きらきらぼし   作:雄良 景

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 ―――――痛い。
 意識がもうろうとしている。闇ギルドの魔導士につけられた傷の痛みで何度も気を飛ばしそうになりながら、それでも決定打に欠け、ずっと不愉快な微睡みのような時間が続いている。
 辛い。苦しい。ああ、何もできなかった。

 ―――――市民、は……

 無事、だろうか。
 一般人を巻き込まない、というような精神を持つ連中には見えなかった。もしかしたら、けが人が……死人が出てしまっているかもしれない。

 ―――――守らなくてはいけないのに。

 それなのに、体が動かない。最悪だ。守るために俺はこの場にいるはずなのに。それなのに、ああ。


「もし、意識はございますか」


 ―――――?


「、ぁ」
「、ああ、よかった。ごきげんよう、軍人さん。今からあなたを治療いたしますわね。ああ、治療といいましても、応急処置のようなものしかできませんが」


 誰か、が、喋っている。……きれいな、金髪(ブロンド)の、女の子。

 天使かと、思った。
 真っ白な衣装をまとった、金髪(ブロンド)の少女。ああ、天使は少年だっただろうか。

 カラコロと思考が回る。唯一、この子が知らないこと言う事だけは分かった。
 一緒に突入した軍人では、ない。なら、一般人だろうか。


「、ひ、……を、」
「? ……申し訳ありません、もう一度おっしゃっていただいても、よろしいでしょうか」
「ひ、なん、」

「ひなん、して、… …やみぎるど、が……きけ ん…… は、や …く………」


 絞り出すように要点だけを伝える。伝わっただろうか。どうか伝わってくれ。俺の事は、置いて行っていいから。どうか、どうか。


「―――――ああ、そう、そうですのね……ええ、ご安心くださいまし。一般人の方々は皆さま避難されましてよ。わたくしは応援に駆け付けさせていただいた魔導士ですの」


 ああ、そうか、避難は済んだのか。よかった。ああ、魔導士だったのか。……それでも、女の子ひとりであいつらの相手をするなんて無謀だ。ちゃんと仲間はいるのだろうか。大丈夫だろうか。
 からだに力が入らなくて言葉にならずとも思考は回る。ゆっくりと瞬きをしたときに、不意に視界に入った少女の腕を見て息が詰まった。
 ズタズタだ。血だらけだ。乱雑に巻き付けられた布はすっかり真っ赤になっている。


「さあ、今から傷薬を塗りますね。効き目がとても強いものなので堪らなくかゆく(・・・)なってしまわれるかもしれませんが、どうか堪えてくださいまし」


 よく見れば、可愛らしい顔にも擦り傷や汚れがある。きれいな子だから余計に痛々しい。
 ああ、それなのに、きっと、君も痛いのに、君は俺を優先してくれるのか。
 纏っている服は白くて、だから汚れも目立つのに、なぜかこの目には神々しく映る。微笑む少女が、この上なく美しい存在に見えた。


「お優しいお方。どうか、安静になさってください。必ず助けが来ますから。必ずあなたは助かりますから。あの闇ギルドの方々は、わたくしたちが止めてみせます。ですからどうか、ご安心なさって。………大丈夫、恐ろしいものは、もうありませんから」

 きらきら、きらきらと、金髪(ブロンド)が輝く。真白のかんばせに、大粒の琥珀が瞬いて、内側に寄るにつれ濃く花開く桜の花びらが美しい音を奏でる。
 ほう、とゆっくり息を吐いた。ああ、なんだろう、これは。なんだろう。なぜ、こんなにも……安心するのだろう。


「大丈夫ですよ」


 自らの身を顧みず、倒れ伏す人々のそばに寄り添い、救ってくれる、真白の美しい少女。
 ああきっと、この子がこの世の天使だ。


「……は、………し、」


 白衣を纏った天使。ふわり、と綻んだその(かんばせ)が、まるですべての痛みを持って行ってくれるかのように、美しく煌めいた。





諦観は切り捨て、生きて、煌く

 

 

「なぜ、これは………」

 

 

 吹き荒れる風に絡めとられそうになりながら、ルーシィの呆然とした声が揺れる。ほんの一瞬だ。住民に避難を呼びかけ、そして構内へ戻ろうと踵を返せば―――――駅が巨大な竜巻に飲み込まれていた。

 吹き荒れる暴風。どう考えても自然現象ではありえない現実。思考が停止し、―――――恐怖が湧いて出た。

 

 

「おいおい、なんでテメェが外に居んだ聖女サマよォ」

「っ!?」

 

 

 目を見開いて立ち尽くすその背中に、唐突に声がかかる。ルーシィはハッとしてその声が聞こえた方、上空を仰ぎ見た。

 

 

「そうか、野次馬を逃がしたのはテメェだな?」

 

 

 ―――――そこに居たのはナツとグレイが追いかけているはずのエリゴールの姿。

 

 

「なぜここに、―――――! まさか、いえ、ならばこの風は、やっぱり……!!」

「へっ、せっかくおキレイな聖女さまがいらっしゃるんだ、いくらか相手(・・)をしてもらいてぇところだが、……イヤ全く残念なことにちと時間がねぇえんでな―――――」

 

 

 不自然な風。そして、風を纏って宙に浮くエリゴール。このふたつは瞬く間にルーシィの中で噛み合わさり、重く冷たいものとなって背筋を這う。

 これは魔法だ。それも、大きな街の大きな駅ひとつをすっぽりと覆ってしまうような大規模なものを、あの場から退いて今までの短い時間で発動し、大した消耗も見せないその姿。

 

 ―――――怖い。

 

 それはまっとうな恐怖だった。だってルーシィは箱入り(・・・)娘だったのだ。夜のハルジオンで、吹雪のハコベ山で、醜悪なエバルーの館で、たくさん頑張ってたくさん大立ち回りをして、それでもぺーぺーのひよっこなのだ。

 1対1。目の前で死が私を見ている(・・・・・・・・)………それはどうしようもない恐怖だった。

 

 けれど、

 

 

「―――――せいぜい中でじっとしてな」

「っぐ、…!」

 

 

 けれど、けれど、けれど、

 

 殴られたかのような衝撃。それは圧縮された空気砲で、直撃したルーシィの体は背後の竜巻の中に呑まれる。

 視界が荒れ狂う風に遮られ、エリゴールの姿が消える。

 

 けれど、―――――ギラギラ、ギラギラと。

 それでも最後まで、ルーシィは精一杯の気概でエリゴールを睨み付け続けた。

 

 

 

 

 

 

 ズザザッ!

 

「ああっ…!!」

 

 

 勢いをつけて押し飛ばされたルーシィの体は暴風の壁を突き破り、その先の構内へ叩きつけられた。受け身をとれなかった体は床を少し転がり、その衝撃にルーシィから小さくうめき声が上がる。

 痛い。痛い。怖い。でも、

 

 

「何を、!」

 

 

 あの男を止めなくては。だってやっぱり鉄の森(アイゼンヴァルト)の狙いはギルドマスターだったから。優しいあの人だったから。

 

 そんなこと、絶対に許さない。

 

 戦闘経験の乏しいルーシィは自分がエリゴール相手に勝てるだなんて思い上がってはいない。未だ星霊のちからを十分に発揮させられないルーシィが牙をたてたとて蟻が象に歯向かうようなもの。

けれど、その代わり他の3人がたどり着くまでの時間稼ぎくらいはできなくてはいけないのだ。可能不可能の話ではなく、それが非力なルーシィがしなくてはならない、チームとしての働きのひとつだった。

 

 なのに、

 

 

「―――――!!」

 

 バヂィッッ!!

 

「ッァ゛ぐ、うううッ…!!」

 

「やめておけ…この魔風壁は外からの一方通行だ。中から出ようとすればそうやって風が体を切り刻む……っふ、可哀そうになァ、痛ぇだろ?」

 

 

 ―――――風がルーシィを阻む。はじかれた手を思わず押さえれば脳天を衝くような痛みが走り、ドッと汗が溢れる。

 ほんの指先が触れた。ただそれだけで、ルーシィの真白の右腕は指先から肘までにおびただしい裂傷を刻まれたのだ。

 血が滴る。痛みに目が潤む。痛い、痛い、痛い! どうすればいい。何をすればいい。頭が回らない答えが見つからない。ああ、痛い…!

