きらきらぼし   作:雄良 景

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 人間関係で最も重要なこと。―――――それは信頼だ。

 ただ、信じる。それがどれほど恐ろしく尊く愚かなことかを、知っているだろうか。

 それでもなぜ信じのかといわれれば、仕方がないからだ。

 仕方がないのだ。愛しているから。





マイ・ヒーロー

 

 

 

「ナツさん、その、横になられたらいかがでしょう。眠ってしまわれれば少しは楽になると聞いたことがございますわ。目的地に着きましたら、わたくしが声をおかけしますので」

 

 

 ルーシィは目的地へ向かう馬車の中、真っ青な顔で苦し気に息をするナツの背中を撫でさすりながら、せっせと声をかける。

 ハルジオンでは船酔いをしていたナツだったが、そもそも乗り物全てと壊滅的に相性が悪い男なのだ。つまり場所も例外ではなく、ナツは息も絶え絶えだった。

 

 

「無理だよルーシィ。そこまで気持ち悪くなると寝れないんだ」

「まあ、そうですのね」

 

 

 向かいの席で苦しそうなナツを気にせず(なにせ日常茶飯事だ)毛づくろいをしていたハッピーの否定に、ルーシィは考え込む。それではどうすればナツの苦しみを和らげることができるのだろうと。

 

 カタカタと揺れる車内でうんうんと苦しむナツと、うんうんと悩むルーシィを交互に見たハッピーは、唐突に「あっ!」と叫び、ひらめいたとばかりに(まえあし)を打った。

 

 

「ルーシィ、ナツをハグしてあげれば?」

「ハ、ハグですかっ?」

 

 

 ぎょっと背筋を伸ばしたルーシィに、ハッピーは名案とばかりに推しまくった。例えばハグはストレスを減らしてくれるだとか、例えば人肌は万能薬だとか。

 はたから聞いていればどっかで聞きかじったのだろうなという、どちらかというとデタラメの方が多い説得(特に万能薬説)だったが、なにせ心底ナツを心配していたルーシィは「それで少しでもナツさんが楽になるのでしたら」と恥ずかしがりながらもハッピーの提案に乗ることにした。

 

 

「さ、さあナツさん、どうぞ」

「うーううう……」

 

 

 ―――――少し頬を染めて手を広げたルーシィに、しかし気持ち悪さで話を聞いていなかったナツは動かない。

車内に数秒の沈黙が下りる。

 恥を忍んで腕を広げた分すでにいっぱいいっぱいなのに対して、唸るだけで動かないナツに困ったルーシィがハッピーに助けを求めれば、ハッピーは仕方ないとばかりに浮き上がり腕を組んで座っていたナツの背中を押した。

 

 極めて軽いちからで押されたナツは、しかし今はそれに抵抗もできないとばかりに、ふらふらとした頭でルーシィへ倒れ込んだ。

 

 

「んむ、」

「ひえっ」

 

 

 モフッ! とそれなりの勢いをもってルーシィの胸元に落ちたナツの頭を、ルーシィはとっさに抱きしめた。バランスを崩して床に落ちるのを防ぐためだ。―――――しかし、胸元である。

 

 

( これはナツさんのためこれはナツさんのためこれはナツさんのためっ!! )

 

 

 何度も言うが、ルーシィは男慣れしていない純粋培養だ。胸元という非常にデリケートな部位に顔をうずめるナツに、すでに心拍数はドラムロールに達しているが―――――これは、ナツのため。ナツのためなのである。(自己暗示)

 

 ―――――それにもしかしたら、これから妖精の尻尾(フェアリーテイル)の一員として過ごすにはこういった接触に慣れていかないといけないのかもしれない。

 

 ルーシィは大きく深呼吸をし、必死に冷静さを手繰り寄せた。

 知っている限り見た限り、妖精の尻尾(フェアリーテイル)はメンバー仲が良好で男女でも気軽に肩を組んだり抱き合ったりすることがあるように見えた。少なくともさっき酒場では何組かがしていた。

