花嫁も五人居ていいんじゃない 作:なでしこの犬
ここに至るまでの記憶が無い。彼女が一方的に話しかけていた気はするが、それに何と返答したかも分からない。もっと言えば、どうしてここまで来たのか。お洒落なカフェで、俺は一人冷や汗をかいている。そんな光景、不釣り合いだ。
目の前の彼女は、何食わぬ顔でパスタを口に運んでいる。制服が汚れないように気にかけている辺り、一応は女子らしい。部屋は汚いくせに。
先ほどまでの空腹感はすっかりと消え去って。変な緊張のせいだ。まぁそもそもカフェで食事をする余裕はないが。メニューを見ても、コイツが食べているパスタは千円近くする。焼肉定食焼肉抜きが一週間食べれるぞ。
「それでさ、どうだったの?」
パスタを咀嚼し終わると、改めてそんな問いかけをしてくる。答えたくない。ここで答えると、彼女の思う壺のような気がして。
食べ終わったこともあって、彼女は本格的に俺に意識を向けてきた。ジトっとした視線で俺の言葉を待っている。彼女から視線を逸らして、答えたくない意思を伝える。そんな俺とは対照的に、コイツは分かりやすくため息を吐いている。
「沈黙は肯定、ってよく言うじゃん」
確かにその通りかもしれない。現に俺がやったことは一花の言う通りなのだから。だがそれを素直に認めることとは話が別だ。ここで自白したところでいいことなんてない。バレているのは重々承知の上だ。「俺にはそんなつもりなかった」という姿勢だけでも見せないといけない。
「おいおい。俺が匂いを嗅いだとでも言うのか?」
「うん。だってそうでしょ?」
「んなわけないだろ」
一花は断言するように頷いた。何かそれはそれで癪に触るな……。
彼女の言い振りを見ても、どうやら俺の行為に確信があるらしい。あんな言い訳で騙せるなんて思わなかったが、今は触れたくない。触れたところで変わることなんてないが。
だとしてもだ。昨日問い詰めなかったのは何故だろうか。俺としてはそれが助かったが、イマイチ理由が読めない。だがそれを聞いてしまえば、自らの行為を認めてしまうようなものだ。
「五月ちゃんに聞いたんだ。あのクッションを三玖が枕にしてたって」
「だからと言ってその判断はおかしいだろう」
「うん、フータロー君の言うことも分かるよ。でもね、一つだけ誤解してるんだ」
誤解、そう言われると色々と思い返したくなる。
彼女の言うことが事実だとしたら、俺は何を誤解しているというのか。普通に考えて昨日のことだろうが、変に誤魔化したせいで記憶が曖昧だった。
「誤解、か。何のことかさっぱりだな」
「あのクッション。チョコレートみたいな汚れ付いてたよね」
「あ、あぁ。それがどうした」
そんな汚れは確認出来なかったんがな。あの時、一花が見つけてくれたおかげで俺としても格好の言い訳になったのだ。
「そんな汚れ、無かったんだよ」
「…………いやそれは」
「フータロー君は言いました。ここが汚れていると。でも、そこに汚れなんて無かった」
「だからそれは……」
「要するに、フータロー君は私の嘘に乗ってくれたわけ」
俺の言い訳を聞くつもりがないらしく。一花は矢継ぎ早に言葉を紡いでいく。彼女は俺の全てを見透かしたような瞳をしている。いやまさか。そんなことはないはずだ。少なくとも、三玖以外であのコトを知っているのは誰もいない……はずだ。
一花の言葉には説得力があった。その発言が嘘だという可能性も考えた。だが、俺は汚れなんて見てない。今の言葉は紛れもなく、真実なのだ。自らが嘘を吐いたという告白。それにまんまと引っかかったということか。
「どうしてだろうね?」
「どうしてだろうな」
優しく聞いてはいるが、何というか、怖い。思わず視線をそらしてしまうほど。置いてある水を一口飲むと、思いのほか喉が渇いていたことに気付いた。見慣れた奴相手にここまで緊張する必要なんてないのに。昨日の行為のせいで。
一花は左手の肘をテーブルについて、手のひらの上にあごを乗せている。今度はまるで俺の言い訳を楽しみにしているみたいだ。もちろん、別の意味で。
「汚れなんて無かったのになぁ。嘘吐いたんだなぁ」
「そ、それはお前もだろ! ………あ」
大事なことは、言ってしまった後に気付くものだ。
思わず口が滑り、自らの嘘を告白する言葉を吐いてしまった。それを聞き逃さない一花もさすがというか、なんというか。
「ふーん」とニヤついている。怒っている様子は無いが、俺としたら逆にそれが怖かった。これを本人や姉妹に言われてみろ。袋だたきにあって家庭教師をクビになる。
