Paradise Lost Division   作:陽朧

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悪魔、降臨せし時⑭

移り変わる季節を反映するかのような、鮮やかな青を濁流の如く飲み込んだ灰の雲。

やがて雷を伴いぽつぽつと雫が落ちていく、瞑怒雨(めいどう)。情緒に富んだ日本語には雨を表現するだけでも1000を軽く超えるため、このような突発的な天気を伝えるにも事欠かない。

バベルの塔を想わせる天に近いこの塔は、天の唸りがよく聞こえ、チラつく稲光が陰影を成す。

 

そんな天を窓越しに見上げる、赤い瞳は何を考えているのだろうか。

愉悦と嘲弄を供する瞳は、常に飄々として決して感情の色を見せない。

あけすけな言動に惑わされがちだが、その所作と佇まいは奥ゆかしさを美とする幽美さと、妖艶さを漂わせている。

それがどうしようもなく、人を惹きつけて止まないのだ。

 

手に持ったペンを置く。

自分の理想通りの男を見つけたは良いが、それを表現するだけの言葉が未だに見つからない。

善ではなく悪、悪かと思えば善といったように好き勝手に動き回る、この男の本質がまだ掴めていないこともその原因の一つでもあることは、わかっている。

だから、出来るだけ行動を共にしているわけだが、これもまた厄介なのだ。

猫のように気紛れで、時に突拍子のない行動に出るのだから、付いて行くのも大変である。

しかし……だ。それがまた、楽しいと感じてしまう自分がいた。

 

嘘と真実を織り交ぜて作った夢野幻太郎という男は、嘘吐きだ。

嘘と真実を織り交ぜて惑わせるベリアルという男は、嘘吐きだ。

とはいえ、『俺』の嘘がベリアルに通用しているとは思えないし、『小生』の嘘をベリアルが見抜いていないとは思えなかった。

 

 

「さて。……今日は、何を話そうか」

 

「そうですねえ。貴方の拾ってきた、銀猫についてお尋ねしましょうか」

 

 

笑みを含んだ、中身のない言葉。

笑みを湛えた、探るような言葉。

しかし、それは本心でもある。

 

つい数時間前に、豪雨と共にこの塔に帰って来たベリアルは、ぐったりとした青年を抱えていた。

全身ずぶ濡れで、頬には殴られたような大きな痣があったが、それ以外に目立った外傷は見当たらない。

その青年が、今この東京で知らぬものはいないであろうメンバーの一人であることに、気付いたが、その時は特に何も言わなかった。

帝統に彼を任せたベリアルは、いつもと変わらぬ様子でシャワーを浴びて着替え、今に至る。

 

そろそろ事情を聴いても良いころだろう。

そう判断して口火を切ったというわけだ。

 

 

「さて、ね。オレもよく知らないんだが……。仲間割れらしい」

 

「……仲間割れとは」

 

「フフフ……。オレは通り掛かりの一人でしかない。

事情は彼が目を覚ましてから、聞くことにしよう」

 

「なら質問を変えましょうか。何故貴方が拾ったのですか?」

 

「ほお?どうしてそんなことを聞くんだい」

 

「珍しいからですよ。貴方は、例え死に掛けていたとしても拾い上げる男ではない。

何か彼に興味を引くものがおありで?」

 

「それは、キミが書き上げるオレのことだろう?

理想の主人公(それ)を妄信することは、ただの偶像崇拝さ」

 

「……それならば、貴方は慈愛の心を以てあの銀猫を拾ったというのですか」

 

「フフ、どうやらキミはオレを誤解しているようだが……。

オレにだって慈悲はあるさ」

 

「それは驚きました」

 

「ま、キミたちに比べれば純度は低いけどね」

 

「自覚がおありで?」

 

「オレが聖女に見えるかい?」

 

「いいえ、全く」

 

 

テーブルランプの灯光と、唸る雷光が、互いの顔を浮き立たせる。

口元を飾る軽薄な笑みと、言葉遊びでもするかのように滔々と告げられる言葉は、相変わらず胡散臭い。

思わず眉を動かすと、嘲笑にも似た笑い声が近付いて来た。

 

 

「キミは、もう少し頭を柔らかくした方が良い。

そうすれば凝り固まった文章も解れるだろう。

ああそうだ、ついでにカラダも解してあげようか」

 

「……。余計なお世話ですよ、ベリアル」

 

