結果的に、男が告げた『とある条件』を組は呑んだ。そうして、つい数時間まで組のボスとして扱われていた男は、乱雑に塔外へと連れ出されて行った。これにより、ベリアルは空を手に入れたことになったのである。
ベリアルを塔の内部へと案内した、黒いフードの男は、ボスの世話役であり秘書でありながらも、実質ボスに次ぐ権力を持っていたらしい。そんな彼は、一連の事柄を部下たちに通達する為に、部屋を出て行ってしまった。
よって、部屋に残されたベリアルと銃兎の二人であったが、腹の探り合いの真っ只中であった。
「キミはオレのことを知っている。だが、オレはキミを知らない。
これじゃあフェアな取引とはならないだろう」
「はっ、殆ど素性を明かされていない男の、全力ではないバトルを見て何がわかると言うのかね。
フェアを望むのならば、明かしたまえ」
「ふむ……。そんなにオレのことを知りたいのかい?
ならまず、スリーサイズでも教えてあげようか」
ベリアルにしろ銃兎にしろ、この日にヘブンツリーを訪れたのは全くの偶然である。そして、偶々ボスの気紛れにより、ベリアルが塔内に招かれ、そして塔を制した。
実力主義を謳う組織にとっては、自分で招き入れ、組を巻き込み、抗争を起こした挙句、無様に負けた者を、そのままにしておくわけにはいかない。そこでボスを打ちのめしたベリアルに白羽の矢が立ったのである。ベリアルからすると、全てはただの戯れに過ぎなかったのだが。
銃兎は、ベリアルという男がラップバトルの賞品を拒んだことは知っていた。
全国放送された一面で、統治することを退屈だと吐き捨てていたのが、印象に残っていたのだ。
だからこそ、このヘブンツリーの裏側に拠点を置き、この辺りを牛耳る組のボスを、条件はあれど引き受けると言ったことに引っ掛かりを感じていた。
職業柄銃兎は、
だからこそ、不敵な笑みを浮かべる男が、どれほど厄介な存在であるかを見抜いていたのである。
仕草と言葉で、巧みに人を惑わせ翻弄し、決して本心を明かさない。それはベリアルのバトルスタイルと共通するものがあり、まさに『蝶のように舞い、蜂のように刺す』といったところか。
道化師紛いの表情を見せる男に、銃兎は目を細める。
此処は一度引いた方が良いだろう。そう思った彼は、腹の中に納めていた計画の一端をベリアルと告げた。
「いいねえ、クソみたいな偽善者共より
……キミのように悪ぶっている人間の方が
「やめろ、反吐が出る」
「ハハハッ、そういきり立つなよ。
オレたちは、大事な
ああ、折角だから
「はっ、舐めたことを。
いつでもわいせつ罪でしょっぴく準備は出来てんだ」
「ほう……いいぜ。
その腰にぶら下がっている立派なモノで、拘束してくれよ」
「てめえなんぞにぶっ放す弾丸も、手錠もねえ。
変態不埒野郎に構っている暇はないものでね」
「放置プレイかい、まあそれも悪くはない」
「……はあ、貴方を放っておくと被害者が増えそうですね」
「酷い言い様だね。だがそれがイイ……」
「その気持ちの悪い目を止めなさいよ。
仕方ありません。……この俺の、監視下に置いて差し上げましょう」
「ほう、監視プレイかい。キミも多趣味だね……益々気が合いそうだ」
「下種野郎が。一緒にすんじゃねえっつっただろ」
本質を捉えようにも、捉えられない言葉と視線の応酬が続く。
深く溜息を吐いた銃兎は、濡れたように光る赤い瞳を見据えた。
「私の情報は渡しました。今度は君の番ですよ」
「ふ。キミが勝手に話し出したことだろう。
……なんてね、冗談さ。オレだって対価があれば、相応の支払いはする。
何を知りたい?」
「ベリアル、貴方は……昨日のバトルで得た賞品を全て捨てた。
にも拘わらず何故この場所を?」
「別に、必要としていたワケじゃない。
だが……天から堕ちる快楽は、知っている。
あれは良い、ソドミーとはまた違った、オーガズムが得られる。
それこそ、やみつきになりそうな……そう中毒性があるんだ」
「……なんの話だ」
「ハハハッ、そうか……キミたちにはわからないよな。
まあ、アレだ。人間は、堕落する時に一番の快楽を得る。
所詮人間は動物。本能は捨て切れないのさ」
「お前は、
「それよりも、もっと原始的なコトの方が好きでね。
まあ……キミがいうならキメてやっても良いぜ。
文字通り、ぶっ壊れるまで……な」
「ナマ言ってんじゃねえ、俺は薬漬けにはならねえよ」
「そうだろうね……。何せ、キミは……取り締まる側の、お巡りさんだ。
ハハハハッ!!そんなキミを、
ああ……考えただけで、イっちまいそうだ」
「てめえ、……あんまりふざけたこと抜かすと……」
歪んだ瞳に宿る狂気は、禁忌的なうつくしさを感じさせる。
恐らくベリアルは、それが銃兎の地雷だとわかって踏もうとしているのだ。
唸るように怒りを露わにした銃兎は、思わず赤い手袋に覆われた手で、腰に付けたホルダーに触れた。
「オレなりの愛撫さ。冗談だよ」
そんな銃兎の様子に、低く笑ったベリアルは静かに目を伏せる。
「理由などありはしない。退屈凌ぎの……ほんの気紛れさ。
どうせなら、愉しいコトしたいだろう?
