負の感情に支配された風に、涛牙は如何に立ち向かうのか?
「何をやっている?犬吠埼」
壊れた瀬戸大橋を臨む公園で、海から吹く風にコートを翻しながら、涛牙はただ静かに問いただす。
だが、問われた風の表情が無に変わっていく様子を、夏凛は見ていた。怒りが収まった――わけではない。夏凛の背中を冷たくさせるのは、風からあふれ出すフツフツとした憤怒だ。
「そう……そうだったわね……」
深く深く。圧し込めた怒りは沸点を飛び越えている。
「ちょ、風。待ち」
「アンタは――ずっと、アタシたちを、騙してた」
怨嗟に満ちた言葉は静かに。しかし、それを聞き取った涛牙は一つ頷く。
「ああ」
いつもと変わらない、短い返答。それが風の怒りを爆発させた。
「潰してやるっ!アンタも大赦も、潰してやる!!!」
その踏み込みの速さに、夏凛が目を剥く。先ほどまでの戦いのときよりも、その突進は更に速い。
夏凛相手の戦い、風は無意識ながら手加減があった。
共に肩を並べてバーテックスと戦った勇者の仲間だし、自分たちを気遣っていたことも気づいている。なにより、風にとって潰す敵はあくまで「大赦」。夏凛はいわば障害でしかなかった。
だが、涛牙は違う。
共にバーテックスと戦ったわけではないし、当の大赦から派遣されたお目付け役。障害ではなく、敵だった。故にその突撃は夏凛に対するそれを上回る速さで、突進からの唐竹割も容赦なく速い。
一閃された斬撃は地面を深々と切り裂き、突風を巻き起こす。バーテックスを討ち滅ぼす一撃だ。ただ立ち尽くしていた涛牙など薄紙同然で
「それは、ダメだ」
だから、その声に風は背筋を冷たくした。
「これは、人に向ける力ではない」
風の大剣を自身の剣で抑え込んで。涛牙はただ静かに告げる。
涛牙の動きが見えていたのは夏凛だった。
夏凛自身でさえ避けきれないだろう速さの風の一撃。それに対して涛牙は、ただズレた。
風が刃を放ったその刹那。交錯するように半歩踏み出し、左足の親指を支点に半身に開く。まっすぐに振り下ろされた風の大剣を、涛牙はそれだけで無効化した。
のみならず、振り下ろされる風の剣に自身の剣を合わせ、振り下ろす勢いを加速させる。
結果、風の大剣は深く地面を切り裂いた――風の、勇者の膂力を以てしても容易く抜けないほどに。
「くっ、この……!」
大剣を抜こうとするが、抜けない。地面に深く刺さったこともあるがそれ以上に、妙に重い。
(コイツ……こんな力を!)
昏い気持ちが零れだす風を見やり、涛牙は言う。
「勇者の力は、バーテックスを討つ力だ」
正論。だが、感情的になった人間に対する正論は、感情を逆撫でするしかない。
「うるさいっ!治らないって知ってて素知らぬ顔してたお前が言うな!」
その怒号に、
「――仮説が当たりか」
ボソリ、と呟く涛牙に、風は表情を更なる怒りに染める。
「何のことよ!?」
「樹に聞かれた、治るのかと。仮説と前置きして、治らないだろうと答えた」
その言葉に、風の表情が抜け落ちる。
「――は?」
「そうか。事実治らないのか。――後で改めて伝えるか」
とぼけたような涛牙の言葉は、風の耳には入らない。暗くなった視界に浮かぶのは、樹が手を伸ばし、届きかけた輝ける
それが、風を更に荒ぶらせる。
「ガアアアァァァッ!!!」
地面から抜くのではなく、突き刺さった地面もろとも涛牙を吹き飛ばすつもりで、大剣を渾身の力で振り上げる。勇者の力はアスファルトを砕きながら、大剣を抑えていた涛牙をもろともに宙に跳ね上げた。
弾き飛ばされた涛牙を追って、風も地面を蹴る。横薙ぎの刃は着地する涛牙を過たずに捉えていた。
(仕留める!)