 

 

「なぜ、っこんな……!?」

「鳥籠ならぬ妖精(ハエ)籠の一丁上がりィってなぁ。ははっ、妖精(ハエ)用にはちとデカすぎたか」

 

 

 エリゴールはルーシィの疑問に応えるつもりは無いらしく、独り言のように魔風壁の出来を確認するだけだった。

 びゅうびゅうと響く風越しにエリゴールの疎ましい笑い声が響く中、ルーシィはどうにか必死に頭を回す。この魔風壁に呆気に取られてからというものの、驚愕に呑まれ思考が回らない。けれど考えなくてはいけない。あの男の行動の意図を。

 

 まずエリゴールが外に居たことについて。これについては放送準備をするのではなく魔風壁を用意していたことから、そもそも『呪歌(ララバイ)を放送する』という宣言がブラフであった可能性が高くなった。もちろんまだ危険性は残っているが、それでもこちらの可能性はずっと下がった。

 あの宣言が自分たちを分断させるための罠だというのなら、とんだ策略家だ。自分たちはまんまと踊らされたというわけだ。けれど罪のない人々が不当に害される可能性が減ったというのなら、それはひとつの安心だった。

 

 ではこの魔風壁は何なのだろうか。内から外への一方通行なら分かる。外から敵の援軍が来ることの無いように壁を作るというのはおかしな話ではない。クローバーに向かうのに、軍や他の魔導士を足止めするために駅に入れないようにするというのは十分な戦略だ。

 けれど、エリゴールは外に居て、張られた魔風壁は外から入ってくることができて、そして出ていけない。

 こうなるとおかしな話だ。そんなの、敵の援軍が入り放題じゃないか。列車を動かしても後から追いつかれてしまう。何の足止めにもならない、魔力の無駄遣いだ。しかし見た目のインパクトは十分だから、もしかして虚仮脅(こけおど)しの、『中に入れないだろう』と勘違いさせるための張りぼて役だろうか。

 

 なにが目的だ。何を考えてる? 策か自信の現れか。グルグルと思考が回り視点がブレる。

 

 

「おっと、そろそろ急がねえとなァ。ったく、手間かけさせやがって…無駄なタイムロスをくらったぜ。―――――フン、それじゃあな」

「っ!? っま、待ちなさい!!」

 

 

 気が狂いそうなほど思考を回すルーシィに対しエリゴールは変わらない軽薄な声で呟くと、フッと勢いをつけてその場からさらに上昇し遠くに離れる。ルーシィは風音の合間から聞こえたそのセリフを聞いてとっさに声を荒げたが、応える者はなくエリゴールの気配ももう感じられなくなってしまった。

 止めなくては。咄嗟に追うために魔風壁に突っ込みそうになって、腕の痛みでハッと後ろに下がる。ぽたぽたと流れ出る血が地面に垂れた。

 

 ああ、分からない。何を考えている。何をしようとしている。何を、どうやって、どうして……

 

 考えたって分からないことばかりだ。けれど、けれど、エリゴールを引き留めるというタスクに失敗したルーシィに立ち止まっている暇はない。

 挽回しなくては。どうにかしなくては。その一心で、とりあえず列車のある広場まで行こうと慌てて方向転換し、走り出して―――――気づいた。

 

 

「、あ」

「! ルーシィ! よかった、避難誘導終わったの? あのね、みんな鎧脱いだよ! あとね、あっちの人がちょっと怪我が深いんだ」

 

 

 ねえ、間に合うかな、と少し不安そうに聞いてくるハッピーにルーシィは絶句する。―――――そうだ、忘れていた。忘れていたのだ。そうだ、軍の人たちの治療をしなくてはいけない。ズキズキと手が痛む。クラクラと、働かせすぎた頭が揺れる。

 

 

「わ、ルーシィどうしたのその手!」

「、ま―――――」

 

 

 どうしよう。どうしようどうしようどうしようどうしよう―――――エリゴールを追わなきゃいけない。けれどどこに行ったのか分からなくて、治療もしないと、間に合わないかもしれなくて、でもエリゴールが、マスターが、仲間が、ギルドが………

 

 

「―――――間に、合います」

「ルーシィ…?」

「間に合わせ、ます……! ハッピーさんはエルザちゃんたちを呼びに行ってくださいませんか!エリゴールはすでに駅の外に出ており、あの人の仕掛けた魔法によって、今わたくしたちは駅の外に出られなくなってしまっているのですっ」

「えーっ!? そんな、――――わ、分かったよ、オイラに任せて! とりあえずエルザだけでも見つけてくるね、多分まだ、一番近くにいるから…!」

 

 

 最善策なんて何も思い浮かばない。でも、どうにかしなくちゃいけない。何かはしなくちゃいけない。そして、この場に居る軍の人たちも、見捨てられない。

 

 ルーシィはハッピーに情報の伝達を頼み、すぐさま自分のスカートのすそを崩れた壁から露出していた鉄棒にひっかけ、引きちぎった。びいい、と勢いよく裂けたおかげで足元がはしたないことになってしまったが、今は構っている場合ではない。

 ルーシィはそのまま、スカートであったその布をズタズタになっていた腕に巻き付けた。焼け石に水かもしれないが、これから怪我人を治療するのに血濡れの腕ではだめだろう。

 

 分からないことばかりだ。やらなくちゃいけないことが、やりたいことが多すぎて、からだが後3つは欲しいと思ってしまう。

 けれど、どれほど願ってもルーシィはひとりしか居ないし、そんなたったひとりのルーシィができることなんてものはほんの些細なことしかない。

 

 だからためらっている暇なんてない。やるしかない。そして、誰かに助けてもらうしかない。なんてみっともない、ろくに役に立たない我が身が忌々しい。

 

 

「―――――もし、意識はございますか。さあ、ゆっくりと息をして……今からあなたを、ほんの少しだけですが治療いたします」

 

 

 そんな気持ちはすべて、すべて、笑顔の奥に押し込んで。ルーシィは治療道具の入ったキャリーバッグをひっくり返した。

 

 

 

 

 

 

 倒れ伏していた軍人たちを、持ってきた治療道具全てを使い切るつもりで応急処置したルーシィは、意識のあった数人に助けが来るまで大人しくしているようにと伝え、残った治療道具を詰め込んだキャリーバッグを引っ掴んですぐさま列車のある広場に走る。

 

 

「っはぁ、っ、列車は―――――ある……!」

 

 

 たどり着いた先。そこでは縛り上げられた鉄の森(アイゼンヴァルト)の魔導士たちのかすかなうめき声と、相変わらず沈黙したままの列車があった。

 列車は動いていない。エルザたちも居ないが、きっとハッピーが話を伝えてくれていると信じるしかない。

 

 それにしても、改めてエリゴールはどこに行ったのか。列車はエルザが車輪を破壊したために使うことはできない。そもそも魔風壁があれば列車も外に出られないはずだ。だから他の手段でクローバーを目指さなくて、なら何か当てがあって飛んで行ったのだろうか。まさかルーシィたちのように魔導四輪車を使って―――――

 

 いや、待て、

 

 

 ―――――飛んで行った?

 

 

「あ、」

 

 

 そうだ、なぜその考えに至らなかったのか。ざあ、と血の気が引ていく。なぜ、なぜ自分は、

 

 ……エリゴールたちが『列車を使って移動する』と思い込んでいた?

