目の前の少女が、先の方から徐々に薄れゆく。
最愛にして最高のパートナー、JAS39D‐ANMグリペンは涙ながらに笑みを浮かべこちらを向いていた。
俺も微笑み返す、互いに手を握りながら。
「大好きだから」
「ああ」
俺もだよグリペン。
「ずっとずっと大好きだから」
「ああ、ああ」
ずっと、これからもお前と一緒に空を飛んでやる。あのときの願いを、約束を果たそう。
「私たちはいつまでも貴方と一緒だから」
そう言う間にも、彼女の体は最早胴体までも消えかかっていた。
これで今生の別れというわけではない。俺はこのザイの消滅する世界で、人類の新しい可能性を見つけるために空を駆る。お前に意思を込めて、操縦桿を握りしめて。
_____
真っ白な光が辺りを強く照らしている中、俺たちは最後の最後まで手を離さなかった。
目を開けるとそこは知らない天井だった__というわけでもなく、キャノピーに座していた。
マップを見ると、JAS39はベラヤ基地への帰路を辿っていた。予め自動操縦にしていたため一定の速度で飛んでいたみたいだ。
もう後方の操縦席には愛しい人の姿はない。だがはっきりとわかる。
「さあ、急いで帰ろうかグリペン。皆が祝賀会の準備をして待っているだろう。豪勢な食べ物もたくさん用意されているかもな」
独り言気味に話しかけると、目の前のモニターが明滅する。やっぱり食欲には勝てないらしい。そもそもこの姿でどうやって食べるというのか。
_____そう、彼女は肉体こそ失ったものの、JAS39の機体にその魂を残し、俺の翼に、矛になった。
大丈夫、大事なのは体ではなく魂で繋がっているかどうか。
グリペンと永遠に愛し合い、いつまでも隣に寄り添いあうと決めた。だからまずは。
「帰ろう、八代通さんの、技本の人たちの所へ」
あと各国のお偉いさんもな。
あたかも恋人同士が愛しさを込めて手を握り合うかのように、しっかりと操縦桿を握りしめた。
ベラヤへと帰り着くとき、たくさんの人たちが外に出ているのが小さく見えた。無線で予め作戦成功の旨は伝えていたので、今頃は熱気と喜びで満ち溢れているだろう。こういうのってキャノピーから降りた瞬間に寄ってたかられて胴上げでもされるのだろうか。もみくちゃにされないことを祈ろう。
なんてことを考えていたら、不意に無線に不規則で大きめのノイズが入った。はっとすると
、もう着陸準備をしなければならない距離であった。危ない、ここに来て着陸できず墜落となるとコントもいいところだ。
「すまん、この後のことを考えてた。警告してくれてありがとうな」
全く、慧はもう少し緊張を保つべき。
そう言うかの如く機体が唸る。面目ない。
ギリギリとはいえど、今のグリペンはただの有人戦闘機。速度も通常のそれと同じくらいだ。スムーズに着陸準備を整えて、無事滑走路にランディング。問題なく着陸した。
「お疲れ様、グリペン」
機体から長い唸りが発せられた。
「……おかしいな、さっきまでの人だかりは何だったんだ?よもや俺の見間違いか?」
先ほどまで見えていた黒山は、着陸を終える頃にはまるで幻覚だったかのようにさっぱりと消えていた。
そのままエプロンに誘導されて、ようやっと止まる。次いでキャノピーを開けると。
「よう、お疲れさん!