「おっと拗ねるなよ、冗談だって」

 

 

向かいのソファーに腰を下ろしたベリアルは、足を組むとその上に頬杖を付く。

ぎらりとした赤い瞳が闇に強調され、まるで闇に咲く薔薇のようだと思う。

 

 

「キミは、自分に足りないモノを知っているかい」

 

「突然なんです?」

 

「フフフ……。人間は、不完全なモノさ。

欠けているものをつい求めてしまう生き物だ。

だからキミたちは、与えられた。

傲り、怒り、妬み、怠り、(いやし)げ、餓え……そして」

 

 

細められた瞳と唇から、噎せ返るような薔薇の香を感じたのは、気のせいであったのだろうか。

圧倒されるその色香(かおり)にこれ以上はいけないと、何処かで警報が鳴り響いた。

 

 

「……貴方こそ、知っているんですか?

自分に足りないものを」

 

「オレは完成品でね、生憎不足はなかった筈だが……。

決定的なものをなくしてしまったんだ」

 

「それは?」

 

「欲張りだね、キミは。実に人間らしい。

だが、物事をオネダリする時は、相応の姿勢ってものがあるだろう?」

 

 

呆れを含んだその笑みに、何処か優しさを感じてしまうのは可笑しいのだろうか。

ふふ、と自分の唇から勝手に零れたそれと共に立ち上がると、ベリアルの隣に腰を下ろす。

身に着けているフレグランスの香りを、直ぐ傍に感じながら、真上にある赤を見上げた。

すると、それが合図であったかのように……。ばあん!と部屋の扉が開いた。

 

 

「はああっ、つっかれたー。

んあ?何だよ、二人してこんな暗い部屋で何やってんだ?」

 

「フフフ……。どうやら邪魔が入ったようだね」

 

「……ええ、残念です」

 

「はあ!?アンタら、俺にアイツの世話任せて何やってたんだよ!

めっちゃ大変だったんだぜ!?」

 

「ご苦労サマ。キミには後で、ご褒美をあげようじゃないか」

 

「……!!」

 

「……はあ、随分単純なつくりをした脳をお持ちですねえ」

 

「あ?なんか言ったか?」

 

「いいえ。脳が綺麗そうでなによりですよ」

 

「……馬鹿にしてんだろ!」

 

 

何とも騒がしい声を上げて入って来た男は部屋の電気を付けると、ベリアルの隣に座る。

同じ身長の男に両端を囲まれたベリアルは、ただいつものように笑うだけであった。

 

 

「それで、銀猫チャンの様子はどうだい」

 

「銀猫?……ああ、アイツか。

寝てるぜ、相当魘されてたが落ち着いたみてーだ」

 

「そう。なら様子を見に行かないとね」

 

「態々にーちゃんが行く必要ねえだろ、俺が行くぜ」

 

「ふふ、彼に用があるんだ」

 

「……それなら、良いけどよ」

 

 

大型犬が尻尾を振って、飼い主に絡んでいるようにも見えるが、単細胞いや失礼。この単純明快な思考回路の持ち主は、すっかりベリアルに懐いてしまっているようだ。

べったりとベリアルの腕に腕を絡ませて、身を寄せる帝統は、いつだって後先を考えない。

考えないからこその、フットワークの軽さなのだろうけれど……。それが、少し。いやなんでもない。

 

 

「なあ……にーちゃん、昨日は何処にいたんだ?

俺ずっと待ってたんだぜ?」

 

「昨日?……ああ、昨日は友人と会っていてね」

 

「友人?貴方に友人が?」

 

「フフフ……。オレにだってオトモダチぐらいいるさ」

 

 

視線を帝統から此方へと映したベリアルの、その赤を見上げる。

自分でも無意識であったが、どうやら俺は彼の持つ赤と黒を気に入っているらしい。

ベリアルが言うように、『人間は自分にないものを求める』のならば、自分に無い色を求めるのは自然なことなのだろうか。

自分の感情を素直に曝け出す向かい側の男に、そしてそれを拒むことなく受け入れる男に、抱くこの感情(おもい)も……。

ふと静かに目を伏せる。このままでは、自分が自分で無くなるようなそんな気がした。

 

だから気付かなかった。

此方を見た帝統が向ける視線の色に、そしてベリアルの表情に――。

小生がそれを知るのは、もう少し先のことである。

 

