昼夜その光を絶やすことはない、不夜城。
そこは絶えず人に溢れており、華々しい装いをした女性や、スーツ姿の男性、制服姿の少女や少年が、迷宮のような街を行き交っていた。
楽しそうに笑いながら、弾むような足取りで、道を行くものもいれば、沈んだ顔のまま重い足取りで、道を帰るものいる。
それがこの街、新宿。ネオンの光に生き急がされる街だ。
今日は花の金曜日と称される休日前であることもあり、酒気を帯びたサラリーマンたちが、続々と店から出て来る姿が見える。男もまた、その一人であった。
しかし、男の顔は暗く沈んでいるようにも見える。というのも、それもまた仕事の一環であったからだ。まだ勤務中であるといっても、差異はない。
男は酒は嫌いではないが、酒の席が苦手であった。しかし、そうも言っていられないのは、人との付き合いを仕事にしている故の、弊害であろう。
スーツを着た痩身の男は、店から出ると、気力を振り絞って最後の仕事を行う。
『今後ともよろしくお願いします』と告げたセリフは、実にチープで、リップサービスにもほどがあるものだが、逆に言うと、当たり障りない使い勝手の良い言葉だ。
深々と下げられた頭に、ご満悦といった顔を見せたのは、男の仕事相手であった。
手厚い接待を受けご機嫌なその男は、心の中で立てられた中指と、突き出された舌を、知ることはないだろう。
それを知っていて尚、笑顔を見せられるような、
営業という仕事は、相手の裏と表、時にはその奥を覗き込むことも求められるのだ。
取引相手となる人間のデータは、全て男の頭に入っている。
「…………はあ、」
やっと訪れた解散の時に、伸ばしていた背を丸めた。
思わず今までずっと堪えていた分の、重みのあるため息が零れた。
時刻はもう深夜を過ぎており、人の波は幾分か落ち着いていたが、男にとってはこれもまた日常なのだ。
草木も眠る時間であっても、活動を続ける人間たちで賑わう街に、感覚はもうすっかり麻痺をしていた。
いっそのこと、このまま仕事に向かってやろうか、とも自暴自棄にもほどがあることを考えたが、ふと男は明日は久しぶりの休みであることを思い出した。
すると、一気に体の力が抜けるような気がして、軽く頭を振る。
自ら進んで休日出勤するほど、酔狂ではない……筈だ。そう強く思った男は、酒の回った頭で、ふらふらと歩き出した。
今日はいつもよりも飲まされたので、視界がちかちらと点滅していた。
仕事の酒は断らないのが、この業界の暗黙のルールとされていた。
彼の上司は、昔はもっと酷かったと毎回のようにいうが、楽しくない席で飲む酒ほど不味いものはない。
そういくら思っても、立場上断れないのだから仕方のない話だ。
「っと、失礼。大丈夫かい?」
判断能力が著しく低下し、視界も安定しない中で、この街を歩ける筈がなかった。
いくら慣れた街とはいえ、不規則に変わる人の波を読むことは不可能である。
どん、と何か固いものにぶつかった衝撃に、男の意識はブラックアウトした。
それは衝撃故のことではなく、偶々そのタイミングで意識を失っただけであったのだ。
「酷い顔、しているねおにーさん」
店先には、似たように酒に潰れてぐったりとしているサラリーマンの姿が多くあったので、道行く人々は、大した関心も寄せずに通り過ぎていく。
ぶつかられた方の男は、ぐたりと動かなくなった男を支えると、その顔を覗き込んだ。
深い隈が浮き立つ顔は、良く良くと見ると端正な造りをしていることがわかる。
血色の悪い肌に、落ち着いた色合いの赤毛が、妙にマッチしているように見えた。
赤毛の男を受け止めた男は、少し考える素振りを見せると、足元に落ちた荷物を持ち上げる。
そして、赤毛の男の体を抱き上げると、人気の少ない路地へと入っていったのである。
「まあ、仕方ない……か」
意識も身元も不明の男を、このまま抱え込んでいるわけにはいかないだろう。
スーツのポケットや通勤鞄を探ると、携帯を失敬する。
パスワードは幸いのことに、指紋認証であったことから、ついでに指紋も失敬した。
そうして開かれた携帯画面に、まずメール画面を開く。
完全にプライバシーの侵害ではあるが、無防備に倒れた自分を恨んでもらうことにしよう。
メールの内容から仕事関係以外のメールを探す。
その殆どが、事務的なメールであったが、中には買い物を頼むような内容のものも含まれていた。
そしてメールの送信者の名前をタップすると、メールアドレスと電話番号が表示される。
「……イザナミ、ね」
日本神話を彷彿とさせる苗字を呟くと、続いて電話番号をタップする。
そして、通話画面が開かれると呼び出しのコールが始まった。
『はいはーい!どうしたの、どっぽちん。
今日飲み会っしょ?もしかしてお持ち帰りされちゃった?』
時間も時間だというのに、三コール以内に聞こえてきた調子の良い声は、何処かで聞いたような気がした。
何処であったかと頭を回しつつも、男は現状を説明する為に口を開く。
「なんだ、テイクアウトオッケイだったのかい。早く言ってくれよ」
『……っ、……誰?……いや、ちょい待ち、その声は、さっきのイケてるおにーさん?』
「ほう、良く声でわかったね」
『いやアンタのその声、間違える方がおかしいっしょ!
