結城 友奈は勇者である 神の揺り籠   作:ヴィルオルフ

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誰だって、自分の姿が外から見えてるわけじゃない。自分にそのつもりはなくても、己を誇るその様子を他所からは高慢ちきに見られたりするものさ。
そうして買った妬みや恨みが時を経てぶちまけられることもある。謙虚さってヤツも世渡りには大事になるぜ。

なに?まるで覚えのない八つ当たり?
……受けてもケガしないようにするしかないか。



第42話「カース・ワーズ(這いよる怨嗟)」

 打ち寄せる波の音をBGMに、トレーニングウェア姿の夏凛はいつも通り砂浜で木刀を振るう。軽やかに剣が跳ねる様は、夏凛の技量の程を雄弁に示している。

 事実、夏凛は大勢いた勇者候補の中から選抜されたただ1人の完成型勇者だ。選ばれるには自身を磨き上げる鍛錬は絶対不可欠で、そして元からの生真面目さが鍛錬を日常の一コマと為していた。

 そうして風切り音を伴って振るわれていた木刀が、不意に止まる。フゥと一つ息を整えて、夏凛は砂浜近くの道路を見上げる。

 丈の長いコートを羽織った涛牙が、夏凛を見下ろしていた。

「いつからいたのよ」

「20分ほど前から」

「……声かけなさいよ、気づかなかったわよ。たまたま目に入ったからいいものの」

「集中していたようだからな」

 いうと、涛牙は軽い足取りで夏凛に近づく。彼が足を止めたのは、ちょうど夏凛の剣の間合いのわずかに外。何があっても対応できると、そう涛牙が判断した距離。

「それで、俺を呼び出して何の用だ」

 普段とは違う警戒を涛牙がしたのは、このためだ。部活が終わったプライベートの時間を概ねトレーニングにあてている夏凛から呼び出しを受ける。普段はない事が起きれば、なにかあるのかと注意を厳にするものだ。それこそ、気配を隠した隠形で様子を窺ったりもする。

 そんな涛牙の様子に夏凛も表情を引き締めなおすと、自身の荷物からもう1本の木刀を取り出し、その柄を涛牙に向ける。

「あたしと、手合わせしなさい」

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 夏凛にとって、『完成型勇者』という称号は重大な意味を持つ。

 自身の誇りの象徴であり、結実した努力の証明であり、自分の在り方を規定するものでもある。

 先代勇者の端末を継承するために四国各地から集められた勇者候補。その中からただ1人選ばれたのが夏凛だ。裏を返せば、他の多くの候補者たちを足蹴にして夏凛は『完成型勇者』の座をもぎ取ったともいえる。

 事実、最後まで夏凛と勇者の座を競い合った候補者には、或いは夏凛以上の実力を持ちうる者もいた。彼女は自分を鍛え上げること以外に意識が向いていないように夏凛には見えたが、それでも自分は彼女を凌駕しているかと言われれば、夏凛はNOと答える。

 だからこそ、選ばれた自分は尚のこと勇者の名に恥じぬようにと過ごしてきた。御役目を見事成し遂げるよう鍛錬も欠かさなかった。そんな自分は強いのだと、そう思っていた。

 だが。秋のある日その自負は粉砕された。

 勇者となり身体能力は跳ね上がっていた状態で、剣閃さえ見切れぬ斬撃を放ってきた黒尽くめの剣士、曲津木 久那牙。

 そして、その久那牙と拙いながらも剣で渡り合う、白羽 涛牙。

 特に涛牙は、同年代なのに夏凛を圧倒する技量を持ち、そして夏凛が気付けないくらい自然に隠していた。

 それは夏凛にとっては悔しい事であり――同時に、自分をより高める足掛かりになると思えた。

 そして今日。

 自身の体調・気組み、全て万全と見て取った夏凛は、涛牙に挑戦を申し込んだのだった。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

(何が、万全よっ!?)

