ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『「ブルームーン」とは、ひと月の間に訪れる二回目の満月のことである。なかなか見ることのできない珍しい月で、英語で「非常に珍しい」という意味の慣用句にも使われている。それにどうやら「ブルームーン」という名の薔薇もあるそうだぜ。因みに次回に見られるのは二〇二〇年の十月三一日……つまり来年のハロウィンだ』


第92話 ブルームーンに叫べ:Keep alive

 満月が姿を変え、巨大な三日月が浮かび上がる夜の空、僕の向けた脚の先には立ち上がることもままならなくなった一人の異形がいる。この一撃が決まれば……彼の生命を奪えば、この断罪は終わる。一族の長として、法の執行者として、もはや覚悟は変わらないはずだった。

 

 しかし……。

 

 

 

 

「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」

 

 

 

 

「!?」

 

 夜をつんざく悲痛な叫びが僕の耳にまでこだましていた。

 

 命の灯火が消えそうな弱々しい音ではあったが、誰の耳にも届かせるほどの強烈な想いが込められた悲鳴が。

 

 そして僕は見た。

 

 見えてしまったのだ。

 

 折れそうな細い身体を夜風に晒して両腕を広げ、異形の盾となって僕の前に立ち塞がる一人の女性の姿を。

 

「りょ──っ!?」

 

「(なっ!?)」

 

 そう、それは異形の妻であった。

 

 人間であり、異形の夫の正体に気付きながらも彼を心から愛した優しい女性。

 

 病院で見かけた穏やかな笑顔とは正反対の悲痛な表情が、そこに向けて急降下する僕からも見えていた。

 

 それに気付いたところで今更僕と、そして倒れ伏す異形にとっては遅すぎた。

 

 断罪の一撃は既に放たれた。

 

 もはや僕自身でも止める手立てはない。

 

 あと二度瞬きする前に、寸分の狂いもなく僕の脚はあの人を蹴り殺すのだ。

 

 何の罪もない優しい人間の女性を……。

 

「──」

 

 それを確信した時、僕は何を叫んだのか覚えていない。

 

 錯乱して喚き散らしたのか、それとも恐怖で意識が飛んだのか、よく覚えていない。

 

 倒れる異形が何とか立ち上がろうとして、女性に手を伸ばしている場面だけは記憶に覚えている。

 

 だけど次の瞬間には頭が真っ白になっていた。

 

 この直後に訪れる展開を想像し、現実から目を背けようとしたのだ。

 

 

 そして──

 

 

 

 

 

 

Wake(ウエイク) Up(アップ)!』

 

 

 

 

 

 

「ハァァァァァァッ!!」

 

「!?」

 

 キバの一撃が女性を貫こうとした正にその瞬間だった。光のような速さで僕たちの間に割り込んできたのは、巨爪を装備した白い戦士──レイだった。レイは両腕の爪をクロスさせて盾となるように二人の前に立ち塞がり、僕の右脚を真っ向から迎え撃ったのだ。

 

「ッ、グゥゥゥゥッ!?」

 

 闇の世界でキバの右脚とレイの両腕の爪がぶつかり合い、眩しい火花が辺りを照らし出す。

 

 上空から放たれた激しい衝撃がレイを押し潰さんとするも、彼は自身の最大の武器である巨爪で何とか踏みとどまっていた。

 

 瞬きする間のほんの一瞬の出来事であったが、それは最悪の結末から逃れるには十分な時間であった。

 

「くッ!?」

 

「ッグォォッ!?」

 

 激しく破裂音を轟かせてレイは大きく吹き飛ばされるが、僕も彼の爪によって弾かれて僅かに軌道が逸れ、誰もいない地面に激突し巨大なキバの紋章を刻んでいた。その脇には、まだ命の鼓動が鳴り続けている一組の夫婦がいた。自身の身に起きた幸いに対して、未だ心ここに在らずといった様子で呆けているようであった。

 だがキバの一撃を防いでいたレイは激しく地面を転がり、ようやく止まった先には強制的に変身が解除されて痛々しい生傷が刻まれた黒麓さんの姿が現れていた。

 

「黒麓さん!?」

 

 僕は変身を解除して彼の元へ駆けていた。無論、彼の安否を確認するためにだ。

 

「ッ……結構効くものだね、キミの脚は」

 

「黒麓さん、どうして……」

 

 身体に傷を作りながらも、重体とまではいかないのか地に手を当てて身体を起き上がらせ、彼はいつものような余裕のある笑みを見せていた。その様子に一応は安堵を抱くも、何故彼がこんな行動をとったのかが気になり訊ねずにはいられなかった。

 

「違うと思ったからだよ」

 

「違う?」

 

「彼を殺すしか選択肢のないことも、キミが彼女を殺してしまうことも、そんな結末は何か違うと思ってね」

 

 要は、僕の選んだ判決やそこから行き着いた結末は間違っていると彼は言いたいのだろうか。硬い表情を崩せずにいる僕に対し、あくまで笑顔を崩さない黒麓さんはそのまま立ち上がり、僕と同じ目線に立って再び話し出した。

 

