伊井野ミコは告らせたい~不器用達の恋愛頭脳戦(?)~ 作:めるぽん
人を好きになり、告白し、結ばれる――――。
それはとても素晴らしいことであると誰もが言う。
だがそれは間違いである!!
――――いや、完全に間違いとは言い切れない。
確かに、素晴らしい側面も有る。
だがそれは、告白することで結ばれる、もしくは結ばれる見込みが有る者にのみ当てはまる事柄なのである。
世の中には、どれほど恋焦がれたとしても結ばれる確率の低い『無謀な恋』をしてしまう者もまた後を絶たない。
そして、ここにもまた一人!
無謀な恋をしがち……であると本人が思い込んでいる思春期の男がひとり、自室で大きなため息をついていた!
「…………はぁー……………………」
秀知院学園生徒会会計・石上優は、人生2度目の恋に対して大きく悩んでいた!
どうして、自分はこう、難儀な相手にばかり惚れるのだろう。
1度目は、全てにおいて完璧な『3年生のマドンナ』。
可愛くて頭も良くて運動も出来て、無謀にも応援団に加入して孤立しかけてた自分を気にかけて橋渡し役になってくれた人。
思いの外自分の事を受け入れてくれていた節は有ったけれど、恋人として結ばれるには至らなかった。
それについて、決してあの人を恨んだりはしない。
そもそもが自分の高望みであり、無謀な恋だったのだ。
こっ酷く無碍にされなかっただけ、短い間でも親密になれた事だけでも奇跡に近かったんだ。
……だが、どうしてまた、そんな『無謀な恋』をしてしまうんだろう、自分は。
どう考えても、この恋も無謀なんだろう。
2度目の相手は、『自分を嫌っているはずの相手』なんだから。
クソ真面目で、融通が利かなくて不器用で、承認欲求激強で、危なっかしくて、小さいくせに大食いで。
そして何より……僕の事を嫌ってて、事あるごとに突っかかってくる奴。
いったいどうして自分は、そんな奴を好きになってしまったんだろう。
自らの中で、答えを出すのは簡単だった。
まっすぐで、とても頑張り屋で、見返りを求めず他人の為に一所懸命動ける……
そんなアイツの姿が、ちょっとだけ、ちょっとだけ可愛くて尊い。
でも、やはりどう考えてもこの恋は絶望的だろう。
ゼロからのスタートだったつばめ先輩の時とは違い、こっちはマイナス地点からのスタートだ。
確率で言えば、つばめ先輩と付き合える方がまだ僅かに高かったようにすら思える。
……いや、めげてばかりではダメだ。何かプラスになる要素を探そう。
そう、一応今の自分は、『同じクラスの人間』という共通点と、
『同じ生徒会役員』という共通点が有る。
これを何とか……
しかし、そう考えかけた石上の思考はそこで途切れた。
改めて思い出したのだ。もう自分は、その僅かな繋がりの片方すら失ってしまうという事実に。
夏休みが明け、今の時は、9月の半ば。
――――第68期生徒会の解散が、翌日に迫っていた――――
「かんぱーい!」
とあるファミレスの一角で、乾杯の声が響き渡る。
68期生徒会の活動終了としての片付けを済ませた一行が、去年のようにファミレスで打ち上げをするに至った。
「……ふう、これで今度こそ、本当に肩の荷を下ろせるな」
首元の純金の飾緒を外しながら白銀が言う。
「ええ、そうですね。今度は……バトンを託せそうな人物も居る事ですし」
かぐやが、ミコをチラリと見ながら後に続く。
「……えっ?あ、は、はい。頑張ります!」
かぐやからの振りに、ミコが慌てて小さくファイティングポーズを取りつつ期待に沿う意思を見せる。
「どうしたんですかミコちゃん?気合い入れないとダメですよ〜?」
しばし上の空であったミコの様子を懸念する藤原。
だが、上の空であったのはミコだけではなかった。
「…………」
石上もまた、何か考え事をしているような様子で口数が少ない。
「……石上くん?石上くーん?」
藤原が、目の前で手をヒラヒラ振りながら問いかける。
「……えっ?ああ、すみません藤原先輩」
問いかけに気付き、石上もまた慌てて答える。
「もー!ミコちゃんも石上くんもしっかりして下さい!この5人で集まるのが正真正銘最後だからって……私だって悲しみを堪えてるんですから」
嘘偽りの無い、藤原の本音であった。
この5人での生徒会活動を終えてしまう事を誰よりも悲しんでいるのは、間違いなく藤原であった。
生徒会室の片付けを終えて部屋を去る時、去年と同じく涙ぐんだ事がその証明であった。
先程からどこか上の空であるミコと石上とて、悲しんでいない訳ではない。
2人とも、先輩3人の事は何やかんやで敬意を払っているからだ。
……だが、この2人は、『より先の事を』考えていた。
そう、ミコが晴れて生徒会長に当選した暁に。
『引き続き生徒会で一緒になれるか』という事である!
ミコが、石上への好意を自覚してから半年程。
海心と触れ合ったり、交流会を共に準備したり、夏休みには一悶着あったり手を繋いだりしたけれど……
『距離が縮まっている』と断言出来るかどうか、ミコには確信が持てなかった。
まだ、『友達』の域にすら達していないのではないか?
そして先述の出来事は全て、『同じ生徒会役員だからこそ起こった出来事』である。
そこで、『生徒会役員同士』という繋がりを失い、『ただのクラスメイト』という関係に成り下がってしまえば。
この先、距離を縮める機会など訪れないのでは……?
そうならない為には、手段は1つ。
『生徒会長に当選して、石上を加入させる』事のみである。
だが、もしそんな事を率直に石上に頼もうものなら!
『(えっ……普段あれだけ嫌い嫌いって言っときながら、まだ僕に生徒会に居て欲しいってどういう事だ?
もしかして伊井野……本当は僕と離れるのが嫌って事か?
ひょっとして伊井野……僕の事が……へえ……へえええぇ……)』
となりかねない!
そしてそんな事を、石上も同時に考えていた!
つばめ先輩以上に難しい(と石上は思っている)、マイナス地点からのスタートである伊井野ミコへの恋。
全く糸口は掴めないが、いずれにしろ今の『生徒会役員同士』という立場は失いたくはない!
だが、仮にミコが当選したとしても、自分が役員に選ばれる見込みは少ないと考えていた。
……ならば、手段は1つ。
『ミコに頼み込んで入れてもらう』事のみである。
だが、もしそんな事を率直にミコに頼もうものなら!
