きらきらぼし   作:雄良 景

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 溢れるほどの愛だった。それが本当に美しかった。


 だから、溢れるのは愛だけでよかった。





愛を謳え

 

 

 

「さて、ではカービィさまの元へ向かいましょうか」

「お、おう」

「あい……」

 

 

 にっこり。穏やかな笑顔を浮かべるルーシィに、ナツとハッピーは少しひきつった返事をした。

 

 エバルーたちをシャンデリアからぶら下げた後向かった執務室。手当たり次第に漁った結果見つけた本棚の隠しギミックを動かせば、現れたのは大きな金庫。

 そこまではルーシィもテンションが高かった。なにせ冒険心をくすぐられる仕掛けだ。しかしワクワクとした表情でナツが壊した金庫(さすがにセキュリティーを解除する技能はなかった)の中を検めたルーシィの様子は次第に変化していく。

 

 ひとつめの紙束を持ち上げ、顔色が曇る。隣の帳簿を開いて、そのまま並んでいた他の帳簿をあさって眉を顰める。しかめっ面のまま次々に確認していったルーシィの表情は、最後は冷たいほどの無表情だった。

 

 ついさっき微笑みからの無表情を見せられていたナツとハッピーは静かにルーシィから距離を取った。

 ふたりも中の書類やらを覗いてはみたが、ルーシィと違い見ただけで何か分かるわけではない。が、ルーシィのリアクションからしてあまり…否かなりとんでもないものが隠されていたのではないだろうか。

 

 キレるか、暴れるか……静かにその背中を見守っていれば、ルーシィは無表情のまま動き出したかと思えば、エバルーの執務室にあった連絡用魔水晶(ラクリマ)で軍に連絡を取り始めた。

 内容は『依頼で公爵を尋ねたら激高されてしまい戦闘になり、その際に商法取引法に反するものや他違法とみられる事業の証拠を見つけてしまった。公爵は拘束しているが自分たちは依頼人の元へ向かわなくてはいけないので至急出動いただきたい』という、当初の予定より少し違う話だった。

 

 そのあと、小さくぼそぼそと何かを話していたセリフは、逃げるように金庫内に証拠を覗きに戻ったナツたちの耳には入らなかった。

 

 

「なあ、軍に説明するんじゃねえのか?」

「ええ、そのつもりでしたのですけれど…詳しいお話はまた後に。今はまず、カービィさまへ本をお届けしませんと」

 

 

 

 

 

 

「ど―――――どういうことですか?」

 

 

 カービィは震える声で詳細を求めた。

 目の前には、数時間前にカービィの依頼を受け出発したふたりと一匹がいる。裏門をノックされた時は「まさかまだ成功したというわけではあるまい」と思って扉を開けたカービィだったが、彼らはその手に『日の出(デイ・ブレイク)』を持っていたのだ。

 

 

 ―――――そう、持っていたのだ。

 

 

 カービィの依頼はその本をこの世から消すということ。その、けして存在を許せない(・・・・・・・・・・)それを、跡形もなく消し去ること。

 

 混乱と怒りを浮かべるカービィに、ルーシィは静かな声で問うた。

 

 

「カービィさま。ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

「……なんでしょうか」

 

 

 

「あなたはこの本の著者であるケム・ザレオン氏のご子息でいらっしゃいますね?」

 

 

 

 ナツとハッピーが目を見開く。カービィの妻が「なぜそれを、」と息を呑んだ。

 

 

 そしてカービィは―――――おそらくカービィだけが、その声を『断罪』であると認識した。

 

 

 

 

 

 

 私はその時を待っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

「不思議でした。文豪ケム・ザレオン…彼の方の本、それも世界でただひとつというその本を、200万Jという大金を報酬と打ち出してでも消し去りたいというこの依頼は、徹頭徹尾どこか歪で、納得がいきませんでした」

 

 

 ルーシィの声が広いエントランスホールに響く。カービィの妻は既にくちを噤み俯いていた。

 

 

「けれど、カービィさまがケム・ザレオン氏の…いいえ、本名ゼクア・メロン氏のご子息であり、彼の方がこの本の著者であり―――――あなたがこの本を読んだことが無いとおっしゃるのなら、それは何らおかしなことではありませんでした」

 

 

 カービィの視線はずっと目の前のルーシィに固定されていた。

 それはどこか、くたびれた目だった。それでいて、安堵したかのような目だった。

 

 

「本の中身は知っています」

「いいえ、あなたはご存じありません」

「知っています。駄作だ。父がそう言っていた」

 

 

 ルーシィは否定する。しかし、カービィもまた否定した。その声はルーシィたちに『あの本の存在が許せない』と語った時のように、何か、言葉にできないほどの後悔に苛まれたカービィの内心を伝えてくるようだった。

 

 

 ―――――ナツは、静かに首に巻いたマフラーを握りしめた。

 駄作? つまらないから燃やすってのか。父が書いた本を―――――遺した本を。

 

 

 ぐるり、と腹の中身が一回転したかのような不快感が生まれる。そんなのはあんまりだろ。そんな感想しか出てこない。だって―――――親の遺したものは、ひとつでも多くあれば嬉しいじゃないか。

 

 

 ナツの奥歯が鳴る。ハッピーが気づかわしげにナツを見た。相棒の感情が爆発しかねない雰囲気を経験で察していた。けれど、内容が内容なだけに、…止められない。

 

 しかし、ナツが何かを言う前に、ルーシィがくちを開いた。

 

 

「ええ、今のお言葉で確信いたしました。あなたは内容をご存じない」

 

 

 それはこの問答をこれ以上続けるつもりが無いという圧力がこもった声だった。カービィもそれを察し、唇をかむ。

 

 

「カービィさま。あなたがこの本を消し去りたいと願われたのは、御父上の名誉を守りたかったからですね」

 

 

