語り部は言う。
「むかしむかし、」
「日が暮れて、そのとき……」
「とあるところに」
「それは晴れた日のことでした」
始まりはいつも唐突で、必ずキッカケがやってくる。
そこから始まる数々の
どこまでも続くような
まさかと思った。自分が呼んだ相手が信じられなかった。
その顔が見えた時、そこに立っているのが誰なのかを認識したと同時に、ルーシィは「逃げて」と叫ぼうとした。
ナツ・ドラグニル。昼間のハルジオンで出会った、あの時ルーシィを助けてくれた不思議な少年。
天井を突き破って登場したのはその彼だった。
いったい何がどうして彼が天井ごと船内に乗り込んできたのかは皆目見当もつかないことだが、それよりもルーシィは『ナツが今ここに居る』という現状に、強い焦燥感にかられる。
―――――だってここにはあの
どんな理由があろうと、乗り込んできたナツを寛大にも許し見逃すとは、到底思えなかった。
あの男から見て乗り込んできたナツがどれほど危険視されるかは分からないが、少なくと天井を突き破って乗り込んできた相手を無害だと思う人は居ないだろう。
だから。
人を人と思わないような外道ども。何をするか分かったものではない。少なくとも、少なくとも、―――――きっと捕まってしまえばおぞましい目にあうだろう。
だからルーシィは「逃げて」と伝えようとした。
思い返す、真昼の彼ら。おかしな出会い。
ほんの少しの関りだった。一期一会も旅の醍醐味。その中でも彼の姿を鮮明に覚えているのは、こんなところでこんな目にあっているからだろうか。
―――――憧れを、語った。小さくて、あたたかい宝物をそっとさらして、瞬きの夢の話をした。
幸せを反芻した時間だった。ルーシィにとって
あんなギルドが、そんな絆が、この世界のどこかに、確かに存在する真実であること。それだけでたまらなく胸が熱くなって、幸せだと思ってしまう。
その数時間後には、こうして全て踏みにじられてしまったけど。
滑稽だね。馬鹿みたいだ。でも、本当に幸せな時間だったよ。だから、ナツに逃げてほしかった。
幸せだったんだよ。本当だよ。だから、これ以上この幸せをズタズタにされるのが我慢ならなかった。
彼をこの場から逃がすための囮にだってなっていい。幸せの記憶と紐づいた彼に、こんな惨めで苦しい思いをしてほしくなかった。
一度踏みつぶされた使命感は、けれど対象が目の前に現れたことにより再び立ち上がる。
自己犠牲精神、と言うわけではない。ただ、目の前にある悲劇に
そうして、これ以上苦しい思いをしたくないという自己愛があるだけで。
どうにかしなくてはいけない。何かをしなくてはいけない。誰かがしなくてはいけない。それはつまり、現状を理解している自分の役目だと。
星霊を奪われ、自力では拘束を振りほどけないような脆弱な小娘でも。悲しいと泣いて心が折れかけてしまうような臆病者でも。手の届くその場に、
意思と言うより反射であったそれは、けれど、すんでのところで言葉にならずに止まる。
「―――――は、」
驚愕と、怯えが。
唇が震えて、小さく息を吐く。呼吸ではなく緊張―――――ルーシィは目を見開いた。
天井を突き破ってやって来たナツ。土煙が晴れたことによりはっきり見えるようになった彼の、その瞳―――――そこに、思わず後ずさりしそうになるほどの『怒り』を見た。
「―――――」
息のつまるような強い『怒り』と、寄せられた眉間から感じる『不快感』。思わず声も出なくなるほど強く伝わってくるナツの感情はあまりに威烈で、昼間に会った時の明るい様子とは大きく違うその姿に戸惑い怯んだ。
