自分が嫌いな人間は、どうしようもない。
その感情をなくすまで、自分が死ぬまで、嫌いなものはいつもそこにあるからだ。
夜道を歩いていて、あることに気付く。
「そういえば……最近、笹川が学校にいないな……?」
笹川はここ数日、学校を休んでいるらしかった。表向き、理由は不明。
お陰で教室は過ごしやすかった。
確かに静かだ。静かだが、なんというか、普段が騒がしい分ちょっと落ち着かない。
(理由は、なんとなくわかっているけど……)
風邪なのかと言われても、あの男が風邪になるなんていうことは考えられない。当然だ。
その他で考えられることはただ一つだけ。
マフィア絡みの案件である。
そもそも、ここ数日の並盛はおかしい。
雲雀が跳ね馬と修行していたり、沢田たち三人組が休んでいたり、爆発音が山から聞こえてきたり。
彼等が関わっているのなら、おそらく、いや確実にマフィア関連だろう。
雲雀たちが巻き込まれるのは非常に心苦しいが……俺が何かをしようとしたところで、何も変わらないのが現実だ。
なら、俺は不用意に関わらない方がいい。
「………嫌だな」
ぽつりと呟いた言葉は、誰の耳にも入ることはなく、空気に溶けた。
関わらない? 何を言っているんだ、俺は。
それに足を突っ込む覚悟はとうに終えているじゃないか。
もう、後戻りは出来ないことくらい知っているだろうに。
「家のこともわからなくなったし……なんで俺、こんなこと───っ!」
不穏な気配を感じた。
薄暗い、命を刈らんとする殺気。俺ではなく、別の誰かに向けられている。
これは……。
屋根の上、黒い影が動くのが見えた。月明かりが男を映し出す。
黒服の、見るからに怪しい男。
「───」
瞬間的に、頭の中に小さな殺意が生まれた。それはすぐに消えるような、波のようなものだったが、体を動かすには十分な動機だった。
その姿をよく捉える。
……あぁ、なんだ。勝てるじゃないか。
足に力を込めた。
集中して、一点を見る。
どこに行くかは知らないが、夜の並盛で事を起こしてもらっては困る。
だから───跳んだ。
兎は聴覚だけでなく、脚力も優れている。
ノウサギなら、時速80㎞で走る。
その強さのあまり、自らの足を折ってしまうこともあるほどに強い。
ウサギと共に育ち、ウサギに戦い方を教わった俺は、どうやら少々そちらに寄っているらしい。
その脚力は、並の人間を凌駕する。
体は軽く屋根の上まで跳び上がった。
宙に浮いたまま、標的を定める。
それはすぐ先に。杵の間合いに、確かにいる。
好き勝手に滲み出る殺気が、相手に刺さる。
気付かれる。男の顔がこちらを向こうとする。
だが、もう遅い。
「……っは」
男が屋根に足を着けた瞬間、息を吐くのと同時に杵を振って、その背に強打させた。
「っぐぁ!?」
低い唸り声。
微かに、骨の折れる音が聞こえた。
吹き飛んでいく男の体は、屋根から道に落ちる。
それを、冷たい目で見ていた。
男からは、裏社会独特の香りがした。俺が嫌うに値するものだ。
「なんだ……こいつ?」
屋根から降りて、うずくまる男の側に寄る。
顔の一部が隠れているが、相手の顔など知っているはずもないし、知ったところで大した意味はないので問題はない。
どちらかというと、こちら側が顔を知られる放が問題だ。
……フードを被っておいて良かった。
「───04(クアットロ)、応答しろ」
「スピーカー?」
少し質の悪い音だが、聞き覚えのない男の声が聞こえた。
探ってみると、男の持っているトランシーバーのようなものから聞こえてきているようだった。
クアットロ……どこかの国の言葉で四、だったか?
それが正しければ、あと最低でも三人いるわけだ。
「………」
無線機を踏みつけて壊した。
そして、未だにうずくまっている男を見る。
つい頭に血が上ってやってしまったが、自分に関する情報を少しでも持たれるのは困る。
(……消さないと)
別に申し訳ないとも思わないが、俺のことを覚えていてもらっては、何かと不都合だ。
日常に置ける記憶は、全て脳の海馬で整理される。つまり、幻術で脳を支配し、短期記憶を司っている海馬を狂わせる。
そうすることで、桂木明祢は記憶の透明人間になれるのだ。
「あんたも俺も、運が悪かったな」
幻術の応用で記憶を消すと、男の意識は完全に途切れたのか、声が聞こえなくなって、呼吸音だけが聞こえた。
代わりに耳に入るのは、少し遠い複数人の話し声。なにやら、随分と殺気だっている。
「……最悪だ」
何かが起こっている。それだけはハッキリとわかった。だが、これは今まで感じたどんな殺気よりも、怒りに満ちた殺気だ。
並盛で余計なことをされるのは許せない。けど、俺じゃ勝てない。
それはなんて歯痒いのか。
無論、裏社会は嫌いだ。
でもそれよりも、なによりも嫌いなものがある。昔も今も弱いままの自分自身。
……あぁ、もう。
「最悪だ……」
呪う言葉は、いつも自分に向かっていた。
これは桂木の知らないこと。
「同じ種類のリングを持つもの同士の、一対一のガチンコ勝負だ」
彼が一人の暗殺者の記憶を消していた頃。そこから少し離れたところで、学生集団と暗殺者集団が顔を合わせていた。
そもそも、桂木が倒した暗殺者も、この暗殺者集団──独立暗殺部隊ヴァリアーの一員であったのだが、今の彼がその存在を知るわけもない。
彼は知らなかったのだ。
大事な誰かが、もう後戻りできない所にいるということを。
自分がもう、とっくの昔に巻き込まれているということを。
結局この日、彼が異変に深く足を突っ込むことはなく。そのまま町を回り、帰路についた。
だが数日後──、彼は渦中の場にいた。
雷撃隊を倒してしまった桂木明祢。
ハッキリ言って、ヴァリアーという集団は明祢にとって最悪です。彼等、暗殺部隊だし、善良ではないですからね。