 妖精の尻尾(フェアリーテイル)はボディーコミュニケーションで親しみを表しているのかもしれない。ならば、いつまでも自分が挙動不審なのは失礼なことではないか。不快に思わせてしまうのではないか。

 ルーシィは馬鹿真面目である。故に、斜め上に思考を完結した。

 

 これはナツさんのためであり、自分の訓練にもなる。さあルーシィ、完璧な抱き枕になるのよ! とちからいっぱい意気込んだルーシィは知らない。

 

 これより先、ルーシィはなんとも不幸なことにことごとく妖精の尻尾(フェアリーテイル)のお色気担当かというかのような被害にばかりあうことを、今はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 ナツはふと、さっきよりはいくばくか気持ち悪さが減ったような気がして、そっと意識を持ち上げた。

 

 なにか、柔らかいものに包まれている……最初に気づいたのはそれだった。

 そして自分の優秀な鼻が、これはルーシィの匂いだと訴えた。

 

 自分はルーシィに抱きしめられていると気づいたのはすぐだった。

 

 

 まだ朦朧とした意識の中で、いきなり抱きしめてくるとか恥ずかしい奴だな、という感想を抱く。ナツは話を聞いていなかったからなんで抱きしめられているのか分からなかった。

 

 しかし、ルーシィに抱きしめられてから少し気持ち悪さが減ったのは確かである。柔らかくて気持ちいいし、いい匂いもして、しかも酔いに効く。

 ならいいか、とナツは役得を満喫することにした。

 

 

 なぜ少しはましになったのか。それはナツがハッピーに掴まって飛んでも酔わないのと似たようなことなのだが、とりあえず理由はおいといてナツはようやく呼吸がしやすくなったのだ。

 

 

 恥ずかし気な少女の胸に顔をうずめる息の荒い少年と、それを眺める猫という奇妙な絵面は、馬車がひときわ揺れて停車するまで続いた。

 

 

 

 

 

 

「す、すんません……これ以上は馬車じゃ進めませんわ……」

「な―――――」

 

 

 限界までに震えた御者のセリフと、目の前の風景に、ルーシィは絶句した。

 

 

 ―――――まるで声も凍えそうな、極寒の吹雪。

 

 

「そ、そんな…いくら山の上層部とはいえ、今は夏季ですのに……!!」

 

 

 だって馬車の中は寒さなどひとつも感じなかった―――――と考えたルーシィは、ハッと車内を振り返った。

 

 

( そうだわ、魔水晶(ラクリマ)…! てっきり光源になる照明魔水晶(ラクリマ)だと思っていたけれど、同時に温度調節をする暖房の役割も担っていたのだわ……!! )

 

 

 車内の天井に設置された魔水晶(ラクリマ)が煌々と光る。これのせいで外の変化に気づかなかったのだ。

 馬車の外は猛吹雪。しかし、ルーシィの装備はグレイに上着を貸したまま出てきてしまったので、ノースリーブのサマーニットだけだ。―――――凍え死ぬ。

 

 

「ど、どうしましょう……!」

 

 

 あまりの寒さに震えながら自分の体を抱きしめるように腕を交差させたルーシィは、寒さと想像したこの後に青ざめた。

 

 ルーシィはギルドを出た後ナツをあちこち探しまわり、ちょうど馬車に乗り込むところを見つけてついてこさせてもらったのだ。だから目的地も知らず、そもそもロメオの父がなんの仕事に行ったのかも知らなかった。

 

 

( うかつでしたわ…! 時間がなかったとはいえ、確認くらいはしておくべきでした…こんな天候では、まともに行動できない……これでは、ナツさんたちの足手まといでしかないわ )

 

 

 せっかくナツさんにご恩を返すために、少しでもお力添えをできればと思ったのに。―――――あの少年と、約束もしたのに。

 

 

