朝から学校に来たとき、おかしなことに気付いた。
見慣れない人間がいる。
そして見慣れない景色……いや、見慣れた景色に違和感がある。
「……幻覚」
はっきりとはわからないが、これは確かに幻覚だ。
幻術は人間の脳を騙す術だ。
大人数になればなるほど、幻術は面倒になる。
だというのに、こんな場所で幻術を使うということは、誤魔化さなければならない何かがあるのだ。
……例えば、校舎の破損とか。
「昨日のあれか……」
あれだけ派手に校舎が壊れたら、修理も追い付かないということだろう。
そういえば……あの時は夜で調子が良かったから、あまり気にしていなかったが、あの爆発も幻覚で隠されていた。
おそらくは、あの奇怪な雷もそうだったのだろう。
──昨日。
窮地に現れた沢田は、俺が知らない顔つきをしていた。普段の彼とは、全く違う表情だ。
彼は暴走したゴーラ・モスカを圧倒した。
だが、沢田が倒したモスカの中から、九代目と呼ばれる老人が現れた。九代目の胸には、沢田がつけた焼き傷がくっきりと残されていた。
混乱する場を置いて、XANXUSは父親を害したものに対する実子の敵討ちという大義名分を掲げた。
これが、XANXUSの本当の狙いだったのだろう。これならば、勝ったにせよ負けたにせよ、彼は綺麗に十代目の座を得ることが出来る。
「お前に九代目の跡は継がせない!!」
だが、沢田は、それに歯向かった。自分が十代目になりたいからではなく、それは許せないからと。
結果として、明晩に大空のリング戦と称した最終戦が行われることが決定した。
その後、跳ね馬が現れ、けが人たちを運んでいった。
「雲雀、お前も行けよ」
「ヤダ」
「ヤダじゃないだろ!」
俺が応急手当をしたとはいえ、まだ血は止まっていないはずだ。実際、足がふらふらしている。
だから支えようとして、手を払われた。
「要らないよ、そんなの」
これが二人の今の距離なのだと実感させられたことに、僅かなショックを受けた。……いや、そういう距離を望んだのは他でもない自分自身だ。何を今更苦痛に感じることがあるのか。
それが、昨日のこと。
廊下の窓から、沢田の姿が見えた。彼らも、どうやら学校に来ているらしい。
……日常というのは、普段感じていないだけで、本当は儚く、かけがえのないものだ。俺でさえそう感じることが出来るのだから、沢田だって、感じることが出来るだろう。
「桂木……聞いたことがあると思ったんだ」
「あんた、切り裂き王子と一緒にいた……」
夕暮れ前。黒いフードを目深く被った赤ん坊に会った。
「君に聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
「 」
「……………」
昔、似たようなことを聞かれたことがある。
だがそれは、俺に聞かれてもわからないことだ。昔も今も、その答えを知らないままでいる。
「それ、は……俺もよくわからない。あんたが何を目的でそれを調べてるかは知らないけど、その真偽を知りたいのは俺の方もなんだ」
「役に立たないな」
「口悪っ……いや、そうじゃなくて、一つ聞きたいんだが」
「なんだい」
「もしかして、あんたらって……そういうこと、なのか?」
「………君に教える義理はないよ」
霧がいきなり現れ、前後が分からぬほどに濃くなる。そして瞬きのうちに、目の前にいたはずの赤ん坊は消えていた。
赤ん坊は術士だった。
「………アルコバレーノ」
六道は彼等をそう呼んでいた。
それはイタリア語で虹を意味する言葉らしい。それが、裏の世界でどういう役割をしているのかは想像も出来ないが、何か特別な名であるに違いない。
もし、俺の推測があっていたのなら、彼らは本当は………。
いいや、それは今の俺が知るべきことでも、考えるべきことでもない。彼らがどういう境遇を持つものであろうと、今の俺には関係のないことだ。
きっと、そうだ。
だから、この胸にある桂木という家への不信感は今は必要のないものなのだ。
今はただ、あのヴァリアーとかいう暗殺集団が並盛から去るまでを待つことだけだ。
「………どうせ、今日で終わる」
空は全てを包むように、オレンジ色に染まっている。
そういえば、沢田はこの空に似ている。……なるほど、だから大空なのか。
不思議な話だが、彼は勝つのだと、俺は心から思っている。迷いもなく。
彼等が負ければ命がないからというのはある。命は大事にすべきなのだから、当然だ。
だが、彼等が勝てば、その時点で彼等は時代のマフィアの中心人物になる。それは、俺が嫌う裏社会の住人に、彼等がなるということだ。
……少し、思案する。どうしてそうなのだろう、と。
名は体を表す。という言葉がある。
綱吉、とその名前をつけた誰かに、どんな思いがあったのか、俺は知らない。
徳川で綱吉といえば、生類憐れみの令だ。
人間以外の動物に焦点がいきがちだが、あれはけして人間を軽んじたものではない。
道端に死体が打ち捨てられていたことが、ごく平然とあったという。
明日の食も儘ならない母が、生まれた我が子を手にかけることが少なくなかったという。
そこは、今よりもずっと命が軽かった時代。
失われていくものを繋ぎ止めようとした、命をすくう為の法。
『綱吉』がどのような思いで、これを施行させたのか、当人でない俺には見当がつかない。
ただ、そこに至るには、それなりの何かがあっただろうと思うのだ。