 砂浜を転がされながら、夏凛は今朝がたの自分に文句をぶつけた。

 転がされた勢いを活かして飛び起きる。夏凛の正面、砂浜に悠然と立つ涛牙の姿に、ギリと奥歯を噛みしめる。

 木刀を握る右手を前に差し出した、半身のようなそうでもないような不思議な構え。一見すれば隙だらけのようだが、実際は違う。

「テアァァァ!」

 気合いの声を入れて駆け出し、渾身の一刀を見舞う。風切り音を発して振るわれた一撃は、しかし涛牙の掲げた木刀で受け止められ――そのまま明後日のほうに巻き落とされる。

(つぅっ)

 手首に走る痛みをこらえながら更に夏凛は二刀の連撃を加速させた。真向、袈裟切り、横薙ぎ、切り上げ……左右の剣を巧みに操り、全身を躍動させていくつもの連撃を重ねていく。

 それに対して。涛牙はその連撃を丁寧に捌いていく。

 技の出かかりを抑え、届きそうな攻撃を防ぎ、刀身を絡めて明後日の方向に受け流す。

 二刀の夏凛に対して涛牙が手にするのは木刀一本。手数で言えば夏凛が圧倒する、はずなのだが。涛牙はその一刀を自在に躍らせる。夏凛も鍛錬の中で剣舞のように木刀を振るうこともあるが、涛牙の剣は夏凛のそれを上回る。持ち手の左右や握りの順手逆手がコロコロ変わるその様は、軽業と言ってもいいくらいだ。

 だが、そんな一見すれば軽いように見える剣には、しかしぶつかりあえば夏凛の方が押されるくらいの力が込められている。柔軟にして強靭。涛牙の剣はそんな相反する要素が高度に組み合わさっていた。

「っのお!」

 その防御を切り崩そうと更に夏凛の剣は速さを増すが、それでも涛牙の剣舞をかいくぐれない。

 どころか。

「――!」

 不意に涛牙の右腕が霞んだように見えた時には、下から跳ね上げられた一閃が夏凛の二刀をまとめてうち弾いていた。

 両手からすっぽ抜けた木刀がそろって砂浜に突き立った時には、夏凛の首筋に木刀が触れていた。

「勝負あり、だ」

 静かな断言にしばし夏凛は呼吸を忘れる。木刀が首から離れると、夏凛はそのまま砂浜に座り込んだ。

「また、負けた」

 また。そう、まただ。

 涛牙と手合わせを始めて2時間ほど。寸止めながら全身至るところを木刀で打たれ、剣を叩き落され。或いは必死の思いで涛牙の木刀を手放させたと思えば、そこで「やった」と思った隙を突かれて徒手空拳で制圧され……。

 冬だというのに汗だくになるほど動き回りながら、しかし夏凛は結局涛牙に一撃も当てることが叶わなかった。

「俺も長年鍛えているからな」

 心情を慮ってか涛牙がそう言ってくるが、息も切らさず汗も薄く浮かぶ程度の様子を見れば、夏凛にすれば何の慰めにもならない。ましてや。

「――アンタ、全力じゃなかったでしょ」

 睨むような心地でいうと、涛牙は軽く眉間にしわを寄せた。そんな表情を見返しながら続ける。

「前に風とやりあってた時はビョンビョコ飛び回ってたでしょうが。それを持ち出してないんだからアンタの全力とは思えないわよ」

 吐き捨てるように言われた言葉に、涛牙は眼を丸くした。

「あれは――反則だろう」

「反則?」

 意外な言葉が出てきたことに夏凛がキョトンとすると、ディジェルが口をはさんできた。

『ありゃ魔導力で身体機能を増幅させてただけだよ。増幅なしの涛牙なら――身体の扱いはともかく――普通の人間より少し上くらいさ』

「スタミナ自体は単に鍛錬の賜物だ」

 付け加えるように涛牙が言う。

「つまり、あたしの剣がまるっきり通じないのは純粋に技量の差ってわけね……」

 それはそれで自尊心が傷つくものだが。その痛みを呑みこんで夏凛は腰を上げた。その表情に暗いものを浮かべながら。

「……結構、剣の腕には自信があったんだけど」

「……………」

 そのボヤキに涛牙はただ黙り込むしかなかった。慰めるような言葉は持ちえない。

 涛牙と夏凛の間にあるのは隔絶した生い立ちの差だ。どれほど大赦に関わり深い家柄であろうと、夏凛が生を受けたのはごく当たり前の人間社会。対して涛牙が生きてきたのは、人外の怪物と渡り合うため人の枠を超えることが求められる世界で、涛牙はその中でも幼いころから鍛錬を積んできた身だ。

