雲雀は月夜を咬み殺さない   作:さとモン

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未来編 27.朝の茜はまだ訪れない まで読後推奨





番外編
手を取るは林檎


それは今から七年ほど前のこと。

フランスのジュラでも田舎のところに住んでいた頃、おばあちゃんに呼ばれて家から出ると、見たことのないオニーさんが、おばあちゃんと喋っていた。

オニーさんは、ボサボサな真っ黒い髪に縁の厚い眼鏡を掛けていて、野暮ったい印象が強かった。

 

「フラン、このお兄さんが貴方に頼みたいことがあるって」

 

オニーさんはミーのことを見て、驚いたように目を見開くと、すぐに笑って、ミーと同じくらいの目線になるようにしゃがみこんだ。

 

「……アンシャンテ、フラン。今日はよろしく」

 

目の前のオニーさんは、片言なフランス語を言いながら、手を差し出した。

ミーはその手を掴んで握手をしてから、オニーさんの髪を見た。やっぱりボサボサだ。

 

「うわ、ポメラニアンがいる」

「………なるほど」

 

これは手強い、とオニーさんは引きつった笑みをした。

 

 

 

 

 

 

フランは青年(赤塚暁と名乗った)を見上げながら、不思議そうに頭をかしげた。

 

「オニーさんは、チーズを買いに来たんですか? それともワインですか?」

 

フランの住んでいるフランスのジュラ地方は、ヴァン・ジョーヌ(黄ワイン)などのワインやコンテチーズ、モン・ドールなどといったチーズの生産地として有名な地域だ。

実際、フランの祖母もチーズを生産している。

しかし、ジュラでもフランの住む地域はド田舎だった。

 

「モン・ドールは食べてみたいけど、今日はどっちでもないかな」

「じゃあ、何をしに来たんですか? もしかして、観光ですかー?」

「んー……似たようなもの、だな」

「似たようなもの?」

 

眼鏡の奥の暁の瞳は、フランの身長では角度的に見えない。しかし、笑っているのだろうことは容易に想像できた。

 

(変な人だなー、この人)

 

楽しくもないのに、いちいち笑っている。

上部だけの笑みは、フランには不恰好に見えた。

 

「フランに案内してほしいんだ。出来るだろ?」

「……それって、どこですかー?」

 

興味を持ったから、フランは暁について観察しようと思ったのだった。

道は普通の人間が通れるようなものではなかった。川の上流の方からかなり歩いたところにある泉は、人を遠ざけるようにひっそりとしたところにあった。

フランは、険しい道を平然と乗り越えた暁に対し、興味がさらに深まっていた。

 

「ここが泉ですー」

「……なんか、古いって感じだな。泉だけ残っているのが不思議だ」

 

暁は泉の周りを見渡す。

周囲には木々が生い茂り、遺跡らしきものが風化して崩れている。

 

「この泉、ボロクセーだけなのに何の用なんですかー?」

「………うん」

 

暁はしゃがんで泉の水にそっと触れると、何かが気になるのか、口元に手を寄せ、考え込んでしまった。

フランはそれを横から覗き込む。

暁はやけに険しく、難しそうな顔をしていた。

 

「ここも駄目か」

 

何かを確信したのか、ほんの少しだけ頷くと、暁はすくっと立ち上がり、フランの方を向いた。

 

「もういいんですかー?」

「あぁ、確認は済んだ」

「ふーん……」

「すまないな、フラン。疲れただろ?」

「いや、別に」

「そうなのか? フランは凄いんだな」

 

暁はそう言って、フランの頭を撫でる。

フランの頭は、リンゴだった。その上から、暁は優しく頭を撫でるのだった。

残念なことに、フランにはその感触はなにも伝わらなかった。

 

 

フランの家の近くまで帰ってくると、なにやら騒がしかった。

 

「フラン、静かにして俺の後ろにいるんだ」

「どーしたんで……」

「フラン」

 

