きらきらぼし   作:雄良 景

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 行かなくてはならない。間に合わなくてはならない。触れ合う肌の熱を信じて、今はただ前を向いて。



「エルザちゃん! グレイくん!」



 背負われたまま、ようやく目の前にまで追い付いたその背に向けて声を張る。そうすれば鮮やかなスカーレットと清涼なブラックがパッと踊って。
 首元に回した腕にちからを込めれば、背負い支えてくれている腕に同じだけちからを込めてくれた。―――――それだけで。



「お待たせいたしました―――――」



 ふたりはルーシィの顔を見て、ほっと安心したように微笑んだ。その柔らかい目尻が、彼らがどれほど心配してくれていたのかを分からせてくる。



「―――――参りましょうッ」



 だからルーシィはそんな彼らに応えられるよう、震える声を精一杯張った。






手を伸ばす

 

 ルーシィたちがカゲを見つけた時、彼は既に定例会の会場に辿り着いていた。建物の外、笛を持って―――――よりにもよってマカロフの前に。

 

 ザッと血の気が引く。ああ、そんな!

 まだだ―――――まだ、まだ、まだ、間に合う!

 止めなくては―――――止まってくれ―――――どうか―――――ルーシィが、ナツが、ハッピーが、グレイが、エルザが、必死に手を伸ばしそこへ向かおうとして、

 

 

 

「だぁめ♡」

 

 

 

 ―――――それを止める手があった。

 

 

「今いいとこなんだから、見てなさいって♡」

 

 

 とろんと撫でるような甘い声。思わず釣られた視線の先―――――伸ばした手に伸ばされた手を辿って見えた、つるりとした丸いフォルムにセクシーな黒いドレス。可愛らしい羽が背中を彩るその人は、

 

 

「あっ、ブ、青い天馬(ブルーペガサス)のマスターさま…!?」

 

 

 それは愛読雑誌で何度も見た姿。―――――魔導士ギルド青い天馬(ブルーペガサス)のマスター、ボブであった。

 驚愕したルーシィに(かのじょ)はルージュを妖艶に歪ませる。

 

 

「止めないでください、このままではマスターが!」

「久しぶりねぇエルザちゃん、大きくなったわぁ。あら、こっちの子たちも妖精の尻尾(フェアリーテイル)の子かしら? ウフ、かわいいわね♡」

 

 

 抗議したエルザに、けれどボブは意に介さない。どころか若く整った容姿をしているナツとグレイにムチュリと投げキッスを飛ばした。切迫した表情の4人と1匹とは正反対に(かのじょ)はころころと笑う。

 

 こんなところで足止めをくらっている場合じゃないのに。一刻を争う事態なのに―――――しかしそうだ。ルーシィはハッとした。そうだ、自分たち以外は事情を知らないのだ。今何が起こっているのかなんて、これっぽっちも!

 

 あそこでマカロフと相対している彼が闇ギルドの一員であることも。その彼が手に持ち、すでに構えてしまっているあの笛が一体どれほどおぞましいものなのかも!

 

 ルーシィは背負われている体勢のままナツの肩を小さく叩いた。

 

 

「わたくしが……」

 

 

 ここでのんびり説明している暇はない。事はカゲがひと息吹くだけですべてが終わるところまで進んでしまっているというのに。むしろここまでくれば、彼がまだ笛を吹いていないことが奇跡だと思った。

 今になって笛の恐ろしさに尻込みをしているのだろうか。分からないが、この奇跡の猶予を1秒も無駄にできない。だから穏やかに微笑むボブの対応は一番足手まといになっている自分がし(そうすればナツも身軽になる)、三人と一匹にはカゲを止めてもらおうとルーシィは考えた。

 

 ナツはそれを察したのかすぐさま背から彼女を下ろし、ボブを振り切って走り出そうとした。その動きに気づいたグレイとエルザがナツに続こうとして―――――彼らの前にゆらりと影が。

 

 

「まあ待てって。面白れェトコなんだからよ」

 

 

 にやり、と笑う男のサングラスがきらりと光る。今度は四つ首の猟犬(クワトロケルベロス)のマスター、ゴールドマインだった。

 年相応にしわの刻まれた横顔をワイルドに歪ませ笑うその手がナツの肩をつかみ飛び出そうとするのを押し留めている。すぐにナツを盾にエルザとグレイが突破しようとしたが、ゴールドマインはそれを眼力ひとつで阻止してしまった。

 

 ―――――なんで。

 

 

「お願いです、どうかお止めにならないでっ。行かせてくださいまし……」

 

 

 ルーシィは叫んだ。痛む足を引きずって、ナツを止めるゴールドマインの腕にしがみつく。しかし老いて尚強者、腕はピクリともしない。

 どうして邪魔をなさるの。せっかく間に合ったのに、みんなが頑張って、あと一息で、いえ、ここで、ここで間に合わないと―――――!!

 

 もうだめだった。そんなこと耐えられなかった。痛む足や背だとか、残っている魔力だとか、そんなことは全部思考の外に追いやって、ルーシィは目と鼻の先へ我武者羅に走り出そうとした。

 止めたかった。止めてほしかった。止めないでほしくて、奪わないでほしかった。その人を、―――――あのギルドのぬくもりを。

 

 

「信じてあげなさいって、あなたたちのマスターを」

 

 

 けれども、それすらも大きな手が両肩を包み阻んでしまう。

 

 信じる? ……マスターを?

 

 いったい何を。呆然と見上げてきたルーシィに向かって、その肩を包んだボブは微笑みを崩さない。その顔はどこかギルドでのマカロフに似ていた。ああそうか、この人も、ひとつのギルドのマスターだから……

 

 ―――――そこまで考えて、ルーシィはふと疑問に思った。そういえば、そのマスターがふたり、どうしてこんなところでルーシィたちを止めているのだろう、と。

 

 離れた定例会の会場の窓からは、中で他のマスターたちが談笑している姿がわずかに見える。どこかの窓を開けているのか風に乗って笑い声も聞こえる。多分、定例会はまだ終わっていないはずだ。なのになぜ、たった3人だけ外に出てここにいるのだろう。

 

 

「おい邪魔すんなよッ!」

「―――――お待ちになって、」

 

 

 自分たちの親の危機。なのに重ね重ね邪魔をするふたり。いくらナツたちでも、名高いギルドマスターたちに邪魔をされれば簡単には突破できない。ならばこのままマカロフを見捨てるのか? ―――――冗談じゃない。

 

 とうとう我慢がならんとナツが、エルザが、グレイが、ふたりを魔法で薙ぎ払おうとした。

 ―――――けれど、ルーシィが止める。

 反射だった。パッと出た声だった。何を、と3人が驚愕した顔でルーシィを見る。

 ルーシィの視線はボブに注がれていた。

 

 

「ご存知、なのですか。お、気づきでいらっしゃるのですか。彼がなにをしようとしているのか、彼の持つあの笛が、……何なのか……」

 

 

 確証はない。けれど不安に憑りつかれた顔で見上げるルーシィに、ボブはその肩に置いていた手をポン、と弾ませた。

 

 

「だいじょーぶ♡」

「伊達に歳くっちゃねェさ。いいから、見てろ……」

 

 

 自然体のような落ち着いた姿勢。明確な肯定の言葉はないが、理解していると言うかのような物言い。―――――ああ。

 けれど、それで信じて待てと言うのは何事か。そんな、だってこんな状況で―――――

 

 

「わ、かり…ました……」

「おいルーシィ…!」

 

 

 ―――――分からない。正しいことって何だろう。この場での最善って何だろう。

 でも、ふたりものギルドマスターがそう言う理由が必ずあるはずで……そして、ふたりがかりで『(マカロフ)を信じろ』と言うのなら。

 これが、ここで踏みとどまることがマカロフを信じるということならば。

 

