それからひと月半。
まさかここまで事態が進むとは想像もしてませんでした。
せっかく春が来ても気分は軽やかにとはいきませんが、どうにかこらえていきましょう。
「こな、くそ……!」
自身を叱咤するため、夏凛は叫んだ。つもりだったが、声は己の耳にさえ届かず、ただただタウルスのかき鳴らす轟音が響き続ける。
(精霊バリアが、働かない?!)
勇者を守る最大の盾、精霊バリア。
バーテックスの如何なる攻撃も阻むそのシステムは、これまでの戦いでも勇者たちを守り抜いてきた――傷も残さずに。このシステムを開発した大赦の研究部門は大したものだ。
だが、そんな大赦の研究部門も想定はしていなかったのだろう。ただ音を響かせる攻撃というものは。
実際、タウルスの音は、神樹の力で強化された勇者の平衡感覚を乱し、打ち付ける圧は内臓まで震わせるほどだ。
しかし、それだけではある。一瞬で鼓膜が破れたり、頭蓋の中身がぐちゃぐちゃになるような事はない。ただ耐え難いくらいに不快というだけだ。
それ故に、“危険な攻撃”を防ぐ精霊バリアが発現しない。
任意の発動では不意の攻撃に対応できないために自動発動のみとしたことが、ここで裏目に出た。
(このっ!)
一瞬耳から手を放して刀を投げつけるが、音波が威力を殺してタウルスへのダメージとはならない。
(どう、すればっ!)
完成型勇者でありながらこの体たらく。自身の不甲斐なさに夏凛が歯噛みする中、もう一人、心中に炎が灯る勇者がいた。
(こんな、音……!)
犬吠埼 樹は大人しい少女だ。姉のように人を引っ張るタイプではなく、友奈のように明るく前向きというわけでもない。美森のように確たる意見を口にする事も苦手だし、夏凛のような自信もありはしない。
そんな樹にも好きなものがある。
勇者部の皆に支えられて、自身の将来の夢になった歌がある。
「歌は――音は、人を幸せにするための物。こんな音はー!」
キッとタウルスを睨みつけ、樹は右手を突き出した。勇者装束に備えられた腕輪から細いワイヤーが伸びる。
その細さ故に音の影響を受けずに宙を進んだワイヤーは、タウルスの頭上の鐘に絡みつき、その鳴動を抑えつけた。
「く、ぬうううう!」
尚も鐘を鳴らそうとするタウルスと樹の力比べ。身体のサイズはまるで違うが、樹は渾身の力でワイヤーを引き絞り、音を鳴らすまいと踏ん張る。
「よっ、しゃあ!」
音の束縛から解放され、夏凛が地を蹴る。音で揺さぶられた影響は少なからず残っているが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
「だぁぁあっ!」
走りながら、先ほどは不発に終わった投剣を再度投げ放つ。
今度は何物にも止められずに宙を奔った刀はタウルスに突き刺さり、小さいながら爆発してタウルスの体躯を削る。
反撃に転じた2人を、しかしバーテックス側が放置するはずもない。この場にいる敵は、タウルスだけではないのだから。
レオから放たれ続ける火球のいくつかが、軌道を変えて樹へと殺到する。
夏凛が火球を迎撃すればタウルスが回復し、タウルスへ集中し続ければ樹が攻撃を受ける。精霊バリアでも衝撃を殺せない以上、いつかは樹による拘束が外れてタウルスの音響攻撃が再開される。そんな見込みだったのだろう。
だが。
「たあああ!」
樹に迫る火球を、友奈の拳が打ち砕く。爆発の衝撃を精霊バリアで受けつつ、逆に宙で移動するための勢いに変えて、連撃を放って火球の群れを潰しきる。
