結城 友奈は勇者である 神の揺り籠   作:ヴィルオルフ

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栄光の座。そこに座れるのはただ1人。
その1人になろうとして、皆が必死に手を伸ばす。
自分を磨き、アピールし、その手に栄光を掴もうとする。
だが、中にはそうじゃないヤツもいる。
足を引っ張り、妨害し、妬みや嫉みに身をゆだねる。

その邪心が滅ぼすのは、まず真っ先に自分だとは思わずにな。



第41話「フェイク・ステージ(偽りの夢想)」

 幼いころから、歌が好きだった。

 わたしが歌えば、家族も友達も笑顔になって、上手だねって褒めてくれた。

 だから。

 もっとたくさんの人にわたしの歌を聞いてほしくて。笑ってほしくて。褒めてほしくて。

 応募したボーカリストオーディション――結果は、一次審査落選。

 

 悔しかったし悲しかったけど、突破した人は互いに鎬を削って、一番の歌手に選ばれるために頑張っているんだと、そう思っていたのに。

「……辞退?」

 わたしが懸命に手を伸ばして届かなかった壁。それを越えておいて――辞退?都合が悪いくらいで?

 鏡に映るのは、悔しさに泣きはらした自分の顔。落選を知らされた時よりもその顔はよっぽどひどい。

 あの時はただ悲しいだけだったが、今は、悔しい・憎たらしいという感情が膨れ上がっている。

 その、鏡の中の自分の顔が歪み、話し出す。

『バカにしてるのよ。その気になればうかるからってね。いや、違うかも』

「……合格者を減らして、愉しんでる……?」

『そうよ。面白半分でオーディションに出て、合格の席を奪っておいて手放す。本気で挑んでいる人が墜ちるのを見るのは、さぞ愉しいでしょうね』

 普通に考えればあり得ない話だ。だが。

『腹立たしいでしょう?悔しいでしょう?憎いでしょう?』

 眼前の影の声は、当たり前のように心に染み込んでくる。被害妄想というべき想いが、いつの間にか自分の中で真実となる。

 当然だろう。その影は自分なのだから。

「にくい……」

『ええ。その恨みを晴らしたいでしょう?なら、わたしにその身を委ねなさい』

 いいや、違う。それは。その影は。

「はらす――うらみ……?」

『そうだ――代わりに――ヨコセッ!』

 陰我を介して魔界から来る人喰いの怪物だ。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「ねえ、犬吠埼さん」

 帰り際、不意に声を掛けられて。樹は振り返った。

 そこにいたのは、樹のクラスメートだ。1学期の歌のテストを機に仲良くなり、カラオケに誘われるようにもなった間柄だ。

「うん?どうしたの?」

「新しいカラオケ店が出来たんだって。一緒に行かない?」

 問われて、少し考え込み。

「うん、いいよ」

 冬になって早く陽が暮れるようになったが、放課後に少し遊ぶくらいの猶予はある。 

 

 そして連れられてきたのは、メインストリートから少し離れた場所。聳えるのは確かに、真新しい建物だ。

「へ~。いつの間に出来てたんだろう」

「さ、行きましょ」

 促されて、しかし樹は少し待って、と告げた。

「お姉ちゃんに連絡入れておくから、ちょっと待って」

 メールで友達とカラオケに行く、とメッセージを打ち込むと、樹もエントランスで手招きする友人についていく。

「犬吠埼さんは歌上手いから、楽しみだわ」

「エヘヘ、ありがとう」

 お世辞に笑い返しながら、背後で自動ドアが閉まる音に樹は小さく息を呑んだ。

 帰り際に話しかけられた時から、その友人に感じていた違和感――嫌な気配。それが少しずつ深まるような、そんな気がして。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

