父さんは昔から、病院に近い香り──薬の匂いがした。
それもその筈だ。父さんは並盛中央病院で薬剤師をしているのだから。
桂木家は、代々薬剤師をしている家系だ。
古くは戦国時代辺りは、近くの権力者のお抱え薬師として働いていたらしく、あの無駄に大きな家は、その権力者から下賜されたものだったらしい。
……近くの権力者というと、俺にはどうも物凄く覚えのある奴がいるが。いや、まさかそんなわけがない。
その他にも色々と貰っているらしいが、それらは大切な家宝ではあるものの、重要な家宝ではないらしい。
家宝多すぎだと思った俺は悪くない。
俺が今持ってるのは重要な方の家宝である。六道にばらしたのもそっちだ。
桂木家の秘密に纏わるものが重要な方なのだ。ルーツの分かっている(わかりたくないが)方は桂木の秘密には全く関係ない。
関係があったのなら、一か八かで聞いてみたが、関係がないのなら仕方がない。
……小さい頃は、父さんに憧れていた。
雲雀はよく風邪を拗らせては並盛中央病院に入院していた。俺はその度に見舞いに行った。
病室に行くと、父さんが雲雀と話している。
雲雀は病院も牛耳っているから、雲雀からではなく、医者や薬剤師の方から会いに行く。
『明祢、薬剤師というのは人を助ける仕事なんだよ』
父さんは大体、何かを教えながら俺の頭を撫でる。
雲雀にだって、頭を撫ではしないものの、説教じみたことを言う。
俺はそんな父さんが誇らしかった。
俺も、将来は薬剤師になるんだと、薬学の勉強だってしたぐらいだ。
雲雀は風邪をよく拗らせるから、俺が支えてあげようと思ったのだ。それに、人を助けるというのはとても素敵なことだから。
……そんな夢も、思い描いていた将来も、全部あの秋の夕暮れに消えたのだけど。
どこをどう探しても、情報屋に聞いてみても、何もわからなかった。
まるで、突然消えたみたいに、何も痕跡がないのだ。
人が突然消えるだなんて、そんなことはあり得ない。だというのに、それが現実であるかのような錯覚を起こすほど、情報がなかった。
逆に考えれば、情報がないということが情報になるのかもしれないが……。
「人が何人も行方知れずになってるってのにそんなことあり得るか?」
そう、そこなのだ。
昼間に何人もの人間が行方不明になれば、本来は目撃者が一人くらいは最低でもいるものなのだ。
何故か、それがない。
これは不可解だ。
つまり、目撃者が出来ないほど一瞬で消えたとしか考えられないのである。
そして、そんな力を俺は知っている。
──幻術。
あれなら、可能だ。それはもう楽勝だ。
一般人に悟られずに誘拐、殺害などお手の物である。
だが、それだと説明できないことがある。
あの赤ん坊と沢田のことだ。
六道曰く、この二人には幻術が通じにくいらしい。
なんでも、赤ん坊は相当の実力者で、沢田は類いまれなる直感を持っているのだとか。
赤ん坊はさておき、沢田の直感は術士には天敵と言っていいほどだろう。幻術とは、結局のところ最後には勘で見破るものなのだから。
「……探そう」
沢田たちのことは嫌いじゃないし、髑髏は弟子だ。それに、人がいなくなるということは風紀が乱れている。
風紀、それは雲雀が大事にしているものだ。
俺だって、町が荒れるのは嫌だ。
歩く。町中を、何かに迫られるように。
そうして、会ってしまった。
交差点の曲がり角を曲がったときに、偶然、そこに雲雀がいた。
「雲雀……」
「あぁ、君か」
雲雀は、あまり機嫌が良さそうではなかった。
そりゃそうか。並中生徒が何人も行方不明になってるんだから、雲雀の機嫌がいい筈もない。
「ちょうどいい。言いたいことがあったんだ」
「……俺に?」
嫌な予感は当たる。
雲雀の視線はいつもとなにも変わらない。なのに……何か、恐ろしいものが迫っているような気がした。
「話ってなんだよ」
その視線が、どういうものか知っていた。
あの師匠面をするおかしな男。彼が彼自身の群れに対するそれと似ている。だが、それよりも不快な視線だ。全く違う。
雲雀は燻っていたものが何であったのかを理解した。
理解した途端、爆発的に増えていくそれを、雲雀は無論押し止めることをしなかった。
それは常と変わらないことだが、普段と違うのは、妙なほどに頭がすっきりしていることだ。
雲雀はムカついていた。
自分を庇護する対象として捉えていた愚かな兎に。
それを今まで覆すことが出来なかった自分自身に。
浮かぶ言葉は、数年前からずっと雲雀の中にあった。ただ、雲雀自身がそれに長らく気付いていなかっただけで。
「僕は君に守られるほど弱くない」
彼は、その言葉を、改まった気持ちで口にする。
桂木の顔が驚愕に歪み、それから、くしゃりと今にも泣きそうに、不器用に笑った。
突きつけられたのは、紛れもない事実だ。
ようやく、桂木は気付く。いや、目を背けていたことに無理矢理目を向けさせられた。
正面から見る雲雀の、堂々とした姿。真っ直ぐ、目は猛禽類のごとく標的を射抜かんとする。
(……なんで、忘れていたんだろう)
雲雀恭弥は強い。
最強の守護者と謳われる彼は圧倒的なまでの戦闘能力を持っている。彼がトンファーを得物に振り回したが最後、彼の回りに立つものはいなくなる。
──けれど、それは雲雀恭弥の強さの核ではない。
雲雀恭弥が雲雀恭弥たる所以は、けして単純な武力ではなく。彼の本当の強さというのは、浮雲とも称される、その心の有り様だ。
一分の揺るぎもなく、孤高の存在として凛と立つその在り方こそ、彼の強さの本質だった。
「そんな、こと」
昔、お前を一目見たときから知ってたさ。
幼い頃、既に周囲と別格の域にいた彼のその在り方に憧れていた。自分にはけして手の届かない領域。空に浮かぶ雲のような、掴みようのない、それでいて確かなその姿に。
けれど、それを忘れていたのは桂木自身だ。
だから、何かを間違っていたとするのなら。それは、彼が大切なものを護ろうと距離をとったことではなく、彼が彼の大切なものを見誤っていたことだ。
心配するということは、突き詰めれば『信用しない』ということ。
桂木は過去の出来事に囚われて、本当に大事なことがわからなくなってしまっていた。
(なんだ、一体何を忘れていた?)
