きらきらぼし   作:雄良 景

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 ―――――デイビットは走る。他の駅員と四方に散らばり各所を確認し、そうしてデイビットは最後の避難者として、親とはぐれた少年を背負って走っていた。
 ルーシィの警告と騒ぎ立てた野次馬のおかげで屋内に居た市民もあらかたの状況を把握したらしく、もともと駅が占拠されたという話が出ていた時点で避難準備を行っていた彼らはすぐさま避難を開始していたために避難誘導の殿(しんがり)を務めていたデイビットと少年が正真正銘最後の避難者なのだ。


「っ少年、もうすぐだからな!!」
「ひっく、ひ、っう゛ん っ…!!」


 息が上がる―――――『若い』と呼ばれる年齢層をとっくに過ぎてから、当然のように落ちて行った筋力と体力。ああ、こんなことならしっかり鍛えておけばよかったとデイビットは後悔した。…いや、後悔はまだ早い。まだ間に合う。この件が済んだらいちから体を鍛えなおしたっていい。いや、絶対にしよう。

 走る。走る。走る。―――――そうして、ようやく避難者たちの集まりが見えてきたころに、ひとりの女性が駆け寄ってきた。


「ロン!!」
「ッママ!!」


 それは少年の母親だった。立ち止まったデイビットが背中から少年、ロンを下ろせば、ロンは一直線に母親に向かって走り出す。


「ロン! ああ、ロン…!! 本当によかった、よかった…!!」
「あのねママ、ボクね、転んじゃったのだけれど、おじさんが助けてくれたんだよ!」
「ああ、ああ、なんとお礼を言ったものか…! ありがとうございます、本当に、ありがとうございます…!!」


 心から安心したように涙を流す母のその姿。デイビットは何とも言えない気持ちになった。
 だってきっと、あの時に、あの少女が頭を下げなければ、自分はこの少年に気づいていなかったのかもしれないからだ。
 それなのに、この感謝を自分が受けとってもいいものか。それはあまりにも……


「ありがとうございます……!!」
「―――――どうぞ頭を上げてください、奥さん」


 それでも、デイビットはその感謝を受け取ることにした。
 魔導士でもない、優れた容姿も性格も持たない、きわめて一般的な人間であった自分が、ここまでの感謝を贈られることは今まで一度もなかった。
 だから受け取ろう。この感謝を受け入れよう。―――――そして、これから。これからの人生を、この感謝を受け取った人間にふさわしく生きて行こう。

 デイビットはそう決めた。いままで自分の人生にさしたる目的も持たずに生きてきたただの男は、今この瞬間に、自らの魂の在り方を決めた。


「―――――君! 君かね、この避難を誘導したというのは! いったい誰の判断で…」


 人込みからひとり、初老の男性が駆けてくる。市議会の重鎮だ。…ああ、言っていることはもっともだろう。
 誰の判断か。…そんなの、


『すべてはわたくしの独断強行。あなた方には一切の非がありません』


 そんなの、


「すべての責任は私に」


 ―――――いまさら男が、二の足を踏むものか。


「詳しくは後程説明いたします。―――――誰か、連絡用の魔水晶(ラクリマ)を貸していただけませんか!」


 あのまっすぐな瞳ですべてそ背負おうとした少女に、これ以上甘え背に隠れるなど、決してしてはなるものか。


「こちら、オシバナの街です。駅が何者かに占拠され、突入した軍の小隊が壊滅したと報告を受けました。テロリストは闇ギルドの魔導士であるという情報が入っており、彼らは市民を殺害する意思をほのめかしていたそうです。現在有志の魔導士が食い止めるために戦闘に入っており―――――はい。私たちを守ってくれているのは、駆け付けてくれた…『妖精の尻尾(フェアリーテイル)』の魔導士です!!」


 おまけのように少女に頼まれたもうひとつのこと。


「すぐに援軍を派遣してください。どうか、死人が出る前に……!!!」


 デイビットは必死に訴えた。どうか、どうか。あの美しい心を持った少女が、無事でありますようにと願いながら。





うつけの遠吠え

 

 

 

「待ってたぜぇ、なあ?」

 

 

 ずらりと並ぶ、ならず者。その頂点、停車する列車の上に腰かけた死神は、片方の口角を上げ、ひとの神経を逆なでするような微笑みで現れたルーシィたちに歓迎の言葉を贈った。

 

 

「ウチのがテメーらんとこのコバエに丁寧なゴアイサツを貰ったってんでよ…こりゃあお返しもなくサヨナラするわけにはいかねえと思ってこうしてお出迎えさせてもらったってわけだ」

「貴様がエリゴールだな」

 

 

 ニタ、と皮肉をたっぷりと含んだエリゴールの言い様に、しかしエルザは反応することなく問いかけた。

 いや、問いと言うには確信したような物言いに、エリゴールは返事はせずとも笑みを深める。その纏う魔力の禍々しさが、エルザにその男こそが死神であると確信を深めさせた。

 

 

「アンタみてぇな美人に知られてるとは男冥利に尽きるな。はは、お礼に今晩可愛がってやろうか? ああ、今ここででもいいぜ…人数はいるからなァ、満足するまで相手してやるよ」

「ふん、馬鹿と煙は高いところが好きだと言うが、どうやら本当らしいな。…死神と言われた男がこれとは。こちらが悲しくなってくる」

 

 

 品のない誘い文句を鼻で笑ったエルザに、しかしエリゴールは特に気分を害したような様子はなかった。

 ―――――冷え込むような言葉の応酬。その隙を見てルーシィは小さくナツに呼びかけた。

 

 

「ナツくん、具合はいかがですか?」

「う、ぐ……」

「うーん、ちょっとマズいかも…」

「う、だ、大丈夫です。ナツくんが回復なされるまでは、わたくしがお守りいたします」

 

 

 ルーシィは少し震える声でナツを庇うように一歩前に出た。正直魔力不足で戦闘なんてできる気もしないし、相手が相手だけに恐怖心が重く纏わりついてくる。しかし引くわけにはいかないのだ。…幾度もルーシィを救ってくれたナツを、今度は自分が守りたいから。

 ―――――ピクリ、ナツの指先が跳ねる。

 

 

「貴様らの目的は何だ」

 

 

 エルザは圧を乗せた声で問い詰める。しかし、それに連中が応えた様子はなかった。

 伊達に闇ギルドではないという事か。それともただの愚か者か。向けられた怒気のような圧はまるでそよ風のようにいなされてしまう。

 

 

「おいおい怖い顔すんじゃねえよ…大したことじゃねえ、暇だから遊びたかったのさ。はは、まさか正規ギルドの妖精(ハエ)がブンブン構いに来てくれるとは思わなかったがな!」

「下らん誤魔化しはいい。お前たちの目的はギルドマスターか」

 

 

 ―――――ヒュゴウ!!

