Paradise Lost Division   作:陽朧

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悪魔、降臨せし時⑦

ヘブンツリー内にあるのは、ショッピング施設だけではない。

フードコートやレストラン、そしてカフェなどの飲食店も豊富に揃えられている。

落ち着ける場所として選んだのは、色々な国の珈琲が楽しめるという喫茶店であった。

帝統の好みの店らしい。相変わらずこだわりはないが、好みの強い男である。

店に入ると、しっとりとしたクラシック音楽と、珈琲の香りに包まれる。

適当なものを注文した帝統は、向き合って座る男に目を向けた。

 

 

「にしても、強え……ってか、性格悪ぃなにーちゃん」

 

「ははっ、そう言うなよ。

キミがあまりにも手馴れているから、つい熱くなってしまってね」

 

「良く言うぜ。俺が一喜一憂してんの、楽しんでいただけだろ」

 

 

店の雰囲気に似合うシックなテーブルに、頬杖を付いた帝統はその唇を尖らせる。

その腕には、艶やかな光を纏うブレスレットが嵌められていた。

帝統とて年齢には似付かわしくない程の、腕を持っている。

それに、勘の良さも、勝負時を見極める眼力も、大勝負に打って出る度胸も、素晴らしいものであった。

天性のものであるかはわからないが、ギャンブルという運と勘が勝負の世界で、彼が磨き上げたものであろう。

 

 

「あーあ。俺も自信あったのによ」

 

「それがギャンブルなんだろう。

盤の上では全てが平等だ。経験も実力も、運によって覆る。

理屈を取っ払った世界。俺も嫌いじゃない」

 

「そう!そーなんだよ、流石にーちゃん!!

……あの世界なら、生まれも育ちも、何もかも関係ねえ。

その時の運だけが、勝負の世界。それが……俺が、求めるもんだ」

 

 

男の言葉に、顔を明るめた帝統であったが、直ぐにその瞳を伏せてしまう。

一般の人間は、ギャンブルという言葉に顔を顰める。実際に帝統の生き方を否定する人間は少なくなかった。ごく一部の人間は帝統のような生き方をしていて、彼らは肯定してくれた。だがしかし、彼らもまた時間と共に多数派の人間になっていった。

とはいえ帝統は、別に受け入れて欲しいとは思っていない。

ただ、自分の考えと違うことを糾弾し疎ましがるのは、器量が狭いにも程があると、彼は思っている。

彼からすれば、多かれ少なかれ生きることそのものがリスクであり、大いなる博打なのだ。

 

 

「俺は、俺に人生を賭けた。

それが当たろうが、外れようが、自分の尻拭いぐらい出来る。

他人にとやかく言われる筋合いはねえ」

 

 

ぽつりぽつりと零していく帝統の話を、男はただ聞いていた。

彼はまだ若い。だからこそ、広い世界を求めることが出来る。

男は何も言わなかった。いや、言う必要などないと思っていた。

 

 

「腹を括っていることを、俺に言っても仕方ないだろう」

 

「いいんだよ。にーちゃんに聞いて欲しかったんだ」

 

「お悩み相談というわけかい。まあ、偶には良いさ」

 

「渋谷の、スクランブル交差点あるだろう?

なんつーか、俺……ああいうの嫌いなんだよなあ。

皆が揃って同じ方向を向いて、同じ信号(しじ)に従って……。

少しでもはみ出ると、即バッシング。窮屈にも程があると思わねえ?」

 

「逆に言うと、それが人間の流れさ。

一番楽な方法であり、間違えのない生き方……。

箱に収まってしまえば、非難されることはない」

 

「そりゃ、知ってるけどよ」

 

「キミは流れを読むことに長けているから、余計に気持ち悪く感じるのだろうね」

 

「ギャンブルでもな、極めればすげーんだ。

打った相手のことは……何となく、わかる。

だけど、イマイチにーちゃんのことわかんねー。

アンタの本当はどっちなんだ?

