雲雀は月夜を咬み殺さない   作:さとモン

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39.拙い炎

胃の中のものが、全部出てくるかと思った。

 

「おぇ……」

 

あまりの気持ち悪さに吐き気がした。

何度も目を擦ってみても、何度瞬きをしても、目の前にいる人物は消えない。

だから、これが現実なのだと理解してしまう。

 

「嘘だ……」

 

いや、嘘じゃない。己の感覚と経験は、これが変装や幻術の類いではないと告げている。だとするのなら、これは現実だ。

いきなり景色が変わったことも、大人びた昔馴染みと弟子がいることも、死者が生きていることも、全部理解が追い付かないが、それでも、わかることがある。

ここは戦場だ。

漂う空気には殺気が混じっており、昔馴染みと弟子からは焦りが感じられる。

こちらの方が押されている。

 

「ははっ、最高だ……!」

 

男の声が響く。それは、とうに忘れた声。だから覚えなどない。けれど、その顔は忘れられなかった。

五年前、自分が殺した男。

体が震える。心臓が恐怖に支配される。

でも───、俺にはやるべきことがあるはずだ。

足を動かすと、何かにぶつかったような感触と同時に、カランと軽い音がした。足元を見ると、膨らんだ巾着袋がある。

中からは四角い箱が出てきている。残念ながら、見覚えが全くない。

つい、それを拾う。

 

「なんだこれ……」

「桂木さん!」

「!」

 

草壁の声と同時に鋭い殺気と気配がして、地面を蹴る。直後、自分が先程までいた場所から、破壊音と共に煙が立ち込める。

 

「イタチ……いや、ビーバー?」

 

そこには青い炎を纏ったビーバーがいる。………は? なぜにビーバー?

混乱する俺を他所に、灰色の髪の男は笑う。

 

「ありがとよラウロ! お前ならまだしも、この時代の常識を知らねぇ十年前の桂木明祢だ!」

 

この時代の常識? ……十年前?

疑問が浮かび、草壁を見る。

黒いスーツを身に纏ったその男は、老成したような雰囲気というか、中学生らしい子供らしさが抜けている。まるで、大人になったかのように。

いや、違う。草壁が大人になったのではない。

十年もあれば人は変わるし、常識も変わる。

 

「……そうか、俺が十年後に来たのか」

 

視界の端で青い炎が揺らめく。青を纏った獣が襲いかかってくる。

幸いなことに、それは草壁達を襲うことはない。それだけ、彼の憎悪は俺に向いている。

避ける。今はそれしかできない。

 

「……ぐっ」

 

左腕をビーバーの歯が掠める。専念しても、体には傷が増えていく。まるで貧血でも起こしたかのように、世界が遠くなっていく。

 

「桂木さん、匣と指輪はありますか!?」

「はこと指輪……?」

 

ふと、手に持っていた巾着袋を見た。中には四角い箱二つと、藍色の宝石が填められた指輪があった。

 

「無理だ。十年前から来たお前に死ぬ気の炎は灯せない! 灯せたとしても、ラウロのようなちんけな炎なら同じことだ!」

「死ぬ気の炎……?」

 

ふと、脳裏に跳ね馬の言葉が甦った。

 

『ツナの死ぬ気の炎と同じだ。リングを媒介としてエネルギーを炎に変換している……って感じだな』

 

──覚悟を炎に変える。

そうだ、俺は知っている。実際に見たこともあった。跳ね馬が指輪を通して灯して見せたオレンジ色の炎を、俺は知っている。

手元には指輪がある。

 

「やってやる」

 

手早く、指輪を左手の中指にはめる。不思議なことにサイズはぴったりだ。

灰色の髪の男を見ると、俺が指輪をはめたことに驚いているようだった。

 

……ところで、覚悟とはなんだろう。

日本語としての意味は知っているけれど、覚悟なんてものは目に見えないし、普段意識するものでもない。

俺の覚悟とはなんだろう。

俺は今、何がしたいんだろう。

目を閉じれば、背後の気配を感じる。そうだ、今は彼等を守らなくちゃいけないんだ。

だって、大事な人だから。

 

「……!」

 

藍色の炎が灯る。けれど、それは手のひらに収まってしまう程度に弱く、拙い炎だった。

 