 

 

 ……一瞬のことだった。一体が、一気に冷え込む。それはエリゴールが放った『風』とそれに対抗するようにグレイが発した『冷気』がぶつかった影響だ。一瞬の強風が一同を包み四散する。

 鉄の森(アイゼンヴァルト)の連中はエルサの言葉に不意を突かれたようにざわめき、その声を抑えるように今度はオクターブが下がった声でエリゴールが問う。

 

 

「―――――どこで知った」

「奪われた列車。駅の立地。定例会とのタイミング。持ち出された集団呪殺魔法…これだけ条件がそろえば馬鹿でも分かるさ」

 

 

 エルザはあえてあたかも自分が気が付いたかのように言い方を調節した。ルーシィに意識を向かわせないためだ。魔力が空っぽ目前のルーシィの代わりに敵を蹴散らすのは自分たちの役目…故に連中のヘイトは自分に集まっている方が都合がいい。

 

 エリゴールはしばし探るようにエルザを睨みつけ、しかしすぐに雰囲気に余裕を取り戻した。

 

 

「いやはや、流石だぜ正規ギルドさまはよ。……しかしそこまでバレてんなら、そのまま作戦を決行するってのは面白みがねえよなあ…」

 

 

 ふわり、エリゴールがその体を魔法で浮かせる。ゆわん、と曲線を描きながら高度を上げ、―――――その手が触れたのは、駅に設置されたスピーカー。

 

 

「―――――まさか、」

 

 

 ザ、とルーシィたちの顔色が悪くなる。その動作だけでそれが何を示すのかを理解してしまったからだ。

 まさか、そんな―――――そこまで堕ちたか、鉄の森(アイゼンヴァルト)…!!!

 

 

「今駅の周辺には4桁近い野次馬が集まってる。壮観だろうなあ、それだけの死体が積み重なってるってのは! …いや、音量を最大限上げれば街中に音色が響くか? ははは、そうなりゃ正に『その街には誰もいなくなった』ってわけだ!」

 

 

 ふはははは!! とエリゴールの笑いが響き渡る。触発されたように他の鉄の森(アイゼンヴァルト)の連中が品のない笑い声をあげる。

 

 ゲラゲラゲラゲラ、つばが飛び散る。

 

 

「放送するというのですか、呪歌(ララバイ)を…! 面白みがないだなんて、そんな理由で無差別に人々を殺めるのだと!?」

 

 

 ゲラゲラゲラゲラ!! ルーシィの悲鳴のような声に笑い声は大きくなる。

 

 

「無差別? いいや、選別は済んだんだよ。―――――これは粛清だ」

 

 

 外道(しにがみ)は両腕を広げた。ふわ、とそのからだが宙で天を仰ぐ。

 

 

「理不尽だと思わねえか? 権利(・・)を奪われた者の存在を知らずに権利(・・)を掲げ生活を保全している連中がいる…それは罪だ。世界の不平等を知らずに生きるのは罪だ!!

 

 

 ―――――だから死神が罰を与えに来た」

 

 

 ゆらり、とエリゴールの首が傾げられる。しかしそこに無邪気さはなく、渦巻いているのは世界の矛盾への憤りと言うよりは下衆の自己満足…あるいは憂さ晴らしだろうか。

 

 

「愚か者どもは思い知るのさ。自分たちの無知を、罪深さを! 『死』という決定的な罰を与えられることによってな…!」

「愚かはどちらですか」

 

 

 あまりに自分勝手。夢見心地に語るエリゴールに、ルーシィは我慢ならないとばかりに首を振った。

 水を差すその声に、ジロリとエリゴールの視線が再びルーシィに移る。エルザとグレイは瞬時に身構えた。

 

 

「権利とは義務ありき。表裏一体の理のもと、義務を果たさぬものに権利が与えられることはありません。ひとのいのちの尊厳を守らぬ者に、なぜその存在を尊ばれる権利が与えられるのです」

 

 

 美しい言葉だった。理を説いた言葉だった。しかし、だからこそエリゴールには響かない。

 

 

「あなたが権利を望むのなら、あなたは義務を果たさなくてはなりません。…少なくとも、たった今、自分たちのあまりに自分勝手な願望のために無辜の民のいのちを踏みにじらんと宣言したあなた方に、権利が与えられるはずもなし。―――――自由には代償がいる(・・・・・・・・・)ことをご存じではないのかしら」

 

 

 世界がまことに清廉潔白であるのなら、暗殺の仕事などまかり通らんさ、とエリゴールは心の中で笑った。

 世間知らずな箱入り娘のご意見だ。世の理? そんなもの、『正しい奴がバカを見る』の間違いだろう!