 

「……さあ、ね。どっちに見える?」

 

 

カードを手にしていた時の、ベリアルという男は、ポーカーを楽しむというよりも帝統の反応を愉しんでいるようにも見えた。今冷静になって思うと、終始掌で踊らされていただけだったのだろう。

思い返すだけでも悔しくて堪らないのだが、それ以上に何となくそんな気はしていたのだ。

勝負中、相手の考えを読もうと、視線、息遣い、声音を五感を全開にして探った。

だが、そうすればそうするほど、ベリアルの策略に嵌っていったのだ。

その感覚は蟻地獄で足掻く蟻にも近いのかもしれない。

そうやって足掻く帝統を、赤い瞳は嗤っていた。

 

しかし勝負が終わってカジノを出れば、その人格は一変した。

優雅に珈琲カップに口を付ける男は、穏やかな好青年という印象を受ける。

青年といって良い年齢であるかは、置いておくとしよう。

 

 

「まあ、いいや。俺は俺の全部を賭けて、アンタに負けちまった。

飼い主のことを探る趣味はねえさ」

 

「随分素直だね。……だが、俺は別にキミを飼い慣らそうと思ってはいないよ」

 

「あ?そーなんか?にーちゃんのことだから、てっきり……」

 

「ふふ、心外だな。キミのような男は、縛り付けてしまうと逆に面白くなくなる。

……だが折角キミが乗り気になってくれたんなら、話は別だ」

 

「なーんか、俺墓穴掘ったような……」

 

「嫌なら言ってくれて構わないさ」

 

「い、いや……やる、やるぜ!男に二言はねえ」

 

「そうかい、なら一つ頼もうか」

 

 

ふと細められた瞳に深い色が浮かぶ。

短い付き合いではあるものの、帝統はその表情の意味を理解していた。

 

 

「カジノディーラーをしてみる気はないかい?」

 

「あ?……ディーラーって、あの?」

 

「そうさ、ゲームの見届け人だ」

 

「……悪いがそりゃ、無理だ」

 

「理由を聞こうじゃないか」

 

「俺はギャンブラーだ。ディーラーなんて、俺からすればお預けを喰らうようなモンさ」

 

「なら、打ちたい相手がいれば好きにすれば良い……という条件を出そう」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。にーちゃん、なんでそんな」

 

「……ああ、言っていなかったかい」

 

 

突然の話に驚いた顔をした帝統だが、考えるように腕を組むと、不思議そうな顔を向けた。

そんな彼の仕草を見て、そういえばとベリアルは、昨日の話をし始める。

 

 

「は、はあ!!?ヤクザと喧嘩した……っ!!??」

 

「ハハハッ、喧嘩ではないさ。ゲームに招待されただけさ」

 

「そ、それで……のしちまった……のか?」

 

「折角のパーティーだ、楽しませてもらったよ」

 

「……さ、……流石に、びっくりした……。

アンタ、……すげえんだな。色んな意味で」

 

 

笑みを含ませてくつくつと笑うベリアルに、脱力したように肩の力を抜いた帝統は、大きく息を吐いた。

 

 

「軍資金が足りなくなった時の、繋ぎで構わないさ。

キミがバニーボーイになってくれると、盛り上がりそうだ。色々とね」

 

「なっ!!ば、ばにーって、俺に!?」

 

「そう喜ばないでくれよ。冗談だ。

キミが着たいというなら、着てくれて構わないけど」

 

「ぜってえー嫌だ。それなら、やらねえ」

 

「ほう、やってくれるのかい?」

 

「え、あ……ち、ちくしょう」

 

「男に二言はない、だったかな。

悪いようにはしないさ。別に組に入れと言っているわけじゃない。

それに、キミも勉強になるだろう」

 

「……あー、もう、にーちゃんには敵わねえなあ」

 

 

がしがしと頭を掻く素振りをみせた帝統は、小さく両手を上げる。

こんな巧妙なとも言えないチープな口車に乗せられたこともあるが、目の前の男が何を考えているのか興味が沸いていた。

 

 

「もう一つ条件を付けさせてもらうぜ」

 

「なんだい?」

 

「……使われるだけじゃ、性に合わねえ。

アンタの腹ん中……教えてくんねえかい」

 

「ふふ……別に大したことではないさ。

情報を集めたいんだ」

 

