ツバえもん 作:蓋をして蒸し焼き……
仕事であれプライベートであれ、人間社会で生きる以上、初対面の人間と接することは避けられない。
その苦手意識の克服は、家の自宅警備を生業としていては絶対に達成できない。ダメ人間からの更生には必要な一歩であるのだ。
「まずは
「え?」
きょとん、としてしまう甜花。
ここで、甜花は会うことが目的になってしまっており、その先のことまで考えが及んでいなかったことに気付かされた。
どうなりたいのか考える。
プロデューサーがスカウトしてきた人。どんな人かわからない。明日さえ乗り切れれば、その場限りでいいのか。
…………違う、甜花としては──────
「仲良く、なれたら……いいな……」
「よろしい。では、良好な関係を築き上げることを
「秘密道具っ!」
秘密道具、と聞いて、甜花は大きく反応した。
例えば、人ひとりを飛ばすことができる竹とんぼや、あらゆる場所につながる扉。
───そして、タイムマシン。現代では到底実現できない、夢のような道具をイメージした。
………ところが、甜花に差し出されたものは、現代でもよく見るものあった。
「め、めがね……?」
レンズの輝きやフレームの艷やかな曲線美は手入れが行き届いてる証かもしれないが、何の変哲もない眼鏡である。
───先程までツバえもんが身につけていたものである、という点を除けば。
「これは未来の科学力、技術力を結集させて作られた『つけるだけでめっちゃ☆頭良くなる君』である」
「………え?」
「『つけるだけでめっちゃ☆頭良くなる君』である」
聞き間違いだと思い、つい二度聞いてしまう。
甜花の目の前にいるモノが発した言葉が、その外見からはあまりにも遠いように感じる単語であったからだ。
「………名前からして知性の欠片も感じられないという、貴殿の心情には理解を示そう。正式名称は別にある」
ツバえもんの眉間に皺が寄る。
信じられないほど、ヘンテコなネーミングであることはツバえもん自身も把握しているようだ。
けれど、それは正真正銘の未来の叡智。
現代の科学者がいくら背伸びしても届かない高度な技術力の結晶である。
「この秘密道具で貴殿の脳の働きを活性化させることが可能だ。使い方次第では、擬似的な未来視も行える」
「おぉ………なんか、すごそう…………」
「然り。此度はこの『つけるだけでめっちゃ☆頭良くなる君』による、より高度かつ正確性のあるシュミレーションを行うことを提案する」
「……………」
チック、タック。
再び、秒針とパソコンの協奏が部屋を支配する。ツバえもんの提案を受け、甜花は押し黙ってしまった。
躊躇するのも無理はない。
アンドロイドが身につけていたという点で、生身の人間が身につけていいものなのかはわからない。それを判断する術は、甜花にはない。
そもそも、何故それを甜花がやらなければならないのか。ツバえもんがシュミレートし、正解を甜花に教えれば済む話のように思えるだろう。
否、それでは意味がない。
これは“ダメ人間更生プログラム”。
甜花の更生には必要なことだからだ。
「……対人スキルというものは、トライアンドエラーの積み重ねによって培われるもの。誰しも『ああするべきか』『こうするべきか』と思考し、実行し、失敗した後は、『どうするべきだったか』と振り返り、また思考する───その繰り返しだ」
それは人と関わり合う機会が多ければ多いほど洗練されていくもの。当然、少なければそれだけ人見知りは加速する。
結局は、何事も本番あるのみ、と男は言った。
「こと、対人関係に完全な正解はない。だからこそ、貴殿なりに考え、貴殿なりの最適解を探して、実践することが益のある訓練になるのだ」
「甜花なりの…………」
その言葉は、甜花を納得させるためには充分だった。甜花に欠けているのは、家族以外とのコミュニケーションの経験数だと言うことは、自身が最も知っている。
ツバえもんは、座り込む甜花の前に眼鏡を置く。
あの二人に任せて、成り行きを見守るのもよし。
ツバえもんに頼らないで、甜花が何かしら行動するのもよし。
ただ、選ぶのは甘奈でもプロデューサーでもない。あくまで自分の意志で選べ───と、視線から彼の意図を読み取れた。
……しかし、先の甘奈が家庭教師のことを知っていたことに違和感がある以上、この眼鏡にあまり触れたくないのが本音だ。
だが──────