なんてつまらない(チープな)締め言葉を添えておくとしよう。

 

 

(――全部、嘘なんですけど)

 

 

 

***

 

 

 

その夜は、ひどい夢をみた。

自分の中の消化しようがない過去が圧縮されたような夢であった。

塞がらない傷口を抉じ開けられたかのように、尾を引く鈍痛に全身から汗が噴き出す。

 

 

「っは……!」

 

 

抑圧された呼吸が、やっと正常に戻る。

反動で荒らぐ胸を押さえ、途切れ途切れの息を吐き出し吸い上げた。

肺に痛みを感じるまでそうしていると、次第に呼吸だけではなく思考にも落ち着きが戻っていくのを感じた。

 

――コン、コン、コン

 

等間隔のノック音が聞こえて、そちらに視線を移す。

そういえば此処は何処なのだろう。そして何故此処にいるのだろうと今更ながら、体に緊張が走った。

だがそれも、扉の向こうから現れた男によって解されたのだが。

 

 

「やあ、調子はどうだい」

 

「ってめえ……、何で!」

 

「いくらオレがキミの天使だからって、そう興奮しないでくれよ」

 

「天使だと……?」

 

「フフフ……。生憎頭の輪は捨ててしまったけれどね。

倒れているキミを見つけて、此処まで連れて来たのはこのオレさ。

少しは感謝したかい?ならオレと姦淫しようじゃないか」

 

「……倒れて……っ!?そうだ!!一郎はっ!?

あのクソガキはどこ……っぐ、」

 

「ああ、あまり動いてはいけないな。

肉体の方のダメージは軽いものだが、精神的なダメージは大きい」

 

「ッチ、構うモンかよ!!」

 

 

黒いシャツに軽薄なその笑みは、忘れるわけがなかった。

己らを打ち破ったベリアルという男を、どうして忘れることが出来よう。

だがそれよりも、ベッドから勢い良く身を起こした左馬刻は、優先すべきものを思い出したのである。

起き上がろうとした左馬刻に、ゆっくりと近付いたベリアルであったがそれ以上止めることなく、その様子を見下げる。

そして、崩れ落ちた左馬刻の体を支えると、再びベッドへと戻したのである。

 

 

「わかっただろう?キミは何も出来ない。少なくとも今はね」

 

「っ、ふ……ざ、けんな……っ」

 

「まあまあ、落ち着きなよ。

別に取って喰おうなんて思っていないさ。

一郎クンを助けたいんだろう?」

 

「てめえ、何でそれを……」

 

「フフフ……。キミが言ったんだろう。

だが今助けに行ったところで、キミも捕食されるだけだ。

sacrifice a sheep to God(こひつじ)以下の、無意味な犠牲になりたいというのならば、止めないけどね」

 

 

再び起こそうとした体をシーツへと押し付けられ、憎たらしいその赤が己を見下げる。

左馬刻にとってそれは屈辱でしかなかった。

しかし己の身体のことは、言われるまでもなく理解していた。

激情型で自分の感情のままに突っ走ることもある左馬刻であるが、ベリアルのその瞳に映る己の顔を見ているうちに、ふと張り詰めていたものが緩むのを感じて、息を吐く。

 

白いシーツに散らばる銀が、朝日を浴びてきらきらと輝く。

嵐の後の空はいつもよりも澄んでおり、淀みのない青が広がっていた。

広い窓が印象的なこの部屋は、この男のものだろうかと、少し余裕を取り戻した頭で考える。

 

 

「……ここは?」

 

「ああ、オレのアジトさ。中々素敵だろう?」

 

「はっ、てめえさえいなければな」

 

「フフフ……。あまり煽らないでくれよ。

思わずサディズムを満たしたくなるじゃないか」

 

 

一つトーンを下げた音が左馬刻の背筋を撫で上げかと思うと、己の顔を覗き込む赤のその奥に何かがチラついたのを見た。調子が良く軽快で雄弁なこの男の持つ、薄ら寒さは何なのだろうか。

己が身を置く世界においても、この男以上に得体の知れない存在はいないだろう。

そう考えることが、まるで怖気づいているかのようで、それがどうしようもなく癪に障った。

 

 

「何があった、と聞くのは愚問かな?」

 

「てめえには関係ねえ話だ」

 

「そういうなよ、キミとオレとの仲じゃあないか。

キミの大切な弟分の豹変について、気になっているんだろう?」

 

「な……っ!てめえ、なんで」

 

「フフフ……。

キミの弟分を犯したモノに用があってね。

どうだい、オレと手を組まないか?