『(はぁ?やっとアンタとの繋がりが減って安心しそうな所なのに、何でアンタなんかを役員に入れてあげないといけないのよ?
あっ……ひょっとしてアンタ……夏休みにちょっとあれこれ有ったからって急に私の事を……?
ほんと……生理的に無理)』
となりかねない!
そんな憂慮を抱える2人が考えつく事は1つ。
『相手から頼み込ませて自分が仕方なくと言った体で受け入れよう』という事であった!
ここに、新世代の『恋愛頭脳戦』が幕を開けていた!
……が!
伊井野ミコは成績こそ非常に優秀なれど、細工を弄するようなやり方には非常に疎い。
石上は地頭こそ良いものの、中学の頃の『失敗』を鑑みれば分かる通り、対人関係において器用な方法を取れる人間ではない。
つまるところ、2人共『不器用』なのである。
スーパーエリートな先輩2人のように、『頭脳戦』をこなせる域には達してはいなかったのであった!
よって2人は今、
『お互いに相手に誘わせたいもののその方法が分からず、
かといって自分から誘うのも怖くて何も出来ない』というデッドロック状態となっていた!
必死で苦手な分野に思案を巡らせる2人に、他人の話を聞く余裕など有りはしなかった。
気付けばもう店を出て、先輩達と別れ。
帰路が分かれる所まで2人で共に歩いている状況であった。
何か、何か言わないと。
このままでは、本当に……
だが、もし、もし無碍に断られたりしたら。
自分達の関係は、『ただのクラスメイト同士』より下の何かになってしまうのではないか?
それなら……そうなってしまうくらいなら……
2人の頭の中を、恐れが満たしていく。
そしてそうこうしている内に、とうとう帰路が分岐する交差点まで辿り着いてしまった。
「……んじゃ、伊井野」
「……うん、ここまでね」
それとなく『別れの言葉』と分かるやり取り。
だが、2人は内心『そんな事を言っている場合ではないのに!』と頭を抱えていた。
それを表すかのように、2人とも別れの言葉を宣っておきながらそこで立ち尽くし、動こうとしない。
ここが、最後のチャンスだ。
頼むなら……今しかない。
恥ずかしいとか失敗したらとか、考えている場合じゃない――――
互いに気まずそうに背き合っていた2人は、同時に意を決した。
「なぁ、伊井野」「ねぇ、石上」
2人がお互いに呼びかけたのは、全くの同時であった。
「「えっ」」
互いに呼びかける声も、戸惑いの声すらも全く同じ。
そして、互いの視線が互いの目を捉えている事も同じであった。
「「……っ」」
互いに、互いの顔を見つめ合う事数秒。
気恥ずかしさが頂点に達し、2人は互いに視線を逸らした。
ミコは、相変わらず石上の視線を真っ直ぐ受け止める事に慣れていなかった。
自分の事をさり気なく、それでいてしっかりと見守ってくれている、石上の視線を。
そして……ミコの事を意識し出した石上もまた、似たような状況に陥る事となっていた。
あれ、伊井野って……
こんなに、可愛かったか?
潤んだ大きくて意志の強い目。幼さが残るけど整った顔立ち。さらっさらの綺麗な髪……
全部が合わさって、すげぇ良く見える……
そして石上の頭の中には、持ち前のネガティブな思考が渦を巻き始めてしまう。
こんな……こんな可愛いコイツに。
自分なんかが……釣り合うのか?
石上の僅かな勇気を、臆病から来る疑念が飲み飲んでいく。
「な……何よ、何か言いたい事が有るんでしょ?」
『もしかして』との期待を込めて、ミコは自分から言う前に、石上を問い質した。
……だが、僅かな勇気が今まさに飲み込まれてしまった石上に。
ミコからの振りに、答える力は無かった。
「……いや、悪い。何でもない。僕の……気のせいだったわ」
「えっ……」
「じゃあな、伊井野。僕こっちだから」
もう色んな意味で、ミコの顔をまともに見れない石上は、
背中から聞こえてくる「ちょ、ちょっ……!」というミコの呼び止めにも振り返る事なく、その場から逃げるように去って行った。
「……そんな……石上……」
ミコが1人残されたその場には、無念と気まずさしか残されていなかった。
こうして、石上とミコは『生徒会役員同士』という繋がりを失った。
さらにこの出来事が尾を引き、白銀とかぐやの旅立ちを見送る日も、2人は最低限しか口を利けなかった。
白銀とかぐやを乗せた飛行機が離陸した後、号泣する藤原を2人で慰め励ましはしたものの。
それ以上の関わりは、持てないままでかった。
斯くして、石上とミコ、2人とも大いに世話になった、白銀とかぐや。
その2人のいない秀知院学園での生活が、幕を開ける事となった。
白銀とかぐやを見送った日から少し前に、次期生徒会長選挙の立候補者受付が開始された。
ミコは当然応募したものの、一抹の不安感をその胸に抱えていた。
前回の選挙では確かに僅差まで詰め寄る接戦を演じたが、それはあくまで白銀会長が敵でありながら助け舟を出してくれたからという側面が大きい。
今度は、助け舟を出してくれる親切な敵なんかは居ない。
今度は自分は……どこまで戦えるんだろうか。
……そして、もし当選したとして。
石上と……生徒会で一緒になる事は出来るのだろうか。
そこまで考えた所で、ミコはあの日の出来事を思い返した。
何か言おうとしておきながら、結局『勘違いだった』とかで逃げるように走り去っていった石上。
その姿を思い浮かべて、ミコはむかっ腹を立てた。
そもそも、何で私の方からお願いしなきゃならないの!?
あのお願いをするって事は、つまり……『放課後もあなたと一緒に居たいです』って言うようなモノでしょ!?
そんな、そんな恥ずかし……いや、軽薄ではしたない真似を、私が出来る訳ないじゃない!?
そういう事を頼んでもはしたなく思われない男の方から頼んできなさいよね!
