並中生襲撃事件から三週間程経った。空気はいまだに暑い。
昼も直前に迫り、生徒たちも昼休みが来るのを今かと待ち遠しく思っている時間。
「ヒバリ、ヒバリ。アキ、アキ!」
最近周りにいるようになった小さな鳥の囀りが、微睡んでいた頭に覚醒を促す。
可愛らしい小鳥の姿は、今の穏やかな雲雀には何故か妙に似合っていた。
──アキ?
言葉の意味が分からず、頭を傾ける。その間も小鳥は囀り続ける。まるで、何かを見てほしいかのように羽ばたいている。
雲雀は少しだけ頭を持ち上げた。
何があるのだろう、と疑問に思ったからだ。
そして、視界に入ったものを見て納得した。
──あぁ、″秋″ね
学校近くの田んぼのあぜ道が、深紅に染まっていた。風に吹かれて、赤は波のように揺れる。
もう、彼岸花の季節だったのか。と雲雀は目を瞬かせる。
ついこの間まで、並盛は完全な夏の姿だった。
肌に突き刺さるような激しい日差しを浴びて、樹々の葉はその青さを深くしていたというのに。
たった数日病院にいただけ。たったそれだけ見なかっただけで、この町は少し鮮やかになっていた。
雲雀は並盛が好きだ。特に並盛中学校が、さらにいうならその屋上が好きだ。
屋上は季節の移り変わりを感じさせる。
通り過ぎる風が、空で輝く太陽が、広がる景色が、それをありありと示す。
雲雀は穏やかに微笑んでから、大きな欠伸をする。
「僕はまだ寝るから、君はどこかへ行ってなよ」
人語を解しているのか、小鳥は雲雀の言う通りにパタパタと上空へ飛んでいく。
それは雲雀の好む、自由な姿だ。
「緑たなびく並盛の 大なく小なく 並がいい──」
黄色い小鳥が楽しげに歌う。
雲雀の好きな並盛中の校歌。
音程が少し外れているけれど、それはまた後で直させればいい。
雲雀の意識はゆっくりと落ちていく。
少し涼しげな風が、学ランを揺らした。
朝早くから学校に登校している生徒なら、腹の虫がわめきだす頃。
桂木は頭を押さえながら学校の門をくぐった。
珍しく、彼は日を跨ぐ前に布団に入った。だというのに、朝起きた時、彼はよく眠ったという気分には浸れなかった。
眠りが浅かったからというのもあるが、一番の理由は酷い夢を見たからだ。
先日、桂木は六道骸と対峙し、そこで『心にもないこと』を言った。
それで骸の心を揺さぶり、冷静さを失わせ、何とか逃げおおせたのだが、どうやらそれを骸がなかなかに根に持っていたらしく、とうとう昨晩、桂木の夢に無理矢理干渉してきたのだった。
波長が偶然合ったと骸は言ったが、桂木としては切実にあってほしくなかった。
あの言葉を放ったのは、本当に苦渋の選択だったのだ。
とはいえ、収穫もあったので一概にそうとは言いづらいのも確かだった。
閑話休題。
ともかく、学校に行く気分ではあったので、保健室でベッドを一つ占領することになろうが、とりあえずは登校しようと家を出た。
ここ数週間は怪我や家のゴタゴタのせいで、学校にあまり通えていなかったからというのもあるが、普段からまともに通っていないとはいえ、彼自身はそこまで学校を嫌っているわけでもないし、むしろ好きの部類に入るためだ。
「頭痛い……」
気分は普段感じているような、寝不足だった。寝不足特有の頭痛と、偏頭痛が同時に来ているような、登校するのを躊躇われる程度の痛み。
桂木は、自分が雲雀に咬み殺されない状態であることを心から喜んだ。こんな状態では逃げることも防御の体勢に入ることもできない。
そんな雲雀は、今頃屋上で伸び伸びと昼寝をしている。
「緑たなびく並盛の 大なく小なく並がいい──」
門を潜ったところで、やけに高い声の校歌が、頭上から聞こえた。
ところどころ音程が外れていて、発音もぎこちないが、聞いていて不快になるということはない。
誰が歌っているのだろうと疑問に思って、顔を上げて、自分の五感を疑った。
──鳥だ。それもインコではない、ひよこのような黄色い小鳥だ。
「なんで歌ってるんだ? というか誰が教えた……?」
桂木には、割りと最近にどこかで見掛けたような覚えがあった。
それもその筈。彼は黒曜の事件のときにこの鳥を目撃している。
バーズと名乗った男の肩に乗っていたのだが、彼の記憶には薄くしか残らなかったため、なかなか思い出すことが出来ない。
「ああ~ ともに謳おう 並盛中」
一番が終わった。
並盛中校歌の歌詞というのは、どうにも向上心に欠けるものだが、桂木はこれが嫌いではなかった。むしろ、生徒には珍しく気に入っている。しかしながら、愛着を持っているかと言われれば頭を悩ませるだろう。
桂木は考える。
うちの学校の校歌に愛着をもってるなんて、風紀委員の誰かだろうか。
例えば、雲雀や草壁とか──。
……………。
そういえばこの鳥、屋上付近から飛んでこなかったか?