「あ、あれ…?」
迎えてくれたのは舟戸を中心とするいつもの技本整備員の人たちであった。
おかしい。外に見えなかったから、中で待機してた大勢が一斉にわあっと駆け寄ってくるのかと思ってたのに。
「あの、外の皆は?」
「ああ、あれはお前さんの帰りを待ってた人たちだ。機体のシルエットを見るなり大急ぎで準備しに行ったよ」
「準備?」
とそのとき、グリペンが急かすようにエンジンを咆哮させる。こいつもしかしてお腹空いてるんじゃないのか。
「落ち着けグリペン。まずは無事に帰還できたことを喜ぼうぜ」
そういって計器を撫でてやる。すると瞬く間に騒音は音を小さくしていく。なんとかおとなしくしてくれたようだ。
「フナさん、こいつを早く整備してやってください。流石に疲れが来たみたいです」
「お、おう。そいつぁもちろんだが……」
フナさんは軽く戸惑っているようだ。無理もない、JAS39が撫でられておとなしくなるという、まるで人間のような挙動をしたからだろう。今説明するのもぐだぐだしそうだし、ごまかすか。
「ところでフナさん、準備とは?」
「あ、ああ。休憩スペースでプチ祝賀会を開くことになっててよ、それの準備らしい。まだ時間はかかるだろうから、先に室長に顔見せてやりな。執務スペースにいるだろうさ」
舟戸は思い出したように言う。しかしまだ戸惑いの色は残っている。まあここは素直に従っておこう。
「フナさんたちは準備には参加しないんですか?」
「ああ、俺たちは待っててくれと言われたんだ。だから軽く機体を見てやろうと思ってな」
一応技本は主賓扱いなのだろうか。まあ、この作戦の要だったからそうと言われればそうかもしれないが。
「分かりました。じゃ、グリペン。行ってくるな」
艦首に触れながらそう告げて、エプロンを後にした。
執務スペースへとたどり着く。
コン、コン。
「八代通さん。俺です、鳴谷です」
『入りたまえ』
許可をもらい、扉を開ける。八代通は椅子に座ってこちらを向いていた。
「……作戦、無事成功しました。ザイはもう現れません。俺たちは勝ったんです」
「ああ、そうみたいだな。おめでとう、君は対ザイ戦の英雄だ………して、アニマたちは」
「はい。皆消えていきました。」
「そうみたいだな。君以外の機体も自動操縦でここに帰ってきた。アニマの固有色も消え、ただの戦闘機になっていたのが無事に完了した何よりの証だろう」
八代通の顔はいつも通り不遜さをにじませていたが、今は若干安堵の色が見えていた。
「しかし我々の戦いは終わらない。むしろここからが本番だろう。これからどう生きるか、何をすればより良い人類の生活に改善できるのか。君もこれから忙しくなるぞ、英雄君」
「……グリペンは『
「新しい時代を、か……いい言葉じゃないか」
八代通が立ち上がり、こちらに手を差し出してきた。
「新しい時代を」
彼の手を強く握る。
「新しい時代を」
数秒ののちお互いに手を離した。そのまま八代通は椅子に座り直し、煙草を一本取りだして吸い始めた。
「ま、何はともあれ人類の未来が開けたのをまずは祝福しないとな。君、祝賀会の話は聞いているかね?」
適当な椅子に腰をかける。
「はい、ここに来る前にフナさんから。プチって言ってましたがまた後日やるんですか?」
「当たり前だろう。ここベラヤ基地には本来大人数でパーティをするような食糧や施設は存在していない。それでも先に祝わずにはいられないのだろうよ。いずれ各国のお偉いさんを正式に招待し、生中継ありインタビューありの壮大な式典になるだろうな」
「……あの、その式典に俺は」
途端に嫌な予感が背中を駆け上がる。
「もちろん参加してもらうつもりだ、というか君が参加しないでどうする。アニマたちが消えた今、ザイを倒したのは事実上君一人なのだぞ。当然主賓扱いだ。メディアに露出することも十分あり得る」
「……やっぱそうですよねぇ」
そうなると明華にバレてしまう。それは非常にまずい。なんせ最後までザイと戦っていることを言えないまま離れ離れになってしまったのだ。それが突然幼馴染がテレビに出演したと思ったら「ザイを退けた英雄、鳴谷慧さんです」なんて紹介されたら彼女はどう思うだろう。
「なんだ、なにかまずいことでもあるのかね」
「いえ、まずいことと言いますか……」
もう終わったことだから、明華や家族に今までザイと戦っていることを隠していたことを八代通に伝えた。
「まあ、そういうわけで明華に顔向けできないというか…そんな感じです」
すべて話し終えると、八代通は呆れた顔を浮かべた。
「…はぁ、よくも今まで隠し通したものだな。逆になぜ言わなかったのだ」
