ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『愛する者と出会った時、人は何者にでもなれてしまう。紗夜から伝えられた言葉を胸に、麗牙はまた一つ恋を覚えていく。しかし一方、愛する者を救うためその手を汚し続ける決意を固めた幾馬は……』


第91話 下された判決

 僕が事の顛末を知ったのは、あれから二日後のことであった。紗夜さんと会った翌日に僕はまた例の病院に赴き、今度は直接彼と会って話してみようと思った。彼について僕の目と耳で直接知りたいというのもあるけど、次狼や紗夜さんが語っていた言葉を僕なりに飲み込んで、その上で彼の妻を想う気持ちに直に触れてみたかったという思いもあったからだ。

 しかし放課後に来るには早過ぎたようで、彼は未だ勤務中なのかその姿は院内には見かけられなかった。ならばとその奥さんの方に話しを聞こうとかと受付に訊ねようとした時、思いもよらぬ情報が舞い込んできたのだ。

 

 幾馬涼さん──あの人の奥さんの手術が決まったと。

 

 当然驚いたが、それと同時に流石に急すぎないかという不信感も湧き上がっていた。つい先日までは彼らは金に困っており、とても海外での高額な手術代を払える状態でなかったはずなのに……。

 しかし、それを可能にする金の出所には心当たりがあった。彼が大金を手に入れる方法と言えば、もはやそれしか考えつかなかった。

 

『(あの人、まさか……)ん?』

 

 嫌な予感を前に胸騒ぎが起き始めたその時、視界の隅にあるものが目に入った。それは、先日出会った楠和田さんと仲のいいあの少年であった。手術も成功し、そろそろ退院するというにも関わらず、その顔は酷く沈んでいたのだ。直接話したことはないが、楠和田さんと話していた時の快活な笑顔を浮かべていた少年を見ていただけに、その纏う空気の変わりように少し驚いてしまっていた。暗い顔でベンチに座り込み、悲しい音を奏で続ける少年が気掛かりで話しかけずにはいられなかった僕は、彼の元へと歩み寄っていた。少年の話によると、いつもならば自分に会いにきてくれるはずの楠和田さんが今日は見当たらないというのだ。「たまたま忙しいだけでは」と少年に慰めの言葉をかけるも、彼の心から不安が消えることはなかった。

 

 結局その日は幾馬夫妻と話すことは敵わず、胸騒ぎが消えないと言う少年の言葉に僕も同様に不安を感じたままキャッスルドランへと戻っていた。アゲハの元に行き、部下を使って幾馬さんの周辺について調べている彼女に楠和田さんのことを告げ、万が一ということもあるのでアゲハにはその周辺のことも同時に調査してもらうことにした。

 

 人間の妻を愛する幾馬さん。人間との共存を強く望む楠和田さん。僕が快く思うはずの人たちの間で嫌な線が繋がろうとしているように感じられ、焦燥感に駆られたままその日は終わりを迎えた。

 

 そして明くる日の放課後。事態は大きく転換を迎えていた。

 

「ッァグゥ!?」

 

 僕の前に転がるのは、頭を金髪に染め上げた身なりのよさそうな青年であった。尤も、身体のあちこちは傷だらけで服もボロボロのため、あくまで「よさそう」止まりだ。実際にどのような風貌であったのかは、彼を完膚なきまでに叩き潰して今も青年を見下ろしているアゲハ──ビショップにしか分からないのだろうが。

 

「もう一度、あなたがしたことをここで話しなさい」

 

 ビショップは剣を青年の首元に当てて脅す。歯軋りを立てながらも抵抗は無駄だと悟った青年は、自らの行いを僕に白状したのだった。

 

 自分をフった元恋人のファンガイアを逆恨みし、殺しの依頼をあげたことを。

 

「屈辱だよ。取るに足らないファンガイアでも見た目だけはいいから、せめてもの思い出として付き合ってやったのに……何故俺の方が捨てられなければならないんだっ。あの女、俺の価値を全く理解していない!」

 

「フラれた理由は聞いてないのか?」

 

