雲雀は月夜を咬み殺さない   作:さとモン

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40.雲を目指して

『明祢』

『………それ、やめて。嫌いだから』

 

何年前だったかな。まだ幼稚園児だったから、十年くらい前のことか。

その頃の雲雀は、俺のことをそう呼んでいた。でも俺は、この辺りからそう呼ばれることが嫌いだった。

だから、このときも相当不機嫌そうな顔をしていたはずだ。

 

『なんで嫌いなの?』

『だって、女っぽいって馬鹿にされるし……』

『ムカついたんなら、まとめて咬み殺せばいいのに』

『それが出来るのは恭弥くらいなんだよ』

 

拗ねたように吐き捨てた。

この時の俺は今よりもずっと弱くて、雲雀に殴られてばかりいた。杵を振り回すことも出来なかったから、当然悪ガキたちには敵わなかった。

 

『………君の名前って漢字でどう書くの?』

 

突然、雲雀がそんなことを言った。俺は驚いて、どうしたんだろうと訝しげに雲雀を見た。

雲雀は他人の名前に興味なんか示さないからだ。

 

『こう』

 

ゆっくり、丁寧に、恐る恐る、地面に指で名前を書く。

──明祢

そういえば明祢の「祢」の字は、恭弥の「弥」の漢字と似てる。

書いてから、そんなことを考えた。

雲雀は、書かれた俺の名前をじっと見つめた。それから数十秒して、何かを思い付いたのか、足を動かした。

 

『じゃあ、こうすればいい』

 

恭弥は俺の名前の「祢」の字を、足で消した。

 

──明

残ったのは、それだけ。

 

『……なにこれ?』

『今日からこれが君の名前だよ。いいね、(あき)

 

鈴の音が鳴るように、その声は染みていく。

胸の辺りがぽわぽわとしたのを覚えている。暖かくて、心地が良かった。どうしようもなく嬉しかった。

 

時間はとうに止まっていた。

停滞され、引き延ばされた時間の中で、俺は膨大な量の映画を見ていた。

無限に続くかのような螺旋を降りていく、そんな感覚に近い。

記憶が戻っていく。忘れていた記憶が、泡となっていた記憶が、全部が濁流になって甦る。

 

『明祢さん、恭さんが……』

『恭弥が?』

『見て、自転車』

『へー自転車……って、待って??』

『なにさ』

『それは自転車じゃなくてバイクだろ!?』

 

甦る。

 

『なにそれ』

『並盛中の校歌だよ』

『お前、自分の年齢知ってる?』

『興味ないね』

『馬鹿……』

 

甦る。

 

『母さんが買ってくれた!一緒にやろうぜ!』

『……これ、なに?』

『ゲーム!』

 

甦る。

 

『なにあれ』

『ん? ……あぁ、鬼ごっこだよ。」

『群れてる』

『……確かに』

『でも、追いかけるのは楽しそうだね』

『………わぁ』

 

甦る。

 

そんな記憶の先で、俺がいた。

幼稚園に通い始めたばかり、それくらいの歳。幼い顔は頬が今よりも膨らんでいて、全体的に丸い。触れればすぐに壊れてしまいそうなほどに、弱く頼りなさそうに感じた。

幼い俺は、清泉のように澄んだ瞳で俺を見た。アルバムの写真で見た俺は、こんなだっただろうか。

そんなこと覚えちゃいない。

自分の記憶だというのに、何故か別の視点から見ている。それが不思議だった。

幼い自分が何かに気づいて、急に走り出した。ぱたぱたと足音をたてた先には父さんがいる。俺は父さんの足に、笑顔で抱きついた。

 

『とうさん、聞いて!』

『どうしたんだ明祢』

『俺さ、幼稚園ですっごいやつを見つけたんだ!』

『すごいやつ?』

『うん、すっごく強くて、かっこよくて、なにより誰よりも自由なんだ!』

 

………あ。

これは、雲雀と出会った直後の記憶だ。

殴られた以上に、雲雀と出会えたことが嬉しくて、仕事から帰ってきた父さんに真っ先に伝えに行ったのだった。

それくらいの衝撃だった。

忘れてたけど。

 

なんだか泣きたくなった。

何かを、忘れているような気がした。

螺旋は続く。濁流は止まらない。

 

俺は自由になりたかった。

だから、雲雀恭弥に憧れた。

でも、俺はそうはなれなかった。重たくて、飛べやしなかった。

鳥みたいに、空は飛べなかった。

 

(雲雀恭弥なら、どうするだろう)

 

唐突に、頭に浮かんだ。

雲雀恭弥はどの世界でも雲雀恭弥だっただろう、と。

もし仮にあの出来事がなかったとしても、恭弥は今と大して変わらなかっただろう。

例え俺がいなくても、恭弥は今と変わらない強さであり続ける。

それが雲雀恭弥だ。

例え人を殺したとしても、彼は孤高で気高いまま。何者にも縛られずに自由に生きていく。

 

俺はあの秋の夕暮れに取り憑かれたまま、大事なものを見落としていたんじゃないだろうか。

あいつみたいになりたかった。

強くなりたかった。

それはどうしてだったのか──?