お世話になった先輩2人の思想を、人知れずしっかりと受け継いでいたミコであった。
……だが、そんなミコの思惑は叶いそうにはなかった。
ミコへの好意を自覚した石上であったが、
『ミコと自分の釣り合わなさ』を感じてしまった石上は今、ミコに対してアクションを起こす事に臆病になっていた。
自室にて、ロクに話せなかった今日1日を思い返し、大きなため息をつく石上。
彼の脳内で、いろいろな考えがぼんやりと浮かんでは立ち消えていく。
僕の方がいくら好きになったからって、それだけでアイツと一緒に居れるようになる訳じゃない。
いや……むしろ、アイツの事を考えるなら、しばらくはこれくらいの距離が良いのかもしれない。
だってそうだろ?僕みたいな好感度最低の人間がアイツの近くに居たら。
アイツの次期生徒会長選挙の投票結果に悪い影響を及ぼしかねないじゃないか。
だから……少なくとも生徒会長選挙が終わるまでは、アイツとは『ただのクラスメイト』でいるべきかもしれない。
今までより離れた距離で、物足りなく感じるのは確かだけど。
本当にアイツの事を想うなら、こうするべきなんだ。
アイツが晴れて生徒会長になれば……僕も、それだけで嬉しいしな。
しかし、『ミコの為』と謳い並べたその文句も結局は。
臆病で行動出来ないことに対しての、体の良い理由に過ぎないのである。
石上からのアクションを求めるミコ。
『釣り合わなさ』を自覚してしまい、臆病になる石上。
噛み合わない2人は、生徒会解散後、無味乾燥な数日を過ごしていた――――。
ところが。
こうなる事を唯一予見出来ていた人物がひとり、秀知院には居た。
……そう、『居る』ではなく、『居た』のだ。
それは、白銀とかぐやが日本を経つ1週間前の出来事……
「四宮先輩……何でしょうか?私達にお話って」
「……ていうか、珍しい組み合わせですよね」
今は使えないはずの生徒会室に居るのは、ミコの友人である大仏こばちと、小野寺麗。
そして、その2人を呼んだかくやの3人がソファに腰掛けていた。
「ええ、実は……お二人に、頼みたい事が有りまして」
あの四宮先輩が自分なんかに頼み事?
このスーパー超人に力になってあげられるのかな。
そんな事を大仏が考えている中、かぐやが言葉を続ける。
「ですが、その前にお二人に確認しておきたい事があります」
「確認……ですか?」
小野寺が聞き返す。
「ええ、まあ簡単なテストみたいなモノなんですが……
ズバリ、数ヶ月前からの伊井野さんの変化にお気付きですか?」
かぐやからの問いかけに、大仏と小野寺が目を見合わせる。
お互い言葉は発しなかったが、『アレだよね?』『まあ、アレでしょ』とアイコンタクトした形だ。
「石上への態度がちょっと変わりましたよね。前よりなんか寛容になったというか」
「つーか、石上と話す時しょっちゅう顔赤くしてるよね。本人バレてないつもりだろうけど」
大仏と小野寺がそれぞれ意見を述べる。
「それはつまり?」
「「石上に惚れた?」」
かぐやの振りに、大仏と小野寺の2人の答えがハーモニーした。
「満点ですね」
かぐやが満足気にニッコリと微笑んだ。
「えっ、自分でも半信半疑だったけどマジなんですか」
「まあ……いつかそうなる気はしてましたけど」
それぞれ、小野寺と大仏の言葉である。
「そこに気付いているなら、安心して話せます……念の為に言っておきますが、他の人に言いふらしたりしたら駄目ですよ?もし、そんな事になったら」
「いえ、大丈夫です」
なんだかその先を聞くのが怖くなった大仏が、先んじて返答を挟んだ。
四宮先輩、美人で超人なのはそうなんだけど、ちょっとコワい所も有るんだよなあ。
今だって、本来もう使えないはずの生徒会室を何故かフツーに使ってるし。
「それなら安心ですね。それで、私が頼みたい事というのは……」
そして、現在に至る。
「……で、そろそろやっとかないとマズいよね?もう選挙の日も近付いてきてるし」
「うん。石上もミコちゃんもほんとしょうがないなあ」
「……つーか四宮先輩凄くない?こうなる事分かってたってさ」
「……あの四宮先輩だもん、不思議じゃないよ」
少し間を置いて答えた大仏の頭の中には、『実体験だからこそじゃないか?』という説も浮かんでいたが、確信は持てないので黙っておく事にした。
「じゃあ、打ち合わせ通りにお願いね」
「はいよ」
日本を経つ前のかぐやからの『お願い事』を頼まれた2人が、人知れず動き出した。
昼食の時間。
石上はひとり、人気の無い校庭の片隅でパンを頬張った後、芝生の上でごろ寝をしていた。
生徒会室が使えなくなった為、昼食の時間はここで過ごすのがお決まりとなりつつあった。
教室は居辛い。滅多に人など来ないこの場所が落ち着いてお気に入りだ。
芝生に寝転びながら、石上は青く澄み渡る空を漫然と眺めながらぼんやりと考え事をしていた。
これから、どうなるんだろう。
生徒会という居場所と、頼りになる先輩2人を失った自分は、どう過ごして行くんだろう。
そして……アイツとの関係は、どうなっていくんだろう。
夏休みは、なんか色々有ったけど。
生徒会役員同士じゃなくなった今……やっぱりこのまま、疎遠になっていくんだろうか。
……自分は、どうするべきなんだろうか。
いや、どうしたいんだろうか。
だがぼんやりとした頭では、的確な答えなど導き出せるはずもなく。
ただただ胸に、もやっとした感情が募るだけであった。
――――だが、そんなぼんやりともやもやが、一気に吹き飛んでしまうような事が起きた。
「居た居た。おーい、石上」
億劫なので寝転んだまま、声が聞こえてきた方向に頭を動かすとそこには。
瑞々しく艶々しいふとももと、その間に挟まった、白い三角形が眼に飛び込んで来た。
「!?!?!?」
思春期の欲望を必死で抑え、慌てて顔を逸し上半身を起こすと。
そこには、小野寺がいつものクールな表情のまま突っ立っていた。
「や、石上」
「あ……うん」
小野寺は石上に問う事もなく、ごく当たり前であるかのように隣に腰掛ける。
小野寺の事は嫌ってはいない石上であったが、
このリア充女子特有のとでもいうか、ナチュラルに近い距離で接してくる所が少し苦手であった。
パーソナルスペースに不意に立ち入られている感と漂ってくる良い匂いに、困惑を隠せない。
そう思っていると、隣に腰掛けた小野寺が喋り出した。
「さっき貼り紙見たんだけどさ。生徒会長選挙、近づいてるなーって」
「……うん」
「まあ、今度はあのカリスマの塊みたいな白銀先輩も四宮先輩も居ないし?伊井野が今度こそ当選すると思ってんだけどさ。石上はどう思う?」
「……まあ、そうなるんじゃないか?」
意図が掴めないが、とりあえず小野寺からの質問に答える石上。