 いつだって利益は上手く(・・・)生きる者のもとに集まるものだ。

 

 

「ほほーう…ご高説どうも? 聖女さま。じゃあ質問するが、俺たちみてえなクズが尊い権利を賜るには一体どうすりゃいいってんだ?」

懺悔(はんせい)を。そして贖罪(つぐない)を」

「くだらねえ」

「救われない方」

 

 

 冷えた瞳が交差する。ルーシィはエリゴールの嘲笑に眉ひとつ動かしはしなかった。

 

 

「俺たちには俺たちの生き様ってもんがあるのさ」

「好き勝手していたい。けれども権利が欲しい、だなんて、ずいぶんと欲しがりさんでいらっしゃるのね」

「いいやぁ? 言っただろ、俺らは『罰を与えに来た』ってよ…権利なんざもう必要ねえ。ここまで来たら欲しいのは『権力』だ! くそだりぃ『義務』なんざ果たさんでも『権力』さえあればすべての過去を流し未来を支配することだってできる」

「あら、権力というのもそう一筋縄ではないのですよ。見合った器をお持ちでなければ扱いきれずに持て余し、あまつさえ身を滅ぼす劇薬となるものです。…あなたのそのささやかな器では、溢れて溺れてしまわれそうだわ。……お求めになるものは応分であるべきかと(みのほどをしりなさい)

 

 

 淀みなく言葉が放たれる。とうとうエルザが稼いだヘイトはすべてルーシィへ移行したと言えるだろう。―――――あたりまえだ。そのためにやっているのだから。

 

 一同の視線がすべてルーシィに向いていることを察知したエルザはどうにかルーシィを止めようとした。もう遅いとしても、今ルーシィを矢面に立たせるつもりは全くないというのに。なぜルーシィは挑発を続けるのだろうか。冷静な判断ができないほどエリゴールの思想が受け入れられなかったのだろうか。

 思考するが答えは出ず、無理やり止めようにも現状で敵に背を見せるのは愚行。かといって声をかけるだけで止まるかどうかは、流石にまだ判じきれない。―――――そして、もしかして何か目的があるのかどうかについても。

 どうしたものか、とエルザの眉間にしわが寄る。

 

 

「そも、権力を求めて何故標的にギルドマスターを選ばれますの? 彼の方々をあなた方が屠れども、そのギルドが手に入るわけでもありませんのに」

「分かってねえな。卓越した魔導士であるギルドマスターどもを殺すことが、俺たちが作り上げる『闇の時代』の開幕のベルになるのさ。クソったれの年寄りどもの死体を並べての宣戦布告は見せしめにもなる…」

「闇の時代? ふふ…可愛らしいことをお望みになりますのね。具体的なプランニングはお済なのかしら」

「はは、お前にそれをわざわざ教えてやる必要が?」

「…あら、本当にお考えでしたの? ごめんあそばせミスター。わたくしてっきり、幼子のままごとのような思い付きだとばかり…ああ、もしかして、向こう側でお休みされている軍の方々も、そのために?」

 

 

 こてり、と首を傾げたルーシィに、相変わらず気味の悪い笑みを浮かべたエリゴールが自らの首を指でなぞって答える。

 

 

「はん! ちゃんと全員生きてただろ? あいつらはこれから仕事が残ってるからな…くくく、あいつらはなあ、てめえら妖精(ハエ)(あたま)を持ち帰って国王にこう言うのさ―――――『すでに鉄の森(アイゼンヴァルト)に敵うものなし。闇の時代は今より始まってしまいました』!」

 

 

 演技がかったそれは明らかな殺害予告。ルーシィはわずかに生まれ出でた恐怖心を、しかしけして表に出すことなく封じ込め、まるで何も恐れる者は無いと言うかのように微笑んだ。

 

 

「素敵なプランニングですのね。夢のようにふわふわとしていて愛らしいわ」

「―――――さっきから、ずいぶん言うじゃねえか。なあオイ」

 

 

 …さすがにエリゴールの目に明確な敵意が宿る。ルーシィの言葉選びはすべてわざとらしいほど敵意に溢れていた。相手の神経を逆なですることが目的だと言わんばかりである。実際、そのあまりの言い様に鉄の森(アイゼンヴァルト)の意識はほぼすべてルーシィに向かっていると言っても過言ではない。―――――そうして、ルーシィより近い位置で身構えるエルザとグレイからすらも、意識が逸れる。

 

 エリゴールは他の連中よりは冷静にルーシィとの会話をつなげているが、そもそもこの会話をつなげている時点で多少はむきになっているのだ。恐れもなく扱き下ろす小娘相手に苛立ちを抱いているのだ。

 ―――――ああ、腹立たしい。たかだか正規ギルドの分際で。問題児のくせに。あっちこっちで被害を出して、連中とウチの違いなんざ評議会にギルドとして認められてるかどうかくらいだろう。それを、まるで自分たちに正義があるかのような顔をして!

 

 エリゴールは足元のひとりに目配せをする。それを受け取ったのは、耳にガーゼを張った男。―――――呪歌(ララバイ)を解呪した男で、列車の中でナツに遭遇した男。

 男、カゲは嗤う。そろそろおきれいな言葉も聞き飽きたところだった。あの聖女さまを血濡れにすれば説教よりよっぽど耳にイイ悲鳴を上げてくれるだろう。そうやって、悪辣な笑みを浮かべる。

 

 

 カゲは素早く屈み、トン、と手のひらを地面―――――自分の影の上に置く。その動作に気が付いたエルザとグレイはすぐさまカゲからの一撃に備えた。

 …しかし、ここでふたりはミスをする。相手は魔導士だ。魔法を使う。それはいい。しかし、同時に相手は暗殺者であった。

 

 それ(・・)にふたりが気が付いたとき、それはすでに遅かった。それ(・・)は二人の間を通り過ぎ、すでにその猛威を奮おうとしていた。

 それ(・・)は『影』―――――『忍んで殺す』技。

 

 『影』は地面を伝い、唐突に質量を持ってルーシィの目の前に弾き出た。

 

 

「しまっ、」

「っ!?」

 

「はっはァーッ! 良い子ちゃんはそろそろお寝んねしてなァ!!」

 

 

 エルザとグレイがすぐさま振り返って動き出そうとしたが、どう考えても間に合わない。5つの指を持つ猛威はルーシィに振り下ろされる直前であった。―――――なのにルーシィは動かない。

 

 エルザはようやく振り向けたその先で、ルーシィの表情が想像以上に凪いでいることに気が付いた。棘の在った言葉たちとは裏腹に至極冷静な(かんばせ)は目の前の脅威に恐れを見せない。

 

 なぜならば、すでにルーシィの目的は達成され、―――――本命はすでに成ったのだから。

 

 

 ―――――腕を模した影。それは、振り下ろされことなく消え去った。

 

 

「お体はもう?」

「完全回復だっつーの」

 

 

 なぜならば、ナツ・ドラグニルが復活したのだから。

 

 

 

 

 

 