 

螺旋が、終着点を迎える。

 

まだ俺が純粋無垢だった頃。

幼稚園で、一際目立つのに、一人の奴がいた。

幼いながらに強者としての素質を漂わせていたそいつは、触れる全てのものを切り裂く抜き身の刃のようで、誰一人として近寄ろうとしなかった。

だから、そいつに友達なんてなかった。

そもそも本人は、そんなものを必要としてすらいなかっただろう。

でも、俺はどうしてもそいつと仲良くなりたくて。

どうしても、そいつと話してみたくて。

どうしても、友達になってみたくて。

 

『はじめまして、俺は桂木明祢。俺──うぇ』

 

勇気を出して笑顔で近寄ったら、思いっきり殴られた。

それが、俺と恭弥の始まり。

 

(あ、そうだ……)

 

友達になりたかったんだ。

ずっと、なりたくて、仕方がなかった。

 

『桂木さん。貴方は、諦めたんですか?』

『……そうだよ。出来なくなったから、諦めたんだ』

 

なにが諦めた、だ。結局諦めきれなくて、死に際になって後悔してるんじゃないか。

そうだ。死にたくない。このまま死ぬくらいなら、どうして雲雀に何も言わなかったんだろう。言いたかった言葉の一つも、未だに言えていない。

友達になりたいって、結局一度も言ってない。

死ねない。まだ、死ねない。生きたい。言いたい。

 

俺の罪は、誰にも裁かれることがなかった。

警察は証拠がないと捕まえられない。

彼等は裏社会の住人で、しかも密入国者だった。銃も持っていた彼等を、どうやれば十歳の子供が殺したと思える?

指紋なんて付いているわけがない。何せ、幻覚で撹乱されただけなのだ。

証拠は何一つなかった。

後で、彼等は仲間割れをしたのだという結論に至ったと教えられた。

こうして俺の罪は、誰にも裁かれることがなかった。

誰にも裁かれないのなら、俺は自分で罰を背負うしかない。

そうして俺の天秤は、壊れた。

 

でももういい。

多分、この罪は永遠に痛み続ける。永遠に癒えることはない。

それが俺に与えられた罰だ。

仕方がない。

だから、重くたって無理矢理飛んでやる。

前に、前に歩いていってやる。

許されない罪を抱えたまま、生きて、償い続ける。

 

今は、それが俺の覚悟だ。

 

「だからお前には──」

「なにっ!?」

「殺されてやらないッ!!」

 

動かないはずの体を、無理矢理動かす。

軋み始める体、痛みはない。感覚が薄い。それでも、動かす。

脚が動いて、銀色の刃──ナイフを吹き飛ばした。

 

胸が、熱い。

不思議な感覚だった。やけにすっきりとしていて、視界がいつもより明瞭だ。

 

「あ、明祢さん……それ……」

 

丁度胸の辺り。服の下が、()()()()を放っている。

 

「……あぁ、そういうことか」

 

俺は、そこにあるものを知っていた。

服の下にある銀色のチェーンを引き上げる。

そういえば、これも指輪だった。

チェーンの先には、紫色の宝石が埋め込まれた指輪と、これまた紫色の装飾がされた小瓶がある。

指輪は燃えていた。

ゆらゆらと空に浮かぶ雲のように、紫色の炎が揺らめいている。

この指輪は、本来煤けて黒い筈だが、炎のお陰で本来の姿に戻ったのだろう。

それをチェーンからゆっくりと取り外し、自分の左手の中指にある指輪と取り換えた。

 

「………うん」

 

炎が、俺そのものを包み込むほど大きくなる。

先程のグリージョとは比べ物にならないほどの炎の量だ。

 

「わかってたんだな、俺」

 

これが本当の炎。

本当の、覚悟だ。

 

「馬鹿な、雲の炎だと!?」

「雲の炎……わぁ、アイツと同じだな」

 

雲雀の炎なんて見たことがないけど、きっとそうだ。アイツは雲のリングとやらを持っていたのだから、絶対にそうに決まっている。

気付いたときには、落ちてしまっていた匣を拾う。

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか」

「……させるか!」

 

青い炎を纏ったビーバーが動く。

……でも、手遅れだ。

 

「なっ!?」

 

ビーバーが向かった先は、何もない虚空。いや、彼にはそう思えたのだろう。

 

「させない……!」

「ナイス、髑髏」

 

ビーバーが見たのは、髑髏の作った俺の影。

 

「さぁ、ぶっ飛んでいきますか!」

 

どうせなら、月まで飛んで行ってしまおう。

地球の重力さえ無視して、自由に生きてやる。

 

指輪は燃える。

匣にこぶしをぶつけるように、炎を注入する。

カタカタと、匣が動き始める。

膨大な紫色の炎は、確かに匣の鍵だった。

 

……なぁ、恭弥。俺はあの時『俺と友達になってよ』って、言おうとしたんだ。




ずっと、自由に憧れていた少年。

知ってます?兎って一羽、二羽って数えるんですよ。

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