ツバえもん 作:蓋をして蒸し焼き……
遠くもない、しかし近くもない未来からやってきた謎のアンドロイド──────ツバえもん。
自己紹介が終わった後、
曰く、これからは家庭教師として勉強や生活面での指導をすることになる。
曰く、
…………もっとも、度が過ぎる場合はその限りではない。それが主人にとって害をなす毒であれば、速やかに是正させてもらう。
などなど。要は、“ちゃんと規則正しい生活を送りましょう。改善は自分のペースでいいからね”と言うわけだ。
対し、甜花は頷き──────それから一日経った。
「……………」
「甜花ちゃーん? 昨日からずっと目が点になってるよ?」
甜花の頭は、まだ混乱していた。
実のところ、内容の九割は頭から通り抜けている。頷いたのは、ただの生返事であった。
オーディションを受け、未来人と対面し、一日の情報処理能力を使い果たした甜花は上の空になる他なかった。
今日はもうご飯食べて、お風呂に入って、温かくして寝ようとしか考えていなかったため、情報を整理することを諦めてしまったのである。
「甜花ちゃん!」
「ひんっ!? あ、なーちゃん………どしたの…………?」
「どしたの、じゃないよ! 甘奈が話しかけてもずっと返事してくれないんだもん! もしかして、疲れちゃた?」
はっ、として見れば、甘奈が心配そうに顔をのぞき込んでいた。
甜花たちは早速、アイドル候補生として準備をしている。大崎姉妹も例にもれず、挨拶回りを兼ねて事務所を見学している。
ここはレッスンルーム。壁一面の鏡を前に、甜花たちよりも先にアイドルになった先輩たちは真剣な表情で自分と向き合っている。
この光景を見た甜花の中に、不安が芽吹き始めた。
「ごめんなさい、なーちゃん………ちょっぴり、考えごとしてた………アイドル、できるのかな………って。ダンスとか、その、甜花……運動、へたっぴだし…………」
「大丈夫! 甘奈も初めてだし、一緒に頑張ろ!」
「…………にへへ。なーちゃんが一緒なら………甜花、頑張ってみる」
こういう時の甘奈に、甜花は何度救われたことか。
………もしかしたら、未来とやらで最も迷惑を被っているのは、隣で笑顔を見せている甘奈なのかもしれない。充分に有り得そうな未来だ。
これまでの多大な恩に報いるためにも、一層危機感が湧いてきた甜花であった。
「あの、なーちゃん、って、ツバ───家庭教師さんのこと、知ってた?」
「うん、甘奈は知ってたよ。暇があったら、甘奈も勉強見てもらうんだー☆」
甜花がこのような質問をしたのには訳がある。
ツバえもんのことをどう説明しようか頭を抱えていた甜花であった。
しかし、現実は斜め上の方向に進んでしまった。
『どうかな、家庭教師さん?』
『バランスの良い献立である───と同時に驚嘆した。主人の体型維持の秘訣は貴殿の料理だったのか。情報を更新するとしよう』
『えへへ、ありがとー☆』
心配を他所に、彼は普通に我が家の夕食を共にしていた。甘奈を始めとして、両親も、家庭教師の名乗る男が押しかけていたにもかかわらず快く迎え入れていた。
当時は状況が飲み込めてなかったので後回ししてしまったが、今思えばかなり不自然だ。なぜ、甜花以外の家族が
「それって、いつごろからきいてた、の?」
「うーん、いつだっけ? 三日くらい前かな? それがどうかしたの?」
「う、ううん……きにしないで。ありがと、なーちゃん」
甜花の記憶をここ三日間を遡っても、そう言った動きは全く感じられなかった。学校や甘奈と遊びに行くとき以外では、基本的に大崎家の自宅警備を担っている甜花だからこそ、自信をもって断言できる。
───も、もしかして、記憶とか、
飛躍しすぎた思考だが、タイムトラベルやら未来の親族やらアンドロイドやら、非現実的な体験は昨日だけでも充分に経験した。記憶の改竄くらい、あり得てもおかしくない。
甘奈に心配をかけるのは不本意なので、これ以上は掘り下げないことにした。気は乗らないが、帰ったら本人に直接聞こうと思った時───背後から声をかけられた。
「お疲れ様。調子はどうだ、二人とも?」