「ああ聞いたよ。何が『人間を餌としてしか見れない人は無理』だ。そんなチンケな理由でこの俺を見限るなんてまるで意味が分からん! 何より、この俺が人間以下の価値に見られていたことが何より腹立たしくて仕方がない!」

 

 歪んだ表情で怒りの言葉を捲し立てる男は、楠和田さんのかつての恋人であった。楠和田さんの人間関係を洗い出した結果、最終的に辿り着いたのがこのファンガイアだったのだ。彼女があの日に言った言葉の通り前時代的な考えを持つこのファンガイアは、同じく自分とは理解の離れた楠和田さんを酷く恨んでその殺害を誰かに依頼したのだ。

 

 だが、それでも一応は聞いておかなければと、僕は彼に向けて一つ質問を投げかけた。

 

「あなたたちの間に、愛は無かったと」

 

「愛? ハッ、あの女と同じで人間みたいなことを言うな。俺たちファンガイアには元よりそんなものはない。俺たちが添い遂げる理由なぞ、ただの箔付けでしかない。高貴なファンガイアの隣には高貴なファンガイアがいる。それが俺たちだったはずだ」

 

「……」

 

 もしかすると愛情の裏返し故の恨みなのかもしれないと思ったが、彼にはそもそも異性に対する愛情というものは存在していなかった。彼もまた古きファンガイアの価値観に染められた者の一人でしかなかったのだ。

 ファンガイア族は長寿だ。普通に生きていても五百年は生きるし、長い者で千年以上とも言われている。生まれながらにして朽ちない身体を持つ僕らのことを「真祖」と呼ぶ者もいるが、それぐらいにはファンガイア族は一人でも生きていける……急いで子孫を残す必要がなかったのだ。故に異性との関わりにおいて愛欲というものが育ちにくい種族でもあった。

 

「おかしいのはあの女の方だ! 愛してほしいだの、人間を傷付けないでだの、心底気味が悪い。あんなヤツと付き合っていたと思うと……あの女がまだ生きていると思うだけで俺は夜も眠れんわ!」

 

「その存在すら許容できないと?」

 

「ああ当たり前だ! どこの世界に食料と仲良くするヤツがいる! どんな化け物だ! 消えて当然のヤツだ!」

 

 そんな種族の中で生まれたこの男の価値観はある意味で間違ってはいないのだろう。恐らく彼からしてみれば、既に冷蔵庫の中に入れられている肉を大事にしてと言われているようなものなのだろう。彼にとっての人間はその程度の価値しかない。いつでも口にすることのできる食材。意思疎通など無意味だと考えるほどの物体。動物未満にしか感じていなかったのだろう。

 

「どんな化け物、ですか……」

 

 

 だが、その価値観は今の僕の逆鱗に触れるに十分事足りていた。

 

 

 ──『私も結婚するなら、あれくらい相手から想われたいなぁって……』

 

 彼女が幾馬夫妻を思い返して羨ましげに呟いていた言葉も今なら理解できる。楠和田さんは、本当にただ愛されたかっただけなのだ。しかし自分の恋人だった男の本性がコレならば失望もするだろう。自分の抱く価値観とは全く正反対の存在だと、知ることになった彼女の気持ちは今では計り知れない。

 彼女の求めるものは彼にはない。彼もまた望めるものは彼女の中にはない。同じ種族であるにも関わらず、二人の距離はあまりにも遠すぎた。

 

 そして、僕の価値観と彼の価値観もまた等しく遠かった。

 

「人間と共に生きる。そうするファンガイアはあなたにとって化け物なんですね……」

 

「ああそうだっ。だから今のキングの政策もさっぱり理解できん! 人間と共存? 急に何を言い出すんだと。俺には食料を殺し過ぎないための謳い文句にしか聞こえん。結果、人間の増加速度は上がっているしな」

 

 僕たちの掲げた言葉は、この手の人たちには本当に届いていないのだろう。彼の目と言葉に迷いは見られない。本気でそう思っているのだと彼の様子からそう確信せざるを得なかった。しかし今は失望よりも大きな感情が、蝕むように僕を包んでいた。

 

「お前だってそうだ! 人間と仲良くしているが、本当はその後で食らいたいんだろう? 自分と仲良くなったと思い込んでいる人間を、背徳感と共に食らう妄想でもしているんじゃないのか!?」

 

「……」

 

 一瞬、手が震えた。動揺からではない。抑えきれない怒りのためにだ。僕が、本当は人間を食べたい? そのためにわざわざ仲良くしている? コイツは本気でそんなことを思っているのか? 僕が燐子さんに抱いている想いも、食欲か何かだと言いたいのか?

