花嫁も五人居ていいんじゃない 作:なでしこの犬
一通りの勉強を終え、俺はぐっと背伸びをする。気が付けばリビングには俺と二乃の二人だけになっていた。椅子に腰掛けた彼女と、トイレに行こうと立ち上がった俺。微妙な空気がこの空間を覆っている。他の四人が勉強している間、こいつは一人スマートフォンをいじっていただけ。それなら部屋に戻っていればいいというのに。
「……何よ。言いたいことでもあるわけ?」
「いや別に」
自然と彼女に視線を送っていたせいか、イラついた声で話しかけてくる。下手に返答すると怒りを買いかねない。適当に誤魔化そうとしたが、彼女は腑に落ちない様子だ。腕を組んで、不愉快そうな表情を見せる。
「本当最悪。こっち見ないでくれる?」
「お前が早く部屋に戻ればいいだろ。俺はここで寝るんだから」
「そもそも泊まることがおかしいのよ。今からでも帰りなさいよ」
「本当に辛辣だな……」
下手にヒートアップしないように、冷静に冷静に返答する。彼女の語気はやや荒い。言いたいことは山程あるがグッと堪える。だが、トゲばかり投げられて我慢できるほど、俺は人間できちゃいない。これまでの不満も相まって、あと少しで爆発しそうになる。
「……この際だからもう一度聞くわ。三玖に何もしていないのね?」
先ほどとは聞き方を変えてきた。
何もしていない前提で聞かれると、何故かハッキリと断言するのを躊躇ってしまう。人間の性というやつだろうか。そのせいで、ほんの少しだけ返答に時間がかかってしまった。そこを、二乃は見逃さなかった。
「どうして返答に時間がかかるのかしら?」
「別に深い意味はない。何もしていない」
「そうかしら? 目が泳いでるわよ」
ジリっと詰め寄ってくる彼女。こいつにだけは真相を伝えるわけにはいかない。そうなると、試験どころではなくなってしまう。眠気が出てきた頭で言い訳を考える。しかし、先ほどよりも頭が回らない。勉強疲れとでもいうのか。
一歩一歩、近づいてくる二乃は、ニタっと笑っている。背中から冷や汗が出てくる。まずい、こいつはここで仕留めにかかっている。
「あ、そう。なら賭けでもしない?」
「……賭け?」
三十センチ前でピタッと止まった彼女は、俺が想像もしていなかった言葉を繰り出した。
賭け、と言われて、決して良い気分はしない。俺の性格からしても、ギャンブルには明らかに不向きだ。何を賭けるのかすら分からないが、嫌な予感しかしなかった。少し前に四葉からも言われたが、その時とは違う嫌な気分だ。素直に聞き返してしまったことを後悔する。
「……嫌な予感しかしないな。お断りだ」
「拒否権なんてないわよ」
腕を組んで、俺を蔑んだ視線。
飽きるほど見た彼女の姿に、思わずため息を吐きたくなるが、色々面倒なことになりそうで堪える。
「今度の試験。三玖の五科目合計が私より下だったら。本当のことを吐かせるわ」
「何を言って――――」
「私は本気よ。間違いなくあんたは何かを隠してる。それなら、意地でも聞き出すまでよ」
「……それで試験の点数を賭けるのか?」
「ええ。あんたも勉強にはプライドがあるでしょ?」
「なるほど」自然と言葉が出てくる。もし点数が伸びなかった場合、俺の性格を考えて口を割ると考えたのか。確かに、その考え方は悪くない。
どうやらこいつは、本気らしい。俺と三玖の間に起きたことを、聞き出すまで逃すつもりはないようだ。自分の嫌いな勉強をすることになっても、それ以上に俺を許さないのだろう。
それならそれでいいじゃないか。理由はどうであれ、俺としても彼女がやる気になってくれるのは嬉しい。
「…それなら、お前も一緒に勉強しろ」
「はぁ? それじゃ賭けになってないじゃない。あんたは三玖に教えててればいいのよ」
「それだと三玖が絶対勝つぞ? はっ、逆に聞くが、今のままで勝てるとでも思ってるのか?」
「う、うるさいわね!」
形勢逆転。俺としたら賭けなんてどうでもいい。本当のことなんて、試験が終われば素直に話してやるさ。その時はどんな暴言でも受け入れる。それぐらい、試験のことで頭が一杯だった。
それにこれでようやく仕事をこなせるのなら、願ってもない。分かりやすく喧嘩腰になると、彼女は両手に拳を作っている。
