Paradise Lost Division   作:陽朧

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注意 : 三郎の口調は故意に変えてあります。


悪魔、降臨せし時㉒

“清潔”をそのまま映し出した部屋は、白一色の世界だ。

つい最近まで使われていたそこは水道や電気などはまだ生きており、かつての賑やかさが失われたことを除けば、在りし日のままであった。

そんな部屋の隅に置かれた丸椅子に座り、壁に寄り掛かった寂雷は、ただ一点のみを見つめる。組まれた長い足も、腕も、瞳も、動く気配はない。その置物のような姿は、言うならば精巧な人形のようであった。

 

紫とも灰ともとれる瞳が見つめる先、そこには―――

白い壁や床、そしてシーツを染め上げる“赤”があった。

 

首を半分引き千切られた際に垂れ流された血は、もちろん相当な量である。

心臓から脳へ至る、そして脳から心臓へ至る筈であったそれは、輸血用血液パックをそっくりそのままぶちまけたが如く、ベッドに染み込んでしまっている。このベッドはもう使えないだろう。

 

寂雷は昨晩のことを何度も、何度も、何度も、脳内で思い出す。

致命的な“赤”の中心に佇む“悪魔”が、首を半分失った状態で嗤う。

寂雷が開けた扉から差し込んだ光は、暗い部屋を照らし影を落とした。

その時、彼は息を呑んだ。床に描き出されたベリアルの影に違和感を抱き、そしてその違和感を凝視する。それが何かに気付くのは、少し時間が必要だった。

 

 

『うふふふふ……、はははははっ!

天司ね、オレがそう呼ばれるのは、何千年ぶりだろう』

 

『ああ、本当にキミは勘が良い。

今のでわかっちゃったかな?』

 

『答えを出すのは、いつだって人間の役割さ。そうだろう?』

 

 

ベリアルという男が、“恐ろしいモノ”であることを寂雷は“はじめから”気付いていた。

いや、と寂雷は頭を振る。彼はいくつか仮説を立てていたが、『マイクを持つもののうち、“適性者”となる可能性を持つものは皆、感じることができる』のだろう。これは仮説であるものの、ある程度の確信を持っていた。

―――“適性者”

それは今や絶対的と言って良いほどの力を持つようになった中央区が血眼となり探しているもので、第一候補として自分がリストアップされていることを、寂雷は勘付いていた。そしてそれを巡って、さまざまな策略が動いていることも同様に。

 

 

「……誰の掌の上にいるのか、それが問題となる」

 

 

カチリ、と時計の針は動く。

しかしその部屋だけは、違った。寂雷の目の前に広がる“赤”は“黒”に変化する様子は一向にない。通常酸素に触れた血は、やがて酸化し黒となる筈であるにも関わらず。まるでそれがあるべき姿だというように、そこに存在し続ける。

寂雷は自分の頬に手を当てる。観察する時や思考の海に沈む際の、彼の癖であった。

 

 

「もし彼が、書物に示された通りの悪魔ならば―――」

 

 

その存在が新たなる火種となると、寂雷は直感していた。

一層のこと番狂わせとなり、この日本を搔き乱して欲しいとさえ思ったが、そう上手くはいかないだろう。立場によって姿が変わるのは人間も、神も、悪魔も変わらない。

問題は“誰にとっての悪魔“か、そこを見極めようと寂雷は動いていた。

 

答えはまだ、わかっていない。

伊弉冉一二三に“協力”したり、観音坂独歩を“助けようと”も“陥れようと”もしたり、その言動を理解しようにも次の瞬間には変化するので、未だ掴めないのだ。

 

だが、何かを成そうとしているのは明確な事実であった。

そしてその目的のために、ヒプノシスマイクを持つものと接触している。

利用しようとしているのだ、と寂雷は思った。現に有栖川帝統という男は、彼の“犬”となっている。帝統が『浅はか』とは思っていないが、ベリアルが一枚も二枚も上手であったのか、それともまだ帝統に思惑があるのか、判断を付けるのはまだ早いとは思うが、良い観察対象にはなるだろう。

 

 

「ふむ、此処まで手を貸したことは“間違えではなかった”ということかな。

……私は、ただで利用される気はないけれど」

 

 

くすりと零れた笑み。寂雷の口元には笑みが浮かんでいたが、いつもの穏やかなそれとは違う。どこか歪で、どこか狂気的な、そう“既視感”すら感じるほどの色を帯びたものであった。