 すっとよく通る声が、耳から脳に染み渡る。違いますか? と聞く少女は、既に確信を持っているのだろう。カービィはそう思った。

 

 目の前に立つ少女。自分より随分と若いその少女に、この場を支配されたような感覚だった。

 

 

「どうかお教えいただけませんか。あなたの知る、この本のことを」

 

 

 

 

 

 

 敬愛する父だった。心から誇れる父だった。その時までは。

 

 父が居なくなった。エバルー公爵からの依頼を断ってすぐのことだった。

 ゾッとした。あの男の非道さは街のみんなが知ることだった。

 すぐにあちこちに聞きまわったが、集まった目撃情報はエバルー公爵の屋敷に入っていく姿が最期。

 断った腹いせに、殺されたのではないか―――――そんな想像しかできなかった。

 

 みんなは慰めてくれた。仕事を受けて、缶詰になっているだけかもしれない。どうか気を落とすな。昔は魔導士ギルドに所属していたのだから腕っぷしもたつだろう。

 

 けれどどんな言葉をかけられても、頷くことができなかった。

 

 父に言った。「そんなくだらない仕事を受けたら後悔するぞ」と。父も断った。―――――けれど、自分の言葉を受けて父が断ったのだとしたら? そして、父が殺されたのだとしたら。

 

 

 

 ―――――父を殺したのは誰だ。

 ―――――エバルー公爵か?

 

 ―――――他でもない、息子である自分が殺したのだ。

 

 

 

 父が帰ってこぬまま1年が過ぎた。父は著名な文豪であったが贅沢をしない人だったために金はあった。生きていくことはできた。心が寒かった。

 

 父が帰ってこぬまま2年が過ぎた。街のみんなは気休めを言ってくることが無くなった。2年も帰らないということがどういうことか、言うまでもない。かえってありがたかった。

 

 父が帰ってこぬまま3年が過ぎた。庭に小さな墓を建てた。死体の代わりに父の羽ペンを埋めた。前を向いて歩かなければならないと思い仕事を始めた。

 

 ―――――その年の秋に、父が帰ってきた。

 

 

 

 かすれた声で「遅くなった」とそう言って、おぼつかない足取りで家に入ってきた父に最初に感じたのは困惑だった。目の前のそれが現実か理解できなかった。

 だって何度も夢に見た―――――家に帰ってくる父を何度も夢に見た。

 

 父が無言で木工道具の入った木箱をあさる姿を見て、その音を聞いて、ようやくこれが現実だと理解した瞬間、沸き上がったのは喜びだった。

 

 当然だ。ずっと待っていた。ああ、墓なんて縁起でもないものを作ってしまった。羽ペンも使えなくしてしまった。けれど、そんなこと、父が帰ってきたことに比べれば些細なことだ。そうだろう? なあ父さん、仕事を始めたんだ。稼ぎがある。初給料ももらった。これで羽ペンを買いに行こう。なあ父さん、ずっと待っていたんだ。

 

 どれほど嬉しかったことか。どれほど待ちわびていたことか。

 けれど3年。3年待った。…それがどうしても、心の奥底にこびりついていた。そしてこびりついたそれが、素直に父へ声をかけさせてくれなかった。

 

 だって寂しかった。会いたかった。探していた。待っていた。

 

 

「さ、3年もずっと連絡をくれないで……」

 

 

 だからどこか恨み言のようなことを言ってしまった。

 

 

「一体…どこで執筆してたんだよ?」

 

 

 そんなこと分かっている。エバルー公爵のもとだ。分かり切ったことを聞いた。そもそも3年ぶりの父とのコミュニケーションの取り方が分からなかった。

 

 しかし、絞り出した声に父は応えなかった。

 

 

「と…父さん?」

 

 

 父は応えない。応えず、木箱から縄を引きずり出した。―――――そしてそれを、自分の利き(みぎ)腕に巻き付ける。

 

 

 ―――――言い知れない恐怖を感じた。何をする気だ。いったい何があった? くちが震えて声が出なかった。

 

 

「私はもう終わりだ」

 

 

 今思えば、この時終わった『私』とは、作家ケム・ザレオンを指していたのだろう。

 

 

 

 

「二度と本は書かん!!!!」

 

 

 

 

 それが作家ケム・ザレオンの遺言だった。

 

 

 

 

 

 

「止める間もなく、父は自ら腕を切り落としました……」

 

 

 誰もが耳を傾ける中、カービィの静かな声が響く。あの時目の前に飛び散った血潮を、父の雄叫びを、30年以上たった今も忘れられないでいる。夢にだって見る、悪夢だった。

 

 少し顔色の悪くなったカービィの背に、そっと手が当てられる。……妻だった。

 愛した女性が、そばで支えてくれている。彼女との出会いは、父が死んで2年目の秋だった。

 

 妻が居たから、自分は今日まで生きてこれた。

 

 

 カービィは、背中に添えられた手のひらから伝わる体温に背を押されるように、静かに続きを話した。

 

 

「すぐに医者に連れて行きました。…出血は多かったですが、処置が早かったおかげで一命をとりとめ……」

 

 

 

 

 

 

 思い返す、あの日。昏睡状態から回復し、目を覚ました父に改めて対面した日。

 父は笑っていた。背が伸びたなあと言った。まるで何事もなかったように。普通の父親のように。

 

 許せなかった。何をと言われば、今もはっきりとは言えない。ただ、自分は父が目覚めるまでの間、実の父親が腕を切り落とすシーンを何度も夢で見ることになったせいで精神が不安定だったのもあるだろう。

 疲れていた。苦しかった。だって父の腕だ。誇りだ。数多の物語を紡いだ、自慢の腕だ。

 

 くちからは父を罵る言葉が出た。なんでひとりで、そんな全部が終わったみたいなすっきりした顔をしているんだ。息子がこんなに苦しんでいるのに、どうしてアンタは。

 

 思い返すたびに後悔ばかりが押し寄せる。

 

 金がよかった? 最低だ!

