Paradise Lost Division   作:陽朧

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悪魔、降臨せし時⑧

 

 

昼夜その光を絶やすことはない、不夜城。

そこは絶えず人に溢れており、華々しい装いをした女性や、スーツ姿の男性、制服姿の少女や少年が、迷宮のような街を行き交っていた。

楽しそうに笑いながら、弾むような足取りで、道を行くものもいれば、沈んだ顔のまま重い足取りで、道を帰るものいる。

それがこの街、新宿。ネオンの光に生き急がされる街だ。

 

今日は花の金曜日と称される休日前であることもあり、酒気を帯びたサラリーマンたちが、続々と店から出て来る姿が見える。男もまた、その一人であった。

しかし、男の顔は暗く沈んでいるようにも見える。というのも、それもまた仕事の一環であったからだ。まだ勤務中であるといっても、差異はない。

男は酒は嫌いではないが、酒の席が苦手であった。しかし、そうも言っていられないのは、人との付き合いを仕事にしている故の、弊害であろう。

 

スーツを着た痩身の男は、店から出ると、気力を振り絞って最後の仕事を行う。

『今後ともよろしくお願いします』と告げたセリフは、実にチープで、リップサービスにもほどがあるものだが、逆に言うと、当たり障りない使い勝手の良い言葉だ。

 

深々と下げられた頭に、ご満悦といった顔を見せたのは、男の仕事相手であった。

手厚い接待を受けご機嫌なその男は、心の中で立てられた中指と、突き出された舌を、知ることはないだろう。

それを知っていて尚、笑顔を見せられるような、器の大きな(たぬき)男ではないことは、リサーチ済みである。

営業という仕事は、相手の裏と表、時にはその奥を覗き込むことも求められるのだ。

取引相手となる人間のデータは、全て男の頭に入っている。

 

 

「…………はあ、」

 

 

やっと訪れた解散の時に、伸ばしていた背を丸めた。

思わず今までずっと堪えていた分の、重みのあるため息が零れた。

時刻はもう深夜を過ぎており、人の波は幾分か落ち着いていたが、男にとってはこれもまた日常なのだ。

草木も眠る時間であっても、活動を続ける人間たちで賑わう街に、感覚はもうすっかり麻痺をしていた。

いっそのこと、このまま仕事に向かってやろうか、とも自暴自棄にもほどがあることを考えたが、ふと男は明日は久しぶりの休みであることを思い出した。

 

すると、一気に体の力が抜けるような気がして、軽く頭を振る。

自ら進んで休日出勤するほど、酔狂ではない……筈だ。そう強く思った男は、酒の回った頭で、ふらふらと歩き出した。

 

今日はいつもよりも飲まされたので、視界がちかちらと点滅していた。

仕事の酒は断らないのが、この業界の暗黙のルールとされていた。

彼の上司は、昔はもっと酷かったと毎回のようにいうが、楽しくない席で飲む酒ほど不味いものはない。

そういくら思っても、立場上断れないのだから仕方のない話だ。

 

 

「っと、失礼。大丈夫かい?」

 

 

判断能力が著しく低下し、視界も安定しない中で、この街を歩ける筈がなかった。

いくら慣れた街とはいえ、不規則に変わる人の波を読むことは不可能である。

どん、と何か固いものにぶつかった衝撃に、男の意識はブラックアウトした。

それは衝撃故のことではなく、偶々そのタイミングで意識を失っただけであったのだ。

 

 

「酷い顔、しているねおにーさん」

 

 

店先には、似たように酒に潰れてぐったりとしているサラリーマンの姿が多くあったので、道行く人々は、大した関心も寄せずに通り過ぎていく。

 

ぶつかられた方の男は、ぐたりと動かなくなった男を支えると、その顔を覗き込んだ。

深い隈が浮き立つ顔は、良く良くと見ると端正な造りをしていることがわかる。

血色の悪い肌に、落ち着いた色合いの赤毛が、妙にマッチしているように見えた。

 

赤毛の男を受け止めた男は、少し考える素振りを見せると、足元に落ちた荷物を持ち上げる。

そして、赤毛の男の体を抱き上げると、人気の少ない路地へと入っていったのである。

 

 

「まあ、仕方ない……か」

 

 

意識も身元も不明の男を、このまま抱え込んでいるわけにはいかないだろう。

スーツのポケットや通勤鞄を探ると、携帯を失敬する。

パスワードは幸いのことに、指紋認証であったことから、ついでに指紋も失敬した。

そうして開かれた携帯画面に、まずメール画面を開く。

完全にプライバシーの侵害ではあるが、無防備に倒れた自分を恨んでもらうことにしよう。

メールの内容から仕事関係以外のメールを探す。

その殆どが、事務的なメールであったが、中には買い物を頼むような内容のものも含まれていた。

そしてメールの送信者の名前をタップすると、メールアドレスと電話番号が表示される。

 