「殺すことでしか罪を償えないなんてキミらしくない。とりあえず、彼らの話をもう少し聞こうじゃないか」

 

 そう言う黒麓さんに示されて振り返ると、異形は幾馬緋史の姿へと戻り、緊張の糸が解けて崩れ落ちた妻の身体を抱き寄せているのが見えた。周りなど見えていない様子で言葉を交える二人の間に割り込むのは少し身が引けてしまうが、どの道彼らにはまだ用があるため、黒麓さんの言葉の通りに踵を返し、彼らの夫婦の会話に耳を傾けながら二人の元へとゆっくり歩いていく。

 

「涼……お前、なんで……お、俺は……」

 

「あなたが普通の人間じゃないことくらい……ずっと前から分かっていたよ……私のためにやりたくないこともしてるのかなって、なんとなく……」

 

「涼……」

 

「さっきね、全部聞いたの。緋史が私のために、何をしてきたのかって……私を死なせないために、いろいろしてきたって」

 

 黒麓さんはここに来る直前に彼女と会い、幾馬さんについてを話したのだろう。彼の正体について、彼の行いについて、彼の想いについて。知らない方が幸せだったのかもしれないが、彼女は知りたがっていたのだと黒麓さんは言う。しかし夫の想像を超えるほどの罪業を知り、彼女の心は折れかかっていた。

 

「でも……もう嫌……誰かの命を奪ってまで私……生きていたくないよ……」

 

「っ……それでも、俺はお前に生きていてほしいんだ。涼さえ生きていてくれれば、俺は──」

 

「私だって同じっ……緋史に生きていてほしい……私のために死ぬなんて嫌だから……」

 

「……」

 

「……だから前に出てきたんですか」

 

「ひっ……」

 

 近づいて来た僕を見るなり、男の妻は怯えた表情をこちらに見せる。ついさっきまで殺されかけたのだから仕方ないとは思えど、その態度にあの日のデジャブを感じて僅かに胸が痛んでいた。無論、そんな態度をかけらも見せず僕は彼女に問いただす。僕の前に出てきたのは、自分よりも彼を生かしたかったからなのかと。

 

「私も……緋史を……彼を死なせたくなかった……私のために苦しむくらいなら、私が消えて彼だけでも自由に……」

 

「ふざけるな! それなら消えるのは俺であるべきだろっ。なんで何の罪もないお前が死ななきゃいけないんだ!」

 

「だって、あなたのいない世界で生きていても……何の意味もないもの」

 

「っ……俺だって同じだ……お前がいない世界なんて……地獄でしかないっ」

 

「……」

 

 彼らの話を聞いて確信したことがある。二人の願いはきっと同じなのだと。二人とも「共に生きる」ことが心からの願いであるはずなのに、それを諦めてしまっているのだと。自分の命なんて、たとえ自棄になっても簡単に投げられるものではない。それを相手のことを思い遣るあまり自分の命を諦めるというのだから、二人の中にある覚悟は果たしてどれほどのものだろうかと勘ぐってしまう。

 

「(僕は……どうすればいい……)」

 

 二人の会話を聞く中で僕は考えあぐねていた。ファンガイアの掟として、それに大きく反した幾馬さんには死を与えなければならない。だが、幾馬さんが死ねば妻は彼の後を追いかねない。そうでなくとも、命でなく心が死んでしまうのだろう。

 

 きっと今までにも同じような境遇の人はいたのかもしれない。罪人にも待っている人がいたのかもしれない。しかし僕はそれを無視し続けて裁きを下してきた。今回が偶々、愛し合う二人を見る最初の現場となってしまったのだ。よりによって今の自分と同じく、人間を愛するファンガイアと出会ってしまったのだ。

 

 だからこそ、彼をここで殺すという判断を出すことができずにいた。

 

「どうだろうか、紅くん。ここは一つ、愛し合う二人にチャンスを与えてくれないか?」

 

「チャンス……」

 

「生きるチャンス。愛し合う時間を得るためのチャンスを、ね」

 

 その時、黒麓さんは僕に提案してきた。最初からその言葉を言いたかったのか、すらすらと台本を読むかのように僕に投げかけてくる。

 

「罪を償うのに、必ずしも命を奪う必要なんてない。キミは古いファンガイアの慣習に縛られる必要はないと言っているんだ」

 

「それは……」

 

 彼に言われて、僕はふと気付かされていた。僕はいつから古いファンガイアの掟に縛られていたのかと。あれほど嫌がっていた昔の価値観に逆らうことをいつの間に止めていたのかと。歴史という名の鎖に縛られて、殺す以外の選択肢がなかった自分に軽く怖気が走っていた。

 

「本当はどうしたいか、もうキミの中にはあるんでしょ?」

 

 しかし、それと同時に新たな光も見えていた。黒麓さんの言う通り、僕の中には新たな決断が……命を奪うよりも望ましい判断があった。

 

 だけど、それをこの場で即座に下していいのか。それもまた悩んでいたところで、変身を解いてからずっと見守り続けていた次狼から静かに声がかけられる。

 

「俺はいいと思うがな。そろそろお前の好きにしても」

 