「だよね。……けどさ、ぶっちゃけ伊井野って、『アピール下手』じゃん?口うるさい事も多いし、自分の成果を前に出さないし、口下手だし……」
「……まあ、そこが不安ではあるよね」
実際、石上も小野寺の見立ては正しいと思えた。
対抗馬としては、あの会長と戦う必要が無いだけ幾分かマシだろう。
だが、アイツが自分の功績を積極的にアピールする事をあまり快くは思わず、あのあがり症も相まってアピール下手なのもまた確かだ。
「だからさ、私としては伊井野の応援演説してあげる人がキモだと思ってんだよね。伊井野の事良く知ってて、アイツの良さを分かってあげてる奴とかね」
「……うん」
「でさー、さっき見かけたんだけど。C組の伊藤って居るじゃん?アイツがさー、伊井野の応援演説を買って出ようとしてたんだよね」
「えっ!?」
てっきり応援演説は大仏か小野寺辺りが既にやる事に決定していると思っていた石上は少し驚く。
「まあ、アイツなら上手くやってくれるとは思うよ?口上手だし、純院で人気も高いから票集めは出来そうで」
「……へぇ」
生徒会長選挙とは結局の所『人気投票』である面も大きい。リア充な奴がバックホーンに付いてくれれば、確かに票集めが期待出来るだろう。
「けどさー……アイツ悪い噂も聞くんだよね。この前とか、教室で平気で誰々とヤったとか自慢気に話してたの聞こえてきたし?ちょっと前は違う女の名前出してたはずなのにね。
伊井野もその辺知ってるなら良いけど……満更でもない感がパない顔してたし。顔とトークだけで騙されてないといいけど」
小野寺の話を聞いた石上の表情が、真剣なものに切り替わる。
「……応援演説なら大仏か小野寺さんがやれば良いんじゃないか?大仏も小野寺さんも信頼出来る人だし、こう言っちゃなんだけどその……伊井野の保護者みたいなもんだろ」
「大仏は今度はパスするって。『過保護しすぎてミコちゃんの成長を妨げたくない』ってさ。私は……大仏に比べたら伊井野とそんなに付き合い長くないし」
小野寺の言葉を受け、石上は困惑した。
じゃあ誰が、伊井野の応援演説をやるというんだ?
「私的にはさー……伊井野と対等で、伊井野の事良く知ってる奴がピッタリだと思うんだよね」
そう言うと小野寺は、その眼力の強いぱっちりとした目で石上をじっと見つめた。
今しがた言った条件の人間が誰なのか、無言で訴えているのが石上にも伝わった。
「……いや、僕?無い無い。まだ大仏や小野寺さんの方が伊井野と距離近いだろ」
そう言いながら、小野寺の視線から顔を逸らす。
「やってあげなよ、石上。アンタならデキるっしょ」
「……い、いや僕には」
顔を逸らしたまま、ぼそりと呟く石上。
そんな石上に対し、やれやれというようにため息ひとつついた小野寺は、偶然から成り立つ強硬策に出る事にした。
「つーかやれ。やらないとさっきアンタにパンツ見られたの拡散すっから」
「は……はぁ?い、いやみみみみみみ見てない。見てないから」
心当たりが無いにしては、明らかにしどろもどろな様相を見せる石上。
これだけでも真実が推察出来るというものだが……
「ウソつけ。ばっちり覗きこんでたでしょ、私のピンクのパンツ」
「いや白……あっ」
見事に、小野寺の誘導尋問に引っかかってしまった。
「はいアウト。誰から送ろっかな。とりま同じクラスの……」
「お願いしますからやめてください」
石上が慌てて敬語で頭を下げた。
これ以上下がりようもないはずの好感度が、天井突破ならぬ床下突破する事になるやもしれない。
「……けど、やっぱり僕には無理だよ。小野寺さんも知ってるだろ?僕の評判。好感度最低の僕が応援演説なんてしても……アイツの力になれないどころか、むしろ足引っ張るよ」
視線を下に落としながら、石上が胸の内を絞り出す。
先程も言ったとおり、生徒会長選挙は人気投票である面も大きい。評判最低な自分が応援演説などしようものなら、票集めどころか元々取れるはずだった票が逃げていく事すら充分に有り得る。
とてもじゃないが、自分に務まるものじゃない。そう石上は考えていた。
だが――――。
「最低って事は無いんじゃない?少なくとも私は嫌ってはないけど?」
小野寺の口から出た予想外の言葉に、石上は思わず顔を上げた。
「えっ……?」
驚きの感情が、そのまま顔に表れている石上。
「ここ1年くらいで思った事だけどさ……ぶっちゃけ、アンタが『あの噂』で言われてるような事するようなキモい奴にはあんまし思えないんだよね。私も実際、その場面見た訳じゃないし」
淡々と言葉を述べていく小野寺の横顔を、じっと見つめる石上。
「文化祭の時もさ、明らかにナンパ目的な奴から伊井野を助けてやってたりしたじゃん?そんな奴が、噂されてるみたいな身勝手な事する?と思うワケ。だから」
言葉を切ってくるりと石上の方を向くと、石上の頭を両手でくいっと動かし、自分の顔の真ん前に動かしてきた。
「ちょ、ちょっ……」
またしても、ナチュラルに距離が近い。
小野寺の顔が、今まで見た事がない程はっきりと見える。
つばめやミコとは全くの別方向ではあるが、小野寺もまた結構な美少女であるが故に、石上は一瞬ドキリとした。
「もっと自信持てって。伊井野の力に、なってあげなよ」
その力強い眼から、今までの言葉が嘘偽りが無いという明確で強い意思を感じ取れた。
「…………ありがとう、小野寺さん」
その言葉を受けて頭から小野寺の手が離れると同時に、石上はスッと立ち上がった。
自分に価値が無いと思っている人間に、損得勘定の無い、正直で力強い励ましの言葉がどれだけ頼りになるか。
石上は、今身を以てそれを思い知った。
もう、迷わない。
僕を信じてくれる人が一人でも居るなら……頑張ってみても、いいかもしれない。
「……ちょっと行く所有るから、これで」
「ん。じゃね、石上」
素直に行き先を伝えはしないが、その行き先は小野寺には分かっていた。
その場を去る石上の背を、小野寺はしばし眺めていた。
あの日、かぐやに質問した。
『どうして伊井野が石上に惚れたんですか?』と。
今までのリアクションをそれなりに知っているだけに、どうして惚れたのかがさっぱり理解出来なかったからだ。
曰く、『中等部の辛かった頃、名前を告げずに励ましてくれていた事に気付いたから』らしい……
アイツ、良い所あんじゃん。
好きでもない(今はどうか知らないけど)ヤツの為に、こっそり励ましてあげたり、ナンパ野郎からさり気なく助けてあげたり。
まあ……そういうヤツなら、もし伊井野とくっついたら伊井野の事大事にしてくれるっしょ。
ぶっちゃけ、伊井野カワイイからグイグイ押してけば石上なんてイチコロな気がするけど。
今までの態度が態度なだけに、気まずさがパないって感じ?