 

 

 確かに列車と駅が占拠された。けれど、けれどだ。そう、エリゴールはずっと『飛んでいた』。

 もしギルドメンバー全員で移動するのなら列車を使う可能性もあるが、けれどエリゴールひとりであるのなら、魔風壁ほどの魔法を発動できる魔力を持つあの男なら、それでもまだ残魔力に余裕を見せていたあの男なら―――――文字通り、クローバーまで『飛んで行ける』のではないか。

 

 

「なん、という………」

 

 

 ―――――まさか、最初から手のひらの上だったというのか。呪歌(ララバイ)を放送するという宣言も、ルーシィたち(フェアリーテイル)の戦力を分断させて戦力をばらけさせるためのブラフではなく、エリゴールが駅構内に居ると勘違いさせることでこの場に留まらせ、つまりは魔風壁の中に閉じ込めるための時間稼ぎで、自分たちはまんまと―――――

 

 

「いけないわ、すぐに皆さんに―――――!」

 

 

 伝えなければ。どうにかしなくては。何かしなくては。他の3人と合流するために走り出そうとしたルーシィは、しかし、思わず足を止めた。

 

 

「いでぇ、い゛でぇよぉ゛……」

「助けてくれ、だれか…」

「っぐ、ぅう゛……!!」

「クソっ、クソがァ…っ」

 

 

 ―――――うめき声が聞こえる。エルザによって切り伏せられた男たちの苦しんでいる声が聞こえる。

 

 なんとも調子のいいことだ。ルーシィの思考の中の冷静な部分が眉をひそめる。自分たちは積み上げた屍の上で笑っていたというのに。いざ自分の番になれば救いを求めるというの。

 そうして頭を下げた人を、手を伸ばした人たちを、いったい何人切り捨てた。手に入る金のためにどれほどの人を殺した。

 その道を選んでおいて、手を出しておいて。因果応報。罪は巡り我が身を穿つ。自業自得だ。それよりも、今はこの状況を何とかしなくては。何かしらの打開策を見つけなければ……

 

 

「っひぃ、っひ、ひぃ、」

「血が止まんねぇ……!」

「殺してやるっ殺してやるからなァッ…! っぐ、ぅう…!」

「いてぇよ……いてぇよぉ……」

 

「だれか、助けてくれよ……っ」

 

 

 

「かみさま………!!」

 

 

 

 

 

 

「―――――しっかり、息をしなさい!!」

 

 

 

 

 

 

「ぇあ……」

「意識はありますね? いいですか、時間も道具も足りません。なので止血だけをします! しっかりと意識を保って、大人しくしていなさい!」

 

 

 男は、呆然と自分を覗き込むルーシィを見た。少し汚れた、けれどちっともその美しさを損なわない(かんばせ)を難しそうにしかめて自分に呼びかける、その琥珀の瞳を呆然と見上げた。

 

 何を、しているんだこの女は。そう思ってしまうのは仕方がない。おそらく思ったのは自分だけではないだろう。近くにいる連中も息を詰めてあり得ないものを見るかのような顔をしている。

 

 

「なん、で、」

「喋らない!」

 

 

 こぼれた疑問は封殺された。血が流れていた腹の傷に布が押し当てられる。痛みに思わず息を詰めたが、ルーシィは構わず圧迫した。かと思えばそばに置いていたキャリーバッグをひっくり返して傷薬を取り出し、その傷に塗りたくる。

 

 

「いぎっ…!? か、かゆい! なんだよぉ、何してんだよお…!」

「傷が修復されていくかゆみですわ、我慢なさい、男の子でしょう!」

 

 

 ぐわ、と脳天にまで走ったかゆみに声を漏らせば、一刀両断するかのように一喝される。そしてそのまま傷口を確認したかと思えば、隣に寝転んでいた別の男の傷を確認し始めた。

 

 なんだこれ。何してんだよ。

 

 

「へ、……へへ、た、助けてくれよぉ、いてえんだ、」

「同情を引こうとしても無意味です。喋らず大人しく回復に努めていなさい」

 

 

 なんだよとんだお人好しかと、その隙に付け入ろうとしたもうひとりの男は返ってきた声に思わず押し黙る。確かに一切の心の揺れを感じさせないような冷たい声だった。けれど、その手は変わらず傷の治療を続けている。

 

 

「あなたは打撲だけですね? けれど骨折や内臓に損傷を受けていらっしゃる可能性もありますからこのまま大人しくしていなさい。あなたも打撲、…この程度の切り傷ならすぐに治ります。傷薬を塗りますよ、ああもう、大人しくして!」

 

 

 

「―――――っざけんなァ!!」

 

 

 

 くわん、と声がホールを揺らす。

 僅かに離れたところにいた男が吠えた。かすれた声で心の底から湧き出る怒りを込めて吠えた。

 

 

「同情してるつもりかオイ、アア゛!?」

 

 

 しんとしたホームに男の声が響く。

 何してんだよお前。感情が唸る。なんだ、自分が優位に立ってるからって施しのつもりか。ぼろ雑巾みてぇになって転がってる俺らがそんなに憐れか。

 

 叫ぶ男に反応することなくルーシィは次々に治療を続けていく。

 

 

「は、はは、て、テメェの仲間ならよ、さっきここに来てたぜ…魔風壁の解除の方法を教えろってよ……」

「お、おい、お前、」

「るせェ黙ってろ!!」

 

 

 叫ぶ男のそばで別の男が制止の声をかける。せっかく治療をしてもらえるかもしれないのに余計なことを言うなと言うつもりだろう。だが男は―――――ビアードは叫んだ。

 何を腑抜けたことを言ってやがる。何の見返りもなく治療をしているはずがない。いや、見返りを求められなくとも。お情けをかけられて憐れみを向けられるくらいなら野垂れ死んだほうがましだ。

 そしてそれはその男だけの気持ちではなかった。事実、息荒くルーシィを睨みつけている人間は他にも居る。制止の声を振り払われた男はそれ以上言い募らず、また他に声をかける者が居ないことから、その感情はこの場に居る大部分の人間が欠片でも抱いてしまっているものに違いなかった。

 この時ビアードは、本人の図らぬまま鉄の森(アイゼンヴァルト)の仲間たちの代表のような立場で声を荒げたのだ。

 

 

「魔風壁の解除の方法なんてなァ、へへ、俺らぁ知らねーよ…」

 

 

 ルーシィは無言で移動し、駅員の作業カウンターからめぼしい布類などを引っ張り出している。

 

 

「でもテメェの仲間共は、っは、カゲのやつが、解除魔導士(デイスペラー)だって気づいて探しに行ってよ……」

 

 

 そうして見つけた布を抱えて治療を再開する。傷の深いものは血を拭って薬を塗って布を巻き付け固定。さすがはエルザ、重症患者はいても全員がきれいに致命傷を避けている。

 鉄の森(アイゼンヴァルト)の男たちは痛みと拘束で動けない体のままルーシィの治療を受けた。その顔は気まずげな者も居れば、単に救われたという顔の者、そして、忌々し気にルーシィを睨みつける者と様々だ。

 それでも誰もがルーシィに攻撃を向けないのは、このルーシィの治療がどれだけ気に食わなくとも自分にメリットであることは認識しているからだ。

 

 

「へ、へへ、だからよ、俺ぁカラッカのやつに、へへへ、言ってやったんだよ……」

 

 

 はあ、はあ、と息が荒くなる。ようやくルーシィがビアードの元に来た。それは話を聞きに来たのではなく治療をするためだ。ビアードが最後だった。

 ビアードは近づいた表情のない美しい顔を睨みつけるように、嘲笑って声を張り上げた。

 

 

「―――――『カゲを殺せ!』」

 

 

 ピタリ―――――ルーシィの手が止まる。

 

 

「ははは! 残念だったなオイ、クソジジイ共もテメェらもお終いだ! テメェらはここから出られねえしジジイ共はエリゴールさんが殺す! もう間に合わねえよざまあみろ!!」

 

 

 嗤う、嗤う、嗤う。傷が痛もうと構いやしない。ちからいっぱいの大声で目の前の女を嘲笑う。……けれど、

 

 

 

「間に合います」

 

 

 

 

「―――――は、ぁ?」

 

 

 

 

「間に合います」

「間に合わせます」

「必ず脱出します」

「あの人を止めます」

 

 