頭で冷静に思考を回してはいるが、寂雷の胸は高揚に打ち満ちていたのだ。

 

何度も、何度も、リフレインする『その光景』は、一言でいうと残酷に尽きる。ホラー映画の如く血肉に塗れたワンシーンだ。人によっては嫌悪感や吐き気を催すであろう。だが、寂雷は戦場にすら赴いた経験のある医者であり、飛び出た内臓や千切れた手足など日常茶飯事で“救っていた”彼が、その光景に絶句したのは真逆の意味であった。

 

―――うつくしい。なんて、うつくしいのだろう

 

白と、黒の世界に、彩られた赤は、寂雷の目にひどく鮮明に映る。

見慣れた世界は、その中心に佇む存在によって覆された。

 

 

「……私は、」

 

 

肉眼で直接見てしまった背徳的光景は、寂雷にとって“宗教画”にも等しかった。

その画は寂雷の心を蝕み、喰い破っていく―――。

翻弄し、翻弄される世界で、医師として導くために先陣を切ってきた寂雷は、己の心の片隅にあった残滓を見て見ぬフリをし続けてきた。それは葬り去ろうと足掻いてきた彼の過去であり、“(しょくざい)”へと手を伸ばす足枷でもある。

両の手は穢れ、両の足は枷に囚われた寂雷が“画”を通して視たもの。そして、彼がその“画”にタイトルを付けるとすれば、―――“解放”。

 

寂雷はただ、ただ、あの瞬間を思い描く。

時が止まった部屋で、ただひたすらに―――。

 

 

 

***

 

 

 

「……ベリアル? ああ、最近なにかと“お騒がせなイイ男”ね。

もちろん、知っているわよ」

 

「マジで!?」

 

 

カウンターにしな垂れた“女性”は、激しい剣幕のままに飛び込んできた来客に眉1つ動かすことなくそう告げた。そうして、ウェーブの掛かった髪をかき揚げると片目を閉じてみせた彼女(かれ)は、“贔屓している(かわいがっている)”客の顔色を見てその用件を把握した。オッドアイが特徴的の3人兄弟の仲は良好過ぎるほどで、特にこの二郎は兄である一郎に傾倒している。おそらく、一郎に何かあったのだろうと彼女(かれ)は目を細めた。

 

 

「いち兄との連絡が付かねえんだ!

多分、だけど絶対にーちゃんと一緒にいる!」

 

「……ふうん? 確かにイチローちゃんと噂の“ベリアルちゃん”が仲良くしているって情報はあるけど、そこまでの仲だったのねえ」

 

 

駆け落ちかしら、と冗談ぽく笑った彼女(かれ)に、二郎は頭が真っ白になる。

目を見開いて動きを止めた二郎を見て、あら、と彼女(かれ)は声を溢した。

シンジュクのBarで働くこの女性(おとめ)は、安僧祇 潤と言って裏で情報屋を営んでいる。山田兄弟も御用達である安僧祇の情報は、ジャンルを問わず幅広く、それでいて正確なものばかりだ。それにあまりふっかけることはしないので、この界隈では良心的ともいえよう。ただし彼女(かれ)に気に入られさえすれば、の話であるが。

 

 

「彼、おもしろいわよねえ」

 

「え……。彼って……?」

 

「ベリアルちゃんよ、もちろん。

拠点(おうち)の場所は知っているけど、それ以外なーんの情報も入らないの。

少なくともこの国で生まれた人間には戸籍があるわ。まあワケありって場合もあるけどね。

彼にはそれもない。例え戸籍がなくとも生きていれば、何処かに足跡が付く筈よね。

依頼があればそれを辿るのが情報屋(私たち)とか探偵さんなの。

最近増えているらしいわよ。彼を探ろうとする動きが。

でも未だ、有益な情報を得ることはできていないの」

 

 

はあ、と深い溜息を吐いた安僧祇はこれまで以上に、ベリアルの情報収集に難儀しているらしい。ぼやきを聞いた二郎には、なんとなくそれが当然のことのように思えた。

 

 

「……じゃあ、情報はねえんだな」

 

「ふふ、やあねえ、早まらないで頂戴よ。

確かにカレの身の上はわからないわ。

でも、“出没”場所なら……」

 

「っ! ま、マジで!? 知ってんのか!」

 

「モチのロンよ。私を誰だと思って?

その代わりいくらジローちゃん相手でも、今回は代金を要求するわ」

 

「へ!?」

 

「今一番の話題の星の情報よ?