 純粋に、経験値が違いすぎるのだ。

『そう言いなさんなや。嬢ちゃんがいい筋してるのは俺も認めるぜ。もっと積み重ねていったら、涛牙ともいい勝負になるさ』

 取り繕うようにディジェルが言うが、夏凛は力なく苦笑しただけだった。

「――あたし、そろそろ帰るわ」

「気をつけてな」

 黄昏を受けるその背中は普段より弱弱しく。

 自分をより高めるはずの足場が実際には壁だと突き付けられて、夏凛は肩を落として帰路に着いた。

 

 砂浜に残った涛牙は、その弱弱しい背中に気遣うような視線を向けていた。

『克己心があるのは結構だがなぁ。結局簡単に強くなれるわけじゃねぇんだよなぁ』

 そんなディジェルの呟きを聞きながら、不意に涛牙はその顔を近くの岩場に向けた。睨むような気配を滲ませて、しばし。

「あれれ~、気づいてたんだね~。見られないように気を付けたんだけどな」

 どこか間延びしたような声と共に、岩陰から姿を見せたのは制服姿の乃木 園子だった。

「気配を察するのは得意でね」

 そうは言うが、こうして姿を見せれば人を自然と引き付けるオーラのようなものを発しているのに、隠れようとすれば夏凛が気付かないくらいには気配を隠してみせるのは天性の才能か。

「それで、コソコソ隠れて何をしている」

 そう問いかける涛牙の声に混ざるのは、警戒の気配だ。

 四国最高の権力組織である「大赦」、その筆頭家格を持つ乃木家の令嬢であり、美森ともども先代勇者であった少女。それも、ただのホワホワ系ではなく頭の回転の速い天才型。それが、学校でも部室でもない場所で、隠れるようにして会いに来たとなれば、涛牙も警戒する。

 その手に訓練用の槍を持っていれば、猶更だ。

 掌中で弄ぶように布を丸めた穂先を躍らせながら、園子は足取り軽く涛牙に近づく。

「そうだね~。白先輩と色々お話がしたいんだよね~。ホラ、ゆーゆやわっしーの事は大赦から聞いてたけど――白先輩は部室で会ったのが初めてだったからね~」

 言われて涛牙も思い返す。

 初めて園子が勇者部の部室に姿を現したとき、ニコヤカに話していたはずの園子が、涛牙を見た時、確かにキョトンとしていた。ちょうど勇者部の自己紹介のタイミングだったこともあり、その場はそのまま流されていったが。

「あいにく、雑談の類は苦手だ」

「ん~、なら、ホラーっていうのの事を話してほしいな~。わっしーから又聞きはしたけど、にわかには信じられないしね~」

 園子の言葉に、だろうな、と呟いて、涛牙は視線を園子から沈む夕日に移した。

 そうして晒された背中に、園子が不意に動きを止めた槍の穂先を向ける気配を感じ取りながら、以前勇者部の面々に話したことを言おうと口を開き、

『涛牙っ!悪いが急ぎだ!』

 切羽詰まったディジェルの声に顔をしかめる。

「どうした?」

『三好の嬢ちゃんの帰る道に、ホラーの気配だ!』

「え?」

 その言葉に園子が呆けた声を上げる。一瞬の意識の空白。

 次の瞬間、涛牙の姿は園子の前から消えていた。

「へ?」

 視界に残った残像を追って園子が振り向くと、一跳びで道路までジャンプしていた涛牙が、着地と同時に風のような速さで駆けだすのが辛うじて見えた、

「え?え?」

 さっきまで涛牙がいた場所を二度見するが、彼の足元の砂は軽く散らされた程度。ごく普通のジャンプとそう変わらない力の込め方で、自分の目に留まらない速さで動けるというのか。

「……えぇっと……」

 普段なら素早く回転するはずの頭脳が空回りするのを自覚しながら、園子もまた涛牙を追って駆けだした。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

