Paradise Lost Division   作:陽朧

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悪魔、降臨せし時⑩

しとしとと落ちていく雨粒が、天から零れおちていく。

分厚い雲によって月が隠され、濡れた夜の街は一層にネオンの光を引き立たせていた。

光の乱反射(マジック)によって彩られた街を見下ろすことに出来る、とあるビルの屋上に立ったベリアルは、傘も差さずにただ天を仰いだ。

 

 

「雨やまぬ 軒の玉水 かずしらず 恋しきことの まさるころかな」

 

 

ぱしゃり、とコンクリートで固められた床に溜まった水を、弾くような音が雨音の隙間から響く。

それでもベリアルは振り向く素振りは見せなかった。

くすりと微笑む声が聞こえたかと思うと、そんなベリアルの視界の端に紫色が映る。

骨数が多いそれは、和傘と呼ばれるものであろう。

上品な紫色に優美な柄が飾られたそれに隠され、相手の顔は見えない。

 

 

「良い月夜ですね。実にあなたが降り立つに相応しい夜だ。

ねえ……天使さん」

 

 

その男の纏う袴と着物が、夜風に靡き優雅に広がる。

くるりと傘が悪戯に回されたかと思うと、花弁のように香のかおりが散った。

口元だけを覗かせた男にベリアルが視線を移すと、再び軽やかな笑い声が一つ落とされた。

 

 

「申し遅れました。小生は有栖川帝統というしがないギャンブラーです」

 

「へえ、有栖川帝統(こいぬちゃん)は家で留守番(おとなしく)しているハズだけど」

 

「……あなたが、彼の飼い主でしたか。

これは失礼。知らなかったものですから」

 

「そう。それで、何か用があるんだろう?」

 

「実は、僕、あなたの熱狂的ファンなんです。

このような場所に、あなたの姿があったものですから、ついつい付いて来てしまいました」

 

 

視界を過る雨、視界を遮る傘。

だが、ベリアルの赤い瞳は、その向こうを見通していた。

紡がれる物腰柔らかな言葉も、伽藍洞な声では台無しである。

 

 

「キミの名を聞いても意味はないようだね、偽りの姫君(フェイカー)

 

「……さあ、てね。妾にはわからぬ話で御座います」

 

「浅いようで深く、深いようで浅い。まさにマヤカシの男だ。

キミのことは、子犬ちゃんから聞いているよ」

 

「あれは、口が本当に軽い男……。

ただの単細胞であります故、ゆめゆめ騙されぬようにご注意を」

 

「ははっ……違うさ。

あれは、ただ飢えているだけ」

 

「……と言いますと?」

 

「嘘の裏側は、真実とは限らない。

でも、嘘吐き(キミ)嘘吐き(オレ)が相対した時、もしかしたら、そこに微かにでも真実(まこと)を見ることができるかもしれない」

 

「要は、いつものギャンブルというわけか」

 

「蜃気楼同士、いつまでも目を凝らしている意味はないだろう。

どうだい。オレとおしゃべりをしないか、夢野幻太郎(バクくん)

 

「良いでしょう。その代わり、一つ条件があります」

 

 

静かに後ろへと下げられた傘と共に露わとなった、その男の顔。

緑を帯びた瞳は、行燈の中で揺れる炎を想わせる幽玄さが宿っていた。

ネオンの光を反しても尚、品を損なうことはないそれが、ベリアルを見上げる。

 

実は、お互いに帝統からお互いの話を聞いたことがある関係であったのだ。

帝統は、ベリアルには幻太郎のことを『言っていることは曖昧だが憎めない友人』と説明し、幻太郎にはベリアルのことを『腹の中は良くわからないが付いていきたくなる人』と説明していたのである。

 

幻太郎は、何となく話を聞いているうちに、そのベリアルという男を想像するようになっていた。

ミステリアスでいて、相手を惑わすことに長けている。時には真実を嘘に変え、嘘を真実に変える、悪魔のような男を主人公に置いて、物語を書き出そうとしていたところであったので、更に興を惹かれたというわけだ。