あ、さっきはマジ助かった!!さんきゅ!
それで、なに、アンタ今、どっぽちんといるの?』
「彼なら隣で寝ているよ」
『う……えええええ!!うっそ、マジで!?』
「嘘は言わないさ。それで、そろそろ時間なんだが……起きないんだよねえ」
『……い、いや落ち着け俺っち……。
わ、……わかった、それで、何処にいんの?』
「ハハハッ、悪いね。あまりにも情熱的な抱擁だったから、連れ込ませてもらったよ。
寝取ってしまったかい?」
『ね……っ!!!お、俺と独歩はそんな関係じゃ』
電話越しに慌てふためく男は、どうやら面識があるらしい。
独歩と呼ばれた男と偶々ぶつかり、偶々介抱をした男、ベリアルは静かに笑みを浮かべた。
そうして、思わせぶりな口振りで状況を伝えたのは、電話の向こうの相手の反応を愉しんでいるからであろう。
好みの反応が返って来たことに、更に笑みを深めながら、電話越しの男から家の場所を聞き出す。
「わかった、送り届けてあげる」
『……なあ、アンタってそっちの人?』
「そっち、というのは?」
『その……同性でも、オッケーな感じ?』
「ふうん……初心なことを言うね。性的快感に性別などありはしないさ。
寧ろ構造がわかっているd『あー!!!!もう、良いって!!兎に角、どっぽちん連れてきてちょーだい』」
「……聞いておいて、切るとは……酷いね」
切られてしまった携帯をしまうと、すっかり寝入っている男を再び抱え上げた。
そして、教えられたルートを辿り、彼らの家へと向かったのである。
***
「……はあ、……ちょっと、おにーさん、話盛り過ぎっしょ。
俺っち、めっちゃテンパったんだぜ?」
「ほう?……参考までに聞くが、どんな想像をしたんだい?」
「え……っ、そりゃ、どっぽちんが、おにーさんに美味しく食べられちゃったのかと」
「具体的にだ。もっと詳しく教えてくれよ」
「う、そ……そんなん言えるかよ……」
赤毛の男を送り届けると、出迎えた金髪の男に中へと招かれた。
煌びやかな金糸に同色の瞳は、少し前に助けたあのホストであったのだ。
派手な髪や瞳に埋もれないその整った顔を見て、やっとベリアルは気が付く。
それと同時に金髪の男は、濃厚な酒の匂いを漂わせ、完全に寝落ちている様子の同居人を見て、自分がただ遊ばれていただけということを理解した。
「そいつは観音坂独歩。そして、俺っちは伊弉冉一二三っつーの。
おにーさん、あのベリアルサンでしょ?」
「ふうん、随分有名なものだねオレも」
「そりゃ俺っち、伊達にホストやってねーから。
じゃんじゃん情報が入ってくるワケよ」
「……情報、ねえ」
「そそ。ベリさんを新宿でみたーとか、どこどこの通りでみたーとか。
ちょーモテモテよ?」
「ははっ、
ベッドに独歩を寝かせると、仕事着から着替えた一二三に晩酌に誘われた。
リビングとして使っている部屋は、生活感のあるものの、きちんと整頓はなされている。
二人は仕事柄あまり家にいることはないらしく、休みが被るのも一年に一回あれば良い程度らしい。
明日はそんな貴重な日であるそうなので、懇意にしている『先生』の所に顔を出すのだと、缶ビールを開けてベリアルに手渡した一二三が笑った。
どうやら、ベリアルという男の存在は随分話題となっているらしい。
一二三が言うには、SNSでも目撃情報が随時流されているそうだ。
とんだ珍獣扱いな気もしないではないが、ベリアルは気にした様子はなく、酒を呷る。
「……」
「……もしかして、ベリさんそんなにビール得意じゃない感じ?」
「いいや、気にしないでくれ。
それにしても……仕事の時と、雰囲気が違うね。
オレはそっちの方が
「……なーんか、ベリさんに言われると狙われてる感あるわ」
「ははっ、そんなに警戒しないでくれよ。
オレだって誰彼構わず食い散らかしているわけじゃないさ」
流石ナンバーワンホストの座にいるだけはある。
ベリアルの見せた微かな表情の変化を読み取ったらしい一二三は、軽い口調とは裏腹に、心配げに眉を下げた。
