1.大空との出会い
雲雀恭弥は並盛中学校の風紀委員長でありながら、不良の頂点に君臨する少年である。
彼は気に入らないものや群れる草食動物たちを仕込みトンファーでめった打ちにする。
並盛の風紀を乱すもの。則ち、校則を守らないものもまた然り。
そこに例外はない。
否、一人だけ例外が存在する。
雲雀恭弥の悪口を言おうとも、雲雀恭弥の前で群れようとも、雲雀恭弥の前で遅刻しようとも。
雲雀はトンファーを向けない。
たとえその顔が不愉快そうに崩れていても。
たとえ体全身が怒りに震えていようとも。
彼───桂木明祢(かつらぎあかね)だけは噛み殺さない。
これは、そんな話。
沢田綱吉は驚いた。
それはもう、とんでもなく驚いた。
先程までの恐怖が全て吹っ飛んだ。
彼にとっては、それほどまでに信じられないことだった。
並盛中にはとてつもなくおっかない風紀委員長がいる。
これは並盛の住人ならば割とメジャーなことで、彼は気にくわないものをとにかく咬み殺してきた。
綱吉自身何回も咬み殺されている。
なにより、雲雀の強さというのは並盛最強な訳で。
だからこそ信じられなかった。
あの雲雀恭弥を怒らせているというのに全く動じることなく、果てには「この鳥頭」と罵るあの先輩が、未だ咬み殺されていないことに。
ことの発端は、遅刻してきた男子生徒とそれを咬み殺す雲雀。
そして、その隣を平然と通りすぎようとする少年とそれに引っ張られる綱吉の姿であった。
校門前で待ち構える雲雀に怯えていた綱吉の背後から、肩を叩く人がいた。
それが桂木明祢。すなわち、ことの原因の人物である。
彼は怯える綱吉と雲雀を見比べた後、何故か微笑み、綱吉の手首を掴んで校舎へと足を向けたのだ。
なんだこの人!?とは綱吉の心中である。
「待ちなよ」
無論、それを雲雀が見逃すはずもなく、顔を向けずに二人に告げる。
「何?」
少年もまた雲雀に顔を向けることはなく、二人はお互いに背を向けあっていた。
場の空気がズドンと重くなる。
一方で綱吉はそれに怯えていた。
なぜ、こんなことになったのか。
「桂木明祢、これで何回目だと思ってるの?」
「一年の時から通算42回目。二年になってからは記念すべき20回目かな」
眼鏡を掛けた少年の顔には恐怖の類いは存在しなかった。むしろ、笑っている。
背後からは、凄まじい重圧が掛かっているだろうに。
綱吉は震えた。
この桂木という人は命知らずなんだろうか。
五秒後にぼこぼこのぐちゃぐちゃにされている自分を想像した。
普段のヒバリさんより数倍怖い。いっそのこと、咬み殺された方がマシかもしれない。
「多すぎだよ」
「知ってる」
「なら減らしてくれない?風紀が乱れる」
「出来るならとっくにやってる」
「ふざけてるの?」
「ひぃぃぃぃ……」
カチャリ、という聞きなれたくないその音に、綱吉は叫んだ。
トンファーだ。
間違いなくトンファーだ。
咬み殺される。確実に咬み殺される。
綱吉は頭を抱えた。
終わりだ。
あわや爆発寸前かと思われた時、雲雀はふと何かを思い出してしまったかのように腕を止めた。
手にはまだトンファーの形をしていない仕込みトンファーがある。
「……最悪」
雲雀の顔は綱吉が見たこれまでのどの顔よりも凶悪だ。
「はやく教室に行って、僕の前から消えて」
睨む顔は怖いが、それよりもどこか違和感がある。
だが、綱吉はそれがわからなかった。
「言われなくてもそうするよ、この鳥頭」
そんな思考は桂木の発言で全てすっ飛ぶ。
極めつけはこれだから、綱吉はこの人はとんでもない人だと思った。
だって、この学校の生徒、教師ならこんなことは誰もしない。
獄寺ならば──いや、彼も雲雀の恐ろしさは重々承知のことだろうから、雲雀を少しも恐れていない彼はそれ以上に恐ろしい。
門を過ぎて、校舎内に入り、雲雀の姿が見えなくなって、綱吉の隣にいた桂木は深くため息をついた。
「悪かったな、怖かっただろ」
「え、あ……はい」
「でも、咬み殺されなくて良かったな」
彼は安心させるように、優しく笑った。あの校門の前の笑顔とは似ても似つかない。
もしかして、彼は咬み殺されないことを分かっていて、わざと自分の手をひいたのだろうか。
綱吉が咬み殺されないように。
「えーと、ありがとうございます」
「礼なんかいらないから、さっさと教室に行きな」
彼は、終始笑っていた。
それに違和感を覚えながら、綱吉は言われるがままに教室へと向かった。
「よぉ、ヒバリ」
足元から聞こえてきた声に、雲雀は笑みを浮かべた。
「やぁ、赤ん坊」
少し前から見かけるようになった黒服を纏った奇妙な赤ん坊は、雲雀にとって今最大の興味を向ける相手だった。
およそ穏やかな空間でありながら、雲雀の出す気配は獣のそれに近かった。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「僕に?」
「なんでアイツは咬み殺さねぇんだ?」
リボーンが世間話のように聞いた。
雲雀はそれを聞いた途端、それまで浮かべていた笑みをイラついているといった顔に変えると、苦虫を噛み潰したかのように顔をしかめた。
まるで地雷を踏み抜いたかのように。
開けてはならないパンドラの箱に、触れてしまったようだと、リボーンは思った。
「言いたくねぇことか?」
リボーンの言葉に、雲雀は少し動きを止める。
確かに、アレは触れられたくないことだ。
雲雀の人生における最大の汚点と言ってもいいかもしれないもの。
数少ない、雲雀恭弥が残した後悔。
「そうだね……」
瞼を閉じれば、あの日の光景は沸々と甦り、雲雀をイラつかせる。
もちろん、今現在の桂木の行動も雲雀をイラつかせるが、それ以上に許せないこと。
「あんな彼を咬み殺したところで、ちっとも面白くないからね」
──あんな草食動物は咬み殺しても咬み応えがない。
雲雀はそう言って、興が冷めたといわんばかりに制服を翻し、校門から去っていった。
その足音を、いつもより酷く響かせて。
あらすじにも書いた通り、月夜とはうさぎの肉のこと。
この話の場合、月夜とは桂木明祢のことを指す。
肉食生物の雲雀に対する彼はこんなもんです。きっと。
少なくとも今の彼は肉食ではありません。