花嫁も五人居ていいんじゃない 作:なでしこの犬
見慣れたタワーマンションのオートロックを抜けて、エレベーターに俺と五月は乗り込んだ。ここに来るまで、特に話すことはない。何というか、何を話せばいいのかイマイチ分からない。腹筋のことを意識してる自分がまあ……。これは仕方ないのだ。これも仕事だ、仕事。
「この時間なら、誰か居るはずです」
「留守なのを願うよ」
五人も居れば、誰か一人ぐらいは居ても不思議ではない。
ましてや彼女たちの仲を考えると、夕方から夜までには全員が戻っていることが普通。俺の願いなんて叶いやしないのだ。
三十階まで登り、五月が家の鍵を開ける。玄関にはローファーがひとつだけ並んでいた。誰のかは分からないが、誰か居るのは確かなようだ。ここまで来たら、腹をくくるしかない。
問題はこのローファーが誰のものか、ということ。個人的には四葉が理想だ。何も疑いなく見守ってくれそうという理由で。その分「私もやりたい」なんて言い出すだろうが、今はそれでもいい。
二乃に関しては全力で止めにくるだろう。むしろそうしてくれた方が助かる。今だけは二乃の存在を願うばかりだ。
最悪なのが三玖。どんな顔をして五月に跨がればいいのだろう。俺は羞恥プレイとやらには興味は無い。五月は俺を置いてリビングへと進むと、その誰かもそこに居たようで。「あっ!」と声を出した。
「三玖でしたか。ちょうど良かったです」
咄嗟に身体を反転させ、家を飛び出そうと考えた。しかし、俺に気づいた五月がいつの間にか俺の手を握っていて。どこにそんな力が込められているのかと疑いたくなるほどに。
「怖気付いたんですか?」
「う、うるせえな。わかったから離せって……!」
五月に怖気付いたというよりは、もう一人が怖いだけだ。
なんとなく、三玖以外には手を出していないことがこの均衡を保っている気がしていた。それが間も無く、見事に崩れ去っていく。そうなることで、俺の人生が終わりそうな気がしないでもない。
腕を引かれ、リビングに行くと三玖がテーブルで勉強していた。俺に気付くと、不思議そうな表情をしている。
「フータロー? 今日から試験対策だっけ」
「ま、まあな。よし、勉強するか」
「その前に、ですね」
しれっと勉強モードに入りたかったが、それも五月によって実現せず。彼女は三玖の隣に腰掛けた俺に、少し待つように告げて部屋へと戻っていった。それを見た三玖は尚更不思議そうな顔をしていた。さて、なんと説明しようか…。
「フータロー、どういうこと?」
「あぁ、いや。特に大したアレじゃないんだよ」
「あんなにやる気満々の五月、珍しいよ。まさか勉強する気になったの?」
「そ、そうなんだよ。お、俺としても嬉しい誤算でな……」
確かにそうなんだが、色々すっ飛ばしてるせいで五月が勉強する気になったことしか伝わっていない。本来であれば腹筋のことを先に伝えるべきなんだが、どうやって彼女に伝えればいいんだ。
あーもう。なんで今日に限って三玖しか居ないんだ。一番腹筋のことを知られると厄介だというのに。
「お待たせしました。さぁ、始めましょう!」
降りてきた五月は、学校の体操着に着替えていた。うん、やる気はあるようだが、今は最悪だ。それを見た隣にいる三玖の手が俺の脇腹に伸びてくる。キュッとつまんで、優しく微笑んでいる。怖い。めっちゃ怖い。
「どういうこと?」
「あーいや……その…腹筋を手伝って欲しいみたいで」
「三玖も少し手伝ってくれませんか。彼が変な気を起こさないように見張っててください」
「ふーん」と三玖の手に力が込められる。痛い。皮が千切れそうで痛いよ三玖さん。
これは長期戦になるかとも考えたが、彼女は素直に頷いて五月に横になるように告げる。到底納得していないようだが。そんな三玖を横目に、五月は横になる。体操着のせいで身体のラインが何というか……うん。
すると三玖は、そっと五月にアイマスクとマスクを差し出した。
「こ、これは?」
「事故防止用。それにマスクしてると息しにくいから効果も出ると思う」
「た、確かにそこまでは思いつきませんでした」
何故か用意周到な三玖に少し驚く。確かにこれを装着していれば彼女に対して過ちを犯すことはないだろう。実体験を元にこの対策が生み出されているような気がして、少し申し訳ない気がしないでも。
というか、冷静に考えて俺は後ろを向いて跨がればいいじゃないか。何も真正面を向く必要なんてないのだ。そうすれば、俺だって変な気を起こすことはない。マスクやアイマスクも必要ないのだ。
意を決して、俺は五月の腰に跨る。体重をかけないよう程よく。足の方向を向いていることもあって、想像していたよりも何とかなりそうだ。
