きらきらぼし   作:雄良 景

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 いいこと、ルーシィ。神さまはいらっしゃるわ。

 不幸なこともあるでしょう。恐ろしいこともあるでしょう。
 それでも神さまは見ていらっしゃいます。

 貴女はとってもいい子。人を愛し 心美しく 誰かの想いを大切にする、優しい子。

 だから大丈夫よルーシィ。たとえ悲しいことがあっても、必ず貴女は幸せになれるわ。
 神さまはあなたのことを見ていらっしゃる。貴女のことを愛してくださっている。


 いいこと、ルーシィ。神さまはいらっしゃるわ。





立ち上がる

 

 

「は、はひ~……」

「う、うな~……」

 

 

 味方の攻撃(おおなみ)により船ごと押し流し飛ばされたルーシィとハッピーは、港に乗り上げた船の甲板へ漂着した。

 ごろごろと転がった末にべちょりと這いつくばって、くらくらする視界にか細い悲鳴のような息を吐く。

 なんともまあひどい目にあった。ゴールが甲板だったのはなけなしの慈悲だろうか。ナツと女性たちを案じるルーシィの気持ちを汲んでのコントロールならありがたいけれど、それにしたって。

 ゴチンと打ち付けた頭が痛い。すいよすいよと近づいてきたアクエリアスについ、複雑な気持ちを込めた視線を送ってしまうものの、彼女はそんなルーシィを一瞥して鼻を鳴らしただけだった。

 

 なんとも無慈悲。素っ気ない態度。一見すれば蔑ろにされているようなそれ。

 けれど。

 けれどルーシィは、付き合いの長さからそこに彼女の優しさや親愛を感じることができる。美しいこころを見ることができる。

 ―――――本当に、分かりづらいヒト。

 

 

「―――――ありがとう、アクエリアス。助かったわ……迷惑をかけてごめんなさいね」

「全くだな。あんな胡散臭い男に釣られるとはその目は節穴か? ッハ、おぼこ臭さ(だまされやすさ)が顔に出てたんだろう、まんまとカモにされた契約者には星霊として恥が高い。

 ……おい、尻拭いはここまでだ。私はこれから一週間彼氏と(・・・)旅行に行くからな。彼氏と(・・・)だ。

 

 ―――――呼んだら殺す」

「はい………」

 

 

 親愛を込めたこころからの礼はコンマの速さで叩きのめされた。

 海水で全身びしょ濡れのルーシィを見るアクエリアスの目は絶対零度。ドブネズミを見る目。あるは三角コーナーについたカビ。

 容赦のない言葉攻めに縮こまるルーシィに、アクエリアスは『彼氏と』を強調して釘を刺してから勝手に(ゲート)を開いて星霊界に帰って行った。契約者の閉門も待たない情け容赦ない人魚さまだった。

 

 ホワ、と光の粒子となって星霊界へ帰る彼女に思わず脱力しながら、ルーシィは未だ目を回しているハッピーを胸元から取り出して腕に抱えた。大波でどこかへ飛んで行ってしまわないかが心配だったが、無事だったようだ。ルーシィはほっと息を吐く。

 

 

「―――――ぅう……」

「んっ、ぐ……」

 

「あっ!」

 

 

 不意に耳に届いたうめき声。ルーシィはハッとして意識を切り替えた。

 そうだ、大波に引っ掻き回されたのはなにも自分たちだけではない。甲板で巻き込まれた女性たちの無事を確認しなくては。

 なにせあの揺れ、あの大波。壁の無い甲板の被害は想像に難くない。

 

 ルーシィはちからの抜けていた体に鞭を打って、甲板の手すりに掴まって起き上がらせ、おぼつかない足元で立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

(いち、に、さん―――――よんじゅう、きゅう)

「―――――みなさまご無事ですのね」

 

 

 ルーシィは安堵の息を吐く。大雑把にだが目視する限り、大けがを負っていたり海に落ちてしまっていたりする人は居ないようだった。

 

