悪魔、降臨せし時①
「熱く絡み合おうじゃないか」
華々しいスポットライトを浴びて佇む男の、赤い双眸がぎらりと輝く。
地に伏せた数多の男たちの苦しみに満ちた喘ぎに、その深紅の目に恍惚が滲む。
圧倒的な力を見せつけたその悪魔は、高らかに嗤い羽を広げた。
とある男にとって、死は始まりであった。
とある男にとって、始まりは死であった。
特別なことをしたわけではない。
いつも通り朝起きて、いつも通り出勤して……。
強いて言えばそこからがイレギュラーであった。それだけだ。
通りすがりに、脇腹に一刺し。随分呆気ない最後であったと思う。
ただこのご時世ニュースを付ければ、殺人、自殺、盗難、火災といった様々な事件が絶えず報じられている。
男が一人死んだ事件など直ぐに忘れ去られるだろうと、男は最後に笑った。
男には心残りとなる存在などなかった。
だから、例え自分の死であっても大した動揺などしなかった。
むしろ、死んでからの驚きの方が大きかったと思う。
死後の世界など考えたこともなかった。
極楽浄土でも地獄でも、現世よりも酷いものはない。
男はずっとそう思って来た。
ふと目を開けると、そこは変わらない世界がそこにあった。
がたんがたんと揺れる音色は電車の音だろう。
がやがたと騒がしい声たちは人々の声だろう。
ちらちらと感じる視線の波は人々の眼だろう。
どうやら此処は電車の中らしい。
「……」
ぼんやりした頭で、手元に視線を移す。
そして男は内心で首を傾げた。
すると視界に入った手と足に、違和感を感じた。
こんなに自分の手は大きくて、指は長かっただろうか。
こんなに自分の足は筋肉質で、長かったであろうか。
手に持っていた見慣れない携帯の、大きな画面を覗き込む。
「……これ、は」
黒い画面に映し出された顔は、自分のそれとは明らかに違っていたのだ。
艶やかな短い黒髪に、紅玉の瞳、目鼻立ちの良い端正な顔立ちを、何処かで見たことがある気がして、思考停止しかけている頭を何とか回す。
そういえば、そうだ。気紛れでインストールしたアプリに、出て来るあの強烈なキャラクターに、似ている。いや似ているレベルなんてものではない。緊急急速回転のためにオーバーヒート寸前の頭で、男はそう考えた。
そのアプリを特別やり込んでいたわけではないが、あまりにもインパクトのあるキャラクターであったために、恐ろしい程記憶に残っていた。
衝撃から忙しなく動き始めた心臓と、眩暈すらしてきた視界が揺れる。
今自分が置かれている状況を上手く飲み込めない。
するとその時、暗くなっていた携帯の画面がふと明るくなった。
恐る恐る覗いてみると、何かメッセージを受信したらしい。
『○○年○○月○○日 △△時
××駅 ××会場へ』
淡々と画面に浮かぶ誰かからのメッセージを眺める。
それが何を意味するのかは、わからなかった。
しかし逆に言えばそれしか、わからないのだ。
「次は××駅~、××駅~」
タイミングを見計らったように聞こえて来たアナウンスに、男はため息を吐く。
どういう意図があり、どういう思惑があるのかは知らないが、今は従わなければならないようだ。
減速した電車が滑るように駅へと入る。
一拍置いて開かれた扉に、男は立ち上がった。
駅に並ぶ店の硝子に映る自分を、男は初めて見た。
黒いドレスシャツに羽を模した飾りが、二の腕を飾っている。
同色のパンツとブーツに、ベルトを巻いたシンプルなスタイルだが、長身痩躯ながらも筋肉質な体には良く似合っていた。ただし羽がふわふわと揺れてとても邪魔ではあるが。
そして、この身体がとんでもない多機能型であることに、歩き出してすぐ気が付いた。
人間離れしたという表現が似合うかもしれない、視覚に聴力に優れており、少しでも不審な動きがあれば目についてしまうらしい。
男は記憶と同じ名前の同じような造りの駅を、歩いていく。
日本を代表するといっても過言ではないこの駅は、迷宮のような造りをしている。
それだけ利用人数が多いということだが、人で常にごった返しているのだ。
幅広い年齢層の人間が、カジュアルな服をはじめ、スーツやドレス、着物など様々な服を身に着け行き交う。
そんな人混みの中の、一人の人間が何故か気になった。
赤いパーカーの上に学ランらしきものを着た少年の後ろにぴたりと付いた、黒いスーツの男を注視する。
その時だ、少年が持つバックに素早く手を伸ばしたスーツの男は、何かを掠め取り足早に歩き出したのだ。
考える暇などはなかった。反射的に足が動いていたから。
まるで飛翔するような軽やかさで男は走る。
人混みに足を取られることはなく泳ぐように擦り抜けて、スーツの男の目の前へと回り込んだ。
「ちょっと良いかい、オニイサン」
ぎらりと赤い瞳が輝く。
獰猛な獣のそれように嗤った男に、スーツの男は悲鳴を上げた。
***
「あ、あの……!!