まぁ冷静に考えて。ここ最近の行いを考えれば、逆にクビになってない方が奇跡なんだが。匂いを嗅ぐよりもヤバいことをしてしまったのだから、ある意味助かる見込みもゼロではないのではないか。そんなことを考えるようにもなる。
「まぁ、別にこれを誰かに言うつもりもないから」
「そ、そうか」
「安心した?」
「何も聞くな…」
大人な対応をされると、そりゃ安心するに決まってる。見つかった相手が一花で良かったのだろう。ある意味強運な自分に笑いが出そうになる。
だが、コイツも彼女たちと同じだ。何か交換条件を突き付けてくるかもしれない。安心はしたが、警戒を解くわけにはいかない。そう思って、二口目の水を胃に流し込んだ。氷のおかげでまだ冷えている。染みるような美味さだ。
そんな俺を見て、一花は紅茶を注文する。貧乏人の俺とは全く違うな本当に…。その一杯で、いつもの昼飯二日分に相当すると考えると、学食はなんて良心的なのだろう。
「別にそれだけなんだけどね」
「……すまん」
「どうして謝るの?」
「分からんが、なんとなく」
「そういうトコ、変に気遣うよね」
分かってる。謝る相手は一花ではないのに。ついそんな言葉が出てしまって。
考えてみれば、俺はあれから三玖に謝っていない。彼女が嫌がっていなかったとはいえ、謝らないのは何か違う気もする。寝込んでいるとはいえ、タイミングが合えば謝るか……。
一花が注文した紅茶が運ばれてくる。熱そうなそれに、彼女は砂糖を入れて慣れた手つきでそれを混ぜている。こうして見ると、他の四人よりも少しだけ大人っぽく見える。
「咎めるつもりは無いから。フータロー君も男の子だもん」
「…だとしたら普通は咎めるだろ」
「あはは。まぁね。でも、みんな懐いてるし」
「懐いてる、か。お前は何を見てたんだ」
「現に五月ちゃんだって、少しずつ素直になってるし」
懐いてるとはまた大きく出たな。初めの頃を思えば、真面目に取り組んでくれるようになったとは思う。だが、それを懐くと表現するのは違う気がした。特に返事をせず、残り少なくなった水を飲み干した。
一花も俺に合わせるように、紅茶を啜っている。熱いのか、一口はかなり少ないが、それでも様になっている。やはり、俺とは違う世界の人種なんだな。三玖の胸揉んだけど。
飲み干してしまった俺からすれば、そのまま彼女を置いて帰るのは気が引けた。正直用件は済んだのだろう。彼女はそれ以上に何も言わなかった。かと言って、沈黙が続くと非常に気まずかったりする。先ほどとは打って変わって、話題を探そうとする自分が可笑しい。
「……ねぇフータロー君」
彼女はおもむろに口を開いた。声色は怒ってるわけでもなく、どこかしんみりとした雰囲気。何事だろうか。聞き返すと、少し考えて続けた。
「三玖のこと、好きなの?」
「は?」思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
俺が彼女のことを好き? どうしてそうなるのだ。いや、確かに胸を揉んでしまったとは言え、そんな感情を抱いていたわけではない。これはその……あれだ。思春期ならではの感情。隣に女子が眠っていたのだから、手を出さない方がおかしい。
すごいクズな考え方だとは思う。それは俺だって自覚していた。だからこそ、彼女を好きとかそんな目で見るのもおかしい気がして。
「なんでそうなる」
「だって、あんなことするぐらいだもん。好きだからそうしちゃうのかなぁって思うよ。普通はね」
「……そ、そうか」
なるほど、と言ってしまいそうになった。
そう言われるとそれもそうだ。「好きな人だから、匂いを嗅いだのだろう」と一花は考えているのか。確かにその考え方も一理ある。というか、これが普通なのかもしれない。
そうなると、俺はただ単に性欲に溺れたクズなんだ。性行為にしか興味の無いお猿さんというわけ。今の俺にそれを否定出来る材料は無い。認めたくはないが、素直に受け入れるしかなかった。
「え、違うの?」
「い、いやそういうわけじゃ」
ここで違うと言えば、彼女は俺のことをどんな目で見るのだろう。おそらく、というか間違いなくゴミのような目で見てくるに違いない。だって好きな人というわけでもないのだ。そんな人に手を出してしまったことを考えると、本当にフォローのしようがない。
だが「好き」だと嘘を吐くのもおかしな話だ。それを言うことによって、少なくとも一花はそう認識する。それが三玖の耳に届いてみろ。余計にややこしくなる。全部俺のせいなんだけどな、わかってるよそんなこと。
「三玖はフータロー君のこと気になってるみたいだけどね」
「そ、そうなのか?」
「だって、普通男の人に腹筋なんて頼まないでしょ?」
「ま、まぁ確かにそうだな」