《♪~♪~♪》

 不意に懐から聞こえてきた音楽に、涛牙は歩みを止めた。

 着信メロディーを鳴らすスマホの画面には、「犬吠埼 風」の文字。

「もしもし」

『白羽君っ!樹を見た?!』

 電話に出たとたんに聞こえてきた切羽詰まった声に、さすがに涛牙も驚く。

「ど、どうした?」

『樹が、樹が帰ってこないのよっ!友達とカラオケ行くってメール入れて、それっきり!』

「なんだと?」

 見上げれば、日が沈み宵に入った空はすでに濃紺に染まっている。樹のような真面目な中学生ならもう家にいる時間だ。

「――電話は?」

『繋がんない!電波届かないとか言ってるわ!』

 今の時代、街中で電波が届かないなどあり得ない。

「わかった。こっちも探してみる。犬吠埼は――」

『友奈たちにも連絡入れたわ!樹のクラスメートとかに何か知らないか聞いてもらってる!アタシも商店街とかあたるわ!』

「浮足立つなよ?大切なのは冷静さだ」

 普段は年長らしく頼れる風だが、何のかんの言っても14・5の少女だ。生来の責任感もあって、変なアクセルが入ると暴走する危険性もある。涛牙が念押しするのも無理はない。

『お願い!樹を助けて!』

 涛牙の注意を聞いていたのかいないのか。慌てた口調のままに切られた電話に軽く顔をしかめて、涛牙は懐から魔導筆を取り出した。その筆先を虚空に躍らせ、魔界竜を呼び出す。勇者部のメンバーの周りを警戒させていた魔界竜だ。犬のように、とはいかないが、多少なりとも知っている相手だ。手掛かりなしよりは探しだせるだろう。

「探せ」

 短い指示にこたえるように、魔界竜はヒラリと空を舞った。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 ほどなくして。魔界竜に導かれた涛牙はとある建物の前に来ていた。

「ここか」

 見上げた建物は、確かに「カラオケ」と書かれた看板を掲げていた。店名は、聞いたことのないものだが。

 それ以上の問題は、場所だ。商店街のメイン通りからいくつか小道に入った先。客商売の店が出来るとは考えにくい。まして、この辺りは樹に限らず讃州中学の生徒が気軽に来る場所でもない。

『さぁて、鬼が出るか蛇が出るか……』

 胸元のディジェルの言葉に一つ息をついて。涛牙は扉を押し開けた。

 入ってすぐのロビーにはカウンターがある。が、そこに店員の姿もなければ、客が歌っている声も漏れ聞こえない。訓練を経て常人よりも耳がいい涛牙にも聞こえないのは、よほど徹底した防音措置が取られているのか、或いは――。

「!」

 考えを巡らせるよりも先に。感じた気配に振り向く。

 ロビーから廊下へ繋がる出入口に、いつの間にか少女が立っていた。讃州中学の1年女子用の制服を着た少女だ。

「どうかしたんですか?」

 年頃のかわいらしい声で訊いてくる少女に、しかし背中に走った悪寒に従って涛牙は迷わずライターを懐から取り出した。白い魔導火を灯し、少女の目に炎を映す。

 少女の瞳に、ホラーに憑依された紋章が浮かぶことは、なかった。

「――この子は、ホラーじゃないな」

 微かに混ざる安堵。だがそれを戒めるようにディジェルが警告する。

『だが、無関係でもねぇな』

 魔導火の火を見て、少女の目は何の変化もなかった。ホラーの紋章が浮かぶこともなければ、瞳孔は開きも閉じもせず、視線が揺れる火を追うこともない。

「傀儡!?」

 気づいた涛牙が口に出すのと、数メートルあったはずの距離を少女が一歩で詰めるのが同時だった。側頭部を狙う飛び蹴りに鞘を掲げて盾にするが、伝わってきた衝撃は半端ではなかった。堪えきれずに吹き飛ばされる。

「痛ぅっ!?」

 呻く涛牙の隙をついて、少女が更に追撃を仕掛けてくる。獣のように飛び掛かり、腕や脚を滅茶苦茶に振り回してくる。広いとは言えないロビーで、力任せの連撃は相応に厄介だった。繰り出される攻撃をどうにかかわし続けて、涛牙も舌打ちする。