だからキミの
甘美なその声音は、銃兎の疑心を掻き立てるものでしかない。
だが、飄々としたその態度や好色的な言動は、扱いやすいとも思った。
羊の皮を被った狼が蔓延る世界で、欲望に忠実で本能を滲ませる人間は、餌さえあれば裏切ることはない。彼は経験上、そう考えていたのである。
「……仕方、ありませんね。
これから取引を重ねれば重ねるほど、貴方と私は一蓮托生となっていく。
少しずつ皮を剥いで差し上げましょう」
「ハハハッ、オレの皮はもう
物騒な物言いに、愉快そうに口角を釣り上げたベリアルを見て、銃兎は心の中で深く溜息を吐く。
「……その言動、なんとかなりませんか」
「なんとかして欲しいなら、躾けてみるかい?」
返されたのは、相変わらずの酷いものである。だがもう、まともな答えに期待はしていなかった。
この男がこの男である一つの
銃兎の薄い唇から、再び溜息が零れ落ちた。
そうして話が区切りを迎えた頃には、窓の外はもう夜の帳に包み込まれていた。
特殊なコーティングがされているらしい窓は、普通の窓とは違い、夜でも鮮明に外の景色を見ることが出来る。
墨を撒いたような空に、星が散らばっているが、その輝きは弱弱しい。町のネオンに光を奪われている所為でもあろう。
「なあ、お巡りさん。そろそろお仕事は終わりだろう?
……少し遊んでいかないかい」
ずっと腰を下ろしていたベリアルは、窓辺から立ち上がると、ゆっくりとした足取りで銃兎へと近づいた。
銃兎は訝しげに目を細めると、その顔を見上げる。
ベリアルは薄い笑みを携えながら、形の良い唇を動かした。
***
そうして、意図せずに拠点を手に入れた男は、用意された服を身に纏う。
何があって何をしたかは伏せておくが、一夜明けた塔の内部は昨日と様子が、がらりと異なっていたのである。
昨日の朝から触れてもいなかった携帯を確認する。そこにはずらりと着信と受信を知らせる表示が並んでおり、昨日一昨日で出会った人間たちの名前が並んでいた。
するとその時、画面に着信を告げる表示が浮かぶ。
『有栖川 帝統』と浮かび上がった名前に、通信開始ボタンを押した。
『やーっと出た!!ったく、何度も掛けたんだぜ!?』
「あー。それはすまないね。色々取り込んでたんだ」
『取り込んでた?……なんかあったのか!?』
「まあ、大したことじゃないさ」
『そーなのか?ま、にーちゃんがそう言うなら、今は聞かねえけどよ』
「それで、何かあったのかい」
『いーや。ぜんっぜん、連絡が付かねえから心配してただけだ。
無事なら良かったぜ。今日の約束、忘れてねえよな』
「憶えているさ」
昨日のあの一連の出来事の所為もあるが、普段の習慣的にも、男は、仕事に関すること以外で携帯を弄ることは少なかった。それこそ空き時間に少しゲームをするぐらいである。だからこそ、確認が遅れてしまったというのは、言い訳に過ぎないだろうが。
帝統からの通話が終了すると、改めて届いていたメールや、メッセージ専用アプリの受信ボックスを開いていく。書き方は人によって異なるものの、その内容の殆どは、都合が良ければ会わないかというものであった。
予定を組み立てながら、一つ一つに返事を打ち込んでいくと、そろそろ帝統との待ち合わせ時間が近づいていることに気が付く。その殆どの相手が男が、返事を打ち込んだ瞬間に、既読のサインを付けたので、直ぐに確認したことはわかった。だが、まさか返事が打たれるとは思っていなかった。次々に帰って来る返事を、確認する時間はもう無い。
内心で謝罪しつつも、男は身支度を整えると、部屋の外へと出た。
もはや完全に別人格であるベリアルが、成したことを男は全て記憶していた。
ヘブンツリーという、微妙に聞き覚えがある巨大電波塔の内部が、このような造りになっていたことにも、そしてヤクザが牛耳っていたことも、帝統から多少は耳にしていたが、改めて驚いた。そしてまさか、それを自分が乗っ取ることになるとは、微塵も思っていなかった。
「……しかし、広いな」
昨夜あの後、黒いフードの男が、内部機密が詰まった資料を持って来た。
