

 

 前がちゃんと見えていなかったのだろうか、すぐ目の前に立つ紗夜さんに声をかけられるまで僕は彼女の存在に気付くことがなかった。突然現れたような彼女に驚きつつも、ようやく知り合いに会えたことでホッとしたのか、薄く笑みが生まれて彼女に言葉をかけることができた。

 

「こんにちは。どうかしましたか? あまり調子がよさそうには見えませんでしたが」

 

 しかし紗夜さんにはそれまでの僕の様子をばっちり見られていたようで、心配をかけるような声が彼女から降り注ぐ。彼女の表情に見られる変化は小さいが、彼女の心の音楽は間違いなく僕を心配するものだということは分かった。

 

「ありがとうございます紗夜さん。でも、僕は大丈夫ですから」

 

「そう言って大丈夫な人はあまり見ないわね」

 

「そ、そうですね……あはは」

 

「……」

 

 だが実際、燐子さんの話を聞きたいのに空回りが続いて余裕が無くなっているのも事実だろう。電話やメールを送ればいいだけの話なのだが、何故か今はそうすることが躊躇われてしまっていた。相手を直接見れないと何を思われているか分からなくて不安になりそうだという僕のわがままもあるのだろうか。悩みを聞いてあげたいが自分の望む形体を取りたいという複雑な気持ちに揉まれていた。そんな僕を紗夜さんは神妙な目付きで睨み、そして……。

 

「……紅さん。今から少しお時間よろしいですか?」

 

「……え?」

 

「なんですか? そんな珍しいもの見たような顔は」

 

「いや、紗夜さんからそんなこと言われるとは思わなかったから」

 

「失礼なこと言いますね。まあ、自覚はありますけど……それで、どうなんですか?」

 

 まさか紗夜さんの方から誘いを受けるとは思わず、口が半開きになって固まってしまう。しかし彼女の誘いを蹴る理由もなく、放課後の短い時間を彼女と共に過ごすべく僕は快く承諾した。結局カフェ・マル・ダムールに行くことになったが、思えば彼女とあの店に行くのも久しぶりに感じる。しかも二人きりとなると意外と初めてかもしれない。そんな思慮に浸りながらも隣を歩く紗夜さんと言葉を交えながら目的地へと目指していた。

 

「そう言えば、紅さんの家とは道が違うようでしたけど、どこかに用事とかありましたか?」

 

「え、ええと……」

 

 今思い出したのだが、僕がさっき紗夜さんと出会った道はCiRCLEから花女に向かう道でもある。全く意識はしていなかったが、もしかすると無意識下で燐子さんと出会えることを期待していたのかもしれない……なんてストーカーみたいなこと言うに言えない。それこそ本当に紗夜さんにも軽蔑の目で見られて、僕はショックでまた引き篭もってしまうかもしれない。とりあえず何か理由を絞り出そうとして、僕は昨日の件を話し出していた。

 

「あるファンガイアのことでちょっと考えていて」

 

「あるファンガイア?」

 

 できるだけ燐子さんのことを意識させないように、関係ない話題で紗夜さんを釣る。余計な心配事を彼女にかけさせてしまうかもしれないが、この件に関しては彼女の意見も聞いてみたかったため、一連の流れを簡潔に説明していた。

 昨日僕に襲い掛かってきたファンガイアは、人間の妻のために何とかして必死に金を稼ごうとする人だった。人間の妻のことを心から大切にして自分を犠牲にする優しいファンガイアだが、その心故に悪事に手を染めてしまっている。愛というのは本当に人をそこまで動かすのだろうかと、未だ半信半疑であったのだ。そんな僕の心境も含めて紗夜さんに話していた。

 

「人間とファンガイアの夫婦、ですか」

 

「はい。本当に仲睦まじくて幸せそうなのに、彼は奥さんのために心を鬼にしている。あんな優しい人が悪人に変わり果てるほど、愛って底の知れないものなのかなって……」

 

「……私の前でそんなこと言わないでほしかったわ」

 

「え?」

 

 しかし紗夜さんは少しだけ残念そうに目を伏せ、その心の音も沈んでいた。何か失言をしただろうかと感じたところで、思い出してしまった。彼女が僕に対して思いを告げた時、何をしたのかを……。