『 ―――――今宵は49名もの………』

 

 ……パーティの始まりの、ボラの挨拶。ルーシィがうっとりと聞きほれていた彼の素敵なパフォーマンス。それが乗船している『商品』の数を確認していただけなのだろうかと思えば胸中に苦みが広がるが、結果として無事の確認に活用できた。ボラが確認していたとおり、ちゃんと49人が甲板にいる。

 もちろん、優秀有能なアクエリアスがうっかりしていることは無いと思っているが、それでもこうしてあの外道の被害者たちが無事だと確認できると安心した。

 しかし無事と言っても頭を強く打ち付けているなどの場合は目視で判断できないので、一刻も早く彼女たちを医者に診せる必要があるのだが。

 

『そのドレス、とても素敵だね。よく似合ってる』

『来てくれてありがとう』

 

 ―――――だから、これは今じゃない。

 深く、深呼吸。ふとした瞬間にくちが緩んで溢れてくる気持ちにしっかりと蓋をしなおして。

 動け、ルーシィ。自分を鼓舞する。

 

 気持ちを切り替えるように、誰ひとり海に落とすことなく港へ届けてくれたアクエリアス(おともだち)へもう一度感謝の念を送って、成すべきことを成すためにもう一歩を踏み出す。

 手を、甲板の手すりへ。そのまま身を乗り出して、腹にちからを込めた。

 乗り出して見えた眼下には、船によって抉れた港が広がっている。―――――改めて見ると酷いありさまだが、人命が最優先だったということで多少の損害は見逃してもらえるだろうか。

 

 ああ、それより。広げた視野に入り込んだ、遠巻きにこちらを窺うたくさんの人影。

 用があるのはこちらだ。

 

 

「―――――」

 

 

 ルーシィはすう、と肺いっぱいに息を吸い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 ざわざわ ざわざわ。人影が騒めく。

 

 港には人だかりができていた。静かな夜に響いた轟音。なんだどうした何事だ、と家や店から飛び出してきた住人や観光客たちは、砂浜の上にずうんと沈黙する巨大な客船を前に、呆然とした顔を晒していた。

 

 喉を晒して見上げるそれは甲板すら見えないような、立派な客船。誰かがぽつりと呟いた。

 

 

「これは―――――昼間の魔導士がパーティーをするって言ってた船じゃないか……?」

 

 

 得も言われぬものが一同の背を駆け抜けていった。

 魔導士のパーティー? だってそりゃあ、妻が―――恋人が―――姉が、妹が、娘が―――嬉しそうにめかしこんで参加しに行った、それじゃあないか。

 

 ざわりと空気が波打って、―――――それは大きな波紋となる。

 

 どういうことだ? なぜ船がここに。 大波があったって。 いったいどうして? 一体何が起こったって言うんだ!

 いや、それよりも、この船に乗っているはずのあいつは―――あの子は―――彼女は―――――無事なのか?

 

 謎の大波。乗り上げた船。安否の分からない愛する人。横隔膜が嫌なひきつり方をする。

 ―――――不安だ。それは心配だ。

 けれど、けれど理性が船に乗り込もうとする体を押しとどめる。

 だって予兆もなく発生し、こんな巨体を港に乗り上げるほどのちからを持っている大波なんて、おおよそ自然現象とは思えない。

 何かがあったとして、それが魔法であったとして―――――しからば自分たちが乗り込むことは、場合によっては邪魔だてになりかねないのだ。

 

 ハルジオンには魔法が使える人間なんて片手もいない。ただし貿易は盛んなため、旅の魔導士などと関わる機会はそれなりにある。だから彼らは魔法とそれを扱う魔導士の、自分たちと一線を画す土俵の違いのようなものを理解していた。

 凡人は凡人なりに、持たざる者である自分たちの領分を考えているのだ。心配だからと感情のまま行動することが、逆に愛する人を危険に晒しかねないと理解できるほどには。

 

