Paradise Lost Division   作:陽朧

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悪魔、降臨せし時㉑

 

 

 

そこは一言でいうと、色彩の溜池であった。

シックで落ち着いた“黒”を基調とした空間に、煌びやかな貴重品、所狭しと置かれた花々、宝石を砕いたような光を放つシャンデリアなど、一流店の品格を保ちつつも、ホストクラブとしての輝きを誇る店内では、端正な顔をした年若い青年たちがそれぞれの席についていた。

 

席には所謂お客さんが座っており、その殆どが着飾った女性であった。

彼女たちはホストたちの饒舌なトークを楽しみ、チップとして酒や食べ物を注文する。

色鮮やかな容姿をしたホストたちが、席と席を行き来する姿はまるで蝶のようだ。

 

 

「席、空いているかい?」

 

 

今日も今日とて開店からそれほど時間が経過していないにも関わらず、満席御礼状態である。

エントランスに立ち次々と客を案内していた男は、かつん、と響いた靴音に顔を上げると、ぱっと顔色を明るくした。

 

 

「あっ……! べ、ベリアルさん……!」

 

「オレをご指名さ。できれば、静かな席が良いね。

フフフ……恥ずかしがり屋でね、声を聞かれたくないらしい」

 

「っ、あ、す、すぐに、ご案内します……っ」

 

「フフ、頼むよ。あとでキミも混ざるかい?」

 

「い、いえ……っ! そ、それは……」

 

 

店の正面口から入ってきたベリアルを出迎えた男は、黒服の青年であった。

彼は縁の下の力持ちとして、店を支える黒服の1人であり比較的古株である。

もちろんこの店では、黒服が客をもつことは許されていないのだが、自由奔放な“新人”はこうして戯れの言葉を口にするのだ。それに翻弄されそうになる自分を、“客の前”だと律した。

 

 

「それとも、キミがオレを指名してくれるのかな?」

 

 

くすくすと造作の良い顔で、それは嗤う。

この黒服にとって、ベリアルは近寄りがたく、でも拒絶できないものであった。

ある日突然、店の№1(かんばん)である一二三によって紹介されたベリアルという男は、一二三の口添えもあり、いきなり客の前に出ることになった。

通常新人は、先輩について所作を学び、雑用をしながら店に馴染んでいくのがしきたりのようなものだが、オーナーと一二三そしてベリアルが『なにか』を話し合った結果、そうなったらしい。当然ながら苦情はあがったが、それもすぐに止んだ。

オーナーが行った模擬接客(しけん)を見たとき、誰もが口を噤んだのである。

 

店によってまちまちであろうが、この店は主に“教養”や“頭の回転の速さ”が求められる。簡単に言うと、それだけレベルの高い客が訪れるところであり、それを相手取る彼らも求められるハードルが高いということだ。ベリアルはそれに応えるどころか、飲み込んでみせた。

 

相手の本心を見抜き、相手の求める言葉を解す。

これが基本となるスキルであるが、彼はそうはしなかった。

それらを理解しながらも、返すのは意味深な微笑のみ。

造作の良い顔に浮かぶ笑みに、性別を問わず皆一様に魅入る。

柔らかな、鋭い赤い瞳は、言外に相手に“すべて”をわかっていると告げるのだ。

言葉を失った客に、やっとベリアルは口を開く。

 

 

“キミが言いたいのはそんなことかい?”

 

“もっとオレに、キミの汚い本音(モノ)をぶっかけてくれよ“

 

“しゃぶりつくして、飲んでやっても良いんだぜ?“

 

 

蛇の如く、赤い唇の間から舌を覗かせて、囁くようにいった言葉は品がないに尽きるが、同時に動いた指先と視線は優雅なものであった。

それだけだ。たったそれだけで、魔法にでもかかったように、その場はベリアルのものとなる。気が付けば我を忘れて、それが試練だということも忘れて、オーナーは話し始めていた。

黒服は思う、この日のこの時から、オーナーの“様子”が変わった気がすると。

 

 

「ご、ごあんない、します……!」

 

 