 

「紅さん。人を好きになるって、そんなに簡単なことじゃないんです。いろんな想いや葛藤があって、それを乗り越えてようやく相手への気持ちに気付く。簡単に手に入れていい感情だと私には思えません」

 

「はい……」

 

「そしてようやく自覚したその想いは、きっとその本人が思っている以上に大きくて制御が効かないものなんです。何が正しくて何が悪いか、そんなことは二の次になってしまう。強すぎる想いがその人の理解を超えて身体をも支配してしまう。だから恋をした人は……何でも出来てしまうんだと私は思うんです」

 

 完全に歩みが止まり、立ち止まって僕を見上げる紗夜さんの表情は憂いに満ちているようだった。涙こそ浮かべないが、その気持ちの本質を僕に伝えたくて必死になる紗夜さんの姿がそこにあった。

 

「ごめんなさい、知った風な口を聞いて。でも、あなたにはそのことを知っていてほしかったから……」

 

 恋という理解を超えた感情に振り回された紗夜さんだからこそ、その言葉には強い説得力があった。知った風なんてものじゃない、彼女は本当に恋を知っているのだから。その気持ちに気付いたばかりの僕なんかよりもずっと……。

 

「いえ、ありがとうございます。紗夜さん。少し、あの人の行動に理解を示すことができたかもしれません」

 

 思えばあの人だけでなく、これまでも愛のために振り回された人たちを多く見てきた気がする。愛が過ぎてストーカーや誘拐までする人もいれば、愛ゆえに狂ってしまった人もいる。目の前の彼女もそうだし、愛は良くも悪くも人を変えてしまうものなのだろう。

 

「(そして、僕も……)」

 

「……」

 

「紗夜さん? まだ何か?」

 

「紅さん、あなたは……」

 

 一瞬、燐子さんの顔が脳裏を過ぎり、自分の中に意識を落としていた時だった。僕の顔を見て何かに気付いたのか、紗夜さんは慎重に触れるように僕に声を投げかけてくる。

 

「……そろそろ着きますし、落ち着きながらもう少し話しましょう。恐らくですが、それとは違うことも考えていますよね?」

 

「え? どうして……」

 

「明らかに病院への道とも違うというのもありますけど……勘、でしょうか? こんなこと言うのは私らしくないかもしれませんが」

 

「本当ですよ(また勘か……)」

 

 僕の悩みが例の夫婦の件だけでないことを見抜いていた紗夜さんに驚いてしまうが、同時に紗夜さんらしくない直感的な答えに内心溜め息もついてしまう。昨日の次狼もそうだけど、この手の話となると勘を頼りにする人が多いような気がする。愛は理屈ではないのだから、理論的に説明するよりもそちらの方が的を得ている可能性は高いのだろうが。

 

「日菜さんみたいなこと言いますね」

 

「ええ。全く、誰のせいでしょうね」

 

 口とは裏腹に、僕を見て楽しそうな声色で彼女は呟く。人は自分とは異なる感性を取り込んでより魅力的になるというが、今の紗夜さんもそうなのだろう。変化を受け入れて、そして今はどこか嬉しそうに笑う紗夜さんを見ていると、次第に変わることも悪くないのかもと思えてきたのだ。僕の抱く想いは僕自身を大きく変えてしまうかもしれない。しかしその変化を恐れるだけでいるのは愚かなのだろう。変化は悪いことばかりではない。良い結果に繋がる変化だってきっとあるはずなのだから。

 

「(紗夜さんなら……なんて言ってくれるのかな)」

 

 彼女になら話してもいいのかもしれない。

 

 僕にとって、本当に好きな人ができたことを。

 

 曖昧な答えではなく、自信を持って好きだと言える人ができたことを。

 

 その時、彼女がなんて言ってくれるかを楽しみにしている自分がそこにいた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 日が沈み街灯が照らす夜道の上を、表の仕事を終えた幾馬が駆けていた。普段よりも退勤時間が遅くなり、入院患者への面会時間の刻限が迫っていたためだ。とは言えその刻限そのものにはまだ余裕がある。それによって妻との時間が減ってしまうこと自体が彼にとっての気掛かりだったのだ。

