雲雀は一枚の写真を見ている。
二人の子供。
一人は笑い、一人は無愛想に睨み付けているような、そんな写真を。
初めて会った日のことを思い出していた。
幼稚園なんていう群れの中に入れられて、ムカついてたくさん咬み殺していたときに、雲雀はその少年と出会った。
「はじめまして、俺は桂木明祢。俺──うぇ」
何の警戒心もなしに、にこにこ笑って近付いてきたのが、彼だった。
勿論、雲雀は他の『草食動物』と同じように彼を殴った。彼の目には、他の人間と同じように見えたからだ。
「い、痛い……」
当然のことながら、明祢は勢いよく地面に飛ばされた。
明祢は殴られた頬を押さえた。頬は赤く腫れ、唇は切れて血が出ていた。
雲雀は無感動に明祢を見下ろした。そして思った。
(また、泣くんだろうな)
弱い子供の草食動物は、咬み殺されれば泣くもの。それが雲雀の中の常識だった。
だからこの時も、彼は目の前の草食動物は泣くと思っていたのだ。
「………?」
体は震えている。
けれど、泣き声はいくら待っても聞こえなかった。
「──すごいな、きみ!」
それどころか、聞こえてきたのは称賛の声。
雲雀は少しだけ驚いた。それは未知との遭遇だった。
殴っても泣かない奇妙な草食動物、それが桂木明祢だった。
「なぁ、名前は?」
明祢は笑う。輝いた目で、雲雀を見る。
雲雀は瞬きをする。
不思議だった。頬を赤く腫らして、血を流しながら笑っているその少年は、雲雀が始めて見る生き物だった。
明祢からは、絶対に名前を聞き出そうという静かな圧があった。
それに負けたわけではないが、雲雀は呟くように言葉を溢す。
「……雲雀恭弥」
「そうか、よろしく恭弥!」
心の底から喜ぶように、明祢は笑う。
その笑顔に、雲雀は虚をつかれたような顔をする。
雲雀にとって、こんな風に接してくる相手は初めてだったのだから、当然だったのかもしれない。
雲雀はわからなくて苛ついて。結局、この直後に明祢を思いきりぶん殴っていた。
「よお、ラウロ。いつになく不機嫌な面してんなぁ」
「………」
ラウロが廊下を歩いていると、グリージョに声をかけられた。だが、ラウロは無視をして通りすぎようとする。
「待てよ」
「……お前と話すことなんてない」
ラウロが不機嫌なのには、理由があった。
十年前からやって来たボンゴレについて、全十七部隊長ミーティングが行われた。チクラミーノ隊の隊長であるラウロも、勿論これに参加していた。
白蘭の目的はボンゴレリングの入手。否──。
「僕が欲しいのは究極権力の鍵。トゥリニセッテだよ」
ラウロには嫌いな人間が四人いる。そのうちの一人が、白蘭だった。
ミーティング中、ラウロは白蘭をずっと睨んでいた。
ラウロが白蘭を嫌いな理由は、大まかにするといくつかある。
一つは、ジッリョネロを事実上吸収合併したことだ。
彼にとって、ジッリョネロは帰る場所であり、字の通りファミリーだった。突然、家を奪われた憎しみは、なくなるどころか、年々強くなっていくばかりだった。
二つ目は、白蘭の軽薄さにある。いや、正確には底の知れなさと言った方がいいかもしれない。
(白蘭は誰も信用していない……これは茶番だ)
術士は、その性質ゆえに洞察力に優れた者が多い。ラウロもその例に漏れず、相当な洞察力を有していた。
そして彼は気付いた。
……白蘭は浮いている。空気がではなく、彼自身が世界から隔離されたかのように浮いているのだ。
吐き気がした。嫌いというよりは、受け付けないのだということを、ラウロは理解した。
「……トゥリニセッテ」
ボンゴレリング、マーレリングの各7つ、計14個の指輪と、アルコバレーノの七個のおしゃぶりの総称とされているが、何故そうなのかは不明だ。
ラウロが知っているのは、それが他のリングよりも特別なのだということだけ。
それもこれも、先代のボスに教わったことだ。
ラウロの肩をグリージョが掴む。
ラウロは顔をしかめながら、それでも無理矢理通りすぎようとした
「待てって言ってんだろうが!!」
グリージョの怒鳴り声が、廊下に響く。
周りにいた者達は、何事かと足を止め、彼等二人を見る。
「いい加減、迷惑なんだが」
「……あ?」
「お前が桂木明祢に執着しているのは、復讐のためだ。だからこそ俺が許せない」
「おい、待て」
「桂木明祢と似ていて、しかも桂木明祢を殺した俺が憎いんだろ」
それは、グリージョの知るラウロではないかのようだった。まるで別人がそっくりラウロの姿を装っているような。
「……あぁ、違うな。お前は怖いだけだ」