「誰ひとり、殺させはしない」

 

 

 

 

 ……ビアードは息を吐いた。だめだこいつは、という息だ。考え方が違う。なんでも頑張れば叶うと思ってやがる。言葉は通じるのに会話が成り立たないタイプだ。めんどくせえ。くだらねえ。

 そんな風に宣言して、その全てが叶うような世界のものか。エリゴールさんとの会話でも思ったが、なんとも箱入りの世間知らずな純粋培養のお姫様だ。ああ、ああ、そんな世界で生きてきたんだろ。おきれいな場所で守られながら生きてきたんだ、そうだろ? 羨ましいことで。

 

 

「……おい、治療なんざしなくていい。触んじゃねえ」

「………」

「どーせ、エリゴールさんがジジイ共を殺してもこの調子じゃ俺らは捕まる…そうなりゃ死刑か…死ななくてもわざわざ上の連中の言う事なんざ聞く気はねえからな。へっ、隙を見て逃げるか、死んでやる……いいようにされるくらいなら、先に好き勝手してやんのよ」

 

 

 もうどうでもよかった。ぬくぬく生温く生きてる正規ギルドの連中にボコボコにされて、お人好しの勝ち組(・・・)女にお情けをかけられて。みっともねえ。ああ、腹立つ。とにかくさっさと目の前の女に居なくなってほしかった。

 

 ―――――なのに。

 

 

 パンッ!

 

 

「っぐ、」

 

 

 両頬を、勢いよく包まれた。張り手のような強さだった。ピリピリとした痛みが傷口にまで伝って痛む。

 ―――――けれど、それ以上に、目の前のものに意識を奪われた。

 

 

 自分を治療していた女が、ルーシィがまっすぐ、至近距離でビアードを覗き込んでいた。

 

 

 近い―――――鼻の頭がくっつきそうなほどの距離で、目と目が合う。何してんだよ、とは言えなかった。離れろ、と言う前に息を呑んだ。

 琥珀の瞳が……きらきらと、あるいは、ギラギラと。

 

 

 

 

 

 

「 生きなさい 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――なぜ、鉄の森(アイゼンヴァルト)の魔導士たちを治療したのか。

 

 

 その衝動は最初、ルーシィにもよく分からなかった。分からないけれど、なぜか、走り去ることができなかった。

 弱みを見せないために突っぱねるように勢いをつけて治療をしていたが、頭の中はぐるぐるとして落ち着かなかった。

 

 軍人だけでなく鉄の森(アイゼンヴァルト)の魔導士までも治療するのはそれなりに時間がかかってしまう。それだけエリゴールを追うのが遅れてしまう。それに、せっかくエルザが頑張ったのに自分が治療してしまうのは、あるいは裏切りになってしまうのではないか。というか見ていただけの、さらには足手まといになった自分が彼らを治療するのは勝手が過ぎるのではないか。

 疑問は、心配は、焦燥はある。けれどルーシィはなぜか、『彼らを治療する』という自分の時間配分について、自分でも驚くほどに不満を感じなかった。

 

 時間がないのに。間に合わなくなってしまうかもしれないのに。なのに、なんで。

 ……一刻を争う事態なのに、むしろ、ずいぶんと精神的に落ち着いている。

 

 

 悩んで、分からなくて、なのに手は止まらなくて。……けれど、唐突に思い至った。

 

 

 

 ―――――これは、『自由』だ。

 

 

 

 

 

 

 その声は、ホールに倒れ伏していた鉄の森(アイゼンヴァルト)の魔導士たち全員の耳に入った。

 ぎちり、と縛り上げられた腕にちからが入る。

 

 スッと通り抜けるような音は決して大きなものではなかった。それなのに、まるでホールいっぱいに響き渡ったかのように耳の奥で反響し、実際に目と目を合わせているのはビアードだけのはずなのに―――――ひとりひとりが、まるで目の前で彼女が自分に語り掛けてきているような幻覚を見た。

 

 

「たくさんの人を手にかけたのでしょう。被った血潮を糧にしていたのでしょう」

「犯した罪はもはやあなたのいのちひとつでは償いきれない」

「死に伏した方々の怨嗟が、愛する人を奪われた方々の悲哀が、あなたたちを決して許すことなくその身に纏わりついてくる」

「たとえどれほどの過程があろうと、生き血をすすった魂は犯した罪に対比した罰からは逃げられない」

 

 

「―――――生きなさい」

 

 

「貪ったいのちの十倍、百倍、千倍のいのちを救いなさい」

「その道を選んだのは自分だとおっしゃるのなら、それもあなたの自由でしょう。けれどそう、自由には代償がつくものですわ。あなたはもう、死に逃げることは許されない」

懺悔(はんせい)を。そして、贖罪(つぐない)を」

「その罪をたとえ誰に許されることなくとも、自分の意志で償いなさい」

 

 

「償って、そして、生きて」

 

 

 

 ―――――何を言っている。

 

 ビアードは「は、」と浅い息を漏らした。救え? あほか、何人殺したと思ってやがる。その千倍? 片手程度殺しただけでもウン千人じゃねえか。ガキの口約束じゃねえんだぞ。そもそも牢屋にぶち込まれるだろう俺らが誰を救えるっつーんだよあほか。馬鹿か。

 

 好き勝手言ってんじゃねえ。なんでテメェが俺の人生にくち出すんだよ。ふざけんな。俺は、俺のためだけに生きる。生きるも死ぬも俺が決める。俺が決められることだ。それは俺の権利だ。

 

 

「生きなさい」

 

 

 なんでテメェが、そんな必死な顔してんだよ。

 

 

「……ばかじゃねえの」

 

 

 俺らはテメェらのギルドマスターを殺すっつってんだぞ。つか、あの赤髪の女に負けなきゃ今頃テメェもあの女も俺らに好き勝手されてたんだぞ。それを治療して、生きろとか言って、何考えてんだコイツ。ばっかじゃねえの。

 

 

「なんで、テメェが、……俺に生きろって、言うんだよ」

 

 

 なんで、そんな、償えって言って、そのくせ、―――――そんなことは建前みたいな顔で、生きろって言うんだよ。

 なんだよお前。わけわかんねえよ。今更なんだよ。なんで、いまさら。

 

 

「俺ぁてめーらの敵だぞ……闇ギルドの…殺し屋の…っ!」

 

 

 わけわかんねえよ。錯覚しそうになる。まるで俺に、俺らに生きてほしいみてぇじゃねーか。

 頭の中がクラクラする。生きなさいと、目の前の女の声で反響する。琥珀色の光がチカチカと網膜を焼き尽くそうとする。なんだこれ。何でお前の声が、こんなに頭に残る。なんで今までみたいに、他の偽善者どもの説教みたいに振り払えない?

 何でお前は、俺から消えない。

 

 

「何か勘違いなさっているようですが、あなた方を治療いたしましたのは、わたくしの為です。ただでさえギルドマスターの皆様が狙われている現状。そのような大きなものを背負っていながら、さらにはあなた方のいのちを背負う余裕などこちらにはありませんの!」

 

 

 ビアードから顔を離したルーシィがつい、と顔を逸らして言い切る。

 

 

「ええ、ええ。わたくしの為です。あなた方が死んでしまわれれば、わたくしが困ってしまうのです。あなた方は大嫌いな正規ギルドが困れば嬉しいかもしれませんが、あなた方はエルザちゃんに敗北し、そしてわたくしの手によって治療を受けたのですから、そのいのちの権限は今わたくしにあると言っても過言でないのでは?」

 

 

 ならばくちを出す権利がわたくしにはあるはずです、と柔らかな唇が弧を描く。―――――ホームの窓から太陽の光が差し込んだ。きらきらと、光がルーシィの金髪(ブロンド)に反射した。

 

 

「―――――死なれると困ります。生きていただかないと、わたくしが悪いことになってしまうでしょう」

 

 