殺意を込めた必殺の斬撃。涛牙はそれをただ見ていた――落ち着いた瞳で。
甲高い金属音が一つ。そして、風の目に映ったのは、大剣をすり抜け正面に着地した涛牙の姿。
「なっ?!」
風の一撃に涛牙は自身の剣を打ち込み、激突の衝撃を活かしてきりもみ回転。迫る大剣を背面跳びの要領でかわしてみせたのだ。
そして、大剣を振りぬいた風は逆に無防備を晒す。その風の顔面に、涛牙が刺突を見舞った。
(しまっ――)
予想外の反撃に風の身体が咄嗟に竦む。視線は自分に向けられた切っ先につい釘付けとなり――そこでピタリと止まる。
「?」
生じた隙と、上体が反れた一瞬を、涛牙は逃さない。剣を手放してかがみこみ、身体をコマのように回転させながら左手で腰から抜いた鞘を風の足首に見舞う。打ち据えるのではなく、足を引っかけるような動き。
バランスが崩れていた風はその変化に対応できない。片足が宙に浮いて仰向けに転びそうになる。そこに涛牙は剣を掴み直しながら更に接近。肩から風の身体に触れ、
「はっ――」
気迫と共に踏み込む。体当たりだ。踏ん張る事も出来ずに風は押し飛ばされた――宙に浮いたまま2、3メートルは飛ばされただろうか。
更に風に追撃を加えようと奔る涛牙に、風は破れかぶれに大剣を振るう。追い払うために素早く振るわれたその大剣はさすがに避けきれないとみて涛牙は自身の剣で防ぎ、そのまま大きく弾き飛ばされる。
「っと」
だが、そんな勇者の一撃をまともに受けて、剣は折れも曲がりもせず、涛牙自身も危なげなく着地。軽く息をついて構えを取り直す。
一方の風は、この攻防で上がった息を整えようと大きく呼吸を繰り返した。
そんな2人の様子を見れば分かる、どちらに余裕があるか。
「なんでよ」
だから、風の口からは怨嗟が漏れ出す。
「そんなに強いのに!なんでアンタは戦わないのよ!」
その叫びに、涛牙はただ一言返す。
「バーテックスと戦えるのは、勇者だけだ」
「――ふざ、けるなぁッ!!!」
冷たい返答に、風は再び吠え猛る。開いた数メートルの距離を一息に詰め、大剣をがむしゃらに振り回す。
「強いんなら戦いなさいよ!知ってたんなら教えなさいよ!そうすれば、樹や友奈たちを巻き込むことなんてなかった!後遺症で苦しむことなんてなかった!」
「お前が知る以上の事は知らないんだが」
対する涛牙は軽やかにかわし続ける。揮う剣は風の攻撃をいなし、鋼のぶつかり合う音が鳴り響く。
「嘘つけ!みんな知ってたんでしょ!?『満開』の代償も!バーテックスがまだいるってことも!」
「バーテックスの数は、確かに。だが代償の事は知らなかった。知っていれば先に教えている」
「なにっ!?」
「――代償ありのシステムと知っていれば、本格的な特訓を進言した」
「!」
何度かの剣戟の後、涛牙は後方に大きく跳んだ。軽く手首を振るって痺れを紛らわせて、再度構えなおす。
「俺も見込みが甘かった。勇者を使い捨てるとは思っていなかった」
それは涛牙の本心だ。バーテックスから人類を守る最終戦力こそが勇者。他に候補者がいるとはいえ、当然大切にするものと思っていた。
身体機能を対価とする機能について伝えておかないなど、想像もしていなかった。
「そうと知っていれば。部活を控えさせてでも戦闘訓練に重きを置いた」
風や夏凛とシミュレーションするだけでなく、他のメンバーも交えて心身共に戦いに向けて鍛えるくらいの事は提案する。
「強く言わなかったこと。それは俺の落ち度だ。それを加味しても、言わせてもらう――勇者の力はバーテックスに向けるもの。人に向けるものじゃない」
「うるさいっ!」
吠えて、風は再び切りかかる。突撃からの横薙ぎ。対する涛牙も風に向かって踏み込み――地面を這うほどに体を沈めて風とすれ違う。振り返ろうとする風。だが、その首が不意に変な方向に引っ張られる。
