雲雀は月夜を咬み殺さない   作:さとモン

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41.鎖は壊れ、兎は跳ねる

昔話をしよう。

 

『ねぇ父さん。どうしてうさぎは月にいるの?』

『……それはね、良いことをしたからだよ』

 

兎は、自分が生前悪人であったと考えた。だから、善きことをしようと考えた。

飢えた老人を見つけたとき、兎には何もなかったから、身を投げた。

老人は神だったから、兎の心に感心して、兎を月に昇らせた。

 

うちの家でウサギを飼っているのは、信仰する神の化身が兎だったからというだけじゃない。

そもそも、月と兎は密接な関わりがあるならだ。

桂木家は、その名からして月と関わりがある。だから、若返りの水なんて伝説が、今も語り継がれているんだろう。

そんなもののために人生を狂わされたなんて、俺は許せないけど。

 

カタカタと、匣が震える。

中身は知らないが、十年後の俺が残したものだ。存分に期待しよう。

 

「なっ──」

「わぁ」

 

感嘆の声が零れる。

それは俺の予想を越えていた。

 

灰色の毛並みは光を受けて銀色に輝き。遠く遥かな所まで轟くように、壮大な遠吠えが響く。金色の瞳は鋭く獲物を睨み、紫色の炎を纏ったそれは、山の神の使いと呼ばれるに相応しい姿だった。

 

「お、狼……!」

「デカイ、な……?」

 

その体躯は秋田犬などと比べても明らかに大きい。もしかすると、成人男性一人よりも大きいんじゃないだろうか。

彼、或いは彼女は、俺のことをちらりと見た。金色の瞳は清泉のように澄んでいて美しかった。

 

「一緒に、戦ってくれるのか?」

 

俺が問うと、狼は俺と目を合わせてから、嘲笑うかのようにそっぽを向いた。

 

「えっ」

 

……………困ったことに、俺は雲雀を思い浮かべていた。なんというか、目の前の獣からは自由を好む気質がひしひしと感じられるのだ。

一匹狼、なのだろうか。

 

「は、ははっ……炎がなんだ、お前はそいつを使えこなせないんじゃないか!」

「明祢さん……」

 

いや、違う。彼は見定めているのだ。

俺が主に足る存在か、その在り方を、その力を、意思を、覚悟を見定めているのだ。

俺は一歩、彼に歩み寄った。彼はこちらを見ない。試されていると思った。この、気高い獣に。

……十年後の俺。だからお前は、彼を選んだんだな。

 

「俺はアイツを倒したい。復讐なんかじゃない、俺が今日を生ききるために、一緒に戦ってくれ」

 

狼の目が、俺を射ぬいた気がした。

刹那、獣が駆けた。

向かう先は手負いの海狸。

彼の牙はその肉を突き抜け、骨を砕き、あっという間に肉片と変える。

 

「は?」

 

灰色の男の呆然とした声。その声を聞く前に、俺は走り出していた。

手に収まっているのは、普段から隠し持っているナイフ。

もう、遠慮はしない。

 

「俺はアンタが許せない」

「それはこっちの台詞だ桂木明祢!」

「お前のそれは自業自得だろ」

「俺は俺の仕事を全うしようとしただけだ!」

「そんなの、奪われた側には関係ない。あぁ、でも……アンタもそうなんだよな」

 

俺たちはお互いに奪い合ったのだ。

彼は日常を、俺は命を奪った。

だからお互いに許せないし、許すつもりもない。

俺の言葉は彼だけでなく、俺にも向いていた。

体が重い。雨の沈静とやらの効果は、俺の想像以上に俺の体を蝕んでいる。気を抜けば、一瞬で御陀仏だろう。

なのに、体は熱かった。

アドレナリンが多量に分泌されているのかもしれない。痛みはなく、そのくせ頭は冷静だ。

 

「お前さえいなければ良かったんだ、お前さえいなければ! お前があの時、大人しく諦めていれば……!!」

「────それは違う」

「は……?」

 

男の憎悪は、おそらくは俺が裏社会に向けていた憎悪よりも強い。……例えそれが、間違ったものだとしても。

今更、そんなものに怯えるような子供にはもう戻れない。無邪気なあの頃には戻れない。

俺はあの日のことを、今でも鮮明に覚えている。忘れることなんてなかった。だから、断言できる。

 

「俺が諦めなかったんじゃない。雲雀が、恭弥が諦めなかったから、それに引っ張られだけだ」

 