 真っ青な顔で頷いたルーシィにナツがギョッとした声をあげるが、ふたりのギルドマスターに視線で促され歯を食いしばる。

 危ないって言ってんのに。じいちゃんがやべぇのに。普段のナツなら問答無用で暴れて突撃していっただろう。

 

 ―――――けれど、ルーシィが。

 

 不安で仕方ないという顔で、本当にいいのだろうかという顔で、視線はカゲとマカロフに。そして、手が。

 

 手が、ナツに。

 

 救いを求めるように、縋る場所を望むように、助けを乞うように、―――――凍える寒さの中でぬくもりを求めるように、ルーシィの手がナツに伸ばされている。

 けれどその手は実際にナツの肌や服をつかんでいるわけではない。伸ばされているのに、最後は踏みとどまるように一歩手前で彷徨っている。行方の無いまま彷徨っている。

 

 だからナツが迎えに行った。優しく引っ張って、迷子にならないように指を絡めて手を繋ぐ。

 繋がった手の震えはどちらのものか。打ち消すようにちからを込めた。ここに繋ぎとめるように、ここに居ると伝えるように。けして、離れないように。

 ルーシィの視線はナツに向かない。けれどその手は爪が食い込むほど必死にナツの手を握り返した。今までのルーシィではあり得ない無配慮。それが彼女の苦しみを、葛藤を、ナツのこころに突き立てる。

 

 この手を振り払って走り出すことが正しいのか。―――――それはナツの迷いとなった。

 

 飛び出したい。今すぐカゲを止めて、大切な人を危機から遠ざけたい。でも、同じ思いを抱いているルーシィが見守ることを選んだ。苦しみながらその選択をした。なら、自分はどうするべきなのか。繋いだ手を離す理由に彷徨った。

 

 震えるルーシィと睨みつけるナツ。そのふたりの様子を見て、歯痒いという顔をしたエルザとグレイもからだを止める。

 ルーシィはこの一件の中で、何度も『正解』を見つけてきた。普段は真っ先に飛び出すはずのナツが耐えている。そして、ふたりのギルドマスターの言葉。

 

 ふたりもまた迷い、足を止めてしまった。歯を食いしばる。頭が痛い。せめていつでも駆け出せる態勢だけは整えて、耐え忍ぶ気持ちで自分たちの親を見た。

 ―――――どうか、どうかと。

 

 

「かみさま………」

 

 

 子供たちの願いの先で、カゲが俯いていた。

 

 

 

 

 

 

 ―――――正規ギルドはどこもくだらねェな!!

 ―――――ザコのくせにイキがるんじゃねえっての!!

 

 

 笑っていた。嘲笑っていた。

 きれいごとを言ってオツカイみてぇな仕事をして、法と評議会に尻尾を振っていかにも自分が正しい存在だと言うかのようなその姿が涙が出るほど滑稽で、吐き気がするほど嫌いだった。

 

 初めて殺しの仕事をしたのはいつだったか。

 悪いことなんていくらでもしてきた。自分より悪くて強い人に下って、自分より弱い相手を標的にして生きてきた。だから今更、これまでと大して変わらない。一線を越える、と怯える腰抜けもいたが……一線も何も。確かに自分も少し呼吸が浅くなったが、血の色がまた少し濃くなるだけだ。

 

 初めて人を殺したという恐怖は、自分は特別なことをしたという高揚感にかき消された。

 

 

( 正規ギルドの連中にはできないだろう。いや、できたとしてもアイツらはそれを正当化して誤魔化そうとする。それともおきれいな自責の念で自分から牢に入っていくか? 俺は違う。俺は悪として殺した。自分でこの道を選んだんだ。誰にでもできることじゃない。俺はできた。自分の持つ手札に当たり前のように『殺し』を入れられた。俺は今、特別な存在になったんだ――――― )

 

 

 どんどん暗殺の仕事をこなすようになって、悪名が売れるようになって、そうなれば興奮はますます高まっていった。ああ、標的の怯えきったその顔! 自分が圧倒的優位に立っているという優越感。特に、裕福で権力もあり、幸福な人間関係も円満な家庭も持っているような、恵まれた人間を手にかける時が一番気分がよかった。豊満な報酬が自分の価値の高さだと思えた。

 

 

 ――――― これは、俺たちを暗い闇へと閉じ込め生活を奪いやがった魔法界への復讐なのだ!!

 

 

 エリゴールはカゲにとって英雄だった。

 圧倒的な強さ。権力に屈しない悪辣さ。ありふれたチンピラとは違う、崇高な悪。

 

 

 ――――― 手始めにこの辺りのギルドマスターどもを皆殺しにする!!

 

 

 できると思った。他ならぬエリゴールなら。とうとう、化け物のようなギルドマスターたちすら下すことができるのだと。自分たちが、光の下でデカい面をしている馬鹿どもを踏みつけて、光の上に立つのだと!

 

 

 けれど―――――カゲたちの計画はたった4人の魔導士たちによって叩き潰された。

 

 

 笑っていた。嘲笑っていた。

 きれいごとを言ってオツカイみてぇな仕事をして、法と評議会に尻尾を振っていかにも自分が正しい存在だと言うかのようなやつらに、手も足も出ないまま下された。

 呆然とした。屈辱的で、腹立たしくって―――――

 

 

『 同じギルドのッ、仲間じゃねえのかよ!! 』

 

 

 闇ギルド相手にそんなお仲間感性が通じるわけねぇだろ。

 そう思っても笑えなかったのは、カラッカに刺された傷が痛かったからだ。

 

 

『 カゲ! お前のちからが必要なんだ…!! 』

 

 

 なんで当たり前のように俺が手を貸すと思ってんだ。

 そう思っても手を振り払えなかったのは、血が足りなくてちからが入らなかったからだ。

 

 

『 ぶつぶつ下向いてねえで、もう少し面上げて前向いて生きろよ 』

 

 

 ずいぶんと能天気に生きてきたようで。

 ばかばかしく思っても黙っていたのは、少し開いた傷に響いてしまうからだ。

 

 

『 そんな当たり前の奇跡が、存外世界には溢れているものなのです 』

 

 

( じゃあなんで、 )

 

 

 そんなことは、別に、思ってない。

 

 

 

 

 

 

 影が差す。光が強ければ強いほど、影はその濃さを増す。

 

 

 

 

 

 

 あの腹立つ火の玉小僧がエリゴールと戦っていると聞いたとき、カゲは当然のようにエリゴールが勝つと確信していた。

 だってエリゴールはカゲにとって英雄だった。圧倒的な強さ。権力に屈しない悪辣さ。ありふれたチンピラとは違う、崇高な悪。あのナツと呼ばれたガキにカゲは敵わなかったが、エリゴールには到底勝てないと思っていた。

 エリゴールは闇ギルドのエースだ。正規ギルドの、それも妖精の尻尾(フェアリーテイル)なんてお騒がせ色物ギルドのガキどもとは違い、命がけの恐ろしい仕事をいつもこなし屍の上で嗤う死神だ。

 確信していた。信じてた。信頼ではなく現実だった。

 

 ―――――なのに、エリゴールは負けた。

 

 倒れ伏すエリゴール。負けたエリゴール。その姿が、まるで膜一枚隔てた先の事のように現実味がなく思えた。

 あり得ないことが起きたのだ。不可能のはずの願望を、現実にしたやつがいる。カゲの中のものをめちゃくちゃにひっくり返す現実が、目の前に。

 

 

 ―――――なんで、と、思った。

 

 

 なんで、そんなことができる?

 なんで、そんなふうになれる?

 なんで、お前は、お前たちは―――――お前たち、ばっかり?

