この話からハーメルンとpixivとで更新速度が変わります。
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よって、pixivにおいては更新速度は減少しますが、文章量は増加します。
話のナンバリングにもズレが生じますので、ご注意くださいませ。
また少々話の展開が異なる可能性があります。
――漆黒。
一寸の隙間なく塗られた墨の上から、更に漆をコーティングしたような、艶やかな黒であった。
四面をその黒で囲まれた空間に、たった一筋の光が差し込んでいる。
その光に浮き立つように配置された、一つの椅子があった。
玉座と言っても過言ではないほど、上質で品のある装飾が施されたそれは、黒の世界で唯一の色を放つ。
赤と紫が掛け合わさったような深紫色を基調とし、縁取る銀色、紅玉と蒼玉の宝石が散らばる。
ただ黒に囲まれる空間に、それはひどく不釣り合いであった。
その椅子に座る一つの影があった。
項垂れるように顔を伏せたそれの瞼は、固く閉ざされている。
耳が痛くなるような静寂と、闇に包まれた空間で、それはただ眠り続けていた。
かつん、と打ち鳴らされた、その一つの音が静寂を切り裂くまでは。
「逢いたかったぜ。ダーリン。
随分長い休暇だったじゃないか、楽しめたかい?」
「……」
「フフフ……。不機嫌な顔も堪らないな。
そう、怒らないでくれよ、キミの出番はこれからだろう」
「俺が退屈を嫌うことぐらい、知っている筈だが?」
「ああ、もちろん。
オレはキミのことを良く知っているつもりさ。
……今のキミよりも、ね」
「度の過ぎる秘密主義は止せ。目障りだ」
「ははっ、悪いね。性分なんだ。
何せ『そう』造られているものでね、こればかりはどうも変えられない」
「……変える気がないだけだろう」
「手厳しいなあ、相変わらず」
「……要件のみを言え。
お前の戯言に付き合う気はない」
「つれないね。ああ、わかったよ。
……今のところ、動いているのは『憤怒』だけだ。
人間たちに影響を与えながら元気に動き回っているよ。
大丈夫、全て想定内さ」
「影響?」
「フフフ……。単なるイライラ病だよ。
奴は、内に秘めた怒りを増幅させて、解き放つ快楽を教える。
たっぷりと溜めたものを吐き出す瞬間は、さぞ気持ちイイだろう。
キミも知っていると思うが、人間は快楽に弱い。
本能のままに行動する獣と違って、中途半端な理性を持つ分……背徳に弱いのさ」
「……」
「怒りを解き放つ気持ち良さを味わった人間は、またそれを繰り返す。
そして、ウィルスの如く蔓延し感染を広げるってわけ。
まあ、要するに大規模な
オレとしては、そっちの方が
今回ばかりはそうも言っていられなくてね」
闇と、光の境で足を止めた『それ』は猫のように目を細めると、座した男へと近付いていく。
長い足を組んだ男は、軽薄な笑みで飾られた青白い顔を、ただ硝子の瞳で見下げるだけであった。
「趣味が悪いな」
「興味深いだろう?」
「……何故そう思う?」
「言っただろう?
オレは誰よりもキミを知っているんだ」
「……」
「ふふ、何も特別なことではないさ。
負の感情なんて、誰にでも持ち合わせるモノだ。
じわじわと確実に降り積もる、雪のようなモノ。
ソレの重さに器が耐え切れなくなった時が、問題なだけでね。
ほら、大きさはイれるモノのサイズに依存するだろう?
ただ単に大きければイイってものでもない。
オレは大きい方が好きだけど、好みってものがある」
「何の話をしている。
……はあ、この世界ではお前は救う側なのだろう?」
「そう、キミもオレもこの世界では
だがこうは思わないかい?
テンシが、常に正しく在る理由はない。
テンシが、常に善であるとは限らない。
善と悪の天秤なんて個体差でしかない。
……キミは、それを良く知っている筈だ」
男の後ろへと回り込んだベリアルは、椅子の背凭れに腕を置くと、ゆっくりとその顔を近付ける。
内緒話でもするように、耳元に唇を寄せると、ベリアルは小さく笑んだ。
「悪意は悪魔の温床となり得る、用土。
うつくしい花ほど、養分が豊富な証拠さ」
それは、睦言でも囁くような甘さを秘めた声音であった。
軽やかな笑みを零しながら、ベリアルは言葉を続ける。
「開花を迎えたものに、温床を持つものが、接触するとどうなると思う?