「……はは、やっぱりだ。お前じゃ無理だ。俺の覚悟の方が上だ!!」

「お、おい草壁! はこをどうするんだ!」

「炎を匣に注入してください!」

 

男が笑う。いや、冗談じゃないぞ。男が灯す炎は、俺の二倍……いや三倍は優に越えている。彼の言う通り、俺は彼より下なのだろう。

だからといって、逃げるわけにはいかない。

例え俺の覚悟が、泡沫のようなものだったとしても、ここから退くわけにはいかないのだ。

ぶつけるように、匣に炎を注入する。草壁の言い分なら、多分これで何かが起こるのだ。

──そう思ったのに。

 

「え」

「嘘だろ……」

 

匣は、うんともすんともいわなかった。

 

「は、あはははは! 最高だよ桂木明祢! お前はエンターテイナーの才能がある!」

「く、草壁ぇ……何も起こらないんだが!?」

「炎の量が足らないのか……?」

 

俺としてもこんな筈じゃなかったのだから、笑わないでほしいし、冷静に分析しないでほしい。

俺の予想が正しければ、これはこの時代の俺が準備したはずだ。よくわからないけど。

だというのに、俺が使えないとはどういうことか。

 

「ははっ、俺はもうお前には負けない。俺の方が強い!」

 

男は容赦がない。凄まじい憎悪と攻撃を俺にぶつけてくる。避けてはいるが、攻撃は掠めてばかりで、段々と消耗していく。

絶体絶命とはこのことだろう。

 

「どうすれば…………っ!?」

 

ガクン、と膝が落ちた。指を動かそうとして、ろくに動かないことに気づいた。

何かが阻害しているかのように、体が動かない。

 

「さっきと同じ……あぁ、お前は知らないか」

「雨の沈静……」

 

草壁の焦った声が聞こえる。

でも、頭だけは妙に冷静で、あの炎にはそういう効果があったのか、と考えている。

青い炎が迫る。男の笑い声が聞こえる。

衝撃がして、気付いたときには自分の体が宙を舞っていた。遅れて、腹に酷い衝撃。突っ込まれたのか。

世界が遠い。全てが、遠い。

 

「終わりだ」

 

俺の炎は、覚悟は、ちっぽけだった。

それをどこかで、仕方がないと思っている自分がいた。

だって、そうだ。自分には覚悟なんてない。何もない、空虚な自分。それが、俺の正体だった。

それを十年後の自分はわかっていたはずだろうに、どうして……どうして、俺に開けない匣なんて託したんだろう。

 

「兎の人!!」

「桂木さん!!」

 

声が聞こえる。けれど、あまりに遠い。

どうして、こんなことになったかな。

ただ、怪しいやつを見つけて、追いかけて、揉み合っただけなのに。

それは奇しくも、あの時思ったのと似たようなこと。

自分にとって当たり前のことをしただけなのに、理不尽にも全てを奪われようとしている。そんな現実に直面している。

死にたい感情は、あった。

生きたくない感情は、あった。

自分が嫌いな自分は、自分を認められない自分は、きっと何者にもなれやしない。

誰も、守れない。

あぁ……せめて、匣が開けられたらな。

もしかしたら、何かできたかもしれないのに。

守れたかもしれないのに。

 

『たぶん、色んなものが色んな方向から乗っかってくるからじゃないかな』

 

その通りだった。色んな物が乗りすぎた。重すぎる体は、もうびくりとも動かない。

死を覚悟する。そして、

 

「せめて……」

 

思う。どうせ死ぬのなら。

そう、せめて。

最期に、恭弥に謝りたかったな……。

 

「明祢さん!!」

 

迫るのは銀色の刃。狂喜に染まった男の表情。

とどめだけは、自分の手でやりたいらしい。

後悔が降ってくる。けれど、迫り来る死に対する恐怖はなかった。緊迫した状況で、心臓は喧しく動いている。

ただ、緩やかに世界が動いていく。

 

遅い。体が遅い。流れる景色が、時間が遅い。

頭が回る。思考が回る。世界が分割される。

複数の画面を、全て早送りで見ているようだった。

 

遥か遠くの方から、声が聴こえる。

海に漂う海月のように静かな世界が、急速に変わり出す。

誰かが、名前を呼んでいる。




いきなり十年前から来た奴が勝てるわけないのです。
なんで匣が開かなかったのかは、また次回
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