 

 そして病院の建物内に入ったところで駆け足を止め、大股で妻のいる病室まで近付いて行った時だった。

 

「? なんだ……?」

 

 彼の妻が眠る病室にやけに人が多いのが、そこから聞こえる声や気配から感じられたのだ。嫌な胸騒ぎを覚えた彼はその場から駆け出し、妻の眠る病室へと駆け込んだ。

 

「涼!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、彼は医師の説明に耳を傾けると共に己の無力さに震えていた。元々症例の少ない病であり、現状の医療費や入院費だけで何とかなるものでないことは把握していた。海外にいると言われるこの件で実績のある外科医ならば助けられる可能性があると聞いていたが、海外で受ける分その額は破格となる。日本ならば保険を適応してある程度は自己負担で賄えたが、今回の場合はそのレベルを遥かに超える金が必要だと言うことは随分前から分かっていたことだった。しかし彼の金回りはよろしくないどころか、平均のそれを下回ってすらいる。海外での手術などとても受けさせられる状態ではない。だからこそ始めた裏稼業ではあったが、それで入る高収入ですらまだ届かない。一人の命を救うために数人の命を奪っても、まだ足りないのだ。

 

「(涼……っ)」

 

 妻は今こそ安静にベッドの上で寝ているが、もはや猶予は無いと医師から告げられている。こうなるまで何もしてやれなかったのは他ならぬ自分の責任であった。自分の力だけでは彼女を生きながらえさせることはできないのだと、幾馬は自身の不甲斐なさに打ち拉がれていた。

 

「……待っていてくれ、涼」

 

 その自己嫌悪と後悔と焦り、そして愛する妻を失う恐怖が、彼の中から迷いを消し去っていた。

 

 彼女と他人の命を天秤にかけ、しかし彼の中ではその答えは一瞬で決まっていたのだ。

 

「心は決まりましたか?」

 

「っ、元締め……」

 

 彼の覚悟に呼応するように、病院の廊下で元締めが彼の前に現れた。彼がここにいる以上、既に自分の事情を知られているのだろう。普段ならば怒りを露わにして声を荒げていただろうが、現在の追い込まれている状況でそんな余裕は彼の中にはなかった。

 

「詮索は──」

 

「御法度ですが、優秀な貴方のことは気になりましてね。だからこそ、この依頼も残しておいたのですよ」

 

「──なっ、これは……」

 

 元締めが幾馬に手渡したのは、先日見せられた殺しの依頼書と、そして数束の札束が入った封筒であった。手の中でずっしりと重く存在感を放つ封筒に、幾馬の胸の高まりが徐々に大きくなっていった。これだけの額があれば、一括では無理でも分割でならば手術代を充分払い切れると彼の中に希望が生まれていた。

 

「今回は前払いです。仲介料は既に抜いてますよ」

 

「助かる」

 

「言っておきますが持ち逃げは、貴方の命だけでは済みませんよ」

 

 暗に持ち逃げしたならば自分だけでなく妻の命をも狙うと宣言する元締めに、幾馬の目付きが鋭くなる。根が真面目であった彼には持ち逃げという選択肢はなかったが、あからさまに妻に凶刃が迫ると言われて当然いい顔などできなかったのだ。

 

「分かってる」

 

「では、頼みましたよ」

 

 幾馬の覚悟を決めた瞳に満足した元締めは、その言葉と共に彼の前から姿を消していた。

 

 そして幾馬もまた手にした封筒に目をやり、息をついてすぐさまその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ〜、寒……」

 

 寒気が吹き込み夜の街道を、一人の女性が手に息を吐きかけながら歩いていた。バイトが終わり、一人帰路につく楠和田であった。帰宅後の夕食の献立を考えながら、翌日の昼の授業まで寝てよう、終わったらまたあの少年の見舞いにも行こう、などとこれからの予定を楽しげに想像していた。

 

 そんな中、家まであと数分のところで街灯の下で一人寂しげに立ち尽くす男性の影が見えたのだ。手に袋のようなものを持ったその人がふと気になった視線をやった瞬間、楠和田の目は少し見開き、思わず声を発していた。

 

「あれ? 幾馬さんの旦那さん?」

 