 あほ抜かせ。ビアードは毒づいた。闇ギルドを壊滅させるのに闇ギルド側に死人が出て、正規ギルドが責められるわけねーだろ、と。

 ルーシィの物言いは尊大で傲慢さが見えるようで、こじつけた理由と柔らかい何かを持っているようだった。それに、困惑する。目の前の女は、ついさっきまで殺し合っていた、素性の知れた悪人相手に、なぜそんな色を見せるのかと。

 

 

「生きなさい。生きる理由がないのなら償いなさい。生きて、何かを成しなさい」

 

 

 何だそれ。おい、今さっき償うために生きろとぬかして、今度は生きるために償えっつーんか。言ってることがめちゃくちゃだ。一貫してんのは、お前、生きろって、それだけじゃねーか。

 何がしてえんだよ。なんなんだよ。ビアードは苛立たし気に舌打ちをした。

 ……ああ、もう、疲れた。もう何でもいい。

 

 

「生きてほしいのか」

 

 

 ビアードの素っ気ないその言葉に、ええそうよ、とルーシィが笑う。

 

 

「あなたに生きていてほしいの」

 

 

 わたくしの為にと笑う。日の光を全身に浴びたルーシィが笑う。

 その姿を見て、ビアードは何となく、外はずいぶんと晴れてんだな、と思った。魔風壁あんのに光は入ってくんのか、なんてどうでもいい疑問に思考を裂いた。その光と光を纏った女を見つめながら、眩しいなと目を細める。

 

 

 ――――――……それにしても、太陽の光っつーのは、こんな、あったけえ色をしてたっけか。

 

 

 生きてほしいと女は言った。馬鹿だなこの女。何が「傷薬がもうなくなってしまいます」だ。俺らなんかに使ってるからだろ。おい、お前に言ってんだよ馬鹿女。なんでとっておこうとしてんだよ。仲間の怪我? カゲの怪我? なんでお前、自分の腕に使わねえんだよ。巻いてる布から血が滴ってんじゃねーか。馬鹿か。

 

 何度心の中で毒づいても、なぜかそれは言葉にならなかった。いや、深い意味などない。疲れているからだ。ただそれだけだ。

 

 意識が遠くなる。ああ、もういい。どうせこいつらが何をしたところでエリゴールさんには敵わねえよ。ジジイ共は死んで、こいつらもエリゴールさんに負けて、

 

 

( 俺らは、……どうなんかなァ…… )

 

 

 エリゴールさんが自分たちを回収してくれるとは到底思わない。なら、やっぱり捕まるだろう。そこまで考えて、ビアードは視界が霞んできたことに気が付いた。ああくそ、眠てえな……

 

 

「ばかじゃねえの………」

 

 

 ………もし、目が覚めた時…、万が一、億が一にもこいつらがエリゴールさんに勝つようなことがあれば。何となく、そんなもしもを考える。寝ぼけているからだ。そうに違いない。けれど、そうだ。もし、そんなことがあるのなら……そん時は、この女の言ったことを、頭の隅に思い出してやってもいいかもしれない。

 まあ思い出すだけだが。何が楽しくてクソどうでもいい他人のために頑張ってやんなきゃなんねえんだっつーの。

 

 

( 俺のいのちだ。俺の人生だ。俺は俺だけのために生きるんだ。奪って、勝って、生き残る。だから他のやつがどうなったところで、知った事じゃない )

 

 

 …誰かが鼻をすすってる音が聞こえる。俺じゃねえ。汚ねえな、誰だよ泣いてるやつ。……にしても、生きててほしい、ねえ。クソみたいなお人よしだ。恵まれてんなァ、そんな考えで生きてこれるような人生だったんだろ。

 

 

 ―――――『ひとのいのちの尊厳を守らぬ者に、なぜその存在を尊ばれる権利が与えられるのです』

 

 

 けれどなんとなく、ただ、なんとなく、あの時笑ったこいつの言葉が、こういうことなのかと、思った気がした。

 ……いやそれにしたって馬鹿だな。こんな奴らに向けて言う言葉じゃねえだろ。今更なんだよ。馬鹿だ。とびきりの馬鹿だ。

 

 

 

 

( ………いや、その言葉を、明確に言葉にして欲しがった俺の方が、馬鹿か )

 

 

 

 

 重たくなった瞼を、最後に無理やりこじ開ける。女は、光の下にいた。金髪(ブロンド)も雲みてぇに白い肌も光を反射してチカチカうるせえ。

 女は何かを考えこんでいるような顔で、それから、ふと、こっちを見て、―――――困ったものを見るような顔で、笑う。

 

 

 きれいなもんだな。

 

 

 そんなことを思った。別に変な意味はない、ただ、そう思った。服は汚れてるし、破れてるし、血だらけのくせに、まあずいぶんと、きれいなもんだなと。顔がいいからか?

 腹立つなあ。何でこいつの声は、こんな、腹立つ勝ち組女の声が、頭ん中から消えねえんだよ。

 

 ……そういや、この女、名前なんつったか…………いや、どうでもいいか………

 ………生きていてほしい、ねえ。死なれると困るのか。俺らが生きてて、生きてることが、テメェの為になるってのか。てきとーなことばっか言いやがって。ばかばかしい。

 

 

 ああでも、そんなこと―――――

 

 

 

 ―――――そして、暗転。

 

 

 

 

 

 

 ―――――夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 都合のいい、―――――あたたかい夢だった。

 

 

 

 

 

 

 閉じた瞼の先で、キラキラと星が瞬く夢だった。

 

 

 

 

 

 

 ルーシィは走る。ホールに居たけが人は全員治療し終わって、あとは他の3人と合流するだけだ。

 目指すのはつい数分前に大きな破壊音が聞こえてきた方角。間違いなくナツはそこに居るという確信があった。その音の方角へ向かえば合流できるはずだとすっかり軽くなったキャリーバッグを抱えながら走る。

 

 

 息を弾ませ走りながら、ルーシィは自分の感情を反芻する。鉄の森(アイゼンヴァルト)の魔導士を治療した理由―――――それを、『自由』だと思った、理由。

 

 

 ―――――マスターを救いたいのは、やらなくちゃいけないことだ。同時に、やりたいことだ。ルーシィがマスターに生きていてほしいから、マスターを助けたい。それはルーシィの自由意志だ。

 ……そして、鉄の森(アイゼンヴァルト)の魔導士たちを助けたのもまた、ルーシィの自由意志だった。

 

 怪我をして、痛いと言って、助けてくれと言う人を、たとえそれがどんな悪人であっても見捨てられないのは、放っておけないと、せめて止血だけでもと思ってしまったのは、思うのは、思えるのは、『自由』だ。

 

 

 ―――――ルーシィの『自由』だ。

 

 

 それに気づいた瞬間、ぐるぐると回っていた思考が一気に晴れ渡った。そうだ、自分は今、自由に、心に従って動いている。そう気づいて、だから、「生きなさい」などと言えた。

 無責任だ。何の解決にもならない。でも、目の前にいる人間が死ぬ姿を見たくないと、そんなわがままも、ルーシィの『自由』だ。

 

 

 前後の損得も、立場も、背負う何かもなく、ただ自由に、心のままの想いで、考えで、言葉だ。

 

 

 だから後悔が無かった。惜しくなかった。不謹慎かもしれないが、嬉しかった。現状は何も好転していないのに、ルーシィの心はどこか軽くなって、息がしやすくなった気がする。

でも、そう。自由には代償がいる。

 その代償が、この時間のロスなのだろう。自由にやりたいことをすれば、それだけ残る時間は少なくなる。十分な痛手だ。あちらを立てればこちらが立たず…けれど、これが代償ならば。

 ならばルーシィは払ってみせる。少なくとも、代償の範囲にマスターのいのちは入れさせない。救ってみせる。守ってみせる。間に合ってみせる。

 

 

 飲み込んだ決意を抱きしめて、走る速度を上げたところで―――――

 

 

「! 皆さん!」

「ルーシィ!! 無事だったか!!」

 

 

 ちょうどホールに向かっていた3人と合流することができた。―――――いや、正確には、3人と、1匹と、……重症患者がひとり。

 

 