黒服も、その場に居合わせた1人であり、その時のことはよく憶えていた。

仕事中に惚けそうになる自分を知ったし、彼は慌てて席へと案内する。

この時、ぱりっとしたスーツに身を包んだ黒服はあるまじきミスを犯す。

ベリアルが連れてきた客を、一度も見ていなかったのだ。

 

 

「……さて」

 

 

黒服の案内のままに、席に着いたベリアルは足を組んで相手を見る。

このような接客はまずありえないといって良いのだが、もはやベリアルの言動に口を挟むものは皆無に等しい。唯一それが可能である一二三は、№1の肩書に相応しい忙しさで、ベリアルに構う暇はないようだ。

 

 

「継続者さんか、ご新規さんかって聞くのは野暮かな。

少し雑談に付き合ってくれないか? なに、本番前のお遊びだ。

キミとは“長い付き合い”になりそうだからね、じっくりとお互いを知っておこうと思って。———ダメかい?」

 

 

身を乗り出して膝に腕を付くと、手を頬にあてて視線を滑らせる。

 

 

「フフフ、……アリガトウ。

お礼にコレをあげよう」

 

 

差し出されたのは『1枚の黒い羽』であった。

一目見ただけで鳥のものとも違うとわかるそれは、黒曜石のように鈍い輝きを放っている。

 

 

「不思議そうな顔をしているね。

もしかして……それに見覚えがあるのかい?

いや、いい。別にキミがそいつを知っていようが、関係のない話さ」

 

 

ベリアルはじいと相手の顔を見つめたかと思うと、体を起こしてソファーへともたれ、足を組む。そうして愉快だと言わんばかりに目を細めた。

 

 

「オレの力が必要なら、いつだって“よ”んでくれよ。

なあ―――」

 

 

ひとつ、ひとつ、強調するために切り取られた言葉は、甘く(つめたく)蕩けるような(さげすむような)、響きを孕んでいた。

溢れていた“色”は消え去り、2つの“赤”だけが仄暗い光を放つ。

 

堕天司の加護はいつだって……気紛れ(たわむれ)であるのだ。

 

 

 

 

***

 

 

 

颯爽と歩いていく後ろ姿に迷いはない。

むしろ迷うことがあるのだろうかと、帝統はぼんやりと考えながらその背中を追う。

協力を申し出はしたものの、帝統はベリアルに何一つこれからのことを聞いていなかった。

『何を目的に自分が使われたのか』はもちろん、これから自分たちが向かう先でさえ、知らない。

 

 

「なあ、」

 

 

帝統が呼び掛けると、ベリアルは目線だけを帝統に投げ返す。

深い色をした瞳は愉快そうにも退屈そうにも見えた。

さてどうしたらベリアルは答えをくれるだろうと、考えたのは呼び掛けた後で、帝統は一度口を閉ざした。俺を焦らすつもりかい?とベリアルは笑う。そんな2人に行き交う人間たちの視線が注がれていた。

豪胆な一面を持つ帝統は、いつもならばそんな雑踏に視線に怯むことはない。

色々な意味で視線を向けられることに慣れていたからである。

しかし今は、 “らしくない恰好”をしている所為か、いまいち落ち着かない様子を見せていた。

 

 

「フフフ、人間が初めて羞恥を覚えた時の顔をしているね。

だがキミは“裸”ではないだろう? むしろ立派な服を着ているじゃないか。

ああそれとも……キミには、着ていることに興奮する性癖があるのかい」

 

「ないっ! ないない! ぜ―――ったいないから!

変なこと言うなよ、にーちゃん」

 

「別に変なことじゃないだろう?

安心しなよ。キミがどんなにヤバい性癖を持っていても……。

オレはそれを否定する気はない」

 

「……いや、だから、俺はノーマルだって」

 

 

聞こえによっては優しい言葉かもしれないが、勝手に特殊性癖の持ち主にされかけている帝統にとってはとんでもなく酷い言い草であった。

揶揄われているのはわかっていたが、ついつい反応してしまう帝統の素直さは、堕天司の恰好の餌食となっていたわけである。彼は喰ってかかるわけでもなく、眉を下げて情けない表情を見せながら、離れた距離を少し詰める。

 

 

「ねえ! あれって―――」

 

 