 けれど、不安で。

 

 嬉しそうに、楽しそうに出かけて行った彼女たちの顔が脳裏によぎる。無事だろうか。そればかりが心配で。

 何もできない歯がゆさのまま、彼らは見えもしない甲板を仰いだ。喉を晒して、大きく見上げて、あるいは手を組んで神に祈るように。

 星の光ばかりの暗い空。何か、何かはないかと、船の水平線に目を凝らす。

 

 ―――――そこに、ふらりと揺れる黒い影が。

 

 「あ、」ひとりが声をこぼす。喉に小骨が引っ掛かったような小さな声だったが、限界まで膨れた風船のようになっていた彼らには関係が無かった。

 ささくれひとつが銃弾に感じるほどに張り詰めていた神経を撫でたその声に導かれて、何十、何百という視線のスポットライトがそこに刺さる。

 

 影が、ぬう、と甲板から身を乗り出していた。暗闇に慣れ始めていた視界がゆっくりとその姿を形にとらえた。

 少女、だ。

 女の子が自分たちを見下ろしている。

 

 人だ。関係者だ。これで事情が分かる。

僅かな安堵が息になった。大波のこと。船のこと。いや、それより、愛する彼女たちのこと。

 ほんの一瞬、彼らが何から聞くべきか、誰が聞くべきかと迷ったその一瞬で、先に動いたのは少女の方だった。

 

 

「 どなたか―――――軍にご連絡をッ!! 」

 

 

 

 

 

 

 濡れた髪を頬に張り付けた少女が声を大きく叫んだのは、何とも不穏な嘆願だった。

 

 ―――――なんだって?

 

 船を見上げていた人々は一層混乱して狼狽える。ようやく誰かの姿が見えたと思ったら、軍に連絡をしろと、通報をしろと言うのだから!

 状況が分からない。なぜ開口一番に軍を呼べなんて。救援要請か? なぜ必要なのか、必要になるようなことが起こっているのか。

 例えば、あの波が本当に自然現象で、だから助けを求めて軍を呼んでくれと言われているのか。

 例えば、彼女は何が起こっているのかは知らず、ただ助けが欲しくて軍を呼んでくれと言っているのか。

 魔法が、魔導士が関わっていることではないのなら、船に乗っている人を救出するために軍を呼ぶのは妥当だろう。それなら、―――――いや、本当に?

 空気に囚われて行動ができない。誰かがつばを飲み込む音がやけに大きく聞こえた。

 

 例えば、とんでもないことが起きていて。守るために、救うために、救われるために(ちから)が必要だと言っているのか。

 

 ―――――そもそも、そもそもだ。そもそも、彼女は誰なのだろう。見かけない子だと周囲の顔色を窺う。おおよそは同じように困惑して少女を見つめたり、周囲を窺っていた。けれどそのうち、ふと「昼間に街を観光していた子じゃないか?」という声が聞こえた。

 観光客。偶然居合わせて火竜(サラマンダー)のパーティに参加したのだろうか。……いや、誰か分かったからといって、どうということもないのだが。

 グラグラと煮立ってゆく不安感。心配、疑心、不安定。

 じりじりと何かがすり減っていく。最善は何か。どうすればいいのか。情報が足りない。分からない。分からない。分からない。

 

 煮詰まる。破裂寸前の風船に、また空気(ふあん)が押し込められて。

 

 

「いったい―――――いったい何だってんだ! その船は、俺の娘が乗っているはずの魔導士のパーティー会場だろう!? 俺の娘はどうした!?」

 

 

 それははじけて少女を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

「みなさんご無事です、どうか安心なさって! それよりも軍を!!」

 

 

 ルーシィは夜風より冷えた叫び声に応えて、早口でまくし立てた。

 目を凝らした先の人々。きっと多くはこの船に親しい誰かが乗っている人たちなのだろうと推測できる。だからまるでルーシィを非難するような声も、彼らの心配や不安を想えば当然と受け入れられた。