「あ、プロデューサー……さん……」
「お疲れさまー☆ プロデューサーさん、今日は一日事務所にいる予定じゃなかったっけ?」
駆け寄ってきたのは、甜花たちのプロデューサー。鞄を手にしていたことから、外回りの帰りに事務所に寄らないまま二人に会いに来たようだ。
昨日初めて会ったばかりだが、人見知りの甜花であっても親しみやすい雰囲気の大人。そんな彼は少しばかり嬉しそうにしていた。
「その予定だったんだが、ちょっと二人に話をしておきたいことがあってな。今、ちょっといいか?」
「はーい。行こっ、甜花ちゃん」
「う、うん…………」
甘奈に手を引かれ、プロデューサーの後をついていく。ほんのりと包み込む手は、空を覆う雲から差し込む陽のように、甜花の心に温もりを届けてくれる。
根本的な問題は解決していないが、ひとまず安心した甜花は、事務所のソファに座る。
このままお昼寝コースに行きたい欲求を抑えながら、プロデューサーの言葉に耳を傾ける。
「さて、実は二人のデビューの話なんだが…………」
「えっ、デビュー!? もう!?」
「ああ、いや待ってくれ。実際はもうちょっと先の話だけどな」
プロデューサーの補足に一安心する甜花。
いきなり『ステージに上がれ』なんて突き飛ばされるようなスパルタ教育はなさそうだった。
では、一体何の話なのか。
仕切り直すように、プロデューサーは一呼吸分、間をおいてから切り出した。
「実は、この前スカウトできた候補生がいてな。その人とユニットを組んでもらおうと思っているんだ」
ユニット。
ソロでも、デュエットでもない。
プロデューサーから告げられた言葉を、甜花は懸命に噛み砕く。
「な、なーちゃんと……甜花以外にもう一人……一緒にお仕事する、の?」
甜花が恐る恐る聞いてみたら、プロデューサーは頷いた。ただし、額に手を当て、少し困ったように苦笑いをしながら、だが。
「まあ、まだ具体的な構想は決まってないんだけどな。一度顔合わせして、甜花たちと相性が合わなそうなら考え直す予定なんだ」
まだ企画としては挙げられていない段階ということらしい。なるほど、ユニットを組むことは決定事項ではないらしい。
だが、彼はプロデューサーだ。
完全にノープランというわけではなく、そのスカウトしてきた人間と、大崎姉妹を組み合わせることがいい、と直感的に感じているからこその提案なのだろう。
「で、早速で悪いんだが……二人とも。明日、時間取れるか?」
「甘奈は平気だよー。甜花ちゃんはどうする?」
急なお願いで悪いな、と申し訳なさそうな表情を浮かべるプロデューサーと、快諾する甘奈。二人はそのまま甜花へと視線を移す。
「………………」
「甜花?」
「て、甜花も、だいじょぶ………たぶん」
そう口にするものの、小声で目を逸らす甜花。
大丈夫、とはっきりと言いたかったが、この体は内心を隠せないようにできていた。
そんな様子を見て、甘奈とプロデューサーはお互い視線を合わせ、頷く。
「甜花。相手は少し年上だけど、怖くないし、優しい性格なのは俺が保証する。ただ、無理そうなら、素直に言っていいからな」
「甘奈もついてるから! いざとなったら甜花ちゃんを守るからね!」
ありがたいことに、二人は甜花をフォローすると言ってくれた。
甜花は思った。
アイドルのことは、まだよくわからない。
だが、こんなところで立ち止まっていては、アイドルなんかなれっこないのは確かだ。
やろうと言ってくれた甘奈のために、甜花に魅力を見出してくれたプロデューサーのためにも、ここは腹を括ろう。
「甜花……頑張りましゅ!」
噛んでしまった。
◆◆◆
そして、その日の夜。
帰宅した甜花は、部屋で学校の課題に取り組んでいた。甜花も高校生。学生の本業は勉強である。アイドルを始めたからと言え、課題は減るものではない。
「無理…………助けて……………」
早速、打ちのめされていた。
その様子を受けても、何一つ表情を変えない
「支障なし。
随分な物言いが飛んでくるが、学校の課題ではない。
課題の量はそこまで多くなかったし、何より家庭教師の教え方が実に上手い。