ありがとうございます!!」
「いや、良いさ。俺が勝手にやったことだ」
柔らかな黒髪を持つ少年は、
どうやら、駅で使用して適当に突っ込んだ財布がバックから飛び出ていたために、悪い大人に狙われてしまったようだ。
随分着崩しているが、推測するに中学生ぐらいだろう。
「次から気を付けな。お前が思っているほど、大人は善ではないんだ」
「は……はい、あ、あの何か……お礼を」
「イタイケな少年にお礼をされる程のことじゃないさ。
気持ちだけ受け取っておくよ」
愛嬌のある笑みを浮かべる少年に、ドン引きされるのは御免なので、男は男のままで接することにした。
「あ、あの!!」
財布も少年に返したので、男はそのまま去ろうとした。
しかし、少年に呼び止められて再び足を止める。
「あの……。俺、山田一郎って言います。
もし良かったら、連絡先教えて下さい!」
「一郎君、ね。教えるのは構わないが……」
「い、いやその、ご迷惑を掛けることはしませんので!」
ポケットから取り出した携帯のロックを外して、連絡用のアプリを開く。
すると嬉々とした表情を浮かべた一郎と名乗った少年は、自分の携帯を取り出すと連絡先を交わした。
互いの連絡先が入った携帯に、ふと男は疑問に思う。
自然に手にしていた携帯を使用しているが、連絡先の名前とか、どうなっていたか。
「べ、ベリアル……さん?」
どうやら、携帯に入った自分の名前は、キャラクターそのものの名前らしい。
外人の名前というか完全にとある悪魔の名前である。
いい年をした大人がこの名前はヤバいのでは、と内心で慌てふためいていると、眉を顰めて何かを考える素振りを見せていた一郎が、ぱと顔を上げた。
「も、もしかして……××会場で行われる、ラップバトルに参加したり……します?」
「……行先は、××会場だが……」
「や、やっぱり!!べ、ベリアルさんって「あーちょっと、その名前を叫ばれるとオニイサン、困るな」
ラップバトルという言葉に疑問を感じたが、それよりも何故か興奮したように大声で叫ばれた名前に、周りの視線が突き刺さるのを感じて居た堪れなくなる。
確かに顔立ちは外人でもいけなくはない気もするが、名前が名前だ。
色々な意味で痛い大人、と認識されるのは、とてつもなく恥ずかしい。
「え、じゃあ……なんて呼べば?」
「……うーん。まあ、お兄さんで、良いさ」
流石に本名を言う気にはなれないので、適当に濁しておく。
すると、何故か少し恥ずかしそうな顔をした一郎が、小さく呟いた。
「に……兄ちゃん……。俺、弟はいても兄ちゃんはいないから、なんか変な感じだ」
照れたように笑った一郎に、男は少し罪悪感を抱く。
思わず少し視線を逸らすと、駅構内に置かれている大時計が、そろそろ会場に向かわなければならない時間を差しているのに気が付いた。
「一郎君も、会場に行くのかい?
それなら話は歩きながらにしよう」
「やっべ、もうこんな時間……!」
男がそういうと、少年は慌てたように時計を確認した。
どうやらこの少年の目的地も同じであるらしい。
なんにせよ情報不足であることは、否めないのだ。
一郎がいてくれるのはとてもありがたい。
さり気無く話を聞き出す必要がありそうだと、男は溜息を吐いた。
そうして、歩きながら一郎に当たり障りのない質問をしつつも思考を回す。
足を向けている先は、ラップバトルの会場のようである。
ラップバトルは、ヒプノシスマイクというものを使って行われる正当な精神的バトルで、今回のバトルは過去最大で特別な意味を持つバトルのようだ。
一郎が男の名前を知っていたのは、パンフレットに書いてある参加者名簿の中にあった名前を偶々憶えていたらしい。
一通り話を聞くと、突拍子のないことに巻き込まれていることを改めて認識させられる。
男は、背中を冷や汗が伝うのを感じた。
ラップなどの経験も知識も勿論無い。それにそのような大会に申し込んだ記憶もない。
ヒプノシスマイクとやらも知らない。どうすれば良いかと頭を抱えそうになる。
だが無情にも止められない足は、会場へと近づいて行っているのだ。
「そう言えば、兄ちゃんはグループで参加してんのか?」
すっかり打ち解けてしまったというか、懐かれたというべきか。
砕けた口調でそう話しかけられた男は、更に頭を悩ませることになる。
「いや、……違う」
恐らく知り合いはいないので、嘘を吐いても仕方がないだろうと素直に返答する。
一郎の話を聞く限り、このラップバトルはグループでの参加と個人の参加の両方が可能のようだ。
ただし、最終決戦まで残ることがあれば、個人対グループという過酷なバトルになることもあるそうである。
男はこの時、参加したとしても、絶対に最終決戦などには残れないと思っていた。
むしろ、辞退も考えていたほどである。
「兄ちゃん……ごめん、俺グループ参加だから此処で」
「ああ、頑張れよ」
「……なあ、兄ちゃん!」
「ん?」
「今度、遊ぼうぜ!!」
「……ああ」
失念していたが、一郎はグループ参加であるため、仲間との待ち合わせがあるのだろう。
此処まで付き合わせてしまったことを詫びるべきかと考えた男に、一郎はふと寂しそうな表情を見せた。
そして、一拍置いて明るい笑顔を浮かべると、絶対連絡すっから!!と手を振って去って行った。
「……さて、どうするか」
「お前……!!さっきの……っ!!」
会場のエントランス前に辿り着いたは良いが、正直場違い感は否めない。
このままバックレるのもありかと顔を上げると、目の前には先程の黒スーツを着たスリ男がいた。
怒気を含んだ低い声に男は逆恨みを抱かれていることを、何となく察した。
警察に突き出しておけば良かったかと溜息を吐いた男を、じとりと睨み付けたスリ男は厭味ったらしく笑った。
「なんだてめえも参加者ってわけか!!