「?!」
原因は、涛牙だった。
勇者の姿となって三つ編みになった、ツインテールの長い髪。それは当然風の後を追って動く。そして、髪を掴むくらいでは精霊バリアは発生しない。
すれ違いざまに風の髪をひと房つかみ取って、涛牙はそれを軽く引っ張ったのだ。当然、髪とつながった頭は引っ張られる動きに従って変な方向に曲げられ、姿勢も容易く崩れる。
後ろに引き倒される風の背中に、涛牙の足が添えられ、そのまま上に蹴り上げられる。
縦回転しながらどうにか風は地面に手を突こうとして、その手を剣を収めた鞘に打たれて顔面から地面にぶつかる。狗神がバリアを張って防いだが、咄嗟に目をつぶったところを横合いから涛牙に足で押されて地面を転がされれば、自分の態勢も分からなくなる。
そうして気づけば、風は背中から涛牙に抑え込まれていた。
「ぐっ?!」
身をよじろうとするが、うまい具合に関節を固められたせいで、勇者の力でも振りほどけない。
「ひとまず、落ち着け」
上から降ってくる涛牙の声に、ギリと歯噛みする。勇者を容易く抑え込める力があるのに、バーテックスとの戦いを勇者に押し付けていた大赦に向ける怒りが更に増していく。
「繰り返すが、勇者の力は――」
言葉を続けた涛牙が不意に口をつぐむ。涛牙の視界の隅に、フワリと精霊が出現したから。イタチに似た姿をした風の精霊、鎌鼬。
「!」
咄嗟に跳び退り、鎌鼬が放った小刀をかわす。今の風は、動きを止めても攻撃自体は可能だったのだ。それはバーテックスに対しては牽制程度の効果だが、人間に向ければ十分命を奪える。
そうして自由になった瞬間に、風もまた攻撃を放っていた。大剣を叶う限りの速さで振り抜く。
切っ先に、小さな手ごたえがあった。
肩にぎこちなさを覚えながらも風は大剣を構えなおす。その視線の先で、蹈鞴を踏みながらも涛牙も構えを取った。鞘を腰に戻し、右の半身に構えた、居合の姿勢。
その涛牙の頬から血が吹きこぼれる。
「あ……」
その赤を目にして、風は息を詰まらせた。
一方の涛牙は、かすかに視線を向けただけ。傷を意に介していないのは明白だった。
「ア、アタシの邪魔するからよ!」
咄嗟に口から出た声は震えていた。犬吠埼 風は勇者に選ばれる心の持ち主だ。他人を傷つけるのが好きなわけでない。それでも、その優しさを圧してでも彼女にはやらなければならないことが――。
「どうした、犬吠埼。震えているぞ」
傷を拭いもせず尋ね返す涛牙に、風の方が後ずさる。そんな風ににじり寄りながら、涛牙は続ける。
「まさか、大赦に殴り込んで、血が流れないと思ったか」
その言葉に、ヒュ、と風の喉が震える。そんな風の様子に、涛牙は目を眇めた。
「勇者の力を揮えば、人は容易く蹴散らせる。大剣でそれをやれば――両断された死体が山となるだろうな」
或いはそれは、「まさか考えていなかったのか?」という呆れまじりの視線か。
「バーテックスと違い、死体は残る。血や臓物をまき散らして。当然、死体の片付けも必要だ。動物の餌になるにしても時間がかかるしな」
「あ、う」
言われて、風は更に後退る。のみならず、大剣を握る手が、足が、口元が震えだす。自分がしようとした事、その先にある事を突き付けられて。
「ああ、返り血を浴びれば血の匂いが自分にもつくな。服や手足は――変身を解けばいいが。そして、そんな状態で、お前は樹におかえり、という事になる」
その言葉が、風を完全に打ちのめした。手から力が抜け、大剣が地面に落ちる。
「うあ、あああぁぁぁ」
力なく膝をついて、慟哭する。
大赦に乗り込み、そこにいる連中全てに思い知らせる――大剣で斬り捨てる――血まみれになって死体の山を築き、その手で樹に晩御飯を作る?