 ルーシィは緩く唇をかんだ。ナツには散々助けられ、けれどハルジオンではことごとく後手に回ってしまいろくに恩返しができなかった。だから少しでも、と思って追いかけてきたのだ。

 そして、もうひとつ。ナツを追いかける際に見かけたあの少年ことロメオに、ルーシィは少し無責任に、しかし大真面目に約束をしてしまった。―――――必ず連れて帰ってくるからと。

 

 

 それがどうだ、この体たらく。ナツは炎の魔導士からか、この吹雪にも全く堪えた様子がなく、しかも馬車から解放されたからか元気いっぱいに仁王立ちしている。そしてハッピーも、吹き付ける風にこそ飛ばされそうになっているが寒さにやられた様子はない。自分だけが、足手まといになっている。

 

 

 ナツが周囲を確認している中、震えながら思わず顔色が暗くなったルーシィに、―――――御者がこっそり近づいた。

 

 

「お、お嬢さん、防寒着を貸しましょうか? もちろんタダで!」

 

 

 デロン、と鼻の下が伸びた顔だった。声もどこか上ずっていて、視線はルーシィの腕で形を変えている柔らかそうな胸に固定されていた。―――――どこからどう見ても下心しか感じられない下品な呼びかけだ。

 

 しかしルーシィの顔色は明るくなった。そうだ、ここで防寒着を借りれば多少はましな動きができるかもしれない。そうすれば、足手まといにはならないかもしれない。

 落ち込んでいたところにルーシィからしてみれば最高な提案をしてくれた御者を、ルーシィは感謝の念をもって見つめる。ああ、なんてお優しい方なのかしら、と。

 

 

「よろしいのですか?」

「もちろん! そ、その代わり―――――」

 

 

 安心したような顔のルーシィに、御者は鼻息荒く頷く。そうして、ゆっくりとルーシィに手を伸ばした。

 

 自分のスペアを積んであるから、防寒着を貸し出すのはタダでいい。その代わり―――――そう、そのあまりにも人の目を引き付ける、大きくてとても柔らかそうな『ソレ』を、ちょこっとだけ触らせてもらえれば。

 指をうずめて、揉んだりなんかして。そう、ちょっとだけ―――――

 

 

 

 ―――――バサッ!

 

 

 

「きゃあっ」

「ひえっ」

 

 

 

 ―――――唐突に、ルーシィの視界が何かによってさえぎられる。同時に、むき出しだった肩や腕を襲っていた寒さが少しだけ和らいだ。

 

 

「ルーシィ、その毛布貸してやるよ」

 

 

 それはナツの毛布だった。仕事道具を持ってきたナツのからの施しに、ルーシィは慌ててかぶさる毛布から顔を出してナツにお礼を言おうとした。しかし、

 

 

「っあ、」

「っそそそそんじゃあオラは失礼しますぅうううーーーっ!!!」

 

 

 ルーシィの言葉を遮るように、御者が猛スピードで馬を駆り帰って行ってしまった。

 その勢いにルーシィは思わず寒さを忘れて呆気にとられる。それから、ああ、引き止めてしまったけれどきっととても寒かったのね。申し訳ないことをしてしまったわ、としょんもり肩を下げた。

 

 そんな落ち込むルーシィに、ナツとハッピーが呆れたように声をかけた。

 

 

「お前な~、ケイカイシンを持てよケイカイシンを」

「あい、ルーシィ危なかったよ」

 

「え、あ、あの、い、いったい何が…」

 

 

 それは忠告だった。しかしルーシィからしてみれば寝耳に水である。寒さで震えるくちを動かしながら、首をかしげたルーシィに、ハッピーが少し詰め寄る。

 

 

「おいら知ってるよ。ルーシィもうちょっとでセクハラされそうになってたんだよ! オスはすぐに信用しちゃいけないんだよ」

 

 

 まさか、という顔でナツを見たルーシィだったが、ナツもまたうんうんと頷いている様子を見て余計に落ち込んでしまう。

 いや、ルーシィとて男の下心くらい知っている。しかしあんな優しく声をかけてくれた人まで…というショックだ。もしかして男ってみんなそうなの? と凹んでしまうのは仕方ない。