情報は旬なの。青魚よりも足が早いんだから」 

 

「そ、そんな……。ってか魚って足ねえだろ」

 

「たとえよ。た・と・え。

よくお勉強なさいな、中学生クン?」

 

「……うぐっ、う、うるせえな!

そ、それでいくらなんだ?」

 

「あら、払う気?」

 

「そりゃ、……俺に払えるなら」

 

 

覚悟を決めたように唇を噛み締めた二郎に、安僧祇は唇だけで微笑んだ。

どうやらこの少年は本当に、一郎とベリアルが一緒にいると信じているらしい。

安僧祇にはそれの真偽は掴めていなかったが、二郎が動いているということは、弟の三郎も動いていることだ。ある程度の根拠がそこにはあるのだろう。少なくとも、ベリアルという男に関する情報は、直接接触したことのある二郎の方が握っていることになる。

安僧祇の持つ情報は、——―とある夜の騒動のほんの一幕であった。

一握りのそれにすらどれほどの価値があるか、目の前の少年はよくわかっていない。

だからこそ、安僧祇にとってこれはチャンスでもあったのだ。

 

 

「うふふ、あなたからお金を取ろうなんて思っていないわよ。

将来の投資にしておくつもりですもの」

 

「……なら俺にどうしろってんだ?」

 

「目には目を、歯には歯を、情報には、情報をってね。

あなたの知っているベリアルちゃんを教えてもらおうじゃない」

 

「ベリ兄を? でも俺は、」

 

「ふふ、わかっているわよ。

プロの私たちでもこんなにも掴めてないんですもの。

だから、これから知れば良いじゃない」

 

「……?」

 

「んーもう、鈍いわねえ。

お友達になりなさい、って言ってんのよ」

 

「と、友達ぃ!? ベリ兄と!?」

 

「イチローくんとも仲が良いなら、あなたもいけるわ」

 

「ちょ、ちょっと待てよ! それって、その」

 

「ふふ、潜入捜査(スパイ)とも言うかもね。

ジローちゃんには少し難しいかしら」

 

 

酷いようだが、二郎と言葉を交わしているのは情報を生業としている人間であるのだ。

いくら贔屓をしていようが、越えられない一線というものはある。逆にいうとそれだけ安僧祇が、ベリアルの情報を欲していたということでもあった。

それでも“相場”からすれば大サービスなのだが、問題は果たしてこの性根の優しい少年がそれを呑むか、である。情報のためにお友達(しんみつ)になるというのは、態々罪悪感を抱えることでもあり、プロでも人を選ぶ行為であった。自分を演じることのできる人間、嘘を吐くことに長ている人間、簡単に裏切ることのできる人間が最適であろうか。下手をすれば、逆に安僧祇側の情報を抜かれる可能性があるが、情報を操る彼は自分の身の守り方も心得ている。この時、安僧祇は焦れていたのだ。そして情報屋としてのプライドを刺激されていたのかもしれない。探れば探るほどに謎を深めていく、1人の男の正体に。

 

二郎とて、安僧祇が何を求めているかを察していたし、自身が兄の背中を追って片足を突っ込んだ世界にはルールがあるということもわかっていた。

目先の餌に飛び付くだけでは生きていけやしない。が、今食いつかなくては、自分の世界を失ってしまうと、一郎の足取りが掴めなくなった日から明滅を続ける脳内の警報が告げていた。二郎は失うわけにはいかなかった。彼にとって一郎は、一番星なのだ。例えそれが、憧れを抱いたもう1人を犠牲にするとしても。

 

 

「……いいぜ、その条件呑んでやる」

 

「一皮剥けたわねえジローちゃん。ふふ、素敵だわ」

 

 

ふと息を吐いた二郎は、安僧祇を見据えた。

瞳に込めたのは、固き意思か、それとも兄への想いか。

言葉にせずともその瞳が全てであった。

安僧祇はそっと目を伏せた

 

 

「決めたんだ、……いち兄を守るためなら、何だってするって。

そうアイツと決めた」

 

 

―――“ぜん“を捨てて“一”を守る。

二郎と三郎は、幼き日に誓い合った想いがあった。

善だろうが全だろうが、いち兄を守るためならば……。

 

 

「いいわね、その目。すっごくタイプよ。

いいモノを見せてくれたお礼に、少しだけサービスしちゃう」

 

 

目を細めて蕩けるように笑った安僧祇は、二郎に座るように言うと、一度奥へと入っていった。暫くして戻って来た[[rb:彼女 >かれ]] の手には白い皿があり、その上には赤と白の果物が乗っていた。

 

 

「うさぎ……林檎」

 

「そう、可愛いでしょ?