その中の一つに、塔の構造が緻密に描かれた地図があり、ざっくりと目を通した所、どうやらこの塔には裏向きにも様々な施設があるらしい。主にギャンブルといった大人の遊びをする場所だが。
ベリアルという男の脳は、直ぐにその地図をインプットしてくれたので、塔で迷うことはなさそうである。
表のフロアに出た男は、そのまま待ち合わせ場所へと向かった。
「あれ、……だよな」
平日の朝と昼の間という中途半端な時間であっても、ヘブンツリーから人混みが消えることはない。
相変わらず賑わいを見せる駅もまた、同じである。
良く待ち合わせ場所としても使われる、駅に飾られたモニュメントの近くに、その姿はあった。
少し早めの時間に到着したのだが、それよりも前からそこにいたらしい。
男は思わず目を瞬かせてしまう。出会ったからまだ間もないが、時間にルーズな方ではないかと勝手に判断していた為である。人は見かけと正確に寄らない部分があると、反省と罪悪感を抱きつつ、青い髪の青年へと声を掛けた。
「やあ、待たせたかい」
「にーちゃん!!全然、丁度来たとこだ」
男の声に、ぱっと顔を上げた帝統は、星が散るような明るい笑みを浮かべる。
そして、手にしていた携帯とイヤフォンをポケットに捻じ込むと、空いた手で男の手を引いた。
「よっし、行こうぜ!この有栖川帝統が、にーちゃん専属のガイドになってやる!」
「それは心強いね」
太陽の光を弾いて、いっそう鮮やかに輝く青い髪が、ふわりと靡く。
半歩先を歩く帝統に、ふと笑みを浮かべた男は今日のプランを彼に任せることにした。
そうして、帝統の案内により、ヘブンツリーの中を歩き回ることになった。
彼が紹介する店は、何とも年相応で中々センスが良い。
服やアクセサリーなど拘りはなくとも、時間がある時は好きな店をチェックしているらしい。
「サイコロとか、カードとか、こういうのが良いんだよなあ。
なんつーか、ツキが来そうじゃん」
メンズ向けのアクセサリーが揃う店で、目を輝かせた帝統が指を差したのは、ピアスやイヤリングが並ぶコーナーに展示されていた、トランプやらサイコロをモチーフにしたものであった。
彼の左耳から流れる髪飾りにもサイコロがあしらわれている。
話を聞いていると、どうやら縁起ものをモチーフにしたものも好むらしい。
それを聞いた男は、ふと頭に思い浮かんだものを探すため、他の商品棚へと目を向ける。
「にーちゃん、どうした?趣味じゃなかったか?」
「いや、そういうものが好きなら、ああいう石とかもどうかなと思ってね」
自分の話が過ぎてしまったか、と焦りを見せる帝統に、男は笑う。
この青年は、人の顔を読む癖があり、更に人の感情の動きに敏感だ。
「ああ、
「上手い組み合わせを知っているんだ。組んであげようか」
「え、マジか!!ちょーうれしい!!」
男がそう提案したのは、無意識のことであった。
鉱石類はそれ程詳しいわけではない。だが、気が付けば唇はそう動いていた。
心底からの喜びを表すように帝統は、頬を赤らめて男に飛び付いた。
その仕草に静かに笑みを零した男は、丸くカットされた石が種類別に並ぶケースに近付く。
パワーストーンと呼ばれる石には、一つ一つに意味がある。そして一つ一つに相性がある。
そして、同じ石でも微妙に力が異なるのだ。そこは、流石堕天司の目と
メインとなる石の中から、一番強い力を秘めた石を取る。そしてその石の力を、より高める組み合わせを選んでいく。
方法は簡単なことだ。メインの石の隣に他の石を置けば、感じる力が上下する。後は、その様子を窺いながら、帝統の腕一周分の長さと同じだけ石を選べば良い。
ちなみにメインは、運を上げると謳われる石を選んだ。
長い指が一つ一つ確かめるように石を摘むと、赤い瞳がそれを見透かすように覗き込む。
その様子を帝統は、ただじっと見つめていた。
「さて、……このままプレゼントしても良いけど、折角だから賭けをしないかい」
「っ!!いいぜ!!大歓迎だ!」
男は、完成したブレスレットが綺麗に包装された箱を手にして、そう帝統に提案する。
得意分野だとばかりに、顔を輝かせた彼は、その提案に勢い良く飛び付いた。
「キミが勝ったらこれを無条件で渡そう。