ああ別に手じゃなくても構わないよ」

 

「……」

 

「利害関係の一致ってヤツさ。

いくらオレが信用ならないとはいえ、キミの可愛がっている一郎クンのためだ……。

清濁併せ呑むってコトも必要だぜ、坊や」

 

「はっ、なめてんじゃねえよ。

清も濁も関係ねえ。俺はもう、そういう世界に首まで浸かってんだ。

問題は……ベリアル、てめえの存在なんだよ」

 

 

例の最終決戦で番狂わせ(ジョーカー)として、あっという間に栄光を掠め取った、この悪魔の名前を冠した男が、何を思ってか、東京を牛耳るヤクザの中でも一番問題視をされていた組の頭を打ち取ったという知らせを聞いた時は、驚愕と同時にベリアルが隠し持つ企みに興味を惹かれたのも事実だ。そしてカタギではないことに、妙に納得したのを憶えている。

 

生まれてからずっと、左馬刻の周りには闇が付き纏った。

裏切り、暴力、喪失、絶望を繰り返す輪廻を、どれほど恨んだことか。

だがそんな闇を生き抜いて来たからこそ、それを見抜くだけの嗅覚は鍛えられていた。

 

目の前の、男が漂わせる濃厚な闇のにおい。

関わったら最後だと、己の勘が告げていた。

 

 

「……てめえの、知っていることを全部話しやがれ」

 

「ほお、キミも欲張りサンだね。

だが悪くはない。人間、強欲さも大事だ」

 

 

謀るその瞳は、左馬刻を苛立たせ同時に引き寄せる。

同じ色味でありながら、もっと暗い何かを持つ赤は、己の中に渦を成す闇を包み込む不思議な安らぎがあったのだ。

 

 

「だが良いのかい?

キミにとって、『(弟分)』は劇薬でしかないのだろう」

 

「……『(お前)』に言われたくねえよ」

 

 

交差する視線に、左馬刻は嫌な汗が伝うのを感じた。

まるで、麻薬だと思ったのだ。

甘い夢と共に地獄へと導く、麻薬(あくま)の男だと。

この男に感じる心地良さは左馬刻が最も憎悪する、依存性であった。

人の心の隙間に入り込み、心地よさを与え、依存させ、突き落とす。

 

どくり、と心臓が大きく唸った。

大きく息を吐いて息を吹き返していく悪夢(きおく)を、また殺す。

 

 

「……」

 

 

その開きかけた瞳孔を、乱れた鼓動を、ベリアルは黙したまま見下げた。

腕を組み、指先を顎に当てると、観察でもするかのように左馬刻を見ていたのである。

 

 

「彼もキミも、同じ精神的外傷(びょうき)さ。

病名は同じでも症状が違うだけのね」

 

「……あァ?」

 

「フフフ、肉体をいくら鍛えようとも……その精神はそうはいかないだろう?

キミたちの持つマイクの性能が異なるように、それぞれ感じるポイントが違うんだよ」

 

「……」

 

「マニアックなイき方でしか、イけなくなると悲惨だぜ。

だから今のうちに矯正してやらないといけない。

手取り足取りじっくりと」

 

「さっきから何の話をしてやがる」

 

「いや、大したことではないんだが……。

キミの穴は随分気持ち良さそうだと思ってね」

 

 

低く喉を鳴らしたベリアルは、その爪先で左馬刻の胸を突く。

その仕草は、左馬刻の抱える闇をお見通しだと言外に告げているようにも思えた。

完全に相手のペースに呑まれてしまっていることに、目を鋭くした左馬刻であったが、突如意識がぼやけた。それは突然訪れた眠気であり、強烈なそれは、実に抗いがたいものであったのである。

 

 

「フフフ……。オネムのようだね。

もし夢の中で声がしたら応じない方が良いぜ。

甘い口説き文句は、奴らの常套手段さ。

わかったかい?

 

それじゃあ、おやすみ」

 

 

朧と霞む意識の中で、その声は明瞭に聞こえた。

しかしその言葉の意味を問おうとしても、吸い込まれるように落ちていく意識を留める手段を、左馬刻は持ち合わせていなかったのだ。

 

 

 

 

 

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