「次狼……」

 

「お前は王だ。今のお前には、全てを変えられる力があるはずだ」

 

「うん……そうだね」

 

 次狼に背中を押されて、僕の心は固まった。

 

 そうだ、僕はキングだ。

 

 一族の頂点に立つ、ありとあらゆる権限を持つ独裁者。

 

 なれば……今の僕にならば、この決断を下せるのかもしれない。

 

 そして……。

 

 

 

 

「貴方への判決を取り消します」

 

 

 

 

「え?」

 

 僕の言葉に目を丸くして幾馬さんは固まる。王の判決を……逃れられぬ死という結末を取り下げるのだから当然の反応だろう。何ならそれを告げた自分自身も未だ驚いているくらいだ。

 

 だが問題はここからだ。僕は楠和田さんを殺した彼を許したわけではない。彼にはそれ相応の代償を払ってもらわなければならない。

 

「ですが、被害を出している貴方をこのままのさばらせるわけにはいきません。ですから……フッ!」

 

「っ涼! ッグォォォォォォッ!?」

 

「緋史!?」

 

 僕が手を翳して幾馬さんに向けた途端、何かを察知した彼は妻を突き飛ばして自身から引き離した。その次の瞬間には、僕の手から紅と緑の波動が放たれて彼の身体を覆い纏わりついていた。ドス黒い闇を纏うその波動は、側から見れば滅びの色にも感じたことだろう。事実、僕の波動に飲み込まれている幾馬さんは苦悶の表情を浮かべて地面をのたうち回っていた。

 

「ゥグオオオオオオッ!?」

 

「や、やめてください! お願い!」

 

 苦しむような声を上げて悶える男に妻が駆け寄ろうとしたところで、僕は波動を止め、彼を解放する。苦しみから解放された彼に妻は地を這いながら近寄り、その身体を抱き寄せようとする。

 

「緋史っ!」

 

「ッグ!? ハッ……ハッ……あれ? 俺は……」

 

「ふぅ……(ぶっつけ本番だけどなんとか成功した……)」

 

 幾馬さんは自身の身体に目立った傷がないことに困惑しながらも、何かしらの変化に勘付いているようであった。無論、僕はただ彼を痛めつけただけではない。

 

 一族の掟に背いた代償として、命以外のものを支払ってもらったのだ。

 

「紅くん。今、何をしたんだい?」

 

「彼の身体からファンガイアの力を奪いました。今の彼は、もはや人間と変わりありません」

 

「え……?」

 

 黒麓さんへの返答に、幾馬さんの顔がぽかんとしたまま固まる。それはそうだ、今の自分が人間と変わりないと言われたら驚くだろう。

 なんて思う自分も、この方法を成功させることができて内心安堵していたりする。歴代のキングはこの力を持っていたと言うが、まだ若い僕にはそれだけの力が備わっていなかった。だからこそこれまで使うこともなかったわけだが、この場において初めてその力を行使し成功させることができた。下手をすれば死んでいたかもしれないが、今の僕ならいける気がすると、次狼の言葉で自信を持つことができたために行動に移すに至ったのだ。

 

 とはいえ、このまま彼を自由の身にするつもりはなかったが……。

 

「判決は追って下します。幽閉……よくて軟禁になるとは思いますが、それまで一日だけ猶予を与えます。その間に逃げることがなければ、命までは奪いません」

 

「おっと、これはまた甘く出たね」

 

「キング……どうして俺を生かして……」

 

 彼を捕らえるまでの一日、それだけでも妻とのひと時を過ごせればいいと思ってのことだったが、黒麓さんにも指摘された通り甘い選択なのだろう。それよりも幾馬さんは、自分が死ななかったことに対して何よりの疑問を抱いていた。

 個人的なわがままで僕が彼を殺したくなかったと言えばそれまでだけど、僕は胸の内を静かに彼らに晒していた。晒したくなっていたのだ。

 

「正直、見ていてとても羨ましかったです」

 

「羨ましい?」

 

「はい……実は僕も、人間の女の子が好きになって……でも、酷く拒絶されてしまったんです」

 

「人間の、女の子を……?」

 

「今も、だよね?」

 

「(やっぱり黒麓さんには隠せない、か……)はい。今も何の因果か分からないけど……僕はまた人間の女の子のことを好きになってしまったんです。彼女に受け入れられるのか不安なのに、貴方たちを見てると……とても温かな気持ちにさせられたんです。だから希望も持てたんです。僕の想いも、彼女に受け入れられるんじゃないかって」

 

 かつて拒絶されたあの子を思い、そして今の僕の心を埋め尽くす燐子さんの面影を思い、僕は思いの丈を語っていた。人間とファンガイアは愛し合うことができると頭では分かっていても、僕の中にはあの日の恐怖が未だ残り続けている。その恐怖の中に、彼らの姿は希望の光となって差し込んできたのだ。

 

 彼ら夫婦の在り方は、僕にとっての理想だった。

 

「だから……今は殺せません。たとえ貴方が許されない罪を背負っていても、生かしたいと思ってしまったんです」

 