ただの偶然かそれとも、彼の醸し出す『何か』を察知してのことか、行き交う人の群れは、ベリアルを前にして自然と割れる。特に女性たちと、すれ違う度に耳にするベリアルを指す言葉に、帝統は改めて“あのバトル“の反響の大きさを知った。

注目されているのは帝統とて同じではあるが、正体不明の番狂わせの存在は早くも伝説と化しており、尻尾(スキャンダル)を掴もうと付け狙う輩もいるほどである。SNSにはベリアルの出没情報や、カメラ目線の隠し撮り写真、動画をはじめ、訴えれば勝てそうな個人情報が多くあげられているが、その正体にたどり着いたものはいない。それがまた、パパラッチの欲を擽っているのだ。

 

携帯やコンパクトカメラ、さらには一眼レフカメラのレンズが向けられる。

がらりと変わった街中は、モデルの撮影を通り越して記者会見会場のようでもあった。

最新鋭の技術の結晶(レンズ)がぎらぎらと光を反射する。

それを愉快そうに見下ろしたベリアルは、帝統の肩に腕を回すと、目を細めて口角を上げる。慣れた様子でポーズを取り始めたベリアルに、一拍置いて黄色い歓声と野太い唸り声が上がったのであった。

 

 

「フフフ、今夜の賭け金(チップ)は足りそうだね」

 

「マジかよ……」

 

「彼らが絶頂した証拠さ。いや待てよ…。

フフフ、こういうサービスもありかもしれないな」

 

「こういうサービス? よくわからねえけど……。

にーちゃんがそういう目してる時って、大抵ろくでもねえんだよなあ」

 

 

何だかんだでノリの良い帝統は、突発的に始まった撮影会を愉しんでいたが、ポケットや、シャツ、ベルトの間に挟み込まれた“紙”を見て、唖然とした。

法律など詳しいことは知らなかったが、流石に違法ではないかと思い、それに触れることは躊躇われた。一括りにしてしまえば素行の悪い部類に入る帝統だが、その内面は筋を通す男であり、根は真直ぐなのである。

しかし、そんな彼の躊躇など気にも留めず、ベリアルは平然とした顔で“己の胸元”に押し込められた“それ”をすべて抜き取ると、帝統に持つように指示をする。幾度かの視線の攻防戦があったものの、渋々と帝統がそれを受け取りしまうと、ベリアルは鬱蒼と笑った。その顔を見た帝統は、口角を引き攣らせた。

それが、何か良からぬことを思いついた顔であることは、経験上わかりきっていたのだ。

 

 

「さて、そろそろ行こうか」

 

「そーいや、俺たち何処向かってんだ?」

 

「もうすぐそこだよ。あそこに見えるだろう?」

 

「んん……?」

 

 

まだまだ人の群れは続いていたが、もう興味を無くしたとでもいうようにベリアルはあっさりと背中を向けると、再び歩き出す。帝統もベリアルに倣いながら、先ほどからずっと問いたかったことを聞いた。すると、ベリアルが顎で示した先には、如何にも“お堅そうな”会社があった。

でかでかとした会社名が壁面に掲げられており、帝統はその会社名を耳にしたことはなかったが、医療関係であろうことはわかった。だが、新たな謎は生まれる一方である。なぜそんなところに何の用があるのか、再び問おうにも目的地はもう目の前まで来ていた。

 

都心特有のビルは横にも縦にも長く、真新しいデザイン性溢れるものではなく、どちらかというと昔からずっとそこにあるような

医療を扱う仕事だからだろうか。壁面は真白く、清潔な印象を与えている。

スーツを着た社員と思われる人間たちが出入を繰り返しており、忙しそうだ。

彼らの胸元でぷらぷらと揺れる社員証を眺めながら、帝統は目を細める。

 

 

「おいおい、そんな不機嫌そうな顔しないでくれよ。

まあキミが退屈するのはわかるケド、これもお仕事だ」

 

 

そう言って軽笑を湛えながらベリアルは、入口で控える警備服を着た人間に片目を閉じてみせる。ヒトの本能を擽る堕天司のウィンクは、果たしてどのような意味があったのだろう。人間という生き物は、“自分にとっての最良を常に吟味”し“帳尻合わせのために尤もらしい理由を付ける”ものだ。ヒトの愚かさを理解し、受け入れ、そしてそれを糧にしてきた彼だからこそ、人間の感情の揺れは手に取るようにわかる。