暁が、神妙な顔をしてフランを自らの背に隠す。フランは不思議そうにしながらも、ふざけている場合ではない雰囲気を感じ取って、大人しく黙っていた。

 

暁は騒がしい方にゆっくりと進んでいく。進むにつれて、言葉がハッキリと伝わってくる。

 

「殺すぞ、ババア!」

「あっ」

 

暁の背後で、フランが声を上げた。

いかにも柄の悪そうな、サングラスを掛けた男たち二人に囲まれていたのは、フランの祖母だった。

男たちとフランの祖母が、暁とフランの方を向く。

フランの祖母の表情は、恐怖で青かった。

暁はフランの手をしっかりと掴むと、男たちを睨んだ。

 

「何をしている」

 

地の底を這うような、明らかな嫌悪を滲ませた言葉だった。

フランは恐る恐る、暁の顔を見上げた。

茶褐色の瞳が、太陽の光に照らされて琥珀色に見えた。

怒っているのだと気付くのに、時間は必要なかった。

 

「誰だテメェ」

「貴様らに名乗る名などない」

「んだとォ!?」

「……貴様らに与えられている道は二つだ。今すぐ立ち去るか、痛い目を見て立ち去るか。そのどちらかしかない」

 

暁の声には、鋭い刃のような気配が込められていた。

男達はそれに冷や汗をかきながらも、立ち去る様子はない。

暁が一つ、歩を進める。また一歩、一歩と進む度、男達の背を流れる嫌な汗は多くなっていく。

 

「っちくしょう!!」

 

やけになったのか、男の一人がナイフを取り出した。

それを見た瞬間、暁は冷静に足を止め、フランは「……おばあちゃん」と呟いた。

 

フランは良い子ではなかった。

当たり前に他人に受け入れられるような子供ではなかった。

フランは悪い子だった。そして、魔法使いだった。

だから、両親に見捨てられた。

フランは覚えている。

初めて魔法を使ったときの両親の顔を。

恐怖に顔を縛られ、一歩ずつ後退りしていく彼等を、フランはどこか遠くに感じていた。

それに、どこかが痛んだわけではない。ただ、遠いと思っただけ。

だから、魔法を使っても……頭のリンゴを見ても、それをフランの当たり前だと受け入れてくれるような人は、フランにとっては可笑しな人物だった。

それが、おばあちゃんだった。

おばあちゃんは何も言わないし、聞かなかった。フランのリンゴについて、何も問いたださなかった。

フランは別に、おばあちゃんが好きだったわけではない。

弁当は不味いし、チーズは固い。……けれど、おばあちゃんの作るチーズは美味しかった。

 

「離れてくださいダサングラス、それはミーのおばあちゃんです。ババアじゃありません」

 

フランは魔法を使うことに決めた。

 

「誰がダサングラスだ!」

 

フランの言葉に男達が激昂する。だが、それフランが動じたような様子はない。

フランは男達を見つめた。

直後、不思議なことが起こった。

男達が、溺れたのだ。

 

「……!!」

 

息が出来なくなった。

ついで、水を飲み込んだ。

気管に水が入り込み、ゲホゲホと咳をする。だが、再び呼吸をしても、そこには水しかない。

彼等は水の中にいた。突然流れ込んできた濁流。いつまでも水上に出られない、無限の水の中に。

結果、彼等は溺れた。

三十秒、このままいけばあと六十秒で気を失う。

 

「……フラン」

 

その時、声がした。それは暁の声だった。いつのまにか、フランの祖母を連れて、フランの目の前に戻ってきていた。

暁はフランの頭を一撫ですると、屈んでフランと向き合い、不器用に笑った。

 

「フラン、お前がやる必要はない」

 

暁が言うと、フランの魔法に異変が起きた。

いきなり、水が引いた。

代わりに現れたのは、巨大な怪物だ。

それは三つの頭を持った狼だった。尾は蛇のように鱗があり、人間一人など容易に一飲みしてしいまそうなほど大きな口が、男達を喰らわんとばかりに開いていた。

 