「はぁ……」

 胸の内のモヤモヤを吐き出すように、夏凛は深々とため息をつく。

 元々実力差があるだろうことはわかっていた。なにしろ、勇者システムを使って尚圧倒された久那牙と斬り結ぶ技量が涛牙にはあるのだ。

 だが、それを加味しても、一太刀浴びせるどころか掠らせる事も出来ないとは思っていなかった。

(積み重ね、か……)

 言われた言葉を反芻して、また落ち込む。言い分を信じるなら、物心つく頃から涛牙は剣を振るってきたという。今の時点でさえ彼は人生の半分以上を武に捧げてきたといってもいい。それも、おそらくは自分とは段違いの密度で、だ。

 生きてきた世界の違い。それを思い知らされて夏凛はまたため息をつこうとして、

「っ」

 不意に足を止める。

 つい先ほどまで集中していた余韻か、或いはもっと単純に嫌な予感か。背筋を貫くように走った寒気が夏凛の意識を外に向けさせる。

 トンネルの中、オレンジ色の照明に照らされた道の先に、いつの間にか人影があった。

 ボロボロになったスーツ姿の中年。眼鏡もレンズが割れ、フレームが歪み、よろめくように歩を進めるその姿は、彼がどんな大怪我を負ったのかと本来なら心配させるところだが。

 如何に夏凛が注意を払っていなかったとしても、その男はつい先ほどまでいなかったはずだった。そして、重傷を負っているはずなのにその視線は夏凛に鋭く注がれている。

 そのおかしさと、なにより本能的な恐怖に突き動かされて、夏凛は仕舞っていた木刀を手早く構えた。悪寒が多少動きを鈍らせた感触があるが――大丈夫、ちゃんと動ける。

 そんな夏凛に、男の表情がこわばったように蠢き、唸るような声を上げる。

「ァ、オォァ、オゥイィィィ……」

 よろめいた動きがとまり、グンッと膝を沈ませるや、

「オァイイィィアア、アアアアアアッ!!!」

 壊れたような絶叫と共に飛び出す。10数メートルはあったはずの距離が、ただの一跳びでゼロに変わる。

 その人外の動きに夏凛は追いつけなかった。が、体勢の不利こそあれど打ち込まれる拳に木刀を合わせる程度には間に合った。

 間に合って――吹き飛ばされる。

「んぬぁ?!」

 人外の膂力に驚愕しながら弾かれた勢いを殺そうとして、咄嗟に考えを切り替えて逆にその勢いを活かす。一度後転して地面を蹴って更に距離をとる。奇襲を受け止めた時、握る手のひらを通して感じたミシリと軋む感触。それが夏凛に逃げの手を打たせた。

 起き上がった時には、男は大きく腕を振りぬいていたところだった。ちょうど、夏凛が堪えようとしたその位置で。もし本能的に踏みとどまっていたら、今の一撃をモロに受けていただろう。

 だが、咄嗟の機転で男の追撃は空振りに終わり、逆に夏凛にとって絶好の隙となった。遠慮なくその顔面に木刀をぶち当てる。

 返ってきたのは、それこそ木の幹に打ち込んだような感触。男の頭は傾きもしない。続けて放った片手突きも男の胴体にめり込む気配もなく、夏凛は全力で後退、距離を取った。

「フッ、フゥ」

 荒く息を整える間、男は打たれた顔面や腹を軽くさするような動きをした。全く効いていないというわけではなさそうだが――大したダメージになっていないようだ。シャアァァ……と威嚇するような声を上げると、再びグッと膝を沈め、再び飛び掛かってくる。