「ああ、えっと……もしかして楠和田さん、ですよね? 病院で何度かすれ違いましたし、妻も偶に話していたもので」

 

 彼女が出会ったのは、病院で入院している女性の夫である幾馬であった。彼の人当たりの良い柔和な笑みが街灯に照らされて暖かく光っていた。楠和田も直接会話をしたわけではなかったが、遠目から見る夫婦での会話や、よく話をする彼の妻との会話の中で、その優しい人当たりをある程度は知っていた。実際にあってもその印象は変わることなく、きっとこの包み込むような笑顔に彼女は惹かれたのだろうなと、楠和田は一人思い至っていた。

 

「はい、その楠和田です。あの、どうしたんですか? 病院の面会時間は過ぎてますけど……」

 

「え? ああっ、いえいえ。今日の妻の見舞いはもう済みましたので。ご心配なく」

 

 見舞いに行こうとしていたのかと予想する楠和田に、幾馬はすぐに否定する。楠和田も彼が面会時間に間に合っていたことを知り、静かに安堵していた。

 

「でもちょうどよかった。私、貴女にお礼を言いたくて」

 

「え?」

 

「普段から妻と話しをしてくれると聞いています。彼女も喜んでいるので……あ、これよかったらどうぞ」

 

 妻の相手になってくれているお礼と称して、幾馬は手にした紙袋を楠和田に差し向けていた。彼のその行動に楠和田は驚いて反応が一瞬遅れていた。袋には老舗の銘菓店の名が印刷されており、そのために楠和田は当初彼が面会時間に間に合わなかったのだと予想したのだから。

 

「え、でも大丈夫なんですか?」

 

「いいんですよ。もともと今度会えた時に貴女に渡そうと用意していたものなんで」

 

 そこまで言われては受け取らないわけにはいかず、楠和田は幾馬が差し出した紙袋に手を伸ばし、ゆっくりとそれを受け取ろうとした。幾馬も彼女に近づき、街灯の光の外の暗闇へと足を伸ばしていた。

 

「ありがとうございます……でも、私のためにお金を使ってくれなくても大丈夫ですのに……奥さんのためのお金とか──」

 

 自分のためにお金を使って大丈夫なのか。妻のために大事に貯蓄してもよかったのにと、楠和田は心配の言葉を幾馬にかけようとしていた。

 

 

 しかし、彼女のその後の言葉が続くことはなかった。

 

 

「大丈夫ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ッが……っ……ぇ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょうど……いい金が入りましたので」

 

 次の瞬間、彼女の背中から太く鋭い四本の巨爪が突き出していた。

 

 真っ赤な鮮血に塗れたその凶器の生まれた先は、今も彼女の目の前にいる幾馬の右腕であった。

 

「ぁ……な……」

 

 楠和田自身、何が起きたのか一瞬理解できなかった。

 

 しかしそのすぐ後に、自分の身体が目の前の男に貫かれているのだと気付き、信じられないものを見る目で楠和田の目は見開いていた。

 

 何故自分は目の前の人に刺されているのか。何故彼のような優しい人がこんなことをするのか。何一つ理解ができず、彼女の頭の中が恐怖と混乱で埋め尽くされていく。

 

 だが、その意識はもはや保つことはなかった。次第に全身が冷えるような感覚に陥り、すぐに五感も失われていく。全身を支える力も、声を出す力も、目を開くだけの力も、彼女には残されていなかった。

 

「……」

 

 腕を引き抜き、血飛沫を上げて力なく倒れる楠和田を省みることなく、幾馬は闇の中へと歩いていく。

 

 地に塗れた紙袋の側で倒れ伏した楠和田の身体に、ひび割れるようをたてながらステンドグラスのように色鮮やかな模様を浮かび上がる。

 

 そして彼女の身体が綺麗なガラスのオブジェのように光り輝いた瞬間、その身体は音と共に砕け散ってしまった。

 

 静かな風が吹き付ける夜の世界で、その一瞬の惨劇を目の当たりにした者はどこにもいなかった。




祝! CSMキバットベルト&タツロット発売決定!
嬉し過ぎて仕事終わりでもテンションフォルテッシモです。
買わねば(予約確保済み)。
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