重くないかを確かめると「へ、平気です」とのこと。背中越しに聞こえる声からしても、やはり照れているらしい。それは俺だって同じだ。顔から火が出るほど恥ずかしい。
「一応、マスク付ければ?」
「そうですね……恥ずかしいですし」
五月には完全に背を向けているというのに、そこまで俺への信頼は無いのだろうか。いや前科がある段階で信頼なんて無いに等しいんだけどな。このままジッとしているわけにもいかず、五月に声を掛けた。
「そのまま上体を起こしてみろ」
「行きます…!」
声を洩らしながら、五月の上半身が動く。足を抑えられるよりは力が入り難いのか、完全に起き上がることが出来ないようだ。その証拠に、背中に彼女が近づいた感覚はない。
何というか、新手のプレイみたいで逆に
……そうじゃない。待て待て。落ち着け俺。そうやって三玖に手を出してしまったんだ。
頭を振って、冷静さを取り戻す。危なかった。周りの視線を気にしないでいいせいか、雑念が頭の中を巡る。というか、自然に腹筋が出来ていて少し安心する。これで筋トレ感が無ければまた余計な誤解を生むことになっていただろうに。
「完全に起き上がらなくても効果はあるぞ。くの字をイメージしてみろ」
「はいっ……。これっ……結構キツイですっ…」
声だけしか分からないが、どうやら五月は真剣にやっているようだ。それはそれでいいんだが、声だけしか聞こえないせいで聴覚が敏感になっている。何気ないフレーズがとんでもなくセクシーに聞こえるのは気のせいだと思いたい。
それよりも、五月が上体を起こそうとする度に柔らかなお腹が優しく当たる。想像以上にプヨっとしていて癖になりそうな感覚。着痩せするタイプなのだろうか。
「キツかったら休憩するか?」
「あと少ししたら休憩を……」
ハァハァと息を切らして、彼女は再び動き出す。くの字のアドバイスが聞いたのか、その態勢を数秒間キープして戻って、キープして戻ってと同じ行為を繰り返している。
その間の三玖はと言うと、ジッと俺たちのことを眺めていた。決してやましい行為はしていないと言えど、妙な恥ずかしさがある。顔を隠している分、五月はそんなに感じていないだろうが。
五月は、結局五分くらい腹筋を続け、ようやく休憩に入った。彼女から離れると、慣れない態勢だったせいで変な筋肉が痛い。
マスクとアイマスクを付けたまま、五月は「ハァハァ」と息切れしている。何というか……エロい。これはこれでエロい気がする。三玖が居なかったら理性が崩壊していても不思議ではなかった。そう考えると、五月の対策は完璧だったというわけだ。
「悪い。トイレ借りてもいいか」
変に緊張したせいで、トイレが近くなっていた。一言断りを入れ、彼女たちの元を離れた。
にしても、五月の身体ってまた三玖とは違った感覚がある。あれだけ食べれば肉も付くだろうが、あの程度なら気にすることなんてないだろうに。
トイレを済ませてリビングに戻ると、三玖の姿が無かった。辺りを見回しても、リビングにいる気配は無い。自分の部屋に戻ったのだろうか。だとすると、出てくるまで待機か。
相変わらず、五月は横になったままだった。アイマスクは外しているが、汗のせいで顔は少し赤みを帯びていた。相変わらず体操着のままだったが、動いていないせいで身体が冷えなければいいが。
そもそも、水分補給は済ませているのだろうか。少しは動いた方もいい気はしたが、もしかしたらトイレに行った間に休憩を済ませたのかもしれない。下手に攻める気にもなれず、俺は彼女の近くに腰を下ろした。
「……上杉くん?」
「あぁ、戻ってきた。三玖が居ないからもう少ししたら再開するか」
「…いいです。再開してください」
「い、いやでもなぁ…」
「お願いします」
監視を付けたいとか言いながら、結局どっちなんだ。
いずれにしても、三玖が居ないのなら俺としてもやりたくは無い。一人居るだけでいろいろと助かるのだから。
しかし、五月は引かない。俺の左手首を掴んで、グッと身体の方へ引き寄せる。このままでは色々とマズい気もしたため、止むを得ず彼女の腰に跨った。もちろん背中を向けて。
「……こっちを向いてください」
「は、はぁ? 何言ってんだよ……」
「いいから、早く」
やけに急かしてくる五月。制服をクイっと引っ張られると、俺の理性が少しグラつく。よく服の袖を引っ張られるとグッとくるなんて言うが、少しその気持ちが分かった気がする。これは男心をくすぐる行為であることには間違いない。
流れに身を任せて、俺は正面を向いた。アイマスクを付ける素ぶりすら無い。だが、今は別にいい。もう気にすることもない。彼女の腹筋を促した。
「んっ……」