男たちも見えない何か強い圧力に押さえつけられたように、小さく息を呑んで、自分たちよりよっぽど小柄な少年を凝視した。
目を逸らしたら、
―――――しかし。
「おぷ…駄目だやっぱ無理」
「えっ!」
顔面蒼白。青ざめてうずくまった姿に緊張感が吹っ飛んだ。
「は?」と思わず拍子抜けする男たちの視線の先で、くちを押さえ具合が悪そうに呻くナツ。ルーシィはその姿を見て、咄嗟に駆け寄ってしまった。―――――不思議なことに、凍ったように固まっていたはずの体はまるで当然のように動き出す。
「うぐうぐ」と吐き気がこみ上げている苦しげで浅い呼吸を繰り返すその背中を、ルーシィは甲斐甲斐しくさする。
「ナ、ナツさん、しっかりなさって!」
「ぅおおおおお…」
「も、もしかして、乗り物酔い…?」
締まらないというか、格好のつかないというか、なんというか。
わちゃわちゃとしているふたりに対して、ボラや男たちは呆然とした表情でその様子を見ることしかできなかった。突然天井突き破って乗り込んできたガキが、勝手に酔ってぐったりしているとはこれ如何に。
誰がどう見ても「なんだこれは」と思うような目の前の光景に、乗り込んできた相手が何者だとか、何が目的だとか、そんなことより戸惑いが勝ってつい距離をとってしまう。
一種の硬直状態と言えるだろうか。誰もが次の行動を決めあぐねてしまうような微妙な空気―――――そんな時、ぶち抜かれた天井の穴から新しい声が降ってきた。
「あれ、ルーシィ?」
「えっ、あっ、ハッピーさん―――――ハッピーさん!?」
呼ばれた名前。え、と見上げた天井の大穴。そこには夜空を背負った見覚えのある青いネコ。そうだ、ナツが居るのならハッピーだって居ておかしくない。
―――――けれど、まさか翼が生えるだなんて誰が思う?
見上げた先、見覚えのある青い体の、その背中。そこにはいったいどういうことか、立派な真白の羽が生えていた。
思わずポカンとアホ面でハッピーを見上げたルーシィ。そして同じくハッピーを視界に入れた男たちも衝撃を受ける。
混乱しているところに青いネコが喋って空を飛んで増えてきた。一体なんなんだ。こんなことは今までなかった。女を好きなようにして、大金を手に入れる。そんな簡単なビジネスだったはずなのだ。なのに、―――――なんだこれは。
追いスタンに加え混乱状態付与。戦線を滅茶苦茶にされる
「こんなところで何してるの?」
そんな男たちは置いて、ぽっかりとくちを開いたまま黙っているルーシィに、ハッピーは首を傾げて問うた。ルーシィは、え、とこぼして、その質問を反芻する。
何をしてるのって、そんなの。そんなの、何してるんだろ。
反芻して、噛みしめて、そうしたらほら、また。
ハッピーのセリフは、ただ単純に知った顔を見かけたから疑問に思っただけだろう。けれどタイミングと、ルーシィの精神状態がよくなかった。
ああ、まったくだ。こんなところで、こんな人たちに騙されて、……自分はいったい何をしているんだろう。
ナツを見て再び立ち上がったこころが、
―――――馬鹿みたいだ。……馬鹿みたいだ。
「わた、わたくしは、わたくしは
そのはずだったのに。憧れの人との素晴らしい時間になると思っていたのに。夢にまで見た願いが叶うのだと信じていたのに。
「―――――それがこんな奴隷船だなんて………!」
くちに出すのも屈辱的―――――その震えた声に、酔ってうつむいていたナツは気持ち悪さを抑えながらぎこちなく顔を上げる。
■
―――――ルーシィが泣いている。
ナツにとって、昼に会ったルーシィは『優しいやつ』だった。
ちょっと変だったけど
本人は入ると明言していなかったが、あの時ルーシィと
まだギルドマークは入っていないけれど、だからどうした。