「…………失敗しちゃったら……なーちゃんやプロデューサーさんに、迷惑……かけちゃう……!」
必死に己に言い聞かせ、甜花は眼鏡に手を伸ばす。ツバえもんの提案に乗り、目を瞑りながら眼鏡をかけた。
「………これはヒントだが、初対面の人間を相手にする際、個人差はあれど心拍数が上昇する人間が多数である。不安を感じている人間は、だけではないかもしれないぞ」
甜花の記憶は、ここで途切れた。
◆◆◆
「あぅぅ…………」
次の日、甜花はグロッキーな状態であった。
睡眠はしっかり取ったはずなのに、夜通しゲームしたまま朝を迎えた時の気だるさが襲いかかっていた。
「甜花ちゃん、体調よくないの? もしかして、徹夜でゲームしてた?」
「う、ううん……平気……ちょっと頭痛いだけ……ありがと、なーちゃん……」
ぎゅっ、と手を握る甘奈の手を、甜花は握り返す。掌から伝わる温もりは、今にも飛び出しそうな心臓を落ち着かせてくれ───るほど、間は良くなかった。
「すみませ〜ん」
「ひうっ!?」
体調不良と疲労が一瞬で吹き飛ぶ。
代わりに感じる二人分の気配。間違いなく、プロデューサーと件の新しいアイドルだ。
口の中の水分がなくなっていく。ついさっきまで必死に考えてきた話題すら、気を抜いたら風船のように飛んでしまいそうだ。
「紹介するよ。この間、この283プロの仲間になった“桑山千雪”さんだ」
「桑山千雪です。よろしくお願いします」
物腰柔らかくお辞儀をすると、ふわりと花の香りが鼻をくすぐる。まっすぐと、それでいて柔和な笑顔が眩しく映る。落ち着いた佇まいは甜花とは真逆の“大人”を体現していた。
「千雪、この二人がオーディションでここに入ってきた……」
「大崎甘奈ですっ。よろしくお願いしまーす☆」
今度は甜花たちが自己紹介する番だ。
甘奈はそつなく───それでいて親しみやすいように適度に敬語を崩して話す。
甘奈のこの親しみやすさは、今の甜花ではどれだけ背伸びしても届かない性質だ。
「甜花ちゃん。ほらっ」
「う、うん…………!」
で、最後に甜花の番が来た。
反射的に隠れてしまった
「あ、あの………あうっ!?」
「甜花ちゃん!?」
「甜花!?」
「だ、大丈夫!?」
何もない、フローリングで転びそうになる甜花。甘奈やプロデューサーたちが駆け寄る前に、辛くも震える足で何とかバランスを保つことができた。
反面、甜花の心は折れかけていた。
行動のひとつひとつがどんくさくて、惨めで、泣きたくて、帰りたくて───失敗ばかりで何がなんだかわからなくなってしまった。
半ばどころか、ほとんどやけっぱちながら、何とか甜花は千雪の前にたどり着き──────
「こ、これっ!!」
どこからか取り出した、紙袋を千雪の胸に押し付けた。
………千雪も、甘奈も、プロデューサーも、甜花の予想外の行動に面食らう。
突然渡された側の千雪は、なし崩し的に受け取ってしまった紙袋の中を開ける。
すると──────香ばしい匂いが、仄かに広がった。
「まあ、たい焼き!」
中身を見てみると、泳げないお魚さんたちが並んでいた。甜花が強めに握ってしまったのだろう。気のせいか形が歪になってしまったようだ。
しかし、これは一体なんなのか。
意図を問うように、三人の視線が甜花に集中する。気を許している人の割合が多いためか、甜花はたとだとしくも言葉を紡ぐ。
「えっと……その、食べながら、ちょっとだけ、お話…………し、しません、か?」
「えっ、これ、並ばないと買えないめっちゃ人気のやつだよね!? 甜花ちゃん、いつの間に買ってたの!?」
「お話……するなら、お菓子とか、あった方がいいと、思って……来る途中に、買ってきた……あんまり、並ばなかったし……」
これが、甜花が導き出した答え。
甜花には初対面の人間を相手にするような話術はない。知識もない。何より、度胸が足りない。何もかもが不足している以上、何かしら緩衝材を持ち込むしか考えられなかった。
で、最後の関門であるが──────
「…………嫌い、でした?」
「大丈夫。大好きですっ♪」
良かった。これでたい焼きが嫌いだったら何もかもが台無しになっていた。千雪が笑顔につられて、甜花の表情に安堵の笑みが咲いた。
「せっかくだし、私、お茶入れてきますね」
「甘奈も行く………あっ、ごめんなさい」
「ふふ、そこまでかしこまらなくていいですよー。私も、甘奈ちゃん、甜花ちゃん、って呼ばせてもらうから、ね?」