マスク姿で一生懸命、上体を起こそうとしている。しかし、俺に近づくことも出来ていない。運動不足、と一言で片付ければそうなるのか。まぁ、俺も人のこと言えた口ではないが。
しかしだ。ある重要なことに気づく。正面を向いたことで、彼女が上体を起こす度に俺の下半身に五月の下腹が当たる。本人は気付いていないようだが、これはマジでヤバい。
視線を落とせば、身体のラインがくっきりとわかる五月の姿。ゴクリと固唾を飲んでしまうほど、理性の壁がぐらついている。
数回、上体を起こそうとしたところで、一度彼女は止まる。休憩だろうと気を抜いた時、彼女の両手が俺の両手に伸びてきた。
「ど、どうした?」
「手伝って……ください…」
「引っ張れってことか…? それだと腹筋にならないぞ…?」
「い、いいから」
ここに来てサボるというのか? 五月はそんなことをするような奴だとは思えないが……。しかし、彼女もさっきから息が荒い気がする。相当バテてると考えるべきなのか。だとすればもう終わってもいいんだけどな……。
だが、仕方がない。俺の手を握っている彼女の手には、わずかながら汗が滲んでいた。それに気付くと、手を振りほどくのも何となく気が引ける。意を決して、グッと彼女のことを引っ張った。
「ほらっ……っておい!?」
「はぁ…はぁ……」
引っ張り上げると、彼女は力無く俺にもたれかかってきた。側から見れば、俺と五月が抱き合っているように見えるに違いない。これは本格的にマズい。
彼女の柔らかい身体が俺の目の前にいる。ていうか密着している。ヤバいヤバいヤバい……! 性欲という名の悪魔が心に囁く。触ってもいいんじゃないのか、なんなら押し倒していいんじゃないか。頭が締め付けられるような痛み。このままもう…好きにヤらせてもらえないだろうかと。
俺の左肩に彼女の顔がある。五月が息を吐く度に、俺の左耳に甘い刺激が加わる。あの強気な五月がここまで弱くなるものなのかと、そのギャップに心が甘い味を求めている。
手は自然と離れているが、そのせいで彼女は完全に体重を俺にかけていた。彼女の体温がダイレクトに俺に伝わる。締め付けられるような頭の痛みから、ジンジンと痺れるような痛みに変わる。
「い、五月……」
あぁ、もう駄目かもしれない。三玖の時とは違って、俺に否定的な彼女に手を出すことになる。下半身に血が集まっていくのが分かる。
彼女たちの父親からもあんなに釘を刺されたというのに。本業の勉強を疎かにして、違う意味で彼女たちを勉強することになるなんて。もう地獄の果てまで追い詰められてもいい。今この瞬間の、快楽に身を任せてしまいたい。
そう思ったら最後。俺はだらんと垂れ下がった右手を彼女の胸元へと運ぼうとした時、俺は耳を疑った。
「ふ、フータロー………」
彼女は、耳元でそう呟いた。
そこで、初めて一つの疑問が浮かび上がった。五月は、俺のことをフータローとは呼ばない。そうなると……まさか!!
「お前三玖か!?」
「はぁ…はぁ………」
マスクのせいでか、かなり息がし辛そうにしている。咄嗟にそれを取ると、間違いない。声色を五月に寄せていたせいで、気付くことが出来なかったが、コイツは紛れもなく三玖だ。
それに彼女の顔は真っ赤に染まっている。運動によるものではない。俺でも分かるほど、これは完全に熱のある顔をしていた。
「お、おい…! 大丈夫か…!?」
力が無く、グッタリとしていた。なのになんでこんなことをしたんだコイツは。
湧き上がっていた性欲はすっかりと消え失せ、慌てて彼女をそのまま寝かせようとするが、三玖はそれを許さなかった。怠いはずなのに、両手をしっかりと俺の首に回している。
「み、三玖…! マズいって……!」
「フータロー……ギュッてして……」
それは出来ない願いだ。一番なのは抱きしめるより横になることだ。と言ったところで、彼女がそれに従うとは思えないが。
となると、本物の五月は何処にいるんだ…? 嫌な予感がする。三玖はかなり汗をかいているが、俺はまた違った汗が出てくる。この場面に遭遇されると、もう言い逃れできないだろう。少しでも誤解を解きやすくする体勢になりたかったが、彼女がしっかりと腕を回しているせいで、どうしようもない。
「………上杉くん。覚悟は出来てますか」
上の方から声がする。どうやら部屋に戻っていたようで。
覚悟、とは言われてもだ。俺は本当に何もしていない。これは完全な冤罪なんだ。それは頭の中で分かっていたのに、前回のことが頭をよぎって。
「わからないか? 最新のワルツを踊ってるんだ」
新しく高評価してくださった、ナティブさん・アニッキーブラッザーさん・とぅばささん・豆助さん・Dazeさん・マリオッタさん・やマッチさん・ダイコーンさん・ライダー4号さん。本当にありがとうございます。