 ( どうしてそんな言葉を信じたんだ )

 

 最低の駄作のために3年も家族をほったらかしにして! いつもおまえを想っていた? 嘘つきめ!!

( 嘘なんて―――――父は一度も、嘘なんてついたことなかったのに )

 

 

「作家の誇りと一緒に家族を捨てたんだ!!」

 

 

 その言葉を聞いた父の顔が、今でも忘れられない。愕然とした―――――ショックを受けた顔。

 図星なんだと思った。ざまあみろと思った。そんなことを思った自分が嫌だった。

 だから、逃げるように父のもとを去った。

 

 

「作家やめて正解だよ。誇りのない奴には務まらない」

 

 

 自分は何を知ったつもりでいたのだろうか。

 

 

「―――――父親もね」

 

 

 私は、私を一生許さない。

 

 

 

 

 

 

「父が自殺したのはそのすぐ後でした……」

 

 

 自分の中で美化していた最低な部分を息子に指摘され、図星のショックで死んだのだと思った。尊敬していた父の弱さに吐き気がした。死んだ後も、父を憎んだ。

 

 父が死んでもさほどショックを受けなかったのは、既に死んだものだと思っていたから。

 あれは父の亡霊だった。自分の尊敬した父は3年前に死んでいたのだと。

 

 

「けれど、年月が経つにつれ……憎しみは後悔になりました。……思い出すのです。父との日々を……」

 

 

 キッチンを見ては、不器用ながら一生懸命料理を作ってくれた姿。ダイニングでは、共に食事をした姿。庭では、巡る季節について話した姿。幼いころには共に風呂に入っていたことや、……仕事部屋で、本を書く後姿を見て、尊敬していたこと。

 

 

「―――――思い出はどれも、優しい父の姿でした」

 

 

 怒られたこともある。けれど父はいつも、尊敬する父だった。

 

 

「それなのに、父の顔を思い出そうとすると……あのとき、私の言葉に酷く傷つけられた父の顔しか浮かばないのです」

 

 

 父が死んで1年が経った頃。庭に作っていた、意味のなくなった墓を掘り返した。

 遺体は墓地にある。これは父と決別しようと建て、ゆえにそのまま残していたもの。

 

 

「掘り出した羽ペンをみて、はは……涙が止まらなくて」

 

 

 本当は、あの最後の会話は父の嘘だったのではないだろうか。息子にも言えないような理由があって、3年も帰ってこれなかったのではないか。

 その方がしっくり来た。納得できた。だって父は、家族を捨てるような人ではなかったから。早くに母を亡くしていらい、男手ひとつで自分を育ててくれた、尊敬する父だったから。

 

 

 

 ―――――父を殺したのは誰だ。

 ―――――エバルー公爵か?

 

 

 

 ―――――他でもない、息子である自分が殺したのだ。

 

 

 

 

「私が父を殺した」

 

 

 カービィ・メロンは、自分を一生許さないと誓った。

 

 

 

 

 

 

「だから償いに、この本を消し去ろうとしたのですか?」

「そう……そんな本を、父の遺作にはしたくなかった」

 

 

 カービィの目は、どこか虚ろだった。

 30年以上背負い続けた苦しみを吐露した彼は、死にゆく老人のような目をしていた。

 

 辛かった。苦しかった。許せなかった。

 

 そんなカービィの目を真っ直ぐと見て、ルーシィは微笑んだ。

 

 

「屋敷でこの本を破棄しようとした際、本から魔力を感じました」

 

 

 カービィはじっとルーシィを見る。

 

 

「ケム・ザレオン氏は魔導士でしたから、何かしらの仕掛けがあるのかと思い読ませていただきました」

 

 

 ピクリ、カービィの指先が震える。

 それは中身を気にする好奇心だろうか。それとも、尊敬する父の駄作を読まれたことに対する怒りだろうか。

 

 

「読めば、これは本当にあの文豪ケム・ザレオンの著書であるのかというほど、拙い作品でした」

「そうでしょうとも」

 

 

 切り返しは早かった。カービィの目に、ルーシィは妄執を見た。

 

 

「御父上の、『明日の太陽(トゥモロウ・カムズ)』という作品をお読みになったことは?」

「……ありますが」

 

 

 話がそれた。カービィはそう思った。カービィ以外もそう思っただろう。しかし、ルーシィは微笑んだまま続けた。

 

 

「あの本にはケム・ザレオン氏が若かりし頃、仲間内でお使いになっていた暗号についての記載がありました」

 

 

 暗号。…まさか、と全員がハッとした顔をする。

 ルーシィは微笑んだままだった。

 

 

「ケム・ザレオン氏の作品で他に『太陽』に関するタイトルが付けられていらっしゃるのは『明日の太陽(トゥモロウ・カムズ)』のみ。まさかと思い、その暗号を念頭に置き読み解けば、この本にはメッセージが隠されていました。

 

 ―――――それは間違いなく、ケム・ザレオン氏のお心そのものでした」

 

 

 それこそが、ルーシィの言った『宝の地図』だった。

 

 

「真実を、お話しても?」

 

 

 ルーシィは微笑んだままだった。……カービィは、頷く。

 今理解した。なぜ、目の前に少女に、こんなにもあけすけに全てを語っているのかを。

 

 

 

 裁かれたかった。お前のせいでお前の父が死んだのだと責められたかった。

 許されたかった。置いて逝かれたお前に非は無いのだと許されたかった。

 

 信じたかった。父は変わらず、自分の尊敬した父のままであったのだと。

 誇り高い、最高の作家であり父親であったのだと。

 

 

 

「お願い……します……」

 

 