この林檎ちゃん、お客さんから貰ってね。

蜜がたーっぷりですごく甘いの。よかったらどうぞ」

 

 

艶のある赤い耳が魅力的な林檎のうさぎは、安僧祇が言うように随分と蜜を蓄えているようだ。二郎が銀のフォークでうさぎを突く(つつく) と、安僧祇はワイングラスを片手に話始める。それは短いながらも、二郎が最も欲していた答えであった―――。

 

 

 

 

 

気が付けば、日が傾き夕暮れ時を迎えていた。

都会というのは自由に見えて不自由だ。あまり遅くなっては、警官が見回りをはじめ行動が制限されてしまう。慌しく礼を口にして店を飛び出した二郎は、ひたすらに駆け出した。

 

走りながらポケットの中にあった携帯を取り出すと、指先で何度かスワイプをする。そして耳に当てると、数コールの後に聞き慣れた声が流れ始める。

 

 

「なに?」

 

「なにってお前……! おにーさまに向かって!

ってそんなん言ってる場合じゃねえ!

いち兄の居場所がわかった!

さっさとお前も来い、三郎!」

 

「え? うそ、マジ?」

 

「マジだ、マジ! 場所は———」

 

 

口早に場所を告げると、電話越しに三郎が何かを言っているのを無視して、二郎は走るスピードを上げた。マッピングは頭の中で完了しているので、あとはただ走るだけである。

 

ビルの隙間から差し込むオレンジの陽は、赤々と空を、都市を染め上げ、ヒトをも呑み込もうとしているようにも見える。行き交う人の群れを器用にかき分けながら、二郎は走った。

そうして辿り着いたのは、大通りからは一変した閑静な路地である。迷路のように入り組んだ細い道を進むと、ぽつりと佇む1つのビルが見えて来た。

傍の看板には病院と書かれているが、人の気配は全くしない。

本当に此処にいるのだろうか。やっと足を止め、その建物を見上げた二郎に不安が過る。

これまで情報屋の情報に誤りがあったことはないし、此処まで来たのだから行くしかないと二郎は再び足を動かした。

 

 

「もうっ、ほんっと馬鹿なんですから!!」

 

「いってええええ!!!」

 

 

ばしーん、と乾いた音が路地に響いたと同時に、二郎の背中にそれなりの痛みが走る。

そして開口一番に発せられた罵声に、二郎は目を白黒させた。

目の前には腰に腕を当てた三郎が立っており、肩を揺らし荒い息を繰り返していた。

一瞬状況判断が遅れたが、どうやら彼も走って来たらしい。ということは、この近くにいたということであろう。しかし何故、自分は後ろから奇襲されなければならないのか。いつものように二郎は三郎へ文句を言おうとして、止めた。

 

 

「……1人だけで、いち兄にカッコ付けようっていうなら許しませんから」

 

 

何でいつも先に行くんですか、と小さな声で呟いた三郎に、二郎は自分が何も言わず勢いのままに家を出たことを思い出した。突然一郎が行方不明になった今、頼りはお互いだけなのである。二郎までもし行方が分からなくなった場合、三郎はひとりぼっちだ。

軽率だったか、と二郎は頭を掻いた。今の今まで二郎の行方がわからず、不安であったのか口には出さないものの、声は震え、瞳は潤んでいた。

 

 

「……。わかってるっつーの、悪かったな」

 

「なにソレ。気持ち悪るっ」

 

「はあ!? お前がそんな顔すっから、俺が大人の対応してやっただけだろーが!」

 

「僕がどんな顔をしてたっていうんですか。

さっさと行きますよ、ジロ兄」

 

「……おう」

 

 

二郎を追い越して先を歩き始めた三郎は、兄に背中を向けている間だけ小さく笑った。

正直、まだ言いたいことは山ほどあった。しかし、二郎がいつも通り無事でいたことを確認すると、もうどうでも良くなったのだ。

 

ひんやりとした空気に包まれたそこは、人気がなく物寂しい場所だ。

幽霊が出ると言われれば信じてしまいそうな、そんな場所で二つの笑い声は何処までも明るく響いたのである。

 

 

 

 

 

*終わり


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