「友奈さん!」
「樹ちゃん、大丈夫?!」
「はい!」
頷く樹にホッとしてから、友奈はタウルスを改めて見据える。
「友奈!ピスケスは?!」
「ひとまず後回しで!」
夏凛の問いかけに簡潔に答えて、友奈もタウルスに攻め寄せる。
夏凛が後方を見れば、美森に降り注ぐ火球は風が大剣で叩き落としていた。この分なら美森も反撃に転じられるだろう。
そうした様子を見て夏凛は考える。
ピスケスは地中潜航能力とそこからの不意打ち体当たりが危険だが、精霊バリアがあれば吹き飛ばされる以外に実害は少ない。ならば。
「友奈、あたしたちでコイツを封印するわ!」
「OK!」
アリエスを撃破した時と同様、夏凛は刀を複数生成。タウルスの周りに向けて投げ放つ。範囲内にいれば勇者をまとめて抑え込めるタウルスは、或いはレオ並みに危険だ。
だが、タウルスもやられっぱなしではない。
樹との引っ張り合いの最中、タウルスは突如として前進に転じた。放たれた刀をいくつか弾きながら。
「わわっ?!」
その動きに対応できずに樹が蹈鞴を踏んだところで再び後退。踏ん張りが効かなくなった樹は今度は前につんのめる。
「樹ちゃん?!」
友奈からの声に、しかし樹は、
「大丈夫です!それより、早くバーテックスを!」
倒れこみながら、しかし鐘への拘束は外さず。むしろ一層の力をこめてタウルスを封じようとする。今タウルスの音を自由にさせるわけには行かなかった。
「――やるじゃない」
気弱だと思っていた樹の奮闘を小声で称えながら、夏凛は改めて剣を作り出して。
ゴゥ、と身体を流すほどの風にさらされた。
「ちいっ!」
風上を見れば、呼び名通りの姿をした『天秤型』ことライブラ・バーテックスが回転しながら近づいていた。損傷を負ったタウルスと入れ替わるつもりか。
ライブラの能力は、『暴風を発生させる』こと。自身の身体そのものを回転させる必要があるため、本来なら一つ所に留まって風を起こすのだが――風の威力低下に目を瞑れば移動しながらも風を起こせたようだ。
「ア、アワワワ!」
高度を上げながら後退するタウルスに引っぱられていた樹だが、ついに足が地面から離れてしまった。そこに襲い掛かる強風が、少女の身体を揺らし、振り回す。
「ああ、樹ちゃんが?!」
「樹?!いったんワイヤー解きなさい!」
「で、でもここで離したらまたあの音が……!」
夏凛の指示に樹が反論する中、彼方からの銃弾がタウルスの鐘やその土台を叩き砕く。
「!東郷さん!!」
友奈の歓声に、牛鬼が支えるスマホから美森の声が答えた。
『牡牛座の鐘は私が壊すわ!樹ちゃんを捕まえて!』
さらに狙撃の連打。ワイヤーが捉えていた箇所が全て壊された事で、樹も宙に放り出される。
「ひやぁあああ!?」
強風に飛ばされる樹を友奈がキャッチして地上に戻すが、さすがに負担が大きかったのか、樹は地面にへたり込んだ。
「うう、目が回ります……」
力なく頭を揺らす樹に、少しすれば治るだろうと安心しながら、夏凛は迫るライブラ・バーテックスを見上げる。このまま風力を上げ続けられたら、タウルス同様に動きを封じられる。
突破口は、一点。
「とりゃああああ!」
勇者の力をフルに活かして、ライブラの風を捉えながらも更に上へと跳躍する。
台風や竜巻と同じだ。荒れ狂う風の中心点――即ちライブラの真上は、風の影響を受けない空白地帯だ。
(そこから一気に崩す!)