「く、の!」

 なにより、この少女はただ操られているだけだ。剣を抜いて応戦するわけにもいかない。さらに言えば。

『マズイぞ涛牙!この嬢ちゃん、このままじゃ壊れちまう!』

 ディジェルの指摘通りだ。傀儡の術でホラーに操られているこの少女は、本来の身体強度を超えた動きをしている。この状態が続けば、手足の関節や筋肉が酷使の果てに壊れてしまう。事実、最初の跳び蹴りを放った脚は鞘を――つまりは金属の塊を思いっきり蹴ったせいで青くなっている。骨にヒビくらい入ったかもしれないが、操るホラーには傀儡の痛みなど関係ない。潰れるまで使うだろう。

「分かってる!」

 言い返しながらも涛牙は壁際に追い込まれた。逃げ場を封じた形になった少女の顔に歪んだ笑みが浮かぶのは操り主のホラーの愉悦か。一拍、追い詰められた魔戒騎士を嘲るように眺めて少女が襲い掛かる。

 だが。その一拍が涛牙に猶予を与えた。

 迫る少女の腕を、涛牙は高く跳躍してかわす。背後の壁を蹴って少女を飛び越えると同時、一拍の猶予に懐から抜いた魔戒札を着地点に放ち、鞘から抜いた切っ先と鞘の先端を札に突き立てる。と、魔戒札から放たれた白い炎が剣と鞘を包んだ。

「灯火――纏装!」

 標的を逃がし振り向いた少女が見たのは、二刀で首元を挟み切るように剣を振るう涛牙の姿。

 轟、と風を切るような音と共に同時に降りぬかれた剣と鞘は、少女の正面スレスレで先端が激突し、甲高い金属音を響かせ――途端に少女がガクリと力を失い崩れ落ちる。

 古来、鈴の音のような甲高い音には邪を祓う効果があるという。魔戒士の間でも、ソウルメタルの響きは、ホラーの影響を減じさせる効果がある事が知られている。そこに魔導火の炎まで乗せれば、如何に涛牙が半人前であっても傀儡を外すことが出来る、というわけだ。

「――凌いだか」

 ホッと一息入れて、涛牙はひとまずその少女を建物の外に放り出した。この建物がホラーの縄張りなら、建物内に放置するのは危うい。

『オオウ、だんだんと匂ってきてるぜぇ。ホラーの気配だ』

 ディジェルの声に廊下に目をやれば、ロビーから繋がる廊下は、気づけば照明の一つもない無明の闇と化していた。

「行くか」

 小さくつぶやき、涛牙は闇に閉ざされた廊下へと足を踏み入れ――背後の光が途端に断たれるのと、床の感触が消えるのが同時だった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「……あれ」

 気づけば、樹は大きな鏡の前にいた。

 曇り一つないその鏡に映るのは当然自分の姿だ。

 童顔気味の顔にそこはかとなくキリッとした印象を与えるように魅せる化粧。可愛らしさを押し出した若草色のドレスに、シックながらもキラリと光るアクセサリー。

 テレビに映るアイドルのような格好の自分が、そこにはあった。

(私、なんで……?)

 胸中に疑問が浮かぶ。そうだ、確か自分はクラスメートに誘われて、カラオケに――

 疑問が形となるその瞬間に、ノックの音が聞こえる。ハッとして振り返ると、そこには自分のマネージャーがいた。

(マネージャー?――そう、マネージャー。ここは控室で、私はここで待ってて、だから迎えに来るのはマネージャーで)

「樹ー?準備はどう?」

 扉を開けてマネージャーが入ってくる。一瞬ぼんやりとした人影に見えたが、それは、姉の犬吠埼 風だ。

(うん……お姉ちゃんなら、アレヤコレヤあった後に私のマネージャーになってもおかしくないよね)

 そう樹が思い浮かべると、ぼやけていた風の姿もハッキリと見えてくる。パンツスーツ姿も大人になった風には似合っている、ように見える。

「準備……?」

 そもそも準備とは何か?疑問の声は小さくて樹自身の耳に入るのがやっと。だが、首を小さく傾げた様子から察した風が苦笑しながら言い足してくる。

「もう!今日は待ちに待ったコンサートの日でしょ?せっかくの大舞台なんだし、もうちょっと気合い入れなさいよ」

 風に言われるたびに、樹の意識にソレが浮かび上がってくる。

 そうだ。私はボーカリストオーディションに合格して、アイドルとしてデビューして、順調に人気になっていって、それで、コンサートを開くのだった。

(え?)