「……」

 

 独裁者らしいエゴに塗れた選択だが、それでも彼には生きながらその罪を償い続けてほしいと感じていた。彼の身体からファンガイアとしての力を全て奪ったことにより、もはや寿命も人並みに減ってしまっているだろう。長くは生きられず、罪を洗い流しきれないかもしれない。それでも、彼らから互いが生きているという希望までは奪う必要性を感じられなかったのだ。

 

「明日の同じ時間にここに迎えにきます。彼女も参考人として、手術が終わるまでは面倒をみましょう」

 

「っ……ありがとう……ありがとうございます……っ」

 

 地に伏して頭を深々と下げ、ただ感謝の言葉を唱え続ける幾馬夫婦を視界に収めて息をつく。僕の選択は正しいものだったのか、その答えはすぐには分からない。ただ、自分の胸の中にストンと落ちていくような、そんなスッキリした感覚がずっと残っていた。だから今はこれでいいのだろう。これが間違っていたとしても、いつか誰かが気付かせてくれる。僕の周りは、そんな人たちで溢れているのだから……。

 

 

 

 

 

 

「でもさ、紅くん。まだ何か足りてないと思わないか?」

 

 これからのことについて思慮に浸ろうとしていた時、そんな僕の思考を遮るように黒麓さんが話しかけてきた。

 

「足りてないって、何が……」

 

「ほら、そもそもの彼を裏稼業に引き摺り込んだ黒幕ってやつさ」

 

 黒麓さんに言われるまでもなくそんなことは分かっていた。金に困っている幾馬さんに付け込んで殺しなどの依頼を負わせた闇の集団の存在を忘れるわけがなかった。しかし依然として僕の元に彼らの尻尾を掴むための情報は舞い込んでこないため、手の施しようがなかったのだ。本当に罰を下さなければならない組織がいるというのに何も出来ない無力感に苛立ちが募りそうになっていたが……わざわざこのタイミングで黒麓さんが言うのだ。何かあるのだろうと期待を込めて彼に目をやる。

 

「……何か知っているんですか?」

 

「知っていると言ったら……一緒に来るかい?」

 

「もちろん……次狼」

 

「ああ……ちょうど暴れ足りないと思っていたところだ」

 

 彼がいうには、3WAの情報網とやらで先日その拠点の場所を掴んだらしい。最近はレイリビルドの他に目立った噂を聞かなかったが、その辺りの情報収集能力は僕たちと比べても優れているのかもしれない。彼らの力に危うさを覚えながらも、この機を逃すことは出来ないと、次狼たちを引き連れて黒麓さんの後を追って歩み出した。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 夜空に輝く満月の光も届かない深い地下空間で、男は一人静かに座していた。自分の城に何者かが入り込んだことを察して、しかし自ら迎え撃ちに行くことはなく、彼らが訪れるのを静寂と共に待っていたのだ。

 

「……ようこそおいでなさいました。キング」

 

「貴方がここの元締めですか」

 

 静寂に包まれた空間に現れた紅色を目にし、元締めは丁寧にもてなすような声をかける。現れた紅色──麗牙はそこに座す一人の男を睨みつけ、しかしその内に秘めた感情を表に出すことなく静かに言葉を発していた。

 

「ええ、いかにも。して、貴方がここに来るということは私どものしていることも全てお見通しというわけですかな?」

 

「はい。もはや釈明の余地もないのは、貴方もご存知のはず」

 

「全く」

 

 男は麗牙の言葉に反論の色を見せることなく、淡々と受け入れていた。確実な死が訪れようとしているにも関わらず、冷静さを保ち続けられる男の余裕の態度に麗牙は思うところがあったが、それを飲み込んで再び男に語りかけた。

 

「であるならば……選んでください。『死』か、ファンガイアの力を失っても続ける『生』か」

 

「何をふざけたことをぬかすか若造が。どちらも死ぬことと変わりなかろうが。それとも、最初から私どもに選択肢はないと言いたいのか?」

 

「まあ、そうなるよね。普通は」

 

 麗牙としては本当にどちらかを選ばせるつもりであったが、元締めから見ればどちらも等しく『死』であった。ファンガイアにとってその生まれと力は誇りであり、自身の証明でもある。それが失われたとなれば、誇り高きファンガイアにとっては生きる意味を失うほどの絶望であった。ファンガイアの力を失ってでも生きることを喜んだ幾馬の方が珍しいのだと、麗牙は改めて思いながら心の中でため息をついていた。

 

「しかしキング。これは些か無用心すぎませんかな?」

 

「と言うと?」

 

「はは。明らかに誘われているのに、堂々と一人で出てくる輩がおりますかい」

 

「やはり、最初から僕狙いだったわけですね」

 

 幾馬が麗牙を狙ったことも、そこで麗牙が彼らに近付いていくことも、元よりキングをこの場に誘き寄せることが狙いだったのだ。当然キングを狙うからには相応のリスクがある。しかし、元より彼らにはキングであろうと殺すことのできる秘策を手にしていたのだ。

 

 その絶好のチャンスを、元締めは逃すはずがなかった。

 

