Paradise Lost Division   作:陽朧

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本編
悪魔、降臨せし時⑰


開け放たれた窓から吹き込む夜風に、ふわりとカーテンが舞い上がった。

靡いた髪がぱらぱらと落ちていき、黒を基調とした服の上を滑る。

床に、長い影が伸びた。しなやかな爪先が、フローリングを踏みつける。

 

 

「そうそう。キミは、出会った時から『そんな目』でオレを見ていた」

 

「……」

 

「だから直ぐにわかったよ。キミは、オレと似ている」

 

「……」

 

「ふふ、だんまりかい?

それともいつもの雄弁さは、キミの本性を隠すベールなのかな」

 

「言いたいことは、それだけか?」

 

「おっと、怒らないでくれよ。

興奮するだろう?」

 

 

姿を現したその男は緩慢な足取りで、ソファーに座した悪魔へと近付く。

初めから気付いていたのだろう。ベリアルはその顔を見上げると、いつものように微笑む。

その膝の上には、赤毛の男が意識を失ったように目を閉ざしていた。

 

 

「何を盛った?」

 

「軽い睡眠薬(おくすり)さ。

ひどい顔をしていたからね」

 

「軽い……?冗談じゃあない。

これは市販品のものでも正当な治療薬でもない……!」

 

「流石、ホンモノのお医者さんだ。

コレは匂いがキツいんだけど、効き目は抜群なんだ」

 

「……ベリアル、君は」

 

「安心してくれよ。危害を与えるつもりはないさ。

キミだって聞いていただろう?

俺は心理学に心得があってね。

こうやって、心を病んでいるニンゲンの話を聞くのが得意なんだ」

 

「……君の口ぶりは、……洗脳のそれだ。

心弱い人間は君の言葉を、簡単に飲み込むだろう」

 

「洗脳?オレはただ、ありのままを肯定しただけだぜ。

間違っていることを正しいと教えることは必要だ。

だけど、間違っていることを否定することは……果たして正しいのかな?」

 

「それは、私たちの独歩くんに対する態度が間違っていたと言っているのかい」

 

「フフフ……。キミは、少々物事に対して穿ち過ぎるきらいがあるようだね。

確かにキミの目は素晴らしい。洞察力も観察力も、大したものだ。

常に一歩引いたところから客観的に物事を捉える、なんて。お手本のような医者じゃあないか。」

 

 

探る視線と、それを揶揄う視線が絡み合い、言外に互いの意図を伝え読み合う。

ぐったりと眠る独歩の相変わらず顔色は良くないものの、その寝顔は安らいでいた。

テーブルに転がっている包装シートに書かれている名前へと目を滑らすと、正当な薬とは言えないものの害はないことは良く知っていたので、取り敢えず安堵する。

 

その会話を聞いたのはただ偶然であった。

独歩を訪ねようと連絡しても応答はなく、何かあったのかと思いアポなしで乗り込むと、玄関先に置かれていた見覚えのある靴に思わず上がってしまったのだ。

ちなみにカギを預けたのは彼の同居人である。万が一のことがあった時にと、心配した彼が手渡したのである。

そうしてリビングに入る前に聞こえてきた会話に、その足は止まった。

 

 

『そう、そうなんです。俺はこんなにも気持ち良いのに、何で皆止めるんだ……?

俺が苦しんでいる時は、何も、何もなかったのに。何故、満たされている時に、色々言ってくる?

邪魔だったんだ。そう、ベリアルさんの言うように、疎ましかった。

俺が『こう』なったのは俺自身の所為だ、それを否定するつもりはないんです。でも、俺には、こんな生き方しか出来ないから、だから、何を言われようとも、ヘラヘラ笑って、じっと耐えて……。

本当は、聞きたかった。それなら俺はどうすれば良かった?俺は、俺の……生きる、意味は――。

わからない、わからないけど、ただ、否定はしないで欲しかった』

 

 

それは、悲痛の慟哭であった。

それが、彼の本心であった。

己の患者が、友人が、決して自分にも、同居人にも、口にしなかった叫びであった。

 

それを引き摺り出した男は、甘ったるい声で、無責任な言葉を連ねる。

だがそれを問い掛けたかったのは――。

 

 

 

 

 

「そう。キミは、否定も肯定もしなかった。

興味があった筈さ。自分の患者が、どう壊れていくのかについてね」

 

「……わかっているだろう、ベリアル。

私は、」

 

「フフフ……。もちろんさセンセイ。

キミにも立場ってものがある。

カレの暴力的な感情を肯定するわけにはいかなかったんだろう」

 

「気にはしていたんだ。だが、どうしてもそれを認めるわけにはいかなかった」

 

「……本当に?」

 

「何が言いたい」

 

「本心を言ったってイイんだぜ?