沢田綱吉がそうであると知ったとき、恐ろしい妄念のようなものが俺を飲み込まんとした。
それはまだ、彼等の日常が日常として機能していた時分だった。
傍らの赤ん坊がそれを勧めるのに対し、彼は必ず否定の意を示した。
『マフィアのボスになんてなりたくない』
叫ぶ声は必死と言わざるを得ない。
同時に彼は、自身の周りの人間がそれに関わることに苦言を示していた。
日本人の真っ当な価値観でいうならば、マフィアなどといった反社会的組織は悪であり、それに属することもまた悪である。
当然、それに関わることには危険が生じるし、実際、彼はそれに度々巻き込まれ、その度に怯えていた。
しかし、いくら彼がそういう人格であったとしても、やはりトラウマになるほどの過去というものと切り分けることは難しい。
裏社会というものの一端を垣間見てから、俺の人生は一変してしまった。
未だにそれは許せない対象であった。
そう、だからあの日。自らが辿ったやもしれない道を進んだ、六道骸という男を彼が倒した日、俺は一筋の光明を見た。
その時、彼は彼の譲れないもののために拳を振るったという。
仲間を大事にするという、ありふれていて容易でないそれを、彼は譲らなかった。
そして、許されざる行為を働いた彼等を憎まなかった。
罪を憎んで人を憎まずとはよく言ったものである。あれは聖書だか何かに書かれている言葉だとも聞くが、彼は正しくそうだった。
六道骸という人物を恐れはするものの、憎んではいない。
六道骸の背景も関わっているだろうとはいえ、それは甘いと言えよう。
しかし、だからこそ、自分は絆されてしまった。
気付いてしまった。
例え彼が自分が嫌うものになる者であったとしても、彼自身の在り方は好ましいものだということに。
彼は争いを嫌う。
──眉間に皺を寄せ、祈るように拳を振るう。
あの老人がそう称したその在り方を、俺は美しいと感じる。
徳川の名の中でも、彼に『綱吉』という名をつけたことを、俺は尊いものに思えて仕方がない。
彼はきっと、御大層な名前だと思っているだろう。一般的な物差しで見れば、きっとそうだ。
だが、そんなことはない。あれは彼にこそ相応しい名だ。
彼がマフィアを悪と断じ、それに抗い続ける限り、彼の善性は正しく証明されるだろう。
だから、俺が美しいと感じたその在り方を、諦めないでほしい。
そんなものには成りたくないと拒否する彼のままでいてほしい。
そうだ、だからだ。
気付いたのは、簡単な事実。
彼がマフィアを否定する限り、俺は彼等がマフィアであることを許容できるということ。
そして、夜が来る。
この日、俺は学校に行かなかった。必要がないと思ったからだ。
確かにXANXUSは強い。だがおそらく、彼ではボンゴレというマフィアのボスにはなれない。なんとなく、そう思った。
けして、XANXUSにその才がないというわけではなく、沢田綱吉だからこそ相応しいというか……。
自分の気持ちなのに、言語化するのが難しい。
でも、これは初めて感じる感情じゃない。ただ、久しぶりなだけで。
そう、まだ雲雀との仲が悪くなかった時に感じていた───。
「……あぁ、そういうことか」
自然と、笑みが溢れた。
つまり俺は、彼等を信じているだけなのだ。
次の日の朝、何故かパーティーに呼ばれた。
以前の俺ならば見向きもしなかっただろうそれ。
どうせ彼等はマフィアなのだから、一回だけなら、別にいいか。そう思って、竹寿司の暖簾をくぐった。
「桂木さん!」
「やぁ、沢田。生きてるとは驚いたよ」
「生きてます!!」
「生きてるに決まってるだろうが!!」
「まぁまぁ、落ち着けって獄寺」
「大分怪我が治ってきたな、山本」
「ははは、そうっすね!」
話していると、これが日常だったということを思い出す。別に、彼等とはそこまで仲が良かったわけではないが。
「君が桂木か」
「あんたは、黒曜での……」
声をかけられて後ろへ振り向くと、黒い男がいた。
「ランチアだ。解毒剤を俺のもとまで持ってきてくれたらしいな。礼を言う」
「俺は頼まれたからしただけだ。それに、実際に解毒したのは医療班だったし……」
「それでも、助けられたのは事実だ。ありがとう」
「………」
この人は、マフィアだったと聞いた。なのに、なんだこれは。なんだこれは!
いい人じゃないか!
動揺した気を落ち着かせようと、傍にあった寿司を食べる。
「……美味しい」
魚そのものが新鮮なのだろう。口に入れると、柔らかくて、いい具合に脂が乗っている。
と、味を堪能していたとき、バタリ、という何かが倒れたような大きな音がする。
「デレデレしてるヒマがあったら食べなさい」
「獄寺!?」
なぜか、獄寺が白目を剥いて、倒れていた。
「なぜにポイズンクッキング───!!」
近くにいる女性が持っているのは、いかにも毒々しい料理。まさか……あれ、毒か?
「そうだ桂木! 今日という今日は俺とボクシングを……!!」
「しないよ」
「なにぃ!?」
笹川の声が、今日は少しも苦しくない。むしろ、楽しい。
「……は」
ここは騒がしい。
でも、それが心地いい。
忘れていたものが、甦るような感覚。
「ははっあははははっ!」
面白くて、面白くて。
本当に久し振りに、笑ってしまった。
成長してるのは守護者達だけじゃありません。
いきなり感でてますけど、これでヴァリアー編は終わりです。
やっと未来編です……!