 

 ハッピーの口調はまるで年下に言い聞かせるようであったが、この件については純粋培養のルーシィよりギルドの女性たちの明け透けなセクハラ被害体験を聞いて育ったナツとハッピーに分がある。

 今だって、ナツが気づいて御者を睨みつけなければどんな被害にあっていたか。下手をすればルーシィに一生モノのトラウマができるかもしれなかった。

 

 あんまりな事実にますます落ち込むルーシィ。―――――しかしルーシィは頑張って意識を切り替えた。自分のショックは後回しだ。まずはそう、ロメオの父を助けなければ。

 ちなみに現実逃避とも言う。

 

 

「あ、あ、あの、ロメオさんのおお父様、は、い、いったいどのよ、うな、お仕事に、行かれたのですかっ」

「あ? 知らねえでついてきたのかよ。―――――凶悪モンスター『バルカン』の討伐だ」

 

 

 

 

 

 

 ルーシィはナツに借りた毛布にくるまりながら、大きな声でロメオの父を呼ぶナツについて必死に歩き出した。

 

 

「マカオーーォオ!! いるかぁーーーっ!!」

 

 

 ルーシィは一言も発せない。何の役にも立っていない。しかしその手にはしっかり鍵を握っていた。

 

 この寒さの中元気いっぱいに叫ぶだけの気力はルーシィにはない。そして、ロメオの父、マカオがモンスター退治から帰ってこないということは、マカオを打ち破ったモンスターと会敵し戦闘になる可能性があるということ。

 

 ならば無理に叫んでいたずらに体力を消耗するより、戦闘で足手まといにならないように今は体力を温存することを選んだのである。

 

 

「バルカンにやられちまったのかぁーーーーあああ!!!!」

 

 

 一行が叫びながら移動することおよそ5分。時間としては短いが、馬車はそれなりに山の奥まで進んでくれたため5分でも移動すればかなり深層部まで移動することができた。

 

 そしてつまりそれは、深層部を縄張りにする獣の意識に入ることと同義である。

 

 

 ―――――ふいに勢いよくナツが上を見上げた。……雪の塊が落ちてくる。そして、ナツの耳は確かに、何か大きな生物の足音を聞いた。

 

 

 それは空からやってきた。

 

 

 

 ―――――ドゴォオオオン!

 

 

 

 一撃で一面の雪の積もった地面に大きな抉り跡をつける攻撃は、その威力を物語る。

 大きな体。腕には斑点模様。長い耳に、猿のような顔。頭の一本角。

 

 

「バルカンだーーーーっ!!」

 

 

 それは間違いなく討伐対象のバルカンだった。

 ハッピーの声が響く。ルーシィは毛布を握る手にちからを込めた。

 

 これは、最悪を想像しなくてはいけないかもしれない―――――

 

 そんな風に考えたルーシィは―――――反射で後方に大きく飛んだ。

 

 

 

「人間の女だっ!!!!」

「っ!!!!」

 

 

 

 ―――――間一髪。ルーシィのいたところを、バルカンの腕が素通りした。

 

 

「お前喋れたのか!」

 

 

 ナツが目を見開き叫ぶが、バルカンは視界にも入れない。ただその目はルーシィを嘗め回すように見ていた。

 

 

「ウホッ♡ ウホッ♡ 女♡ 人間の女♡」

「おいこらマカオはどこだ!」

「人間の女! オデの女っ!!」

 

 

 ルーシィは身の危険を感じ、雪に足を取られながらも思わず数歩後ずさった。ハッピーの言葉を思い返す。もしかしてこれは男の下心を向けられているのだろうか。猿に。

 

 バルカンの意識はルーシィに完全に集中している。手をワキワキさせ、目は瞳孔が開いていて興奮状態が伝わってくる。

 ―――――もっと間合いを取らなくては。ルーシィとバルカンの距離は実はさほどない。星霊を呼ぶにも、呼んでる最中に攻撃を喰らいそうだ。

 

 バルカンが鼻息荒く腰を下ろす。それは飛びかかる前動作。ルーシィもまたイチかバチか足にちからを込め―――――

 

 

 

「無視してんじゃねえ!!」

 

 

 ―――――ドゴォ!!!