……たっぷりと種を植え付けられるのさ。これが非常に気持ちイイらしくてね。
ソレだけで飛んじまうものもいるらしい。
種付けされるのが人間だけだなんて、勿体ない話だよ」
「お前の性癖などに興味はない」
「酷いなあ。そもそも、オレを欲求不満にしているのは……。
おっと、話を続けようか。
咲いた花は、次に花となり得るものを呼ぶ。
「……無意味だな」
「そう、その連鎖を止めることに意味はない。
神にだって欲は付きものさ。そして神を模して造られた人間にも、ね。
だから、オレたちの仕事は欲に潜む7つの悪魔を刈り取る。それだけだよ」
「……」
「フフフ……。そんな顔をしないでくれよ。
キミが面倒がることはわかっているさ。
だからこうして、オレがまた体を張っているんだろう?」
「元凶を呼び寄せるつもりか」
「流石オレの、ダーリンだ。
悪魔というのは実に狡猾で欲深い生き物だ。
より強い
……この世界は都合が良いのさ。
精神力がモノを言う世界というのはね」
ベリアルが珍しく本筋を饒舌に話した為に、この世界で今何が起きているのかを男は把握した。
精神に直結する武器、ヒプノシスマイク。
それを用いて戦いが行われているこの世界では、良くも悪くも精神状態がものをいう。
強い意志は強い力となる。だが、時にそれは諸刃の剣となる。
言霊で付けられた傷は目に見えることはない。
だから、どんなに大きな傷を負っても、傷口が膿んで腐り落ちても、隠すことが出来てしまう。
皮肉にも、精神力の強い人間ほど耐えてしまう傾向にあった。
そうして治療を怠った強い人間が、もしも開花することがあれば、誰も止めることが出来なくなる。
その影響力も相俟って、更に感染は拡大し、人間たちは徐々に悪魔によって理性を奪われ、やがて精神のみではなく肉体による抗争が起きるだろう。
今はまだ小さな暴力事件で済んでいるかもしれないが、いつか世界に終わりを齎す可能性を孕んでいるのだ。
だが、別の世界から飛来した悪魔に、世界を滅ぼされるのは理不尽な話にも思えるが、それは同時にベリアルにとっても男にとっても関係のない話だ。
男は小さく溜息を吐くと、以前から疑問に思っていたことを口にしようとして、やめた。
何故、ベリアルがこんなにも動き回っているのか。
その目的を問いたかったが、まともな答えが返ってくるとは到底思えなかったのである。
後ろにいるベリアルの顔は、男からは窺うことは出来ないが、核心へと誘い込むような口振りの裏には、狡知の名に相応しい策を張り巡らせていることは、わかっていた。
「別にオレは、この世界自体に興味はないさ。
人間が滅ぼうが、世界が終末を迎えようがね。
オレの目的は、ソレじゃあない。
フフフ……。このオレが世界を救うなんて、皮肉にも程があると思わないかい」
「似合わん話だな」
「だろう?」
この世界に連れて来られてから、男はベリアルの行動を見て来た。
その思考、その言動の意味を全て把握しているわけではないが、何となく確信を持っていることがある。
男は一度目を閉じると、再びその瞳を開いた。
「――蟲毒か」
「……!」
「お前の考える策ぐらい、わかる。
お前らしい狡猾で欲深い、罠など……な」
「ふ、ふふふ……ははははっ!!