 彼女は教会の懺悔室そのもののようだった。だから聞きたかった。他でもなく、父の心を見つけてくれた、聖母のように微笑む目の前の少女のくちから。

 

 

 

 

 

 

「ケム・ザレオン氏は公爵のお仕事をお断りしました。そも、彼の方のお書きになる作品は若かりし頃の冒険をしたためた自伝記なのですから、創作小説を書けと言われましても芸風が違いますから」

 

「しかし、公爵は許しませんでした。もし断れば親族一同にいたるまで罰を与えると脅迫しました」

 

「葛藤の末、家族を選んだ彼の方は『日の出(デイ・ブレイク)』を書き上げましたわ。自分が作家であるがゆえに家族を危機にさらしてしまったという負い目があるようでした。…わたくしから言わせていただけば、彼の方に非はまったくありません」

 

「ここだけの話……どうやら彼の方は病を患っていらしたようなのです」

 

「彼の方はとても悩まれました。公爵の命令(オーダー)どおりに筆を執れば、病に侵された身ですから、それが最期の作品になってしまうかもしれない。けれど逆らえば、家族の身に危害が加われるかもしれない」

 

「―――――作家としての誇りを捨ててでも家族を守ることが、彼の方の父親としての誇りでした」

 

「けれど、言われたまま、されたままでは終われませんでしたのでしょう。彼は書き上げた本に魔法をかけました。―――――それは、父としての誇りと、作家としての誇り。その両方を守る、最後の抗いでした」

 

 

 

 

 

 

 カービィは、ルーシィから渡された本を、静かに受け取った。

 

 

「『明日の太陽(トゥモロウ・カムズ)』には暗号の他に、もうひとつ有名なギミックが登場しますわ」

「アナグラム……」

 

 

 かぶせるように、カービィが答えた。―――――知っている。だって、何度も読んだから。

 

 ルーシィは少し驚いたように目を見開いて、そしてやっぱり、微笑んだ。

 

 

「ええ、文字の入れ替え(アナグラム)です」

 

 

 ルーシィが頷いたと同時に―――――カービィの手の中の本が光る。

 

 

「な、何だこれは!?」

 

 

 カービィはいきなりのことに叫び―――――それから、ああ、と、呟く。

 

 包み込むような、暖かい魔力。

 

 記憶がよみがえる―――――まるで昨日のことのように、鮮明に思い出す。

 

 

「文字が浮かんだ!?」

「てか本が浮かんでんぞ!?」

 

 

 ハッピーとナツが騒ぐ。本は既にカービィの手から離れ、自力で宙に浮いていた。そしてその本の表紙、DAYBREAK(タイトル)の文字も本から離れ宙に浮いていた。

 

 カービィはそれを見ても驚かなかった。それどころか、どこか安心した。

 だってこれは、―――――父の魔力だ。

 

 

 

 

「本の最後には、暗号でこう書かれていました。『我が最愛の息子カービィへ―――――』」

 

 

 

 

 文字はやがて並び変わるように本の表紙へ戻っていき、

 

 

 

 

「『―――――私の生涯最後の本を、お前に贈ろう』」

 

 

 

 

 出来上がった新しいタイトルは、『DEARKABY(わがむすこへ)』。―――――これが、ルーシィが見つけた『宝』だった。

 

 そして入れ替わったのはタイトルだけではない。インパクトを与える派手なタイトルの入れ替わりの陰で、著者名もまた、文豪の名(ケム・ザレオン)から父親の名(ゼクア・メロン)へ。

 

 

「3年もかかるはずですわ―――――彼の方は公爵の冒険記を書いたようにみせかけ、その実最終的にすべての文字が入れ替わり(・・・・・・・・・・・・)、あなたへの手紙になるように作り上げたのですから」

 

 

 それがどれだけの労力か分かるだろうか。日の出(デイ・ブレイク)は200ページを超える作品だ。そのすべての文字が最終的に手紙へ入れ替わるということは、手紙としての言葉をまず用意し、そのすべての文字を使い切りながら物語として完成させなくてはいけない。

 

 

 

 本がひとりでにページを開く。―――――込められていた(ことば)が、渦を書いて宙へ踊り出した。

 

 

 

「おお!!」

「きれー!」

「こんな、ことが……」

「―――――ああ、父さん」

 

 

 ―――――とんだ駄作だよ。昔っから凝り性だった。…こんなことしてる暇があるなら、さっさと帰ってきてくれればよかったのにさ。それに、病気だなんて。……ほんとうに、何も言ってくれなかったのだから。

 

 

 

 一筋…カービィの頬を涙がこぼれる。恨み言のようなつぶやきは、言葉に反して誇らしげだった。

 

 

 

 

 これが私の誇る、作品を作り上げることに一切の妥協を許さなかった、最高の父の姿だと。

 

 

 

 

 たとえ拙かろうと、書き上げるだけでも素晴らしいようなギミックだった。まさに、世紀の超大作―――――ひとりの父親の、愛のカタチ。

 

 

 

 

「彼の人が作家をやめてしまわれたのは、いくらギミックでしたとはいえ、あまりにも拙い物語になってしまったこと。自分が作家であるがゆえに家族を危険にさらしてしまったという負い目の他に……」

 

 

 

 

 ――――― いつも、おまえの事を想っていたよ

 

( ああそうだ。父は、嘘をついたことなどなかったのだから… )

 

 

 

 

「……愛する息子への、全てをかけた手紙という、最高の作品を作り上げてしまったことが理由でしたのかもしれません。だって―――――こんな素敵なもの以上の作品なんて、作れないではありませんか」

 

 

 文字が躍る―――――やがてそれはあるべき姿(・・・・・)になり、それが正しいことのように本に戻っていった。

 

 

「ええ、むしろ…ケム・ザレオン氏は、この作品だからこそ遺作に選び、作家であることを手放したのではないでしょうか」

 

 

 

 

 これは、作家であるより父であることを選んだひとりの男の、最高傑作だった。

 

 

 

 

「私は……父を、……理解できていなかったようだ」

 

 

「当然のことですわ。作家の頭の中を理解できてしまえば、本を読む楽しみがなくなってしまいますもの。彼らの頭脳こそが、誰にも解き明かせない謎ですわ」

 

 

 ルーシィは、変わらず微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――ねえ父さん! いつか僕が主人公のお話を書いてよ!