「ふんっ」

 

「っ──」

 

 どこからか飛び出した拳銃取り出し、麗牙に向けて発泡した。普通の拳銃ならばファンガイアの身体に傷つける事はできない。しかし、彼の放った弾丸は普通のそれではなかった。

 

「『クルセイダー』と言いましてね……3WAとやらが開発中の対ファンガイア用殺傷物質らしい。以前試しに使った時は掠っただけでもファンガイアの腕がみるみる溶けて床に落ちていたよ。いや、これはいいものだ」

 

 手下が入手した殺傷兵器について元締めは丁寧に解説する。扱いを間違えれば自身をも滅ぼしかねない超兵器を前に、元締めは恍惚とした笑みを浮かべていた。何せ相手がファンガイアならば問答無用で殺すことができるのだ。これほど楽な商売はないと、人間が自分たちを殺すために開発した技術を手に、元締めは嬉々として麗牙を見据えていた。

 

「さて、如何だったかな。クルセイダーの味は」

 

「……」

 

 元締めの放った弾丸は寸分の狂いもなく麗牙の胸に吸い込まれていった。元締めの語った通りの性能であるならば、これより麗牙の身体は溶け始め、その命は数刻の猶予もなく消えてしまうだろう。

 

 しかし──

 

「……なっ!?」

 

 麗牙の身体は溶けていくどころか、その直後には全身が透明な水の塊となり、弾ける音とともに水飛沫が辺り一面に飛び散ったのだ。

 自分の持つ兵器にそんな力は無いと元締めが息を呑んだ次の瞬間、その手に衝撃が走っていた。

 

「ッグゥ!?」

 

 衝撃と共に水が弾け、手から拳銃が離れて床を滑っていく。その拳銃を拾い上げた翠玉の異形の姿を見て、元締めの顔は怪訝そうに歪んだ。

 

「ふふんっ。引っかかったね、おじさん」

 

「マーマン族……?」

 

 ファンガイアでも人間でもなく、マーマン族という予想外の種族が現れたことに彼は目を見開く。拳銃を片手にどこか楽しそうに元締めを見つめるマーマン族──バッシャーは、得意げに自身の力について解説していた。

 

「僕の作った水のお人形。どうだった? お兄ちゃんそっくりだったでしょう?」

 

「な……今のはおとり……」

 

「そういうことです」

 

「!?」

 

 自分がバッシャーが作り上げた人間にまんまと騙されていたことに気付くも束の間、ズドンとけたたましい轟音と共に彼の背後の壁が崩れ落ちていた。そこから現れるは、紫色の異形──フランケン族のドッガ。更にその背後、ドッガによって崩された壁の向こうから麗牙と次狼、そして黒麓も現れた。

 

「キ、キング……」

 

「3WAから盗み出した武器については今先ほど彼から聞きました」

 

「そうそう。ボクの煩い上司がお冠でね。それを回収するか破壊するかしないと帰れなさそうなんだ」

 

 ここに来る手前で、麗牙は3WAがこの組織を必死に追っている理由を黒麓から聞かされていた。自分たちが開発中の対ファンガイア兵器の試作品が盗まれたのだと。技術が他組織や他種属に出回る前に何としても回収或いは破棄したかったために、彼らはどこよりも早くこの組織のアジトを突き止めることができたのだ。

 

「そう言うものがあると分かっているなら警戒もしますよ。バッシャー!」

 

「はーい。ふんっ」

 

 バッシャーの手によって拳銃は破壊され、込められていた弾丸も彼の脚によって粉々に踏み砕かれてしまった。ファンガイアには絶大な効果を発揮する物質でも、他種属には何の効果もないそれはあっさりと消えてしまったのだ。

 

「クソ……」

 

「もう問答は終わりました。王の判決を言い渡す……『死』だ。キバット」

 

「レイキバット」

 

 並び立った麗牙と黒麓の言葉と共に、金と銀の二体の光が二人の元に舞い降りる。麗牙に仕えるキバットバットⅢ世と、黒麓の指示に動くレイキバットだった。

 

『キバっていくぜ! ガブッ!』

 

『行こうか。華麗に激しく』

 

「変身」

 

「変身」

 

 二人の唱えた言葉と共に、紅と白の二人の戦士が顕現した。

 

 そしてキバとレイの後ろで次狼もまた姿を変え、蒼き人狼──ガルルとしてキバの隣に立つ。

 

「ググ……全員出てこい! コイツらを叩き潰せ!」

 

 元締めの身体がステンドグラス調に光り、その姿を変貌させていく。丸みを帯びた頭部に七つ星の模様が刻まれた二枚の羽。天道虫(てんとうむし)を連想させる異形──レディバグファンガイアが正体を現した。姿を変えたレディバグは余裕のなくなった怒声を上げつつ建物内にいる自分の部下に命令を発する。

 

「……な、何故誰も来ない!?」

 

 しかしレディバグの声に応えるものは誰一人としていなかった。しんと静まり返る暗い部屋で、レディバグの困惑の声だけが響き渡るだけであった。

 

「貴方の部下なら今頃眠っています」

 

