結城 友奈は勇者である 神の揺り籠   作:ヴィルオルフ

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黄昏時。逢魔が時。そこは光と闇が交差する時間。
黒い狩人の宣告が、可憐な花に影を落とす。
若き剣士の握る刃。その切っ先はどこへ向く。


トワイライト・ヴァーディクト(黄昏の宣告)

 人気のないとある路地裏。日没にはまだ遠いが建物に挟まれ薄暗いその一角に、なお一層暗い黒尽くめの人影があった。

 足音もなく歩を進めていたその影はある地点で不意に足を止め、おもむろに懐から一冊の書を取り出した。

 古ぼけた装丁の書物、その真っ黒な表紙に人影が手をかざすと、書物は誰が触れるともなく開かれてページがめくられ――やがてあるページでその動きが止まる。

 そのページに魔戒語で記されている術を確認すると、その人影は自身の掌に一度魔導力を込め、再度書物に手をかざす。すると、書物から魔界文字で記された呪文があふれ出して辺りを埋め尽くし――ほどなく呪文は拳大の球体と化した。

 暗い青色の光を放つその球体が安定していることを確認すると、人影は音を立てることなく姿を消した。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 日ごとに寒さを増す冬の夕方。

 買い物や下校後の寄り道で人々が思い思いに行き交う街、それを見下ろす建物の屋上に涛牙はいた。街を見据える視線は猛禽のように鋭く、その瞳の奥に暗い怒りを宿しながら。

『……見つからねェなぁ』

 涛牙がこの警戒を始めて半月。胸元のディジェルがそろそろ飽きたような声音でつぶやくが、その声を決然と無視して涛牙は警戒の視線を放ち続ける。

「それでも、ヤツは近くにいる」

 何度目か繰り返したやり取りにディジェルも内心ため息をつきながら、無理もないとは考える。

 

 曲津木 久那牙。外道に堕ちた暗黒騎士。涛牙と、祖父の海潮が行方を追っていた敵。

 

 この2年行方を晦ましていた久那牙と遭遇したのは、数か月前の晩夏のこと。ヤツはなぜか、ホラーではなく勇者に牙をむき、その後は樹海でバーテックスをも獲物としていた。

 レオ・バーテックスが撃破された時の爆発で行方を見失ってはいたが、涛牙が生きていた以上、久那牙が生きていてもおかしくはない。

 それ以来再び姿を晦ましていた久那牙が、再び勇者の前に現れたのだ。涛牙が最大級に警戒するのも当然ではあった。

 だが疑問もある。

 久那牙がホラー喰いだけでなく、勇者やバーテックスの力まで喰えるようになった事は――原理不明だが――わかっている。だが、友奈たち勇者部の面々は既に端末も返却しており、神樹の力を揮える勇者ではない。そんな友奈の前に、ヤツはなぜ姿を見せたのか。近くには別のホラーもいたのに。

 ディジェルはそう質したが、涛牙は「知らん」の一言で切り捨て、時間を見つけては久那牙の尻尾がないか町中を探し回っている。そして、成果はない。

 怒りや焦りが内心に渦巻くことを涛牙も自覚しているが、それを抑えつけることが出来ない。こうして見回りをしているのも、探すよりはじっとしていられないという方が実のところ近いのだ。

 そうして街を見ていると、不意にポケットの中で震える気配があった。

 慣れない感覚に一瞬ビクリとしてから、涛牙はポケットからスマートフォン(正しくは、スマホとして使える魔導具だが)を取り出す。

「もしもし」

『――涛牙先輩ですかっ?!』

 スマホから聞こえてきたのは、焦った様子の樹の声だった。

「ああ。どうかしたか?」

 聞くと、樹は落ち着きを取り戻そうと一度息を整え、

『お姉ちゃんが、帰ってこないんです!』

 そういった。 

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

 その日、風は普段より帰りが遅くなった。

 大したことではない。勇者部も――実態はどうであれ――学校が認めた部活の一つなので、定期的に生徒会に参加して活動内容や意見を交わすミーティングがあり、今日はその集まりがあったので部長の風が参加していたという程度の話だ。