出来るわけがない。そんな姉の姿を見て、樹が喜ぶはずもない。
つまり、自分がやろうとしたことは、樹のためでもなんでもない。自分の鬱憤を晴らすだけの――。
「じゃあ、どうすれば、いいのよぉ……」
地面に爪を立てて、風は呻く。
「大赦に言われるままにみんなを巻き込んで、命がけで戦わせて、きっと治るってぬか喜びさせて。アタシは、どうすれば、顔向け出来るのよ……っ」
それは、悔恨だ。
最初の戦いの時、風は自分1人で戦うつもりだった。
何の事情も知らされないままに、友奈も美森も樹も世界を賭けた戦いに巻き込まれたのだ。訳も分からず戦えと言われて、すぐさま頷ける者がどれだけいるというのか。
なのに、樹も、友奈も。何も分からないままに自分と共に戦ってくれた。それが風にとって、どれだけ心強かったか。
だが。今となっては思ってしまう。自分1人でやればよかったのではないか、と。せめて『満開』は自分だけ使っていれば。友奈も美森も樹も、御役目の後は当たり前の日常に戻って、笑って生きていけたはずなのに。
自分に後遺症が残っても、それは皆を守った勲章のように思えたのに。
「せめて、大赦に思い知らせないと、ダメじゃないよぉ」
そうして自責の念に潰されていく風に、涛牙は構えを解いた。もう、風に戦意はない。そして、視線をずらして言う。
「なら、当人と話せ」
背後から近寄る足音にえ?と風が顔を上げると、勇者姿の友奈と、樹が、いた。
夕暮れが迫る河原で、友奈と樹は肩を並べて座り込んでいた。無言で。
どちらも口を開けなかったのは、見かけた相手の様子が普通ではなかったから。
友奈にしてみれば、暗い面持ちで川面に石を投げ込む樹は尋常でない落ち込み様に見えたし、樹からすれば、友奈の表情は始終追い詰められたように見えた。
(何か悩んでるのかな……?もしかして、風先輩から、散華の事を聞いちゃってるのかな?)
(友奈さん、どうしたんだろう。こんなに難しい顔してるなんて。……もしかして、今までも一人の時はこんな顔になってたのかな?)
結果、相手を1人にすることも出来ず、かといって抱えた悩みを打ち明けては相手を潰してしまいそうで、という奇妙な拮抗状態が生まれていた。
そんな時に、夏凛から飛び込んできたNARUKOメッセージ。
『風が暴れてる!来て!』
メッセージを一読して、しばし見つめ合って。
2人は大慌てで勇者に変身、アプリに表示された風と夏凛を全力で追ってきたのだった。
「あ……」
2人の姿を見て、風は顔色を更に青ざめさせる。2人とも自分が勇者部に――御役目に引き込み、その果てに身体の機能を散華させた相手。
何か言おうとして、しかし言葉は出ないで喉を鳴らすしかできず。
そんな風に、一歩前に出たのは友奈だった。
「風先輩」
「っ……」
何を言われるのか、身体を固める風に、友奈は柔らかく微笑みかける。
「こんな事は、やめてください。風先輩が人を傷つけるところなんて、見たくないです」
「でもっ!」
言い募る風に、友奈も視線に意思を束ねて突き返す。
「もし後遺症の事を知らされていても!きっとわたしたちは戦ったはずです!『満開』だって、他に方法が無いなら、迷わず使っていました!」
それは、紛れもない事実。
先の決戦の折、『満開』を使っていなければバーテックスの侵攻を止めることは叶わなかった。代償があると知っていたとして、恐れて『満開』せずに世界が終わる結末を受け入れる勇者は誰もいない。
「でも……後遺症があると知っていたら、アタシはみんなを巻き込んだりしなかった。そしたら!みんなは無事だったんだ!」
そう叫ぶ風の頬をペチン、という音を立てて平手が打った。
軽い、強い力がこめられていない平手打ち。けれど、それは風の心に強く響いた。
「え……」
唖然とした顔で見返すと、平手を振り抜いた樹が、フルフルと首を横に振っていた。
「いつき……。でも、アタシが樹を巻き込んだせいで、夢が」
尚も続ける風に、更に首を振り、樹は1枚の紙を見せる。
それは、1学期の歌のテストの時に、樹を上がり症から解放した寄せ書き。
怪訝な顔で寄せ書きを見る風に、樹はペンを取り出して余白に言葉を連ねていく。
『私は、ずっとお姉ちゃんの後ろをついて歩いてた。自分から何かするのが怖かった。でも、勇者部に入ってお姉ちゃんやみんなに助けられて、自分で何かを決める勇気が持てた』
「樹……」