 

結果的に言うと、幻太郎の行動は当たりであった。

偶然視界に飛び込んで来た男を見たとき、彼はその男がベリアルであることを直感していた。

何故ならば、幻太郎の思い描いた通りの男であったからである。

そこに存在しているだけで、引き寄せられてしまう、何かが男にはあった。

 

自分の行動がまるで、火に群がる虫のようであったことは自覚していたが、そうせざる負えない何かがあったのだ。

 

 

「あなたを、題材に書かせてもらいたい」

 

「……それは面白いね。だけど」

 

「だけど、なんです?」

 

「オレのモデル料は、高いよ?」

 

 

闇の中に浮き立つ肌に、ぺたりと張り付いた漆黒の髪を掻き上げて、ベリアルは笑った。

その仕草一つ一つに幻太郎のインスピレーションが刺激され、自然と脳内に嫋やかな文章として形作られる。なんとも執筆欲の擽られる男に、彼は喉を鳴らした。

 

 

「俺に支払えるものならば、喜んで払おう」

 

「フフフ……。交渉成立だ」

 

 

不意に濡れた手が、幻太郎へと伸ばされる。

正直彼は、あまり人に触られることを好んではいなかった。

その行為はまるで、自分の塗り固めた世界を壊そうとしているようで。

己の奥深くに閉じ込めた、真実(夢野幻太郎)を守るために、例え友好の証としてのものであったとしても、それを拒んでいた。

 

久しぶりに感じた、他人の肌は氷のように冷え切っていた。

だが、幻太郎にはそれがとても心地の良い温度に感じられて、頬に宛てられた手にそっと自分の手を重ねたのであった。

 

 

 

***

 

 

 

「そんで、にいちゃんに付き纏っているわけか」

 

「そんな野蛮なことを、余がするわけないでありんす。

小生はただ、かの人の行動を観察して記録し、よりリアルに書き上げようとしているだけ」

 

「あのなあ、それをストーカーっていうんだぜ」

 

「それに、小生に興味を持たせたのは君ですよ。

今更接近禁止令だなんて、随分身勝手ですね」

 

「……あー。確かにすっげー後悔してる」

 

 

頭を抱えた帝統を、温かくも冷たい目で見た幻太郎は、あの日からずっとベリアルと共に行動していた。

 

ベリアル自身は何も言わなかったが、ふらりと幻太郎を巻いて何処かに行ってしまう時がある。

 

今もこうして置いて行かれた幻太郎は、いつも通りに振舞いながらも、不機嫌さが見え隠れしていた。

 

幻太郎が、ベリアルについてわかっているのは、このヘブンツリーを裏で牛耳っているということだけ。それ以上を知ろうとしても、中々尻尾を出してはくれない。

 

それに何よりも、彼が驚いたのは、帝統といういい加減なギャンブラーが忠犬のようにベリアルのいうことを真摯に聞いていることである。

 

なんの真意が潜んでいるのか、本人も理解していないままに、このヘブンツリーで働いているというのだ。

 

いい加減ながらも、警戒心が人一倍強く根無し草を好む帝統という男の、根底をひっくり返すような行動に、幻太郎はただ驚愕した。

 

そして同時に、ベリアルの裏を見ようとしない帝統に呆れもしたのだ。

 

 

「君はいつまで、彼の掌の上にいるおつもりですか?」

 

「……その話はもう良いだろ」

 

「いいえ。だって、疑問に思いませんか?