 

 

 嫉妬というより、疑問であった。失望というより、呆然だった。

 ただ、なんでと。

 ふつふつと遠い昔に割り切った何かがぽつりと問う。

 カゲの中の、小さな何かが、なんで、と。

 

 言葉にできない感情と、それ以上の虚脱感に襲われていたカゲの視界にそれ(・・)が入ったのは偶然だった。

 

 ―――――呪歌(ララバイ)

 

 意識を失っているエリゴールのそばにころりと転がっている三つ目のドクロ。枯れ木のようなそれは、その禍々しさから厳重な封印を施されていた(いにしえ)の呪い。カゲが仲間たちと共に強奪し解放したいのちへの暴虐。不祥の魔笛。

 それを見てふと思ったのだ。そうだあの封印は、―――――自分が解いたのだ、と。

 

 呪いだ。おぞましい死の象徴だ。もちろん、かけられていた封印も厳重なものだった。経年劣化と言うべきか、かけられた当初に比べれば封印の強度は多少落ちていただろうが、それでも強固なものであったのは確か。

 けして解かれぬように、二度とこの悪夢が世に解き放たれぬようにと願われた戒めだった。

 それを、自分はひとりで解いた。

 

 スーッと何かが降りてきた気分だった。あるいはパッと視界が開けた衝撃だった。それはカゲの中に生まれた―――――『勇気』だった。

 

 カゲは自分が頂点の存在ではないということを知っている。身の程と言うものを理解している。腹立たしくは思っても妖精の尻尾(フェアリーテイル)の魔導士たちが自分より格上である、と言う現実は理解して飲み込める程度の、慣れたものだった。

 それはカゲのような人間が生き残るために必要な感性だ。だからこそ自分より悪く強いものには下り、できるだけ自分より弱いものを標的としていたのだから。

 

 そんな考えで生きていたからこそこの発想は、生まれた『勇気』は、カゲにとって青天の霹靂だった。

 

 

 できるのではないだろうか(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 だって笛は、吹くだけだ。それだけで、老練のギルドマスターたちですら屈服させることができる。―――――俺が吹くだけでも。

 

 カゲは自分がぬるま湯で生きてきた連中よりよっぽどできる(・・・)やつだという自負がある。ナツにコテンパンにされてもそれは揺るぎない。それは生きるために喰らいつき続けた今までへのプライドだった。

 けれどそれを越えて今、カゲはあふれ出るほどの何かに呑まれていた。

 

 今なら(・・・)、……自分なら(・・・・)

 自分より強者であったものが成し遂げられなかったことを、自分でも―――――あるいは、自分なら(・・・・)

 

 それは傲慢、自意識過剰となじられるような『勇気(ばんゆう)』だったかもしれない。けれどカゲは今まで感じたことのないほどの『自信』に呑まれていた。

 だって、目の前にいたのだ。絶対にありえないと思ったことを成し遂げた存在が。カゲが不可能だと信じたそれをひっくり返した存在が!

 ―――――それは大きな暗闇の陰に隠れていた子供が、初めて一歩を踏み出すように。

 

 なら(・・)俺だって(・・・・)―――――

 

 

「ほれ、どうした。さっさと吹かんか」

 

 

 俺だって(・・・・)やればできるはずだ(・・・・・・・・・)

 

 

「―――――早く」

 

 

 目の前でジジイが急かす。たしかこいつは妖精の尻尾(フェアリーテイル)のギルドマスターだったはずだ。

 どんな運命の悪戯だろうか。昂った神経で指先が震える。

 ひと吹きで殺せる。俺が殺す。エリゴールさんでもできなかったこと。それを、俺が―――――

 

 

『 権利とは義務ありき 』

『 ひとのいのちの尊厳を守らぬ者に、なぜその存在を尊ばれる権利が与えられるのです 』

 

 

 光の上に立つ。俺が、すべてを踏みにじって、強者になるんだ。

 強ければ、勝者であれば、どんな理にも阻まれることはない。

 何にも阻まれない。何にも侵されない。誰にも嗤われない。

 

 変わるんだ―――――生まれ変わるんだ、この瞬間!!

 この瞬間に!!

 この時、このひと吹きで!!

 

 

 (すべて)光に勝る(かわる)!!!

 

 

 

 

 

「何も変わらんよ」

 

 

 

 

 

 ―――――息が、止まった。

 

 

「強大なちからを得ようと、莫大な富を手にしようと、揺るがぬ名声や権力を収めようと、弱い人間はいつまでたっても弱いまま」

 

 

 マカロフとカゲの目がかちりと合う。その瞳の鋭さに、カゲは吐き出そうとしていた息を引きつって飲み込んだ。

 なんでそんなことを言う。―――――見透かされていると言うのか? この笛のことを。俺の目論見を。俺の、こころを?

 

 グググ、と喉が鳴る。回りすぎた酸素に眩暈がする。

 

 吹け、吹け、笛を吹け。たったひと吹きですべてが変わるんだ。

 このジジイが気づいていようと最早止められない。

 死にぞこないの老いぼれの、今際(いまわ)(きわ)の戯言に耳を傾ける意味などない。どうせいのちが惜しくて時間稼ぎをしているだけに過ぎない。だから、

 

 だから早く、笛を、

 

 

 笛を、

 

 

 

 

 笛を―――――

 

 

 

 

「グッ、ゥウウウウ……ッ」

 

 

 

 ―――――なんで、吹けない。

 

 

 ガチガチと歯が鳴る。耳の奥で心臓が鳴ってる。目が合っただけ。それだけで、あと一歩が踏み出せなくなった。

 なんで、なんで、なんで、できないんだ。俺だって、俺だって、できるはずだ。不可能なはずの事でも、だって、俺も、俺だって―――――なのに、

 

 ―――――なんで、俺は、できない?

 

 

「ウゥウウウ……」

 

 

 なんで俺は―――――

 

 

「こころに巣食う『弱さ』は強い…何かを成そうと何かを得ようと、いつまで経っても染みついて付き纏う。しかしなァに……弱さのすべてが悪ではない。人間なんざァ、もともと弱い生き物じゃ」

 

 

 俺は―――――

 

 

「ひとりじゃ不安だからギルドがある―――――仲間が居る」

 

 

 呆然とマカロフを見るカゲの瞳は、まるで行き場を失った迷子のようで。

 けれど相対するマカロフの瞳は鋭く、強く、―――――広く、凪いでいて、温かかった。

 

 

「弱いままでも強く生きるために、仲間と寄り添い合って歩いてゆく。弱い者でも強くなるために、その一歩を踏み出す勇気を、仲間がくれる」

 

 

 そのぬくもりをカゲは知っていた。

 握りしめた手を解く、小さく柔く残酷なぬくもりを。

 

 

「不器用な者は人より多くの壁にぶつかるし、遠回りをするかもしれん」

 

『 理由なんてなくても、 』

 

 

 この場に来るためにカゲはあの柔い身体を突き飛ばした。その時は興奮で気にも留めていなかった、谷底に傾いていくからだを思い出す。すれ違いざまに視界の端をかすめた|金髪≪ブロンド≫が、チカチカと脳内で繰り返す。

 

 

「しかし明日を信じて踏み出せば、おのずとちからは沸いてくる」

 

 

 ―――――言葉が、カゲを呑み込もうとしている。

 

 

「強く生きようと笑っていける」

 

 

 魔力なんてかけらも込められていない。そこに暴力はない。ちからを示す何かもない。なのに、しわの刻まれた目じりが―――――小さいからだから感じる大きな『圧』が、カゲのこころの奥に、深くに、得体の知れないものを穿つ。

 だってそこには、何もなかった。カゲを嗤う言葉は何もなかった。憎ったらしいはずのきれいごとなのに、痛くて、苦しいのに、残酷であたたかかった。

 