誘導性のあるレオの火球も、暴風の影響で夏凛という小さな的を捉えきれない。回転するライブラのその更に上を取って。
自身に迫る水球が見えた。
ライブラの後ろに控えるもう1体のバーテックス。青いボディから2つの球体が伸びた『水瓶型』アクエリアス・バーテックス。その能力である『水流・水球操作』で作られた水球が、ライブラの死角をカバーしていた。火球や勇者よりも質量のあるそれは、強風の中でもまっすぐに夏凛に向かった。
受ければ身体を弾かれるか水に囚われるか。いずれにせよライブラの妨害は出来なくなる。
故に、夏凛は構わず刃を振りぬいた。
「たあああ!」
刀身どころか自分の身体よりも大きな水球だが、夏凛の一刀の前に両断される。
その水球の影に隠れて打ち出されていた2つ目も、二刀使いの夏凛の前に断ち割られ――その背後に更にもう1つ。
「連打?!」
さすがに体勢を崩した夏凛に3つ目の水球は切り飛ばせない。迫る水球に驚愕した自身の顔が映り込むのが夏凛にも見えた。
「危なーい!」
そんな夏凛の窮地を救ったのは、夏凛に遅れて跳び上がっていた友奈の燃える鉄拳。
精霊の力を纏わせていたからか、拳が触れるや水球は弾け飛ぶ。水しぶきを全身に浴びる事になった友奈だが、砕けた水球は勇者の脅威ではなくなったようだ。
「友奈?!――助かった!」
「うん!夏凛ちゃん、一緒に!」
「応!」
友奈の言葉に頷いて、夏凛と友奈は共に宙を蹴ってライブラへと突撃。斬撃と拳をその真芯に打ち込む――!
――筈だった。
奇妙な手ごたえと共に、夏凛の刃も友奈のパンチもライブラに食い込まず。
回転するライブラに逆に弾き飛ばされる。
「なっ?!」
弾かれ、風に流されながら、夏凛は今の手ごたえを反芻する。
(なに?弾かれたんじゃない……。刃筋が立たなくて――滑った感じ?)
思い浮かぶのは訓練時代の事。
剣術では剣の打ち込みへの対処として、刀身自体で防ぐ他に、相手の剣筋に自身の刀を添わせ、“いなし、逸らす”という防ぎ方がある。その技が巧みであれば、まっすぐに振りぬいたはずの刀が、ズレる手ごたえさえなく見当違いの方に流されるほどだ。
ライブラへの攻撃が外されたのは、それに近い感触だった。
(でも、バーテックスにそんな技術があるはずない!)
謎の事態に冷や汗を感じながらも、身を翻して着地。そんな夏凛の近くに、同じく友奈も落下し――
「ふぎゃっ?!」
足を滑らせて顔から地面にぶつかる。
「……何やってんのよ」
風に堪えながら振り向いた夏凛の表情に少し呆れが混じるのも仕方ない。えへへ、と誤魔化しながら立とうとして、
「ふぇっ?!」
今度は尻餅。ぶつけたお尻をさすりながら、友奈は少し首を傾げた。
「友奈さん、大丈夫ですか?!」
駆け寄る樹が手を差し伸べる。自身も風に振り回されて目を回した身、友奈もそうだと思ったのだ。
「う、うん。ありがと、樹ちゃん」
だが、友奈はむしろ平気だった。座りこんではいても目が回っている感じは全くしない。何で立てないんだろうと思いながら樹の手を握り返そうとして。
「「え?」」
疑問は、友奈と樹から同時に。
握りあうはずの手がツルリと滑ったのだ。
「――どうしたの!?」
さすがに不審を感じた夏凛の問いかけに、友奈は、
「それが――なんか手が掴めなくて」
と答える中、樹は友奈に差し出した手の指をこすり合わせる。
「友奈さん、これ、水じゃないです」
勇者装束はそれぞれ形が異なる。友奈の装束は両手ともグローブに覆われた形状だが、樹は指や掌はむき出しだ。
だから、手触りで気づけた。
「水というよりは――石鹸水とか、油とかの感じです」
樹の言葉に、友奈は自分の身体を見下ろす。アクエリアスの水球を砕いた影響で、友奈の全身は濡れネズミ状態だ――ただの水ではなく、ぬめる水で。
「まさか――」