 

 

「この船は船上パーティーの会場ではありませんでしたの! それは女性の皆様を拉致するための隠れ蓑です! 本当の目的は、『奴隷輸出』っ……この船は、女性を拉致して売り払う、奴隷船なんです!!!」

 

 

 ―――――時間が無い。まだナツが船内にいる。

 ルーシィには余裕がなかった。だから、この際はっきりと伝えることにした。

 彼らが受けるショックは心配だが、言葉を選んでいる猶予がないのだ。ボラやその配下と思われる男たちがルーシィの存在に気づけば、また襲い掛かられ、最悪ここから逃げられてしまうかもしれない。

 その混乱に乗じて女性たちを連れて行かれてしまう可能性は? それに、逃げられれば今までの被害者の足取りを追えなくなってしまう。

 今も苦しんでいるであろう、いつかの彼女たちを。

 

 だからこそ今のうちに、軍を呼ぶことで彼らを逮捕する手はずを整えておきたかった。彼らの本性を知り鍵を取り戻したルーシィなら、軍が到着するまでの足止めをできる。けれどその代わり、女性たちをフォローする余力が無いのだ。彼女たちを救出するためにも、人手がいる。

 だからルーシィは叫んだ。現状の危険性を声高らかに。

 

 群衆は返ってきた答えに動揺する。だって、まさか。そんな…一体?

 『奴隷』なんてものは奴隷制度の存在しないこの国ではあまりに縁遠い話。聞き間違いかと何人かがきょろきょろあたりを見回した。誰もがお互いの顔を窺ってたららを踏む。

 

 

「早くっ、時間がありません!」

 

 

 ―――――しかし、ルーシィの重ねた叫びに弾かれて、ひとりの男が走り出した。

 

 

 

 

 

 

 男には恋人がいた。少し気が強い、おしゃれで美人な幼馴染。長いこと片思いをしていた世界一かわいい女の子に告白した日のことを、男は今でも覚えている。あの時の緊張といったら! ……イエスと言われた時の、喜びといったら。

 その恋人も、今はあの船の上にいる。

 

 男は数時間前、恋人が意気揚々とパーティの準備をしていたときに、どうにも気分が悪くなって喧嘩をしてしまった。器の小さい話だが、愛する人が他の男に頬を染めているのだから面白くなくて仕方がなかったのだ。

 だから、その魔導士様はお前なんかに興味ないぞ、と意地の悪いことを言ってしまった。その声のなんと冷たいこと! くちに出した本人すら驚いたくらいだ。

 彼女はその言葉に、一瞬悲しそうな顔をした。それから、鬼のように彼を責め立てた。―――――その顔の意味を、彼は見つけられなかった。

 

 自分の言葉に傷ついたのか、相手にされないことを想像してショックを受けたのか。どちらにせよ、ああ、……そんな顔をさせたいわけじゃなかったのに。

 

 ―――――まだ仲直りをしていない。謝っていない。

 たとえ喧嘩をしても、彼女を愛している。

 

 だから男は走り出した。必死に伝える彼女の尋常ではない様子に、嘘や演技ではないと分かってしまったから。

 魔導士ではない男は、魔導士と戦うすべを持っていない。だから走った。―――――軍を、助けを呼ぶために。

 愛した人を守るために、彼はただ走った。それが自分にできる最善だと思ったから。

 

 

 

 

 

 

 走り出したひとりに触発されたように、またひとり、ふたりが動き出す。その動きはやがて全体に伝わり、

 

 

「おい急げ! 軍だ!!」

「誰か連絡用の魔水晶(ラクリマ)持ってねぇのか!!」

「奴隷だとッ? ふざけんな、うちの娘も乗っているんだぞ!!」

「アリアスー! アリアスは無事なの!?」

 

 

 そこからはまるでドミノ倒しのように、次々に人が動き出す。なにせルーシィの言ったことが本当ならば。もしかしたら、自分の家族が、愛した人が奴隷として他国に売り払われるかもしれないということなのだから!