 

 ―――――今まで、数多の命乞いを聞いてきた。嘲笑を、嘲りを、罵倒を、撫で声を。

 

 

「そんな笛に頼らずとも、な」

 

 

 そのどれもと違う、不可解な熱を持った言葉が、……凍り付いたように笛を握りしめていた指先を解いていく。

 見守るようにその瞳の温かさをカゲは知らなかった。

 それでも、

 

 ―――――カラン、

 

 

 

 

「―――――………参りました」

 

 

 

 

 呪歌(ララバイ)はガラクタのように地に落ちる。それを拾い上げるためのちからが欠片も湧かず、カゲは追うように膝をついて(こうべ)を垂れた。

 敵わないと思った。叶わないとも思った。自分は目の前の人間を殺せないと思ってしまった。

 致命的なまでに殺意を失った。自分ではエリゴールの唱えた野望を現実にすることはできなかった。何かを変えることなんてできなかった。

 

 胸にぽっかりと穴が開いたような気がする。圧倒的なものを失った気がするのに、それを惜しいとも不快とも思えなかったことが悔しくて悲しかった。

 

 

 

 

 

 

「マスター!!」

「じっちゃぁアん!!」

 

 

 悠然と立つマカロフと膝をついたカゲのもとへ、ようやくナツたちが駆け寄っていく。こころからの笑顔で愛する人の無事を喜ぶ。

 

 ―――――歓声が聞こえる。喜びの声が溢れている。僕たちの望みが潰えたことが歓迎されている。

 

 特にこれといった感情も湧かなかった。無気力。指ひとつ動かないような虚脱感は一周回ってどこか心地よさを感じさせた。世界が膜一枚隔たれた先にある感覚。ぼやけた視界で頭が痛む。

 

 それでも、目の前に膝をついた誰かの足ははっきりと鮮やかに見えた。

 

 

「―――――」

 

 

 破れたスカートから覗く真白の足。ところどころに汚れや傷のあるその足が地べたに両膝をついてカゲに向かい合っている。

 のろのろと、何かに惹かれるように頭を上げる。―――――そこに居たのは、あの時突き飛ばした柔いぬくもりだった。

 

 

「―――――カゲさん」

 

 

 ここに居るということは、あの冷たい谷底に落ちることはなかったのだろう。そうでなければこの声がこのようにあたたかいままのはずがない。いや、そうでもおかしな話だ。あんなことをした相手に、どうしてそんな声で話しかけられるんだ。

 理解できない。気味が悪い。こいつらはずっとそうだった。訳が分からないし気色悪い。

 

 

「包帯に血が滲んでいらっしゃるわ。傷が開いてしまわれましたのね。やっぱり、はやくお医者さまに診ていただかなくては……痛むでしょう」

 

 

 ゆっくりと紡がれる言葉。気遣う視線。促すように差し伸べられた手のひら。海底に沈む太陽の光を受けて金髪(ブロンド)がきらきらと光っている。

 

 

「―――――なんで」

 

 

 なんで、助けようとする。なんで、救おうとする。俺はお前らの敵だったのに。お前も、お前たちのギルドマスターも殺そうとしたのに。なのになんで、そうやって俺に手を伸ばす。

 

 それは道中、あの魔導四輪車の中でこぼした言葉によく似ていたが、今の声はより小さくたどたどしいものだった。

 理由がなかった。メリットがなかった。それなら、そんなことはあり得ない、はずだった。そう思って生きてきたし、そうでないものは信用ならないものだった。

 

 

「……あなたは罪を犯しました。あなたが今まで貪ったいのちは、拭われぬ罪として永遠にあなたのそばにあります。……けれど、たった今、あなたが呪歌(ララバイ)を手放し誰かを害することを思いとどまったことも、すべて本当のことですわ」

 

『 理由なんでなくても 』

 

 

 足と同じように擦り傷と汚れのある手のひら。自分に差し出されたぬくもり。その爪も見えない柔い面を見てカゲの目尻が小さく痙攣する。

 なんてことの無い、女の手だ。けれどそれはカゲにとって、あんまりにも恐ろしいものだった。

 

 

「犯した罪は消えません。けれど、思いとどまったあなたのこころに、……今のあなたに、償いの意志があるのなら。

わたくしが、ほんのささやかでもその一歩を踏み出すあなたの勇気になれればと思うのです」

 

『 誰かを助けて、誰かに助けられる。 』

 

 

 ゆったりと揺れた手のひらが、地べたを握りしめていたカゲの手に添えられる。

 

 

「……傷を負えば、誰でも痛みます。それは、からだも、こころも……」

 

『 そんな――――― 』

 

 

 柔らかく引かれ、カゲの手はルーシィの手に包まれた。そのひとかけらもがカゲを傷つけることはなかった。

 

 

「たくさん、たくさん、傷ついたでしょう。…もう、これ以上ご自分を傷つけられるのはおよしになって」

 

 

 それはきっと覚えている限り初めて、なんの打算も無くカゲのために差し出された手のひらだった。

 

 

『 ―――――そんな当たり前の奇跡が、存外世界には溢れているものなのです』

 

 

 そんなもの、僕の世界にはなかった。なんで今更。なんで。

 自分が不幸と思ったことは無い。『まっとう』な暮らしとやらをしている連中を見ても、甘ったれの坊ちゃん嬢ちゃんだと嗤える程度の人間性。普通の組織は気持ち悪くて縛りが多くて面倒で、だから鉄の森(アイゼンヴァルト)は愉しくて居心地がよかった。

 身の程を弁えて、俺は上手に(・・・)生きてきた。不満なんてない。気に入らない奴は好きなだけグチャグチャにして、無様なさまを肴に酒を飲む。愉快だった。

 

 なのに、なんで。なんで今更、僕を書き換えようとするんだ。

 

 

「さ、……お医者さまのもとに参りましょう。あなたの身柄は評議員に引き渡されることとなりますが、その前に治療をうけても咎められることはありませんもの」

「あらぁ。んふ、しょんぼりしててアンタもかわいいわね~♡」

 

 

 柔らかく微笑むルーシィと、その隣でくすくすと笑うボブ。何も言えず、カゲはもう一度うつむいた。

 ぬるくって、なよなよしくって、気持ち悪い空気だった。少し前のカゲならばうんざりと舌を出して嗤ってやれたのに。

 ああ、きっと怪我のせいで精神が少し弱っているんだ。これは一時の気の迷いだ。

 今のカゲは気持ちが悪いと言いながら、どんな顔をすればいいのか分からなくなっている。嬉しくなんかない。はっきりとしない。それが気持ち悪かった。―――――つまり、この空気自体を気持ち悪いと思えなかった。

 

 ああ、ああ、気持ち悪い。自分が書き換わっていく。そしてそれを、僕は―――――

 

 

 

 

 

 

「 カカカ 」

 

 

 

 

 

 

 ぞろりと背筋を撫でられたような心地だった。息がつまって顎がわななく。―――――なんだ、今のは。

 パッとその場にいた全員が周囲を見回した。

 笑い声だ。地の底の底から響くような、おぞましい吐息の音だ。

 

 

「どいつもこいつも……根性のねェ魔導士どもだァ……」

 

 

 ぐるり、と魔力が渦巻く。それはあまりにも重く昏い、気味の悪い恐ろしさ。

 

 

「久方ぶりに食事ができると思って待っておれば―――――もう我慢できん。ワシが自ら喰ろうてやろう」

 

 

 笛が、とルーシィが言った。震える声、信じられないと地べたを見つめる目。全員が視線をたどればそこにあるのは、カゲが手放した三つ目のドクロ。

 ―――――そのくち元から禍々しい煙が立ち込めている。

 

 

「笛です、呪歌(ララバイ)から声が……っ」

「な、なに、なにぃあの煙っ、もくもくが形になってくよ!!」

 

 

 信じられない現実を確認するように声が、と震えたルーシィ。そして、立ち込める煙が意思を持つかのように『何か』に成ろうとしていることに気が付いたハッピーが叫ぶ。場数の違いか、呆然としたルーシィに対してハッピーはまだ冷静に状況を判断しているようであった。

 

 煙は上空で渦を巻き、次第に『体』を(かたど)っていく。枯れ木のような肌―――腹には大きな空洞が―――がばりと大きなくち―――吊り上がった空洞が目となり―――――

 

 

 ―――――それは、『成る』。

 

 

「なんだ……何なんだ! あんなのは、知らない……!!」

 

 

 カゲが震える。なんだあれは。呪歌(ララバイ)から生まれた『それ』をカゲは知らない。ただ感じる恐ろしさに喚くことしかできない。エリゴールとは比べ物にならない『おぞましさ』!

