だが気をつけろ。
日常の中に陰ある限り、ヤツらの足音もすぐそこにある
梢の葉も落ち、冬が深まりゆくある日。
廊下の途中で、不意に白羽 涛牙は足を止めた。
何かを堪えるように目を閉じて深呼吸。再び開いた眼差しは、普段よりも剣呑な鋭さを増していた。
「はぁ……」
ため息を一つついて気分を落ち着かせてから、再び歩き出す。
廊下ですれ違う生徒や教師も、ある者は表情に困惑を浮かべ、またある者は困ったように苦笑いをする。遂には涛牙を目にした年嵩の教師が小さく頭を下げてきた。
自分ではどうにもならないんでどうにかしてくれ、というジェスチャーだ。
そんな反応も、部室に近づくにつれて聞こえてきた音を考えれば無理からぬことではあった。
それは、凡そ中学校の中で聞こえてはいけない類の音であった。
「うどんうどんうどんうどんうどん!ウドンウドンウドンウドン!!饂飩饂飩饂飩饂飩饂飩!!!」
ギターを掻きならしながら少女が声を張り上げる。
その周りでは風がドラムを華麗に叩き、キーボードからは樹が弾くメロディが流れる。だが、ベースを弾く夏凛ともども3人の顔にはどこか諦観が浮かぶ。
「ぅんうまあぁぁぁい!!!!」
何故だか琵琶を弾く美森と、お子様ランチに刺さっているような小旗を振っている友奈だけは楽しそうだ。
「わあ!カッコイイ歌だね!」
「うどんが、沁みるわ」
だが、その称賛にギターを弾いていた少女は何かスイッチが入ったように吠えた。
「ウオオオオオオ!私のロックはこんなものかーーー!!!」
周囲が気圧されるほどの咆哮。だが、
「ギターは友だち~。よしよし」
先ほどまでの狂乱が嘘のように落ち着きを取り戻す。
「……なんか、ヤバいサプリでもやったの?」
夏凛がそう言うのも無理はない。
「サプリはないけど、常識なんてぶっ飛ばして、テッペン取ってやんよー!」
「いや何の!?」
またぞろテンションを上げる少女に風がツッコミを入れるが、少女は聞く耳を持たない。
「ドラムの風先輩、キーボードいっつん、ベースのにぼっしー!そして琵琶のわっしーにパフォーマーゆーゆ!これだけ揃えば怖いもんな~し!」
「パフォーマー?旗振ってるだけ――」
「ええ!テクノバンドにパフォーマーは不可欠よ!友奈ちゃんの愛らしさなら何をやってもバンドを華やかにするわ!」
「わ~い!頑張るね!」
夏凛の疑問を美森が強引にぶった切り、乗っかった友奈が張り切り声を上げる。
「テッペンとってやんよぉぉぉ!ぬがああああああ!!!」
再び少女が声を張り上げ、
ガラリと扉が開いた。
その向こうから覗く涛牙の座った目つきに、少女が一瞬「ヤベッ」という顔をするが、
「ヘェイ、白パイセンも“Yusya-Bu!”バンドに入らないかムギュ」
勢いで押し切ろうとした少女の頬を、涛牙の手が掴んで声を出せなくする。おちょぼ口になってモガモガを呻く少女からを目の端に捉えながら涛牙は静かに口を開く。
「――それで、何をやっているんだ?」
冷たく押し殺した涛牙の声に、少女――乃木 園子の頬を冷や汗が伝う。
一方、涛牙の視線を受けた風は苦笑いしながら肩をすくめた。
「いや~。乃木が『青春を取り戻すんよ~』とか言いだして。青春と言ったらバンドだとか何とかでこんな感じに」
指先で器用にスティックを回す風の返事に、涛牙は軽く首を傾げた。
「……青春って、15歳かそこらくらいからじゃないかと思うんだが」
「そう?進んでる子は中学入るくらいから青春なんじゃない?知らないけど」
興味なさそうに言い捨てる夏凛に小さく頷いて、涛牙は更に視線を楽器に向けた。
「で、これはどうした?」
これに答えたのは樹だった。
「えぇっと。何だかトラックで運び込まれてました」
「大赦のか?」
「だったかしらね?ちゃんと見たわけじゃないけど……」
何となく宙を見上げて言う風の言葉に、呆れたような声音が上がる。
『神官どもも、大赦に務めてまさか楽器を中学に運び入れるような仕事があるとは思わねぇだろうなぁ』
胸元から上がったディジェルの声にため息をもう一つついて。涛牙は園子の頬を掴む手を離した。