此処にはオレとセンセイしかいないんだ」

 

「……穿っているのは、君の方だよ。ベリアル」

 

「そうかい?それなら、似た者同士ってことだろうね」

 

 

その視線の使い方といい、言葉の抑揚のつけ方といい、催眠術にでも掛けられているようだと寂雷は眩暈のする目を抑える。気が付けばコントロールされそうになるのだ。だがそれと同時に、マイクを通さなくとも、このベリアルという男は精神攻撃が出来るのだろうかと、彼は自分の中の好奇心が疼くのを感じた。

 

 

「フフフ……。その顔は、オレに興味があるって顔だ」

 

「否定はしないさ。私はキミに興味を持っている。

それこそ出会った時からね」

 

「いいねえ、中々熱い告白じゃないか。オレもキミのような男はタイプでね。

好奇心で動くタイプの、ニンゲンは……わかりやすくてイイ。

興味があるものには熱烈に。だが興味が無いものには冷酷に。

最高だよ。無理矢理にでも姦淫したくなるくらいには……ね」

 

 

挑発的な目をしたベリアルが、そう言って寂雷へと微笑む。

それを見た寂雷は、前から抱えていたベリアルに対する違和感を再び思い起こした。

『あのラップバトル大会の会場で会ったベリアル』と『今自分の目の前にいるベリアル』は、何処か違うように感じた。職業柄異変を察知することに長けていた寂雷の目には、どうも目の前の男が、初めて会った時とは違う存在のように思えてならなかったのである。

 

もし違うとするならば、考えられる可能性はいくつか挙げられる。

その中でも一番現実的なのは、解離性同一性障害(多重人格)をはじめとした精神的な疾患や、双子の存在であろうか。寂雷は別に精神を専門としているわけではないが、ヒプノシスマイクにより攻撃を受けた人間の治療を行っていることもあり、少し踏み込んだ勉強したことがあった。

 

だがそれを口にすることは憚られた。

ベリアルは別に己の患者でもなく、そもそも今は友人として接しているのだ。

それに根拠がない。この飄々とした男が、真実を口にするとは到底思えなかった。

 

考え込むように目を細めた寂雷に、ベリアルはふと笑みを零す。

 

 

「フフフ……。キミがもし、植え付けられ開花を迎えたら……」

 

 

ぽつりと落とされた呟きに、寂雷は首を傾げた。

だがベリアルはそれ以上言葉を続けることはなかったのである。

 

 

「まあ安心しなよ、センセイ。

あともう少しすれば時が来る。

元凶さえヤってしまえば……元通りさ」

 

「ふむ。確かに、突発的な暴走は治るかもしれないが……。

それは本当に治癒したとは言えないだろう」

 

「おいおい、コイツはキミのペットなのか?

そこまで面倒を見る必要はないだろう。

怒りという感情は誰にでも持ち合わせるもの。

それを消すよりも、発散してあげればイイ話だ」

 

「……発散、か」

 

「まあそれについては、キミの好きにすれば良い。

そうだ。別件で、一つキミに頼みがあるんだが……。

――聞いてくれるかい?」

 

 

ふわりとカーテンの影が動いた。

再び吹き荒れた夜風に寂雷の髪が、舞い上がる。

床に落ちた影が扇状に膨らみ、やがて滑らかに落ちていった。

 

薄い笑みを浮かべた唇から告げられた言葉に、寂雷はそっと目を伏せたのであった。

 

 

 

***

 

 

 

降り続く雨が、コンクリートに覆われた東京の大地を濡らす。

その灰色の地面は所々劣化しており、窪みや罅割れに雨水が溜まっていく。

 

――ぱしゃ、ぱしゃ、

 

薄く水の溜まったそれを蹴り上げ、無心に走る影があった。

時刻はもう深夜を指示しており、その影の主の出歩く時間はとっくに過ぎているように思える。

艶やかな黒髪は、雨に打たれ水が滴る。烏の濡れ羽色というがまさにその色をしていた。

あどけなさの抜けない齢の少年は、まるで何かに追われるようにひた走る。

左右で異なる色合いをした瞳からは、恐怖が滲み出ていた。

 

 

「はっ、……はっ、は……あ」

 

 

乱れ荒れる息を整える間もなく、一郎はただ足を動かす。

 

 

「――待て」

 

 

突然一郎の前に、人影が飛び出てきた。

随分大柄で筋肉質なそれは、見知らぬ男で。

よくよく見ると日本人離れした堀の深い顔立ちをしていることがわかる。

弱弱しい街灯に照らされ、浮き立つ青い瞳が一郎を見下げていた。

 

 

「こんな時間に何をしている、少年」

 

「っ!!アンタには……っ、カンケ―ねえ、だろ……っは、あ」

 