桂木は混乱した。
気付いたときには雲雀から逃げるように走り出していた。
わからなくなってしまったものはなんだったのか。
彼にはそれが思い出せない。いや、思い出さないように蓋をしてしまっている。
本当はどうしたかったのか。自身の感情を、欲を、ずっと抑圧していた。
それは自由の否定だった。
「はぁ……ぁ、ああ……」
体感にして数分、いや数十分は走っただろう。
息は絶えに絶え、汗で体は濡れていた。
背後からの足音は聞こえない。
一体何から逃げていたのか。それがわからない。
言いも知れない恐怖から逃げたいと願う子供のようだったと思う。
「喉……乾いた」
幸いなことにまだ並盛だったので、記憶の中の地図を駆使して、近くの自動販売機に立ち寄った。
喉をひんやりとしたスポーツ飲料が通る感覚がする。
美味しくて、ペットボトルをすぐ空にした。
少し辺りを見回して、併設されているゴミ箱に突っ込んだ。
汗は少し引いていた。しかし、大量の汗を服は吸い込んでいて、気持ち悪かった。
ぼんやりと、道を見つめた。当然、なにもなかった。
いや、人はいた。
橙色の髪に、紫色のバズーカを手にした少年がいた。
なにもおかしなところはない。
………ない?
「待てよ、そこの」
「ひぃっ!?」
何かがおかしいことに気づいた。いや、絶対おかしい。
こんな日本の町中でバズーカを持っている? そんなふざけたことは止してくれ。
「そのバズーカ、何に使う気だ?」
「あ……う、うわぁぁ!!」
眼鏡の少年が叫びながら逃げ出す。……だが、それは殆ど無意味だ。
脚に力を入れる。
駆ける。
あるいは、兎のように跳ねる。
直ぐ様追い付いて、その襟首を引っ捕らえ、地面に転がす。
「どこの誰だ、お前」
そこで、はっきりと顔が見れた。
それは眼鏡を掛けた平凡な少年だった。
特筆することなどない、ただの中学生くらいの少年だった。
こんな少年がバズーカを……?
顔は見たことがないから、並中の生徒ではないっぽいが。
「ぼ、僕は……」
「まぁいい。とりあえずその物騒なものをこちらに渡してもらおうかっ」
ぐい、とバズーカを引っ張る。しかし、少年はやけにしっかり掴んでいるらしく、なかなか離れてくれない。
銃口は俺の方を向いているので少し怖い。
「放せ!」
「い、嫌です!」
「いいから放せって!」
ぐい、ぐい。バズーカから軋む音がする気がするが、そんなことは知ったことではなかった。
「そんなもの持ってどうする!」
「べ、別にいいじゃないですか!」
「いいわけないだろ、馬鹿!」
ぐい、ぐい。引っ張って、引っ張って。
なんとか少年から奪えた。と思った。
──カチッ
「ん?」
嫌な音がした。
そうして気付いたときには、宙に浮いたような感覚がした。上も下もよくわからなくて。
ふわふわとしていた。自分がどこにいるのかわからない。
目の前に、煙が充満していた。
バズーカの煙……? いや、ありえない。それなら俺はとっくにお陀仏だ。なら、これはなんだ。俺は今どこにいる?
煙が晴れる。
「は……?」
目の前の光景が信じられなかった。
場所が変わっているとか、色々とおかしいとか、もうわからなくて。
けど、そこにいたのは、見覚えのある男だった。
その顔を間違えることはない。
……間違えてはいけないんだ。
それは、俺が
桂木は10年バズーカの存在を知らないんです。混乱間違いなし。
実は雲雀さんは桂木のこと、全く嫌いじゃないです。
暗い過去はもうすぐ。