 

「……」

 

「さぞ気持ちいいだろうなぁ。餌と仲良くなるという背徳感と、その後に食らう人間のライフエナジーは。俺も少しは試してみるべきだったか?」

 

「……──れ」

 

「え?」

 

 これ以上は我慢できそうになかった。

 

 価値観を捨てられず、人間を餌として見れない。そういった輩は随分見てきたつもりだが、僕のやってきたことをそんな風に見ている人がいるとは思いもしなかった。

 仲良くするという背徳だと? 最後に裏切って気持ちがいいだと? うすら笑みを浮かべながらそう嘯く男を前に嫌悪を……憎悪すら抱きそうになっていた。

 

 

「喋るな……」

 

 

 もう知らない。

 

 王の判決を言い渡す前に手にザンバットソードを召喚した僕は、その腕で剣をなぎ払おうとした。

 

 この一振りで、見たくない目の前の首は飛んでいくだろうから。

 

 聞きたくない言葉を聞かずに済むだろうから。

 

 そして、剣を掲げた時だった。

 

 

「待て」

 

 

 振り上げようとした僕の腕を、次狼の手が掴んでいた。何故止めるのかと無言で彼を睨みつけるも、次狼は相変わらずの澄まし顔で、しかし感情の込められた言葉を僕の胸に届かせていた。

 

「私情で殺す価値のある相手じゃない。せめて、お前の口から判決くらい下すのが筋というものだ」

 

「……」

 

 感情のままに目の前の男の首を跳ねようとした僕を嗜めるように、次狼は僕の腕を下げようとする。僕も公私混同で男を殺そうとしていたことに気付き、ゆっくり息をついて次狼に感謝の念を送りつつ改めて言葉を発した。

 今度は僕自身としての行動ではなく、法を侵した反逆者を裁くために……。

 

「王の判決を言い渡す。死だ……ガルル」

 

「フンッ!」

 

「ィギィッァ──」

 

 僕の言葉のすぐ後に次狼は蒼き人狼へと姿を変え、その鋭利な爪で男を引き裂いた。情けない断末魔を挙げてステンドグラスのように色鮮やかに固まり、音を立てて砕け散った男を僕は最後まで冷たい目で見つめていた。

 

「アゲハ。依頼者は消えたけど、実行犯は……」

 

「……麗牙の予感通りだよ。昨日、一つの魂が消えた場所にあった魔皇力の痕跡……今調べている男と同じだった」

 

「……」

 

 楠和田さんの殺害を実行したのは幾馬さん。

 

 予感はあったが、アゲハの報告でそれが確証に変わってしまった。

 

 今頃、手術が決まった奥さんと幸せそうに団欒でもしているのだろうか。

 

 そう思うと遣る瀬無く、出そうとする足も鈍ってしまう。

 

「麗牙、行くのか?」

 

「うん……僕は、ファンガイアのキングだ」

 

「そうか」

 

 しかし僕は進まないわけにはいかなかった。

 

 一族の安寧のために、法から外れたものに裁きを下すのがファンガイアのキング──僕の務めだ。

 

 たとえ相手が、僕が理想とする世界にいてほしい優しさを持つファンガイアであろうと変わりはない。

 

 僕は……あの人を殺さなくてはならない。

 

 人間の妻を心から愛する一人のファンガイアを……。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「海外に行くにも結構準備っているんだな。俺まだ全然何も進んでないよ、あはは」

 

「ふふ、当たり前よ。だったらこんなところにいずに、自分のことを進めればいいのに」

 