「ひっ……」

 

ゲホゲホと咳をしていた男達の喉から、引きつった声が零れる。

彼等の顔は、恐怖に支配されている。

三つ首の狼が、力強い声で吼えた。

男達は尻餅をつきながらも、ずるずる後ろへと下がっていく。

彼等はとうに、フランの祖母のことなど忘れていた。

 

「立ち去れ!」

 

暁が大声を張り上げた。男達はそれを聞いたと同時に、一斉に走り出して逃げていく。

それは不思議な光景だった。

フランの祖母は一連の、男達の奇怪な行動を、ポカンとした表情で見ていた。

彼女の視界には、水も化け物もいない。

いきなり苦しみ、怖がり逃げ出した可笑しな男達がいただけだ。

 

「……地獄の門番なんぞ、現実にいるかよ馬鹿」

 

暁は侮蔑するように、男達の背をにらんでいた。

フランは暁を見た。暁も、フランを見た。

 

「……フランお前に話したいことが」

「オニーさんも魔法使いだったんですか?」

「へ?」

 

暁の眼鏡の奥の目が、虚を突かれたように丸くなる。彼の行動のすべてが一瞬固まる。

言葉の意味が、理解できなかったからだ。

 

「ミーは魔法使いです。だからおばあちゃんのところに預けられてるんです。オニーさんも同じなんですか?」

 

聞いて、暁はようやく全てを理解する。

彼は無知なのだと。

同時に、この幼い少年は、自らの力の異質さにも気付いていたのだと。

暁は、心配させまいと微笑んだ。

 

「……フラン、あれは魔法じゃない。幻術っていうんだよ」

 

暁はそう言って立ち上がり、フランの祖母と向かい合った。

 

「失礼を承知で頼みがあります。フランを、こちらで引き取らせてください」

 

暁は、頭を深く下げた。

それはどこか、懺悔するようでもあった。

 

 

 

 

 

暁の後ろを、フランはとことこと歩いてついていく。

荷物は少ない。

あの後、フランの祖母は暁の申し入れを二つ返事で承諾した。随分と呆気のないことだった。

あまりの呆気なさに、申し入れた暁の方が驚いたほどだ。

 

「今どこにいる? ……日本? なら、丁度良い。……頼みが出来た。今からそっちに行く。そうだな……明日だな」

 

暁は電話をしていた。どこになのかは、フランにはよくわからない。

相手はそれなりに親しいようで、暁の口調はどこか気安い。

ピッ、という音がして電話が切れる。

暁がフランの方を向く。

 

「……さて、改めて自己紹介しないと」

「?」

 

暁はいきなり、服装を整え出した。

みるみるうちに、野暮ったい印象は消えていく。

暁は髪の毛を掴むと、思い切り引っ張り──髪がずれた。

 

「……かつらだったんですかー。その歳でかわいそうに……」

「見ろ、ちゃんとあるだろ髪」

 

黒いかつらの下から出てきたのは、焦げ茶色の髪だった。

量はしっかりとしていて、どこにもツルツルとした部分はない。

 

「俺の名前は桂木明祢。よろしく、フラン」

「もしかして、今までの偽名だったんです?」

「そうだよ」

「……名前、そっちの方がらしいですねーアカネさん」

 

暁──桂木は何かを痛むように、一瞬目を細めた。フランはそれに気付いたが、何も聞かなかった。

 

「……そうか、ありがとう」

 

桂木は笑った。やはり、不器用な笑みだった。

桂木の、フランより一回りも二回りも大きな手が差しのべられる。フランは、その手にそっと自分の手を乗せた。

 

その後、二人は日本に渡った。

とある人物に会うために。

 

 

──後に、ある人物は語る。

厄介なものを押し付けられた、と。




「アンシャンテ」
フランス語で「はじめまして」という意味。

話が進んだら番外編ではなく本編に組み込むかもしれませんが、とりあえず番外編ということで。

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