あの(ひと)が何を目的に動き回っているのか」

 

「そりゃ、俺だって気になるさ。正直知りたくて堪んねえ。

だけどよ……。それを知ったら、俺は」

 

 

珍しく尻窄みに言葉を発した帝統は、そこで言葉を切った。

彼には、それだけ恐れていることがあったのだ。

 

 

「なら表舞台には、私が立つ。

……君は、協力をしてくれるだけで良い。これならどう?」

 

「……」

 

「君は、彼を裏切るわけではない。

ただこの私に、唆された。それだけ。

中々良いシナリオでしょう?」

 

 

幻太郎は、ベリアルという理想の『主人公』を知り尽くそうとしていた。

その行動は全て、己の書く小説のためであり、その胸に抱えるもののためであった。

月がその姿を変えるように、道化を演じる彼が、珍しく感情を露わにしているのを見て、帝統は口を噤んだ。

 

 

「パンドラの箱の中身は、災いだけとは限らない」

 

 

帝統の心を見透かすように、幻太郎は言葉を綴る。

低く呟かれたそれは、重く帝統の心を擽ったのであった。

 

 

 

***

 

 

 

白と黒に彩られた盤上は、静かな戦場のように、何処か神聖で高潔な雰囲気を漂わせていた。

 

猛々しい馬を模った騎士(ナイト)歩兵(ポーン)を打ち砕き、不動なる王(キング)を守る王女(クイーン)が狡猾なる司教(ビショップ)に鉄槌を下す。

 

戦場を俯瞰する、蒼翠(にしょく)の双眸の色味が目まぐるしく変わるのを、赤が愉快そうに見つめていた。

 

底の見えない腹を読み、駒を展開する。

しかし、何十もの先を読んだ定跡(セオリー)は、いとも簡単に崩され、最善の一手が最悪の一手に覆る。

足掻けば足掻くほど、弄ばれる焦燥感と苛立ちが、未熟なポーカーフェイスに表れていた。

 

 

「フフフ……。

どうしたんだい、坊や。手が震えているじゃないか」

 

「……っ!!う、うるさいです……!」

 

「まあ、気楽に考えなよ。

今回の戯れ(ゲーム)に、制限時間(リミット)はないんだからさ」

 

 

柔らかな日差しに照らされる、殺伐とした戦場(チェスボード)

喫茶店の窓際の席で繰り広げられるそれは、ベリアルからすれば戯れに過ぎないが、三郎からすれば決戦にも等しかった―――。

 

 

 

 

 

三郎が、テーブルに頬杖を付いてあでやかに笑うこの男と出会ったのは、本当に偶然のことだ。

 

偶々学校が午前中までしかなくて、偶々立ち寄ったヘブンツリー内のゲームセンターで遊んでいたところ、偶々見慣れた姿を見つけた。

 

透けるような白い肌に、すらりとした長身の、浮世離れをした雰囲気を纏うベリアルを見つけることはとても容易かったのである。

 

 

「兄さん……!」

 

「ああ、キミか。奇遇だね」

 

「は、はい、本当に……」

 

「丁度良かった。実は時間を持て余しているんだ。

良かったら、オレと遊ばない?」

 

「是非!」

 

「フフフ……。

じゃあ、何をして遊ぼうか」

 

「僕は、なんでも……。その、ベリ兄と一緒に遊べるなんて、それだけで……」

 

「そう。いいコだね。

だが、オレの暇潰しに付き合わせる以上、キミの要望も聞かないとフェアじゃないだろう?

……それとも、そんなにオレと突き合いたい?」

 

「っ、……!!

ぼ、ボードゲームか、カードゲーム……が、良い、です」

 

 

三郎は、慌ててゲームを終了させると、人混みを掻き分けて声を掛けた。

 

だが、ベリアルに驚きの表情は見当たらなかった。

突然の出会いである筈なのに、相変わらずのしっとりとした微笑みを浮かべ、三郎をゲームに誘ったのだ。

 

一番好きなゲームを三郎に通ったベリアルは、彼がボードゲームやカードゲームを好むことを知るや否や、場所を移すことを提案したのである。

 

そして、三郎が連れて来られたのは、違う階層にあるこの喫茶店だ。

どうやらその店はベリアルの行き付けらしく、入店と同時に一番奥の席へと通された。

 

ベリアルが何か合図をすると、上品な制服に身を包んだ一人の女性が、チェスボードを手にやって来て、慣れた手付きでテーブルの上にそれを広げたのであった。

 