 ―――――お前が? ううん、父さんが書くのは父さんの昔話なんだけどなぁ

 ―――――ねえいいでしょ? 僕、父さんの書くお話が大好きなんだ!

 ―――――分かった分かった。……それじゃあ、お前が大きくなったらな。

 

 

 

 

 ―――――お前のハタチの誕生日に、最高の傑作をプレゼントしてやろう! ……約束だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ―――――そうだよなあ。だって父さんは、嘘ついたこと、なかったもんなあ」

 

 

 生涯唯一息子に吐いた嘘が、「金がよかった」なんて馬鹿みたいなセリフだなんて。アンタ、本当に馬鹿だよなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局、軍に説明しなくてよかったのか?」

 

 

 シロツメの街からの帰り道。ナツは歩きながらルーシィに問いかけた。

 それは後回しにされていた疑問。依頼が終わった今、このタイミングなら聞いてもいいだろうという判断だ。

 

 ルーシィが連絡を入れた先は近郊の駐屯地ではなく、国王のお膝元である本部だという。そこから情報が回るとあれば、軍が到着するのにはあと数時間ほど時間がかかる。

 それなのにルーシィは一度エバルーの屋敷に戻り、意識を取り戻して縄から逃げようとしていた一同をナツに頼んでもう一度昏倒させた後、ホテルをキャンセルして帰路についた。

 

 

「……あまり、大きな声では言えませんのですけれど」

 

 

 ナツの問いかけに、ルーシィは少し声を潜めて答える。

 

 

「どうやら、近郊の軍の駐屯地に所属する幾人かの将校と裏取引をしていらしたようですの。公爵がお好きなように振舞っていらしたのも、圧力となる国家権力の一部を借り受けられていたからでしょう」

「ほんとにどーしよーもねぇやつだな」

 

 

 ナツのくちから呆れたような声が出た。ナツはエバルーがしたことは、ケム・ザレオンにしたことをルーシィがカービィに語ったことまでしか知らないが、それでも数度の邂逅でも思うところがあったのだろう。

 ナツの言い分に頷いたルーシィは話を続けた。

 

 

「公爵は善人とは言い難く、多くの法を犯した証拠があの金庫の中にございました。そのような方と裏取引をし違法行為に助力した者が軍内に居るというのはとんでもないことなのです。

 軍は情報の精査や実態把握に大わらわとなるでしょう。それが済んだ後は、関係者の処罰をしなくてはいけませんし、軍内の『お掃除』もしなくてはいけないでしょう。……国軍の統率者は国王さまでいらっしゃいます。今回の件の責任は回り回って国王さまのものとなり、つまりは同時に、国軍は国王さまからの信頼を大きく裏切ったことになります」

 

 

 ルーシィの語ったことは想像以上にスケールの大きなことだった。まさか片田舎の権力者をぶっ飛ばした件が国王云々という話になるとは、流石に思うまい。

 しかしまあ、ナツはあまりよく分からなかったので、ふうん? と相槌ののような息を吐いただけだった。

 

 しかし対して、ハッピーはとても不安そうな顔になる。

 

 

「ねえルーシィ…それって大丈夫なの?」

 

 

 その声は少し小さく、それがハッピーの感じている不安の大きさを物語っている。

 相棒のその様子に、さすがのナツも目の色を変える。正直エバルーの犯罪行為には大して興味もなかったが、相棒が不安そうにするのなら話は別だ。

 しかし何に不安がっているのかは分からないので、どういうことだとルーシィを見る。その眼光は少し鋭くなってしまったが、ルーシィはハッピーを安心させるようにひとつひとつ説明することにした。

 

 

「ハッピーさんが不安に思っていらっしゃるのは、軍が失態を隠滅するため、わたくしたちに何かしらの措置をとるのでは、ということですね?」

「あい……」

「確定ではありませんが…その可能性は低いでしょう。例えば裏取引をしていらしたのがひとりふたり程度でしたらその危険性はありましたが、安全だと思われたのか、ただ欲深いのか…金庫にあったリストを見る限り、近郊にある駐屯地3つともの上層部4割と親しくしていたようです」

 

 

 4割。それは数字だけ見れば少なく感じるかもしれないが、現実的には『ほぼ半数』である。シロツメの街近郊の駐屯地は3つだ。その3つの基地の半分の権力をバックに控えさせていたということになるのだ。

 

 ナツは想像以上の規模に片眉を上げ、ハッピーは『あらら…』といった顔になった。変なやつだったけれど、交渉はうまかったのだろうか。

 ルーシィは微笑んでいる。しかし、内心がその微笑みと同様であるわけではない。

 裏取引自体が悪いとは言わない。場合によってはそれが最善となる場合もあるからだ。大人の世界はいろいろあるもので。

 

 けれど今回は、まったくの私利私欲だと思われる。金のちからで権力を抱き込み、醜悪な私欲を満たしたのであろうエバルーへの嫌悪がルーシィの中で渦巻いていた。

 

 

「国軍のような組織でも、上層部となれば率いる『派閥』というものがございます。今回の不正の話が軍内に伝われば、取引相手の将校と対立する派閥が隠滅を許されないでしょう。ここぞとばかりに暴き立て、言い方はよろしくないかもしれませんが…軽い内紛のようなものになるのではないでしょうか」

 

 