「その方は…いえ、おおよそは把握できています。止血はお済みですか? 応急処置ならできますが…」

「頼む!」

 

 

 すぐさまグレイがその重症患者、鉄の森(アイゼンヴァルト)のカゲを俯きに横たえる。エルザが取り出したナイフで服を裂き、ルーシィは覗いた背中の傷口の深さに顔をしかめた。

 

 

「これは…内臓に損傷がある可能性もありますわね。応急処置だけでは何とも……お医者様に診ていただきませんと…」

「ああ、しかし医者に行くにも何も、こいつが居ないと外に出られない」

 

 

 せめて止血は、とガーゼを当てて3人がかりでグルグルと包帯を巻き終えれば、ところで、とエルザがルーシィに話しかけた。

 

 

「……ルーシィ、その腕の傷は」

「あ、ああ、その、魔風壁に触れてしまいましたの。どうやら外からは入れても中からは出られないようで」

 

 

 みっともないですわね、ごめんなさい。そう言って血だらけの布を纏った腕を背に隠し眉を下げて笑うルーシィに3人が少し黙る。そういうことじゃない。よく見れば上品にはためいていたスカートも乱雑に破かれていて、体にもいくらかの擦り傷がある。3人の目には、特に顔のそれが一番痛々しく見えた。

 心配をしているのだ。仲間だから。なのに、なぜそんなことを言うのか。もどかしい気持ちが沸き上がり―――――けれど何かを言う前にルーシィが話題を変えてしまったので、結局そのことについて何かしらのフォローを入れることは叶わなかった。

 

 

「それより、急ぎませんと! 実は、エリゴールは魔法で空を飛びクローバーに向かってしまっていますの! わたくし、てっきり列車を使ってクローバーへ向かうものなのだと思い込んでしまっていて、まんまと……」

「私もそう思い込んでいた。まさかこの距離を自力で移動しようとするとは……すぐに追わなくてはいけない。しかし、やはり魔風壁をどうにかしなくては……」

 

 

 全員の視線がカゲに向く。……意識なく倒れ伏すこの男に、それができるか。いやしてもらわなくてはいけない。いけないが……目が覚めたとして、魔風壁を解除できるだけの余力があるか……

 

 

「……考えていても仕方がない。行くぞ!」

 

 

 

 

 

 

「ぅおらァァアアアッ!!」

 

 

 炎を纏った拳が揮われる。

 

 

「うぎゃッ!」

 

 

 しかしそれは軽々と弾かれ―――――ナツは吹き飛ばされて床を転がった。

 

 

「ナツくん、血が……」

「かすり傷だわ!! クソったれ…こんなもん突き破ってやるァ!!!」

 

 

 バヂィインッ!!

 

 

「ナツくん!」

「馬鹿、ちからずくじゃどうにもなんねーっつうの……」

 

 

 ルーシィはとっさに転がってきたナツを支える。腕の中の、魔風壁のせいであちこちに裂傷ができ血だらけの姿にきゅう、と心臓が縮こまったような感覚を覚えた。……こんな怪我をしているナツを見たの初めてだ。ルーシィの見たことのあるナツは、乗り物酔いをしている姿以外は、いつだって頼りになる強者の背中だったから。

 ハラハラとしているルーシィに対して、グレイはナツの行動にため息交じりに言い捨てるが、突っ込んでがむしゃらに足掻きたい気持ちは理解していた。ナツがこうして暴れているからなんとか冷静さを保てているが、そうでなければ自分が突っ込んでいた自覚はあるからだ。

 そしてそれはエルザもそうだろう。気を失っているカゲに声をかけながら魔風壁を睨みつける視線はギラギラと鋭い。

 

 どうしたら、どうすれば。グレイが、エルザが、ルーシィが考え込む。打開策を求めて思考を回す。

 

 

「―――――そうだ!!」

「っきゃあ!」

 

 

 そんな中、魔風壁に向かってグルグルと唸り声をあげていたナツが、ふいに勢いよく体を反転させ、自分を支えていたルーシィの肩をつかんだ。

 

 

「ルーシィ、星霊だ!!」

 

 

 そして、叫ぶ。

 

 

「エバルーの屋敷でほら、俺が星霊界? を通って場所移動できただろ!? あれ、できねえか!?」

 

 

 星霊による場所移動。そのフレーズにグレイとエルザの視線がルーシィに向く。それは魅力的な可能性だった。しかし、

 

 

「ふ、不可能ですわ。星霊界では人間は息ができませんから立ち入れば死んでしまいますし、そ、そもそもの話、人間が星霊界に入ることは重大な契約違反なのですっ」

 

 

 しかしそれは、前提からして不可能な発想なのだ。閃きは十全。けれど十全なのは閃きだけだった。

 

 

「公爵のお屋敷での一件は、公爵が呼び出した星霊にナツくんが偶然ついてこられた結果ですからこちらにお咎めがなかっただけで、おそらく公爵は契約に基づき何らかの罰を受けていらっしゃるでしょうし…! そ、それにっ、」

「息は止めてりゃいい! 罰なんていくらでも受けてやる!! それよりじいちゃんのいのちだろーが!!」

「そ、そうなのですけれど、もちろん、そうなのですけれど…!」

「おいナツ、少し落ち着け!」

 

 

 がくがくと揺らされるルーシィを見かねてグレイがナツからルーシィを引きはがす。ナツの焦燥はよく分かる。焦っているのは自分の同じだ。しかし、ルーシィが保身のために拒否しているとは思えない。何かしらの理由があるはずだ。そう思った。

 

 ルーシィは息を整えながら唇を噛む。分かってる。ルーシィだってマカロフを助けられるなら罰の十や二十、あるいは百や二百、受けたってかまわない。けれど、そもそもその策は根本的に無理なのだ。

 

 

「それに、星霊は星霊魔導士が居る位置にしか召喚できませんの…あの時は『別の場所にいた星霊』を『再召喚』したために星霊が一度星霊界を通ることで道のりを省略したのです。同じように星霊を通して場所を移動するのでしたら、この場でわたくしがどの子かを召喚し、それを魔風壁の外でどなたか、もうおひとり星霊魔導士の方にその子を呼び出していただいて、そうしてその子が星霊界を通って移動するのについていかせてもらう、という方法しかないのです」

 

 

 星霊魔導士だけでは星霊界には入れませんから、と申し訳なさそうに言うルーシィに、話が振出しに戻ったと全員が頭を抱える。解決策は本当に無いのか。各々が苦し気に悩む。

 

 

「 あーーーーーーーーーーっ!!!!! 」

 

 

その時に、急にずっと黙り込んでいたハッピーが叫んだ。

 

 

「ど、どうしました!?」

「今度は何だよ!」

「ルーシィ! これ! これ!」

 

 

 相棒同士そっくりか、というグレイの唸り声と一緒に、バッと全員の視線がハッピーに集まる。ハッピーはその視線の先で頬を真っ赤に染め、「思い出した! 思い出した!」とはしゃいで、背負っていた風呂敷をあさり、取り出した『それ』をルーシィに掲げて見せた。

 

 

「―――――それは…! 処女宮の黄金の鍵!! どうしてハッピーさんが、」

「バルゴがオイラん家に来たんだ、エバルーが逮捕されて契約が解除になったからルーシィと契約したいって!」

「契約…わたくしと…!」

「オイそれ今する話か!?」

「そうなのです!!!!」

「あ、はい」

 

 

 能天気そうな会話にグレイが声を荒げる。それにすぐさま肯定したルーシィの張り上げられた声に、思わずグレイは謝り、すぐに「いや今の俺悪く無くねえか」と思って黙った。沈黙は金。

 そんなグレイを尻目にルーシィは受け取った鍵を握りしめて立ち上る。顔には堪えきれなかった喜びが浮かんで、琥珀色の瞳は星より煌めいて、瞬く。

 

 

「ファインプレーですハッピーさん! やっと見つけたわ、打開策…!!」

 

 

 きらり、と鍵が光った。

 

 

 

 

 

 

「我、星霊界との道をつなぐ者―――――」

 