「バッシャーくんのせいで物音も聞こえなかったのかなぁ」

 

「な、に……」

 

 バッシャーが作り出した水の壁がレディバグの部屋一面を覆い尽くすことで、麗牙達の立てる物音は全て遮断されていたのだ。故に彼らはレディバグに気付かれることなくその部下を全て無力化し、結果バッシャーの水の人形にも引っ掛けることができたのだ。嫌に静寂が続いていた空間の真相に驚愕し、レディバグの体表に表れる元締めの表情が苦々しく歪んでいた。

 

「さて、この数相手にどうするのかな?」

 

「……かくなる上は……フンッ!」

 

 もはや勝ち目はない。そう言わんとするレイの言葉に対して、レディバグは間髪入れず最後の手段を敢行した。自身の身体に盾のような円盤を突き立て、全身がオブジェのように固まっていくレディバグ。次の瞬間には彼の身体は盛大に砕け散り、光と共に巨大なオーラ体──サバトが出現したのだ。

 

『ジェェェェェェェェェ』

 

「っ、そう来るか……」

 

『どうする麗牙。キャッスルドランを呼ぶか?」

 

 狭い地下空間の壁を押し壊しながら巨大化していく敵を前に、キバットは移動要塞の召喚を提案する。巨大なサバト相手には同じく巨大なキャッスルドランが適任だと、これまでの戦いの経験からもそれが最善手だとキバも理解していた。故にキバもその言葉に賛同して右側のフエッスロットルに手を置きかけたが、その時、キバは今日見た夜空を思い出してガルルに問い質していた。

 

「次狼。今日って確か、満月だったよね」

 

「ああ。その上、世にも珍しいブルームーンだ。残念ながらウルフムーンではないがな」

 

『満月……そうか、なるほどなっ』

 

「紅くん? 何を……?」

 

 彼らの間でのみ伝わる何かを感じるも、レイはその正体が分からず首を傾げて彼らには問いかけていた。

 

『ならよく見とけよ。麗牙!』

 

「うん!」

 

 そしてキバはベルトの左のフエッスロットルから青色に輝くガルルフエッスルを取り出し、キバットにその音色を吹かせた。

 

『ガルルセイバー!』

 

 犬笛を思わせる甲高い笛の音と共にガルルの身体が光に包まれ、小さな青色の彫像と化してキバの元へ飛来する。キバが左手で彫像──ガルルセイバーを手にした時、彼の姿は紅から青色へと変化した。

 

「グラァァッ!」

 

 身体中に撒かれた鎖が弾け飛び、ガルルフォームへと変身したキバ。ガルルの意識を同調させた超速の戦士であるが、幾度となく変身してきたその姿に変わることに特別なことは何一つない。

 

 しかしその手に握られたガルルセイバーは、眩いまでの金色の光を放っていた。

 

「これは……」

 

 ガルルフォームは月の満ち欠けによってその強さを変化させる。その武器であるガルルセイバーも同様に、月の満ち欠けにより切れ味が変化し、満月の時に最高潮を迎えるのだ。

 

『ギィィィィィィィィィィィ』

 

 しかしそんな彼の変化も関係なしに、サバトは屋内から屋根を突き破り夜空へと天高く登っていく。もはやここからではキバの剣も届かないが、それでもキバはレイへと視線をやり、獣の如く荒々しい声で彼の力を求めていた。

 

「黒麓さん、僕を空まで!」

 

「ああ、いいだろう」

 

『ガルルバイト!』

 

 レイの応答にキバは頷き、ガルルセイバーの刃をキバットに咬ませた。キバットのキバからアクティブフォースが剣身に注入され、刃は今まで以上に眩い光を放ち始めていた。そして剣の柄を口に加えたキバはレイに向かって駆け出し、彼の前で小さく跳び上がる。

 

「フッ!」

 

 キバの足裏がレイの両腕を踏んだ瞬間、キバがその腕を蹴り上げると同時にレイもまた空へ向かって思い切り腕を振り上げた。元々高い跳躍力を誇っていたガルルフォームだが、そこにレイの腕力による推進力が合わさったことにより、空へと舞い上がるサバトへと追いつくことが出来たのだ。

 

「ハァッ!」

 

 サバトの飛び出た突起に手をかけ、その身体を蹴ってキバは更に天高く跳躍する。

 

 空を照らす満月をバックに、剣を咥えた青きキバがサバトの上空に舞い上がっていた。

 

 その刃は満月の光に呼応するかのように眩しく、巨大に、そして鋭く変化していく。

 

『ギォォォォォォォォォォォ』

 

 巨大なオーラ対であるサバトも無視できないほど、キバの咥えた剣の刃は肥大化していく。

 

 闇夜に隠れる街を照らすかのように冷たく輝く刀が敵を追い詰めていた。

 

 もはや隠れる場所も逃げる場所もない。

 

 星と月が輝く上空にて巨大な青い瞳が浮かび上がり、キバはサバトに向けて急降下を始めた。

 

 近づいていく巨大な影を前にも、キバは怯むことはない。

 

 その刃を振るうことにも迷いはなかった。

 