 『内紛』! その言葉の意味はナツやハッピーだって分かる。それは国が揺らぐ一大事なのではないだろうか。

 息を呑んだふたりに、ルーシィは少し慌てて訂正した。

 

 

「お、落ち着いてください! わたくしの言葉が間違っていましたわ、ええと、ほんの少しだけ騒ぎにはなると思いますの。けれど証拠ははっきりしていますし、否定しようと逃げきれないでしょう。…なにより、まず公爵は実刑を免れないと思われます。そして将校方も疑惑の目を向けられてた状態では庇うことは不可能。

 けれどあの公爵の性格を思えば、取引をしていた将校が自分に味方しないと分かれば『あれだけお金を渡したのに!』と騒ぎ立てると思いませんか?」

 

 

 ふたりは同時にエバルーが騒ぐ姿を想像し、「あー…」と納得の声を上げた。

 言いそうだ。暴れてどんどん墓穴を掘りそう。つまり、どう足掻いても実刑(DEAD)END。

 そんなふたりの様子ににっこりと笑ったルーシィは、話を続ける。

 

 

「このお話は国王のお耳にも入ります。そうなれば、王命として調査が入り、公爵も取引相手の方々もお逃げになることはできないでしょう。

 けれど、これは大々的に公表されることは無いと思われますわ。国民からの信用を揺らがす大失態ですもの」

「じゃあ余計にヤバいんじゃねえの?」

「ええ、けれど軍は迂闊にわたくしたちに干渉できません」

 

 

 ルーシィの声ははっきりとしていた。それはどこか自信があり、さきほど『確定ではない』と言った言葉と矛盾しているようでもあった。

 

 

「なぜなら軍が公爵の不正と軍内の失態を把握した頃には、わたくしたちが現場に居ないからです」

 

 

 ルーシィは世間知らずだった。―――――けれど、権力(ちから)を持つ人間の動きを、よく知っていた。

 

 

「彼らは思うことでしょう。『通報した魔導士は、もしやこの証拠の複製を所持しているのではないか』…もしくは『誰かしらに内容を広めてしまうのではないか』と。

 規模の小さい駐屯基地の話とはいえ、実刑を受けるような権力者と裏取引をしていた者がいる。そんな事実が世間に公表されてしまうのではないだろうか、という疑惑が生まれます。けれど隠滅しようとわたくしたちにアクションを起こしたとして、反抗として情報を撒かれてしまえば元も子もありません。例えギルドを脅迫材料としようとも、わたくしたちがすでにギルドに関係のない方々へ話を広めてしまっていては無意味です」

 

 

 権力とはなんでもありのように見えてその実、『面子(メンツ)が命』だ。最低限保たなくてはいけない体裁というものがある。

 故に相手はルーシィたちに慎重に接触しなくてはいけない。

 

 

「公爵のお屋敷でお話しした通り、この件は評議会と連携して調査を進めることになると思われますわ」

「あ、そーだよ。なあ、最初評議員に連絡するって言ってなかったか?」

「ええ、勝手ながら作戦を変更させていただきましたの。公爵が魔導士でしたし、あそこまでとんでもない証拠を隠し持っておいでだとは思いませんでしたので……評議会はあくまで『魔導士を取り締まる機関』ですから。対して軍は『国民を守護する組織』でしょう? 通報するにしても、評議会より軍に主体になっていただいた方が、わたくしたちへの追及は緩くなるのです。

 なぜならわたくしたちはあくまで、『偶然知り得た情報を善意で通報したいち国民』という扱いになりますから。ちなみに、国王さまがこの件を知らないという事態にはなりません。なぜならわたくしが通報したのは軍の本部であり、本部に入った通報はすべて一度国王さまをお通ししなくてはいけないからです」

 

 

 余談だが本部以外に入った通報は定期的に報告書にまとめられて提出され国王がチェックすることになっているので、つまり国王はほとんどの通報内容を確認していることになる。

 

 

 

「「 おおー… 」」

 

「……あの、どうしてそのように距離を…」

 

 

 

 にっこりと笑いながら語ったルーシィに、ナツとハピーは少し距離をとる。目の前の少女は想像以上に狡猾だった。

 ……まあ距離をとったのはほんのジョークだったのだが、ルーシィが持ったよりショックを受けているのでまた近づくことにした。

 

 

「じゃ、俺らは最初のとーり『戦ってたからよく分かんねえ』って言えばいいんだな?」

「ええ、細部はお任せください。マスターにもご報告しておけば、きっと大丈夫ですわ」

 

 

 まあとりあえずルーシィ曰く、エバルー公爵の悪いことには軍の人間がたくさん関わっていたから軍は無視できなくて、やることがありすぎて手が回らないし、ルーシィたちが変な噂を流さないか心配だから迂闊に捕まえられない、ということだろう。

 

 

「……いやでも、なんだかんだ言って捕まえられる可能性もあるんじゃね?」

「そうなりましたら、こう伝えればいいのです。『信頼のおける縁遠い方に、自分が軍に捕らえられて3日帰ってこなければすべての証拠を国内に発信してほしいと伝えた』と」

 

 

 ……少なくとも、この作戦はナツの目から見て完璧に見えた。思わず頭の良い奴って頭の中どうなってんだと思ったのは仕方がない。

 

 

 まあそういうことなら、まあいいかと納得したナツは、話を変えるために「なあルーシィ」と話しかけた。

 

 

「はい? なんでしょう」

「おまえ、メロンのおっさんに嘘ついただろ」

 

 

 

 

 

 

 ルーシィは微笑んでいる。

 

 

 

 

 

 

 ルーシィは、ずっと微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

「―――――なぜ、そのようなことを?」

「勘」

 

 

 それはふざけているような返答でありながら、ナツの目はどこまでも真っ直ぐだった。

 ナツはずっと気づいていた。気づいていたけれど、気づいていないことにした。

 