 

「……イザナミ、ね」

 

 

日本神話を彷彿とさせる苗字を呟くと、続いて電話番号をタップする。

そして、通話画面が開かれると呼び出しのコールが始まった。

 

 

『はいはーい!どうしたの、どっぽちん。

今日飲み会っしょ?もしかしてお持ち帰りされちゃった?』

 

 

時間も時間だというのに、三コール以内に聞こえてきた調子の良い声は、何処かで聞いたような気がした。

何処であったかと頭を回しつつも、男は現状を説明する為に口を開く。

 

 

「なんだ、テイクアウトオッケイだったのかい。早く言ってくれよ」

 

『……っ、……誰?……いや、ちょい待ち、その声は、さっきのイケてるおにーさん?』

 

「ほう、良く声でわかったね」

 

『いやアンタのその声、間違える方がおかしいっしょ!

あ、さっきはマジ助かった!!さんきゅ!

それで、なに、アンタ今、どっぽちんといるの?』

 

「彼なら隣で寝ているよ」

 

『う……えええええ!!うっそ、マジで!?』

 

「嘘は言わないさ。それで、そろそろ時間なんだが……起きないんだよねえ」

 

『……い、いや落ち着け俺っち……。

わ、……わかった、それで、何処にいんの?』

 

「ハハハッ、悪いね。あまりにも情熱的な抱擁だったから、連れ込ませてもらったよ。

寝取ってしまったかい?」

 

『ね……っ!!!お、俺と独歩はそんな関係じゃ』

 

 

電話越しに慌てふためく男は、どうやら面識があるらしい。

独歩と呼ばれた男と偶々ぶつかり、偶々介抱をした男、ベリアルは静かに笑みを浮かべた。

そうして、思わせぶりな口振りで状況を伝えたのは、電話の向こうの相手の反応を愉しんでいるからであろう。

好みの反応が返って来たことに、更に笑みを深めながら、電話越しの男から家の場所を聞き出す。

 

 

「わかった、送り届けてあげる」

 

『……なあ、アンタってそっちの人?』

 

「そっち、というのは?」

 

『その……同性でも、オッケーな感じ?』

 

「ふうん……初心なことを言うね。性的快感に性別などありはしないさ。

寧ろ構造がわかっているd『あー!!!!もう、良いって!!兎に角、どっぽちん連れてきてちょーだい』」

 

「……聞いておいて、切るとは……酷いね」

 

 

切られてしまった携帯をしまうと、すっかり寝入っている男を再び抱え上げた。

そして、教えられたルートを辿り、彼らの家へと向かったのである。

 

 

 

***

 

 

 

「……はあ、……ちょっと、おにーさん、話盛り過ぎっしょ。

俺っち、めっちゃテンパったんだぜ?」

 

「ほう?……参考までに聞くが、どんな想像をしたんだい?」

 

「え……っ、そりゃ、どっぽちんが、おにーさんに美味しく食べられちゃったのかと」

 

「具体的にだ。もっと詳しく教えてくれよ」

 

「う、そ……そんなん言えるかよ……」

 

 

赤毛の男を送り届けると、出迎えた金髪の男に中へと招かれた。

煌びやかな金糸に同色の瞳は、少し前に助けたあのホストであったのだ。

派手な髪や瞳に埋もれないその整った顔を見て、やっとベリアルは気が付く。

それと同時に金髪の男は、濃厚な酒の匂いを漂わせ、完全に寝落ちている様子の同居人を見て、自分がただ遊ばれていただけということを理解した。

 

 

「そいつは観音坂独歩。そして、俺っちは伊弉冉一二三っつーの。

おにーさん、あのベリアルサンでしょ?」

 

「ふうん、随分有名なものだねオレも」

 

「そりゃ俺っち、伊達にホストやってねーから。

じゃんじゃん情報が入ってくるワケよ」

 

「……情報、ねえ」

 

「そそ。ベリさんを新宿でみたーとか、どこどこの通りでみたーとか。

ちょーモテモテよ?」

 

「ははっ、監視プレイ(しかん)には慣れているさ」

 

 

ベッドに独歩を寝かせると、仕事着から着替えた一二三に晩酌に誘われた。

リビングとして使っている部屋は、生活感のあるものの、きちんと整頓はなされている。

二人は仕事柄あまり家にいることはないらしく、休みが被るのも一年に一回あれば良い程度らしい。

明日はそんな貴重な日であるそうなので、懇意にしている『先生』の所に顔を出すのだと、缶ビールを開けてベリアルに手渡した一二三が笑った。

 