完敗だよ。濡れたぜダーリン、今の一発で蕩々だ」
「……お前が目を付けているあの人間たちは、器となるだけの力を持っている。
使い様によっては囮にも、餌にもなるだろうな」
「ああ、そうさ。彼らはとても甘美だ。
そそるんだよ、凄く。
だがまだ……足りない。
彼らにはもっと、底を知ってもらわないとね」
「……」
「フフフ、わかっているよ。
いくらオレでも、
男がその抑揚のない声音で口にした、ベリアルの思考の一部は、あまりにも無慈悲なものであった。
悪魔を引き寄せるために、敢えて力ある人間を利用しようとしていて、ベリアルが『彼ら』の相手をする理由は、そこにあったのだ。
男は小さく息を吐く。やっと納得のいく答えが一つ手に入った気がした。
このベリアルという悪魔が、やけに人間に関わろうとしていることが、ずっと引っ掛かっていたのである。
「この物語は、実に単調で、退屈なものだ。
素人が描き出すチープな
「……」
「そもそも、単に7つの悪魔を狩ればそれで終わりという所が納得出来ないんだよ。
ポルノ映画の方が、よっぽど刺激的で興奮する。
――キミだって、そう思うだろう?」
「それがお前の目的か?」
「フフフ……。オレは作家でね。物語を書くのは得意なんだ。
オレがこの
「全てお前のエゴに過ぎない」
「全てキミの為さ。信じてくれるだろう?」
「……もう、いい。お前の考えは把握した」
「ふ、それは良かった。
もう少し眠っていてくれ。舞台を整えよう」
「俺に、お前の作った舞台で踊れと?」
「言っただろう?キミとオレは、一蓮托生だ。
……これからも、ずっとね」
ばさり、と羽搏きの音が聞こえたかと思うと、微かな光を遮り影が描き出された。
蝙蝠を想わせる六つ羽が、大きく伸ばされもう一度羽音を響かせる。
それを子守歌とするように、男は再びその瞳を閉ざしたのであった。
***
しとしとと降り続く雨粒が、街のネオンを乱す。
鮮やかな光たちが曖昧にぼやけ、霞んだ景色が広がっていた。
様々な色が重なり合い、虹色にも見える光を作り出す光景は言葉にすれば、風情ある美しさを感じさせるかもしれないが、ベリアルの瞳には、水溜りに漏れ出た油が作り出す虹とそう変わらない。
使い込まれた廃油が水に膜を張り、光の屈折が変化して生まれるという、汚れた虹と同等のそれを見下げる赤の瞳は、ただ無機質にそこにあった。
良くある造りをしたアパートの一室。
決して広いとは言い難い空間に浮き立つその存在を、スーツ姿の男が呆けたように見つめていた。
「ん?ああ、お帰り。オジャマしているよ」
「え、あ、は、はあ……ど、うぞ?」
当然のように窓辺に佇む男の姿に、情けないながらも独歩はそんな間の抜けた言葉を返すことしか、出来なかったのである。
その日、独歩はベリアルと会う約束をしていた。
今夜は同居人がいない日であるので、『とある話』をするために呼び出したことは、もちろん記憶に新しいことだ。だが、肝心なことを伝え忘れていたことに独歩が気付いたのは、三徹を終えてやっと帰宅出来ることになった、先ほどのことである。その瞬間、さっと体中の血が引く音が聞こえたのは言うまでもないだろう。そういう面で、独歩は真面目な男であった。
もしかしたら、連絡が入っているかもしれないと、帰路の途中で携帯を確認してはみたが、ベリアルからの連絡は入っていなかった。それならば、もしかしたら、いい加減な約束を取り付けてしまったことを、怒っているのかもしれないと、血が引きすぎて眩暈すら感じる中で只管に罪悪感を噛み締めていたのだが、事態は家のドアを開けてから急転したのである。
玄関を開けると目に飛び込んできたのは、見慣れない革靴であった。
同居人のものかとも思ったが、サイズと靴底を確認すると、違うことに気付いた。
彼は職業柄ファッションには強い拘りを持っている。それこそ頭の先から爪の先まで、細部に至るまで。
部屋の隅に積まれた箱に描かれた、彼が好むブランドマークを独歩は何気なく憶えていた。
そして、彼の靴底にはそのマークが確かに刻まれていたことを知っていたので、それがない革靴は彼のものとは違うことを、頭で理解した。
その瞬間。独歩はまた違う意味で、血の気が引くのを感じた。
――この革靴は誰のものであろうか?誰か中にいるのだろうか?泥棒の類だろうか?
だが、強盗が入るようなアパートでもない し、金目のものは置いていなかったと思う。
あるとすれば同居人のものだが……。
彼はああ見えて警戒心が強く、大切なものや価値のあるものは、他の場所に金庫を借りてそこに入れていた筈である。
どくどくと嫌な音を打つ自らの心臓に、空回りする思考回路が、更に言い知れぬ緊迫感を急き立てるが、いつまでも玄関で佇んでいるわけにもいかない。
記憶にない靴があったぐらいで、大の男が警察に駆け込むのも、何となく恥ずかしかった。
それに、一時帰宅した同居人が、何かの理由で置いたものである可能性も、なくはないだろう。
そう思った独歩は、出来る限り足音を消して家に上がると、そろりそろりとリビングを抜けて自室へと向かった。