 ルーシィがエリゴールを挑発し続けた理由。それはまず、会話から詳しい作戦や目的などを引きずり出せないかという試みであった。しかしあくまでそれはおまけの試みであり、大本命は『ナツの回復までの時間稼ぎ』だ。

 ハッピーには「守って見せる」と言ってはみたものの、今の魔力不足のルーシィでは盾にすらならないことは明白で。さらに言えば、貴重な火力であるナツが行動不能の状態で相手側から行動を起こされてしまえばこちらが不利になることは分かり切ったこと。

 ならばルーシィがすべき最善とは、相手を留めたままナツが戦線復帰できるだけの時間を稼ぐことであった。

 

 相手は死神とまで言われた魔導士。対してルーシィは経験も少ない素人魔導士。…見た目や声に怯えが出ないようにかなり神経をすり減らせた時間だった。それに正直、相手がどこまでルーシィの口撃に付き合ってくれるかについては賭けであったが、―――――結果は成功。

 タイミングとしてはかなりギリギリになったが成功は成功だ。にこり、と品のいい微笑みをナツへ向けたルーシィへ、ナツもにんまりとした笑顔を返す。

 

 

「つーかなんかいっぱいいるな」

「わざわざ鉄の森(アイゼンヴァルト)から駆けつけて下さったマスターへのお客人ですわ」

「あと今攻撃してきたやつ列車に居たやつだわ」

「まあ。因縁のお相手、と言うわけですね」

 

「クソが…」

 

 

 鉄の森(アイゼンヴァルト)に視線を向けながら、しかしほのぼのとした雰囲気すら感じるテンポで会話をするナツとルーシィに、攻撃を邪魔されたカゲは唸るような声を出す。

 気に入らない。列車の中での件といい、今のタイミングといい、ことごとくコケにしてくる男だ。そもそもアイツのせいで自分はエリゴールに耳を切り裂かれたのだ。

 カゲの中でナツへの黒い感情がとぐろを巻いて蓄積されていく。―――――それなのに思わず体が固まるのは、くらった一撃の重さをからだが覚えているから。

 屈辱だ。腹立たしいことこの上ない。じわり、カゲから淀んだ魔力がもれ、それは殺意となってナツへ向けられる。

 

 カゲの殺意に連動し、鉄の森(アイゼンヴァルト)の魔導士たちは全員が戦闘態勢に入った。

 

 一触即発。その様子を文字通り高みの見物で済ませたエリゴールは、少し声を張り上げて自ギルドの魔導士たちへ呼びかけた。

 

 

「後は任せたぞ。俺は笛を吹いてくる」

「ッ待て!!」

 

 

 聞き捨てならないその言葉にエルザが声を荒らげたが、エリゴールは止まらない。ガシャン! とひび割れた音を立てガラスを破り居なくなってしまう。

 

 

「クソッ! おいエルザ、どうする!?」

「グレイ、お前はナツと共にエリゴールを止めてくれ! こいつらは私がどうにかする!!」

「は、はあ!? なんで俺がナツと―――――」

 

「 死人が出るんだぞ !! 」

 

 

 なんでよりによってナツなんかと―――――そんなグレイの不満はエルザの一喝の前に踏みつぶされる。

 もっともだ。エルザが正しい。グレイはうぐ、と息をのんで、しかしすぐにナツと目配せをした。最高に気に入らないが現状そんな不満を言っている暇はない。

 ナツもまた心から不満そうな顔をした。グレイと一緒に行動とかどんな苦行だ、と。それに……先程から、ルーシィの顔色が悪い。

 

 もともと魔力不足で顔色は良くなかったが、それに加えて走り回ったり暗殺者相手にくち喧嘩したりと休まる暇がなかったために…敵陣の実力者が場を離れたことへの脱力感と、あの男を止められなかった場合の悲劇を想像して体調の悪さが誤魔化せなくなってきたというところだろうか。

 この状態のルーシィを置いていくのは……

 

 

「ナツくん…」

 

 

 けれど、―――――ルーシィ本人がそう言うのなら。

 

 

「ハッピー! お前はルーシィんとこに居ろ! 行くぞクソ氷!!」

「あい!!」

「分かってんだよ指図すんなクソ炎!!」

 

 

 ――――― お願いします、ナツくん。必ず、あの人を止めてください。

 

 

 とりあえずあのクソムカつく男をぶっ飛ばすの最優先だ。

 

 

 

 

 

 

「ルーシィ、お前は後ろに居ろ。ハッピー、ルーシィを守れ」

「任せて!」

「すみません…よろしくお願いします…!」

 

 

 ナツとグレイが居なくなってすぐ、ハッピーはエルザに元気よく返事をしながらふらり、と足元の揺れるルーシィを支えながら数歩エルザから遠ざかる。

 

 

「おい逃げたやつらは」

「俺が追う」

「俺もだ! あの桜頭は俺が殺す!」

 

「―――――ってことぁ」

「あのねーちゃんたちは―――――俺らで分けていいってこったなあ?」

 

 

 ひゃは、と誰かが笑えば、それが伝染したようにその場に残った鉄の森(アイゼンヴァルト)の男たちはそろって下品な笑い声をあげた。

 仲間の攻撃が撃破されたときは少し焦ったものだったが、どう見ても厄介な男たちはエリゴールを追っていなくなった。残っているのはどう見ても非戦闘員な青い猫と、足元がフラフラな聖女さま。戦えそうなのは鎧を着た女だけ。

 たったひとりで何ができる? この人数を相手に勝てるわけがないだろう。ああ―――――それにしたって、ふたり揃って上玉だ。

 聖女さまの柔らかいボディラインに白い衣装をまとった風貌はあまりに清らかで、心の底から堕として穢してしまいたくなる。鎧女はその肌を守る鋼を引きはがし、守られていた柔肌を容赦なく蹂躙したくなる。

 勝ったやつが正義だ。なら―――――負けた女をどうするかなんて、言わずとも。

 

 男たちの下劣な笑い声。嘗め回すような視線。それにルーシィは眉を寄せ、対してエルザはひどく静かな顔をしていた。

 

 

「―――――先ほどから、貴様らの声は耳に障る」

 

 

 ―――――否。それはあくまで表面のみの話である。

 

 

「ずいぶんと好き勝手言ってくれていたが」

 

 