「それは……パイロットになるのは明華から反対されてて。危ないからって」
「明華さんももうシンガポールなんだろう。だったら君の自由にしていいのではないか?君の功績ならパイロットへの推薦なんかもあり得る」
「まぁ…そうですよね」
明華とはずっと一緒にいたからこそ守り守られの関係が意味をなしていたが、もう彼女とは離れ離れになってしまったため今なら誰にも反対されないだろう。
……それに。
「俺、グリペンと約束したんです。ずっと一緒にいよう、一緒に空を飛び続けようって。だからやっぱりライセンスは取らないと」
「グリペンと?彼女は他と同じように消えたはずでは」
八代通が怪訝な視線を送ってきたので、今のJAS39にグリペンの魂が宿っていることを説明した。
・・・・・・
「なるほど、グリペンの精神が機体に、か」
「はい。証拠も現実味もありませんが、ちゃんと操縦桿を握れば答えてくれるんです」
「オカルトの類は信じないタイプなんだがな、グリペンと何十回も前から繋がっている君の言葉だ、調べてみる価値はある」
そう言うと八代通は加えていた煙草を灰皿に押し付け立ち上がった。
「何はともあれ、だ。君はこれから忙しくなるぞ。しっかり頑張ってくれたまえ」
「……はい!」
プチ祝賀会はプチとは思えないほど豪勢に開かれた。
ある人には肩を組まれ、ある人には食べ物をたんと取って持ってこられて、果てにはかつてテレビで見たシャンパンの噴出までさせられる始末。
流石に疲れが来て、人混みを抜けて壁にもたれかかる。
今はみんな羽目を外して楽しんでいるが、今となっては、限られた資源を使い尽くす今の人間社会の縮図を見ているようで、このパーティがどうしようもなく無駄なものに感じられた。確かにザイが消えたのは喜ばしいことだ。しかしそれは、これからもこのままでいいということとイコールにはならない。
自分たち人間は考えなければならない。今の状況を抜け出さなければならない。
「はぁ……この調子だとまだまだ指針を固められるのは先になりそうだな……」
人間というものはどうしてこうも愚かなのだろう。
「……グリペン」
今は無き想い人の姿を隣に幻視する。もし彼女が今存在したならば、このパーティも大いに楽しめたのだろうか。
「……やめだやめだ」
そのままつつがなくパーティを楽しんで、頃合いを見て自室に戻ろう。今日は肉体よりも精神が大きく疲弊した。戻って早く寝るとするか。
気付けば、目の前には雄大な景色が広がっていた。
見えるのは忘れもしない、かつて蛍橋三尉が、自分が、グリペンと見た小松のもの。二人が結ばれた思い出の地だ。
だが今はベラヤにいたはずでは。寝ている間にベラヤからここまで運ばれた、なんてことは間違ってもないだろう。
「て、ことはここは夢の中かな」
夢に見るほど、グリペンが隣にいないことが堪えたのだろうか。そう言われればそうかもしれない。いくら翼になってくれているとはいえ、あの手の温もりも、もう感じられはしない。彼女は〈本質〉へと還元されてしまったのだから。
「……ここにいても仕方がない。せっかくの夢の中だ、気分転換にどこか行こうか」
そう呟いて、後ろを振り向こうとした瞬間。
「……慧?」
「………え?」
本来聞こえるはずのない声。もう聞けないと思っていた声。願わくばもう一度聞きたいと思っていた声。
今しがた耳にしたものは余りに現実離れしていた。恐る恐る後ろを振り向く。
「……っ、グリペン…」
「慧…?慧なの……?」
ペールピンクの艶やかな長髪、灰色のガラス玉のような瞳、白いポンチョブラウス。
つい先ほど、永遠の別れとなったはずの最愛、グリペンが驚愕した表情で佇んでいた。
「………あ、ああ」
どうしてここに。〈本質〉へと還元されたはずでは。
溢れ出る数々の疑問を全て押し込んで、自然と足が動く。いつの間にか目には堪えきれない涙が浮かんでいた。走れ、走れ、彼女のもとへ!
「……グリペンっ!」
「……慧!」
ギュッと強く、その体を抱きしめた。お互いの存在を確かめるように、もう二度と離すまいと。二人の間にもはや言葉は必要なかった。
「グリペン……グリペン!」
「慧………慧っ……!」
ガラス玉の瞳を見つめる。彼女もまた泣いていた。顔をつたってとめどなく流れていく涙。目の前の愛しの存在は泣きながらこの状況に困惑して、なおかつ喜んでいるような表情を浮かべていた、案外自分も似たような表情をしているのかもしれない。
「……んっ」
気付けば、どちらからともなく唇を重ねていた。すぐに離したが、まだまだ物足りなくなって、もう一度。
二人が身を離すのは、それからかなり後になってからだった。