どうやら、ベリアルという男の存在は随分話題となっているらしい。

一二三が言うには、SNSでも目撃情報が随時流されているそうだ。

とんだ珍獣扱いな気もしないではないが、ベリアルは気にした様子はなく、酒を呷る。

 

 

「……」

 

「……もしかして、ベリさんそんなにビール得意じゃない感じ?」

 

「いいや、気にしないでくれ。

それにしても……仕事の時と、雰囲気が違うね。

オレはそっちの方が好み(タイプ)だ」

 

「……なーんか、ベリさんに言われると狙われてる感あるわ」

 

「ははっ、そんなに警戒しないでくれよ。

オレだって誰彼構わず食い散らかしているわけじゃないさ」

 

 

流石ナンバーワンホストの座にいるだけはある。

ベリアルの見せた微かな表情の変化を読み取ったらしい一二三は、軽い口調とは裏腹に、心配げに眉を下げた。

根は素直で優しい男なのだろう。

さり気なく話題を変えたベリアルに、彼はおどけて笑った。

 

元々食べるという行為を必要とはしない堕天司の体は、一見すれば便利である。

しかし、人間界では、逆に不便に感じることが多いのだ。

その理由の一つに、『人間の食べ物に対する味覚の欠如』がある。

先天的なものか後天的なものかは、彼のみぞ知ることであるものの、成り代わってしまった男にとっては、いくら美味しそうに見える料理を口にしても、何も味を感じないというのは、中々に辛いことであった。

 

 

「ねえ、ベリさん……、ホスト、興味ない?」

 

「……ホスト、ね。興味はあるよ」

 

「マジ!?……さっきのあの騒動で、新人が逃げちまって。

たださえ人不足だっつーのに、ほんっとちょー最悪。 

なあなあベリさん、興味あるから……助けてくんない?」

 

「面白そうだね、良いさ。キミを助けてあげよう」

 

 

店でも相当量の酒を飲んでいる筈だが、一気にビールを飲み干した一二三は、机に突っ伏した。そして酒の勢いというのも相俟って、ついついそのようなことを口にしてしまったのだ。

ベリアルの性質がホストに向いていると直感はしていたものの、普段の彼であれば、出会って間もない男に、相談などしていなかったであろう。しかし、この時彼は相当参っていたのである。

 

一二三の勤める店は新宿でも名の通った店であった。

だが、職業柄人の入れ替わりも激しく、また最近では良いと思える新人がいなかったのである。

興味本位や小遣い稼ぎで入って来るものの、今日のように事件が起きれば直ぐに辞めてしまうのだ。

よって、人手不足となった店は、かつてないほどの危機に陥っていた。

人気店であるが故に、呼び掛けをしなくとも客足は絶えない。

だがそれによって、一人のホストが受け持つ客が増え、大した休憩も取れずオープンからクローズまで、引っ切り無しに働く羽目になっていたのである。

 

とはいえ、いきなりホストにならないかと言われて、即答するような人間はいないだろう。そう一二三は、項垂れていたが、返された言葉は、彼の予想と反していた。

てっきり断られるかと思っていた彼は、思いもよらぬ言葉に勢い良く顔を上げる。

 

 

「でも、オレを動かすんだ。それなりの報酬はもらうよ」

 

「給料は、まあ、店と相談して……」

 

「おいおい、報酬が金とは言っていないだろう?」

 

「……じゃあ、」

 

「それに、キミがオレに依頼をするのならば、キミが払うのが道理。

そう思わないかい?」

 

 

一二三を見下ろす、紅玉は深い色を帯びていた。

無意識に息を呑んだ彼は、目の前の男を改めて見る。

漆黒の闇に星を散りばめたような黒髪に、つるりとした紅玉は覗き込みでもしたら、引き摺り堕されそうな妖しさを秘めていた。その時、脳裏を過ったのは、彼が信頼を置く『白衣の男』だ。

あちらを神聖と表すならば、ベリアルは魔性のそれに近いと、なんとなく感じ取っていたのである。

 

観察するように自分を見る、一二三に、ベリアルはふと口角を上げた。

神聖なる存在でありながらも、堕ちた天使は、祝福(うつくしさ)堕落(たいだ)も持ち合わせていた。

毒杯(どく)祝杯(しるべ)を両手に掲げ、悪魔(ベリアル)に魅了された人間たちに、知恵の実を授けるのが彼の愉悦なのだ。そして授けた分の代償はきっちりと回収する。

要するに、ベリアルに願い事をすると、高くつくということだ。

 

 

「も、もしかして……カラダで払えって!?」

 

「ははっ、それも良いな。

キミのカラダ……オレにくれる?」

 

「……っ!?」

 

「ふっ。……冗談さ。安心しなよ」

 