 そしてキバは、自身から伸びる刃をサバトに向けて振り下ろした。

 

 

「ガルァァァァァァァァッ!!」

 

『ギィィィィィィィィィィィィィィィ』

 

 

 山をも真っ二つにする程の強烈な一撃。名付けるならばガルル・ハウリングムーンスラッシュとも呼べる、ガルルフォームの最大の剣撃がサバトを一刀両断した。

 

 崩壊していくサバトの爆風を背に受け、難なく地上に降り立ったキバは消えていく巨大な影を目に焼き付けながら、静かに立ち尽くしていた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「黒麓さん。さっきは本当にありがとうございます」

 

 サバトとの戦闘が終わり辺りが落ち着いてきた頃、僕は黒麓さんに向けて頭を下げていた。彼には一つ、恩ができてしまったからだ。

 

「さっきって、君を空に押し上げたこと?」

 

「違いますよ。あの時、彼女を僕の攻撃から庇ってくれたことです。もし黒麓さんがいなければ、今頃僕は……」

 

 キバの一撃が幾馬さんの奥さんを貫くと思われたその時、彼が割り込んできてくれた。おかげで僕は彼女を殺すことがなかったが、もし彼が間に合わなかったと思うと今でも身体が震えるほど恐ろしく感じてしまうのだ。ただ愛する人を助けたいと願う普通の人間を、この手で殺すことがなくて心から安堵していた。故に、彼には礼を言わなければならなかった。

 

「気にすることないよ。僕だって彼女にあのファンガイアのことを勝手に明かしてしまったからね」

 

「どうしてそんなことを?」

 

「そりゃあ、何も知らないまま別れるなんてボクはあんまりだと思ったからね。少し強引にでも、二人が心から繋がれるならそうしたほうがいいとボクは思っただけだよ」

 

 確かに強引にも彼は幾馬さんの秘密を奥さんにバラしていた。しかし、その真実を持ってしてもあの夫婦は互いを想い合っていた。相手が何者かなんて関係なく、その人をありのままに受け入れていたのだ。こんなに美しく、そして羨ましいと思えることはなかった。

 

「それに、あんな尊くて美しいもの、キミに壊されちゃ溜まったものじゃないからね」

 

「そうですね……」

 

 結果的には、僕にとっての最悪の結末を迎えることは回避された。

 

 僕一人の力じゃ決してなし得なかったことだった。

 

 だから僕は……。

 

「黒麓さん」

 

「? 紅くん、その手は……?」

 

 僕は、彼に向けて手を伸ばしていた。

 

「初めて会った時、僕は貴方の手を取っていませんでした。だからこれは、その埋め合わせです」

 

 あの時は叶わなかった彼との握手を、今は自分から求めていた。愛する者同士の絆を守りたいという黒麓さんのことを、今の僕は信じてみたくなったのだ。

 

「ふふ、そういうことなら」

 

 彼は勿体ぶることなく、僕の手を握り返してくれた。その手からは躊躇いも下心も感じられず、固い意志が宿ることを僕に示しているようであった。

 

「じゃあ、ボクは行くよ。『クルセイダー』の件もちゃんと報告しないといけないしね」

 

「あ、できればあの兵器のことは──」

 

「分かってるよ。彼らに使われるようなことがないようコッソリ動いてみるさ」

 

 ファンガイアに対して絶大な効力を発揮するとんでもない兵器への懸念が抜けきれず、彼に工作を期待して声をかけていた。そんな僕の不安も分かりきっている黒麓さんは笑顔を浮かべてそれだけ言い残して、僕の前から静かに去っていった。

 

「……」

 

 闇の中へとゆっくり溶けるように消えていく黒麓さんを見つめながら、僕は一人夜空の下に立ち尽くす。彼とももっと近付けて、いつか信頼し合える時が来るのだろうか。そんなことを期待し始めている自分がいることにも、今は悪い気がしなかった。

 

 

 

 

 

 

「紅さんっ」

 

「え? あ、紗夜さん?」

 

 物思いに耽っていた時、不意に僕を呼ぶ声がして現実に引き戻されていた。声の主は、ギターのケースを背負ってこちらに駆けつけてきた紗夜さんだった。

 

「空に眩しい光が見えたので、もしかしてと思いましたが……」

 

「ご明察。っていうより、紗夜さんもこんなに遅い時間まで練習を?」

 

「はい。それにしても紅さん、どこかスッキリしたような顔つきですが……?」

 

「え?」

 

 紗夜さんに指摘されて、僕は思わず声を出して驚いていた。しかしスッキリしたという表現は正しいのだろう。色々あったが、これは悪くないという結末に辿り着くことができたのだから。

 

「以前私に話してくれた問題、あれは解決したのですか?」

 

「すごい……当たりです。はい、それなりには納得のいく感じだったと思います」

 

 確かに例の夫婦について紗夜さんにも話していたけど、それを的確に思い出す辺り流石だと思う。それほど僕のことを見てくれているのかと思うと嬉しく感じるし、だからこそ今この胸に抱いた覚悟も彼女に伝えたいと思っていた。

 