同居人と折半しているが、自分の家に変わりはない場所で息を潜めるなんて、何をやっているのかとも思ったが、日々物騒なニュースが絶えないこのご時世に、ありえないということはありえないのだ。
いつ自分がニュースのネタになるかは、わからない。
脳内に分泌されたアドレナリンにより、体が戦闘態勢に入っていくのを感じるが、そこは所詮現代を生きる人間。本能として戦うことを知っているだけであって、体は動いてはくれない。
寧ろ強張ってしまって、使い物にはなりそうもなかった。
しかし、独歩には一つ、武器があった。
ポケットの中にある固い感触を確かめた独歩は、微かに息を零す。
いざとなればそれを起動することも視野に入れていたが、増していく危機感とは真逆に、呆気なく自室に辿り着いてしまったのだ。見慣れた自室を前にして安堵したのか、少し冷静になった頭でふと思い付いた。
部屋を物色するような音も、気配も、何一つしないのだ。
杞憂であったか、と独歩は自室のドアをゆっくりと開けると……。
「……っ!」
薄暗い部屋の窓際に、それはいた。
降り続く雨に乱された外からの光は、いつもより暗い。だがそれが、それの青白い肌に良く映えていた。
身に纏う黒い服は、不思議なことに部屋の暗さに溶けることなく、はっきりとそこに在る。
全く予期しない侵入者の姿にも、悲鳴一つ上げなかったのは、独歩自身も解せない安堵を感じていたからに他ならなかった。呆然と立ち竦んだ独歩は、侵入者が振り向くまで、ただその背中を凝視していた。
「あ、あの……なんで」
「そういえば、デートの時間を決めていなかったと思ってね。
連絡しようとは思ったが、キミも忙しいだろうから、直接来ちゃった。ってワケさ」
「でも、鍵……」
「フフフ……それは内緒だよ。
さあ、そんな所にいないで、こっちにおいで。
オレに話があるんだろう?」
白い顔に落ちる陰影により、その表情はより一層に艶やかなものとなる。
浮世離れをしたその人は、ただそこにいるだけで、世界を非現実なものへと変えてしまうのだ。
香り立つその人の匂い。香水だろうか。以前もその人がこの家を訪れた時に同じ匂いがした。
霧立つ脳内に染み入るような甘ったるさが苦みに代わり、やがて残香を引き摺りながら消えていく。
自分の痕を残すような、その香りと、その姿に、この場所が自分の部屋では無いような、夢でも見ている気分になりながら、独歩は誘われるがままに足を踏み入れた。
「一段とひどい顔だ……。何かあったのかい?」
「大したことじゃないんですけど……。最近徹夜続きで」
「それはイケナイな。不眠はさぞ辛いだろう?
作業効率も低下するし、意識も曖昧になる」
「……辛い、けど。仕事……だから」
「えらいね、頑張っているじゃないか」
「……っ!」
顔立ちは整っている分、独歩のそのどす黒い隈は目立っていた。
陰影の差した生気のない顔は、陰鬱な印象を与えると同時に、何処か艶やかさを飾っているようにも見える。
独歩の自分自身に言い聞かせるような言葉に、ベリアルが口にしたのは慰みの言葉でも何でもない。
子供を褒める時に使う、安価で幼稚な言葉であった。
だがそれが、独歩の心の琴線に触れたのだろう。
じわじわと己の内に染み入るその言葉と、優しさと甘さが混ざり合ったような声音に、独歩は思わず視線を下にして俯いてしまう。だから、彼はそれを目にすることはなかった。
――ゆるりと弧を描いた、その唇に。
「と、取り敢えず……!珈琲でも、淹れますね」
「ふふ、その前に着替えが必要だろう?
オレのことは良いから、先にシャワーでも浴びて来なよ」
「う……。す、すみません……!
もしかして、その、におったり……とか?」
「うん?……フフフ。
確かに、キミからはイイ匂いがするね。
オレのようなものを、引き寄せる匂いだ」
「ひぇ……。
あ、あああ!ご、ごめんなさい!
す、すぐシャワー浴びてきます……!!」
ぱっと顔を上げた独歩は、目の前の男が侵入者であることをすっかりと忘れていた。
客人を立たせたままということに、慌てた素振りを見せると、口早にベリアルへと言う。
その様子を喉を鳴らして笑ったベリアルは、『揶揄い』の言葉を口にしただけであったが、徹夜続きで碌に風呂にも入っていなかった独歩は、違うように捉えたらしい。
普段は、営業職ということもあり、会社に泊まり込みをするにしろ、備え付けのシャワー室を利用しているが、今回は書類の山を消化するための徹夜であり、その間外回りも入っていなかったので、疎かにしてしまったのだ。
独歩の様子だと、ベリアルの言葉を正確には聞いていなかったのだろう。
更に顔色を悪くして、慌てふためいた独歩は、そのまま適当な服を手に取ると部屋を出て行ってしまったのである。
「別に、オレは構わないんだけどね。
寧ろ、そっちの方が色々と都合が良い」
再び静けさが戻った部屋で、ベリアルは笑みを零した。
嘲笑にも、侮蔑にも見えるその歪んだ笑みは、主なき部屋に良く響いたのであった。