 

 ―――――処女宮のバルゴは穴を掘ることができるんです。

 

 

「汝、その呼びかけに応え(ゲート)をくぐれ」

 

 

 ―――――その能力を使えば、魔風壁の下を通って外に出られるかもしれません。

 

 

 ルーシィのもたらした情報はまさに光明だった。その手があったか、と舌を打つほどに。

 全員がルーシィの様子をつぶさに見つめ、息を呑む。その視線の先でキラキラとルーシィの魔力が煌めいた。星のような光が瞬いて、それはあちらとこちらを繋げる(ゲート)となり―――――それが、開かれる。

 

 

 

「開け、処女宮の扉―――――」

 

 

 

 お願い、お友達。どうかあなたのちからを貸して。

 

 大事な人を、守りたいの。

 

 

 

「――――― バルゴ !! 」

 

 

 

 

 

 

 

「お呼びでしょうか、ご主人さま」

 

 

 

 

 

 

 ―――――それでいい。愛すべき、優しき友よ。その心の美しさを、我々は尊重しよう。

 

 

 

 

 

 

「はぃえ……?」

 

 

 ころん、と思わずルーシィのくちから惚けたような声が出る。(ゲート)を開いた先、星霊は確かにルーシィの声に応え、この場に現界した。

 

 したの、だが。

 

 

「なんだお前痩せたな」

「その節はご迷惑をおかけしました」

 

「…………痩せた、と言うか……」

 

 

 最早骨格から別人だと、ルーシィは思わず大きく瞬きをした。

 ルーシィの記憶している処女宮のバルゴは巨木のような女だった。逞しく、分厚く、勇ましい容姿の、かなり特徴的な女だった。

 

 しかしルーシィの声に応えたのは、艶やかなショートカットのストロベリーブロンドを揺らし、華奢な体躯にミニスカートのメイドドレスを纏った、可愛らしい少女だったのだ。

 

 同一人物かを疑う変容。もしや別固体か。いや、黄金の鍵の星霊は一個体しかいない…ということは、あの巨木が、この花なのである。

 

 まさかまさかの。うっかりじっくりと眺めてしまったルーシィはすぐにハッとして首を振った。原理はどうあれ女性の体形をとやかく言うのは不躾なことだ。

 しかしそんな一連の反応でルーシィの心情を理解したのだろう。バルゴはひとつ頷いて、応えるように説明をした。

 

 

「私はご主人さまの忠実な星霊ですので、ご主人さまの趣味趣向に合わせて外見を変容させることができます」

 

 

 なるほど、ではあの巨木のような体格はエバルーの趣味か。納得したように頷いたルーシィに対して、他3人と1匹の視線はバルゴに集中した。……正確には、バルゴの足に。

 

 

「じゃあお前そのスカートもルーシィの趣味か」

「随分短いな……」

「ルーシィ、お前……」

「違います!!」

 

 

 とんだ風評被害である。ルーシィは顔を真っ赤にして首を振った。

 

 

「そっ、そんな、わたくし、自分のお友達に露出の多いお洋服を着せるような趣味はありませんわ!!」

「はい。ご主人様が私に着せたい服と言うより、ご自身で着てみたい服ですので」

「バルゴ!!?」

 

 

 とんでもないカミングアウトだ。ルーシィの声はもう悲鳴に等しかった。

 

 

「快活な少女のようにショートカットヘアーにしてみたり、同じ年ごろの子のように短いスカートを穿いてみたいという願望を持ちながらも、自分には似合わないからと躊躇っていらっしゃるご主人さまの欲望を少しでも満たすことができればと」

「も、もうやめてバルゴっ…!」

 

 

 勝手に胸の内を解説される羞恥たるや。仲間からの視線が恥ずかしく、ルーシィは息も絶え絶えに懇願する。

 

 

「そっ、そんなことよりもバルゴ! 申し訳ないのだけれど、時間がないの。契約は後回しにして先にちからを借りてもいいかしら!」

「承知いたしました、ご主人さま」

「………その、ご主人さまというのは変えられないかしら。わたくし、お友達にそんな風に呼ばれるのはさみしいわ」

 

 

 勘弁してくれと話の軌道修正をしたルーシィは、了承してくれたバルゴのセリフを聞き、すこし眉を下げて言った。

 ルーシィは星霊たちの契約者(オーナー)として個々の個性や主張を尊重したい気持ちはあるが、それにしたってご主人さま呼びと言うのは、なんだか主従関係のようで落ち着かない。なにせ、ルーシィにとって星霊は愛するお友達なのだから。

 

 

「―――――ええ、ではお嬢さまと」

「うっ、そ、それも…いえ、今はその話をしている場合ではなかったわね。あとでしっかりお話ししましょう! バルゴ、ここから穴を通して、この魔風壁を越えて外に出られる通路を作ってもらえるかしら」

「お任せください」

 

 

 返事はまったく気負いのしていなものだった。当然のように、なんてことの無いように言うバルゴの頼もしさにルーシィの顔にも安堵の微笑みが浮かぶ。これでようやく、外に出られる。

 

 

「それでは失礼いたします」

 

 

 ぺこりと一礼したバルゴは両手についた鎖付きの枷をシャラシャラと鳴らしながら―――――勢いよく地面に向かってダイブした。

 ズボッ! とまるで水中に飛び込むような気軽さで地面に穴をあけて消えたその姿に全員から感嘆の声が上がる。

 

 

「よくやったぞルーシィ!」

「よし、この穴通ってくぞ! って、…おいナツ、何を」

 

 

 快挙だ。エルザがルーシィを褒め、グレイは全員を見回して―――――そこでナツが気を失っているカゲを背負っていることに気が付いた。

 

 

「連れて行くのかそいつ」

「俺と戦った後に死なれたら後味わりぃだろーが」

 

 

 シンプルな理由だ。自分勝手で、カゲへの配慮ではなく個人の感情の、それだけの理由だ。

 

 

「おし、エルザ、ルーシィ、ナツ、俺の順番で穴を通るぞ。ナツはそいつ背負っていけ。俺が後ろから押してやる」

 

 

 けれど、人を助けるのに理由なんてものはそれだけあれば十分だった。少なくとも、彼ら(フェアリーテイル)には。

 

 

 

 

 

 

 なお、グレイは頭の片隅で「処女宮なのに穴を掘るのか」と思ったが、くちに出したら間違いなく非難されることは分かり切っていたので誰に悟れることもないうちに思考を切り替えた。

 沈黙は、金である。

 

 

 

 

 

 

「よし、出れたぞ! 急げ!」

「お嬢さま、スカートがはためいてしまっています。下着が…」

「きゃあ! わ、わたくしのスカートよりあなたのスカートをおさえてちょうだい! ああ、はしたないわよバルゴ!」

「だー! もー! はやく来い!」

 

 

 轟々と吹き荒れる風を掻き分け、一行はようやく外に出ることができた。駅の前はガランとしていて野次馬ひとりおらず、ちゃんと全員が避難してくれたことがうかがえ、ルーシィは思わず安堵の息を吐く。

 

 

「っへ、……へへ、い、いまさら追いつけねえよ……」

 

 

 そうして息を吐いたと同時に、もご、と少し引きつった声が全員の耳に入った。

 

 

「お前目ぇ覚めたのか」

「エリゴールさんは必ず成し遂げる…あの笛でクソジジイどもを殺して……絶対……」

「案外元気じゃねーかコラ……おい待て、ナツどこ行った?」

 

 

 はあはあと整わない息で言葉を続けるカゲにグレイが呆れたようにため息を吐き、脱出できた今気を失ったままでいてくれた方が楽だったかもなと思ったところで……ふと気づいた。

 カゲは地面に横たわりながらぶつぶつと言っている。……じゃあ、カゲを背負っていたはずのナツは―――――どこに行った?