目の前の少女は必ずそうなるのだという確信がナツの中にあった。端的に、ナツはルーシィが気に入ったのだ。
それだけ『しっくりくる』笑顔だった。その笑顔を気に入った。
しかし―――――今のルーシィの顔は、悔しさや、悲しさや、恐怖で涙に濡れている。
―――――ルーシィが泣いている。
―――――
■
震える声に、その肩に、ルーシィが泣いていることにハッピーも気が付いたのだろう。「細かい話は後回しっぽいね」と判じて空中から急降下した。
そして自身の尻尾をルーシィの体にくるりと巻き付けると、そのまま強いちからで彼女を吊り上げて空に飛び上がる。
「きゃあ!?」
「っ逃がすかァ!!」
―――――目の前の急展開に真っ先に正気に戻ったのはボラだった。
唐突な侵入者。ボラにとってナツが何者だとか、何が目的だとか、そんなことはこの際どうでもいい。ここは自分のテリトリーだ、どうにだってできる! けれど、ハッピーがルーシィ連れて行こうというのなら見逃せない。
せっかく丁寧に騙して連れ込んだというのに、逃がしてしまえば通報される。絶対にあの小娘を逃がすわけにはいかない―――――上玉を失うのはもったいないが、リスクを背負うくらいならこの場で処分する。
魔力が渦巻く。ボラがとっさに放った火の魔法が勢いよく天を駆け上り、逃げ出すひとりと一匹に食らいつこうとする。
直撃すれば怪我程度では済まない脅威。―――――しかし、
ハッピーはただの喋って飛べるネコではない。ハッピーはナツの相棒だ。
鳥より軽やかにネコが飛ぶ。くるりと身をひるがえせばその後ろを火柱が追う。しかし、ひらひらくるりと翼で泳いで、その脅威を完璧にかわしきってしまった。
すごい、とルーシィは感動する。尻尾に引っ掛けられて空を飛ぶという不安定に引いた血の気が、思わずカッとぶり返すくらいの興奮を覚えた。
魔力を感知しているのだろうか。背後を振り返ることも無く、まるで宙を踊る木の葉のようにいともたやすく攻撃をかわしている。
ひよっこ魔導士のルーシィでもわかるくらいに、ハッピーは余裕の態度だった。これなら追撃から逃げきることも―――――そこまで考えて、ルーシィはハッとする。
―――――思い出した。気づいてしまった。
最悪だ。逃げる? ああそうだ、逃げなくてはいけない。
とんでもないことをしてしまった。自分の行動の浅はかさにゾッとする。―――――ルーシィは、この船を『奴隷船』だとふたりに伝えてしまったのだ。
それはただでさえ危険な立場だったナツとハッピーが、ボラの『処分』対象に確定するのには十分な理由になりえた。むしろボラたちからすれば
このままルーシィがハッピーと逃げ出せば、乗り物酔いで呼吸もままならないナツがひとりになってしまう。そうなればナツは抵抗の間もなく―――――
「ハ、ハッピーさん! ハッピーさん! お待ちください、ナツさんが…!」
「ふたりは無理」
「そんなっ」
ハッピーのにべもない宣言にルーシィはサッと顔を青ざめた。そんな、それじゃあ、ナツが。
ナツが!
巻き込んでしまった! 巻き込んでしまった! 何が『囮になってでも』だ。これじゃあナツの方が自分のスケープゴートじゃないか!
彼らがなぜ船に乗り込んできたのかは知らないが、少なくとも奴隷船だと伝えなければまだ何とかなったかもしれないのに。ハッピーに助けられたのだって、自分がしっかりしていればハッピーはナツを連れて逃げることができたのに。
ルーシィがいなければ。
ルーシィがいなければ!
「っそうだ、ハッピーさん! わ、わたくしを降ろしてくださいまし、ナツさんを代わりに……」
ッ ダァン! !!