でも、オレが勝ったら……一晩つき合ってもらおうか」
「へ?……それだけで良いのか?」
「おや、安直な判断はいけないな。……
拍子抜けした表情を見せた帝統に、ベリアルはくつくつと喉を震わせて笑った。
その笑い方を見て、目を大きくした彼の脳裏には、あのラップバトルでベリアルという男が見せた表情が再生される。どうやら勝負になると人格が変わるのだと、この時彼は確信したのである。
賭けに乗った帝統を、今度はベリアルが案内する番となった。
会話をしながら足を進めているうちに、気が付いたら迷路のような場所に足を踏み入れていた。
そして、ベリアルが案内する儘に進んでいくと、、目の前には重厚な大きな扉があったのだ。
こうして、とある部屋に足を踏み入れた帝統は、驚きを露わにすることになる。
ヘブンツリーの裏側にカジノらしき施設があるらしい。という噂は耳にしていた。
しかし、それは都市伝説と同じで、何の確証もない噂に過ぎなかったのである。この瞬間までは。
「に、にーちゃん……ここって」
「大人の遊び場さ。さあ……熱く絡み合おうじゃないか」
扉の両端に控えた男たちによって開かれた、その先の世界。
それは、若いながらもそれなりの場数を経験して来た帝統でも初めて見る、本物の世界であった。
中にいる人々の服装は、表にいるそれと変わらない。悪目立ちをしないように、昼間の時間は、ドレスコードは存在しないのだ。
帝統を圧倒し滾らせたのは、人々が見せる獣の瞳であった。
少し離れた所から獲物を俯瞰するような、それは、鋭利な静けさを滲ませている。
それが、部屋に満ちた緊張感の正体であろう。
じりじりと、確実に、足音を潜ませるハンターたちが、心の底から狩りを楽しんでいるのだ。
「あの中に入るのは、
点在するカジノテーブルに、釘付けになっている帝統に笑みを零しながら、ベリアルはその肩を叩いた。
まだ法律的にはアウトで、この場所にいるだけでしょっぴかれる対象となるであろう。だが、そこは厳重な警備と監視、そして取引がなされているので、そういう意味では安全地帯なのだ。
とはいえ、未成年であろう青年を、堂々とテーブルに上がらせるわけにはいかない。そう思えたのは、ベリアルではなく男の意志が働いたからであろう。ただし、言い方が言い方であったが。
二人は、更に奥の部屋へと向かう。このカジノには、VIPルームがいくつも備え付けられており、お忍びで訪れる人間たちにも対応しているのだ。
個室の中も広く造られており、部屋の中心にはカジノテーブルが置かれている。
その周りにゆったりと座ることのできるソファーが配置されていた。
カジノテーブルの奥には、黒いスーツを纏う、専属のディーラーが控えている。
「ポーカーは知っているかい」
「ああ。こんな本格的にはやったことねえがな」
「なら問題ないか。じゃあ、キミはこの勝負にいくら出せる?」
ソファーへと腰掛けたベリアルは、瞳を流して同じように座った帝統を捉える。
挑発的なその目に帝統は熱を浮かべた目をぶつけた。
そうして、ゆるりと口角を上げると、彼は財布を取り出してテーブルの上に置いた。
「俺は
「いいねえ。キミのそういう所……堪らないよ」
それは、ベリアルが求めるものにとても近いのだ。
「では、オレもキミと同じ額を。だが、それだけじゃあフェアじゃないな。
……こういうのはどうだい。キミが勝ったら、オレの全てをあげよう」
「待ちな。……俺も、俺を賭ける。
俺が勝てば、アンタは全てを失う。アンタが勝てば、俺は全てを失う。
中々、刺激的だろう?ぶっとんじまいそうだ」
「ハハハッ、キミもイかれてるね。
じゃあ……これは、敗者の首輪としよう」
先程のブレスレットを台に乗せたベリアルは、愉快そうに顔を歪ませる。
そして、静かに時を待っていたディーラーに合図をした。
「にーちゃん相手じゃ、いかさまも出来ねえな」
「ふ、してくれても構わないよ。
ただし……見つからないように、上手くやることが条件だ」
ショーのような、鮮やかな手つきで切られたカードが、二人に配られていく。
それを手にしたベリアルと、帝統は、お互いの武器を確認すると、獰猛ともいえる笑みを浮かべたのであった。