「いいか? やるなら平等だ。二人とも俺が見て、初めて賭けは成立する。それが嫌なら、この話は無しだ」
二乃は口をキュッと結んで、必死に何かを堪えている。葛藤しているのだろうか。だとすればこれまでの暴言もあって、いい気味である。
返答を待っていたが、彼女は何も言わずにクルリと背を向ける。
「……変な気起こしたらマジでぶっ飛ばすから」
「はぁ。絶対ないな。早く寝ろ」
二乃はそう言い残して部屋に戻った。とんでもない疲れが身体を襲う。明日以降、彼女がどうするのかは分からないが、面倒ごとに巻き込まれたのは確からしい。無論、俺があんなことしなければ良かっただけなんだが。
誰も居なくなったリビング。何とも俺には広すぎる空間だ。電気を消し、用意してくれた布団に横になる。ムカつくほどフカフカしていて、一瞬で眠りに落ちそうな。
一花たちは一時間以上前に部屋に戻っている。流石に勉強で疲れたのだろう。二乃を除いて、彼女たちの頑張りは十分に伝わっている。
頭の上にある壁時計のリズムが更なる眠気を誘う。一人で勉強でもしようかと考えていたが、それはどうやら無理そうだ。
左を向くと、どでかい窓の向こうにまん丸の月が部屋を照らしている。電気を消しているというのに、月の光で中々に明るかったりする。ここまで高いマンションならカーテンなんて必要ないだろう。
枕元に置いてあるスマートフォンを手に取り、時間を確認する。夜の十一時過ぎ。明日の学校を考えれば、程よい時間帯でもある。幸い、明日の時間割は今日とさほど変わらない。急遽泊まることになったが、何とか乗り切れそうだ。
あぁ。瞼が重い。彼女たちの家であるというのに、自然に眠ることができるようだ。二回目とはいえ、俺は意外と神経が図太いのかもしれない。意識が月に吸い込まれそうになったとき、中二階の一室のドアが開く。丁寧に開けてはいるが、しっかりと音は聞こえる。ただ気にはなったが、わざわざ瞼を開くほどのことでもない。
階段を降りてくる誰かは、ペタペタと足音を立てて玄関の方へと向かう。おそらくトイレか何かだろう。窓側を向いて本格的に眠る態勢に入る。
それから数分。意識が飛びかけた時。ささやくような声が俺の意識を覚醒させた。
「……誰だ?」
瞼を開くと、ぼんやりとした視界に映る髪の長い彼女。俺のすぐ横にペタンと座り込んでいるようだ。眠りかけたせいで、頭がぼーっとしている。どうして目が覚めたのかは分からないが、何か声を掛けられたのは覚えている。
俺が間抜けな声で問いかけたせいか、彼女はふふっと笑みを零す。その様子を見ても、誰か全く分からなかった。
「誰でしょう?」
質問に質問で返されると、こちらとしても困る。だが寝ぼけ眼でも、ハッキリと分かる。美しい顔をしていた。どこか懐かしさを感じるような、記憶の余韻に浸っているようで。すごく気分が良かった。
それはそうと、こいつの正体を探る。髪は長いが、見覚えのない綺麗なストレートヘアー。服装も寝間着とは思えない白のワンピース、だろうか。この情報を読めば、ショートの一花や四葉ではないのだろう。そうなれば、それ以外の三人ということになる。月明かりのせいで、髪色は青白い。
一つ引っかかったのは、そのストレートヘアーだ。癖の無い、本当に綺麗な髪をしている。見覚えがないせいか、そもそも五人の誰でも無いのではないかと錯覚しそうなほど。
「……三玖だな。何か用か?」
確証なんてものは無かった。二乃との会話の流れが残っていたせいか、とりあえず出てきたのが「三玖」だった。それに冷静に考えて、夜中に話しかけてくるのは候補の三人の中で三玖ぐらいしか居ない。
そんなことを考える一方で、この彼女。苦笑いを浮かべてクスクスと笑っている。そんな行為すらもすごく品があって、まるで
少しだけ暗がりに目が慣れてくる。先ほどよりもハッキリと見えるようになった彼女の顔。うん、やはりその顔には見覚えがある。五人のうちの誰かには違いない。
「君にはまだ分からないかな」
「……三玖じゃないのか?」
「うーんどうだろうね? まあ、髪型なんてどうにでもなるんだよ」