 病院の一室では、笑顔と共に会話に花咲かせる幾馬夫妻の姿があった。妻──涼の手術が決まり、もはや憂うことはないと幸せを感じさせる笑みが二人の間で輝いており、同室に眠る患者にもその幸が分け与えられているようであった。数日後には海外へ旅立つ彼らだったが、今は自由に動ける夫である緋史がその役割を担っていた。

 

「じゃあ、俺もう行くよ。また明日」

 

「うん。また、明日……」

 

 明日も仕事で、更には海外でしばらく過ごすための準備に追われている彼にはここでゆっくりしている余裕はない。妻との別れを惜しみながらも、妻が生きながらえることができるという希望を胸に、彼は病室を後にしようとした。

 

「ねぇ、緋史……」

 

「どうした?」

 

「貴方……私の前から急にいなくなったりしない、よね……?」

 

 しかしその時、涼は緋史を呼び止めた。彼が振り返ると、涼は儚げな笑みを浮かべ、どこか悲しそうな目を自分に向けながらそんなことを質してきたのだ。突然の不穏な問いに当然緋史は戸惑い、動揺しながら妻に対して説明を求めていた。

 

「ど、どうしたんだよ急に。俺が何も言わずに涼の前から消えるわけないだろ」

 

「それは知ってるけど……なんだか、ちょっと胸騒ぎがして……私もよく分からないけど、このまま貴方がどこかに行ってしまうような、そんな気がして……」

 

 涼の胸の中で確かに脈打つ嫌な鼓動は、二人の別れを予感させていた。確信など何一つないが、今の緋史の幸せそうな姿を見て不安を消すことができずにいたのだ。高額なはずの手術が決まって自分の命が助かるというのに、その順調さが彼女の胸騒ぎを更には駆り立てていく。

 

「……考えすぎだよ。確かに上手くいきすぎてるかもしれないけどさ、俺は勝手にいなくなったりしない。約束するよ」

 

「本当よね? 約束よ?」

 

「ああ。じゃ、また明日」

 

「うん……また、ね」

 

 今度こそ、彼は病室の扉を閉めて妻の前から姿を消した。涼は視界から消えた夫を想い、しかしすぐにまた不安が振り返してきていた。彼の言葉が信用できないわけではないが、女の勘とも言えるべき彼女の中の何かが胸騒ぎを止めることを良しとしなかったのだ。

 

「(緋史……)」

 

 そして、彼女は行動に出ようとした。ある程度なら自分だけでも歩けた涼は、部屋に置かれていた車椅子を拡げると自らそこに座り込み、静かに病室から出て行こうとしたのだ。できることなら、この胸をくすぐる不安の種の正体を知りたい。彼に何事も起こらないでいてほしい。夫を想う故の彼女は、無謀にも自ら病院を抜け出そうと画策していた。

 

 しかし……。

 

「っ、す、すみませんっ」

 

「おっと……やっぱりこうなるんだね」

 

 廊下に出た直後、彼女の操作する車椅子は一人の青年とぶつかりそうになった。接触こそなかったものの、相手に怪我を負わせかけたことに涼はすぐさま頭を下げて謝罪を入れる。

 

 その目の前の男──黒麓もまた、病室を出た彼女に対して、諦めのような期待通りのような、複雑な表情を浮かべていた。そして……。

 

「少し、いいかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今月二度目となる満月が光り輝く夜の世界。病院から立ち去る幾馬の前に、一人の青年が立ち塞がった。

 

「……」

 

「……キング」

 

 悲しげに幾馬を見据えるのは、ファンガイアの若きキング──紅麗牙であった。月明かりによって紅色の髪を神秘的に照らされた彼の姿はある種の芸術作品にも見えたであろうが、今の幾馬からすれば死神の手に持つ鎌の光に等しくあった。何故キングがわざわざ自分の目の前に現れたのか、それを察することのできない幾馬ではなかった。

 

「貴方のこと、少し調べさせてもらいました。幾馬緋史。真名『葬儀屋に贈る賄賂と謝礼』。犯してきた罪の内容については、貴方がよく知ってるはずです」

 