 軍を呼びに走る人。船に乗っている女性たちを助けようとハシゴを取りに行く人。必死に我が子の名前を呼ぶ人。

 その様子にルーシィは安心した。これでもう女性たちは大丈夫だろう。この街はすぐそばに駐屯所がある。軍が来るまでそう時間はかからないはず。後は―――――

 未だ目を回しているハッピーを抱え、ルーシィは踵を返した。

 

 こうまですればボラたちに逃げ場はない。つまり、後のなくなった彼らが何を仕出かすか分からないということ。

 跳ねあがった危険性。しかし、それを理解しながらルーシィのつま先の行き先は船外ではない。向かうは混沌の中心―――――ボラのいる船長室。

 

 

( ナツさん……!! )

 

 

 ―――――どうにかナツたちを安全な場所に逃がさなくては。

 自分は星霊が居るのでボラたちの対処ができる。だからその間にナツとハッピーには逃げてもらうのだ。それが居合わせた魔導士としての自分のすべきことであり、あの時、たとえ偶然でも、自分を救ってくれた彼らへの恩返しだと。

 思わず噛みしめた奥歯からギリ、と音が鳴った。

 

 

 

「―――――待てやクソがァッ!」

 

 

 

 しかし、駆け足で船内へ入ろうとしたルーシィの目の前に―――――突如壁が聳え立つ。

 木でもコンクリートでもない肉の壁。それは女性たち(しょうひん)の監視に置かれていた、ボラの配下の男だった。

 

 

「好き勝手してくれたなクソアマーーーッ!」

 

 

 血走った眼球がルーシィを睨み付ける。船を港に押し上げた大波。男はその原因が目の前の少女であることを理解していた。

 唯一甲板に残っていた男は、遠目にだがルーシィが『何か』を呼び出し大波を起こしたのを見ていたのだ。あいにく対策をとるには波の到達が早すぎてそのまま流されてしまったが、男は確かに見ていた。それに加えて、打ち付けた頭を抱えていれば聞こえたルーシィの大声。きっともうすぐ軍が来る。そうなれば自分はどうなるか―――――それを理解していた。

 

 早く逃げなくては捕まってしまう。そう思いながらも、目の前のルーシィを素通りしていくことなんてできない。

 

 ―――――男は絵にかいたようなクズである。破落戸としてチンケな悪党をやっていたところをボラにスカウトされた、大勢いる社会不適合者のひとりだ。

 男は金と利益で雇われただけのクズなので、別にボラに忠誠を誓っているわけではないし他の男たちと親しいわけでもない。ボラの下で彼にケツ持ちをしてもらいながら、金を手に入れ女を好き勝手する外道を楽しんでいるだけである。

 それはほかの男たちも似たようなもの。どいつもこいつも、一応はボラをリーダーとしているがそこに忠誠があるわけではない。甘い汁をすするために媚を売っているだけの関係。

 

 そうだ、今日もそうやって楽しい思いができるはずだった。今までのようにこれからも!

 それを―――――この女が!

 

 捕まるなんてまっぴらごめんだ。軍からは絶対に逃げ切ってやる。けれど、それ以上に、この女にやり返してやらなくては気が済まない。地べたに這いつくばらせて尊厳など引きずり剥がして、絶望の中で汚く許しを乞うほどに分からせて(・・・・・)やるまでは!

 ―――――泣くまで殴って、壊れるまで犯して、そうだ、売ってしまおう。こんな上玉なら多少馬鹿になっても良い値が付く。この商売はもう駄目だろうが、せめてこいつだけでも!

 

 悲しきかな、結局は金がモノを言わせていた利害の仲間。男の頭の中には船内の男たちを助けるという考えはこれっぽっちもありはしなかった。

 渦巻くのは悪魔に品性を売ったとしか思えないような、低俗極まりない杜撰な策略。息荒く舌なめずりをしながらルーシィを見る男の、その嘗め回すような汚らわしい視線!