 

 

 

 しかし真っ先にナツが動いた。

 

 ナツの飛び蹴りにより盛大に吹っ飛んだバルカンをしり目に、ナツはルーシィの近くに着地する。

 

 

「ったく、マカオはどこだっつってんだよ」

「―――――ナツさん、は、マカオさん、が、まだ……ご存命だと、お、お思いですか」

 

 

 不機嫌そうなナツに、その言葉に、―――――ルーシィが思わず、震えながら言葉をこぼす。

 

 それは真っ当な思考だろう。―――――マカオが帰らなくなって1週間。そして生き残っている討伐対象のバルカン。そこまで条件がそろえば、マカオはすでに亡き者になってしまっている可能性が極めて高い。

 しかしナツはまるでマカオがまだ生きていると確信しているかのようなのだ。

 

 だからルーシィは疑問に思う。この現状で、なぜナツはそんな風に考えられるのかと。

 

 

「生きてる。マカオはあんなのに負けるほど弱くねえ」

 

 

 ―――――はっきりと、当たり前のように。

 

 ナツの返答は早かった。だから、ルーシィもそう思うことにした。

 根拠とも言えない、いっそ当てずっぽうな判断に聞こえるようなその確信を、信じることにした。……少なくとも、そのナツなりの根拠がルーシィの憧れた妖精の尻尾(フェアリーテイル)の在り方だと思えたから。

 

 

「マ、マカオさんが、まだご存命だとしても、バルカン、が、ここに来れた、と、言う、事は、重傷を負って、いらっしゃる可能性、がっ、高いかとっ」

「かもな」

「な、なぜならっ、バルカンがわたくしたち、を、襲いに来た、のは、バルカンは、すでに、マカオさんを脅威と感じ、て、いない、という、こと!」

「おう」

「しかし、きょ凶暴な野生どど動物、が、手負いとはいえ縄張り内、に、じ、実力者が、いる現状を、無視する、とは、思えませんっ…」

「で?」

「そして、バ、バルカン、のなな縄張りは広くっ、重傷を負いながら出る、事は、不可能かと」

「つまり?」

「マカオさんは、バルカンがっ、監視できる場所っ! つ、つまり、住処に囚われて、いらっしゃ、る、可能性が、あります!!」

 

 

「なるほど、じゃああいつに住処を吐かせればいいんだな。喋れるみてーだし」

 

 

 ナツはゴキリ、と腕を鳴らした。ルーシィの推測は穴もあるが、同時に可能性も高い。ナツの脳みそは自分のすべきことをはじき出した。

 

 しかし、ルーシィは首を振る。バルカンは確かに喋ったが、だからといって円満に物事が進むとは思えなかった。

 話せるということは知力があるということ。知力のある獣ほど厄介なものはない。

 

 

「わ、わたくしに、策がございますわ!」

 

 

 遠い向こうで、大きな影が立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

「ひ、ひひひ開けっ、と時計座の扉っ―――――ホロロギウム!!」

 

 

 ―――――掲げた鍵から、鍵穴状の光が放たれる。一拍置いて現れたのは、大きなのっぽの古時計だった。

 

 

「おお!」

「時計だ!」

 

 

 ナツとハッピーが大声ではしゃぐ。特にナツは初めて見た星霊召喚だ。

 まじまじと見つめるひとりと一匹の視線の中、ルーシィはホロロギウムの腕に毛布を握らせ、振り子のある胴体部分に収まった。

 

 

「『ホロロギウムは中に隠れてしまえば、身の安全を必ず守れるのです』と申しております。…ご評価いただき、光栄でございますルーシィさま」

 