大仏の言う通り……こいつら、面白さがマジ卍。
……あっち、上手く行ってるかな?
一方、別の場所では――――
「……え?こばちゃん、応援演説してくれないの?」
前回応援演説を務めてくれた親友の大仏からの衝撃の申し出に、ミコの表情は絶望に染まっていた。
「うん。よく考えたんだけどね……私じゃ、ミコちゃんの魅力を伝えきれないと思うんだ」
流石に『過保護から脱却すべき』と本人の前では言えないので、適当な理由を繕う大仏。
「そ、そんな事ない!こばちゃんが一番私のこと……」
「ミコちゃん、『Team of Rivals』って知ってる?」
縋り付くミコの言葉を遮り、突然大仏が質問を振る。
「えっ?……うん知ってる、リンカーン大統領やちょっと前の大統領の組閣の方針……よね?」
博識なミコは当然の如く知ってはいたが、それにしても何故今こんな事を聞いてくるのだろう。
「さすがミコちゃん。『敢えてライバルや違う意見の人を内閣に取り込む』って、スゴいよね。器の大きさを感じるよねー」
「……まあ、そうだけど」
そう答えつつ少し首を傾げるミコ。
いったいこばちゃんは何を言いたいんだろう?
「だからね、ミコちゃんも器の大きさを示す為にも。応援演説や役員の登用に、敢えて嫌いな人を登用するってのはどうかな?」
「えっ?」
「ほら、生徒会って会長以外はみんな会長が選任するでしょ?だから、『その会長の色』が濃く出ちゃうのが良い所でも悪い所でもあると思うんだ。
そこで、敢えて普段ミコちゃんと対立してそうな人を登用する事で、『選り好みしない器の大きさ』と『意見を公平に取り入れる』感のアピール!良いんじゃない?」
「…………そう、かも」
大仏の理論も一理有るとミコは思った。
自分も知っての通り、かつてのアメリカ大統領が取った方針でもある。
確かに、器の広さや公平な意見の取り入れを周囲に強く認知させる事が可能だ。
けど……
「そんな……私を嫌ってる人に応援演説頼むだなんて……」
しゅんとするミコ。
自分を嫌ってる人間なら何人も思い浮かぶ。主に校則違反の目立つ不良な輩達だ。
しかし、そんな連中に自分の応援演説が務まるとも思えないし、第一どうやって引き受けさせるというのだろうか。
「だよねー。そこが難しいよね。
あー、誰か居ないかなぁ?誰か居る気がするんだけどなー?ミコちゃんの事嫌いで、ミコちゃんもそいつの事嫌いで。それでいてミコちゃんの事よく知ってる人だよねー。ミコちゃんが真面目で勉強出来てまっすぐな所を知ってるヤツ、居るような気がするんだよなー」
……何故かだんだんと言葉が白々しく芝居がかったような調子になって行っているのが、ミコにも感じ取れた。
真面目で、勉強出来て、まっすぐ。
白銀会長のいつぞやの『なかよし大作戦』の時に、アイツから言われた褒め言葉だ……
「……い、石上とか?」
何となく誘導されている事は分かっていたが、乗らなければ話は進みそうにないので取り敢えず乗ってみる。
「あぁ!そうそう、石上!良いよね、アイツなんだかんだ言ってミコちゃんの事よく知ってるし!ミコちゃんも石上の事嫌いだもんね?」
「えっ!?……う、うん、そ、そうね。嫌いよ、嫌い。そうね、こばちゃんの言う通り、ちょ、丁度良いわ」
……バレバレだよ、ミコちゃん。
ミコのどもりっぷりを見て、ひとり心の中で大きめのため息をつく大仏。
ほんと、ミコちゃんって分かりやすい。
アイツも早く、気付いてあげられたら良いんだけどなあ。
「だよね?実はさ、石上にこの前それとなく聞いてみたら。『ミコちゃんが頼んでくるならまあ受けても良い』ってさ!じゃ、今すぐ行こっ?」
「えっ?今から?」
「そ!『善は急げ』って言うでしょ?こういうのはちゃっちゃと済ませるべきだよミコちゃん?さ、校舎裏行こっ?アイツこの時間帯そこに居るはずだから」
「えっ?ちょ、ちょっと……ああもう分かった、分かったわよ……私ひとりで行くから!」
手を引いていこうとする大仏の手をやんわりと振り切り、ミコは歩き出して行った。
ふう。ミコちゃん焚きつけるのもひと苦労だよ。
……しかし、四宮先輩ってやっぱり凄い人。
2人がこうなるのを、分かってたかのように――――。
「え?『石上にミコちゃんの応援演説をさせるよう仕向けて欲しい』……ですか?」
小野寺と共にかぐやに呼び出されたあの日。
かぐやから頼まれたお願い事は、おおよそ検討の付けられない突飛なモノだった。
「そうです。これは私の推測で……外れれば、何もやらなくても結構なのですが」
前置きして、かぐやが話し始めた内容は。
曰く、生徒会の解散後は2人は接点を失い、今までが今までだけに次期役員にも素直に誘えずミコちゃんは悶々とする事になるはず。
そこで、『応援演説役』という名目で接点を据え置いてあげれば、終了後の流れで誘うチャンスも生まれるはずだし、石上の知恵があれば当選もより確実になる……という見立てだった。
正直、結構納得してしまった。
あれだけボロクソに言ってた石上を次期役員として正面から誘うなんて、とてもミコちゃんに出来るとは思えなかった。
特に石上との仲をよく知ってる私に対しては、凄く恥ずかしがりそう。
そこで第三者が仕向けてあげれば、『○○さんも良いって言ってたから』っていう大義名分という名の言い訳も成り立つし、着地点になる。
これは……面白そうだし、私も頑張ってみよっと。
「「えっ!?」」
石上とミコは、階段下でばったりと鉢合わせた。
互いに互いの元へと向かっていた訳なので、鉢合わせるのも不思議ではない。
既に、互いの心の中は決まっていた。
「あ、あの、石上!応援演説を……」
「伊井野……お、応援演説の件だけど!」
2人同時にそこまで言い合って、ハッとなり互いに顔を見合わせる。
……もしかして。
お互いに、同じ用で来たのだろうか?