「おかげで、僕も覚悟を決められそうです。近いうちに……燐子さんに全て話そうと思います」

 

「そう、ですか」

 

 紗夜さんは驚くことなく、静かに僕の言葉を飲み込んでいた。以前に紗夜さんとマル・ダムールで話した日、僕は彼女に自分の思いの丈を語っていたのだ。

 

 僕がかつて人間の少女に恋して傷付いたこと。

 

 その恐怖が未だ残っていること。

 

 そして、今の僕が燐子さんに好意を抱いていること。

 

 全てを彼女に打ち明けた時、しかし紗夜さんは優しく微笑んで受け入れてくれた。僕がようやく抱いた恋心を祝福して、心からの嬉しそうな音楽を奏でてくれたのだ。そして今も、紗夜さんは優しく包み込むような笑みを見せていた。

 

「白金さんなら、きっと大丈夫です。優しくて、自分の中にちゃんとした芯を持っている彼女なら、きっと紅さんのことも受け入れてくれます」

 

「そう思ってくれますか?」

 

「はい。人間とかファンガイアとかではなく、『あなたはあなた』なのですから」

 

「……ふふっ、ありがとうございます」

 

 紗夜さんがそう言ってくれるのが嬉しくて頬が緩んでしまう。人間とかファンガイアとか関係なく、僕を僕として見てくれた紗夜さんだからこその言葉。それがあるからこそ、僕もまた改めて意思を固めることができた。

 

 次のブルースカイのライブの日に、彼女に僕の正体を告げると。

 

 僕は人間でなく吸血鬼──ファンガイアであるのだと。

 

 その時に燐子さんがどんな反応を見せるのか、不安半分期待半分であった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

『クルセイダープログラムのインストール完了。レイシステムの再構築、これにて全工程が終了しました』

 

 闇を牛耳る組織の元締めが滅されてから随分と時間が過ぎ去った真夜中。清潔感をこれでもかと全面に出した真っ白な部屋で、機械的な女性の声がこだまする。その部屋の中心に座る男──3WAの代表が、その報告を耳にして小さくほくそ笑んでいた。

 

「ようやく、だな。彼はよくやってくれたが……まあ、これでドロップアウトかな」

 

 端末に表示された黒麓の画像を見つめながら男は呟く。人間と偽りながら活動を続けていたレジェンドルガにも永遠の休暇を与える時が来たのだと、しかし同情することなくただ満足げにその時を待っていた。

 

「レイRの味は、彼自身に味わってもらうとしようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして同時刻、闇の中で二つの悲鳴が走っていた。

 

「ぁが──」

 

「ゥグァ──」

 

 それは悲鳴と呼ぶにはもはや短すぎる叫び声であった。

 

 身体を貫かれた一組の男女。

 

 互いに手を取り合い、心身を重ね合わせ、これからの生に希望を持って生きていこうと心を決めた夫婦であった。

 

 これ以上ないほどの愛と幸せに満ち足りた瞬間、何の前触れもなく、理不尽に絶望は襲いかかってきたのだ。

 

「っ……ぁ……」

 

「ぁぁ……りょ……ッガ!?」

 

 彼らの身体を貫いたのは蛇であった。身体を貫くほどの凶器となっていた蛇はもはや死に体である彼らの身体に巻きつき始め、完全に身体の自由を奪っていた。その蛇によって手繰り寄せられ、二人の前に巨大な影が現れていた。

 

「ゴゴ……グガガ……」

 

 巨大な蛇、否、蛇のような頭部と蛇の腕を持った何か(・・)が、喉から奇怪な音をたてながら二人の前にその姿を晒していた。消えそうになる意識の中、男はその影を見て本能的に感じていた。これはファンガイアなどという枠に収まる存在ではなく、何かの間違いで星が生み出してしまった本物の化け物なのだと……。

 

「クク……ゥガガ……」

 

「ガ、ァ……」

 

 蛇が二人の身体を締め付ける力は増していく。バキボキと骨を砕く音が闇に轟き、とぐろを巻く蛇の隙間から赤い血が滴り落ちていた。

 

「……」

 

 女は、既に息絶えていた。

 

 そして男もまた……生きながらえたその生が、絶望の中で終わりを迎えようとしていた。

 

「ガガ……」

 

 巨大な蛇の顎が裂けていく。

 

 地上の全てを飲み込まんとするほどの威圧感を発しながら、蛇はゆっくりと男を頭から飲み込んでいった。

 

 そのすぐ後に、女もまた蛇に飲み込まれることになる。

 

 哀れにも死して二人は、怪物の身体の中で一つとなったのだった。

 

 

「ゥググ……ァガガ……」

 

 

 自分以外に誰もいなくなった闇の中で、怪物は笑うかのように喉から音を立てる。

 

 

 愛する者たちを喰らい、心から満足したような音楽をその胸から奏でながら……。




今回の話に登場したファンガイア
・グリズリーファンガイア/幾馬 緋史
真名『葬儀屋に贈る賄賂と謝礼』

・レディバグファンガイア
真名『虚栄に満ちた櫓と腐肉を漁る将』
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