震える声で妹を見上げる風に微笑んで、樹は更に書き加える。
『勇者部のみんなに出会わなければ、自分は歌が好きなんだってことも、歌いたいって夢を持つことも出来なかった。勇者部に入って、本当によかったよ』
そう記された寄せ書きを見て、風の瞳からまた涙があふれ出す。だがそれは怒りと憎しみからの涙ではない。悲劇に見舞われた悲しみと、そこから立ち上がろうとする強さからの涙。
「いつ、きぃ……」
もう、風の中の憎しみは収まった。騙していた大赦への怒りも、燻りこそすれ力で思い知らせようという気持ちは失せた。
「ごめんね、アタシ、なさけないおねえちゃんでっ……!」
まだ自己嫌悪を残す風を、樹はそっと抱きしめる。
情けなくなんてない。風がこれほどに怒り狂ったのは、共に戦った勇者たちのため。みんなを大事にするからこそ、それが蔑ろにされることに憤るのだ。
勇者部もそうだ。本来なら部として作る必要もない、人のために活動する部活。そんな部を作った風が、情けないなんてない。
そんな樹の気持ちが心を通して伝わったのか、風は表情をクシャリと歪め――ずっとこらえていた泣き声を上げた。
「う、うわぁあああああああああああああああああああん!」
そんな様子に自身ももらい泣きの涙を浮かべながら、友奈は2人から少し距離を取る。ここは姉妹水入らずにする場面だ。
それに、気になる事もある。
「それで、涛牙先輩は――」
なんでそんな格好をしているのか、なんで勇者となった風と戦えるのか。それを聞こうとして。
「夏凛ちゃん!?」
夏凛が、涛牙の背後から刀を突きつける場面に驚きの声を上げる。
一方の涛牙は、死角から切っ先を向けられていることに、まるで気づいているように悠然と夏凛を振り返る。その、落ち着き払った視線を見返して、夏凛は言葉を紡いだ。
「――あたしには兄貴がいてね。少し年は離れてるだけどこれがとんでもなく優秀で。若いのに大赦のそこそこの立場になるくらいなのよ」
……実のところ、夏凛はそんな兄と比較され続けてきた。何をしても優秀な兄と、それに追いつけない妹。両親もまた、兄は褒めても夏凛には「なぜ兄のように出来ないのか」という態度だ。その兄は夏凛を庇ったりほめたりするが、それが猶更夏凛の自尊心を傷つける。
そんな夏凛にとって、勇者としての資質を見いだされ、選抜を経て勇者と選ばれたことは、そんな兄にも出来ないことを自分が為しているというある種のプライドそのものでもあった。
「それで、さ。兄貴に聞いたのよ。勇者候補への補佐について」
一方的とはいえ確執ある兄へ質問するのは、夏凛にとっては或いは御役目以上のプレッシャーだった。それでも、確かめたい事があったのだ。
白羽 涛牙。勇者の補佐役。彼についての話が、大赦からは何も聞かされていなかったから。そして、その結果。
「――勇者の補佐役なんて、大赦は派遣してないそうよ」
その夏凛の言葉に、友奈もえ?と声を漏らす。大赦の次は、勇者部の黒一点として頼りになった涛牙が嘘偽りを騙っていたというのだから、無理もない。
「話しなさい、白羽 涛牙。アンタは、何者?」
射貫くような夏凛の視線、そして見えてはいないが友奈からの疑念の目。それを意識しながら涛牙は小さく息を吸い。
不意に辺りを包んだ気配に目を見開き、あらぬ方向を向き直る。
「驚いたな。勇者が現にいるとは」
同時に聞こえてきた新たな声に、友奈と夏凛もまた同じ方を振り向く。そこには、先ほどまでいなかったはずの人影があった。
声と背の高さからすれば成人の男性。伸ばした黒い髪に、全身をスッポリと隠す黒いマントと文字通りの黒尽くめ。残暑の折は見るだけで暑苦しくなりそうだ。
だが、感じるのはむしろ冷たい気配。背筋を伝うのは冷や汗か。
その黒尽くめは、樹の背後に立っていた。そして、その手にした鋼が夕日を照り返している。その黄昏色の光は樹の背に突き立ち、風の背中から抜けていて――。
「え?」
見間違いかと思い、友奈は目を瞬かせる。だが、見直しても変わりはない。
黒尽くめの男が持つ刃が、犬吠埼姉妹をまとめて串刺しにしていた。
「……地元には、運が転がっているものかな」
そう嘯く男の顔は、穏やかな微笑みを浮かべて。
「――クナガァァァァァァ!!!」
黄昏色に染まる世界に、涛牙の咆哮が響き渡る。
花は陽光の下に咲くもの。
刃は夜闇に閃くもの。
ならば両社が交わるのは、黄昏時こそ相応しい。
なんてね。