「「 喋った! 」」

 

 

 ナツとハッピーはまた驚いた。時計がしゃべるとはこれ如何に。いやしかし、確かに顔があってくちがあるのだから、おかしくないかもしれない。

 

 

「じゃ、頑張れよルーシィ」

「『はい、よろしくお願いします』と申しております」

 

 

 ナツの言葉にルーシィが頷いたと同時、―――――バルカンが猛スピードで飛びかかってきた。

 

 

 

「オンナァァアアアアアッ!!」

 

 

 

 ―――――ルーシィの作戦はこうだ。

 まず前提として、さっきまでの様子から見るにバルカンは人間の女であるルーシィに劣情を抱いている。そこを利用するのだ。

 

 

「うおっ、―――――しまった!」

 

 

 ならば再び襲い掛かってくるであろうバルカンに、ルーシィをわざと拉致させる。―――――ナツはわざと隙を作り、ルーシィから距離をとった。

 

 

「 女!!! 」

 

 

 そうすればバルカンはホロロギウムに入ったルーシィを、住処へ連れ帰ると推理したのだ。あとはナツがホロロギウムの握りしめた毛布の匂いを辿えば、バルカンの住処を見つけられるという寸法である。

 

 

 

 ―――――ナツさん、この吹雪の中で、匂いを辿ることは、できますか。

 ―――――すぐならヨユーだ。ドラゴンの鼻なめんな。

 

 

 自信満々で返したナツに、ルーシィは微笑んだ。

 それは、一切の不安を捨てた笑顔だった。

 

 

 

 ―――――ええ、信じます。

 

 

 

「っし、頑張れよルーシィ! 行くぞハッピー!」

「あい!!」

 

 

 ハッピーがナツを抱え飛ぶ。―――――この吹雪ではハッピーも飛ぶのに負担が大きい。しかし、ルーシィはハッピーにも信じてると言ったから。

 

 

 仲間が信じて待っているから。

 

 

 ハッピーは持てるちからすべてを使って、最高速度で飛び出した。

 

 

 

 

 

 

( ホロロギウム……現界時間はあとどれくらいかしら )

( 申し訳ございません……そろそろ、お時間が )

 

 

 ルーシィは強く金の鍵を握った。―――――もうそろそろ、ホロロギウムの現界時間が終わる。ナツには言っていなかったが、今のルーシィでは星霊を長時間現界させておくことはできないのだ。延長も難しい。

 星霊たちは素質はあると言ってくれるが、まだまだルーシィの実力は低い。

 

 ホロロギウムの現界が解ければ、ルーシィとバルカンを阻むものは無くなる。そうなれば―――――撃破はできなくとも、せめて、ナツが来るまでの時間を稼がなくては。

 せっかくできることがあったのだから。

 

 

 

( ルーシィさま、もう… )

( ええ、ありがとうホロロギウム。―――――タイミングを合わせて頂戴 )

 

 

 目の前には、息荒くホロロギウム越しにルーシィに近づくバルカン。思わず怯む。…しかし、今のルーシィには恐怖を上回る使命感があった。

 

 

 

 ―――――3、2、1

 

 

 

 ポウンッ!

 

「 女!! 」

「 開け、金牛宮(きんぎゅうきゅう)のっ―――――!! 」

 

 

 柔らかい音を立てて消えるホロロギウム。叫ぶバルカン。ルーシィは震える指にちからを込め、残りの魔力すべてを使い切るつもりで金の鍵を―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 うおおおおおお!!! やっと追いついたァ~~~~~っ! 」

 

「ルーシィ大丈夫~っ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――ヒーローは遅れてやってくるものっていうのはさ、

 

 

 

「ナツさん! ハッピーさんっ!」

 

 

 

 破壊される住処の壁。現れたのは桜色と青毛。完璧なタイミングかつ、予想以上に早い登場。

 

 それは、安心。

 

 

 

 

「ウォラァッ!!」

 

 ドガッ!!