 非力な女。躾けてやるのはとりあえずここから離れてからだ。一発でも殴れば大人しくなるだろう。男はルーシィを捕まえるために襲いかかった。

 

 

「ひゃはははぁっ!!」

 

 

 ―――――しかし、それは男にとって痛恨の失態だった。

 確かにルーシィは華奢で非力な少女だ。だから男に捕まってしまえば、先ほどの船長室でのようにろくな抵抗もできず蹂躙されてしまうだろう。

 

 そう、―――――捕まってしまえば(・・・・・・・・)の話である。

 

 襲い来る大男を前に、ルーシィは目を細めた。そこにはおぞましい未来に対する絶望などなかった。

 彼女の指先が滑る。コンマの時間もかからずにそれは自身の手首にあるブレスレットへ。

 ―――――水晶のワンポイントが可愛らしいそれは、ただのアクセサリーではない。

 

 

「―――――」

 

 

 丸い薄桃色の水晶は極小の魔水晶(ラクリマ)―――――つまりこれは、正真正銘 魔法道具だ。

 

 男の腕がルーシィを掴むために伸ばされる。しかし大ぶりなそれは隙が多く、ルーシィの身体能力で難なく躱せた。

 回避のバックステップ。同時にブレスレットに触れていた指先から魔力を流せば、魔水晶(ラクリマ)を中心にブレスレッが白く発光し―――変形―――ルーシィの手の平でわずかに球体になり、長く(・・)長く(・・)伸びてゆく(・・・・・)

 

 男が体勢を整え、もう一度ルーシィに襲い掛かろうとして。

 しかしルーシィは至極冷静に、手の内の『ソレ』が変形を終えるのを待たず―――――勢い良くしならせた(・・・・・)

 

 

「ッが、!?」

 

 

 パシュルルル、と。

 その手首の軽やかなスナップは『ソレ』を巧みに操り―――――しなり(・・・)をあげた『ソレ』は男の首へ巻きついた。

 

 

「な、ナンだこれァっ!?」

 

 

 ルーシィの操った、ブレスレットが変形した『何か』―――――それは鞭。

 ボンデージ調のしなやかで黒く艶めかしい、まごうことなき長鞭(・・)である。

 

 この間、およそ2拍。あまりにも早すぎる一連の流れに男は反応すらできなかった。

 ルーシィは非力だが身体能力は悪くない。ましてやひとり旅をこなす彼女が、星霊以外に身を守るすべを持っていないはずがないのだ。

 圧倒的な格上や、完全に不意を突いたならまだしも―――――目の前から突撃してくる『的』に後れを取るほど、ルーシィは愚鈍ではない。

 

 

「ッテ、テメェ、! クソ、は、離せっ!」

 

 

 首は人間の急所だ。鞭が巻き付くちからは息を締め上げるほど強いわけではなかったが、『首を押さえられている』というのは精神面に大きな動揺を与える。男は瞬間冷静さを失った。わずかな圧迫感が死を思い起こさせる。

 生存本能がとっさにルーシィを捕まえようとしていた手で巻き付いた鞭を掴ませ、恐怖心が視線を含む全ての意識をそこに注いだ。

 それが男の敗因だった。

 

 

「―――――ごめんあそばせ」

 

 

 この鞭は、ルーシィが一人旅でも身を守れるように選んだ武器。さて、それがただブレスレットと鞭の形状を行き来できるだけのものだろうか。

 もちろん、否。

 

 頬に張り付く濡れた金髪(ブロンド)を耳にかけたルーシィは、天使のような柔らかい微笑みを携えてとっておきのギミックを起動した。

 

 

「ぎッ、!!!!」 

 

 

 

 ――――― ぎあア゛ぁァアア゛ア゛ァあああ゛ ッ !! !!!