夏凛の声に混じる焦り。ふと全員がアクエリアスの方を見やり。
それは丁度、アクエリアスが大量の水を放水してきたところだった。
「――2人とも逃げてぇっ!」
友奈の叫びに夏凛と樹は地を蹴って高所に移るが、友奈自身は立てないまま放水を受ける。
放水も、直撃なら精霊バリアが発生したかもしれないが、着弾地点は友奈の少し前あたり。樹海の地面を広く濡らしながら水は友奈に押し寄せ、その身体を呑み込む。
「わああぁぁああぁぁあぁ?!」
怒涛の水流を受けて、友奈はその勢いに押し流され、流され、流され流され流され……止まることなく地面を滑り続ける。
果ては、神樹の根のうねりが作る起伏からウォータースライダーの如く放り出され。
「友奈ちゃぁぁぁん?!」
とうとう美森たちのいるところまで滑ってきた。
風が大剣の腹で止めなければ、それこそ神樹の根元まで滑っていったかもしれない。
「だ、大丈夫、友奈?!」
「だ、だいじょうぶですぅ……」
風の質問に答える間にも、友奈の身体はゆっくりと回転している。地面との摩擦がロクに発生していないようだ。
「触ったら無茶苦茶滑る水……。なんつー明後日の方向な攻撃を」
呆れるように風が言うが、美森の声にはむしろ脅威への恐れが混じる。
「まずいですよ、風先輩」
狙撃を放ちながら言う。ライブラは分銅状のパーツが銃撃を防ぎ、アクエリアスは水の膜で威力を削いで美森の攻撃を無効化している。
「どうして?」
「あの水がある限り、バーテックスに近づけません!」
美森の言葉に、風も現状に気づき、息をのむ。
勇者では、バーテックスを倒せない。
バーテックスの再生能力は、勇者全員が攻撃しても削りきれはしない。だからこそ、『封印の儀』で弱点である御霊を露出させ、破壊することで倒している。
その『封印の儀』は、バーテックスに近づき、囲まなければならない。故にまずはバーテックスに攻撃を加えて動きを鈍らせてから『封印の儀』に持ち込むのが勇者の戦闘スタイルだ。
そして、勇者のほぼ全員が接近戦を挑むスタイル。美森の狙撃や樹のワイヤーは、バーテックスに近づき高い攻撃力を連続で打ち込める友奈・風・夏凛を補助するものだ。これは、バーテックスを鈍らせた後速やかに『封印の儀』に移れる意味でも理にかなっていた。
アクエリアスの水は、そんな勇者の手札を封殺する代物だった。立つこともままならない状態ではバーテックスに攻撃を加えられず、どうにか『封印の儀』が出来たとしても御霊を破壊するのが極めて困難となる。
「なんて事よ!」
歯噛みしながら、風もライブラとアクエリアスを睨みつける。2体は特に動かず、風と水をばらまくことに専念している。
「――防御の、コンビネーションってわけ?」
2回目の戦いで現れたスコーピオン、キャンサー、サジタリウスのトリオを思い出す。近接・遠距離・反射と防御の能力に特化したこの3体は、それぞれの能力を組み合わせることで勇者を追い込む脅威となった。
今、ライブラとアクエリアスもまたそれぞれの能力を組み合わせることで、勇者の攻撃を封じるコンビとなった。強風で動きを鈍らせ、ぬめり水で勇者の動きを封じ、更に風で遠くまで押し流す。勇者を近づけさせないという点では最悪に質の悪い組み合わせだ。
音の攻撃で精霊バリアを無効化するタウルスも交えれば、勇者が傷つくことこそないが逆に何もさせないトリオになるだろう。
「じゃ、じゃあ風先輩!バーテックスがずっと樹海にいるってことですか?!」
回転しながらの友奈の言葉に、風は改めてギョッとする。
バーテックスが長く居座れば樹海がダメージを受け、そのダメージは現実世界に転嫁される。勇者に選ばれた時、最初に説明されていたことだ。
バーテックスの勝利条件は、勇者を倒す事ではない。ただただ居座るというだけで、神樹の力を削ぎ続ける事が出来る。
「ど――」
どうすればいい?