 報酬を断ったのは『依頼を達成できてない』という理由だけではない。それは確かなことだが、―――――なによりルーシィを、早く外に連れ出したかった。

 

 

「……すべては嘘ではありませんわ」

「でもおっさんの父ちゃんが病気だったってのは嘘だろ」

 

 

 ルーシィは眉を下げた。―――――それでも、微笑んでいた。

 

 

「気づいてしまわれましたのね」

「え!? ルーシィ嘘ついたの!?」

 

 

 ハッピーが叫ぶ。それは非難の色を持った声だった。

 だって、カービィさんはあんなに幸せそうだったのに。それなのに、嘘だなんて。

 

 ルーシィは困ったように―――――微笑んだ。

 

 弁明はしない。ただ微笑む。―――――それはまるで、自分が悪役だと言うかのようだった。

 

 

「お前が嘘ついてもあの本読んだらおっさんにもバレるんじゃねえの?」

「いいえ、あの本は一度文字が入れ替わったら二度と戻りません。そして、発動キーはカービィさまの生体認証です。新しい内容はカービィさまが主人公の冒険記ですから、あの暗号は、もう誰にも読み解くことはできません」

「で、お前はひとりで書かれてた中身飲み込んでんのか」

 

 

 ルーシィは何も言わない。ただ、微笑んでいた。

 

 

「責めてねえよ」

 

 

 ルーシィは微笑んでいた。

 

 

「だけど―――――俺らは仲間だぞ」

 

 

 ルーシィは微笑んでいた。

 

 

「チームだ」

 

 

 ルーシィは微笑んで、

 

 

「今回の仕事はお前だけのもんじゃねえし」

 

 

 ルーシィは、

 

 

「そんな泣きそうな顔で笑うくらいなら」

 

 

 

 

 

 

 

 

「頼れよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――ルーシィは、顔を上げられなかった。

 

 

「―――――本は、カービィさまが触れれば文字が入れ替わるギミックでした」

「おう」

 

 

 足の止まったルーシィを、しかしナツは急かさず同じように立ち止まって静かに話を聞いた。

 

 

「ですからあの暗号文は、最初からカービィさまにはけして読まれないようにできていました」

「ああ」

 

 

 ハッピーが、そっとルーシィの足に前足を添えた。顔は上げない。ルーシィの顔を盗み見ようとはしなかった。責めるような言葉を言ってしまったことが、後悔になった。

 

 

「最初は、なぜこの本を作るに至ったのか。その経緯が書かれていました」

「ん」

「けれど、次第にそれは公爵への恨みの言葉へと変わりました」

 

 

 

 愛する家族を危険に晒すようなことを言う公爵への恨み。

 世界に評価を受ける作家として、その誇りを捻じ曲げるような要求を呑まなくてはいけない恨み。

 冷たい独房で執筆させられるという屈辱からくる恨み。

 

 

 

「ケム・ザレオン氏は、日の出(デイ・ブレイク)を書き終えたらもう二度と本は書かないと、独房の中で決意されました」

 

 

 

 あまりに深すぎる恨みが、ペンを握る手のひらに染み付いた。―――――これから先、一生忘れられないほどの恨みが。

 

 

 

「彼の葛藤が書かれていました」

 

 

 

 作家としての誇り。父親として誇り。父親であることを選んだくせに、作家であることを捨てられない。ふとした瞬間、父親であることを捨て、作家としての誇りを優先させたくなってしまうことへの自己嫌悪。

 

 

 

「文字が書き変わる(・・・・・)ではなく入れ替わる(・・・・・)というより複雑な方法を選ばれたのは、それが彼の作家としての誇りだったからでした。たとえ家族のもとに帰るのが遅くなってしまっても、譲れなかったからでした」

 

 

 

 なにより―――――たった一度でも、愛する息子を、作家であることの足枷のように感じてしまった自分への恨み。

 

 

 

「アナグラムを作りながら暗号まで織り交ぜるだなんて、恐れ入るばかりです」

 

 

 

 エバルーが憎い。エバルーが恨めしい。エバルーさえいなければ、私はよい父親であれた。作家としての人生に汚点など生まれなかった。

 

 エバルーさえいなければ、自分の中のこんな醜いものを見つけなくて済んだのに。

 

 

 

「最後のページの暗号は、『我が最愛の息子カービィへ、私の生涯最後の本を、お前に贈ろう』というメッセージであったと言いましたでしょう」

「おう」

「嘘です」

「ふうん」

「メッセージはカービィさまではなく、暗号に気付いた『誰か』へ宛てられたものでした」

 

 

 

 

 もし、私のこの、獣のような醜さを見つけてしまった者が居るのなら

 

 どうかカービィにだけは伝えないでほしい。

 

 私に、あの子の誇れる父親のままでいさせてほしい。

 

 けれどあなたは、私の恨みを忘れないでくれ。

 

 あの男が憎い。心底恨めしい。そして私は、私が憎い。

 

 わたしの苦しみを、忘れないでくれ。

 

 そうすれば、私はあの子の父に戻れるのだから。

 

 

 

「勝手だな」

「そうしなければならないほど、追い詰められていらしたのだわ」

「でも死んだんだな」

「……言えません。言えないでしょう?」

 

 

 言えなかった。カービィは理解していたから。30年以上、後悔し続けていたから。自分を責め続けていたから。

 

 

 

「あなたに拒絶されたから、彼の方は死んでしまわれたのだなんて」

 

 

 

 書きなぐられた恨み辛みの中に、何度も何度も現れた言葉。作家を止めたら木こりにでもなろう。愛する息子と、ただの父親として、共に暮らそうと。

 日の出(これ)を息子が読むことが無くてもいい。これを作り上げられたことだけで、満足なのだからと。

 

 だから、家族の、そばに。

 

 