「黙れ!」
ラウロはグリージョの過去を知っている。何故、術士が嫌いなのか、その理由を知っている。
「俺は知っているぞ。お前が昔、奴に殺されかけたということを」
「なんで……テメエがそれを知っている!!」
グリージョは、ラウロに掴み掛かった。
冷や汗が、背筋を流れていく。
それは、白蘭しか知らない筈だった。他の誰も、そのことを知り得ない筈だった。
「嫌いな相手の弱点くらい、知っておかないといけないだろ?」
グリージョの目にはその姿が、死神か、あるいは悪魔のように見えた。
ラウロはグリージョが酷く顔を歪ませているのが堪らなかった。
だから彼は、嬉しそうに嗤った。
「──君ね、それがどれだけ大変なことか分かっているんですか?」
それはいつの話だったか……。高校卒業間際だったから、七年くらい前のことだ。
誰にも話そうとは思っていなかったが、色々と考えた結果、彼にだけは話しておこうと思って、無理矢理呼び出したのだった。
「俺は幻術の才能はなかったからな。こんな方法しか思い付かなかった。……上手くいったら褒めてくれ」
「嫌です」
六道との仲は、取引を始めたときから変わらずに続いている。
この頃になると、当初に感じていた罪悪感は薄れてしまっていたので、少し気が楽だった。
ある意味では、六道は自分をさらけ出すことの出来る相手だった。
自分の秘密をある程度教えてしまっているからこそ、彼には話しておこうと思えたのだ。
もっとも、計画のためもあったが。
「……まさか、お前と三年も付き合うことになるとは思わなかった」
「僕もですよ。存外、長く持つものですね」
三年も経つと、髑髏は六道ほどとはいかないものの、腕の立つ術士になっていた。もう、俺の指導は必要がなくなっていた。次第に、自然消滅的に俺と髑髏は師弟ではなくなっていた。
だというのに、六道は俺との取引を続行した。それが何故なのかは、俺にはわからない。
「嫌だなぁ。お前と共犯者なんて」
「僕の方こそ嫌です。僕は君が好きではありませんから」
「………知ってた」
共犯者。それは、あまりにも俺達にしっくりとくる言葉だった。
俺の構想は、あまりに無謀だった。少なくとも、一人ですることは不可能だっただろう。
そこで、俺は六道に協力を仰いだ。
その結果が、共犯者である。
「なぁ、六道。俺は、変わってしまうのかな」
「藪から棒になんです」
「答えてくれ」
俺は六道を見た。六道の左目に映る俺は、今にも泣き出しそうになりながら笑っていた。
変わるのが恐ろしかった。変わりたくなかった。
「いいですか。人間は変わるものです。君がいかに不変なものであろうとしても、それは不可能なんです。……けれど、君のそれは変わりませんよ」
「……………そうか。なら、いいんだ」
六道は、俺の戯れ言に真剣に答えてくれた。ただの共犯者に、なんでもない俺に、そう言ってくれた。
そこが変わらないのなら、俺はちゃんと歩いていける。
けして、六道を善人だなんて思わないけれど。悪人ではないとは思わないけれど。
……ああ、本当に。彼は悪魔みたいだ。
俺を救う気は、更々ないのだから。
風が吹いていた。六道の少し伸びた髪を揺らしていた。
「お前さ、沢田のことどう思ってんの?」
「何を今更。標的に決まっているでしょう」
「……なら、さっさとやればいいのに」
「なにか言いましたか?」
「別に」
それをしないということは、そういうことなんだ。
六道は沢田の体を狙っている。未だに世界征服を諦めていないらしいが、実際はどうなのやら。
「それで。…良いんですか?」
「あぁ。決めたことだから」
「いえ、そちらではなく。彼は良いんですか?」
「……それ、聞くことか?」
「えぇ」
「いいんだよ。アイツは強いから」
思い浮かべるのは、三年前の秋。
暴食の機械兵器を一瞬で倒したとき。
隣から、深いため息が聞こえた。
六道は俺に冷たい。けれど、だからこそ、俺は彼を共犯者にしようと思えたのだろう。
「どうして僕は君なんかと取引なんかしたんですかねぇ」
「悪いな、
「………それ、想像以上に最悪ですね」
骸は呆れ混じりに、心底嫌そうな顔をした。
「君がここまで残酷な男だとは思いませんでしたよ、桂木明祢」
その呟きは、七年前から続く現在に向けられている。
桂木は人の名前を呼ばない。彼の中には、彼なりのルールがある。
彼が名前を呼ぶのは、家族と例外だけである。
今は。
未来編が進めば、あぁ、確かに桂木明祢は残酷だな、そんな風に思ってもらえるようになりたいです。