こっちから言おうと思っていたのに、向こうの方から求めてきてくれるんだろうか?
……それならば。
『向こうから先に言わせる』方が良いのでは?
そっちの方が、自分が承諾するだけだから何かの間違いも起こらない。
……決して、恥ずかしいとか、断られたらどうしようとかいうしょうもない理由なんかではない……断じて違う。
2人の脳内に、同じ思考が展開される。
……が、先輩2人のように、『どうにかして相手から言わせる術』を、この2人は持ってはいなかった。
そこにあるのは、ただただ相手の方から口火を切るのを待つばかりの無味乾燥な沈黙。
互いに互いの顔や目を見るというわけでもなく、視線を合わせられずもじもじしながらその場に立ち尽くす2人。
……石上は、独り心の中で笑った。
まーた、こんな事繰り返してる。
こんな事やってるから、ここ最近こんなザマだったんだろう。
……そりゃ、僕だって恥ずかしい。ああ認める、恥ずかしい。
けど、客観的に見れば……色々と言いにくい伊井野に比べて、僕の方が頼む事にしがらみは無い。
自分でも男らしさなんて全く足りてないと思う僕だけど。
――――ここは、僕が男になってやる。
「なあ、伊井野」
「……なっ、なに?」
ミコの目をじっと見つめる石上。
期待と不安が読み取れる。多分、『待っていた』のは向こうも同じだったんだろう。
……どうして自分を求めてくれるかは分からないが。
「伊藤はやめとけ。票はそれなりに集まるかもしれないけど……お前に見返りに何を求めてくるか分かったもんじゃないぞ」
石上はここで、ミコから『はあっ!?』と逆ギレされる事を想定した。
毎度毎度、こいつのチョロい所を指摘しても素直に受け入れた例は無い。
……だが。
「…………え?伊藤って誰の事?」
返ってきたのは、石上の想定外のリアクションであった。
「は?いやお前、伊藤から……」
そこまで言って、石上はハッと気付いた。
……もしや。
「(…………『やられた』、って事か?)」
ミコがこういうシラの切り方が出来ない事は、石上もよく分かっていた。
という事は、考えられる事はただ1つ。
何故か小野寺が嘘をついて、こうなるように誘導したという事だろう。
何で、小野寺が?
僕が伊井野の事を……ってのが、バレたのか?
……まあ、理由はどうあれ、もうここまで来たら言うしか無いよな。
乗りかかった船ってヤツだ。ここまで来て逃げたら……男じゃないだろ。
「伊井野……噂で聞いたんだけど。応援演説、誰がやってくれるかまだ決まってないんだろ?」
「……私さっきこばちゃんに『今度はやれない』って言われたばかりよ?もう噂になってるの?」
「……その場面を見てたヤツが居たんだろ。とにかく、人から聞いたんだよ」
危ない、矛盾が出るところだった。
ていうか、伊井野の方もさっき言われたばかりか。これ絶対謀られただろ……
まあ、良いや。余計な遠回りをしようとするから、ボロが出そうになるんだ。
もう余計な事は考えずに、ストレートに行ってやる。
「だからさ、まだ決まってないんだったら……その、伊井野が良ければ、だけど。僕が、引き受けても良いよ」
「……えっ?」
石上にとっての、精一杯のストレート。
決して剛速球では無かったが、ミコが受け入れない理由は無かった。
「う……うん」
自分から何とかして誘おうと思っていたところからの、石上の言葉。
照れくささと嬉しさを隠すように、下を向いてもじもじしつつ、ミコは小さく頷いた。
……そんな光景を、草陰から見ている人物が2人……いや、3人。
「(きゃーーーーーーー!青春の1ページって感じですわ!さすが会長とかぐや様が可愛がられていたお2人!会長の築き上げた生徒会は甘酸っぱい愛の巣なのね!)」
マスメディア部・紀かれんが、新たな恋の香りを嗅ぎつけて興奮やまぬまま写真を連写していた。
「(……えーっと)」
「(紀先輩はこれが普通だよ)」
呆れたような表情で目配せしてきた小野寺に、大仏が小さな声で答えた。
まあ、面白いのは分かるけどね?
ミコちゃんが照れれるのは勿論だけど、なんか石上も似たような感じに見えたし。
ひょっとして、もう両想いまですぐそこ、だったり?
……どうなるんだろう。
あれだけ嫌い合ってたはずなのに、お互い好きになっちゃって照れくさくてもどかしいなんて。
個人的には……悪くないシチュエーションだよね。
かくして、石上が急遽、ミコの応援演説を買って出る事となった。
アメリカ・カリフォルニア州。
住居の一室で、祖国へ思いを馳せる一人の少女が居た。
そう、この裏で糸を引いていた、四宮かぐやである。
――――今頃、大仏さんと小野寺さんが上手くやってくれている頃でしょうか?