そうだ、ルーシィがいなければ、ナツは逃げられる。慌ててそうハッピーに訴えようとしたルーシィだったが、言い終わる前に―――――何かがルーシィの頬をかすめる。
唐突に。聞こえたのは破裂音のような。―――――思わず頬を手で押さえれば、熱さのような痛みが走り、わずかに、血が。
「わっ、銃弾だ!」
それは船内から放たれた銃弾だった。ハッピーの視線の先で、銃を構えた男たちが銃口をこちらに向けている。
ジャコン、と音が聞こえた気がした。
実際は距離があって聞こえていないはずだが、男たちが銃身のレバーを引く動作がいやにハッキリ見えて。
撃たれる。そう思ったと同時に連続する発砲音。何が何でも殺すと言わんばかりの弾幕がルーシィとハッピーに襲いかかる。
「わわわ、わわわっ!」
これにはハッピーも冷や汗をかいた。何とか必死に躱す揺れにもみくちゃにされながら、ルーシィはどうにか現状の打開策を求めて頭を回す。
向けられている銃口は6つ。暗いし遠いし揺れてよく見えないが、ウィンチェスターライフルに似ている、かもしれない。なんにしろレバーを引いていたのだからレバーアクションの銃だ。それなら、一発撃ってから次を撃つのにタイムラグが生まれる。
そのわずかなタイミングを活用できれば、あるいは……!
「ルーシィ聞いて」
「っはい!?」
「変身解けた」
「へっ、」
あれがこれでそれがどれで、頑張って頭を回していたルーシィがハッピーのセリフに素っ頓狂な声を出す。
変身、変身とは―――――まさか。
ハッと仰ぎ見るハッピーの体。かわいらしい青いネコ。その背中には、翼が、なく。
―――――察してしまった。
落ちるのだ、と。
「―――――!!!」
ボッシャーン !!!
■
ゴボ、とくちから気泡が出ていく。夜の海は冷たくて、落ちたルーシィとハッピーは一瞬にして体温を奪われてしまうほどだった。
勢いよく叩きつけた背中が痛い。―――――しかし、動けないほどではない。
ルーシィは痛みを耐え、ぎりぎり息を止めることに間に合ったおかげで肺に残った酸素を噛みしめて体制を整える。
どうやら男たちは海の中まで追いかけてくることはないらしい。まあそうだろう、こんな沖でこんな真っ暗な海に落ちたとなれば、わざわざ追いかける必要も感じない。
末路はひとり冷たく、海の底。―――――そう、
( 船の、進行方向と、速度は――――― )
ナツを助けるつもりだったのに海に落ちてしまった。きっとルーシィたちの始末は済んだと思われて、標的はナツに移ってしまっているはずだ。
はやく手を打たないと。
(
ルーシィは沈んでゆく体を、くるりと回して整える。方角を確認―――――それから、大きく体をくねらせた。
足を交互に大きくバタつかせ、体を揺らめかせ、暗い海に差し込む月の光を頼りにルーシィは泳ぐ。
男たちに乱暴に捕まれたせいですっかりヘアメイクのほつれてしまった
考える。今自分ができること。ナツを、助けること。騙されてしまった女性たちを助けること。その方法。
―――――本当は、いくら思考を切り替えても心の中で失望が渦巻く。あんな男が
別に、別に、全員が善人とは思っていなかった。いなかったけれど。
それでも、こんな酷い現実でなくたっていいのに。
憧れてたのに。
所詮は聞きかじりの妄想なだけだったのだろうか。自分は頭の中で肥大化した理想に溺れていたのだろうか。
がりがり がりがり。
―――――ああ、痛いな。
( いいえ、今は悲しんでいる場合ではないわ )
何度も何度も繰り返して爪を立てる悲しみにもう一度蓋をして、船に残されているナツと、女性たちを助けることが最優先だと、自分に喝を入れた。
立ち直ってはへし折られるこころが痛い痛いと言うけれど、世間知らずな小娘のこころの傷が何だというのだ。