根は素直で優しい男なのだろう。
さり気なく話題を変えたベリアルに、彼はおどけて笑った。
元々食べるという行為を必要とはしない堕天司の体は、一見すれば便利である。
しかし、人間界では、逆に不便に感じることが多いのだ。
その理由の一つに、『人間の食べ物に対する味覚の欠如』がある。
先天的なものか後天的なものかは、彼のみぞ知ることであるものの、成り代わってしまった男にとっては、いくら美味しそうに見える料理を口にしても、何も味を感じないというのは、中々に辛いことであった。
「ねえ、ベリさん……、ホスト、興味ない?」
「……ホスト、ね。興味はあるよ」
「マジ!?……さっきのあの騒動で、新人が逃げちまって。
たださえ人不足だっつーのに、ほんっとちょー最悪。
なあなあベリさん、興味あるから……助けてくんない?」
「面白そうだね、良いさ。キミを助けてあげよう」
店でも相当量の酒を飲んでいる筈だが、一気にビールを飲み干した一二三は、机に突っ伏した。そして酒の勢いというのも相俟って、ついついそのようなことを口にしてしまったのだ。
ベリアルの性質がホストに向いていると直感はしていたものの、普段の彼であれば、出会って間もない男に、相談などしていなかったであろう。しかし、この時彼は相当参っていたのである。
一二三の勤める店は新宿でも名の通った店であった。
だが、職業柄人の入れ替わりも激しく、また最近では良いと思える新人がいなかったのである。
興味本位や小遣い稼ぎで入って来るものの、今日のように事件が起きれば直ぐに辞めてしまうのだ。
よって、人手不足となった店は、かつてないほどの危機に陥っていた。
人気店であるが故に、呼び掛けをしなくとも客足は絶えない。
だがそれによって、一人のホストが受け持つ客が増え、大した休憩も取れずオープンからクローズまで、引っ切り無しに働く羽目になっていたのである。
とはいえ、いきなりホストにならないかと言われて、即答するような人間はいないだろう。そう一二三は、項垂れていたが、返された言葉は、彼の予想と反していた。
てっきり断られるかと思っていた彼は、思いもよらぬ言葉に勢い良く顔を上げる。
「でも、オレを動かすんだ。それなりの報酬はもらうよ」
「給料は、まあ、店と相談して……」
「おいおい、報酬が金とは言っていないだろう?」
「……じゃあ、」
「それに、キミがオレに依頼をするのならば、キミが払うのが道理。
そう思わないかい?」
一二三を見下ろす、紅玉は深い色を帯びていた。
無意識に息を呑んだ彼は、目の前の男を改めて見る。
漆黒の闇に星を散りばめたような黒髪に、つるりとした紅玉は覗き込みでもしたら、引き摺り堕されそうな妖しさを秘めていた。その時、脳裏を過ったのは、彼が信頼を置く『白衣の男』だ。
あちらを神聖と表すならば、ベリアルは魔性のそれに近いと、なんとなく感じ取っていたのである。
観察するように自分を見る、一二三に、ベリアルはふと口角を上げた。
神聖なる存在でありながらも、堕ちた天使は、
要するに、ベリアルに願い事をすると、高くつくということだ。
「も、もしかして……カラダで払えって!?」
「ははっ、それも良いな。
キミのカラダ……オレにくれる?」
「……っ!?」
「ふっ。……冗談さ。安心しなよ」
「な……、なーんだ……って言ってられねえよ
ベリさん、ほんっと洒落になんねえ……」
「なんだ、期待してたのなら「してない!!してないから!」」
愉快そうに細められた瞳を見て、一二三は脱力したように再び机に突っ伏す。
この男は自分の反応を愉しんでいるだけ、であることはわかっていたが、どうも一々乗せられてしまうのだ。
話術を売りにしている身としては、非常に悔しいが、一枚も二枚も上手であることは間違いなさそうだと、深い溜息を吐いた。
「オレが欲しいのは、情報さ」
「情報?」
「そ、ちょっと探し物をしていてね」
「それなら俺っちにお任せを!