なぜ誤魔化す。だがまぁ、確かにその通りだ。彼女がウィッグを被っているとすれば、何も候補は三人ではない。だからと言って、答えを絞り込むことには繋がらないんだがな。
流石に寝たまま話すのも気が引けてくる。俺が起き上がろうとすると、彼女は優しくそれを制止した。
「眠ってていいんだよ。一方的に話しかけただけだから」
「にしては返答を求めてるけどな」
「そうかな?」
「ほらそうやって」
そうは言うが、クエスチョンで返されれば、こちらとしても無視する気になれない。そのこと自体分かっていないのだろう。すごく賢く話そうとしているのか、余計に拙さが目立つ。やはりこいつは五人のうちの誰かで間違いなさそうだ。
両腕を頭の下に入れ込む。横目で見ると、彼女は俺に背を向けて座っている。体育座りだ。そうされるといよいよ誰か分からなくなる。
「試験は大丈夫そう?」
「どうだろうな。こればかりはお前ら次第だ」
「そこは大丈夫だって言って欲しかったなぁ」
「ならしっかり頑張ってくれよ」
背中を押して欲しいというのなら、少し冷たかったかもしれない。これは自分の力不足でもあるのだ。特に二乃のこと。彼女だけは今日の今日まで勉強をしていない。今からとことん頑張ったところで、全科目の赤点回避は難しいだろう。
一つ息を吐く。二人の間に微妙な空気が流れる。別に気まずいとは思わないが、「気を遣わないと」なんて感情が込み上げてくる。そこまでしなければいけない関係性ではないというのに。
「二乃のこと、心配なんだ」
「……何も言ってないだろ」
「顔に出てる。二乃も頑固だからね」
俺の心を読んだように、彼女は優しく話しかけてくれる。
さっきの会話のこともそうだが、二乃に関する悩みを姉妹に言うのは気が引ける。しかし、心地よい眠気と雰囲気が俺の喉を緩めた。
「……さっき二乃と話したんだ。もしかしたら、お前らと勉強することになるかもしれない」
「へぇ! 一体何をしたの? あんなに頑固だったのに」
「まぁ、いろいろだ」
「そっか。あの子のこと、見捨てないでいてくれてありがとう」
すごく純粋な声。俺にはそんな綺麗なものは似合わない。
さっきだって、理由は至極不純なものだ。それだというのに、君は何も言わずに喜んでくれている。ますます彼女の存在が不思議なものに思えてきた。
「やれることはやるよ」
「うん。ありがと」
そんな会話をしながら彼女の正体を考える。でも絶妙に話し方や声色を変えていて、本当に見当がつかなかった。まるで
「二乃は、すごく不器用な子なんだ。誤解されやすいけど、とても優しくて。君にもそれは分かってほしい」
「…それは何となく分かる」
「あはは。なんとなくなんだ」
「優しい奴が普通、薬なんて盛らないだろ」
「うんうん」
彼女はこちらを向いて優しく頷いてくれる。
それを見ているだけで心が癒されていく。いつぶりだろうか。こんな爽やかでふわふわした感覚は。
右手に冷たい感覚。細くて今にも壊れそうな彼女の両手に包み込まれていた。何事かと思い、思わず上半身を起こした。
「眠ってていいのに」
「なんの真似だ」
「大きな手だなぁって」
「だからと言って無闇に触るものでもないだろ」
「それもそうだね」
微妙に会話が噛み合っていない気がしたが、特に気にすることなく手を離す。仮にこいつが三玖だとすれば、
再び横になると、無意識に押さえ込んでいた眠気が瞼を襲う。その様子に気づいた彼女は、左手で俺の頭を優しく撫でた。
「お、おいなんだ」
「私は、君の味方だから」
その手を振り払おうとするも、想定外の心地良さに腕が動かなかった。真顔でそんなことを言われるもんだから、目を背けるようにギュッとつむる。月明かりで助かった。顔が紅潮するのは見られたくない。
それに気づいているのか気づいていないのか。よく分からないが、彼女は「おやすみ」と言い残して立ち上がる。眠気と恥ずかしさに耐えて、階段を登っていく彼女に問いかけた。
「君は誰なんだ?」
彼女の耳に届いたのかも分からない。耐えに耐えた眠気に根負けした俺は、一瞬で深い眠りに落ちていった。
「ふふっ。誰でしょう?」
新しく高評価してくださった・絶対殺すマン好きさん・tfoさん・Genbuさん、ありがとうございます。