 そう思うこと自体に疑問を感じるのに、その疑念を考えようとすると意識がぼんやりと溶ける。

「う~ん、ちょっと調子悪い?緊張してる?」

 心配そうにのぞき込んでくる風に、

「あ。な、何でもないよお姉ちゃん。うん、ちょっと緊張してる、の、かな」

 心配かけさせるのはよくないと思って、そうはぐらかす。それを見て風は尚も困ったような表情をしたが、

「――うん、緊張しすぎなだけかな」

 樹を安心させるような口ぶりでそう言う。そうして風自身も考えを切り替えたようにドアを示すと、

「ま!案ずるより産むが易しよね。お客さんが待ってるし、頑張ってきなさい、樹!」

 樹の背を軽くたたいて立ち上がらせる。

「うん、お姉ちゃん」

 何か釈然としないモノを感じながら、樹は風に促されて扉から部屋の外へと歩き出した。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「ハア、ハア、ハア……」

 そろそろ冬だというのに、汗だくで息を切らせているのは犬吠埼 風だ。涛牙に連絡を取った後も、彼女は樹を探してあちこちを走り回っていた。

 だが、樹の行方は杳として知れない。どころか涛牙との連絡もつながらなくなった。

(つか――クラスメイトも行方知れずって、なによ!)

 友奈たちが調べたところ、樹をカラオケに誘ったクラスメイトとやらも帰宅しておらず、少女の両親もちょうど探し始めたころだという。

 更には友奈たちが樹のクラスメイトたちから聞いた話では、件の少女は数日前から様子が少し変だったらしい。昼間に声をかけても反応が鈍かったり、あまり遊び歩く方ではないのに夕方すぎの商店街、それも裏道の方で見かけたとか。

「何が、起きてるのよ……」

 何か分からないが、なにかが起きている。そんな予感がジワリと風の胸中に影を落とす。

 と、ふと視界の隅に映るものがあった。

 淡く光る、チョウチンアンコウのような怪生物だ。

 ソレは風が自分を見つけたことを察すると、フラリと宙を泳いでから小道の先へと進んでいく。

 そんな、怪しい存在を前に。

「…………」

 風は意を決して後をつけた。普段なら怯えてパニックになりそうなものだが――樹のためだ。怖いものなどない。

 そうして裏道を進むことしばし。怪生物は小さな空き地で飛ぶのをやめた。

「ここって――」

 ふと思い出す。少し前、商店街で勇者部活動をしていた時だ。この辺りで長年続いていた駄菓子屋だかなんだかがついに潰れたとか何とか。だから空き地がある事は不思議ではない。

 だが。その空き地に讃州中学の制服を着た女の子が倒れているのは不思議を越えて異常だ。

「ちょ、大丈夫?!」

 抱え起こすが、完全に意識を失っている。そしてよく見れば、その少女は樹を誘ったという少女だ。

「あなた……。ねえ、樹はどうしたの?!」

 揺さぶるが反応なし。

「――樹ー!どこにいるの、樹ぃー!」

 声を張り上げる風の背後。

 

 微かな鞘走りの音と共に、剣が抜き放たれていた。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 長く続く廊下を、風の先導で歩く。その向こうにある暗がりからは賑やかな音と光が漏れているのが樹にも分かった。

「?」

 不意に何かが軋むような音が樹の耳に届く。振り向けば、そこには扉の開いた部屋があり、その向こうでは、演劇の稽古だろうか、何人かの男女が木剣を振るっている。

 だが、その扉はさっきまであっただろうか?