並中の屋上といえば雲雀のお気に入りの昼寝スポットだ。
もしかしなくても、本当にアイツが教えた?
桂木は自分の脳内で、小鳥に歌を教える雲雀を想像する。
「………わぁ」
雲雀恭弥ならやりかねない。
何故なら、雲雀は誰よりも並盛中を愛しているから。当然、並盛中の校歌にも愛着を持っている。
実際、雲雀は携帯の着メロを特別に作らせた校歌にしている。
そしてなにより、雲雀は動物が嫌いではない。
本人の気質ゆえに檻に入れられた動物には顔をしかめるだろうが、自由な動物ならば、他の人間には見せないような優しげな顔を見せることもあるだろう。
小鳥は、なおも歌い続ける。
秋は五感を刺激する。人間は世界から隔絶されて生きているけれど、自己以外を感覚で感じているとき、世界に漸く存在しているような実感を感じることができる。
桂木は悠々と空を飛行する小鳥を見上げながら、耳に入る囀りに合わせて、小さな声で歌った。
「君と僕とで並盛の 当たり前たる並でいい
ああ~ ともに歩もう 並盛中」
歌詞は三番の最後。
なんて雲雀恭弥に似合わない歌詞なんだろう。
羽を広げて大空を自由に羽ばたく鳥を見て、桂木は笑う。
雲雀恭弥は風紀委員会の委員長だ。
組織の長というものは組織の為にその身を捧げるというが、雲雀にはその言葉は通用しない。
雲雀は縛られることを嫌い、自由に気儘に生きている。
誰かが枷をはめると言うのなら、彼はその枷を引きちぎってでも自由に生きるだろう。
我が道を行く雲雀恭弥を、誰かが止めることなど出来はしない。
何故かと問われれば、それは雲雀が雲雀恭弥だからとしか答えられない。
そういう雲雀の生き方は、桂木には眩しいものだった。
桂木は、そういう風には生きられないが故に。
「──ハクシュ、ハクシュ」
「……えっ」
桂木は驚いた。
歌い終わった小鳥が、自分のすぐ目の前で羽ばたいているからだ。
それも、拍手を要求している。
「アカネ、アカネ。ハクシュ、ハクシュ」
「……君、俺の名前をどこで知ったんだ?」
桂木は顔をしかめる。
彼は、下の名前で呼ばれることを好んでいない。
幼稚園児だった頃に女っぽいと、馬鹿にされたことがあるからだ。
しっかりとした意味をつけてくれた父親には感謝しているが、それとこれとは別であるらしい。
今も時折、不良達からふざけて「明祢ちゃん」だの呼ばれることがあるが、その時は雲雀よろしく相手をぶちのめしている。
彼は精神的にも肉体的にもちゃんとした男性である。
「ピヨピヨ」
「わかんないかぁ……」
小鳥はどこからが頭なのか分からないような体を傾けて、桂木を見る。
普段の彼であれば、仮にこの小鳥が何か名前を言ったとしても、半信半疑だっただろう。
しかし、今の桂木はとにかく頭が痛かったのと、普段人語を解すウサギと共に過ごしているというのもあって、小鳥が「コウチョウ」だの「キョウトウ」だの言っても、それはそれで信じるくらいには疲弊していた。
怪我のせいで母親に酷く心配されたことも、それを助長していただろう。
とにかく、桂木は色々と疲れていたのだ。
ふわふわとした可愛らしい小鳥に癒されたくなるのも、わからなくはないはずである。
「あ……」
反応の薄い桂木に飽きたのか、小鳥が空高く飛び上がっていく。
小さい体躯は、みるみる小さくなっていく。
桂木は、それをぼうっと見つめる。
「君も自由で羨ましいな……。雲雀と同じ、どこまでも気儘に飛んでいける」
きっと彼は、気が抜けていたのだ。
誰が聞いているかもわからない校門近くで、混じりけのない本心を晒すなど、常の彼ではあり得ないことだった。
「俺も、そうなれたなら……」
彼は夜空に浮かぶ星に見蕩れるように微笑んだ。
頭上では、青空のキャンバスに浮いた白い雲が、どこまでも気儘に風に流されている。
すっかり学校のことを忘れてしまっていたが、今の彼はそれで十分だった。
そこには、自由に焦がれながらも、自由になりきれない少年がいた。
けれど、誰もそんな彼には気付かない。
たった一人、ある人物を除いて。
数十秒後、学校中に響く終業のチャイムと、それに伴い昼休みに突入したことによる喧騒によって、桂木は自分が学校の校門前でずっと立っていることを思い出した。
書いてて思うんですけど、桂木明祢の雲雀恭弥に対する思いがなんか強い。自分でやっておいて、拗れてるなぁと思ったり。
そんなこんなで14話です。
多分最初の方で頭を捻らせた方も居られるだろう主人公の名前について、いい加減やっておかないとな、と。
話は変わりますが、実は明祢くん、前話とこの話の間にさらっと誕生日を迎えていたりします。
黒曜編終了が9月9日で、この話は9月の終わり頃をイメージしています。
彼の誕生日は9月17日なので、黒曜編から約一週間後に誕生日だったわけですね。腕を骨折してたので、三角巾したままでお祝いされてます。