「情報……?」

 

「いつも、オレは体張ってばっかりだからな。

偶には気持ちイイ思いをしたいんだよ」

 

「……にーちゃんも使われる側っつーことか?」

 

「ああ、そういうこった。

だが……此処では思うようにやらせてもらうさ。

その為に、情報は武器になる」

 

「……」

 

「モノ足りなそうな顔、しているね。

だが……まだ秘密さ。

我慢を重ねれば重ねるほど、感度が増す。

キミだって、気持ちイイ方が好きだろう?」

 

 

体を椅子に凭れさせ長い足を組むと、また赤色の瞳は色を変える。

微かなその変化を読み取った帝統は、一つ息を吐くと追及の手を納めた。

ベリアルは、そんな帝統の様子に愉快そうに口角を上げた。

 

今は人格の一つといえど、元々ベリアルは自分を愉しませる存在以外には興味を持たない。

そんな狡知の悪魔が、こうして彼に時間を割いているのには、勿論理由があった。

有栖川帝統は賢い人間だ。使い勝手の良い人間と言っても良いだろう。

彼は、檻の中にいることに疑問を持ち始めた、獣だ。

その性質は野生に近く、故に弁えることも知っている。

 

要するに、『ベリアルにとって』有能な人間でありながら、誰しもが持つ『聞かれたくないこと』に、無暗に突っ込まない嗅覚を持ち合わせている帝統は、都合の良い男となるのだ。

 

 

「それで、どんな情報が欲しいんだ?」

 

「ああ、それについては話しておこう」

 

 

帝統とて、使われてばかりの立場に甘んじるつもりも、負けてばかりでいる気もなかった。

いつか腕につけたブレスレッドを、ベリアルに贈り返すつもりであるし、いずれラップバトルを挑む腹積もりである。だがそれには、まずベリアルという男を知る必要があると帝統は考えたのだ。

勝負師にとって、相手の情報を得ることは、相手の癖を見抜く上で重要なことだ。

考え方、行動パターンを読み、そこから次の手札を推測する。

本来ならば勝負中にそれを行うのだが、何せ相手が悪い。

だからこそ、帝統は、ベリアルの頼みを逆手に取ろうとしたのだ。

 

 

「……」

 

 

しかし彼はこの時、何故そこまでして、ベリアルに勝とうとしているのか、とは考えなかった。

ギャンブルに勝つだけならば、何度も挑み続ければ良い話である。

勝負を受けてくれるかは別として、だが。

帝統はずっと心に引っ掛かっていたことがある。

相変わらず底の見えない微笑を浮かべる、ベリアルが、自分の名前を呼んだことはない。

彼はそれが、無性に腹立たしく感じていた。

 

 

 

 

 

「にーちゃん、その仕事はいつから行けば良いんだ?」

 

「いつでも構わないよ。

あくまでも、キミにスタイルに合わせるつもりでいるからね。

気が向いたら連絡してくれ」

 

「わかった!」

 

 

喫茶店を出た二人は、そろそろ解散にしようと駅の方へと向かった。

少し視線を彷徨わせた帝統が、男を見上げる。

それに、ふと穏やかに微笑んだ男は、彼に言葉を返した。

 

 

「じゃあ、また会おう」

 

「……あ、……ああ、また、連絡する」

 

 

集合と同じ場所に辿り着くと、男は帝統に別れを告げた。

珍しく歯切れ悪い口振りを見せた帝統は、踵を返した男の遠ざかる背中を暫く見つめていた。

 

 

 

***

 

 

 

太陽が姿を消すと共に、灯り始めた光たちが、夜の街を彩り始める。

都心に輝く星々は、ひどく人工的なものであった。

空高く聳えるビル群から光が消えるのは稀のことで、中には、休みなく瞬き続ける星もある。

職種にもよるだろうが、女尊男卑(このような)世界であっても、サラリーマンの生活に変化はないように見えた。もしかしたら、中央区と呼ばれる場所に行けば違うのかもしれないが、ベリアルにはどうでも良いことだ。