 集まりが終わった時には日も暮れていたので、樹に電話を入れてから、夕飯の買い物をしながら家路についた、のだが。

「……あれ?」

 気が付けば、風はどことも知れない路地裏にいた。

 見上げれば、両脇を建物に挟まれた先に刻一刻と暗くなる空が広がる。どう考えても、風が立ち寄るような場所でもない。

「って、買い物もしてないじゃない?!」

 通学カバンしか持っていない手を見下ろして、呆れたように声を上げる。その声で、幽霊絡みが苦手で竦んでいる心を引っぱたいて踵を返そうとして。

 不意に視界に映った光に目が留まる。

 暗い青色の光。路地裏の更に奥、曲がり角の向こうから漏れ来る光を見て、風は気づかぬままに意識が遠のいていた。一方、身体の方は夢遊病者のようなフワフワした足取りでその光に向かって歩き出している。

(あ、あれ――)

 意識の片隅がおかしいと感じるがそこ止まり。光に近寄る事にほぼほぼ疑問も浮かばない。

 そんな風の背後に、不意に黒い人影が現れた。気配もなく、足音もなく。文字通り影が浮かび上がったように。

(ホラー寄せの外法に引き寄せられる――この娘か)

 人影が微かに吐息を漏らすが、それさえ無音。鯉口を切り、柄を握り、風の首に居合の斬撃を放つ一連の動作でさえ、殺気どころか気配さえ殺しきっていた。

 そんな必殺の一閃を涛牙の投剣が弾けたのは、単に一連の様子が見えていたというだけだった。

「ふえっ?!」

 背後で響いた金属音が風に正気を取り戻させる。慌てて振り返った先には、薄暗い路地裏の中になお浮かび上がった黒い影。

「うひゃあっ!?」

 ようやく上がった悲鳴が辺りに響くと同時に、上から別の人影が落ちてくる。

 オリーブドライ色のコートがさながら羽のように翻り、落ちた剣を拾うと同時に斬り上げる。一瞬なれど魔導力を込めたその斬撃は不可視の波動を伴い、人影を後方に押し返す。

 その一瞬に、コートを纏う少年は風を引っ掴むと上に跳躍。壁を蹴りながら更に高く飛び跳ね、脇にあった建物の屋上までたどり着く。

「うひゃおうぁぁああぁぁあ?!」

 その急激な動きに風の口からは悲鳴が上がる。屋上に放り出された風は軽く目を回して呻いていたが、それでも勇者として戦った経験が活きたか、軽く頭を揮うとどうにか意識をハッキリさせた。へたり込んだ自分をかばうように立つ少年を見上げる。

「しら、はね君……?」

「間に合ったな」

「どうして、ここに……?」

 よろめきながら立とうとする風に後ろ手に手を貸しながら、涛牙は答える。

「樹から、お前の帰りが遅くて連絡も取れないと電話があってな。魔導竜に探させた」

 涛牙が一瞬視線で示した先には、魔界竜――象のような鼻を持つ金魚らしき不思議生物が宙を泳いでいる。

 そういえば、友奈が復帰した後に改めて開いた涛牙の自己紹介の時に、勇者部の面々を護衛するために魔界の生物を使っていると言っていたか。

 以前樹が姿を晦ました時に見かけたのもコレだったと思い返して、風は一つ頷いた。

「そう、助かったわ。それで、さっきのって」

 それは問いではなく確認だった。そして、涛牙が答えるまでもなく、相手から姿を見せてきた。

 やはり音もなく地上から跳んできたのは、闇か影がそのまま人型を取ったような黒尽くめの姿。髪とマントが風に揺らめき、まだ残る黄昏の明かりが顔を浮かび上がらせる。

「……久那牙」

 軋るような声で、涛牙が呟く。

 その声に、久那牙は――無言。

 以前遭遇した時の薄い笑みも消えた表情は、死神を思わせるほどに冷たい。そのまま歩を進める久那牙に、涛牙もまた近づいていく。

「犬吠埼には勇者の力はない。それを分かって仕掛けたか」

 涛牙の問いにも無言。代わりに、白刃を鞘に納めるとその鞘を腰から外し、手の中で回転させる。

「――ただの人間を襲うまで、堕ちたか」

 言い切るより先に涛牙が駆ける。右下からの斬り上げを、久那牙は鞘で受ける。そこから涛牙が腕を伸ばして片手突きを放つ。一度受け止めさせた上での最短距離の追撃だったが、久那牙は鞘を回転させて突きを外しつつ鍔を涛牙の頭部に打ち込んでくる。

 反撃が来るだろうとは思っていた。だから久那牙が動きを見せると同時に涛牙は身体を反らせていた。結果反撃自体は涛牙をかすめる程度ですんだが、涛牙はそれでも意表を突かれた。――その反撃手段に。