涛牙を相手にしたシミュレーションでもこんな展開は考えたことがない。必死に頭を捻る風に、しかし状況は止まりはしない。
「7体目?!」
攻めあぐね、マップを見ていた夏凛が叫ぶ。未だ動きを見せていなかった7体目のバーテックス、『双子型』ジェミニ・バーテックスのマークが前進しだしたのだ。咄嗟にその方向を見るが――何も見えない。
「東郷!双子型が動き出した!そっちで見えない?!」
夏凛からの報告に、美森もその方角に視線を向ける。マーカーに反応こそあるが、それらしき姿は見えない。
「まさか――透明なバーテックス?」
だとすれば最悪だ。マーカー頼りで攻撃を当てるとは、美森にしても自信をもって言えそうにない。
「アタシが抑える!東郷、ここ頼むわ!」
言って、風も夏凛たち前線に躍り出る。確かに、風の大剣や膂力は敵の動きを抑えるには役立つだろう。友奈が戦力外となった以上、勇者の防衛ラインを維持するには風は不可欠だ。
「お願いします!」
「頑張って、風先輩!」
後輩たちの声援を背に受けて、風は樹海を駆けていく。
そんな中で。ジェミニの姿を見つけたのは夏凛だった。
「――あれ?」
姿なきジェミニの影を探す中。ふと視界の隅に上がった土煙。気になったソコに注視して。
「いた、見つけたわ!」
「本当ですか、夏凛さん?!」
「ええ!あの土煙よ!樹はマーカーで確認して!」
樹がマップアプリを見れば、確かに土煙の辺りに『双子型』のマーカーがある。
「間違いないです!さすが夏凛さん!」
「フッ、完成型勇者ならどうってことないわよ!」
ドヤ顔で答えながら、しかし夏凛は気になる事があった。
「にしても、姿がまだ見えないわね。レオも追い越してそろそろ見えてもいいのに」
言いながらマップを見ると、双子型のマーカーはかなりの速さで迫っている。アクエリアスを追い越すのもほどなくだろう。なのにまだ姿が見えない。
(透明?いや、なら土煙を上げるのはおかしい。他の連中と同じく浮いてればいいんだから)
疑問を抱きつつも美森にも連絡、迎撃の準備をして。
「あ?」
樹が呆けたような声を出す。
「どうしたの?」
夏凛の問いに、樹は迫る土煙を指さす。その示す先を見て。
「は?」
夏凛もまた、呆けた声を上げる。
確かに、そこに異形がいた。穴をあけた1枚の板に、首と両手を拘束されたような姿をしたソレが、ジェミニ・バーテックスなのだろう。
だが2人が呆けたのは、その姿に、ではない。
小さいのだ。他のバーテックスに比べて。
ジェミニは目算で2、3メートルほど。他のバーテックスが数10メートルなのに比べれば、両足で地を駆けてくるのも含めて、あまりにも異端だ。もっとも、ライブラの強風で煽られない程度には重量もあるのだろうが。
見つけられないのも当然だ。バーテックス=巨大という先入観が、姿を探そうとしたときに意識を上に向けてしまい、地面付近を見落とすことになる。勇者アプリにレーダー機能がなければ、完全に不意を突かれるところだ。
「――でも、見つけた!」
夏凛からの連絡で美森もジェミニを捉えた。なるほど小型と速さを追求した姿は不意を突くには適しているが、ばれてしまえばそれまでだ。
相手の速さを加味して照準を合わせ、引き金を引くのに1秒もかからず。放たれた狙撃弾はライブラの暴風の影響も受けず突き進み。
「んなっ?!」
夏凛が驚愕する。
ジェミニは小さくサイドステップ。軽やかに銃撃を避けた。
「そ、そんな?!」
美森もまた焦りの声を上げる。速度を碌に落とすことなく方向転換が出来るとは思いつかなかったのだ。
しかし。
「――なら!」
そこですぐに別の発想に至るのは、頭の回転の速さゆえか。
次に美森が狙ったのは、ジェミニの進む先、その足元。動きを鈍らせてから次撃で確実に当てるための牽制弾を撃ち込む。地面につこうとする足を撃たれれば転ぶほかにない。
だが、撃った瞬間にジェミニは回避に転じた――撃たれた瞬間に、弾丸の軌道も着弾地点も分かるとでもいうのか。脚にさらに力を籠め、ジェミニが跳ねる。足元を狙った一撃は虚しく地面を削るに留まった。
――美森の予想通りに。
「逃がさないっ!」