 麗牙の声は冷たく、そして沈んでいた。今から自分が与える判決は王として、そして一介のファンガイアとしても出さなければいけないものである。しかし同時に目の前の反逆者は、一人の人間を心底愛することのできる尊い存在でもあったのだから。

 

「弁明があるなら、一応は聞きます」

 

「……罪は受け入れるよ。俺がしたことは間違いなく悪だ。でも、俺はまだ死ぬわけにはいかない。涼と約束したんだ、勝手に目の前からいなくならないって」

 

「そうですか……」

 

 自分は今からその約束を壊すのだと、麗牙は心が押し潰される感覚に襲われながらも言葉を絞り出した。

 

 もはや彼の犯した罪を消すことはできない。

 

 

「貴方に、王の判決を言い渡します」

 

 

 ならぼ自分は自分の成すべき役目を果たすだけだ。

 

 そう自分に言い聞かせて、麗牙は言いたくなかった言葉を引き出した。

 

「『死』です……っ、キバット!」

 

『いいんだな? 麗牙』

 

「うん……」

 

『分かったよ……ガブッ!』

 

 キバットが麗牙の左手に咬みつき、彼の腰回りに紅色のベルトが出現した。

 

 装備の出現と同時に笛の音が闇夜に響き渡る。

 

 警告音のようにも悲鳴のようにも聴こえるそれは、今の彼らにとって死刑執行のカウントダウンのようにすら感じられていた。

 

 そして麗牙は告げる。

 

 自分が尊いと感じるものを守るために告げるあの言葉を。

 

 自分が倒さなくてはいけない敵に向けて放つ覚悟の言葉を……。

 

 

「……変身」

 

 

 麗牙の言葉と共に、月光が差し込む夜の地にキバが顕現した。そして幾馬もその姿を変貌させ、巨大な熊型の異形──グリズリーファンガイアが現れた。

 

「これで行く」

 

 キバは感情が篭らないよう短くキバットに告げると、左のフエッスロットから三色のフエッスルを取り出し、それらを順番にキバットに吹かせていった。

 

『ガルルセイバー!』

『バッシャーマグナム!』

『ドッガハンマー!』

 

 天から舞い降りる三種の彫刻がキバの身体に吸い込まれていく。その身体が眩い光を放ち、光が消えた次の瞬間、その場には極彩色の鎧が聳え立っていた。

 

「……」

 

「……」

 

 月明かりと夜風に晒されて、ドガバキフォームへと変身したキバとグリズリーファンガイアが静かに対峙する。

 

 立場と情愛。互いに譲れないものを持つ者同士、避けられない戦いがすぐそこまで迫っていた。

 

 そして……。

 

「グァァッ!」

 

 真っ先に仕掛けたのはグリズリーだった。地面を強く蹴って跳躍し、高速の弾丸のようにキバに爪を振りかざして飛び掛かる。しかし彼の右腕の巨爪がキバを引き裂こうとした時、キバの左手が一本の爪を掴み取った。その場から動くことなくキバはグリズリーの爪を強く握りしめ、完全にその動きを殺していたのだ。

 

「ぐっ、ガァァアッ!」

 

 初撃が届かなかったと知覚したグリズリーはすぐさま第二波としてもう片方の腕を下から振り上げて、キバを切り裂こうとする。しかし……。

 

「……」

 

「っな!?」

 

 確実に身体に入ったはずの一撃はキバの身体を切り裂くことはなく、爪はその紫の鎧に添えられたまま勢いが途絶えていた。そこに傷はかけらも存在せず、自慢の巨爪は完全に無効化されているのだとグリズリーは一瞬で察した。

 

「ふんっ」

 

「ブゴォ!?」

 

 その直後、グリズリーの身体に激しい衝撃が走った。己の身体に訪れた衝撃と共に身体は宙に浮き上がり、キバから遠ざかっていく。あまりにも激しい痛みのために目に見える光景がゆっくりに感じていたグリズリーは、吹き飛ばされながらもキバの手に握られていた紫の魔鉄槌(ドッガハンマー)を視認していた。巨大な鉄槌により叩きつけられて宙に浮かぶ身体はやがて地面と巡り合い、その身体を擦りながらグリズリーは地を転がっていく。