彼女の言うことは確かにその通りだ。でも元はと言えば俺の方が悪いんです。俺が三玖に余計なことと嘘を吐かなければ、こんなことにはならなかったのだ。五月にしても、腹筋を俺に頼むことだって無かったのに。
裏を返せば、そのおかげで五月の勉強を見ることが出来るようになったのだが。それがすごく皮肉だった。どっちかを捨てるなんて、今の俺には出来ない。選択肢として完全に消えていた。
少し冷めてきた紅茶を、先ほどよりもスムーズに啜っている。唇がちょっと赤く染まってきていて、色っぽい。そんな俺の視線に気づいたのか、彼女は飲むのをやめて何か言いたげな表情を見せた。
「わ、悪い」
「顔に何か付いてる?」
「いやなにも…」
「ふーん」
そう言うと、また紅茶を啜る。今度は視線を落として、質素なテーブルに目をやった。特になにもない。それこそ、空になったコップと彼女の手元しかない。
ポケットに入れていた携帯を取り出して、時間を確認する。すでに十三時を回っている。そろそろ家に行かないと、アイツらも痺れを切らして遊びに行きかねない。
「悪い一花。そろそろ家に行かないか。アイツらも痺れを切らしそうで」
「えーっ。もう少し話そうよ」
「あのな、試験前だぞ。ただでさえ赤点候補なんだ。お前に拒否権なんてないはずだが」
駄々をこねる一花に呆れながら、空気を変える意味も込めて立ち上がった。その様子を眺めていただけの彼女も、わずかに残っている紅茶を丁寧に飲み干した。急かしてしまったかと、少しだけ後悔する。
「会計してくるね」と言う彼女を残して、俺は先に店を出た。世間一般なら、俺が言うべきセリフなのだろう。だが俺は一円も頼んでいない。彼女しか注文していないのだから、彼女が払うのは必然なのだ。……器が小さいと思われても仕方ない。俺はただでさえ金が無いのだから。
金、か。今のバイトは週二日で五万円を稼ぐことが出来る。非常に待遇が良い。そういう意味では、親父やらいはの生活に少しでも貢献できる。まして試験前はほぼ毎日なのだから、相当な給料が入るはずだ。
しかし、誰か一人でも赤点を取れば、俺はクビになる。冷静に考えて、今のままで赤点回避なんて夢の話だ。いくら俺でも、少しばかり厳しいと思う。悔しいが。無意識のうちにため息が出る。幸せが逃げていきそうだ。そもそも、俺にとっての幸せとはなんなのだろうか。考えたこともなかったな。
「幸せ逃げていくよ」
「あ、あぁ。悪い」
「別に謝ることないってば」
会計を終えた一花が、店から出てきた。
彼女はそう言うが、自分でもよく分からなかった。どうして謝罪の言葉が出てくるのか。三玖に対する行為の後ろめたさみたいなものがあるのだろうか。いや、確かにそれはある。だがそれでコイツに謝るのは確かに筋違いな気がする。よく分からん。
「さ、行こうか」
彼女が歩き出すと、俺もそれに付いていく。その間、特に話すこともなくて。周りの音や声がよく聞こえている。今日は土曜日。街中には家族連れが多かった。
人が多いところは苦手だ。花火大会の時しかり。出来ることなら、誰もいないところで一人勉強していたい。そう考えること自体、俺は家庭教師に向いていないのだろう。途中で投げ出す気は一切無いが、向いていないのは事実。現に二乃とは衝突したままなのだから。
仕事を出来ていない時点で、給料をもらう資格なんてないのだ。初めての給料は五月が家に持ってきてくれた。教え切れていないのだから、お金は受け取れないと。しかし、五月は違った。それだけじゃないと。
「なぁ一花」
「なに?」
「……いや。なんでもない」
少し前を歩いていた彼女は、俺がそう言うと振り返った。明らかに不満げな表情をしている。それを無視して、彼女の先を歩くことにした。
家庭教師の件、一花にも伝えようと思ったのだ。しかし、それが出来なかった。それを言うと、下手に意識させるような気がして。俺が思うにコイツは、五人の中でも違った意味で妙な責任感がある。長女だからだろうが、それで勉強に変な支障が出るのが嫌だった。
いずれにしても、試験が終わる前に。俺は三玖に謝らないといけない気がした。一花と話してみて、よく分かった。このまま避けていても、きっとなにも変わらない。それなら家庭教師であるうちに、だ。
このまま何も言わないのも違った気がして、俺は振り返って一花と顔を合わせた。彼女は不思議そうな顔をしている。不満げな表情はすでに消えてしまっていた。
「………気が楽になったよ。ありがとう」
新たに高評価してくださった、タッツーさん・ブルー相互さん・イシツブテさん。ありがとうございます。
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