 疑問と共に、チラチラと廊下を窺うが、樹の目に入るのはただただ白い壁だけだ。

 せり上がってくる不安に唾を呑みこむ樹を、不意に風が振り返る。

 不安に染まった樹の顔にヤレヤレというように苦笑いをすると、風は樹の背後に回ると背中に手を添えた。

「ほら。みんな樹のことを待ってるんだから!トップアイドルの歌声、聞かせてきなさいな!」

 励ますように背中を押されて歩を進める。

 そうだ。私はアイドルになって、有名になって、ナントカ賞を取って――今日は凱旋コンサートで――。

「みんな……?」

「みんなはみんなよ。でしょ?」

「そうだよね……」

 そう、みんな待ってる。友奈さん、東郷先輩、夏凛さんに園子さんに。

「涛牙、先輩」

 ふと零した名前に、風が苦笑して答える。

「もちろん来てるわよ!讃州中学勇者部だもの!」

 聞いた瞬間。違和感が形になる。

 涛牙は、勇者部であり、中学生であり――そしてそれ以前に魔戒士だ。陰に潜み人知れず人を守る者だ。勇者部にいたのも、樹たちが勇者で、勇者をホラーから守るためだ。

 勇者の御役目はもう終わっているのに、こんな人目に付く場所に堂々とくるだろうか?

 いや、そもそも今はいつだ?私はいつオーディションを受けなおした?勇者の御役目が本当になくなったのはいつ?デビューは?ナントカ賞って本当に何?!

「涛牙先輩は……魔戒士なのに?」

 その問いに、背後で風が固まる。

 振り返った先の風の表情は、愕然としていた。

「なぜ、それを」

 呻くような答えに、文字通り夢から覚めたように樹の意識をハッキリさせた。

「知らないはずないよね。お姉ちゃんも、一緒に聞いてたんだから」

「魔戒士の事を只人に知らせていた?暗黙の了解を破っていたというのか」

 その声は紛れもなく風のものだ。顔もいつもと変わらない――中学3年の風の顔つきに、いつの間にか変わっていた。いや、大人になった風の顔こそ、ただ夢の中でそう見えていただけだったのか。

「なに、ここ?」

 周囲の光景も、さっきまではハッキリしていたはずがぼやけ、揺らいでいく。尋常な状態でないのは確かだった。

「何って――樹の夢の舞台じゃない」

 言って近寄る風の手を払いのけ、ついでに身をひるがえして来た道を戻る。樹の服を掴もうと風が腕を伸ばしてくるが、樹は壁を手でついてその反動で風の腕をかわす。風の指が、鉤爪のようになっていたのがチラと樹の目に映った。

「逃げるなっ!」

 風の、いや、風の姿をしたナニカの怒声に顔を歪めながら、樹は例の開けっ放しの扉に飛び込んだ。

 飛び込んだ先、昼の日差しのような明るさに一瞬目を奪われて――次の瞬間、破砕音と共に風景がガラスのように砕ける。

 次の瞬間には、そこは肉の壁、としか形容できないおぞましい空間となっていた。巨大な生物の胃か腸のような、赤黒い肉塊が蠢く中で、しかし樹が怯えすくまずにいられたのは、その中に見知った少年がいるからだった。