 

迷彩服に身を包んだ一見外人にも見える男に、一郎は思わず怯んだ。

しかしそれと同時にずくりと胸に沸き起こった衝動に、やべえと心の中で呟いた彼は、立ち塞がった男を睨み上げる。

 

 

「この国は青少年保護育成条例が制定されている。

少年のような年齢の子供の出歩き時間は、この場所だと午後11時~午前4時までだ」

 

「っち、うるせーよ、てめえには、かんけーねえ、……っ、ぐ、……」

 

「……?どうした、怪我でもしているのか?」

 

「っ、さわん、な……。くそ、また……抑え、らんね……っ」

 

 

元々表情を表に出さない性格なのだろうか。

警官のように固い口調と表情から、もしかしてこの男は見回りの警官なのだろうかと一郎は思った。しかし男の服装は上下ともに迷彩服で、警察関係者の着る服ではない。

 

どくり、と震えた心臓に思わず座り込んだ一郎は、顔を覗き込むように地面に膝を付いたその男が伸ばした手を振り払った。おそらくは心配して伸ばしてくれた手なのだろうが、それに気を回す余裕はもはやなかったのである。

 

 

「っ、……おっさん、離れ、な……っ、」

 

「む。小官はおっさんでは……、――っ!!」

 

 

どく、と更に大きく脈打った心臓が、まるで戦えとでも言っているかのように震えた。

決して抑えることのできない激しい衝動が、再び彼を襲う。

兄貴分でさえも、手に掛けてしまった一郎はもう歯止めが利かなくなっていたのである。

 

込み上げてきた深い怒りに、理性を奪われていく。

何故、何に対して、怒りを感じているのかすら、わからないまま。

考える余地はなかった。いや、思考すら怒りに支配されていたのかもしれない。

気が付けば一郎はまた、その拳を振り上げていたのだ。

 

 

「……ふむ、理由はわからんが、わかった」

 

 

無茶苦茶に振り下ろされた拳を掴んだ男は、そこで初めて一郎の目を見た。

ぐるぐると滲み出る『異様な』憤怒を目の当たりにしたのである。

そしてすぐに男は、一郎が正常な状態ではないことを察した。

 

この街には色々な人間がいることを彼は知っていたので、その表情はブレることはなかった。暴力が支配する世界で生きる人間、薬に乱された人間、そしてヒプノシスマイクに影響された人間などを彼は山ほど見て来たのだ。

実はこの男、警察ではないが、ある意味で似た職業に就いていた。

なので、一郎から薬の匂いがしないことや、その様子から男は一郎がヒプノシスマイクによる影響を受けた人間ではないかと推測したのである。

 

 

「……っ!な、……この、力は、」

 

 

不意に、掴んでいた筈の一郎の腕が振り解かれる。物凄い力であった。

一度後ろに飛んだ彼は、再び男へと飛び掛かる。

男は反射的に素早い動きでそれを受け止めたが、先ほどとは比べ物にはならない力に押し負けたのだ。

 

ばしゃん、と地面に溜まっていた水を弾く勢いで転がった男は、すかさず伸びて来た追撃に蹴りを放つ。

男の長い脚がその腹部に命中したかと思うと、一郎は大きく吹っ飛んだ。

しかし宙で身を反した一郎は軽やかに着地をすると、体を起こしかけていた男に馬乗りになる。

そして足で腕を抑え付けると、容赦なく無防備となった顔を殴り始めたのである。

 

 

「っ、ぐ……、あ……、」

 

 

一郎の軽い体など、男からすれば直ぐに撥ね退けられる筈であった。

しかし何故か体が錆ついたように重く、動かせない。

どれ程力を入れようとも、指一本動かなくなっていた。

 

 

「……!」

 

「ふっ、ふふふ……あはははは――!!」

 

 

男は自分を殴り続ける少年の顔を見上げる。

目を庇うために細められた視界の中で、赤くなった拳を振り上げる一郎は……笑っていた。笑いながらも大きく見開かれた目から零れ落ちる。彼は笑いながら、泣いていた。

 

狂気的なその表情であったが、男はその中に深い悲しみのようなものを感じた。

男は思わず手を伸ばすが、段々と強くなっていく力に押し返され、骨すら砕かんとする力に圧倒されてしまったのだ。

 

 

「おい……っ、正気に、戻れ……!」

 

 

叫ぼうとも、掠れた声しか上げられない。

 

何かがおかしかった。

 

少年とは思えない相当な力で殴られ続けたからだろう、男は段々と視界が霞んでいくのを感じる。このままではいけないともう一度抵抗をするために、体に力を込めて……。そしてふと、耳元で何かが弾けたのを聞いた。

 

 

 

――ぱしゃり、と水を蹴るような音であった。

 