 「棒術?!」

 納刀した状態の鞘をそう使ってくるとは予想していなかった。てっきり居合抜きの要領で斬りつけてくると思っていたのだが。

 驚いたのはほんの一拍。だが、久那牙はその一拍に一気に畳みかけてきた。

 迫るのは刃ではなく柄尻と鞘の石突。殺傷力は刃よりも格段に低い。だが、太刀筋を立てなくていい棒の打撃は、剣術以上に縦横無尽に迫ってくる。

 打ち、突き、払う。先端も末端も握り方次第で入れ替わる棒術の攻撃はまさしく怒涛。受けたと思えば涛牙の構えの隙を狙った攻撃がねじ込まれてくる。涛牙も負けじと剣速を上げるが、地力の違う久那牙には及ばない。防ぎきれたのは数度ほど。剣をひねり上げられた隙に鳩尾に突きを喰らい、態勢が崩れたところに下から顎を打ち上げられる。

 首が抜けるかと思うほどの一撃に涛牙の身体が宙を舞う。

「が……」

 危うく意識も飛びそうになる中で、

「――かぁっ!」

 飛びそうな意識をかき集める。地面に叩きつけられた衝撃に息を呑みながら、痛みも助けにして意識をハッキリさせると後ろに転がって一度距離を取る。

「ム……」

 気絶まで追い込めると見ていた久那牙が小さく声を漏らす。

 その、久那牙の一拍の隙に、涛牙は自身の鞘を腰から抜くと夏凛と似た二刀流の構えを取る。

 一本の剣を時に持ち手を入れ替え曲芸のように操るのは涛牙が身につけた剣術の動きだ。だが、久那牙の攻めに対応するには剣一本では足りない。ならば、受け凌ぐための手数を少しでも増やすほかない。

 深く息を吸い、涛牙は全力で踏み込んでいった。

 

 ガガガガガガッと、途切れない激突音を立てて涛牙と久那牙の攻撃がぶつかり合う。それは風の目では何が起きているのかまるで分からない戦いだ。振るう剣と鞘がどちらも残像しか捉えられない。

 それでも風にも分かることはある。涛牙は、押されている。

 辺りに響くのは、剣と鞘、或いは鞘と鞘がぶつかり合う甲高い音だ。だが、時折鈍い音が混ざることがあり、そのたびに涛牙が後退する。そこから尚前に踏み出していくが、少しするとまた鈍い音が混ざる。

 素人目だが、剣と鞘の二刀を夏凛以上に自在に扱っているように風には見える。それでもなお防御をかいくぐった久那牙の打撃が涛牙を打ち据えているのだ。

 それでも涛牙が間合いを取らずに前に出て距離を詰めようとする理由を、風は察していた。

 少し離れたところにある、階下へとつながるドア。屋上からの逃げ道はそこしかない。

 そして風がそちらへ向かおうとすれば、久那牙がぶつける殺気が風の足を留めさせる。涛牙と攻防を繰り広げながら、久那牙はまだ風の動きを意識し、逃げようとすれば気配をぶつけて妨害してくるのだ。もし涛牙が足を使って距離を取りながら戦おうとすれば、その瞬間に久那牙は風を斬り捨てる。そのつもりでいるのだ。

(どう、すれば)

 勇者の御役目でバーテックスと戦っていた時以上の恐怖に、冬だというのに風の背中は冷や汗で冷たく濡れている。助けを呼ぼうにも誰を呼べばいいというのか。勇者部の面々を呼んだら風ともども獲物にされかねない。

 恐怖に震えながらジリ、と後ろに下がる。

 と、風の肩に、誰かに掴まれる感触が走った。そして意識が疑問を持つより先に、風の視界が一気に高くなる。涛牙の戦う屋上があっという間に眼下で小さくなる。

「っ?!」

 咄嗟に振り向いた風の肩越しに、醜悪なドクロめいた顔があった。

 

「きゃああああああ!!!」

 

 

 急に響いた悲鳴に一番早く反応したのは、久那牙だった。視線を一瞬空に向けると、斬り結び圧していた涛牙から跳び退って鞘から剣を抜く。抜き放たれると同時、刀身に青い焔が浮かぶ。