「伏せろっ!」

 その瞬間に声が届く。何を考えるより先に咄嗟にしゃがみこんだ夏凛の頭上を、涛牙の身体が飛び越えていく。

 放たれた矢のように突きこまれた跳び蹴りは、夏凛に向かっていた男にとっては完全に不意を突かれたカウンターだ。顔面をモロに蹴り飛ばされてたまらず後退する。

「涛牙……っ」

「下がれ」

 安堵の声を漏らす夏凛に背中越しに言い捨てると、涛牙は手にした鞘から剣を抜き放ち斬りかかっていく。

 たじろいでいた男が気付いた時には、すでに放たれた斬撃が男を斬り裂いていた。

「ギャアゥッ?!」

 男の身体から零れたのは、赤い血ではなく、どす黒い体液。改めて確かめるまでもない、この男はホラーだ。さすがに一太刀では致命傷とならないが更に後ずさる男に、涛牙は更に攻め込んでいく。薙ぎ、突き、拳に蹴りを絶え間なく浴びせかけて、そのたびに男は態勢を崩して後方に押し込まれていく。

 破れかぶれに振り回した腕がトンネルの壁を削りながら涛牙を襲うが、涛牙は腕を掲げてその一撃を受け止め、お返しとばかりに踏み込みボディーブローを打ち込めば男の身体は宙を舞って吹き飛んでいく。

(あれが、本気の涛牙)

 紛れもなく人外の膂力を発揮しているのは、先ほど聞いた魔導力による強化、というやつなのだろうと思いながら、夏凛はジリと後ずさる。背を向けて逃げるのは論外だが、自分が踏み込める戦いでないことくらいはわかる。

 一方、涛牙も一度攻めの足を止めてホラーの観察に移った。このホラー、おかしい。

「シギャアァァァ……」

 自分の攻撃を受け続けてまだ倒れないことはいい。だが、この反応は。

「ディジェル」

『ああ、ここまで頭がないヤツは珍しいぜ』

 人の陰我、すなわち心の闇や隙をついて活動することから、ホラーは悪辣で知恵が回るモノがほとんどだ。頭を使わずただただ本能のままに暴れまわるのは、依り代となった人間とよほど相性が悪いか、魔界においても雑魚の部類か――或いは、ただそれだけで充分なほどに強いか、だ。

 勢いのままに押し込んでよいのか。疑念が涛牙の足を止めさせ、それがホラーの付け入るスキになる。

 男が勢いよく腕を伸ばす。パンチどころか剣の間合いでさえない距離。当然それは攻撃にはならない。

 だが、袖口から伸びたナニカは届く距離だった。幾本も放たれたソレを反射的に切り払いながら涛牙は横に避ける。

(布?包帯か?)

 色は黒いが、見えた形状と手ごたえからそう予測を立てて、涛牙は逆の腕から更に放たれる布を払い続ける。伸ばした布は一度戻す必要があるようだが、それでも剣の間合いの外から攻撃が出来るとなればホラーにとっては有利だろう。

(だが、一本調子だな。雑魚の部類か)

 しかし、今度は布攻撃一辺倒になったことを見て、涛牙は素早く思考を切り替える。少なくともコイツは、けた外れの怪物ではない。ならば。

「速攻っ!」

 吠えて、涛牙が跳ねる。

 トンネルの天井や壁を速度を落とすことなく飛び回る。その速さに男はかく乱され、放つ布の攻撃も破れかぶれの目くら打ちとなる。そうして無暗に動いて生まれた隙に、跳躍の方向を変えた涛牙が素早く切り込み攻撃を重ねていく。

 ジャウッと涛牙が跳躍を止めた時には、もはや男は全身に負った傷から黒い体液を噴き出した半死半生の態となった。ヨロヨロとうずくまりそうになる様子に、涛牙はとどめを刺そうと必殺の気迫を込めて斬りこんだ。

「ハァッ!」

 その踏み出した瞬間に、ホラーの全身を布が包み込む。擬態を解き、本性を顕したのだ。

 攻撃に使っていた布で全身を覆ったその姿は、さながら黒いミイラだ。普通のミイラとの違いといえば、頭部のほとんどを眼球代わりの巨大なレンズが占めているところか。だが、すでに斬撃の間合いの中だ。変身したところで斬られることに変わりない。そう涛牙が察しても無理はない。

 だが、ディジェルが発した声には驚愕としくじりの気配が混ざっていた。

『コイツは?!マズイ!』

 だが。涛牙が制動をかけるよりもレンズがカッと光を放つ方が早かった。その光に照らされて、涛牙はそこから動けなくなった。

(な、に?)

