草壁がロマーリオと、夜のおでん屋で飲んでいた時、突如、背後から身も凍るような殺気を感じた。
勿論、ロマーリオもそれに気付いた。
「なんだっ!?」
二人がほぼ同時に後ろに振り向いたとき、それはいた。
「───草壁ぇ」
「か、桂木さん!?」
普段見掛ける姿よりも、幾分か元気そうな桂木が、幽鬼と見間違うかのような雰囲気を放っている。
言い方は、東北のなまはげのようでもあった。
「お前は何歳だ? 言ってみろ」
「じゅ、十四ですが……?」
「今何時だと思ってる。そしてこの匂いはなんだ」
時刻は十時を少し過ぎたくらい。
匂いというのは、辺りに漂っているアルコール独特の香りのことだ。
桂木の嗅覚は他の人間に比べると、それなりに発達しているため、少し遠くの方からでも感じとることが出来ていただろう。
眼鏡の光で反射してわかりづらいが、その目付きはいつになく鋭い。
声も、一ヶ月前の病院ほどとまではいかないが、随分と低く、威圧感がある。
──怒っている。
草壁は直感的にそう判断した。
「待ってくれ坊主、誤解してるぜ」
冷や汗をかきながら、ロマーリオが口を挟む。
ロマーリオはともかく、草壁は酒を一滴も飲んでいない。
「誤解? 何を言っている。こんなナリだが、こいつはまだ十四の餓鬼だ。夜のおでん屋で、隣で酒を飲むのは控えてもらおうか」
「……なるほど、それは確かに一理あるな」
「というわけで歯を食いしばれ」
並盛中ではあまり知られていないことだが、桂木は(サボることなどを除けば)真面目で常識的な人物だった。彼が怒っているのも、その辺りに起因している。
要するに、中学生の草壁が夜中に酒飲みと話をしていることを問題視しているだけだ。
桂木が右腕を挙げる。屋台の光で微かに見えるシルエットは、餅つきの時に使用される杵のよう……いや、杵そのものである。
「……ま、待ってください桂木さん!! 流石にそれは……」
「安心しろ。ちゃんと手加減するさ」
「杵持ちのあなたの言うことじゃ信用できません!」
草壁は知っている。
彼が杵を持つ時は、大抵が何かがあった時で。それを使うということは機嫌が悪いか、すこぶる良いかである。この場合は、明らかに機嫌が悪い方だ。
実際、彼が杵を持っていたのは、ここ最近何かと物騒で、警戒心が高まっていたからに他ならない。
彼は草壁とロマーリオの二人を見つける前から機嫌がよろしくなかった。
「坊主、悪かった。俺が悪い。知り合いが夜中にどこの馬の骨ともわからん奴と一緒におでん屋なんぞにいたら、心配でたまらねーよな」
「………馬の骨はわかってる」
桂木はロマーリオがディーノの部下──つまり、キャバッローネファミリーの一員であることを知っている。
彼の機嫌が悪いのは、単に前述したことだけでなく、ロマーリオが自身の嫌うマフィアであったことも関係していたのだ。
「桂木さん、俺は大丈夫ですから!」
「………」
「………」
「……ちょっとした冗談だ」
その言葉に、場の空気が幾分か緩む。
草壁の言葉に絆されたのか、あるいは跳ね馬の気質を知っていたからかもしれない。
「にしては随分とキレていたような……」
「ここ最近は物騒なんだ。出来れば、早く家に帰したい」
「あぁ、そりゃあ……すまねーな」
ロマーリオは理解した。
桂木の言う物騒の原因は、キャバッローネは直接関わってはいないものの、こちら側にある。
いくら規格外な中学生だとしても、彼等はあくまで一般の中学生だ。
住んでいる町で、爆発騒ぎやなんやらが起きているのは不安に違いない。
「あんたが謝ることでもないし、別に気にしてない。あんたらのことは、そういうものだって割り切ることにした」
「坊主……」
「草壁のことも、普段から真夜中に出歩いてる奴が、とやかく言えるようなことじゃないからな」
桂木の趣味は夜歩きだ。
ここにいる以上、彼が今日も夜歩きをしていたのは事実だ。
ひらひらと手を振りながら、この場を去ろうとする桂木の姿に、草壁は違和感を覚えた。
夜歩き…?
昔、彼は夜を怖がっていたのに、いつの間に夜に慣れたのだろうか。
昔と思考が走ったところで、あることに気付いた。
ここ数年、彼の口からあの言葉を聞いていない。
出会った幼い頃から、彼は毎日のようにその言葉を言っていたのに。
降った疑問は、思考を鈍らせた。
「桂木さん。貴方は、諦めたんですか?」
「………」
草壁はつい、その言葉を言ってしまった。
言ってから直ぐに失言に気付く。
桂木の足が止まる。
辺りの酔った空気が、急激に冷やされる。
それは、忘れようとしていたものを呼び覚ますような言葉だった。
彼の指先が、ぴくりと反応したことに誰も気づかなかった。
「……そうだよ。出来なくなったから、諦めたんだ」
草壁は息を飲んだ。
感情の削げた、今にも消えてしまいそうな、囁くような言葉だった。
屋台から少し離れた暗がりで、桂木の表情は読み取りにくい。
その姿は、どことなく寂しそうで、頼りなかった。
桂木は草壁に背を向けて、何度か手をさ迷わせた後、フードを深く被った。自分を隠すように。
「跳ね馬の側近さん、悪かったな。草壁のことは、区切りが良いところで帰らせてやってくれないか」
振り向くことがなく、声の感情も乏しいため、桂木がどういう思いでその言葉を言っているのか、二人には想像がつかない。
ただ、良い顔はしていないのだろうな、とだけ思えて。
二人は何も言わなかった。
そんな彼等を置いて、桂木は一人、夜の町に溶けるように去っていった。
草壁は学生服を着ていなかったら、絶対に中学生に見えないけれど、明祢にしてみれば小さい頃から知っているので、どうしても中学生として見てしまう話。
学年的には同じですけれども。