避けられない状況を作るのが目的なのだから、転べばよし。跳び上がる回避もあり得るが、地面を走るバーテックスなら空中では身動きとれない。
本命の狙撃をジェミニの胴に放ち――
それさえもジェミニは予想していたのか。
足を振り上げ、銃弾を蹴り弾く。大型のバーテックスの体躯も削る威力を有する銃弾は、しかしジェミニの足に傷を残すこともなかった。サイズこそ小さいが、足の強度は並はずれているようだ。
「そんな……」
自信のあった本命の一撃を阻まれて、美森の口からは力ない呟きが漏れた。
「東郷さん、しっかり!」
そう励ます友奈も、自分の声に焦りが強く含まれていることに気づいている。何しろ現在、友奈は未だ立ち上がることも出来ないのだから。
「なんつー避け方よ……」
夏凛たちと合流した風が、戦場の様子を見て呻く。バーテックスが「避ける」というのもこれまでほとんど見ていない光景だというのに、銃弾を蹴り弾くとは。
「感心してる場合?!あたしたちでジェミニを抑えないと、抜かれたら追いつけないわよ!」
夏凛の叱咤に頷き返し、風が前に出る。
「アタシ、夏凛、樹の順でどうにか動きを抑えるしかないわね。転ばしたらすぐに封印するわよ!」
あの速さに対応出来るか。それが勝負の分かれ目になると、風は理解した。一度防衛ラインを抜かれたら、走って追いつけるとは思えない。
「あの水場ですっころんでくれりゃいいんだけどね……」
こちらの攻め手を封殺したアクエリアスの水場。立ち入れば転倒不可避の地帯にジェミニはどう出るか。対応出来ずに転倒してくれればいいのに。
そんな風の願望は、当然ながら叶わない。
小さくジャンプしてアクエリアスの水場に飛び込んだジェミニは、バランスを取りながらより一層早く地面を滑走していく。その姿、まさに。
「スケートかーい!!!」
渾身のツッコミを入れながら、風が大剣を数10メートルまで巨大化させる。踏ん張りの効かない水場に入らず、かつ広範囲を薙ぎ払うにはうってつけの形態だ。
その横薙ぎを、ジェミニは上体を大きく後ろに反らし、ブリッジのような姿勢を取ることで回避した。
更にその姿勢で進行方向を横に変え、身体を起こせば滑らかに複雑なカーブを描いて夏凛の連続投剣を回避。樹のワイヤーはその場で高速回転しつつ足技で切り払ってみせる。バーテックスとは思えない妙技。
「フィギュア、スケート……」
呆気に取られた樹がそうこぼしても無理はない。
「このおっ!」
風の2撃目。今度は剣の腹でぶっ叩くような薙ぎ払い。これなら地面スレスレまでを攻撃範囲に含めることができる。
だが、未だライブラの強風が荒ぶ中、そのモーションはどうしても素早く、とはいかない。ならば銃撃も見切るジェミニには通じない。
大剣の一撃を軽やかに跳んで避け――のみならず、刃を踏んで更に跳ぶ。
「!!」
慌てて剣を普通サイズに戻すが、もう遅い。加速と回転の勢いを載せたジェミニの必殺キックが風に襲い掛かる。
「うああ!」
大剣で受けても尚強烈な衝撃を受けて、風は弾き飛ばされた。
「このおっ!」
風を蹴り飛ばしたことで生じたわずかな隙に夏凛が切りかかる。だが、夏凛の斬撃が届くには僅かに足りず、一度着地を許してしまえばジェミニの速さは勇者を上回る。
数歩後ずさってからの、夏凛を飛び越える前方宙返り。
トリッキーな動きに夏凛は追従出来ず、振り向こうとした時には背中に痛撃を受けて前に突き飛ばされる。夏凛の背中を足場代わりにして、ジェミニは更に前進したのだ。
「お姉ちゃん?!夏凛さん?!」
頼りになる2人が容易く抜き去られて、樹は悲鳴じみた声を上げた。今、ジェミニと自分との間には誰もいない――自分が、最後の防衛線だ。
再び地面に降り立ったジェミニが、人間のように顔を上げる。当然そこに表情などないが――
「!」
ニヤリという笑みが見えたような気がして、樹は一歩後退る。その怯みに付け込むように、ジェミニは一気に駆け出した。
「っ、ああああああ!」
弱気を叱咤して樹がワイヤーを振りぬく。自身を捉えようとするその攻撃を、ジェミニはやはり足技で払おうとした。
(!そうだっ!)