石上くんも伊井野さんも、不器用だけに世話したくなる、私の可愛い後輩。
きっとあの2人も、あの時の私達と同じ、『生徒会』という一緒に居れる場所が無くなって、歯がゆく思っているでしょう。
……けれど、私が手助けしてあげられるのは、これで最後。
この先は……あの2人と。
あの2人がこれから信頼を得る、周りの人の力で……進んでいくべき。
「……幸せになる事を祈ってますよ。石上くん、伊井野さん」
かぐやは、早坂の煎れたコーヒーをひとくち口にした。
――――そして月日が流れ、生徒会長選挙の当日を迎えた。
ミコは選挙活動として、小野寺や大仏、藤原や石上と共に配ったビラを手に取って眺めていた。
そのビラには去年のように公約が書いてあるのだが、
その内容は、去年のような『カタすぎる物』とは少し違っていた。
――――――――1週間前――――――――
「えっ?公約を調整する?」
「ああ、調整する」
困惑の声をあげるミコに対し、石上が冷静に諭すように答える。
「このビラじゃ、『風紀を守るべき』ってのは伝わるけどさ。『何の為に守りたいのか』ってのが伝わらないだろ?去年の選挙見てた奴は知ってるだろうけど、あんな1日限りの事全員が覚えてるとは限らないし、そもそも1年生は知らない」
「え……えっと……うん」
石上の口から予想以上に理路整然とした言葉が出て来て、困惑を隠せないミコ。
「だから、伊井野が何の為に風紀を守る事を推すか、そこを伝えないといけない。このビラにそれを盛り込む必要が有る。あと……」
「あと?」
「この辺、変える必要が有るな」
石上が指を指した箇所には、『男子は坊主頭』とか、『男女の50cm以内の接近禁止』など、去年と同じ文言が記されていた。
「駄目よ、そこは肝心な部分でしょ?そこを妥協したら無意味なものになっちゃうじゃない!」
くわっと怒るミコだが、石上は想定通りとばかりに切り返した。
「早とちりするなよ。無くすとかじゃなくて、『言い方を変える』だけだっての」
「言い方?」
「ああ。例えば『50cm以内の接近禁止』とかは、『過度な接近は控えましょう』とかな」
「……なんだか曖昧じゃない?」
不満そうに、むーっと頬を膨らませるミコ。
その仕草に少し心が波風立つが、石上はこらえて言葉を続ける。
「曖昧で良いんだよ。そもそも、ガチガチ過ぎたらそれなりに真面目な奴も更にガチガチに固められる事になって不満が生まれる。だから、『風紀を乱さなければOK』くらいにしておくべきだ」
「だから、それじゃ基準が曖昧だって……」
「伊井野。そもそも今まで、生徒の風紀違反を風紀違反と判断してたのは誰だったよ?風紀委員と先生達だろ?」
「えっ……?それはまあ、そうだけど」
「だから、この書き方ならある意味『風紀違反』とはどんなラインかってのを取り締まる側の裁量に完全に任せられる。これなら器用にルールの穴を突くような人も取り締まる側の裁量で裁けるから、ある意味取締り方が自由になるって事なんだよ」
石上の論説に、ミコが真剣に考え込む。
「……でも、曖昧なのってなんだか……ズルいというか、なんというか……」
「ちゃんとしてる大半の人間はむしろ厳格なルールから解放されるってメリットがちゃんと有る。残るのは元々破りまくってたような奴らだから、気に病む必要は無いよ」
「…………一理有るわね」
こうして石上の提案の元、ミコは急遽公約を調整し直したビラを配布する事にしたのだ。
イラストや文言も親しみやすいモノに変え、概ね好評を得られていたと石上は周囲から聞こえてくる声から確信出来ていた。
こうして、現在に至る。
石上が、ここまで真剣に考えてくれて、力になってくれたんだ。
――――今度は、絶対当選してみせる。
ミコの目には、強い決意の火が灯っていた。
「では、伊井野ミコさんの応援演説をお願いします」
進行役のアナウンスが、石上の演説が始まる事を全生徒に告げた。
……石上が、同学年から嫌われてる事は知ってる。
でも、3年生の先輩からはそうでもないし、1年生からだってそんなに嫌われてるって噂は聞かない。
アイツだって去年から、応援団に文化祭の実行委員のヘルプにと頑張って、少しは見直されてる事も知ってる。
それに……私の事を、密かにずっと見守ってきてくれていた石上なら。
きっと、上手くやってくれるはず。
去年のように、直接言う事は出来なかったものの。
壇上に向かう石上の背中を見つめて、小声で「頑張って、石上」と呟いた。
「……どうも。この度伊井野ミコの応援演説を務めさせて頂く事になりました、石上優です」
普段とあまり変わらない低いトーンで喋り出す石上。
大勢の人間の前で話す事は得意ではないが、かと言って大して苦手意識も持っていない。
2年生のガラの悪い一部生徒から軽いブーイングのようなものも飛んできたが、想定通りと気にも留める事は無かった。
……それからの演説は、一言で言えば『平凡』なものであった。
聞こえの良さそうな言葉を並べた、用意された原稿を丸暗記し粛々と述べていく。
それは確かに聞こえは良いが、悪く言えば自分の言葉ではない、面白みの無い演説。
自身が作った映像と併せて喋るも、その映像の内容もあまり特徴の無い、真面目過ぎるくらい真面目な内容。
奇しくも去年の応援演説同様、会場の意識は散漫で、真面目に聞いている人間は半分も居ない状況であった。
「(……石上くん、どうするんでしょう)」
今年も相変わらず、教師をさり気なく敵対勢力の方に誘導しつつ状況を眺めていた藤原が不安を抱く。
このままでは、去年とあまり変わらないのでは……。
そんな不安を他所に、とうとう石上が用意された分の言葉を述べ終えた。
……ところが。
「……えー、まあ、真面目に聞いてる人が少ないのは解ってます。今言った事は、普段の伊井野を見てればだいたい分かるような事ですからね」
「「えっ?」」
石上が話す演説の内容は、事前にミコや小野寺、大仏や藤原といった協力者達に目を通させてある。
それだけに、全く予定されていないはずの内容を喋り出した事に一同が面食らってしまった。
「えー、みなさんは伊井野についてどうお考えでしょうか。
多分、クソ真面目で融通の利かないおカタい奴だって、皆思ってると思います。
それも仕方ない事だと思います。去年の公約を覚えてる人も居るかと思いますが、今どき坊主頭強制だとかスマホ禁止とか言い出しちゃうくらいですから。そういうイメージが有るのも仕方ないと思いますよ」
突然、応援演説と言うには逆効果な事を述べ始めた事により、逆に注目を得た事で会場がさっきまでとは違う意味でざわつき始める。
「ちょっ、石上!?」
小野寺が困惑の声をあげる。
「……けど」
石上が、ここで一呼吸の間を置いた。
「……アイツは、優しいんです。それが目立ちにくいってだけで。例えば」
石上が、リモコンでスライドを操作すると。
「!?!?ちょ、ちょっ!!?」
ミコが思わず声をあげたのも無理は無い。
スライドには、数ヶ月前、海心を抱き抱えて喜色満面なミコの姿をばっちりと捉えた写真が映し出されていたからだ。