 

「ウゴォッ!!」

 

 

 

 

 ―――――第三者目線なら「さっさと来なさいよって」思うんだけど、

 ―――――当事者からすると、めちゃくちゃカッコよく見えちゃうのよね。

 

 

 再びバルカンに飛び蹴りを喰らわせるナツ。壁に激突するバルカン。それを視界に収めながら、ルーシィの頭の中を以前読んだ小説のセリフがよぎる。

 

 

 

 

 

「おい猿―――――マカオはどこだ」

 

 

 

 まぎれもなく、今のナツは最高にかっこよかった。

 

 

 

 

 

 

「ウ、ウホ……」

「よーし、これ以上痛い目にあいたくなかったらマカオの居場所を吐け! 人間の男だよ。知ってるだろ」

 

 

 ふらふらと起き上がったバルカンに、ナツが凄みをきかせて問いかける。脅迫めいたそれはそろそろどっちが悪役かわからなくなりそうだ。

 実際、バルカンはひどく怯えたような顔をした。

 

 このバルカンがマカオの居場所を知っているかどうか。それこそイチかバチかの賭けだった。

 ルーシィは真剣な顔でバルカンを注視した。それはバルカンが何か不審な行動をとってもすぐに対処できるようにだ。

 

 ルーシィはロメオが生きていると思っている。バルカンが知っていると思っている。―――――通常のルーシィならあり得ないことだ。

 ルーシィはナツのような超直感を持っていない。だから気を引き締めなければ、こんな現状なら悲観的になってしまうだろう。

 

 

 いつもなら。

 

 

 けれど、―――――けれど。

 

 

( マカオさんは生きていらっしゃる。このバルカンが、知っている )

 

 

 そう信じると、決めた。ナツの確信を、ルーシィもまた。

 

 

 だから、おびえた様子で一角を指さすバルカンに安心してしまった。獣の世界はちから社会。故に、その強さを示したナツに対して、バルカンが服従することは流れとしておかしいことではないと。

 ―――――バルカンはただの獣ではない。人に似た狡猾さを持つケダモノだ。

 

 そんなことを、忘れてしまった。

 

 

「男、いらん……」

「おう、ならマカオ返せ」

 

 

 バルカンが指さした先は、窓のように空いたいくつかの外へ通じる穴。指さされたそこに、ナツは駆け寄り覗き込んだ。―――――そのナツの後ろに、ピッタリとくっついたバルカン。

 

 

 ―――――ルーシィが気づいたときには遅かった。

 

 

 

「ナツさん、逃げて!!!!」

「あ?」

 

 

 

「オデ、女好き」

 

 

 

 バルカンの腕は、長く筋肉質だ。その腕が、まるで大砲のように―――――ナツを外へ押し出した。

 

 

 

 

 

 

「ナツさん!!!」

 

 

 ルーシィは大慌てで駆け出し、ナツが突き飛ばされた穴の隣にある同じような穴から下を覗き込んだ。―――――深い、谷だ。吹雪と相まって底が見えない。

 

 そんなところに、ナツが落とされた。

 

 

「男いらん! 男いらん!」

 

 

( 大、丈夫、大丈夫よ、ルーシィ……だって、ナツさんはお強いもの…… )

 

 

「女~っ女~っ!!」

 

 

( きっとまた、すぐに戻っていらっしゃるわ、ええ、きっと、きっと無事で――――― )

 

 

 

「ウッホホホ~♡」

「黙りなさい」

 

 

 

 ―――――魔力が渦巻く。

 

 バルカンがキョトンとした顔でルーシィを見た。しかし、ルーシィはうつむいたまま、―――――その手には、いまだ握られたままだった金の鍵。

 

 

「自然界に生きる獣が、外敵を排除することは当然のことでしょう。ええ、理解しておりますわ」

 

 

 ルーシィの声は固い。ハルジオンでボラを詰った時の比ではない。冷えているのではなく、むしろ熱く、煮えたぎるような。

 ―――――ホロロギウムの外に出て、再び身を襲っていたはずの寒さが今はかけらも感じられなかった。

 