 そもそも、怒りなど。

 

 

「明日の朝日を拝みたくば、もう黙れ」

 

 

 呪歌(ララバイ)なんてものを持ち出したと理解した時から点火し。街の人間を巻き込むと嗤った時点で燃え広がり、―――――言葉の端々、行動の節々に妖精の尻尾(フェアリーテイル)を嘲る色を見せてきたことで頂点に達していたのだ。

 

 もはや鎮火するには汝らの魂を以てしかあるまいよ。そう呟いたエルザの右手には、ひと振りの剣があった。

 

 

「あれは…魔法剣?」

 

 

 ルーシィはそれを見てぽつりと呟く。魔導士が使う剣は特殊な性能を持つ魔法剣が主だ。そしてそれを扱う者を魔法剣士と呼ぶ。ならばエルザは魔法剣士ということだろうか。

 そうだとするのなら―――――ルーシィは一瞬の心配を抱く。

 

 

「おいおいかっこつけといて魔法剣かよ!」

「珍しくもなんともねえっつーの!! こっちも魔法剣士はぞろぞろいるぜぇ!!」

 

 

 ルーシィは知識で知っているだけなのだが、魔法剣士という存在はかなり多い。というのも、そもそも剣自体に特殊性能が備わっているために担い手の魔力量が少なくとも大きな成果を出せる、という扱いやすさがあるのだ。

 故に魔導士崩れや魔導士になれるほど魔力を持たない一般人でも魔法剣さえあれば話が変わるし、魔力消費を抑えて様々な戦い方ができるということで魔法剣士人口は多い。

 

 しかしつまりは、魔法剣士というのは突飛した戦力というわけではないということ。

 

 魔法剣士ひとりに対して、闇ギルドおよそひとつ分の魔導士。それだけ聞けば状況は圧倒的に不利に思えるだろう。

 

 ―――――しかし。

 

 

「きゃ…!!」

 

 

 ルーシィが瞬きをした瞬間、すでにそこにはエルザの姿はなかった。一拍遅れて強い風圧がルーシィを押す。

 弾ける、というよりは鋭く発射(・・・・)するかのように、エルザは一瞬にして敵陣へ肉薄していたのだ。その動き―――――もはやルーシィの目には追えない。

 

 視線の先でエルザの腕がぶれる。そうすれば風が起こり―――――敵は切り伏せられている。エルザが宙に浮く。また片手ほどの人数が切り捨てられる。次は着地し腰を低く―――――今度は両手近く。

 片手剣による接近戦の圧倒的無双。その辺に転がっているような剣士どもとは練度が違う。まるで赤子の手を捻るかのように次々と敵が切り伏せられていく。その傷も、致命傷にはならずとも戦線復帰はかなわないであろう深さを心得たものばかり。

 

 

「……ハッピーさん。お願いがあるのですが」

 

 

 その光景に魅入っていたルーシィは、自分を支えてくれているハッピーへ静かに声をかけた。

 妖精の尻尾(フェアリーテイル)でのエルザの評価を考えればこの人数を相手に戦うことは難ではないのだろう。そもそもハッピーが欠片も心配していなかった。だというのに不安を感じてしまった自分の心を恥じながら、だからこそルーシィは今自分にできることを考えた。

 

 一方戦場では、たったひとりの魔導士に蹂躙される自軍に、このままでは―――――と危惧したひとりが片手に魔力を溜めた。接近戦は不利。ならば間合いに入られる前に遠距離魔法(とびどうぐ)で……

 

 

「―――――できると思ったか?」

「ら―――――(ランス)!」

 

 

 ルーシィのギョッとしたような声が響く。ほんの一瞬だ。瞬きもしていない。―――――だというのに、気づけばエルザの手の中には片手剣ではなく長い槍が握られていた。

 遠距離魔法を発動しようとしていた男は吹き飛ばされ戦線を離脱する。それに一瞥もせず、飛び上がっていた状態から敵陣の人口密度が高いところへ着地―――――そして、手には双剣。

 

 二対の剣と的確な足技で次々に敵を屠るエルザ。その実力を測ることもできず散っていく鉄の森(アイゼンヴァルト)の魔導士たち。一帯の敵を吹き飛ばしたとき、エルザの手には巨大な斧が握られていた。

 

 

「なんて速さの『換装』―――――」

 

 

 こく、とルーシィは小さく息を呑む。…魔法剣士が複数の武器を扱う、ということ自体は何らおかしな話ではない。基本剣の性能に頼った戦闘スタイルになる魔法剣士はシチュエーションに合わせた戦闘ができるように複数の魔法剣や魔法武器を所持しているのが普通だからだ。

 しかし、エルザは桁が違う。強さもさることながら―――――その、武器を入れ替えるスピードが。

 

 魔法剣士が初見のルーシィは、もちろん換装を見るのも初めてだ。しかし敵陣の魔法剣士が換装にかけている時間とエルザのスピードを比べれば素人目でもその規格外さが察せるというもの。

 いつの間にか大剣を振り回していたエルザにルーシィは感嘆の息を吐く。

 

 

「すごい……」

「エルザのすごいところはこれからだよ!」

「あ、ハッピーさん! おかえりなさいませ」

「ただいま! あのね、すぐそこに丁度いいのがいっぱいあったよ!」

 

 

 にっこりと笑うハッピーの手にはルーシィのキャリーバッグと、大きな風呂敷。それを見てルーシィは安心したように礼を言った。そして、ハッピーの『これから』という言葉に首を傾げる。今でもあれほどすごいのに、それ以上とは…一体?