 

「ッグァハッ!? ッ、ハァ、ハァ……」

 

 だが痛みに気を取られている余裕など彼にはない。すぐさま目の前の存在に対して立ち向かおうと脚に力を込め、再び立ち上がろうとした。

 

「フゥ、まだ……ッガァッ!? ガハッ!? ォグァ!?」

 

「……」

 

 しかし立ち上がろうとするグリズリーの身体に幾つもの衝撃が走り、たちまち体勢を崩して地に倒れてしまった。キバの手に握られていた翠玉の魔海銃(バッシャーマグナム)によって打ち出された弾丸が、無情にもグリズリーの身体を撃ち抜いていたのだ。

 

「……」

 

「ッグァ!? ッガァァァァッ!?」

 

 グリズリーへとゆっくり近付きながら、キバは引き金を引くことを止めはしない。発射される水の弾丸がグリズリーを喰らうように襲い掛かり、夜の空にグリズリーの悲鳴がこだましていた。

 

「……フッ」

 

 やがて銃撃を中断し、得物を蒼き魔獣剣(ガルルセイバー)へと持ち替えようとしたところで、キバは武装を手から消し去り、己の身体一つでグリズリー向けて駆け出した。

 

「ハァッ!」

 

 まだ完全に起き上がる前のグリズリーの腹に蹴りを入れてその巨体を吹き飛ばす。それを再び追い、グリズリーの頭部の突起を掴み上げて無理矢理立たせ、更に腹部へと膝蹴りを何度も加えていた。

 

「フンッ! フンッ! ハァ!」

 

「ゥガ! ギィ!? ガハッ!?」

 

 もはや一方的な蹂躙であった。グリズリーを投げては追い、その身体を叩きのめしては再び投げ飛ばす。まるで慈悲の感じられない残虐な光景がただただ繰り返されていた。

 

「ッ……ハァ!」

 

 グリズリーを責め立てる間もキバは何も話さない。いや、言葉を話さないようにしていたのだ。言葉を交わせばきっと意思は揺らいでしまう。できれば殺したくはないと思っていたグリズリーに対して情が甦ってしまう。そうなれば一度出した判決を止めてしまうことになる。故にキバは──麗牙は、ただ無言で無慈悲にグリズリーを痛め続けていた。

 

「……」

 

「ハァ……ハァ……ッ、グゥ……」

 

 何度目になるか分からないキバの猛攻の前にグリズリーはもはや虫の息であったが、それでも動くことを止めようとはしなかった。震える身体を折れそうに揺れる脚と爪で支えながら立ち上がろうとするグリズリー。立ち上がる力など当に残されていないはずであるにも関わらず、魔法のように湧き上がってくるその力を前にして、麗牙の胸は張り裂けそうになっていた。

 

「まだ……死ねるか……ハァ……ッ」

 

「何故……」

 

 そんなグリズリーの姿を目の当たりにし、彼は遂に言葉を投げ掛けていた。

 

「どうして……まだ立ち上がろうとするんですか……」

 

 身体は既に限界を超えているはずなのに。

 

 この時点で既に死んでいてもおかしくないのに。

 

 それでもまだ立ち上がろうとする意思がある存在に、麗牙は問わずにはいられなかった。

 

 そこにある答えを知っていようとも、彼は問わずにはいられなかったのだ。

 

「はは……王様よ……アンタ……誰かを好きになったこと……あるか……」

 

「……」

 

 息も絶え絶えにほくそ笑みながら呟くグリズリーに、麗牙は心の中で燐子の笑顔を思い浮かべていた。だからこそ、麗牙はグリズリーが何を言いたいのか理解していた。理解できてしまった。

 

「そういうヤツがいるとな……ハァ……不思議だけど……力が湧いてくるんだ……ッ、顔を思い浮かべるだけでも、生きる気力が湧いてくる……アイツだけが……俺の生きる理由なんだ……っ」

 

 分かっていたのだ。グリズリーが死ぬわけにはいかない理由も。生き延びたい理由も。ただ自分が生きたいからではない。愛する人と共に生き続けたい。愛する人を一人にしたくない。その想いが今の彼を突き動かしているのだと麗牙自身も理解していた。