仕事柄……この街のことは、大体知ってるぜ」
ぱっと目を輝かせた一二三は、そう言って胸を張る。
ホストという職業は、人を相手にする情報ありきの商売だ。彼は店のナンバーワンの座を欲しいままにする男でもあるので、その情報網は幅広い。
「違法マイクを、知っているかい?」
「もち。国に登録してない、ヤバい効果のあるマイクだろ?」
「……その中に、ヒトのマイクを盗み取る効果を持つものがある」
「はあ!?そんなん、あるのかよ……!?」
「……そうか。キミも知らない……か。
まだ動き出していないようだね」
ヒプノシスマイクを手にした人間は、国の監視下に置かれている。
その為に登録が法律で義務付けられており、勿論破れば罰則が下るのだ。
だが、中には登録をせず私利私欲の為にマイクを用いる人間がおり、彼らが持つマイクを違法マイクと呼んでいた。
違法マイクはその大半が、一二三の言うように『ヤバい効果』を持つものであり、犯罪に用いられることが多い。
一二三もその違法マイクが起こした事件については、度々耳にしていた。
だが、ベリアルの言った、『他人のマイクを盗み取るマイク』というものについては、聞いたことがなかった。
「まあ、そんな話を聞いたら教えてくれ」
「……わ、かった。
な、なあベリさん……マイクを、盗み取るって」
「ヒプノシスマイクは、その人間の精神を具現化したものだ。
普通なら自分以外の人間が触れることは出来ない、がそのマイクを使えば……簡単に盗めるのさ。
そして、盗めるマイクに制限はない」
「……っ!!??」
「もし……マイクが一か所に集中するようなことがあれば、恐ろしいことが起きる」
「そ、……んな、」
「……オレは、それを防ぎたい。
協力してくれるかい?」
「も、もちろん……!
でも、なんでベリさんがそんなこと……」
「まあ、そうだね。それについては追々話すよ。
……それでこの話は、キミとオレだけの秘密だ」
「……!」
「こう見えて、俺はキミを買っているんだ。
いくらお利口さんでも、口が緩ければ萎えちまう。
それにキミなら、私欲の為に
一二三に対して信頼しているように仄めかすベリアルの言葉は、釘を刺す言葉であり、脅しにも近い意味を持っていた。
警察官である銃兎にも、協力者である帝統にも、話さなかったそれを敢えて一二三に言うことで、彼を巻き込んだのだ。
根が素直で、頭の回転も良く、口も堅い。
そんな人間は、基本的に他人の信頼を裏切ることを恐れるきらいがある。
ベリアルはそれを、見抜いていた。
「オレが求める条件は、情報伝達と、それに関する他言無用。
それさえ守ってくれれば、手を貸そう」
「……おっけ、交渉成立だ。ベリさん」
言っていたことを鵜呑みにするならば、ベリアルという男は、悪い男ではないだろう。
それに、『他人のマイクを奪うマイク』があるのだとすれば、一二三にとっても他人事ではない。
正直に言うと、あの『先生』に聞いてみたい所ではあるが、そんなことをすればベリアルとの約束を破ることになる。
どうしてだか、それは酷く恐ろしいことに思えて、考えただけで彼の肩は震えた。
「そろそろ夜明けが近いね。キミも休んだ方が良い」
「げ。もうこんな時間……!ほんっと休みで良かった……!
そうだ、ベリさんも泊まってって!
布団もあるからさ」
「そうさせてもらおうかな」
小さな窓から見える紺碧が、朧ながらにも橙色に染まり始めた。
慌てて立ち上げった一二三は、ベリアルに向けて笑みを浮かべる。
それに一つ頷くと、ベリアルもまた立ち上がった。