 

 

「なかなか減らんな。……時間もない、一掃する」

 

 

 ぽつり、とエルザが敵の喧騒に飲み込まれそうな小さな声で呟く。

 いくらエルザが無双すれど、人数というのは多いだけで脅威だ。故にさすがにここまでくればエルザ相手にひとつの慢心も許されないことを悟った鉄の森(アイゼンヴァルト)が、エルザの360度すべてを囲み一同で攻撃を仕掛けようとすることは自然な流れであった。

 

 ―――――しかし、

 

 

「魔法剣士は通常『武器』を換装しながら戦うでしょ。でもエルザはそれだけじゃなくて、自分の能力を高める『魔法の鎧』にも換装しながら戦うことができるんだ」

「よ、鎧ですか。それはまるで―――――」

 

 

 ―――――魔力が渦巻く。エルザが両手を広げればそれと同時に纏っていた鎧が帯のようにほどけ、その隙間から素肌が覗く。

 その蠱惑的な光景に、先ほどまでエルザを恐れていた男たちが品のない歓声を贈る。まるでついさっきまでの脅威を忘れてしまったかのように動きを止めて見入ってしまう。

 

 

 ―――――スカーレットが舞う。

 

 

「そう。それがエルザの魔法―――――『騎士(ザ・ナイト)』」

 

 

 そこに居たのは美しき騎士。いや―――――戦乙女。

 天使のような四枚羽を背負い、鋭利な美しさを誇る鎧を纏い、神聖さを感じさせるスカートが揺れる。

 眼差しは鋭く、円環を描き宙に浮く複数の剣が、一層その荘厳さを掻き立てる。

 

 それはいのちを奪う剣の冷徹さであるはずなのに、誰もが魅入ってしまう何かがあった。

 

 

「美しい……」

「舞え、(つるぎ)たちよ―――――」

 

 

 宙に浮く剣たちはまるでひとつの円になるかのように、魔力の帯によって繋がれていく。その光景を見て鉄の森(アイゼンヴァルト)の男たちはようやく正気を取り戻したが、しかしすでに遅い。

 

 

「―――――循環の剣(サークルソード)!!」

 

 

 剣が舞う。エルザを追い詰めるために円形に囲んでいた敵は、しかしだからこそ円形に舞う剣によって屠られた。

 

 

「ぎゃっ」

「ぐああ!」

「しま、うがっ!!」

「グオッ」

 

 

 高速回転し、襲い掛かる剣に鉄の森(アイゼンヴァルト)は手も足も出ない。術士のエルザを攻撃しようにも、手が届くことなく剣に阻まれる。攻守一体、というよりは、攻守同一。攻めることによって守られ、守ることが攻めになるそれは勢いを落とすことなく次々に敵を切り伏せ、唯一数にてエルザに勝っていた鉄の森(アイゼンヴァルト)は瞬く間に敗北へ駆け落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

( やばいやばいやばいやばい―――――!! )

 

 

 鉄の森(アイゼンヴァルト)の魔導士のひとりである男、カラッカは大量の脂汗をかきながらこみ上げてくる嘔吐間を必死に押し込んでいた。

 目の前ではたくさんいたはずの仲間たちが次々と地に伏せていく。たったひとりの女相手にだ!! これは現実か? 暗殺を主体として闇の中でいのちのやり取りをして生きてきたはずの自分たちが、たかがお騒がせ正規ギルドの女魔導士ひとり相手に壊滅に追いやられているこれが現実だというのか。

 

 ―――――いや、待て。

 

 は、とカラッカは息を詰まらせた。そういえば、さっきあの後ろの女と青い猫が、あの女魔導士のことを……『エルザ』と呼んでいなかっただろうか、と。

 

 目の前の光景のありえなさにすっかり飛んでいた記憶がよみがえる。…エルザ、という名前はさして珍しくない女性名だ。だがしかし、この鬼のように強い、―――――『妖精の尻尾(フェアリーテイル)』のエルザと言えば、まさか、

 

 まさか―――――!!!!

 

 

「クッソがァァアッッ!! オ-ォレが殺ォすッッッ!!!!」

「っ、バカ待て、やめろ! アイツは―――――」

 

 

 ひとりが叫びながらエルザに特攻する。それは半狂乱の無鉄砲な行動だった。せめて一太刀、というよりは潰されて歪んだ自尊心と発狂した自己保身の暴走だったと言えるだろう。

 カラッカは魔力を練り走り出した仲間に制止の声をかけた。それはあまりに無謀だからだ。しかし、思考が追い詰められた彼には届かない。

 

 

「―――――妖精女王(ティターニア)のエルザだぞ!!!!」

 

 

 ひと振るい。切り裂かれた激痛を無視することで剣の守りを突破した男は、しかしエルザの汗ひとつない涼しい腕のひと振るいにて地に伏した。

 

 

( 勝てるわけがねェ…!! )

 

 

 呼吸が荒くなる。目の前の絶望に目の前が暗くなる。どうにか―――――どうにか、逃げたい。逃げたい。助かりたい。どうにか、どうにか!

 けれど相手は未だ余力を残した顔をしている。逃げたところで逃げ切れるか。そもそも逃げるだけの隙を与えてもらえるか。どうにか、どうにか―――――

 

 

 ズシャアッ

 

「っ!」

「ルーシィ!」

「!? しま、…!!」

 

 

 ―――――ルーシィの体が倒れる。思わずハッピーが支えきれずにルーシィを取りこぼしてしまうほど強い一撃によって前方に押し出されながら身を崩したルーシィに、エルザは慌てて展開していた循環の剣(サークルソード)の攻撃範囲を変更する。万が一にも射程範囲内にルーシィが入ってしまうことを避けるためだ。

 残っている敵は片手ほど。エルザは円形にまとめていた剣をほどき、その一本一本でひとりずつを切り伏せて片付け、すぐさまルーシィに駆け寄った。

 

 

「ルーシィ、無事か」

「え、ええ、大丈夫です」

「エルザ! ひとり逃げたよ! 床からにゅるって出てきたやつがルーシィを突き飛ばしていなくなったんだ!!」

「なに?」

 

 

 エルザはハッとした。つまりそいつはルーシィをある種の目くらましに使うことで自身が逃亡する隙を作ったのだろう。…倒される他の仲間たちを見捨てて。

 魔力が未だ万全に回復していないルーシィでは、背後からちからいっぱい突き飛ばされれば抵抗できまい。そして、そうやってエルザの射程範囲内に放りこめば、エルザは攻撃を止めるかスタイルを変更しなくては自力で避けられないルーシィまで傷つけてしまう。さらにこんな状況でルーシィが倒れれば、何かしらの手傷、もしくは魔法を受けたのではとエルザが駆けよることも想定できたかもしれない。

 合理的で、なんとも下卑た作戦だ。エルザのこめかみがヒクリと震える。

 

 

「エルザちゃん、どうぞわたくしのことはお気になさらないで。お逃げになった方を追ってください」

「いや、だが」

「今はこの体たらくですが、もう少ししましたら十分に動けるようになりますから。優先すべきは彼らの計画を阻止すること。―――――わたくしたちが救わなければ」

 

 

 にこ、と微笑んで促すルーシィに、エルザは少し歯噛みした。しかしルーシィの言っていることはもっともだ。それに、これ以上食い下がるのはルーシィへの侮辱にもなりえるだろう。

 

 

 ガシャン!!