 

 先ほどまでは穏やかに笑っていたボブも流石の展開にたらりと冷や汗を流す。あら大変、と小さく零してみたが、もちろんそんな言葉で済む話ではないと知っている。(かのじょ)の知識が、本能が、経験が、あの『恐ろしさ』を理解してしまった。

 

 そしてボブと同じことを理解したゴールドマインも「なんてことだ」と冷えた息を吐いて唸った。

 ボブとゴールドマインが会場の外に居たのは、何かしらの『邪悪な魔力』が近づいてくることに気がついたからだ。他のギルドマスターたちも気がついていたが、全員がマカロフが居れば事足りると判断した。事実、きちんと丸く収まった。―――――青年の方は。

 こんなの想定外だ。この禍々しさ、悪辣さ。肌を舐める邪悪な魔力。笛のままの時とは比べ物にならない『恐怖』。

 こんなおぞましいもの、それ以外にあり得てたまるかと奥歯を鳴らす。

 

 

「こいつァ―――――『ゼレフ書の悪魔』だ……!!」

 

 

 

 

 

 

「―――――さあ、差し出せ」

 

 

 見上げるだけではるか遠く、声ひとつで芯が凍える。悪夢のようなその姿―――――

 

 

「貴様らの―――――魂を」

 

 

 これこそが呪歌(ララバイ)の真の姿。悪夢の現実。最も恐ろしき魔導士が生み出した、覚めぬ眠りを与える悪魔。

 

 ―――――ああ、子守唄が聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 ―――――歌だ。

 ルーシィは本能で理解した。おぞましい声……身震いするそれが、眠りを誘う歌なのだと。

 そして目の前の脅威に、理解した事実にゾッと血の気が失せてしまう。―――――(いのち)を差し出せと歌ったそれを、かつての母の子守唄と並べたことに。

 

 

「はあ!? 魂って食えんのかァ!?」

「ンなこと知るかボケェ!!」

 

 

 こんな状況でもナツとグレイが気の抜けるような言い合いをする。けれどさすがの事態にふたりも顔を険しくさせていた。

 ―――――鍵を握りしめる。

 背筋を絶え間なく走る怖気。とっさに取り出した鍵を取りとしてしまいそうなほど震える手を、ルーシィは白くなるほどちからを込めた指先で堪えた。

 

 

「まさか……ま、魔法そのものが生きているというのですか……」

「そう。あの笛、呪歌(ララバイ)って言ったか…あのバケモノが呪歌(ララバイ)の真の姿ってわけだ。……ゼレフの魔法は生きた魔法なんだよ」

「ゼレフって、まさか―――――!!」

 

 

 端的に応えたゴールドマイン。そして改めてもう一度くちにしたその名前に、グレイが目を見開いて反応した。

 

 ゼレフ―――――黒魔導士ゼレフ。それは遡れば数百年前に生まれ落ちた原初の悪夢。魔法界で歴史上最も凶悪な魔導士と言い伝えられる呪歌(ララバイ)の生みの親。

 いや、呪歌(ララバイ)だけではない。彼は数多の生きた悪魔、息づく悪夢を生み出した、最悪そのものである。

 

 

「何百年も前の負の遺産が、今になって姿を現すなんてね……」

「クッソお前らマジで厄介なことしてくれたな!」

「うっ、うるさいうるさい! 僕たちだってまさかあんなバケモノが出てくるなんて知らなかったんだよ!! 分かるわけないだろ、こんなの!!」

 

 

 最低だわ、と息を吐くボブ。堪ったもんじゃねえとグレイがカゲに怒鳴れば、カゲも知ったことかと怒鳴り返した。だって掘り起こした呪具がバケモノになるなんて普通思わないだろうと。

 

 そんな人間側の混乱を歯牙にもかけず、呪歌(ララバイ)はじろりと揃った魔導士たちを見回す。―――――久方ぶりの食事。幸運にも上質な魔力を持つ魔導士が揃っていた。栄養価の高い魂がより取り見取りだ。

 香ばしい芳香にクルリと喉が鳴る。寝起きにはちと胃もたれをするだろうか。いやいやしかし、封印明けとなればエネルギーはたくさん摂取できた方がよい。どうやらここには他にも上質な魔力を持つ人間がいるらしい。嗚呼幸運かな。

 どいつの魂からいただこうかと呪歌(ララバイ)は笑った。笑ってくちを大きく開く。

 

 

「決めたぞ」

 

 

 吸い込まれていく空気。練り上げられていく魔力。

 

 

「―――――全員まとめてだ」

 

 

 ルーシィはとっさに耳をふさいだ。思考は無く、反射的な防御態勢だった。

 その瞬間、ルーシィの両隣から三つの影が飛び出す。

 

 

「 あ、」

 

 

 ―――――ナツだった。グレイだった。エルザだった。

 その三人が、呪歌(ララバイ)に向かって走り出していた。

 

 

「―――――ああ、」

 

 

 エルザは瞬時に鎧を換装しその巨大な足を切りつける。

 呪歌(ララバイ)がそちらへ意識を向ければ、その隙に体をよじ登ったナツが炎を纏った足でド頭を蹴り飛ばした。

 ダメージを受けたことに怒り呪歌(ララバイ)が反撃に移れば、瞬時にグレイが生み出した氷の盾ですべてを防ぐ。

 

 定例会場から駆けつけてきたギルドマスターたちが騒然とする。流れるようなチームワーク。確固たる実力。おぞましきバケモノを相手に一歩も引かぬその雄姿よ―――――妖精の尻尾(フェアリーテイル)が誇る魔導士たちの活劇ぶりは目を張るものだった。

 

 

「ああ………」

 

 

 ルーシィはその姿を仰ぎ見る。―――――彼らは呪歌(ララバイ)がゼレフ書の悪魔だということを知らなかった。だってララバイが呪歌(ララバイ)だと気づいたのはルーシィで、そのルーシィもまさか呪歌(ララバイ)の正体がこんなとんでもないものだなんて知らなかったのだから。

 だからこんなバケモノの登場なんて想定してなかった。だからみんな慌てていた。

 

 なのに、今彼らは立ち向かっている。

 

 呆然としてしていたルーシィとは違い、現状をしっかりと見極めていた。呪歌(ララバイ)が攻撃をしようとしたときにとっさに耳をふさいだルーシィとは違い、すぐさま攻撃に移り呪歌(ララバイ)を止めようとした。

 

 ここに居るギルドマスターたちは呪歌(ララバイ)がゼレフ書の悪魔ということしか知らない。あれがどういった魔法を使うのかも分からない。

 ルーシィだって確かな情報を持っているわけではないが、呪歌(ララバイ)が音で殺す集団呪殺魔法だということを知っていたからとっさに耳をふさいだのだ。―――――自分だけで。

 