こうして哀れなことに、意味深な目配せを受けた警備員は、文字通り魅了されたというわけである。

 

 

「な、なにか……その、ご用でしょうか?」

 

逢瀬(デート)の予約をしているんだけど、入っても良いかい」

 

「で、でーと……?」

 

「ああ別に、(ナカ)なに(ナニ)かするつもりはないよ。

ただどうしても合わなくちゃいけなくてね」

 

「え、えっと……お約束されているなら、受付で、どうぞ」

 

 

おいおい、マジかよ。チョロ過ぎんだろ。と口を引き攣らせた帝統を横目に、ベリアルは建物へと足を向けた。弁舌を操る、というよりも相手そのものを操っているかの如く、警備員はあっさりとベリアルと帝統を受付へと案内した。

受付のテーブルへ腕を付いたベリアルは、首を傾けると目を白黒とさせている女性に向かって微笑む。年若い彼女は、有り体にいうと受付嬢であろう。綺麗に切り揃えられた髪と、手入れされた指先、派手すぎない化粧、そしてきっちりとした制服が清楚な雰囲気を際立たせていた。

受付嬢はベリアルの仕草に目を丸くしたものの、流石客対応には慣れているのか事務的な手続きを進めようとする。手元にあった来客の予定が記されている紙をぺらりとめくると、あ、と小さな声を溢した。

 

 

「営業部の観音坂とお約束されていた方ですね、ええと……ベリアル、さま」

 

「そうだよ、彼はいるかい?」

 

「大変申し訳ありません、観音坂は今……」

 

 

名簿に記されていた名前を見ると、受付嬢は申し訳なさそうに眉を下げた。

おそらく『不在』だと口にしようとしたのだろう。控えめな色のグロスが塗られた唇が、次の言葉の形をつくった、その時である。するりとベリアルの瞳が滑った。

 

 

「失礼。あなたがベリアルさまでしょうか?

当社営業の観音坂と本日打ち合わせのご予定の」

 

「キミは?」

 

「私は観音坂の上司で、下部といいます。

申し訳ないことに観音坂は不在でして、恐れ入りますが打ち合わせなら代わりに私が」

 

 

後ろから掛かった声は、落ち着きを払っており穏やかで丁寧な印象を相手に与える。

ベリアルは緩慢な動きで振り返ると、いつの間にか後ろに2人の男が立っていた。

下部と名乗った男は、観音坂独歩の上司だという。

彼が不在であることを告げた下部に、ベリアルは特別反応を示さなかった。

それどころか下部を視線で一蹴すると、その隣にいた男を見てふと表情を変える。

その変化はすぐ隣にいた帝統にしかわからないくらいの、微々たるものであったが。

 

 

「それでは、私はここで」

 

「ええ、ありがとうございました。天国先生」

 

「いいえ、またお伺いします」

 

 

下部の一歩後ろにいた男が、そういって軽く一礼をした。

“天国先生”と呼ばれたそれは、灰に近い髪をツートンにわけ、特徴的な黒と白の革ジャンを着こなす洒落た男であった。

ベリアルの視線に気付いたのであろう。顔を上げた男の、金色にも見える瞳と深紅が交差する。男が何かを口にしようとすると、ベリアルはついと目を逸らして帝統を見る。

 

 

「どうやら、ご指名のようだ。

キミはどうする?」

 

「……行く」

 

「そう、いい子だ。

それじゃ案内してもらおうか」

 

「……。ええ、こちらです」

 

 

下部は2人のやり取りを静かに聞くと、先導するように一歩前へと出る。

そして男に一礼をすると、先を歩き出した。

ベリアルはそれに続く姿を見た帝統は、ちらりと後ろを振り返える。

 

 

「……―――」

 

 

男はまだ立ち尽くしており、冷えきった暗い“金”がどこかをじいと見つめていた。

帝統はその姿に薄ら寒いものを感じて無意識に体を強張らせると、わけのわからない焦燥感のままに踵を返す。そうして、先を行く黒い背中を追い駆け始めた彼を、男は見ていなかった。

 

 

 

 

 

*終わり*

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