 ―――――それだけが、あの気が狂いそうなほど寂しい独房での生活の、唯一の生きる希望だったなんて。

 

 

「別にそう書かれていたわけじゃねえんだろ」

「ええ、けれど」

「ルーシィは悪くねえよ」

「………」

「悪くねえよ」

 

 

 ルーシィは気にする。だからナツは言わなかったが、ちょっとだけ、ケム・ザレオンとかいうやつのことが嫌いになった。

 辛かったんだと思う。苦しかったんだと思う。それでもその呪いが、今こうやってルーシィを泣けなくした。

 自分と自分の家族を守るために、ナツの家族を傷つけた。

 

 ルーシィは、ケム・ザレオンのファンだった。だからなおさら、見て見ぬふりはできなかった。

 

 

 

 そうして、カービィに優しい嘘を吐く。ついた嘘が全部自分に突き刺さり、泣きだしたくなるような自己嫌悪に苛まれても、カービィの心を守るために嘘を吐く。

 そうして、ケム・ザレオンの呪いを受け止める。足がすくむほど恐ろしい狂気だと怯えながらも、憧れの人が残した苦しみ(こころ)をなかったことにしないために受け止める。

 

 

 

「お前がそうしてぇならすればいいよ。でも、なら、俺にも半分よこせ。ひとり占めしようとすんな」

 

 

 

 

 

「頼れよ。―――――仲間だろ」

 

 

 

 

 

「………ひとり占めだなんて。…それではわたくしが欲張りさんのようですね」

「おー。欲張りなのはよくねえんだぞ。家族なら等分しろ等分」

「ねえねえオイラも! オイラの分も!!」

「じゃあ3分の1だな」

「……ああ、とっても小さくなってしまわれました」

「ひとり占めはダメなんだよルーシィ!」

 

 

 

 くふふ、ハッピーが笑う。それに、ルーシィは、―――――眉を下げて、微笑んだ。

 

 

 それでいいと、ナツは笑った。

 

 

 

 

 

 

「それにしても、ルーシィ本読むの好きなんだね」

「? …あっ、ケム・ザレオン氏のファンだというお話ですか? ええ、物語を読むのは大好きなんですの。特にケム・ザレオン氏の作品はご自身の冒険記でいらっしゃるから―――――とても、憧れていて……」

 

 

 ようやく穏やかさを取り戻した雰囲気の中、ふと、ハッピーが何気ないようにルーシィに問う。

 それにルーシィは、どこか夢見るような表情で答えた。

 

 

「やっぱりなあ?」

「……あの、ナツさん? その不穏な微笑みはいったい…」

 

 

 そんなルーシィを見て―――――ナツの顔が、にやあ、と歪む。

 にったりと引き伸びたくち元に、半目。思わずルーシィが身の危険を感じるような邪悪な笑みだった。

 

 

「ルーシィんちのさあ、作業台の上に…やたら原稿用紙がいっぱいあったアレ……」

 

「あっ! ま、ま、待って、お待ちになってください!」

 

 

 ハッとしたルーシィが腕を伸ばし静止を求める。けれど、ナツも、そして気付いたハッピーもその程度で止まるわけがなかった。

 

 

 

 

「お前自分で小説書いてるだろ!!」

「だから自伝作家(ケム・ザレオン)のファンなんだ!!」

 

「あ、あ、ああ~!! だ、誰にも言うつもりはありませんでしたのに!」

 

 

 

 

 パッとルーシィが顔を覆い隠し俯いた。しかし、晒された耳どころか俯いたことにより見えるうなじまで真っ赤になっており、ルーシィが死にそうなほど羞恥を感じていることは一目瞭然だった。

 

 

「お……お願いします……どうか、どうか誰にも言わないで……」

「え~どーしよっかなぁ~~」

「お願いしますぅ……!」

「ルーシィなんでやだの?」

 

 

 ぼそぼそとした声で必死に懇願するルーシィと、悪魔のような顔ですっとぼけるナツ。

 両方を交互に見たハッピーが、首をかしげてルーシィに問う。

 

 

「だ、だって、恥ずかしいわ……人様に見せられるほどの作品なんて、書けませんから…」

「別に誰も読まねえだろ」

「はうっ」

 

 

 さっぱりと言い切ったナツに、ルーシィの顔色が一気に青くなる。あまりの急激な変化に、ハッピーはちょっとルーシィの体調が心配になった。

 

 確かに自意識過剰と言われればその通りだ。でも書いていると知られることだけでも恥ずかしいのだから、やっぱり言わないでほしい。

 

 

「お、お願いします、何でもしますから…! お願いです、ナツさん…!!」

「じゃあ」

 

 

 もはやなりふり構っていられない、とあまりに軽率なことをくち走ったルーシィに、コンマゼロ秒の速さでナツが指を向ける。

 

 その勢いに思わずルーシィが2、3歩後ずさってしまう。しかしナツは気にせず、自らの要求を突き付けた。

 

 

 

 

「その『ナツさん』ってのやめろよ。仲間なのになんかタニンギョーギだろ」

「あ、オイラはハッピーさんのほうがかっこいいからいいなあ」

「なっ裏切るのかよハッピー!」

 

 

 

 

 ……その言葉に、思わずルーシィはたくさん瞬きしてしまう。

 思考は一度止まり、再び回転。今自分は何を言われたのだろうか。それはどういう意味だろうか。それを考えて、考えて―――――

 

 

 

「………はい、あの…ナツくん、」

 

 

 

( ―――――お友達には、なれなかったですけれど。それでも、仲間と思ってもらえているのでしたら… )

 

 

 少し恥ずかしげに、さっきよりは砕けた呼び方で自分を呼んだルーシィに、ナツは満足げに笑った。

 

 

 







 少年は手を伸ばす。

 それは少女の心を開く鍵。



(ハッピーの「やだなの?」は仕様です)

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