日が落ちてから輝きを増す都市の一つである、新宿に足を向けたベリアルは、雑踏に溢れる街を歩いていた。行き交う黒いスーツを着た男たちの、世を儚んだ顔をした男たちを見て、ベリアルは静かに口角を上げた。舌なめずりさえしそうなその顔は、何か悪いことを考えているに他ならない。

 

ベリアルが、吟味するように人間たちの顔を見ていると、突然何か割れる音が聞こえた。

結構派手な音であったので、周りの人々も音が聞こえた方へと目を向けている。

音の発生地は、少し離れた所にある店からであった。

 

 

「あァ!?ふざけんな!!舐めた口聞いてんじゃねーぞ!!この軟弱野郎っ!!」

 

「お、お客さん……困ります、あの」

 

「困るんはこっちだよ!!商売だろうがっ!!」

 

 

随分一方的な怒声と罵声が、賑わう街を凍て付かせる。

声のトーンが安定していないことから、酒に呑まれた人間が、騒動を引き起こしていることは予想が付いた。

店の方に近づいてみると、想像通りの男が店の外に出されたらしい。

洒落たデザインのグレーのスーツに身を包んだ男に詰め寄り喚いている。

後ろから男を止めようとしているのは、店の従業員の一人であろうか。

 

道行く人間たちは、興味深げに視線を向けるものの、関わる気はなさそうだ。

騒ぎを大きくしないという意味では、その態度は理に適っているのかもしれない。

 

ベリアルはただその様子を見つめる。

すると、顔を真っ赤に染め上げた男は腕を振り上げると、スーツの男の顔を殴った。

軽く受け身は取ったようだが、殴られた頬は痛々しい痕が残ってしまっている。

口角付近を切ったらしく、白い肌に赤い筋が浮き立つ。

 

 

「……へえ」

 

 

スーツに汚れが付かないようにだろうか、素早く血を手で拭ったその男に、ベリアルは目を細めた。

そして、その顔に愉しそうな色が見えたかと思うと、ベリアルは騒動の方へと足を向けたのである。

 

 

「この店の評判、下げたくなければ……わかるよなァ兄ちゃん」

 

「……っ」

 

 

唇を噛み締めたスーツの男は、一瞬顔を歪ませるも、直ぐに顔を取り繕った。

店の雰囲気や恰好などを見るに、その男はホストなのだろう。

立ち上がった男は、さっとスーツを払うと衣服の崩れを直す。

常に人の目を気にする職業であるが故に、いつまでも無様な姿を外に晒すわけにはいかない。そのような気迫すら感じさせる、男の金の瞳はうつくしく輝いていた。

だがその表情は、目の前の男を煽るものでしかなかったらしい。

酒が入っている為か、相当沸点は低くなっているようにも見える。

 

血走った目を剥いた男が、再びその腕を振り上げた動作に合わせて、ベリアルも動いた。

 

 

「おいおい、公衆の面前でSMプレイをお楽しみとは……イイ趣味してるじゃないか。

オレも混ぜてくれよ。3Pとイこうぜ」

 

 

後ろから男の腕を掴んだベリアルは、喉を震わせるように笑う。

突然現れたベリアルの姿に驚いた男は、慌てて抵抗を見せるが、掴む手は離れない。

後ろを振り向こうとする男は、視界の端に映った赤い瞳に、目を見開く。

そこには、見ただけで全身の肌が泡立つぐらいの、何かが潜んでいた。

 

 

「う……あ……」

 

「さて、店の評価を下げたくなければ……どうすれば良い?

首輪でもつけて、ペットにでもなれば良いのか?