ウウウ、と頬をさする園子に座った視線を投げてから、呆れたような声で涛牙は言った。
「バンドで青春もいいがな。放課後でも、場所は、せめて、選べ」
言いながら示すのは、勇者部部室となっている家庭科準備室。言うまでもなく、防音措置は施されていない。
「……音楽室なりなんなり、楽器鳴らしても音が漏れない場所を借りたらいいだろう?」
その言葉に、風がかすかに頬を引きつらせる。
「あ~。やっぱり楽器の音うるさかった?」
「……一番響いていたのは、乃木のシャウトだがな」
「ギャフンッ」
よく分からない悲鳴?を上げる園子だった。
さて。
何故に乃木 園子が勇者部の部室にいるのか?話は数日前にさかのぼる。
勇者部のメンバー同様、園子もまたかつての戦いの中、散華によって失った機能を取り戻していった。さすがに20回を越える『満開』は相応に多くの身体機能を失わせ、そこに2年という時間も加わった事で他の勇者よりも復帰は遅くなった。それこそ心神喪失していた友奈よりも時間がかかったくらいだ。
それでも、時間こそかかったが園子もまた失われたモノを、ありふれた少女としての日常を取り戻したのだ。
そして。勇者の御役目から解放された園子は普通の生活に戻り――なぜか讃州中学に編入してきた。
地元である大橋市にある中学、もっといえば小学生時代に通っていた神樹館の中等部にではなく、讃州中学に来た理由はと言えば。
「そりゃあもちろん!わっしーと一緒に中学生活を送りたかったからだぜ~」
――との事である。
前触れなく現れた園子に、わっしーこと美森を始めとした勇者部メンバーはごく当たり前に歓迎した。
一人、夏凛だけは。
「あ、あの伝説の勇者が……」
などと衝撃を受けたり。いつも間にか園子の中でつけられていた「にぼっしー」なる綽名で呼ばれて身をよじったりしていたが。
だが。公立中学に大赦マークの入ったリムジンで乗り付けてくる少女が常識の範疇で動くわけもなく。
もともと直感やひらめきに秀でる上に頭の回転も知識もある文字通りの天才少女が、そのアクティブさを全開にすればそりゃあもうとんでもない事になるわけで。
まして乃木家と言えば、一般にも大赦有数の名家と知られる名門だ。そんな名家の御令嬢がヤンチャをしていて、面と向かって物申せる者など大人を含めているわけもなく。
校内で園子は瞬く間に注目の的になっていた。
「ううう。バンド“Yusya-Bu!”は今日を以て解散なんよ~。解散ライブなんよ~」
ところ変わってカラオケ店で。ギターを撫でながら愚痴っている園子に美森は慰めの声を掛けた。
「そのっちしっかりして。音楽性の違いはぬぐえなかったのよ」
その声を背中に扉を閉めて。
涛牙は小さく呟いた。
「……音楽性の違いはどこにあった?」
「ハイ、そーゆうヤボなツッコミは無しよ」
呟きを聞きとがめた風に肩をすくめるジェスチャーを返して、2人はつれだってドリンクサーバーへと向かう。空になった飲み物の補充だ。
「ま。いーじゃないの。乃木も含めて、みんな普通の女子中学生の生活を送れてるんだし」
「普通の中学生は、いきなりバンドの楽器一式揃えたりは出来ないと思うが……」
「まぁねぇ」
ぼやきながら飲み物をグラスに注いでいく涛牙の、あまり変わらない表情にそれでも見てわかる程度の不機嫌が浮かんでいるのを見て、風は小さく苦笑いを浮かべた。
「なんかさ。白羽くん、変わったわね」
「ん?」
意外な事を言われた顔の涛牙に、風は続けた。
「前は周りが何やっててもダンマリで我関せずな感じだったのに。最近は結構喋るしツッコミも入れるし。特に乃木に」
「……初対面でいきなり綽名をつけようとする相手に遠慮する義理がない」
思い出すのは、園子が編入してすぐさま勇者部に入ってきた時。
すでに綽名をつけていた美森や友奈以外も、園子はすぐさま綽名で呼び始めたのだった。
風は「ふーみん」、樹は「いっつん」。夏凛は先述の通り「にぼっしー」。
その流れで、園子は涛牙にも「