体を動かせ。頭を回せ。―――――彼らにこんな思いをしてほしくないのなら。
( たぶん、そろそろ、……この付近のはず……… )
こぽり、と残り少なって来た酸素を零しながら、ルーシィは周囲を見回した。
―――――ナツたちを助けるにしても、高名な魔導士と屈強な男たちが相手ではルーシィの細腕では勝ち目はない。
しかし、ルーシィは
星霊魔導士とは、『鍵』を媒介に『
例えルーシィひとりでは到底不可能なことでも、星霊が居れば可能域は莫大なものになる。
彼女たちこそが、ルーシィが心から愛する友であり、最も信頼する
目の前、浅瀬の岩肌。指を伸ばして、抱きしめるように両手で包み込む。
( ―――――お願い、
月光を反射しきらりと光る―――――それこそが、ルーシィが探していた
■
――――― ザパァッ
「っぷはっ、はっ、はあッ…!」
「プッハーーー!!」
「っあ、ハッピーさん!?」
掴んだ鍵を波にさらわれないようにしっかり握りしめて海面に浮上したルーシィは、同じように浮上してきたハッピーを見てあっと驚いた。真横に現れた青い毛色を見て初めて、そういえばハッピーも一緒に海に落ちていたと思い出したのだ。
挽回と打開策に必死になりすぎてそこまで意識が行き届いていなかった。自分を空に連れ出し魔法や銃撃から逃げてくれた恩人をすっかり忘れていただなんて、とんでもないことだった。ルーシィは猛省する。
ハッピーの毛皮は夜の海に同化しすぎて目立たない。もしハッピーが泳げなかったら―――――ゾッとする話だ。海の冷たさと違う理由で血の気が引いて青ざめる。
「ハ、ハッピーさん、ご無事ですか?」
「ふわー、海水がしょっぱいよう。あっ、ルーシィ! 船が行っちゃうよ、どうする!?」
「あっ、は、はい! だ、大丈夫です、わたくしに策がございます!」
おろおろと話しかければ特に気にしたようすもなく、それよりもと船を指し示されたルーシィはハッとして頷く。
船は思ったよりも離れたところまで進んでしまっていた。やっぱりルーシィたちに追手はないようで、銃撃をしてきた男たちは浮上してこないルーシィとハッピーに『仕留めた』と判断したらしく、既にその場にいない。
海面に浮上しても安全になったということは、けれどナツがより危険になったということと同義。
はやく、しないと!
「ハッピーさん、どうぞお許しくださいましね。ほんの少しだけ我慢してくださいましね……!」
「んむっぷ!」
ルーシィはハッピーが
唐突な圧迫にハッピーが苦しそうな声を上げるが今ばかりは配慮していられない。というか、時間も無く手段も無い現状ではこれが最大限の配慮なのだ。
これからすること、その
「ん~っむむ、ルーシィっ、なに!?」
「今から星霊を呼びます! どうぞ、わたくしに掴まっていらして!」
ぢゃん、と濡れた鍵が鳴る。
取り返した大切な
―――――魔力が渦巻く。
緊張や焦りで震える指先を落ち着かせて、全身を巡回する魔力を丁寧に練り上げる。ぐるりと一周。そのまま、流れるように鍵を構える指先へ。
指から鍵へ。後はただひとつ。それを海面に突き立てる。
「開け、
■
―――――海面が光り輝く。
まるでその場が光源になったかのような眩い光。突き立てた鍵を中心にルーシィの魔力が溶けだしたような、ルーシィの
夜の海に渦巻く魔力が、真昼の太陽のように辺りを照らす―――――それは『
―――――契約に従い、人知を超えるものが現界した証。
■
「すげぇーー!!」
ルーシィの胸元からかろうじて目元を覗かせたハッピーが、目の前の光景に叫ぶ。
―――――光と共に現れたのは、まごうことなき『人魚』だった。
人の上半身に魚の尾びれを持ち、洗練された装飾品に飾られた、水瓶を持つ人魚の星霊。
彼女は見ての通り水場では圧倒的なアドバンテージを持つ、ルーシィにとって最高の