 

 

 

 魔力を孕んだ閃光が音を置き去りに。

 遅れたそれはバヂヂヂヂヂヂヂヂッッ!! と空気を引き裂き、鞭から伝う(いかずち)は男を容赦なく蹂躙した。

 

 

 

 

 

 

「ふう、―――――いやですわ、あまり淑女にはしたない真似をさせないでくださいませ……」

「……ルーシィって意外とエグいね」

「まあ! ハッピーさん、目を覚まされたのですね」

 

 

 安堵のような息を吐きながら黒焦げになり倒れ伏す男に苦言を呈すルーシィに、ようやく脳みそシェイクから回復したハッピーはちょっと引いた。

 目を覚まして一番最初に見たのがルーシィの鞭捌きだったのだ。お嬢様然としていた彼女とのギャップに、朦朧とした意識は一瞬で覚醒した。ハッピーがただのネコだったらトラウマものである。

 

 

「あっ、それよりっ!」

 

 

 しかし今のルーシィはハッピーの視線を気にすることなく、ハッとしてナツのいる船内に入ろうとして―――――はて、と眉を下げて困った。

 

 ルーシィが今しがた昏倒させた男は、ものすごく巨体だった。その体が船内につながる扉の前に倒れ伏しているのだ。

 ものすごく邪魔で入れない。

 男には意識が無いため、声をかけてもどいてくれない。というか意識があってもどけてはくれないだろうが。

 困り果てたルーシィは男を見、それから自分の足を見た。

 履いていた靴は海に落ちた時に落としてしまったので、今のルーシィは裸足である。いや、ストッキングは履いているのだが、それも穴だらけになってしまって余計にみすぼらしい。

 

 

「……仕方ありませんわ。お許しになってね」

 

 

 白目をむいた男に語り掛けたルーシィは、伸縮しないシルク生地のドレスを捲り上げることで足の可動域を広げ、そのまま素足で男の体に登った。跨ぐには男が大きすぎてこれしか方法が無かったのだもの。

 

 ちなみに、電気鞭で容赦なく気絶させたくせに体の上を歩くことは申し訳なく思うという謎の倫理観に、ハッピーは普通に引いた。なんでそこで躊躇うの????

 

 慣れな足場の感触にヨロつきながらもわたり切ったルーシィは男へ申し訳なさそうに頭を下げ、すぐに意識を切り替えて船長室へ走り出す。

 ―――――どうか、ナツが無事であることを祈りながら。

 

 

 






『 いいこと、ルーシィ。神さまはいらっしゃるわ。 』


 おかあさまはそうおっしゃって、わたくしのあたまを やさしくなでて くださいました。
 ベッドの上でからだをおこして、そばにいたいとせがむ わたくしのために、いくつかのおはなしをしてくださいました。


『 不幸なこともあるでしょう。恐ろしいこともあるでしょう。 』
『 それでも神さまは見ていらっしゃいます。 』

『 貴女はとってもいい子。人を愛し、心美しく、誰かの思いを大切にする、優しい子。 』


 おかあさまがほめてくださると、わたくしは じぶんがせかいでいちばんりっぱな子 なのだと思えました。
 だから思うのです。ならばおかあさまのおっしゃるような、りっぱな人になろうと。おかあさまの思いに はじないようないい子になろうと。


『 だから大丈夫よルーシィ。たとえ悲しいことがあっても、必ず貴女は幸せになれるわ。 』
『 神さまはあなたのことを見ていらっしゃる。貴女のことを愛してくださっている。 』

『 いいこと、ルーシィ。神さまはいらっしゃるわ。 』







 ―――――本当にそうでしょうか。

 神さまはいらっしゃるのでしょうか。わたくしのことを見てくださっているのでしょうか。
 わたくしは本当に『しあわせ』になれるのでしょうか。

 ―――――不幸なのは、わたくしが、悪い子になったからではなくて?

 お母さま。お母さま。
 お母さまは、今のわたくしを見て、どう思われるのでしょう。

 ―――――ああ、ごめんなさい。



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