 そう、自分だけだった。

 

 ルーシィはとっさに自分の耳だけをふさいだのだ。そばに居るカゲやボブ、ゴールドマインやマカロフに情報を伝えたりすることも無く、ただ自分だけを。

 もちろん、ルーシィは他のみんながどうなってもいいなんて思っちゃいない。そんなことはあり得ない。ならばなぜか? ―――――ルーシィにできることがそれだけだったからだ。

 

 ちからが無い。経験がない。とっさに呪歌(ララバイ)を攻撃しようという思考にならない。かといって周囲を守れる術もなく、弱者よろしく自分の身を守ろうとするだけで精一杯だったのだ。

 

 それは他の三人とルーシィとも明確な差だった。

 

 ルーシィは戦う彼らの背を仰ぐ。―――――遠い。

 憧れた人たち(フェアリーテイル)が、こんなにも遠い。

 

 かつてそこに尊敬を抱いたはずのルーシィは、今はただ、ただ、悔しかった。すごいと思う。尊敬はある。そして、そこに並べない自分があんまりにも悔しかった。

 それが成長であるのか愚かさであるのかはルーシィには分からない。

 分からないけれど、―――――ルーシィはぎゅう、と歯を噛みしめた。

 それでもルーシィにも秩序がある。悔しいわ悲しいわ寂しいわ、とぐずっているだけで終わるほど、可愛らしい子ではいられなかった。

 

 鍵を握りしめる。―――――私を愛してくれた、大切なお友達。

 

 初動が遅れた。でももう一度があってくれた(・・・・・・・・・・・)。ならそれを無駄にはしない。

 できることが少ないのなら少ないなりに、できる最大限をしなくては。

 

 

「おいデカブツ! 寝起きで腹が減ったって? ならたんと食らいな―――――アイスメイク、槍騎兵(ランス)!!」

 

 

 グレイが煽って意識を自分に向けさせながら氷で創り出した槍の雨を降らせる。その威力と質量に呪歌(ララバイ)が大きな痛手を受け呻き―――――ここだ、とルーシィは叫んだ。

 

 

「開け、処女宮の扉、ッ バルゴ !!」

 

 

 魔導四輪車の運転で空っぽになった魔力。ようやく少し回復したというところで駅から脱出するために契約していない星霊を使役し、より負担をかけてまた空っぽに。

 おかげさまで回復スピードはすっかり落ち込み、未だに3分の1も戻っていない。

 

 

( ええ、けれど、3分の1もあれば十分ですわ )

 

 

 足りなくても絞り出してみせよう。ここで動けるのなら、倒れたってかまわない。

 だっていつだって間に合わなかった。

 例えば船で、あの船長室で、ナツがボラたちと戦った時。ルーシィは愚かにも二度、動けずにナツのピンチを見ているだけだった。

 例えば雪山で、奥深い洞窟の中で、ナツがバルカンと戦った時。ルーシィは谷底に突き落とされたナツを救うことができなかった。

 結果としてナツは難なく反撃してみせたがそれでも。

 あんなのは二度とごめんなんだ!

 

 

「バルゴ、呪歌(ララバイ)の足元に大穴を空けて差し上げて!」

「―――――承知いたしました、お嬢さま」

 

 

 呼び出されたバルゴはゆるりと首を垂れ、一瞬にしてその姿を消す。よかった、来てくれた、とルーシィは小さく安堵した。

 契約していない星霊の使役は消費魔力量と負担が大きいほかに、何より星霊の信用を損なう行為だ。

 星霊魔導士と星霊の関係で大切なのは信頼と絆。なのに契約もせず無理やり利用しようとすれば『相応しくない』と思われて仕方がない。故に、横暴すぎる無契約使役は星霊から拒絶される可能性が極めて高い。

 けれどバルゴは来てくれた。ルーシィの願いを聞いてくれた。ああ、こんなに甘えてしまって本当に申し訳ない。―――――来てくれて、嬉しい。

 

 

「グ、オオオオオオオオッ!!」

 

 ズウウウウウゥンッ!!

 

 

 バルゴが空けた大穴は呪歌(ララバイ)を飲み込んだ。大きな怪物にがぶりと喰いつかれたように下半身が埋まり、呪歌(ララバイ)は身動きが取れなくなってしまう。こうなれば威圧的だった巨体も大きな的でしかない!

 

 

「今だ!!」

 

 

 唐突な落とし穴に思わず目を見開いたグレイはしかし瞬時に状況を判断し声を張る。そうすればけして機を逃さない仲間がいると知っていたから。

 

 ―――――魔力が渦巻く。

 

 ルーシィは魔力が枯渇しぼやける視界でそれを見た。黒き鎧を身に纏ったエルザと、両手に炎を滾らせるナツ。

 

 とっくに日の沈んだ暗い夜空を一閃し、燃える太陽が顕現する。

 

 

( ああ、 )

 

 

 世界が眩く目を覚ます―――――もう、大丈夫だ。夜を切り伏せ朝が来たから。

 最も美しい朝焼けが、明日を照らしてくれたから。

 

 

 「バ、―――――バカ、な、  ……」

 

 

 爆発音。耳が馬鹿になりそうな爆音に包まれながら、ルーシィはただその光景に魅入った。

 呪歌(ララバイ)の体が穴の中に沈んでいく。どうやらバルゴはいつの間にか穴を更に深く更新したようで、穴は更にあの巨体を引きずり込む。

 

 

 ―――――打ちのめされた呪歌(ララバイ)は、底の見えないそのくちの中へ飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

「は、はは……」

 

 

 カゲは乾いた笑いを零す。泣きたいのか笑いたいのか分からなかった。感情に理解が追い付かないまま目頭がぐっと熱くなり、滲んだ涙で視界がぼやける。

 

 

「すげぇ、」

 

 

 すごいと思った。思ってしまった。すごいと思えた。思えてしまった。

 くちの端が痙攣する。勝手に口角が上がっていく。

 

 

「………すごいなぁ」

 

 

 目の奥がチカチカする。そこに居るのは気に食わない正規ギルドの、気持ち悪いことばっかり言ってる連中のはずなのに。

 

 

 眩しかった。―――――かっこよかった。

 

 

 

 

 

 

 ひときわ大きな音を立てて呪歌(ララバイ)は穴の底に崩れた。立ち込める土煙と、訪れる静寂。

 

 

「なん、という……」

「ゼレフ書の悪魔が、こうも、あっさり……」

 

 

 そしてその場に堂々と立つ、三人の若き魔導士たち。呆然としたギルドマスターたちの声を聞いてマカロフが呵々と笑った。どうだどうだ、と我が子を見せびらかすように胸を張る。

 三人はその喧騒に笑った。無事を願った(マスター)の元気な姿が見れたんだ、嬉しくないはずがない。

 

 

「わっはははー!!」

 

 

 笑う子供たちが親に駆け寄れば、他のギルドマスターたちも思わず笑う。彼らからすれば、いきさつは分からないが妖精の尻尾(フェアリーテイル)に借りができた現状だ。それもゼレフ書の悪魔関連なんてそうそう無い話。

 ひとりが評議員に連絡を始めたため、数人が戦った三人の、特にナツの手当てに動く。残りのほとんどのギルドマスターは、総出で起動停止し形を失って笛の姿に戻った呪歌(ララバイ)の再封印にかかった。

 

 

「おぅおぅ、こりゃ深い穴じゃわ……あいたた、覗き込むだけで腰が痛い!」

「まさかこの歳になってゼレフ書の悪魔封印に携わるとはの…」

「わしゃ一生縁が無いと思っとたわい」

「それは呑気が過ぎるわよぅ。でもどーせなら現役時代のピンッピンしてる時にしてほしかったわねぇ」

「くっちゃべってねぇで手を動かさねぇか。オラ、二度と目覚めねぇようにガッチリ閉じ込めるぞ」

 