 目をつぶり肉の地面に片膝をついた姿に、何かに負けたのか、と思うが、よく見れば地面に突き立てた剣を中心に張った結界で身を守っていた。

「涛牙先輩っ!」

 樹の叫びにも反応を示さないが、駆け寄る。幸いにも結界は樹を弾くことはなく、肩をゆすられて涛牙も目を開いた。

「……樹、か。助かった」

「助かる?」

 意外な言葉に首をかしげると、ディジェルが説明をしてきた。

『ここはホラーの腹の中さ。ホラー・ネペンシィア。取り込んだ獲物に都合のいい夢を見せて眠らせて、生きたまま喰らう陰険ヤローだ』

「……油断が、過ぎた。踏み入った途端に呑まれてこのざまだ」

 咄嗟に張った結界も、文字通り咄嗟の付け焼刃。肉体自体はともかく、意識はネペンシィアの術中にはまってしまったのだ。

「だが、お前が接触したことでホラーの夢に綻びが出来て、なんとか起きれたわけだ。礼を言う」

 立ち上がると、周囲に視線を巡らせる。それに倣って樹も周りを見れば、気味悪い肉の壁が変わらず蠢いている。

「――動かないな?」

『まあ、胃袋の中の餌を殴るヤツはいねえわな』

 軽く言うディジェルに、涛牙は小さく顔をしかめて続ける。

「出る方法は?」

『……吐き出してくれればいいんだが、コイツ我慢強くてなぁ。中で暴れても口は開けんだろうよ』

 かわされる言葉に、樹の顔が青くなる。

「やだ、そんな……」

 せっかく夢から覚めたというのに、その先でこんな終わり方なんて却って残酷だ。

 膝から崩れる樹を見下ろして。涛牙は一つ決意を固める。

『涛牙』

 気遣うようなディジェルの声にもこたえず、呼吸を整えると、正眼に構えた魔戒剣に自身の魔導力を静かに込めていく。一部の無駄もないように、丁寧に。

「……頼まれたからな」

 その小さな呟きは樹の耳には届かなかったが、涛牙にとっては関係ない。ただ、死力を尽くして脱出するだけだ。

 瞬間。空間が軋みを上げた。

「ひゃあっ?!」

 まるで地震のような揺れに、樹が悲鳴を上げる。

「!なんだ!?」

『こりゃあ……。外からだ!外からこじ開けてるんだ!』

「そ、外からは開けられるんですかぁ!?」

 ディジェルの言葉に樹が悲鳴交じりに声を上げる。確かにディジェルは、中からは逃げられないと言ってたが。だが。

「チャンスかっ!」

 懐から魔戒札を放ち、剣身に魔導火を灯らせる。

「灯火纏装――からの!」

 もとから込めていた魔導力もあり、常より噴き上がる炎を収束させ、大上段から振り下ろす。

「行けぇっ!」

 白く燃える三日月が宙を奔り肉壁と激突。瞬間、再びガラスが砕けるような音と共に世界が割れた。

 

 一瞬の浮遊感ののち、足裏が地面に触れた感触に顔を上げ、サッと周囲を探る。

 夜陰が落ちた路地裏。背後にはカラオケ店。傍らには同じようにホラーの裡から吐き出されて座り込む樹に、少し離れたところに折り重なって倒れている風と、傀儡にされていた少女。

 そして正面。

 魔戒剣を突き出した、銅色の鎧の魔戒騎士。プロテクターと呼ぶ方が近い涛牙の鎧と比べれば、纏う鎧の重厚さ・強固さは、この鎧が幾代も重ねてきた時を物語る。

 称号こそないが、彼はこの地域を守っている魔戒士の1人だ。

『ンオオオォォオオオオ!?!?!?』

「!ヒイッ?!」

 背後から響く怨嗟に、つい振り向いた樹が悲鳴を上げる。

 カラオケ店の壁面から肉の触手が湧き出し、絡み合い、その肉塊の表面に人間の口のようなモノが現れた。その、ウツボカズラを醜悪にこねくり回したような異形こそが、ホラー・ネペンシィア。

 狩場から動き回ることはできないが、結界で自らの姿を隠しながら餌を物色する、ディジェルのいう通り陰険な性質のホラーである。

 だが、隠れ潜む狩場を暴かれればネペンシィアの優位はない。

「白羽の。合わせろ」

 低くつぶやかれた銅色の魔戒騎士の声に、涛牙は強く頷く。

「はっ!」

 応え、樹を引っ掴むと身を翻す動きで切っ先で召喚の円を虚空に刻み、ついでに樹を空き地の外の道まで放り投げる。

 地面にぶつかりムギャ、とあまり可愛らしくない悲鳴を上げる樹を尻目に、空間の裂け目から光が差し、涛牙の身体をハガネの鎧が包む。

 その間に銅色の騎士は自身の魔戒剣に魔導火を灯していた。烈火炎装。剣身に緑の炎が燃え上がる。と、その切っ先が涛牙の前に差し出される。

 ためらいなく、涛牙はその剣に自身の剣をぶつけた。甲高い音が響き、涛牙の剣もまた魔導火をまとう。

「ハアアアアアアッ!!」

 裂帛の気合いを込めて剣を横薙ぎに振りぬく。燃える三日月が宙を駆け、咄嗟にネペンシィアが張った防御結界を破砕する。

「――フンッ!」

 その刹那、瞬時に間合いを詰めた銅色の騎士が最上段からの唐竹割を叩き込む。燃える斬撃はネペンシィアを縦一文字に両断し。

『ミギィヤァァァァァァ……』

 ホラーの悲鳴が一瞬響き、瞬く間に消えていく。触手が生えていたカラオケ店もまたネペンシィアの一部だったのか、黒い靄と化して霧散する。

 邪気が祓われた後、そこにはただ空き地が広がるだけだった。

 