ハッピーは大興奮した。『召喚』タイプの魔導士を知らないわけではなかったが、星霊レベルの契約を見るのは初めてだったのだ。『美しき人外と契約を結ぶ美少女』とはどの世界でも絵になるものである。ましてやこんな、大仰な召喚を行うなんて、パフォーマンスとしても最高だ。
「緊急事態なの、お願いアクエリアス。あなたの力であの船を港まで押し戻してっ!」
「チッ」
「……ねえルーシィ、今舌打ちされなかった? 今ルーシィに舌打ちしなかった!?」
「お気になさらないでください、わたくしも気にしておりませんので!」
―――――しかし、興奮もさなか、ルーシィに対して隠すことなく舌打ちをかました星霊の姿に「え? こんな感じなの? もっとこう、主従っぽい感じじゃないの?」と愕然とする。しかしルーシィは慣れたようにすっぱり言い切った。どうやら普段からこういう対応らしい。
さて、わあわあと騒いでいるひとりと一匹を置いて、当人のアクエリアスといえば。舌打ちはしつつもルーシィの願いは聞いてくれるようで、ゆらりとその手の水瓶を動かすと同時に、彼女を中心に一気に海面が荒れだした。
―――――魔力が渦巻く。
「おい」
「はい?」
瞬く間に海原の支配者となったその魔力は、ごうごうと吹き荒れる荒波に反してささらな清水のように澄んでいた。
そう、これこそがアクエリアスの本質。粗雑な舌打ちは心配の裏返しで、内なる心は清らかな聖女―――――
「次、鍵を落としたら―――――殺すぞ」
―――――なんてことがあるはずもない。そんなものは幻覚である。ドSお姉さまにそんなサービスはなかった。いや、考えようには「そばに居れないと守れないだろ」というツンデレ内訳が付く可能性も……ないこともないことはないのかな。
身震いするほど低い声で下された
そんなルーシィの様子に多少は満足したのか、アクエリアスはすい、とその細腕で持っていた水瓶を抱え直した。
海は荒れている。その時を待つように騒めいて、注がれた魔力にのたうち回るようにぐるぐると、ジャバジャバと。
それはまるで幼い子供が、楽しみを前にじっとしていられずに駆け回るようにも見えた。
ぐるぐる ぐるぐる。
ジャバジャバ ジャバジャバ。
魔力が渦巻く。それは海原。それはアクエリアス。それは水瓶。
アクエリアスの持つ水瓶もまた、膨大かつ圧縮された魔力に満たされていた。
成り行きを見守っていたハッピーは、身に走った悪寒により一層ルーシィへすり寄った。ルーシィもまた、
ぐるぐる ぐるぐる。
ジャバジャバ ジャバジャバ。
魔力が渦巻く。それは海原。それはアクエリアス。それは水瓶。
アクエリアスの持つ水瓶。
それを、彼女の細腕がちから強く振りかぶった。
「 オ ラ ァ !!! 」
―――――魔力が渦巻く。
勇ましすぎる掛け声。その腕のひと振りと共に、一面を呑みこむほどの大波が生まれた。
それは水瓶の先からやってくる。魔力をふんだんに含んだ喰らいつくような大波が、水瓶の小さなくちから勢いよく吐き出され。
それは荒れ狂う海原と混じり合い、まるで意思を持つ怪物のように大津波になったのだ。
美しき人魚の
―――――波に呑まれたルーシィたちと共に。
ザ バァ ァアア ア ア ア ンッ !! !
「うなーーー!?」
「やっぱりこうなりますのねーーーっ!」
その場にいる
小さないのちふたつだけを上手に避けるだなんて離れ業、緊急事態にそんなコントロールをしている時間はない、と言われてしまえば文句も言えないが。
それにしたって、それにしたってもっとこう、ないかな!
分かっていたけれど、とルーシィは海水ほどしょっぱい対応にほんの少し泣きたくなった。
語り部は言う。
「こうして物語は」
「ハッピーエンドになりました」
「めでたしめでたし」
だから