「!させるかっ!」

 何をする気なのか。察すると同時に涛牙が跳ねる。

 風と、風を抱えて宙に舞う素体ホラー。両者をまとめて屠ろうと放たれた青い斬撃の前に強引に割り込み、ありったけの魔導力を込めた剣をぶつける。

 激突した魔導力が炸裂し、衝撃が辺りに吹き荒れる。

 一番間近にいた涛牙は、文字通り目を回しそうになりながら、それでも必死に意識を繋ぎとめて。

「っらぁ!」

 本能的に剣をホラーに突き立てようとして。

「!」

 咄嗟の判断で剣を手放し、代わりに拳を固めてホラーの顔面を殴りつける。突然の爆発に動転していたホラーはその一撃をまともに受ける羽目になった。

 ホラーを怯ませ、その隙に風をホラーの腕から風をむしり取ろうとした涛牙だが、ホラーも風を離すまいと抵抗する。風を掴んでいた腕の片方を離して、涛牙をその爪で切り裂こうと腕を振り回す。

「アダダダダダァッ?!」

 風を持ち去ろうとするだけの握力が肩を掴む片手に込められて、風が痛みに悲鳴を上げる中、涛牙とホラーはひたすらに殴り合う。だが、ホラーの爪は人間よりも強固だ。相応に頑丈な魔導衣越しでも、腕に、或いは爪が掠めた頬に、傷が刻まれていく。

「っつう……!」

 それでも、ここで振りほどかれて空に逃げられれば、涛牙には追う手段がない。風を掴んだ手を離すまいと必死に喰らいつく。

 そんな涛牙とホラーの戦いを、久那牙はビルの屋上から見据えていた。

 ホラーと風と涛牙。ひと固まりになった今なら、先のような魔導火を纏った斬撃を飛ばせばまとめて始末できる。のだが。

 悩むように眉間に皺を寄せて考えを巡らせると、マントの下から書物を取り出した。真っ黒な表紙の、古ぼけた装丁のソレは魔導書。それも魔戒士たちには俗に“禁忌の書”と呼ばれる魔の領域の代物だった。

 そのページが自然にめくられて、或るページで止まる。そこに久那牙が手をかざすと、ページに記された術がかざした手に再現されていく。久那牙自身に使えない術も使えるようになる、禁忌の書にはそんな機能があるようだった。

 そうして手の中に納まった術を、久那牙は空に放った。

「ハッ!」

 その手から放たれたのは、波動。衝撃波というほどもない、せいぜい急に風が押し寄せた程度のものだ。魔導書を用いてまで使うようなものとは思えない。

 だが、波動がホラーに到達した瞬間。

「Gyaaa?!」

 ホラーだけ、その全身が強張る。

『コイツは――?』

 ディジェルも何かを感じたようだが、問いただすよりも先に涛牙には為すべきことがある。

 力を上手く込められなくなったらしいホラーから、風を強引に取り上げ、そして、放り上げる。ホラーよりもなお高い空へ。

「うきゃあああぁぁぁぁ――!」

 更に悲鳴を上げる風を、ホラーはまだうまく動かない身体で追いかけようとした。身体を反転させ、翼を羽ばたかせて風を追おうとする。

 殴り合えるほどのすぐそばにいる涛牙――未熟なれど魔戒騎士に背を向けてまで。それは、致命的な隙だった。

 ホラーの肩を掴むと、腕力で涛牙はホラーの上に回り、ホラーの身体を足場にして風を追うように跳ぶ。

 邪魔されたことに憤慨するホラー。それを見下ろしながら、涛牙は懐の魔導札を起動させた。

 込められているのは、学生に扮しているために持ち歩けない魔戒剣を手元に呼び出すための引き寄せの術。手放していた魔戒剣が、瞬間、涛牙の手に戻る。

「おおおおおおっ!」

 切っ先が宙に円を描き、空間の裂け目から飛び出した鎧を涛牙が纏う。普段は精神力で軽くしているソウルメタルの鎧を、今はその重量をそのまま利用、落下速度を加速させる。

 ホラーが気付いた時には、すでに涛牙の刃の間合いだった。最短距離を貫く刺突が、驚愕に変わったホラーの顔面に突き立ち、そのままホラーを爆散させる。

 そして涛牙はそのまま自由落下に身を任せる。

「――ぁぁぁぁぁぁああああああ?!」

 そう遠くない距離に聞こえる風の悲鳴。それを頼りに測るのは、鎧を解除するタイミング。

 眼下に久那牙と戦っていた建物とは別のビルの屋上が迫るのを見て、涛牙は身体を捻って仰向けになる。落下の最中で悲鳴を上げ続ける風のちょうど真下に自分がいるのを確かめて、涛牙は背中から屋上に叩きつけられた。