「な……、なーんだ……って言ってられねえよ

ベリさん、ほんっと洒落になんねえ……」

 

「なんだ、期待してたのなら「してない!!してないから!」」

 

 

愉快そうに細められた瞳を見て、一二三は脱力したように再び机に突っ伏す。

この男は自分の反応を愉しんでいるだけ、であることはわかっていたが、どうも一々乗せられてしまうのだ。

話術を売りにしている身としては、非常に悔しいが、一枚も二枚も上手であることは間違いなさそうだと、深い溜息を吐いた。

 

 

「オレが欲しいのは、情報さ」

 

「情報?」

 

「そ、ちょっと探し物をしていてね」

 

「それなら俺っちにお任せを!

仕事柄……この街のことは、大体知ってるぜ」

 

 

ぱっと目を輝かせた一二三は、そう言って胸を張る。

ホストという職業は、人を相手にする情報ありきの商売だ。彼は店のナンバーワンの座を欲しいままにする男でもあるので、その情報網は幅広い。

 

 

「違法マイクを、知っているかい?」

 

「もち。国に登録してない、ヤバい効果のあるマイクだろ?」

 

「……その中に、ヒトのマイクを盗み取る効果を持つものがある」

 

「はあ!?そんなん、あるのかよ……!?」

 

「……そうか。キミも知らない……か。

まだ動き出していないようだね」

 

 

ヒプノシスマイクを手にした人間は、国の監視下に置かれている。

その為に登録が法律で義務付けられており、勿論破れば罰則が下るのだ。

だが、中には登録をせず私利私欲の為にマイクを用いる人間がおり、彼らが持つマイクを違法マイクと呼んでいた。

違法マイクはその大半が、一二三の言うように『ヤバい効果』を持つものであり、犯罪に用いられることが多い。

 

一二三もその違法マイクが起こした事件については、度々耳にしていた。

だが、ベリアルの言った、『他人のマイクを盗み取るマイク』というものについては、聞いたことがなかった。

 

 

「まあ、そんな話を聞いたら教えてくれ」

 

「……わ、かった。

な、なあベリさん……マイクを、盗み取るって」

 

「ヒプノシスマイクは、その人間の精神を具現化したものだ。

普通なら自分以外の人間が触れることは出来ない、がそのマイクを使えば……簡単に盗めるのさ。

そして、盗めるマイクに制限はない」

 

「……っ!!??」

 

「もし……マイクが一か所に集中するようなことがあれば、恐ろしいことが起きる」

 

「そ、……んな、」

 

「……オレは、それを防ぎたい。

協力してくれるかい?」

 

「も、もちろん……!

でも、なんでベリさんがそんなこと……」

 

「まあ、そうだね。それについては追々話すよ。

……それでこの話は、キミとオレだけの秘密だ」

 

「……!」

 

「こう見えて、俺はキミを買っているんだ。

いくらお利口さんでも、口が緩ければ萎えちまう。

それにキミなら、私欲の為に情報売買(うり)はしなさそうだし、興味本位で突っ込んでも来ないだろう?」

 

 

一二三に対して信頼しているように仄めかすベリアルの言葉は、釘を刺す言葉であり、脅しにも近い意味を持っていた。

警察官である銃兎にも、協力者である帝統にも、話さなかったそれを敢えて一二三に言うことで、彼を巻き込んだのだ。

 

根が素直で、頭の回転も良く、口も堅い。

そんな人間は、基本的に他人の信頼を裏切ることを恐れるきらいがある。

ベリアルはそれを、見抜いていた。

 

 

「オレが求める条件は、情報伝達と、それに関する他言無用。

それさえ守ってくれれば、手を貸そう」

 

「……おっけ、交渉成立だ。ベリさん」

 

 

言っていたことを鵜呑みにするならば、ベリアルという男は、悪い男ではないだろう。

それに、『他人のマイクを奪うマイク』があるのだとすれば、一二三にとっても他人事ではない。

正直に言うと、あの『先生』に聞いてみたい所ではあるが、そんなことをすればベリアルとの約束を破ることになる。

どうしてだか、それは酷く恐ろしいことに思えて、考えただけで彼の肩は震えた。

 

 

「そろそろ夜明けが近いね。キミも休んだ方が良い」

 

「げ。もうこんな時間……!ほんっと休みで良かった……!

そうだ、ベリさんも泊まってって!

布団もあるからさ」

 

「そうさせてもらおうかな」

 

 

小さな窓から見える紺碧が、朧ながらにも橙色に染まり始めた。

慌てて立ち上げった一二三は、ベリアルに向けて笑みを浮かべる。

それに一つ頷くと、ベリアルもまた立ち上がった。

 

 

 

 

 

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