 

 

「ま、まあ! ハッピーさんもいらっしゃいませんわ!」

「はあ!? っの、あいつらまた勝手に……!」

「おい魔動四輪車を回収してきたぞ……どうした?」

 

 

 グレイの声に、バルゴを星霊界へ還したルーシィは周囲を見回して声を張る。ハッピーとナツ。このふたりが同時に居なくなるということがどういうことか。それは、新参者のルーシィでもハッキリわかることだった。

 

 

「ナツさんとハッピーさんが先に行ってしまわれたようなんです!」

「何っ!? あいつらはまったく―――――いや、ハッピーの最高速度を考えればふたりはすでにエリゴールと接敵しているかもしれない。全員乗れ! ふたりを追うぞ!」

 

 

 もしそうなら願ったり叶ったりだ。ならば少しでも早く加勢に行けるようにと張り上げられた操縦席のエルザの声に、グレイとルーシィがカゲを車内に押し込み、ふたりもまた転がるように乗り込む。そしてエルザは全員が乗ったことを確認すると、プラグを通してちからいっぱいに魔力を注ぎ込んだ。

 

 

「捕まっていろ―――――飛ばすぞ」

 

 

 車内に詰め込まれたカゲは傷に響いたその乱暴な挙動に苛立ちながら顔を上げ、そして見えたものにハッとして思わず押し黙る。

 

 ギラギラ、ギラギラと。エルザの、グレイの、ルーシィの目の奥が、鋭く、重たく、強い光を灯している。

 けして逃がさないと。―――――それは、獲物を定めた捕食者の顔。

 

 

 ―――――時間は無い。けれど、必ず間に合わせる。

 

 

「死神上等」

 

 

 グレイがぺろりと乾いた唇を舐める。

 

 

「―――――私たちの家族に、死神(あいつ)の鎌は振り下ろさせん」

 

 

 砂塵に紛れ、スカーレットが舞った。

 

 

 






 ―――――懐かしい、夢を見た。忌々しい夢だ。


 ―――――子供が走る。ざんばらに切られた髪は永いこと洗われてないことが分かるほど汚れていて、肌も服もボロボロでどろどろに汚れた子供が人にぶつかりながら走っていく様を、きれいなドレスを着た女が眉をひそめて睨みつけた。
 いや、女だけではない。周りにいるやつら全員が、迷惑そうに、汚らわしいものを見るように子供を見ている。


「っ邪魔だどけっ!!」


 その視線を振り払うように叫んで走る。後ろから追いかけてくる喧騒がどんどん近づいてくる。捕まらないように走って走って、―――――けれど大人と子供の体格差は顕著だ。それが、ろくに飯も食えていない子供相手なら特に。


「っぐ、!!」
「捕まえたぞこのガキ!!」


 襟首をつかまれ裏路地に引きずり込まれる。たたきつけられた地面にはカラスの破片があって掠った腕から血が出た。痛い。…それでも、腕に抱えたパンは離さないようにちからを込めた。


「このガキ、パンを盗みやがって!」
「汚ねえ手でうちの商品に触ってんじゃねえよ!」
「この……!! クソガキ!!」


 殴られる。蹴られる。それを耐える。耐える。耐える。廃棄品なのに、ごみ箱に捨ててたくせに『盗んだ』ことになんのかよ、という文句は飲み込んだ。
 どうせこいつらは俺が触ったパンを奪い返しはしないから。これさえ耐えれば、パンが食える。3日ぶりの食事だ。これを逃せばまた1週間はろくな飯が食えないかもしれない。だからいつものように、ただただ耐える。
 まだ俺は弱いから。ガキだから。だから反撃ができないから耐えるしかない。でも、今に見てろ。俺がでかくなったら、強くなったら、見返してやる。俺をあんな目で見てきたやつらも、殴ってくる奴らも、みんなみんな見返してやる。


「てめえみてえなゴミ、生きてるだけで人様の迷惑だ」
「クソが、とっととくたばれこのガキ…!」
「てめえの親にも性根の腐ってんのを見抜かれて捨てられたんだろうさ、なあ!」

「さっさと―――――!!」



 ―――――ふいに、音が消えた。


「、え……」


 罵倒する声も、降ってくる拳も蹴りもなくなって、思わず何が起きたのかと顔を上げてしまった。―――――しまった、こいつらは目が合うと余計に殴ってくる。ヤバい、と思い、また俯こうとして、

 ―――――まぶしい。

 くら、と眩暈がしたように目を細める。いつの間にか俺を殴っていた男たちはいなくなっていた。―――――その代わり、誰か……少女が。俺と同じくらいの歳の女の子が、立っていた。
 裏路地の入口から差し込む太陽のせいで、逆光で顔が見えない。でも、笑ってる気がする。
 ……笑ってる。女の子が。……でも、いつもみたいに、周りの連中みたいな、馬鹿にした笑い方じゃなかった。

 つい、と手を引かれた。優しく優しく引っ張り上げられ、その手に導かれるように立ち上がった。頬を撫でられる。ふと、体中の痛みがなくなってることに気が付いた。
 誰。なんで、……言葉が思いつかなくて、声が出ない。そうしたら―――――抱きしめられた。

 息を呑む。―――――盗みでも暴力でもなく他人に触れたのは、…触れられたのは、初めてだった。


「………あったかい」


 あと、いい匂いがする。ようやく絞り出したのはそんな言葉だった。でも、ほんとの事だった。
 不思議と警戒心も湧かないくらいに、ふう、と体からちからが抜けてしまう。

 あったかい。いい匂いがする。……お前、誰だよ。なあ、なんで………

 俺、こんな汚い恰好なのに、こんなくっついたら汚れちまうんじゃねえの。その言葉はとっさに飲み込んだ。そのとおりだと離れられてしまうのが怖くなったからだ。その時俺は初めて自分の格好が恥ずかしくなった。今までは服があるだけ幸運と思ってたし、きれいな服を着てもどうせすぐ汚くなるから、自分の身なりなんてたいして気にもしてなかった。
 けど、なぜか今、自分が恥ずかしくなった。汚れている自分が目の前の少女の瞳に映っていることが恥ずかしかった。

 けれど女の子はちっとも気にしたそぶりを見せず、少し体を離して、それから俺の抱いていたパンに触れ―――――そうしたら、泥だらけになってたパンが焼き立てみたいにきれいになった。
 いつもえずきながら飲み込む、泥を吸ってべちゃべちゃになったパンが、見たこともないくらいふわふわだった。なんだこれ、すごい。なんだこれ。

 くすくすと女の子が笑う。それから、行こう、と言われた。言われて、腕を引かれた。そのままふたりで裏路地を飛び出す。

 ―――――まぶしい。

 とんだ晴れ模様だった。手をつないで人込みを抜けていく俺たちを、街の人間が微笑ましいものを見るような目で見てくる。さっきまでの落差がすごい。でも、あんまり気にならなかった。それより、太陽に照らされた、目の前で揺れる女の子の金髪(ブロンド)に釘付けになる。

 きれいなもんだなあ。

 生まれて初めて、きれいなものに好きだと思った。
 気づけばなぜか俺の格好もきれいになっていて、まるでどっかの家の子みたいになってる。きれいな格好で、焼き立てのパンを抱きしめて、……女の子が足を止めて、俺に振り返る。


「 生きて 」


 ひとつ、瞬きをすると、女の子はいつの間にかもっと年上の女になってた。それでも変わらないきれいな金髪(ブロンド)を揺らして、ようやく見えた、きれいな顔が、優しく笑う。


「 ねえ、生きて 」


 生きてていいんだよ。―――――そんなことを言って、笑う。


「……俺、生きてていいの」
「うん、生きてていいんだよ」
「……俺に、生きててほしいの」
「うん、生きててほしいよ」


 生きて。


「………なんだそれ。そんなの、……そんなこと、」


 キラキラした、女の子。髪も肌もきれいで、とびきりかわいくて、…優しくて、あったかい……夜に空に散らばってる星みたいな子。そんな、幸せの象徴のような女の子が、抱きしめて、手を取って、汚れるのも厭わず引っ張って、……望んでくれる。


「………初めて、言われたなあ……」



 そんな、都合のいい夢を見た。


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