 鎧越しの衝撃をこらえて、すぐに涛牙は鎧を解除する。落ちてきた風が涛牙を下敷きにしたのはちょうど鎧が送還された瞬間だった。

「グホェアァァァ……」

 常人以上に鍛え、魔導力を全身に巡らせたからといっても、腹の上に落ちてくればさすがに苦悶に満ちた声が出ても無理はない。

「し、しらはねくんねぇぇぇ……」

 もっとも、年頃の少女である風としては、重いものに潰されたような声をあげられては乙女心に傷がつく。放り投げられてグロッキーなりながらも、下敷きにした涛牙からよろよろと転げ落ちる。

「そ、そんな、アタシが重いみたいな声、出さないでよぉ……」

 内臓がひっくり返ったような吐き気をこらえながら、風はどうにか身体を起こす。

 風がどいたのを感じて、涛牙も何とか身体を起こして風を見る。

 ――羽みたいに軽いわけじゃないだろ――

 そんな軽口でも叩こうとして。

 風の姿を見た途端、涛牙の思考は真っ白になった。

「んん?」

 何か変な気配を感じて風が見返せば、涛牙は、見たことのない表情をしていた。

 目を見開き、口をポカンと開けた、普段のクールな様子とはまるっきり違う、驚愕と呆然が混ざったような顔。そして、凍り付いたように微動だにしない身体。

 何となく風が自身を見下ろすと、ふと、、左の手に変なものが見えた。

 赤黒い、ミミズがのたくったような、或いは梵字のような不思議な模様。怪我か、とも思ったが、痛みはない。

「……白羽くん?」

 声を掛けると、涛牙はビクリ、と身体を大きく震わせた。明らかに、おかしい。

 どうしたのかと聞こうとした時、涛牙の向こうから久那牙が静かに姿を現した。

「――ホラーの血を活性化させる外法だ。ただ使えばホラーの強化させるだけだが、効果を一瞬にすれば、ホラーの血圧を急変させてある種の金縛りに出来る。お前を巻き込まないためだ」

 先ほどの波動の説明をしながら、提げていた切っ先をスイと上げる。

 風にまっすぐ向けられた久那牙の視線。だが、風がその視線に感じたのは、獲物を追い詰めた歓喜の類ではなかった。

 そこにあったのはむしろ、憐憫。

「――知られる前に、終わらせたかったが」

 ポツリと呟くと、久那牙は歩を進める。

「どけ、涛牙。ソレは私の務めだ」

 その呼びかけに、涛牙は肩を震わせた。風を凝視していた視線があからさまに泳ぐ。風にはそれが、隠し事がばれた幼児の仕草に見えた。

「お前がやる事ではない」

 その声に込められた労わりの情を、狙われているはずの風でさえ感じ取る。まるで涛牙を気遣うように振る舞う久那牙に、

「――」

 涛牙は、振り向きざまに切っ先を向けた。

 その切っ先をジッとみて、久那牙は言葉を重ねる。

「お前、掟を守るのか」

 掟という言葉が何を指すのか、この場で分からないのは風だけだった。

「――ふざけるな」

 涛牙の声はひどくかすれていた。軋るように荒い呼吸をしながら半歩久那牙に詰め寄る。

「俺を、いつまでも見くびるな」

「やれるというのか」

「―――――」

 その問いに涛牙は答えず。ただ威嚇するように荒い呼吸を重ねる。

 だが、その無言の対峙に何か感じとるものがあったのか。不意に久那牙は刀を納めるとマントを翻して背を向けた。

「ならば手は出すまい。だが、どうするにせよあまり猶予はないぞ?」

 それだけ言うと、屋上から飛び降りて姿を消す。ほどなくして、辺りに満ちていた昏い気配もまた霧散し、代わってごく当たり前の黄昏の空気が風たちを包み込んでいく。

「っハァ~~~」

 知らずに詰めていた息を盛大に吐き出す風。一方の涛牙は、力尽きたようにくず折れ跪き、

「ウッアアアアアアーーー!」

 絶叫し、拳を床に叩きつけた。癇癪を起こした子供のように何度も床を殴りつけていく。

「ちょっ!どうしたの?!」

 狂態を晒す涛牙を風が抱きとめるが、腕の中で藻掻く様子は尋常ではない。見れば拳をぶつけた床面はコンクリートに拳の形に凹み、拳の方も血がこぼれている。

「ア、ウアアアア!」

「もう、どうしたのよ白羽君、白羽君?!」

 涛牙の叫びと風の悲鳴は、夜のしじまにしばし響き続けた。




はい、ホントに、本当に、投稿が遅いもので申し訳ないです。
続きが出来ない間に、大河の新作映画が公開されるわ流牙シリーズがまたやるわと牙狼シリーズにまとまった動きがあってビックリしてました。
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