「突然押し付けられた知人の赤ん坊をこんな風に世話出来たりとか」
「何アレー!?可愛い!」
「伊井野さん、かわいー♪」
石上が説明し終えない内に、その写真の微笑ましさから一部の女生徒から声があがる。
「……迷子の子供を、自分も迷子になるのを顧みずに一緒に親を探してあげたりとか」
石上の言葉に合わせて映し出された次の写真は、先日の夏祭りでのひとコマであった。
2枚とも、いずれ来ることが解っていたこの時を見越して、こっそりと撮っていた写真であった。
「……伊井野って優しいとこあんじゃん」
男子生徒から、感嘆の声もあがる。
「これらの写真は、ぶっちゃけて言うと伊井野には無許可で撮りました。アイツこういう良い所を自分からアピールするの恥ずかしがるんで」
無許可で撮ったという点に不満の声を示す声と、アピールを恥ずかしがるという事実を微笑ましく思う笑い声が同時にあがる。
「……そんで、まあこれは写真なんて無いんですけど。好きでもないどころか、むしろ嫌いな同級生の進学の為に、教師に直談判したりとか」
石上の言葉に、会場中がシーンとなる。
「伊井野の優しさに、打算とか見返りを求める考えは有りません。そういうのって、口では言うのは簡単ですが、実際に行動に移せる人はそうそう居ないと僕は考えてます」
「皆で楽しくウェイウェイ盛り上がれる環境。確かにそういうのってパッと見楽しいもんだと思います。
けどそういうのって、色々な理由で辛さを抱えてて盛り上がれない人間の事はあまり考えてないわけじゃないですか。
けど、理不尽を許さず、見返りを求めない優しさを与えられる伊井野が会長になれれば……そういう辛い思いをする人の数を減らしつつ、底上げ的に学園を良くしていけるんじゃないかと僕は思います。
ちょっと変な感じにはなりましたが……僕の応援演説はこれで終了と致します」
終わりを告げる石上の言葉に対し、暫しの沈黙が流れた。
しかしその沈黙の後には、一部の生徒の拍手を皮切りに、あちこちから『変な感じの演説』に対する心からの拍手が送られた。
続く所信表明をどう乗り切ったのかは、ミコは覚えてはいない。
石上の演説の知らされていなかった部分の衝撃が大きすぎて、ある意味あがる余裕すらも無くして逆に普通に喋ることが出来た事だけは確かだった。
上の空であったミコがハッキリと意識を取り戻したのは数時間後。
選挙結果の公示にて、とうとう念願の初当選を果たした事を認識した時であった。
「やったね、ミコちゃん!」
「伊井野さん、おめでとっ!」
少し涙を浮かべる大仏や、ミコへ投票した女子生徒達が寄ってきて、周りを囲まれるミコ。
「うん!ありがとう!」
とうとう念願叶い、ミコも滅多に見せない、純粋な笑顔を見せている。
「石上の応援演説も良かったよね?あの写真可愛かったよ!アイツあんな事も出来るんだね〜」
「かっ、かわいいってそんな……」
照れながらも満更でもない感を全身から滲み出させるミコ。
が、ふと周りに、この場に足りない人間の事を思い出す。
「……そういや、石上は?」
小野寺もそれに気付き、辺りをきょろきょろと見回す。
応援演説を務めた石上だ。この場に居ても不自然ではないのに。
「どこ行ったんだろうね、石上」
大仏も疑問の声をあげる。
「…………」
だが、ミコは冷静であった。
あいつは……石上は。
いつも私を、こっそりと、けれどちゃんと見守ってくれている。
アイツが私を、『見返りを求めない』だなんて言ってくれたけど。
それは……アンタだって、同じでしょ?
ミコがまるで見透かした見据えた一点の先には。
踵を返し、その場からひっそりと去ろうとする石上の背が見えた。
ミコは、自分でも驚く程スムーズに、自分がやるべき事を決意出来た。
「みんな、ちょっと通してね!」
ミコは自分を囲む輪を一言断りを入れてから割り、その背を追いかけた。
立ち去ろうとしただけで、別に逃げる気は無かった石上。
程なくして、ミコは石上に追い付いた。
奇しくもそこは、ちょうど人気の無い場所であった。
「……その、ありがと」
念願の当選を果たした要因は、間違いなくあの演説にも有る。
ミコは、素直に礼を述べた。
「……僕の方から申し出た事だからな。きっちり結果を出しただけだよ」
ミコの方を振り向かないまま、石上が返した。
……そう、あくまでこれは、小野寺に軽く誘導され、
流れで買って出る事になった演説を、自分なりに熟したに過ぎない。
大して礼を言われる事でも無ければ、恩を売れるような事でも無い。
……だから、『この先』が無くても、仕方の無い事。
石上は、無意識に自分の中で言い訳をした。
……ところが。
「だっ、だけど!私に無断であんな写真を撮ってただなんて!ヘンタイ!スケベ!」
石上が振り向くとそこには、顔を少し赤らめながら、照れと怒りが混じったような微妙な表情をしているミコの姿があった。
「……悪かったよ、あれはもう消すから」
……少し、惜しい気もするけれど。
「ダメよ。アンタのヘンタイ行為が、その程度で許されると思ってるの?アンタも認めてるでしょ?『風紀を乱す行為は禁止』って。示しが付かないじゃないの」
「……じゃ、どうすりゃ良いんだよ」
「…………」
石上の問いかけに、ミコは言葉を詰まらせた。
答えが分からないのではない。言うべき言葉は、決まっていた。
だが、しぶとく残る恥ずかしさが、それを言い出せない枷となっていた。
どうしよう?
変に悟られたりしたら、どうしよう?
……けど。
石上は、私の事を、あんなに良く言ってくれた。
『見返りを求めない優しさ』なんて、自分じゃ恥ずかしくて言えなかったような事を、みんなに言ってくれた。
……そう、そうよ。
これは、アイツがやってきた事を、やり返さなきゃ気が済まないだけ。
アイツの頑張りに……応えないと。
今度は私が……頑張る番なのよ。
「……あ、アンタみたいなヘンタイは、私の目がすぐ届く所に置いとかないとダメなのよ。
だ……だから!
………………生徒会、入りなさい」
最後のひと言は、精一杯の勇気を絞り出したような、小さな声。
今のミコが持てる全ての勇気を振り絞った、気持ちのこもったひと言であった。
石上は、一瞬驚いた表情を見せたが。
ミコの勇気を、無碍に扱うような男ではなかった。
「…………あーはいはい、分かりましたよ、伊井野会長」
こんな言いぶりではあるが、これからも、『生徒会役員同士』という建前で一緒に居られる事に対し、内心でガッツポーズしたのは触れるまでもない事である。
「こっちこそね、石上副会長」
今、この時を以て。
新生徒会長・伊井野ミコと、彼女を支える新副会長・石上優から成る、新しい生徒会が産声をあげた。
これからも、『生徒会役員同士』として、共に居られる事となった2人。
不器用な2人の恋路は、これから歩みを早めていく事になる。
ここから、石ミコ政権がスタートします。
投稿が遅くなり申し訳ございませんでした。
ここからのネタは既に考えてあるので、次回はもう少し早く投稿出来るようになるかと思います。