「はーい! じゃあ、甘奈は“千雪さん”って呼ばせてもらうね☆」
「てっ、甜花もっ……!」
「ええ。よろしくね、二人とも」
甘奈と千雪が、給湯室まで歩いていく。
場の空気が、一気に和やかなものになったところで、どうにか一息ついた。
穴の空いたボールのように体中から空気が出てくるような倦怠感に襲われる甜花は、隣に座ったプロデューサーの顔を見上げた。
彼の表情からは、素直な感心が見て取れた。
「…………驚いた。よく考えたな」
「甜花、昨日プロデューサーさんが営業に行ったとき……お菓子、持っていくの、思い出した……」
「まあ、俺の場合は相手にお願いするときか、お詫びするときだけどな」
乾いた笑いを浮かべながら自嘲するプロデューサー。
恥ずかしいのか、「まあそれはそれとして」と話題を切り替えようとする。
「千雪も、今ので肩の力が少し抜けたようだな。甘奈とも問題なさそうだ」
「や、やっぱり…………緊張してたの、甜花だけじゃ、なかったんだ…………」
「当たり前だろ? 千雪もだけど、俺だって初めて会う人間にはそれなりに緊張するさ。でも、これなら変に堅苦しい雰囲気にならなさそうだ。掴みはバッチリじゃないか、甜花」
プロデューサーから、純粋な賛辞が送られるが、甜花の笑顔はどこか小さかった。
「……」
「甜花?」
「甜花、たい焼き……持ってきただけ、だよ? 昨日、いっぱい、いっぱい、考えたけど……これしか思いつかなかった……」
だが、素直に喜べなかった。確かに、甜花にしては好プレーだったのだろうが、何か特別なことをしたつもりはないからだ。
ツバえもんは、あの眼鏡についてこんなことを言っていた。
『この道具はあくまで脳の働きを補助するためのものであり、知識を引き出すための
身につけるだけでアインシュタインと同等の頭脳が得られても、膨大な知識量や経験がない以上、彼のようになれるわけではない。
未来予知を利用して策謀を巡らすことや、事前に周りの人間に根回しするなどの頭脳プレーをすること自体、甜花には荷が重すぎるのだ。
そんな下地のない甜花が、未来の技術を使ってまで必死に悩んだ結果が、この菓子折りだった。
これが甘奈だったら、もっと別の方法があったのかもしれない、と考えると、どうしても自身の至らなさを自覚させられてしまう甜花であった。
「そんなことないさ」
しかし、隣の男は否定する。
確かに、お菓子を用意することは誰でもできる。もしかしたら、なくても良かったものかもしれない。
「でも、そんな小さなことでも気遣うことができるし、しかも誰かがやる前に決断したのは甜花の良いところだと、俺は思う。少なくとも──────あの千雪の笑顔は、甜花のおかげなんだ」
それを千雪や甘奈がやるよりも先に、甜花が成し遂げた。それくらい、誇ってあげてもいいんじゃないか。
優しく、プロデューサーは諭した。
「に、にへへ……………」
にへら、と笑ってしまう甜花。
その笑顔こそ、外から引き出せば輝く『甜花の魅力』の一端であると、甜花は気づいていなかった。
「じゃあ、俺は邪魔かな。あとは三人で───」
───談笑していてくれ。
そう言って席を立つプロデューサーだったが、腕を引かれる。甜花が、ジャケットの裾を握ることで立ち止まらせていた。
彼には知る術はないが、甜花はその未来すら既に予知していたのだ。
「ぷ、プロデューサーさんのも、あるから、その…………えっと…………」
「おっ………なら、悪いけど相席させてもらうよ」
特に抵抗することもなく、座り直すプロデューサー。談笑とはいえ、口下手な甜花にはいくつもハードルが残っている。しかし、甘奈とプロデューサーがいれば鬼に金棒。なーちゃんに甜花ちゃんである。迷惑をかけ過ぎない範囲で、甜花も頑張ることができるのだ。
この後の経緯は割愛する。
話を続けるにつれ、甜花は自分の不安は杞憂だったことを悟ったからだ。
こうして、後に『アルストロメリア』と呼ばれる三人の初対面は過ぎていった。
「あれ、でも、袋の中に5つあるけど……残ったのはどうするんだ?」
「えっと………お家に、お持ち帰り、する………」
「へぇ、誰にあげるんだ? 母親とかか?」
「にへへ……ないしょ……」
───にへへ、楽しく話せたかな。
胸中で、今日の成功体験を噛みしめる甜花であった。
◆◆◆
帰宅後、甜花は自分の部屋で帰りを待っていたツバえもんに、洗いざらい話をした。