 声を上げようとしたが、それすら叶わない。指一本どころか、視線すら動かせなくなり困惑する涛牙の耳に、ディジェルの声が届く。

『コイツは、ホラー・イルデュアン……。ヤツに見られたモノは動けなくなる……!』

 翻っていたコートさえ動きを止める中で、イルデュアンが満足そうに肩をゆするとその顔からレンズが蠢きながら外れる。透明な球体――眼球なのだろうそれは光を放ったまま宙に浮かび、イルデュアンの顔には奥から生えるように新しいレンズが現れる。

 ただ一手で攻守が逆転した窮地に歯噛みする涛牙の様子をしばし眺め――イルデュアンは踵を返すとまだそこにいた夏凛を見据える。

『んだとぉっ?!』

 てっきり涛牙に止めを刺すものと思い慄いていたディジェルが素っ頓狂な声を放つ。だが、そんな声にもイルデュアンは構うことなく、片腕を夏凛に向けた。

「っ!」

 目まぐるしく動く戦いに圧倒されていた夏凛がハッと気づくが、イルデュアンの腕から布が伸びる方がずっと速い。放たれた布――いや、それは昔のカメラに使われていたネガフィルムだった――は次の瞬間には夏凛に触れる距離まで迫っている。

 咄嗟の反射で身をよじっていなければ、腿を貫通されていただろう。だが、かわしきることは出来なかった。

「痛っ……!?」

 ザックリと斬り裂かれた傷からの痛みに夏凛が蹲る。剃刀の如く鋭利な切れ味を有するネガフィルムの一撃は、彼女の足から自在に動くための力を容赦なく奪っていた。傷口に手を当てれば、零れる血が指の隙間からにじみ出る。

「う、あ――」

 なんとか立ち上がろうと夏凛ももがくが、動こうとするたびに走る痛みに立ち上がることも出来そうにない。そんな夏凛の姿に満足したようにイルデュアンは肩を揺らし、悠然と夏凛に近づいていく。それは紛れもなく勝ちを確信した強者のしぐさだ。

(く、そっ!)

 その様子を視界の端に映しながら涛牙は内心歯噛みする。それまでの優勢に進めていた戦いがただの一手で覆され、あまつさえ無力化された自分をしり目に人を食われるなど、魔戒士としてあるまじき醜態だ。だがどれほど焦り魔導力を練り上げても光を浴びせられた身体は視線すらも動かせない。

 ほどなくイルデュアンは夏凛のすぐそばにまで歩を進めた。

 抵抗の余地を失いながらも毅然とにらみつける夏凛だが、その目端には微かに涙が浮かび歯の根が合わなくなった口からはカチカチと震えた歯がぶつかる音がする。

 そんな姿を見て、イルデュアンはカハァと声を零した。口がないのでわかりづらいが、恐怖を取り繕う夏凛の様子を愉しんでいるようだ。夏凛の顔を覗き込むように屈みこむ。

 そこに渾身の勢いで、園子は槍の穂先を突きこんだ。

 大きな岩を殴ったような反動に危うく槍を落としそうになったが、それでも園子の一撃はイルデュアンを怯ませる効果はあった。驚いたような仕草でイルデュアンが数歩下がったところに園子は割り込んだ。

「園子?!」

 思ってもいない闖入者に夏凛が驚いた声を上げる。その声に園子はイルデュアンから視線を逸らさぬままに答えた。

「危ないところだったね、にぼっしー」

 駆け去っていった涛牙の後をどうにか追っていて出くわしたこの場面。何が起こっているのかは園子にもまるっきりわからなかったが、夏凛がナニカに襲われているということだけわかれば、それで充分だった。

 先代勇者として鍛錬を積み、命がけの戦いを生き抜いてきた経験が、園子に攻撃の選択を迷わず取らせた。

「アレがなにかよくわかんないけど――私の友達を傷つけようというなら、許さないよ」

 言葉の最後は眼前の怪物に向けたものだった。普段の明るさをかなぐり捨てた低く押し殺した声。直に向けられたわけではない夏凛もビクッと震えるほどの威圧感を持つその言葉も、イルデュアンは首を傾げるような仕草を返すだけだった。園子の言葉も気にせず、イルデュアンは再度夏凛に向かおうと歩を進める。