あの時、恭弥は最後まで抗っていた。それは彼自身の気質もあるけれど、俺を守ろうとしてくれていたのだろう。

恭弥は、誰かのために他人の足を掴むような人間じゃないのだ。

 

「恭弥がいなかったら、俺は死んでた」

 

俺一人だったら、とっくに諦めていた。

元々俺は、自分が好きじゃない。痛いのは好きじゃないが、それだけだ。自分を大切にしようと思えない。

俺があの時、幻術を使えたのは、そこに大切なものがあったからだ。

左手の人差し指に触れる。

 

「だからなんなんだ! 俺は何もかもを失った。何もかもを奪われた! だからお前からも奪ってやりたいだけだ!俺達はただ、生きたかっただけだ!」

「……」

 

その慟哭は、どうしようもなく俺に刺さる。それが、俺が奪ったものの重さだとわかっているから。

俺達が奪ったものは、等価値じゃない。壊れた天秤でも、それは分かる。

それでも。

 

「馬鹿か、お前は」

「は?」

「そんなことをしても、お前は救われないよ」

 

復讐ほど、虚しいものもない。それは永遠に消えることのない焔だ。例え俺が死んだとしても、彼等が帰ってくることはないのだから。

布石を、打つ。

 

「お、まえ……お前お前お前! 許さない許さない許さない!!」

「いいよ、許さなくて。俺もそう思うから」

 

彼のそれが勝手だとしても、俺の中では一生痛み続ける罪だ。いつか、傷が跡になったとしても、ずっと痛みは引かない。

一瞬だけ目を閉じた。思い返したのは、壊れ続けた五年間。生への執着を無くし、痛みだけは嫌だと泣き続けた五年間。

 

「……ごめんな」

「今更謝っても──っ!?」

 

ナイフを振りかざすフリをした俺の影から現れたのは、一匹の狼。それに驚いた男は後ろへ下がる。

そして、背後から脚を噛まれた。

 

「………は?」

 

おもむろに、男は()()()へと振り向く。何かに気付いて、彼は力を抜き、ナイフを落とした。

 

「そうか……雲と霧……」

 

男を取り囲むように、狼の群れがあった。それらは、皆同じ顔をしている。

男と目が合う。それに気付いて、笑ってみせる。

男の背後にいる、俺の幻覚が消える。

一斉に狼たちが距離を詰め、彼を喰らうように咬み荒らす。

 

「狼は群れで狩りをするんだ」

「あ゙がァ!?」

 

脚を喰らう。腕を喰らう。けれど、それは飲み込まず、ただ咬むだけだ。彼等は、ちゃんと俺の意思を汲んでくれている。

しばらくして、狼たちが男から離れていく。残されるのは、血塗れの男だ。

 

「な、んで……俺の方が強い筈なのに……俺はもう、負けない筈なのに……」

 

倒れている男の側に、俺は近づいた。

 

「なぁ、グリージョさん。俺は自分の罪を一生背負うよ。生きて、その自らに罰を与え続ける。あんたに、その覚悟はあったのか?」

 

過去は消えないし、変えられない。失ったものは戻ってこない。道は、戻れない。

その喪失感に悩まされることもあるけれど、それでも生きていかなくてはならない。

永遠に許されることがなくても、許されるように生きなくてはならない。

 

「お、れは……」

 

俺にはもう、命の重さがよくわからなくなってしまったけれど。命が失われるときのどうしようもない喪失感は知っている。胸を襲った、あの悲しみも知っている。

 

「今度は殺さない。生きて、苦しめ」

 

グリージョは目を見開き、それから、傷だらけの手のひらで自らの顔を覆った。

失ったものは、何も答えてくれない。

彼の喪失は彼だけのもの。他人で、ましてや、略奪者である俺が簡単に触れて良いものじゃない。

 

(あき)さん……」

「あぁ、草壁………ぁ?」

 

草壁が駆け寄ってきたのだけど、体がふらついて転けた。多分、五体満足な姿を見て、気が緩んでしまったのだろう。まだ、沈静の炎は俺を蝕んでいるらしい。

 

「久しぶりに、貴方が恭さんのことを名前で呼んでいるのを聞きましたよ」

「……そうだな」

 

寄ってきた狼に凭れる。想像よりも柔らかな毛が心地いい。

俺達は穏やかに笑いあった。

それは、束の間の休息でもあった。

 




14話で、ヒバードが「アキ」と鳴くシーンがあるんですけど、実はあれ「明」の意味なんですよね。
雲雀さんは「明」と「明祢」両方の名前をヒバードの前で言っていたことになります。遅刻してくる明祢を、窓から覗きながら。
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