だが、樹のとっさの判断が先ほどの二の舞を阻む。
放ったワイヤーの、張力を消す。張りつめた糸なら斬り弾けるだろうが、ただ風に漂う糸はそうはいかない。ジェミニの足に絡みつく。
そこで再び張力をつければ、ジェミニの片足を封じられる――!
樹が自身の閃きを実行に移すより、ジェミニの対応は早かった。これまでを上回る速さで樹に突進する。
「きゃあっ!」
木霊が展開した精霊バリアにぶつかるがおかまいなし。樹を巻き込んでジェミニは神樹への突撃を続ける。
「樹ちゃん!?」
美森が狙撃銃を向けるが、引き金を引けない。樹を巻き込んだ事でジェミニの速度は落ちたが、逆に樹に当たる恐れが出てしまった。バリアが防ぐといってもはいそうですかと撃てるほど、美森の肝は鋼鉄ではない。
「!東郷さん、上!」
友奈の声に顔を上げると、いったん収まっていたレオの火球が再び降ってきている。ジェミニの突破を支援するように。
「……抜か、れた」
こちらも火球の雨を受けながら、夏凛が青ざめた顔で呟く。
勇者の身体能力では、ジェミニには追い付けない。美森の狙撃も奏功しない以上、ジェミニを止める術はない。
レオのような強大なバーテックスに押し負けるような事は、夏凛も覚悟してはいた。
だが、あんな小さな、足の速さに特化したような相手に、戦うことも出来ずに負けることは、考えてもいなかった。
「そんな……」
力の抜けた呟きが夏凛の口から洩れる一方、身体を起こした風もまたその光景を目の当たりにして、叫ぶ。
ジェミニの突進に巻き込まれ、姿が見えなくなった、大切な妹の名を。
「樹ー!」
その叫びが、樹の耳に届いたわけではない。
ジェミニの体当たりと高速移動に巻き込まれて引き離されている上に、神樹の根にぶつかりそうになれば精霊バリアが発生して弾かれそうになって揺さぶられているのだから、聞こえるわけがない。
だが、樹の心には、自分の身を案じる風の叫びが確かに聞こえた。
(お、姉ちゃん……)
また姉に心配をかけてしまっている事が、不甲斐なかった。
風の背中に守られて、いざ脅威と向き合えば怯む自分が情けなかった。
並びたいはずの背中が遠ざかっている事が悔しかった。
このままバーテックスが神樹様にたどり着いたら、世界もろともに、自分は姉の隣に立てないままで終わってしまう。
(そんなの、嫌だ!)
その激情が、閉じかけていた瞳を押し開く。
眼前にはジェミニ・バーテックス。世界を滅ぼす敵。力比べでは自分は及ばない壁をどうすればいいのか。
樹の中に答えはない。
だが、頭が答えを出すより先に、身体が動いていた。
スマホを手の中に呼び出し、画面をタップする。
勇者システムには、勇者をパワーアップする機能が含まれている。それは、戦いを通して蓄積された神樹様の力を一気に解放することで、通常を遥かに上回る力を勇者に与える、まさに逆転の切り札。
その機能の名は。
「満、開!」
その刹那。
宙に鳴子百合の花が咲き誇った。
アクエリアス・バーテックス、水が飲まれないよう喉に絡む粘性を獲得するの巻。
牙狼、まさかのTV新シリーズですよ。
基本1話で起承転結があった今までのシリーズとは違い、ホラーとの闘いより「神牙」で強調された「業深い人間」が更に前に出てきて、人間同士でゲーム(?)の中で殺し合いが行われるという展開は、挑戦的で好みが分かれるでしょうね。個人的には「う~ん?」です。
神牙の如くバッドエンドに進むのか、或いは光が差し込むのか……ひとまず最後まで見てみましょう。