家族の理解についての疑問や、千雪の件についてのお礼など話してみれば、ツバえもんはあっさりと答えてくれた。
「当機に現実を書き換える機能は備えていない。
「だ、だよね…………」
ツバえもんのレンズ越しの視線が、突き刺さるように集中する。話をしてくれたのを聞き逃しただけかもしれないが、甜花の嫌な予感は、ただの杞憂らしい。
だが、聞かざるを得なかった。
もし、大事な家族が、洗脳なんてされていたら──────なんて考えただけで、身が縮こまりそうだったからだ。
「じゃ、じゃあ……なんでみんな、家庭教師のこと、知ってる、の? 甜花、何も知らされてなかったのに…………」
「何、大したことはしていない。当機は本日より一週間前からこの時代に来訪し、営業し、この立場を得た。ご両親には正式な形で了承を頂いている」
……思ったよりも原始的かつ律儀なやり方であった。
甜花の預かり知らぬところで事が動いていたことはさておき、きちんと礼を尽していたのは確からしい。
「ごめんなさい…………つ、ツバえもんさんのこと、疑っちゃった………」
「反射的に謝る癖は矯正を推奨する。本件に関して貴殿が謝罪する必要性は0%である。
それはさておき──────当機の扱いと未来の事情についてであるが…………」
「甜花だけの秘密………お約束………だよね。なーちゃんにも、言えない………」
「聡明だな、
甜花は口を噤んだ。
ツバえもんなんてヘンテコな名前をつけた名付け親として、あの名作を紹介するのは憚られたからだ。
「あ、そうだ。これ……どうぞ」
「
「お礼……その、相談、のってくれた……」
甜花が取り出した紙袋をツバえもんに渡す。
既に冷めてしまっているが、今回の悩みの解決において大活躍した、例のたい焼きである。
甜花は人付き合いは苦手だが、己の非は素直に謝ることができるし、助けてもらったときは感謝することができる人間だ。
あえて一つ多く買ったたい焼きは、甜花は勿論、甘奈や千雪、プロデューサーではなく、ツバえもんのためのものだ。
……ところが、ツバえもんは中身を見た後、躊躇いなく甜花へと差し出した。
「当機は食事によるエネルギーの補給は可能だが、他に効率の良い補給手段がある。故に、これは貴殿に返還しよう」
「えっ…………」
甜花の思考が止まる。
さすがに、そこまでの未来は読めていなかった。
別に、ツバえもんは食事ができないわけではない。昨日、甘奈が作った晩御飯は普通に食べていた。ただ、本来なら必要ない行為であるらしい。
……否。本質はそこではない。
この
「
聞けば、甜花が寝ている時、ツバえもんは押入れの中でスリープモードになっていて、甜花が出かけている時、ツバえもんは光学迷彩で隠れながらバルコニーで留守番しているとのことである。
勿論、甜花が望んだことではない。部屋に留まることはどうかと思うが、こんな人間の生活とは思えない扱いをするつもりは毛頭ない。なのに、ツバえもんは自ら課している。
「で、でも──────」
甜花はアンドロイドの本質を理解できていない。未来人はどう扱っているのか知らないが───この扱いは
だが、甜花はそれを説くには幼すぎる。
気分が悪いから、としか、理由が思いつかないのだ。
「う、うん…………」
結局、
けれど、せめて──────
「…………甜花の、名前」
「む」
「
人として扱うことも、道具として扱うこともできない。その判断を下すにしても、時間も倫理も、何もかも足りていない甜花が、ふと投げかけた些細な提案。
ツバえもんは僅かに思案し、了承した。
あと、余ったたい焼きは、甜花は晩御飯前で食べられないため、結局ツバえもんが食べることになった。
それで、今日の会話は終わり。
けれど、甜花にはツバえもんの言葉が不思議と耳に残ってしまった。
「理のある提案だ。では、これより
──────ああ、この響きは
「
──────これらの言葉は、一体
えーっ!? 甜花ちゃんがひとりでお買い物してた!? いいなー、甘奈も行きたかったよー……でも、甜花ちゃんが買ってきてくれたたい焼き、めっちゃ美味しかったなー☆ 千雪さんと一緒に淹れたお茶と一緒に食べたらもう絶品! あ、それと、お茶が熱くて甜花ちゃんとプロデューサーさんが、二人一緒に頑張ってふーふーしてる姿が面白くて、甘奈、つい、千雪さんと顔合わせて笑っちゃった! えへへ、これからアイドルの生活、楽しくなりそうだね☆