 

 

 エルザは停車している列車の車輪へ剣を飛ばし、そのひとつを破壊した。エリゴールがここに戻ってきた際にギルドマスターの元へ向かうことを阻止するためだ。車輪の外れた列車は走れまい。これで、やつらが列車を占拠したメリットがなくなった。

 

 

「奴は必ず見つけ出す。そして止めてみせる。ルーシィ、無理はするなよ!」

 

 

 そして駆けだす。逃げた男を、ひいてはエリゴールを撃破し、阻止するために。それが自身のすべきことであり、男が仲間(ルーシィ)を狙ったことに気づけなかったことへの挽回だとして。

 そして、精一杯無理をしてくれた仲間を、約束通り守れなかったことへの償いだとして。

 

 

 

 

 

 

 ―――――走り去るエルザを見送ったハッピーは、静かにルーシィの背をさすり続けた。

 うつむいて、痛いくらいに手のひらを握り締めて、唇をかんでこらえるルーシィの背を、一生懸命慰めるようにさすり続けた。

 

 

「……ハッピーさん、お願いがありますの」

「う、うん、どうしたの?」

「先ほど持ってきていただいた、例の縄がありますでしょう? あれで鉄の森(アイゼンヴァルト)の皆さまを拘束していただきたいのです。もちろんわたくしも回復し次第手伝いますので、お先にお願いいたします」

「…うん! 任せて。オイラ縛るの得意だよ!」

 

 

 ぴゅう、と飛び出したハッピーに、ルーシィは心の中で感謝を送る。優しい彼の心を尊く思いながら、ルーシィはいっそう握った拳にちからを込めた。

 

 

 

 

 

 

 こんなつもりじゃなかったのに。どうしていつも、足手まといになってしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

 目を合わせてくれた。目を見て、わたくしの存在を認めて、話しかけてくださった。

 わたくしの価値を認めてくださった。

 

 

「ルーシィ」「ルーちゃん」「ルーシィちゃん」

 

 

 ただその幸福に報いたいだけなのに。

 

 

 

 

 

 

「無駄なことをするな。そんなものは無意味だ」

 

 

 

 

 

 

 ただその幸福を、失いたくないだけなのに。

 

 

 

 

 

 

「っはぁ、…ええ、これ以上はだめね。しょんぼりするのはお終いです。すべきことをしなくては……さ、ハッピーさん、わたくしも―――――

 

 

 ……あら、まあ。ハッピーさん、あなたお手際がとても優れていらっしゃるのね」

 

 

 深く、深く深呼吸を繰り返したのち、パッと雰囲気を変えたルーシィは、にっこりと微笑みを携えハッピーへ視線を向け、思わず感心したような声を出した。

 ルーシィの視線の先、そこでは山ほどいた敵の最後のひとりを縛り上げていたハッピーの姿があった。

 

 ルーシィの視線に気が付いたハッピーはにっこりと自慢げな笑顔を浮かべる。それにルーシィは微笑み返した。なんて頼もしい。これほど信頼できる猫はこの世に2匹といないのではないか、と。

 

 

「さすがですわ、ハッピーさん」

「頑張ったよ!」

「ではもうひとつお願いしてもよろしいかしら」

 

 

 ルーシィは自分の元へ飛んできたハッピーを抱きしめた。その足元はしっかりとしており、安定感がある。気持ちを落ち着けている間にだいぶ魔力も回復したのだ。これはエルザが目の前に居た敵を殲滅してくれた安心感もあるだろう。さっきまではめまいもあったが、今は視界もすっきりしている。―――――もっと早く、回復してくれればよかったのに。

 

 まあとにかく、万全でなくとも動き回れるだけの回復は為されたのだから、自分のすべきことをしなければ、とルーシィはハッピーに話しかける。

 

 

「わたくしは今より、駅員の方々の元へ向かって事態を知らせてまいります。ナツくんたちを信用していないわけではありませんが、万が一がございますから…市民の方々に、ええ、せめて集まっている方々に避難いただかないと」

「なるほど! じゃあオイラは?」

「お怪我をされていらっしゃる軍の方々がいらっしゃったでしょう。大したことはできませんが…彼らの治療をしたいので武装…特に鎧をほどいておいていただきたいのです」

「わかった!」

 

 

 ひゅん、とハッピーはルーシィの腕から抜け出した。そしてルーシィのキャリーバッグを手に浮かび上がる。

 ルーシィからの最初の頼まれごと。探してきたたくさんの縄のような紐は鉄の森(アイゼンヴァルト)を拘束するためのものだった。じゃあキャリーバッグはきっと治療するためのものだろう、という判断だ。

 そしてそのハッピーの判断は正しく、ルーシィは嬉しそうに微笑んでから走り出す。

 

 

「ではよろしくお願いいたしますね!」

「任せて!!」

 

 

 

 

 

 

「あっ! 君、さっき強引に中に入っていた人だね!? 中の様子はどうなっているんだ!?」

 

 

 ルーシィが駅員のいるバルコニーホールへ駆けて出れば、その姿に気が付いた駅員のひとりが慌てたように声をかけた。

 駅員は軍の指示に従い人々の避難誘導をしていたものの、何の音沙汰もない現状に不安に駆られているのだろう。それでも様子を確認しに中に入らないのは小心者の賢明な判断であった。

 

 

「さきほどは礼を欠いた言動をしてしまい申し訳ありませんでした。どうかお許しになって!」

 

 

 ルーシィはその駅員がもつ拡声器に目を付け、謝罪をしながらも詰め寄った。

 

 

「お願いがございますの! 実は駅を占拠されたのは闇ギルドの方々で、彼らは大規模魔法によりここに集まっていらっしゃる方々を殺害しようと目論んでいたのです。どうか皆さまに避難されるようお伝えください!」