 

「けれど―――――」

 

 

 手の内にある金の鍵は、金牛宮(きんぎゅうきゅう)の扉を開くもの。呼び出す星霊は、ルーシィが契約する中でもっともパワーのある『タウロス』。

 

 

 

 

「―――――そんな道理は、今のわたくしにはどうでもよいことだわ」

 

 

 

 

 ボラの時は怒りだった。けれど今回は違う。

 ―――――ルーシィは初めて、何かを心の底から憎んだ。

 

 

「開け、金牛宮(きんぎゅうきゅう)の扉………タウロス」

 

 

 煮えたぎる魔力を、そのまま鍵に。あふれた光はやがて静まり、そこにいたのはルーシィよりふた回り以上大きな……

 

 

 

「MOーーーっ!! お久しぶりですルーシィさん!!」

「牛!!?」

 

 

 

 二足歩行の牛だった。巨大な斧を持った巨大な牛が、威風堂々とばかりに立っていた。

 バルカンが目を見開く。同じ獣の匂いがする何か。しかし、何かは獣とは大きく違うものを持っていると、本能が理解した。

 

 

「相変わらずステキなルーシィさん。本当はMO☆レツに称賛したいところではありますが」

 

 

 ―――――それは知性だ。バルカンにはないものだ。

 バルカンの持つのは知力。しかし、タウロスにあるのは知性だ。

 

 知性とはすなわち、理性である。

 

 

「―――――今はあなたの心に寄り添いましょう」

 

 

 タウロスは、スケベな牛だ。下心は正直バルカンと似たようなものだろう。

 しかしタウロスには知性があり、理性がある。そして、ルーシィを愛している。

 

 だから今は、ルーシィの愛するものを傷つけた、ルーシィの心を傷つけた目の前のケダモノを排除することに全意識を集中した。

 

 穏やかで、控えめで、ちょっとわがままで、愛情深く美しい契約者(オーナー)の、初めて星霊(じぶんたち)に伝えてくれた深い怒りを受け止め―――――ちからにした。

 

 

「タウロス!」

「MOOOOOO準備OK!!!!!」

 

 

 

 タウロスが走る。そのスピードは巨体に似合わないほど俊敏だ。しかし、バルカンもまた手練れ。

 バルカンはタウロスが振り下ろした斧を両手で白刃取りした。一瞬の間、二頭の間でちから比べが起きる。

 パワーは拮抗。…本来ならタウロスの方が圧倒的なパワーを持つのだが、召喚者であるルーシィの実力が伴わないのだ。しかし、タウロスは星霊である。歴戦の戦いの中にあった戦士である。ちからで決着がつかないのなら、それ以外をすればいいと知っている。―――――この場合、タウロスの経験が二頭に差をつけた。

 

 拮抗した状態から―――――蹴り! 右足でバランスを取ったタウロスの左足から繰り出されたちから強い蹴りがバルカンの脇腹にめり込む。その衝撃たるや、バルカンは間一髪吹き飛ばなかったものの斧から手が外れ一歩後ずさってしまう。

 

 わずか一瞬。されど一瞬。タウロスはそれを見逃さない。自由になった斧を両手で持ち、浮いていた左足を、流れるような重心移動でよろめくことなく、足をクロスさせるように右足の右側に着く。それと同時に左足を息を意を持たせて浮かせ―――――回転。

 

 振り回した斧に遠心力がちからを与える。その刃は衰えることなく、いまだ体制を整えられていなかったバルカンの首へ―――――

 

 

 

 

 

「なんか怪物増えてるじゃねーーーかっ!!! 」

 

 

 ゴスッ!!

 

 

「ンMOぅッ!!!」

「タウロス!? というかナツさん!!!?」

 

 

 







 ―――――ヒーローは遅れて来ると言うが。

 ―――――もう少しタイミングを考えてもらいたいものである。



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