甜花が解けない問題を先回りするように解き方を教えてくれたため、悩む時間すら与えないままあっという間に終わってしまった。
そして、次に直面するのは、明日の顔合わせである。昼間、啖呵を切ったのは良いものの、不安は完全に解消されたわけではないのだ。
「うう、どうしたらいいの、かな……?」
「情報不足により判断不可能。
「あ、ごめんなさい…………」
経緯をツバえもんに説明する。
たどたどしい説明であるものの、途中で言い換えて確認を取りながら、しっかりと甜花に向き合うツバえもん。
で、甜花が悩んでいることは、つまるところ──────
「えと……何話したらいいか、わかんない………どんな人かもわかんないから、怖い………社長さんみたいな人だったら、どうしよう、って思うと……」
「そういえば、貴殿は重度のコミュニケーション障害を患っているとデータに記載があった…………残念だが、この時代では処方箋を用意しても無意味である」
他人事のように、無機質な反応が返ってきた。ところが、甜花にとっては最後の言葉に気を引かれてしまった。どうやら、コミュ障は薬で治る素晴らしい時代が来るらしい。
「ふむ、情報と経験の不足から、漠然とした不安を抱いていると認識。だが、さして問題はないと判断」
バッサリと、ツバえもんは甜花の悩みを切り捨てた。
甜花が何か言おうとする前に、ツバえもんは手で制す。この行為に「最後まで聞け」という意味が込められていることは誰が見てもわかることだろう。
「そも、
「あ、あぅ……………」
甜花自身、もっともだと思った。
甘奈は、甜花と正反対の社交的な性格だ。何かあれば仲裁に入ってくれる。
プロデューサーは、ユニットの結成の可否について、最終的な決定権を持っている。無理だったら言ってくれ、と言っているとおり、ユニットを組むことは困難と判断すれば、必ず別々のユニットにするはずだ。
結局のところ、顔合わせで成功しようが失敗しようが、何も問題はないのだ。
…………ああ、なんて、甜花にとって心の重荷が減る言葉だろうか。
その場にいるだけで話が進む。その間、レッスンや挨拶回りに行かなくても良い。これほど“楽”な話はないだろう。
「で、でもっ」
ただ、それでいいのか?
そもそもアイドルになろうとした理由は何だった?
甘奈に誘われたから? 確かにそれもあるだろう。だが、それはきっかけだ。
「なーちゃんや、プロデューサーさんばっか、困らせちゃうのは、嫌………甜花も、お話くらい、できるように、ならなきゃ…………!」
もじもじとさせていた手を、ぎゅっと握りしめる。
甜花は、自分にできることはやりたいと思った。ただ置物のように、甘奈やプロデューサーの後ろで縮こまったままではいけない。
「でも、甜花、何をすればいいか……わかんないから……えっと──────つ、ツバえもんさん。助けて、くだひゃい!」
噛んでしまった。
あぅ、と言葉を溢しながら萎縮してしまう甜花。
…………チック、タック、チック、タック。
静かに、秒針とパソコンのファンが協奏する音だけが耳に入る。甜花も、ツバえもんも、ただただ黙ったままだ。
ゆっくりと、ツバえもんの顔を覗く甜花。
光の反射で、レンズ越しから目元は伺えないが、口元は相変わらず変わらない。
しかし、甜花としては思っていることを全て伝えることはできた。
凛々しく、なんていられるとは思えないが──────強くなろうと、思ったことに偽りはない。
「委細承知──────これより“
であれば、その願いに答えるのが、このツバえもん。
その曇りなきレンズは、最善の未来を見通すものである──────
甜花ちゃんってね、めっちゃかわいーんだー☆ 今日は一日中ぼーっとしててちょっと心配だったけど、そんなだらしなーい甜花ちゃんの横顔もいいんだよねー。でも、ぼーっとしてたから、今日も朝ごはんも食べさせてあげたんだ! 知ってた?甜花ちゃんって、あんまりお口大きくないから、パンとか食べるとき、ハムスターみたいにガジガジーって感じで少しずつ食べるんだー♡ だから甘奈もつい朝ごはんたくさん作っちゃ