なら丁度良い。俺に恥かかせたこと、後悔させてやらあ」
「自爆しただけだろう?」
「うるせえ!!いちゃもん付けやがって、俺様を誰だと思ってんだ!!」
気が短いというか、お頭が足りないというか。
触れてはいけない
吐き出される言葉はどれも的違いで、しかも二人がいる場所は人が多く集まる受付のあるエントランス前である。
野次馬の好奇の目が突き刺さっているが、スタッフですらスリ男を止めようともしない。
これから言葉で戦うものが、これくらいで負けては参加資格もないということだろうか。
男は気が長い方であるが聖人ではない。
血走った眼を見開いて詰め寄って来る男に、ぷちりと何かが切れる音がした。
「カッカするなよオッサン。キミじゃあ何も感じない。
……前戯以下だ」
くつりと低く喉で笑った男は、蔑みの目を向ける。
その瞬間、一変した空気に会場の空気が止まるのを感じた。
***
熱気に満ちた会場内は、このバトルがとんでもない影響力を持っていることを示していた。
あちらこちらに置かれたテレビ局のカメラと、その近くにいるアナウンサー達が忙しなく動き回っている。
見渡す限り人で埋め尽くされた広い会場に足を踏み入れた男は、ただ溜息を零した。
少々記憶が飛んでいるが、自分は
先程の騒動でスリ男が出したマイクに対抗するように、自然と手にしていたマイクは、ガイコツマイクに三対の蝙蝠の翼がカスタマイズされたものであった。
それが悪魔をイメージしているものだということは、何となくわかる。
「……それにしても」
気が付いたらスタッフらしき人々に止められていたが、自分を何をしたのだろう。と首を傾げる。
スリ男如きにぶちぎれた自分に呆れるも、何せ記憶がないのだ。
気が付いたら、受付を済ませて此処に来ていた。それだけだ。
「おい、てめえ」
始まるまでは、まだ少し時間があるので、人を掻き分けて廊下に出る。
何せ会場全体が広大な上に参加者と閲覧者が非常に多いため、外に出るのも苦労をした。
そんな中不意に後ろから掛けられた声に、男は振り返る。
すると、そこには白いシャツに革ジャンを羽織った銀髪の青年がいた。
男の赤い瞳とは少し色合いの異なる、切れ長の赤い瞳を男に向けた。
「てめえが、ベリアルか」
「……そうだが?」
「……ふん。気に入らねえ面だなァ、オイ。
俺様はThe Dirty Dawgの碧棺 左馬刻だ」
一郎が世話になったようだが、と鼻で嗤った青年は名乗りを上げた。
左馬刻は男を値踏みするように上から下まで、視線を流す。
「さっきとは別人じゃあねえか」
「……?」
「マイク握るとスイッチ入るタイプってか、そりゃ楽しみだ」
にいと狂犬の如く歯を剥き出して笑った左馬刻に、男は訝しげに眉を顰める。
だが男の様子など意に介す様子もなく、煌々と赤を輝かせた。
「精々、上がって来い。
ベリアル……てめえは、俺様が直々にステージで殺してやるよ」
それだけを言って去って行く青年の後ろ姿を見送りながらも、更に男は混乱する。
さっきとは別人じゃあねえか。左馬刻は確かにそう言った。
さっきというのはきっと、エントランスでスリ男に絡まれた時であろうか。
その時に自分は何をしたのか、思い出そうとしても何も浮かばない。
そうしているうちに、会場内にバトルの始まりの時間を告げるアナウンスが流れた。
こうなってはもう腹を括るしかないようである。
男は仕方なく足を舞台へと向けた。