 その一歩目に合わせるように、園子は槍を振るって連撃を打ち込む。自身の力と遠心力を足し合わせ、さらに頭部を中心に狙った打撃は人間相手なら軽くノックアウト出来る威力がある――はずだが、打たれ続けるイルデュアンはしかし特段の反応もない。縦横に繰り出される槍の攻撃を、避けも防ぎもせずに受け続ける。

 それは、園子の攻撃が速くて反応できないというわけではない。

 一度息を吸おうと園子が攻めを緩めた一瞬。

 その一瞬で、園子は首元をねじ上げられて壁に叩きつけられた。

「?!……っ!?」

 何が起こったのか、園子にはまるで見えなかった。何か声を上げようにも、潰れるかと思うような力で締め上げられた喉からはかすれた呼気が漏れるだけだ。

 そんな園子をイルデュアンは覗き込む。その異形に射すくめられて、園子は背筋に冷たいものを感じた。が、イルデュアンは再度首を傾げるような仕草をして、そのまま園子を放り出した。

 もっとも、イルデュアンに特に力を入れたつもりがなくても、ホラーの膂力は人間を圧倒する。放り出された園子にすれば、叩きつけられたように感じるくらいの衝撃が走った。

「ゲホッ!」

 せき込みながらどうにか上体を起こすと、イルデュアンは再度夏凛のそばに近寄っていた。園子にも、動きを止めさせられた涛牙にもまるで興味がないようだ。

 痛みに呻きながらどうにかしようと思考を巡らすが、滅多打ちにしてもまるで意に介さない怪物を相手にどうすればいいのか、園子にも分からない。分かるのは、人知の及ばない怪物が夏凛を――せっかく出来た友達を傷つけようとしていることくらいだ。

 いや、違う。

 園子の脳内で冷静な箇所が異を唱える。その声に導かれるように、園子は後ろに目を向けた。そこにあるのは、球体のレンズから放たれる光に照らされて宙でピタリと固まったままの涛牙の姿。

『嬢ちゃん!眼をどかしてくれ!』

 ディジェルからの声に、園子は一瞬視線を彷徨わせ、すぐに何を言われているかを察した。

「っ、このおっ!」

 そばに転がっていた槍を手に立ち上がり、園子が涛牙に向けて駆けだす。走る中で槍を振りかぶり、眼――球体レンズに向けて振りぬく。

 槍で打ち据えられてもレンズは吹き飛んだりはしなかったが、向きが少し変わる程度の影響はあった。涛牙を照らしていた光もまた別の方を向き、同時に涛牙の身体は自由を取り戻した。

「!ハッ!」

 着地と同時に剣を振りぬく。両断されたレンズは黒い靄となって霧散した。

「白先輩っ!」

「助かった!」

 言うと、涛牙は魔導火のライターを着火、剣身に灯した炎をすぐさま撃ち出した。

 背後の異変を察して振り向いたイルデュアンが放ったネガフィルムの群れと白炎の三日月がぶつかる。ネガフィルムは燃え落ちながらも炎の勢いを弱め、イルデュアンにダメージが入ることはなかった。

 だがもとより涛牙の狙いはイルデュアンの優先すべき敵を自分に向けなおす事だ。白炎が迎撃された時には、すでにイルデュアンに突進している。走りながら切っ先で頭上に円を描き、鎧を召喚する。

 対するイルデュアンも、再び涛牙を邪魔しようと頭部のレンズに光を集めていた。

 この光に照らされたモノは何であれその動きを止める。その拘束力は絶対だ。それこそ相手を殺すためには一度光を止めなければならない程に。光を放つ眼は強い力を受ければズレてしまうが、今度は涛牙と、その奥にいる園子も光の照射範囲内だ。今度こそ逃れる道はない。