 

 ―――――その様子を見ながらルーシィはゆっくりと地面に膝をつく。バルゴはルーシィの魔力消費を(おもんばか)ってすでに星霊界に帰ったため、これ以上魔力消費の負担がかかることはない分余裕があるが、そもそももう魔力がこれっぽっちも残っちゃいないために立ってもいられなかったのだ。

 それから、安堵と。

 

 やっと終わった。間に合った。誰も失うことなく、きちんと丸く収まった。

 

 

「………駅の、」

 

 

 駅の軍人たちはどうなっただろうか。きっともうエリゴールが施した術式は魔力を消費し終わって消えただろう。駅員に通報を頼んだから救援は駆けつけてくれたはず。後遺症も無く助かってくれればいいけれど。ああ、鉄の森(アイゼンヴァルト)の魔導士たちも。

 それから、魔導四輪車の件。最初に借りたお店に謝って、賠償して、それからエルザが勝手に借りてきた分も謝りに行かなくちゃあいけない。

 あと、それから、それから………

 

 ぼう、と魂が抜けたように座り込むルーシィ。その姿にふと、影が差す。それに誘われるようにのろのろと顔を上げれば、

 

 

「―――――おい」

 

 

 ―――――カゲだった。包帯だらけのその体で、カゲがルーシィのそばに立っていた。

 カゲは何かを探すように視線を彷徨わせ、それからルーシィに向かって手を伸ばす。

 しかしすぐにハッとして手のひらを自分のズボンにこすりつけた。そうすればそこに泥がついて。

 

 そして、泥の拭った手を、今度こそ真っ直ぐに、ルーシィへ伸ばした。

 

 

「―――――」

 

 

 手のひらを上に、誘うように。それは誰から見てもルーシィを立たせるための手で。―――――カゲがルーシィのために差し出した手で。

 

 

 

 

 

 

 怖かった。どうしたらいいんだろうと。

 間違っていたのかと絶望し、けれど、それでいいのだと許された。

 そして向かったその先で、―――――手を、差し出してよいのかと。

 

 座り込むその人に、もう一度手を差し出していいのかと。

 

 指先が震える。握った拳で、手のひらに爪が食い込んで痛む。

 また、この伸ばした手が悪い方向へ転がってしまうかもしれない。こんな無責任なことを、本当にもう一度してもいいのだろうか。

 この意志は許された。けれど―――――

 

 

 

『 そん時は妖精の尻尾(おれら)も一緒に行ってやる 』

 

 

 

 ―――――だから、それを勇気に。

 

 

 

 

 

 

 そっと手を伸ばす。差し出された手のひらに乗せればそれはビクリと小さく揺れた。けれどすぐに手は包まれ、力強く腕を引かれる。

 そうすれば自然と立つことができた。まだちっとも回復していないのに、先ほどまで力が抜けきっていたのが嘘のように。

 腕を引いたちからは配慮なんて感じないくらい強かったのに、痛みよりも安定感を感じる。

 

 立ち上がる。繋がれた手。じっと見つめ合う。―――――真っ直ぐ、ちゃんと目が合った。

 

 

 

 

 

 

「ルーシィ!」

 

 

 マカロフのもとから、ナツが笑顔でルーシィに走り寄る。その視線が彼女の隣に移る前に手は離れ―――――カゲはルーシィに背を向けた。

 

 

「ルーシィ、すげぇなあの穴! あれあのメイドが掘ったやつなんだろ?」

「―――――ええ、バルゴが頑張ってくださいましたの」

 

 

 ナツが大穴を指さしてはしゃぐ。ルーシィはそれに応えながら視線をカゲの方に移す。彼はぬるりと近づいてきたボブに肩を組まれ話をしていた。話の中身は医者に診てもらいなさい、という気づかいだが、あの肩組みは拘束の意味もあるのだろう。

 

 

「にしてもエリゴールに呪歌(ララバイ)でハデに暴れたぜ。じいちゃんたち無事でよかったよなぁ」

「ええ、本当に。……ナツくんには、助けていただいてばかりですね」

「あン?」

 

 

 片眉をひょんと上げてナツが首を傾げる。ルーシィはそれに微笑んで返した。

 ずっとそうだった。ナツはいつもルーシィを助けてくれた。初めて会った時から今まで、ルーシィの体を―――――何より、こころを。

 

 

「ナツくん」

「おう」

「ほんの少しだけ、わたくしのお話を聞いてくださいませんか」

 

 

 ルーシィは再封印される呪歌(ララバイ)の様子をじっと見つめながらそう言った。ナツはその声にまっすぐ彼女の横顔を覗いてから、同じように呪歌(ララバイ)の方を見る。

 

 

「―――――……強い人に、なりたいのです」

「強い人ぉ? エルザみてぇな感じか?」

「ふふ、……そうですわね、エルザちゃんみたいに強くって、………優しい人に、なりたいのです」

 

 

 優しい人であるには強くなければいけないのだと、ルーシィは悲しいほどに理解した。くちだけではだめなのだ。後のことの責任も取れないようでもだめだった。すべてをひっくるめて、それでも優しくあれる人にルーシィはなりたいのだ。

 それがどれだけ険しい道でも、そうなりたいと思えたから。

 

 

『 悪いことっつーのは、大体したやつが悪いだろ 』

『 それでも悪いことをしたのはそいつで、そこでルーシィが悪いことにはなんねぇ! 』

 

 

 ―――――自分のしたことに怯え、お前は悪くないと言われてようやく安心できるようなままでは到底叶わぬ夢だから。

 

 

 

 

「カゲはきっとお前が手を伸ばしたからお前に手を伸ばしたぞ」

 

 

 

 

 ハッとした。ルーシィが思わず視線をナツに向ける。

 ナツはルーシィを見ていた。

 真っ直ぐ、その瞳がルーシィを射抜く。

 

 ナツはくちを開く。確信なんてない、言わば勘。なんとなくルーシィがまた落ち込んでると思っただけ。ただあの線路の上での会話が事前にあったから、ぼんやりとでも繋がる点と点があった。

 だから言うべきだと思った。頭のいい癖に変なところに気付かないこの大切な仲間のために、いまここでたったひと言でも言うべきだと。

 

 そして考える前にくちを突いて出てきた言葉は、ばっちり正しかったらしい。ナツはルーシィの表情に目を細めた。

 

 ナツはその時一緒にいなかったが、魔導四輪車の中でルーシィがカゲと話をしたことはグレイから聞いた。けれどカゲはルーシィを突き飛ばして呪歌(ララバイ)を奪った。

 ルーシィは死にかけたのだ。あの時ナツが間に合わなければルーシィは死んでいた。たったひとり暗い谷底に落ちて、二度と帰ることは無かっただろう。

 

 それでもルーシィはもう一度カゲに手を伸ばした。手のひらを上に―――――もう一度カゲの手を取った。

 

 そして、たった今。カゲは座り込むルーシィに自分の意志で手を差し出した。

 それはなぜか。どうして? ―――――そんなこと、言うまでもなく。

 

 

「―――――あァ、そういや俺も一個言うことあった」

 

 

 ふと、ナツは何かを思い出したように手を打った。それから、ちょうどいいから今言おうとルーシィの手をすくい取る。

 その柔い手にできている小さな傷たちに障らないよう、努めて優しい力加減で先ほどと同じように指を絡めて、ナツはその手をふたりの目の前へ持ち上げた。

 

 

「次は突っ込んでぶん殴る」

 

 

 唐突な宣言。物騒な言葉だが、それはルーシィを、ではなく、カゲのこと。正確には、敵、襲い来る脅威について。

 今回ナツたちが介入することをふたりのギルドマスターに阻止された。その意図をルーシィがくみ取り、全員がマカロフを信じて『待つ』という選択をとった。

 結果としてそれは正解で、マカロフは言葉でカゲを止めた。―――――しかし、そうでなかったら?