 

「俺は……アイツのためにも絶対に死ねない……約束だから……勝手に、目の前からいなくならないって……ッ、ゥオオオオオオ゛ッ!!」

 

「……」

 

 愛する者との約束を果たさんと、己の魂を燃やさんとする勢いでグリズリーは吠えたて、キバに突進してきた。文字通り生命をかけた特攻とも言える最後の攻撃であったのだろう。

 

「……」

 

 それに対してキバは、ベルトの右のフエッスロットから紅に輝く禁断の笛(ウエイクアップフエッスル)を取り出した。

 

 これを吹かせればこの戦いは終わる。

 

 目の前のファンガイアを殺すことができる。

 

 戦いの終わりを告げる調べをキバットに吹かせようとしたところで、しかしキバの様子に変化が起きていた。

 

「……」

 

『行くぜ……って、オ、オイ! 麗牙!?』

 

「……」

 

 キバは、グリズリーと言葉を交えてしまったことで心に揺らぎが生まれていた。心から愛する者に向けた強い想いを纏うグリズリーを自分は殺すことができるのかと、この局面に来て思い至ってしまったのだ。

 

「グオ゛オ゛オオオオオッ!!」

 

 声が枯れるような痛切な咆哮と共に向かってくるグリズリーを前にキバは微動だにせず、ウエイクアップフエッスルを片手にしたまま立ち尽くしていた。

 目の前の存在を殺すことは彼ら夫婦を殺すことと同じなのではと、そんな思いが麗牙の中に生まれてしまっていた。

 

『ッ、させるかァ!』

 

「ッグォアァァ!?」

 

「っ!? キバット……」

 

 グリズリーの巨爪が無防備なキバに襲い掛かろうとした時、キバのベルトに留まっていたキバットが飛び出してグリズリーに突進をかましたのだ。予想外の場所から、小さな身体に見合わない強烈な勢いの体当たりをくらい、グリズリーは大きく吹き飛ばされていく。

 

「……ッ……キバット!」

 

 そんなキバットを見て我に返ったキバは、悲痛な叫びと共にフエッスルをキバットに向けて投げ付けた。

 

『ガブッ! Wake(ウエイク) Up(アップ)!』

 

 キバによって投げられたフエッスルを口でキャッチしたキバットはそのまま笛を吹かせ、キバの断罪の一撃を発動させた。

 

「ハァァァァァ……」

 

 両手の二本の指を悪魔の角を連想させるように立たせ、両腕を胸の前でクロスさせる。

 

 月に照らされて禍々しく輝くキバのペルソナは、もはや立つこともままならなくなったグリズリーだけを捉えていた。

 

 そしてキバは立たせた指を曲げて拳を固く握りしめ、勢いよく右脚を天に向けて振り上げた。

 

「フッ!」

 

 右脚のヘルズゲートが解放されて、紅色に塗れた悪魔の翼が顕現する。

 

 空に浮かび上がっていた満月は陰りを増していき、やがて三日月へと姿を変えていた。

 

「ハッ!」

 

 そしてキバは地を蹴り、夜空に向けて跳躍した。

 

 闇が支配する天空の下で、キバはその右脚をグリズリーに向けて突き出していた。

 

 ──これが敵を貫けば、確実に終わる。

 

 ──もはや敵は動けず、自分の狙いも逸れることはない。

 

 ──だから、後は流れに身を任せよう。

 

 キバは──麗牙は仮面の下で至ってしまう結末に思いを馳せ、自分の心を傷つけようとする。

 

 この世に生まれた一つの幸せを無に返すことに心を痛め、仮面で涙を隠し、それでも彼の断罪の一撃は止まらない。

 

 もはや自分でも、この一撃を止めることは不可能なのだから……。

 

 

「ハア゛ア゛ァァァァァァァァァァッ!!」

 

 

 全てを振り切るようにキバは雄叫びを上げ、ダークネスムーンブレイクを放った。

 

 

 そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」




夜をつんざくその悲鳴は……。
次回、グリズリー編完結。
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