その瞬間起きたことを、風は忘れない。
窓際で気配なく佇んでいた涛牙が、綽名を呼ばれた次の瞬間には園子の頭を掴んで挙句片手で吊り上げようとさえした事を。
「――上流階級だから分からないかもしれないが。人を容易く綽名で呼ぶのは控えた方がいいぞ」
ドスの聞いた声で脅されれば、園子と言えど頷くしかない。もっとも、“リン”を抜いて「白先輩」ならOKが出て、園子は複雑な顔をしたわけだが。
「あいにくと俺は世間体を気にする必要がないからな。名家の出だろうと関係ない」
ムスッとした顔で言い切る涛牙に、アハハと乾いた笑いを零して。風はグラスを並べたトレイを持ち上げた。
「そーゆう事ね。でも、前に比べるとホントに話するようになったじゃない。あ、人見知りが治ったとか?」
言われて、こちらもグラスの乗ったトレイを持った涛牙は小さく首を振った。
「実を言うとな。人見知りは確かだが、それ以上に――普段、何を話したらいいかが分からない」
「ええ……」
「相談事への対応とか、話す内容が明確ならいいが、雑談めいたことだと途端に困る。話のネタがないし、うっかり魔界絡みの事を話したらまずいし。だから、無口で通していた」
番犬所から許可が出ているので勇者部には魔界の話をしたが、本来これは秘匿事項だ。聞かれた時は、相手の記憶を消すなりの対応が必要となるが、勇者に対しては心に手を加える類の術がどう影響するか分からない。なので勇者部の面々の前では余計な事を話すわけには行かなかったのだ。
「なんだ。無口だったのってそういう事」
「しゃべりが達者でない事も事実だけどな」
困ったような気配を滲ませる涛牙に、風は悪戯めいた表情を浮かべた。
「なーらー。アタシたちでその辺克服させてあげよっか?歌唱力ともども」
「不要だ」
言い切る涛牙に風はさらにウザ絡みする。
「えー。ちょうど樹が歌の練習に力入れてるし、ついでにいいじゃない?」
煮干し絡みとかで揶揄われる時の夏凛はこんな感じなのか……と思いながら、涛牙は改めて断る。
「押し売り不要だ。……それはともかく、樹が歌を?」
話を変えるのに使えそうだと即断して尋ねると、風は素直に頷いた。
「そ。あの子ったらアタシの知らないところでアイドルのオーディション受けてたのよね」
「樹がか」
姉を敬愛する樹が風に黙ってオーディションを受けるというのは、涛牙にしても意外だった。
「しかも!一次審査通ってたのよ~♪いや~上手い上手いと思ってたけど、世間に認められるほどだったとはね~♡」
無茶苦茶上機嫌になった風に頷いていると、急に落ち込んだ顔になる。
「――分かったのが、よりによってアタシがブチ切れた日だったけどね」
「……あ~」
『散華』の真実を知って風が大赦を潰そうと暴走した日の事と悟って、さしもの涛牙も遠い目をした。なるほど、あの日の風の暴走はただ真実を知らされただけではなかったのかと理解する。
暗いオーラをまき散らして、風はさらに続ける。
「で。病院に担ぎ込まれた時にその辺の話ししててね。あの頃は治ると思ってなかったから、辞退ってことで連絡入れちゃったのよ……」
その後で『散華』で奪われた身体機能は順次戻ってきたのだが、後の祭りという奴だ。
「だから、次のチャンスがあれば、か」
「そうよ。今度こそ機会を逃さないようにってね」
話しているうちに、勇者部が使っている部屋に戻ってきた。微かに漏れてくる声は、デュエットでも歌っているのか夏凛と樹だ。
夏凛が上手な事は知っているが、なるほど、樹もそれに引けを取らないくらいに上手い。
「で?白羽くんはどうする~?」
その声に返答が無く、風が振り向くと、涛牙は何やら後ろの方を見ていた。
「……どうしたの?」
聞かれて、
「いや……」
口ごもるように返す涛牙の顔は、妙に引き締められていた。
軽い足音が遠ざかっていく音は、誰の耳にも届かなかった。
はい、「神の揺り籠」は新たな章に入ります!
ゆゆゆ「勇者の章」までの間のお話となり、要するにオリジナル展開ですが、どうか楽しんでくだされば幸いです。