 それはマカロフを信用していないということではなく、待った結果失うことがあったとしたらというもしもの話。

 ―――――そうなったら、きっと一番苦しむのはルーシィだった。

 最初に待つと決めたのはルーシィで、ナツはそれを見て待つことを選択肢に入れた。そしてエルザとグレイは止まった自分たちを見て決めた。

 もちろん経緯はどうあれ選択したのは当人たちなのだから、それがルーシィの責任になることはない。

 けど理屈と感情は別のものだ。……特にナツは、迷った末にルーシィを理由にした。

 あの時ルーシィは死にそうなくらい真っ青になっていた。不安だったと思う。ものすごく怖かったと思う。けれどそれでも、手を伸ばしたけど触れることはなくナツに縋らなかったのは、ルーシィは「それを自分が選んだのだ」と覚悟したからだ。ナツはそう感じたし、外れていないと思っている。

 その手をナツがとった。―――――なのにナツはそれを理由にした。

 

 極度の緊張で氷のように冷たくなったルーシィの指先を覚えている。

 そんなつもりがなくたって、あれはルーシィひとりに責任を押し付けたのと変わらない。

 

 

「待ったのが正解だったけど、ぶん殴っても間違いじゃなかっただろ」

 

 

 待っているのは辛かった。心臓が嫌な音をたてて、とてもじゃないがそう何度も味わいたいものじゃない。ましてや仲間に責任を押し付けて! あんなのは二度とごめんだ。

 だから今度は殴りに行く。じっと待つのが性に合わないことは百億年前から知っていたが、今回の件で改めて理解した。

 

 

「どうしようもない時はしょーがねーけど、それでもギリギリまで考えて暴れるんだ。待つだけなんてやってらんねぇだろ妖精の尻尾(おれたち)は」

 

 

 ナツはそっと手を放す。そのまま左手で拳をつくれば、ルーシィが困ったようにそれを見てぎこちなく左手を握って見せた。

 きっと意味は分かってない。でも今はそれでいい。ルーシィが分かんないままマネっこすることをナツは知っていた。

 

 

「納得できるまで足掻こうぜ、仲間(みんな)と」

 

 

 こつ、とナツの拳がルーシィのを小さくはじく。ルーシィは目を見開いてナツを見ていた。

 それからぱちり、瞬きひとつで瞳が揺れる。ああ―――――ルーシィはちゃんとナツの言いたいことが理解できた。

 それは一緒に、という事だった。一緒に考える。一緒に暴れる。一緒に悩んで、一緒に足掻こうと。

 

 泣いたって笑たって、成功したって失敗したって一緒だと。

 嬉しくて楽しくても、苦しくて悲しくても、一緒だと。

 諦めなくていい。我慢ばかりしなくていい。やりたいことをやるんだ。―――――仲間(みんな)で。

 

 ナツから言われたこと、自分の感情。混ざり合ったそれは一連の事件で何度も揺れ痛めたこころの内に優しく優しく爪を立てる。

 その爪痕は、痛くてたまらないのにちっともルーシィを傷つけてくれなかった。

 

 

「強くなるっつったら、めちゃくちゃ修業しねぇとなァ。あとやっぱ実践だろ実践。っし、帰ったらすげぇ仕事バンバンいれーよぜ!」

 

 

 ナツは明るく笑う。ケラケラと楽しそうにルーシィを見て笑う。

 

 

「……できますかしら、わたくしに」

「できるだろ」

 

 

 どこか細いその声にナツはけろりと返す。なんでもないような声で当然のように肯定される。それが、どれほどの……

 

 

「今回もルーシィがいてよかったぜ。俺らだけじゃ呪歌(ララバイ)のことも分かんなかったしなぁ。あ、あとあの穴! じいちゃんがよぉ、あれが無かった呪歌(ララバイ)が倒れた時に定例会場がぶっ壊れてたかもしれなかった~って、ルーシィ褒めてたぜ」

 

 

 「お前やっぱすげぇよなあ。エルザと勝負したあと、ルーシィとも戦いてぇな」ナツがあんまりにも楽しげに言うからか、ルーシィはうんと頷きたくなってしまった。けれど(すんで)のところで首を振る。

 

 

「いいえ、わたくしではとても、ナツさんのお相手は務まりませんわ」

「んなことねーよ。……しゃあねーな、じゃあ、ルーシィが良いって思うまで強くなったら勝負しよーぜ」

 

 

 仕方がない、妥協してやろう。そんな表情でナツが言う。それはルーシィの願いを笑うものではなく、否定するものでもなく……それはいつかの叶った未来を待ちわびる言葉だった。

 

 ルーシィはぎゅう、と唇を噛む。あふれ出そうになる何かをぜんぶぜんぶ飲み込んで―――――背筋を伸ばし、静かに微笑む。

 それは揺るぎを見せない白百合の微笑み。

 

 

 

「―――――はい。その時は必ず。………ありがとうございます」

 

 

 

 「おーい、ナツぅ、ルーシィ!」マカロフの元からハッピーが手を振る。それにナツが手を振り返す。どうやらすっかり日も暮れてしまっていることから、定例会場のシャワーやベッドを貸し出してくれるらしい。

 確かに眠いな、とナツは思った。さっきまでは戦っていたから元気だが、ひと段落したら疲れと眠気とが一気に来て目がしぱしぱする。ナツはシャワーと寝床のついでになんか食べ物も貰おうと考えた。元気に暴れて魔力を使ったのでお腹もすいていたのだ。

 

 

「肉くいてぇな~。あと炎! ルーシィは何が―――――ルーシィ?」

 

 

 山盛りの肉もいいけれど、魔力回復重視ならやっぱり美味い炎がいい。ナツがルーシィも何か食べたいだろうと少し寝ぼけ目で声をかけようとしたところで、ザジャ、と何かが倒れた音がした。

 音に釣られて隣を見ると、並び立っていたはずのルーシィがいない。あれ、と首を傾げれば、

 

 

「―――――!!」

 

 

 遠くからハッピーの叫び声が聞こえた。目を向ければこちらを向いて驚いている様子が見えた。いや、ハッピーだけではない。エルザやグレイも同様に驚愕した様子でこちらを、―――――ナツの足元を見ていた。

 ナツは視線を辿って、思わず息を呑み目を見開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルーシィ……!?」

 

 

 ―――――そこには青ざめた顔で倒れ伏すルーシィが居た。

 

 

 

 





 ルーシィめちゃくちゃ揺らぐ回。正しいことって何だろう。良いことと悪いことって何だろう。ルーシィはそれを断言できるほど外の世界を知らないのでした。

「カゲはきっとお前が手を伸ばしたからお前に手を伸ばしたぞ」
 ↑どこかに「、」とかを入れてセリフを区切ろうかと思ったんですが、一息で言い切ったような勢いのイメージを持たせたかったのでこのままにしたら威圧感すごいですね。

 ところで、今のところルーシィが凹んでたり揺らいだりしてる姿はナツとハッピーしか見てないんですよね。グレイやエルザからしてみれば世間知らずだけど肝の座ったガッツのあるお人好しとかに見えているでしょう。
 間違いではないんですけど、その合間合間にある葛藤や困惑や揺らぎはナツとハッピーしか見ておらず、そしてそれから立ち直る支えになっているのもこのひとりと一匹で。
 恋愛方面に持っていくフラグではなく、こう、仲間としてのエモさ(語彙力の限界)を出していけるようにしたい。

 と、いうわけであと1話後日談的なものが続きます。



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