「イタタタ……」

 樹が顔を上げた時には、すでに魔戒士の戦いは終わっていた。

 鎧を送還した涛牙が安堵したように大きく息をつき――銅色の鎧の魔戒騎士が樹に向かって歩を進める。歩く最中に鎧を解除して、現れたのは険しい表情の壮年の男だ。

 男は樹の前に立つと、懐から魔戒札を取り出した。それを自然に樹の額に突き付け――

「お待ちを」

 涛牙が割って入る。

「……何の真似だ」

 低い問いかけに、涛牙はサッと片膝をついて、

「ガルム神官から聞いておりませんでしょうか。彼女は当代の勇者です」

 その答えに、男はスゥと視線を細めた。刃のように鋭くなった視線で樹を、そして涛牙を見る。

「不可侵だ、と?」

「はい。心に手を加えることは厳に慎むべしとの達しも受けております」

「――フン」

 それが不愉快なことなのだろう。忌々し気に鼻を鳴らすと、しかしガルムーー番犬所の指示とあれば聞かないわけにもいかないと、壮年の騎士は一歩引いた。

「いいだろう」

 それだけ言うと、男は踵を返して夜闇に姿を消していく。

「……父親ともども、掟を破るのかと思ったぞ」

 そんな捨て台詞を残して。

 

 ギリィッと奥歯を噛みしめて憤怒の気配を抑え込む涛牙に、樹はヒッと悲鳴を漏らした。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 それから少しして。落ち着きを取り戻した涛牙と樹は、気絶したままの風と少女をひとまず運ぶことにした。路地裏に放置していてはホラー関係なしに危なっかしい。

 その中で。

「……記憶を、消す?」

 先ほど壮年の騎士が何をしようとしたのかを涛牙に聞いて、返ってきた答えに、背中にクラスメイトを背負った樹がいう。

「ああ。前にホラー絡みのことは世に出ないことは話したが。喰われた被害者や斬ったホラーは痕跡を残さないが、目撃者や巻き込まれた者への対処もあってな。それが、記憶を消すという手段だ」

 そう返すのは、風を抱えた涛牙だ。

 いわゆる「お姫様抱っこ」ではなく、コートで風を包んで脇に抱えたその恰好は、色気も何もない。樹がそれはないだろう、と苦言を呈したが、

「両手が塞がっているといざというときに困る。背中におぶっても動きが悪くなるしな」

 と言われればさすがに返す言葉もない。

 それはさておき。

「……そんな事も出来るんですね、魔戒士って」

 少しばかりの怖さを感じて。そしてそれに自己嫌悪を覚えて樹が呻く。

「怖がるのは自然なことだ」

 涛牙の言葉はわずかばかりの慰めにはなった。

「前に、そのことを言わなかったのは?」

「東郷がいたからな……」

 ああ、と樹も頷く。

 かつて勇者だったころの記憶が『散華』の供物となっていた美森にとっては、記憶を自由に消せるというのは確かにヤバい。

「――樹、悪いがこれは内密に頼む」

「はい、わかりました」

「助かる」

 樹の返事に満足したのか小さく頷く涛牙の背中を、樹はジッと見据えた。

 脳裏に浮かぶのは、ホラーの中で見た夢の光景。

 アイドルとなることが樹自身の夢なら、あの演劇の稽古らしい風景は、涛牙の夢だったのだろう。なら。

(あそこで、剣の稽古をしていたのは――)

 細かいことは樹もハッキリとは覚えていないが。

 あれは、涛牙自身と――。




これまでになく更新時間が空いてしまいました。申し訳ないです。
なんかPCが無茶苦茶不具合起こしたり、プライベートが忙しかったりとありまして。

なんとかエタらないようにしていきたいです。
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