大理石とオニキスで作られているという、うつくしいチェス盤と駒は、やけにベリアルという男に似合っていて、駒を片手に推考するその姿に、思わず見入ってしまう。

 

尊敬する兄である一郎とも、一郎と良くつるんでいる青年とも、異なる『色』を持つ男を、三郎は密かに慕っていたのだ。それは、もう一人の兄である次郎が、一郎に抱いている心酔(あこがれ)にも類似しているのかもしれない。

 

 

「チェス、ですか」

 

「おや、嫌いかい?」

 

「いえ……。得意です。

ただ周りにやる人がいなくって。

人と勝負するのは、初めてなので」

 

「キミのハジメテをもらえるとは、光栄だね。

まあ、今日はのんびりヤろうよ。

時間制限なんて、野暮なものは抜きにしてさ」

 

 

あの兄たちの背中を見て育ったからか、物心付く頃には『神童』の名を背負っていた三郎は、常に対等な相手に飢えていた。勉強のみならず、頭脳プレーが必要となる遊び(ゲーム)でも、彼に並ぶものはいなかったのである。何となく憶えたチェスも、その一つだ。

 

テレビや携帯で出来るゲームが溢れるこのご時世、三郎の年齢でチェスや将棋といった類のゲームに手を伸ばす子供はそう多くない。だからこそ、駒を進めれば進めるほど、三郎の胸は歓喜に満ちていったのだ。

 

しかし、ある程度を過ぎると、その歓喜に悔しさが滲み始めたが、それがまた堪らなかった。

 

 

「そういえば、オニーサンは元気?」

 

「……」

 

 

駒を片手に問われるも、次の手を考えることに精一杯な頭は上手く回らない。

 

いつもならば、横から話しかけられようが、電話が掛かって来ようが、何れにも支障を来すことなく対応出来た。しかし、その性格を反映するかのようなベリアルの指す手が、あまりにも容赦なく三郎の読みを打ち砕くので、次第に自信が失われていき、自らの思考にすら疑心暗鬼が生じていたのだ。

 

そのため、時に初歩的な、時に高等な手を織り合わせながら、繰り出していくベリアルに、付いていくのが精一杯となっていた。

 

聞き逃しかけた、その言葉を懸命に咀嚼した三郎は、ふと顔色を変えた。

 

ベリアルからすれば未熟ではあるものの、兄二人ほど感情の機微を表に出さない三郎のポーカーフェイスが、完全に剥がれ落ちた瞬間であった。まだ少し幼さの残る、整った顔が歪んだかと思うと、宝石をはめ込んだような瞳に、悲痛ともいえる色が浮かぶ。

 

 

「……いち兄、最近様子がおかしくて」

 

「ふうん?」

 

「いつも、なんか苛立っているというか……。

僕たちに当たることはないんです。

でも、喧嘩して来ることも増えて、体中傷だらけで帰って来ることが多くて」

 

 

水面に落ちた一粒の雫は、三郎の心を巣食う片鱗であったのかもしれない。

 

手元に並ぶ駒の中から、艶やかなオニキスの丸みがうつくしいそれを手にしたベリアルは、静かに微笑む。

それを俯いてしまった三郎が目にすることはなかったが、盤の守り人たちには、きっと見えていただろう。

 

天使と呼ぶにはあまりにも邪悪で、悪魔と呼ぶにはあまりにも高潔な、ベリアルの表情を。

 

三郎が再び顔を上げたとき、ベリアルは手にしていた駒に口付けてみせると、最強(キング)の前に、最弱(ポーン)を置いた。

 

チェックメイトと口遊んだ唇に、つるりとした紅玉が三郎を捉える。

 

 

前戯(おあそび)は此処までにしておこうか」

 

 

吸い込まれる、なんて生易しいものではない。

呑み込まれる、ほどに圧倒されるベリアルの瞳に、三郎は呼吸すら忘れた。

 

 

 

 

 

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