 次元の裂け目からハガネの鎧が召喚されるのと、まばゆい光が放たれたのは同時。

 如何に魔戒騎士の鎧でも、イルデュアンの光に照らされては動くことはかなわない。ハガネの鎧もまた宙に浮いたまま固定される。その様はまるで標本のようで。

「カハァッ」

 イルデュアンから漏れたのは安堵の吐息か。それこそ人間ならば口の端を吊り上げた笑みが浮かんでいるかもしれない。

 照射される光の端から涛牙が飛び出して来たのに気付くのが一瞬遅れたのも、その安堵ゆえか。

 イルデュアンの能力は、「その眼から放たれた光に照らされたものを固定する」もの。先ほど涛牙が固定された時も呼吸は出来たし、光に直接照らされていなかったディジェルは普通に口を動かして話すことが出来た。

 その特性を察して、涛牙は一つ罠を張った。鎧を直接身にまとうのではなく、自分の正面に一式を呼び出したのだ。

 自分の前に全パーツが揃って呼ばれた鎧、その陰に隠れてイルデュアンの光をやり過ごす。さらに羽織っていたコートを脱いで光に直接照らされれないための障壁として、涛牙はイルデュアン必殺の光の外へと逃れ出た。

 予想外の動きにイルデュアンの反応が遅れる。その一瞬に涛牙が投げつけた魔戒剣は、光を放つイルデュアンの眼の端に突き立ち、光が消え失せる。

「ギヤァァァッ?!」

 動きを止めさせていた光が消えて、自由を取り戻した鎧を涛牙が纏う。イルデュアンに刺さっていた魔戒剣もその形状が変わり、大きくなった剣身が更にイルデュアンの傷を広げ、よろめかせる。

 その柄を掴むと、涛牙は独楽のように身を翻し剣を引き抜くと同時に再び魔導火を剣に纏わせた。

「烈火、炎装!」

 イルデュアンの脇を駆け抜けながらの横薙ぎ一閃。白く燃える剣閃が水平に薙ぎ払われる。

 夏凛を背後にかばいながら残心の構えを取る涛牙の前で、上下に両断されたイルデュアンは燃え上がりながら崩れ落ちた。

「――ふう」

 確実に致命傷を与えたことを確かめて涛牙が息をつく。が、イルデュアンの身体が再び動いたことで構えなおす。

『オイオイ、まだ動くってか?!』

 さしものディジェルも驚く中、イルデュアンの上半身は這うように蠢き、夏凛に向かって手を伸ばした。

「ヒッ!?」

 その身体が、一度溶けるように崩れ、人間の姿へ変わる。最初に夏凛の前に姿を見せた、あの中年男の姿だ。

 そして、その口から、言葉が漏れる。

「ゆ、るさ、ない……。ゆる、せない……」

 地の底から這い出るような怨嗟の滲む声に、今度こそ夏凛は凍り付き、涛牙もまた気圧される。

「うらぎりもの――。人でなし――」

 最初、奴はまともに話せなかった。ホラーらしく奸智を働かせるようなこともなかった。それが討滅されて滅びる間際に人語と知恵を取り戻すとは、何たる皮肉か。

「恨んでやる……。憎んでやる……。断じて、貴様を、認めるものか」

 もはや手遅れの負の念を垂れ流し、男は夏凛に這い進もうとする。この男の中に、一体どれほどの怨念が詰め込まれているのか、察する事も出来ずに夏凛は伸ばされた手から逃れようと身体を縮こませた。

「永遠に、呪われろっ……。乃木 若葉ぁぁぁ!!!……」

 最後の絶叫を残して、男は黒い靄と化して消えた。その様はホラーの最期に間違いない。

 今度こそホラーの脅威が消えたことを察して、涛牙は鎧を解除する。だが、男の残した断末魔の叫びは耳の奥にこびりついている。それは、夏凛も、イルデュアンが斬られたのを見て駆け寄っていた園子も同じことだった。

 誰ともなしに顔を見合わせ、言う。

「「「……誰?」」」

 男の怨嗟の相手に、心当たりがなかった。




あれ~……。
あっれ~……。

なんか、前回の投稿から半年も過ぎてる……。危うくエタるところだった……。
PCの調子が悪くて買い替えたりとかあったけど、こんなに更新が遅くなるとは思ってもみませんでした。
鈍足更新とは言っていましたが、楽しみにしていた方には申し訳ないです。

来年は……更新頑張りたいですっ(小並感
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