それとも……そこのおにーさんと、姦淫でもしてみせようか」

 

「ひ、ひぃぃい……!!わ、悪かった……!!」

 

「……なんだ、そそり立っていたのは態度だけ……か。

まあ良いや。大丈夫かい、ひよこちゃん」

 

「ひ……!?……ごほん、ま、まあ、取り敢えず。

助けてくれてありがとう。お兄さん」

 

 

別に睨み付けたわけではないのだが、一般の人間にとっては刺激が強すぎたらしい。

文字通り尻尾を巻いて逃げて行った男に、溜息を吐いたベリアルは、唖然とした表情を浮かべる派手な男に視線を移す。新宿のネオンが似合う、眩しい男だ。

柔らかな色合いの金糸と、同色の瞳に、落ち着いた色のスーツは良くフィットしていた。

一見派手も感じるが、そのセンスの良い色遣いもあり、明る過ぎない印象を受ける。

ベリアルの視線に、男ははっとしたように目を動かすと、居住まいを正した。

上品な姿勢で下げられた頭と、その後に向けられた笑顔に、様子を窺っていた野次馬が黄色い悲鳴を上げる。

 

 

「僕は、伊弉冉一二三。この店のホストです」

 

「……ふうん?」

 

 

その瞳の輝きは、シャンデリアのようであった。

光を受けて七色に輝くクリスタルは、確かにうつくしい。

だがそれは、ベリアルが先程見た輝きとは比べ物にならないほど、人工的であった。

光に合わせて色を変える職業故か。それとも彼の性質故か。

今此処でその顔を剥ぎ取ってしまおうか、とも考えたが、そこで『制御』が掛かった。

 

 

「その顔よりも、さっきの顔の方がタイプだ」

 

 

ベリアルは、徐に一二三に顔を近づけると、薄らと赤が残る唇の端を指でなぞる。

いくら造作の良い顔とは言え、至近距離で男の顔を見ることになった彼は、一拍置いてのけぞった。

 

 

「な、なにを……・っ!!」

 

「そうそう、その顔。イイね……オレのサディズムを擽る顔だ」

 

 

くつりと低く喉を慣らして、ベリアルは目を細めた。

周囲からの一段と黄色い悲鳴が上がり、無造作に携帯のカメラが向けられていたのだ。

ベリアルとしては、例え目の前の男とのキスシーンだろうが、ラブシーンだろうが、カメラで取られて拡散されようが構う事ではない。だが、その向けられる無数のカメラに、一二三の身体が強張ったのを感じた。

それは、見知らぬ男に触れられていることによる恐怖ではない。そのカメラ自体に向けられた感情であることを、ベリアルは察していた。

 

 

青姦(やがい)ハメ撮り(さつえい)かい?……それならキミたちも混ざると良い。

ふふ……許可を得ていないのはお互い様だろう?」

 

 

するりとその赤い瞳をカメラに流したベリアルは、深い笑みを浮かべてそう言った。

カメラ越しでも、はっきりとわかるその深い色に人々は一瞬時が止まった。

吸い込まれるようなそれは、開けてはいけないパンドラの箱にでも触れるようで。

皆、うつくしさと恐怖が入り混じった感覚に、囚われたのだ。

 

 

「さて、これ以上の営業妨害は……無意味だろう。

……また縁があれば、会おう」

 

「ま、待って。お兄さん!!これ、僕の名刺……!」

 

「……受け取っておくよ」

 

 

一時的にカメラを止めさせたとはいえ、どんどん集まって来る人々に、引き時を感じたベリアルは、一二三に背を向けた。だが慌てて小走りで寄って来た彼は、ベリアルの服を掴むと、名刺を差し出す。

普段はそのような乱暴ともいえる動作は、少なくともスーツを着ている間はしないのだが、遠ざかりそうになる背中を引き留めたかった。

 

 

「こ、今度……!是非、お店に来てください。

お、俺……じゃなかった、僕、サービスするので!」

 

「……ほう、サービス……ね」

 

 

リップサービスでもしてくれるのかな、と再び喉を鳴らして笑ったベリアルは、その長い指を伸ばすと、手入れがなされた一二三の唇に触れると、揶揄うように言った。

そして、思わず目を見開いた一二三に、一瞥をくれると、ベリアルはそのまま去って行ったのである。

 

 

「意味が、……違う、だろ」

 

 

取り残された一二三は、いくら年上の男だとはいえ、完全にペースを掴まれて振り回された自分に、頭を抱えたくなった。だが、こうしている間にも彼を待つ女性は多い。それに、一連の騒動の詫びもしなければならないのだ。

一つ息を吐いて、自分を自分へと切り替えた一二三は踵を返して店へと戻って行った。

 

 

 

 

 

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