 

 

「見つけたぜ、坊や。

ったく……欲求を解消するのはイイが、ちょっとオイタが過ぎないかい?」

 

 

頭上から降って来た第三者の声は、その低さとトーンから男性のものであることがわかる。すると、男に圧し掛かっていた重さがなくなったかと思うと、少年の体がふわりと浮いたのだ。

 

突然現れたその男にむんずと首根っこを掴まれた一郎は、ぴたりと動きを止めた。

がくりと項垂れたかと思うと、ぐるりと一郎の目が動きと男を睨み付ける。

それは、この世のものとは思えない形相であった。

 

 

「ぁ、あ、ああああ!!……離せ、はなせ……ハナセ……!!」

 

 

その声はノイズ混じりのひどく歪なもので、寒気すら感じる。

初めに聞いた少年の声とはかけ離れたそれに、地面に伏せた男は目を見開いた。

 

 

「あーあ。こんなに咲いちゃって。

敏感なんだね、キミ」

 

 

呆れつつも笑みが混ざった声で、その男は平然とした顔で一郎の目を覗き込んだ。

 

 

「……ふむ、まあいいや。

摘出手術の準備は整っているから、イイ子にしてくれないかい?」

 

「グ、ァアア……オマエ、……!ナゼ、」

 

「んん、元気なのはイイことだが……。

そんなに元気だとヤり難いんだよな。

そうだ、そこのキミ……見たところまだ精力が残っていそうだね」

 

「……っ、ああ、問題、ない……!」

 

「フフフ……。絶倫(タフ)だね。最高だよ。

ご自慢のモノを出しな。オレとズリ合おうじゃないか」

 

 

ベリアルがいつの間にか手にしていた骸骨マイクに、ふら付きながらも身を起こした男は自らのマイクを取り出す。トランシーバーのようにも見えるそれを握り締めた男は、指示を待つかのようにベリアルを静かに見据えた。

 

 

「オレとしては直接ヤり合った方が早いんだが……。

まあこっちの方が、効率はイイからね」

 

 

ふと口元に笑みを浮かべたベリアルが指を鳴らすと、そこはあっという間にラップ用の会場と化す。

ベリアルからすると随分遠回りな手段となるが、敢えてそれを選んだのには理由があった。自分の世界とは異なる世界に身を置いている以上、最大の禁忌はこの世界の存在を殺めることである。それを避けるためにも、これは有用な方法といえよう。

 

 

「……っ、兄、ちゃん、」

 

「少しは正気に戻ったかい?

だがキミには、少しお仕置きが必要なようだ」

 

 

溜息に隠されるように吐き出された言葉は、誰にも聞こえることはなかった。

虚ろな目をした一郎もまた、自分のマイクを震える手で取り出す。

すると少しだけ、その濁った瞳に光が戻る。

 

 

「さて、巻き込まれただけのキミは現状理解が不十分だろうけれど、昇天するほどの快楽を与えよう。だから、少し我慢してくれないかい?

指示はオレが出そう。キミは黙って身を委ねてくれれば良いさ」

 

 

そう言って片目を閉じて見せたベリアルに、男はただ黙って頷いたのであった――。

 

 

 

 

 

 

「おっと……!」

 

 

鳴り止んだ音と同時に周囲は元居た場所へと姿を変える。

崩れ落ちた少年の体を受け止めたベリアルは、ふうと息を吐いた。

 

 

「怪我は?」

 

「問題ない」

 

「そう。それは良かった。

……キミのは大きくて、サイズもぴったりだ。

もう少し味わっていたかったが、此処までにしよう。

中々楽しめたよ、アリガトウ」

 

「……?」

 

「フフフ……。此処でお別れということさ」

 

「待ってくれ、上官」

 

「ん?」

 

「まだ理由(わけ)を聞いてはいない」

 

「……納得できない、ということかな」

 

「……。いや、それが貴方の命令ならば、」

 

「わかったよ。付いて来るといいさ」

 

「……!」

 

 

戦いの中で何度か指示を送っているうちに、いつしか男はベリアルを『上官』と呼ぶようになっていた。頭の回転も速く、的確で、真っ直ぐな男をそう邪険にはしないようで、十センチ以上差のある身長を見上げると、ベリアルはそう言って折れたのである。

 

ぱっと目を輝かせた男はベリアルが抱えている一郎を受け取ると、歩き出したその黒い背中を追う。

 

そうして、ネオンの光が入り乱れる街の中へとベリアルとその一歩後ろを歩く男は消えて行った。

霧雨のような細かな雨が降り注ぐ空は、分厚い雲に覆われてどんよりと暗い。

そんな空とは裏腹に、その男の足取りはとても軽いものであったのだ。

 

 

 

 

 

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