 

 

 そのルーシィの剣幕、そして話の内容にギョッとした駅員は、しかし確証の無い話を言いふらし市民を混乱に陥れるようなマネが自分の一存でできるわけがない。……それは組織社会に生きるものなら仕方のないことなのだ。なぜならあくまでいち駅員。『自分が責任を取る』、だなんて言葉は、責任あるポジションに居るからこそ吐けるのだ。

 それに、相手が『闇ギルド』で行おうとしているのが『大量殺戮』だというのなら管轄が違う。駅員の手に負える範疇ではなく、何より鎮圧に向かった軍と連絡が取れていないこの状況で駅員がこの情報をばらまけば、場合によっては軍に恥をかかせたことにもなりえてしまう。

 『ただ避難を呼びかけるだけだろう』と思うことなかれ。それが正しいことであろうと、正しいだけでは許されないのが社会であり組織である。

 

 それは、と言い淀む駅員に、ルーシィもおおよそを察したのだろう。すぐさま少し強引に駅員の手の中にあった拡声器を奪い取った。

 

 

「き、君!」

「あなたは魔導士に無理やり拡声器を奪われました。そしてその魔導士はあなたの制止を振り切り、独断で行動を起こしました」

 

 

 ―――――台本を読むかのような話口調。内容はまるでストーリーのすり合わせ。

 何を、と言うより早く、ルーシィは拡声器を使い集まっていた野次馬へ叫んだ。

 

 

「 警告します!!! 」

 

 

 ―――――唐突に響いた声。集まった人々の視線が、自分たちの上空で話すルーシィのシルエットを見つけた。

 

 風が強い―――――ひと房のみつあみとなった金髪(ブロンド)がうねる。

 

 

「 この駅は邪悪なる魔導士により占拠されました!! 彼らはこの場に居るすべての方々を殺害できるだけの魔法を放とうとしています!! 今、すぐに!! 避難してください!! できるだけ遠くに――――― 早く !!!!! 」

 

 

 なんだ、それは。群衆に沈黙が落ちる。邪悪なる魔導士? この場に居る全員を殺せる魔法? 何を言っているんだ。冗談にしてはセンスがない。…冗談だろうか。本当に? だって冗談なら―――――なぜ、突入した軍隊は、帰ってこない?

 

 沈黙。そして、状況理解。つまりは、―――――混乱。

 

 

「君、なんてことを―――――!!」

「すべてはわたくしの独断強行。あなた方には一切の非がありません」

 

 

 響き渡る悲鳴。我先にと逃げ出す群衆の背を背景に、駅員は狼狽した様子でルーシィに詰め寄った。しかしルーシィはそれに気圧されることなく、穏やかな微笑みでスッパリとすべての責任は自分にあると言い切った。

 

 駅員は、何も言えない。―――――目の前の少女が言ったことはすべて本当だとして。…自分たちが、自分が二の足を踏んだ『責任』を、自分よりずっと幼い少女がすべてを背負ったというのに。これ以上、どうしてそれを…非難できるだろうか。

 

 

「……すまない」

「いいえ―――――けれど、どうか。もうひとつのお願いを聞いていただけますか」

 

 

 ぐ、と唇をかんだ駅員に、ルーシィは変わらず穏やかな表情で首を振った。ままならない身であるということは理解できる。立場があり、関係があり、メンツがある社会という箱庭の中で、目の前の男ができること、責任を取れることはあまりに少ないという事を、ルーシィはちゃんと理解していた。

 だからこそ、もうひとつの願いを託す。…ほんとうは無暗矢鱈に負担をかけたくないために、他の人に頼むようなすべてを自分だけでこなせればと思うことがあるのだが、現実問題無理である。だからこそルーシィは、初めて会った誰かを心から信頼して頭を下げる。

 

 

「この混乱です。幼い子供やお体の調子がすぐれない方などが避難に遅れてしまったり、ひとりになってしまっているかもしれません。混乱を起こしたわたくしがそれを指摘することはあまりに矛盾に満ちているとは思いますが、…お手の届く範囲でも、そのような方々を導いてさしあげていただけませんか。わたくしはこれより構内に戻らなくてはなりませんので…よろしくお願いいたします」

 

 

 真摯に下げられたその頭に、なぜ首を振れるだろうか。駅員は―――――デイビットはルーシィの肩をつかんでその頭を上げさせ、風になびく前髪の隙間からしっかりと目を合わせた。

 

 

「必ず」

 

 

 それが戦うこともできない自分ができる最善だと受け止めて。

 

 

 

 

 

 

 ルーシィはバルコニーホール横の階段から駆け下りて行ったデイビットの後姿を見て安心したように息を吐いた。多分きっと、これで、住民の避難は大丈夫だろう。

 

 そしてスッと背筋を伸ばす。―――――次は倒れ伏す軍人たちの治療だ。大したことはできずとも手持ちの傷薬は自分よりよっぽど役に立つ高価なものがある。少しでも、守るために傷ついた彼らを癒せれば…

 

 

「―――――え、」

 

 

 次の行動に移ろうと駅構内へ振り向いたルーシィは、目を見開き絶句した。

 

 

 

 ―――――風が渦巻く。

 

 ―――――魔力が渦巻く。

 

 

 

「なん、ですの……? これ、は………」

 

 

 振り返ったその先。―――――渦を巻いた風が、駅を包み込んでいた。

 

 

 






 おおおおおおおおやっと更新できた……!!!
 やりたいことはたくさんあるのにつじつま合わせが上手くいかなくて死ぬほどのたうち回っていました今回。

 ・エルザの代わりにホールに残る
 ・鉄の森(アイゼンヴァルト)を拘束する
 ・怪我してる軍人を治療する
 ・民衆と駅員をかっこよく避難させる
 ・エルザの代わりに風の障壁で腕を傷つける
 ・鉄の森(アイゼンヴァルト)を治療する

 これだけやりたいことあったらそりゃ詰まるわって感じなんですよね…こう、かかる時間とかを考えると、どうしてもうまく配分できなくて。結局ハッピーにめちゃくちゃ働いてもらいました。



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