伊井野ミコは告らせたい~不器用達の恋愛頭脳戦(?)~ 作:めるぽん
石上とミコ、2人の2度目の体育祭が終わってから、いくばくかの月日が経った。
戻ってきた日常の中、ミコは再び生徒会長としての日々に勤しみつつ、学年首位を堅持する為の勉強も忘れず。
そして、彼女に並び見合う男になる事を決意した石上もまた、生徒会副会長としての務めを果たしつつ、猛勉強に励んでいた。
そして暫しの月日が流れ……時は、12月。
色々な事が有り、大きく関係性が変わった2人の今年を締めくくる大きなイベントが、この月には控えていた。
──そう、秀知院学園の学園祭・奉心祭である。
石上優の頭の中は、この所ある単語が大きな唸り声を上げて、その脳内を満たしていた。
『告白』という、たった2文字だが大きな意味を持つこの単語。
ことのきっかけは、迫る奉心祭の準備を、生徒会役員として小野寺と2人で行っていた最中の事であった。
「はい石上。今年の物販のサンプルね」
文化祭実行委員を兼任している小野寺から、奉心祭中購買にて販売されるアイテムのサンプルを受け取る石上。
「おう、サンキュ……うん?何か、その……」
受け取った品の数々を見て、石上はひとつ疑問を抱いた。
「?どした?」
「いや……なんていうかその。何かハート型のモノが多いなって」
ハート型を模したお菓子に、ハート型のお守り。
見覚えのあるハートのアクセサリーも有り、何かとハートを模した商品が目立つように感じた。
「……そりゃ奉心祭のアレにかこつけて告りたいって需要が有るんじゃないの?」
「は?」
まるでさも当然の事かの如き表情で淡々と述べる小野寺の言葉に、石上は首を傾げた。
「は?って、石上も知ってるでしょ?奉心祭の伝説」
「まあ、それくらいは知ってるけど。想い人に心臓を捧げてどうこうってヤツだろ?」
「それもそうだけどその先。っていうかアンタも知ってるんじゃないの?去年つばめ先輩にそれで告ってたっしょ」
「…………は?」
告る?何の話だ?
去年の奉心祭で、つばめ先輩に告った覚えなど無い。告ろうとして機を逸したのは確かだが……
「いや、ハート型のモノを贈られると永遠の愛が……ってヤツ。まさか知らずにやりましたとか無いよね?」
小野寺から突如聞かされた真実に、石上の脳はフリーズした。
────えっ?
いや、そういえばつばめ先輩の演劇見てる時にふとそんな考えが頭を過った憶えが有るけど。
まさか、マジでそんなアホな話が有ったのか?
────という事は。
『これは僕の気持ちです』
石上は今、あの時つばめにハート型の巨大クッキーを渡した時の自分の言葉を振り返っていた。
やがて、しばしの沈黙を破り石上が口を開く。
「……わ、悪い小野寺。ちょっと気分が悪くてさ……外の風、浴びてくる」
「ん、分かった」
石上はふらふらと席を立ち、おぼつかない足取りで生徒会室を後にした。
……そんな石上の胸中をもちろん、機微に敏い小野寺は分からないはずはなかった。
「(ああああああああああ!!!!ああああああああああああああああ!!!!!!!)」
人気の無い場所で、石上は喉まで出かかった叫び声を上げるのをぐっと堪えつつ身悶えしていた。
やってしまった。
いや、やってしまっていた。
あの時、つばめ先輩にハートのクッキーを渡したけど。
あれ、告白として受け取られてたのか。
いや確かに、今思えば返事が『考えさせて』だったり、あの直後少し余所余所しくなったりと腑に落ちる点は有るけど。
────いや、こっちはまだ良い。
もう、『終わった事』なんだから。
けど、よく思い返してみれば。
去年の奉心祭、僕がハート型のモノを渡したのはつばめ先輩だけじゃない。
『落とし物』なんて理由で、もう一人にも、ハートのアクセサリーを渡していた。
────今、僕が片想いしてる、アイツにも。
ああああああああああ!!!!アホか僕は!
無自覚告白とか!しかもあの時好きだった人と、今好きな人の2人に!!
何だ?何のフラグだコレ?
こんなのが許されるのはラブコメの鈍感系ハーレム主人公くらいなもんだろ!
ただの陰キャヲタクな僕がやっていい事じゃないだろ!!あああああああああああああ!!!!!!
……い、いや、落ち着け。
もう済んだ事、しかも1年くらい前の話だ。今更悔いたって仕方が無い。
大事なのは、これからどう動くか……って事なんだ。
だから、この事実を知った僕がやるべき事はただ1つ。
無自覚なんかじゃない、ちゃんと自分の意思で。
伊井野ミコに、告白する事だ。
そう決意した矢先、ある出来事が起きた。
奉心祭でのクラスでの出し物の準備を行っていた時の事。
去年同様小野寺が主導で準備を進めており、2人1組になって作業を行っていた。
ミコの気持ちを察している小野寺は気を利かせて、ミコを石上と組ませたのだが……
「……しがみ。石上」
「…………」
「……もう!石上!」
「……はっ!?あ、ああ、伊井野。何?」
「もう、しっかりしなさいよ。クラスの一員としても、生徒会副会長としても」
「う、うん。悪い」
告白を意識しだしてから、石上はこのように半分上の空になる事が多かった。
こうして、隣にミコが居る状況なら尚の事である。
サラッとして綺麗な髪。おさげをやめて解き放った事で少し大人っぽく見えるようになった顔立ち。
それでいて、子供のあどけなさという相反するはずの要素も違和感無く同居している奇跡的な現実。
昔は小うるさくしか感じなかった、怒ってムッとした顔も……今では、なんだか可愛らしく見えてくる。
──まいったな。いつの間に僕は。
コイツの事、こんだけ好きになってたんだろう。
そんな事を考えていると。
ミコの制服のポケットから、何かか音を立てて転がり落ちた。
「ん?伊井野、何か落ちて……」
果たしてその落ちたモノには、どこか見覚えがあった。
……いや、あったような気がした。
何故なら、落ちるや否やすぐに、ミコが血相を変えて慌てながら、目にも止まらぬ早業でソレを拾ってしまったからだ。
「…………見た?」
「い、いや、お前が拾うの早すぎて見えなかったけど」
「そ……そう。ならいいわ。ほら石上、そっちの飾り持ちなさいよ」
ミコはホッとため息をつくと、再び石上に作業を促した。
そしてその日の夜。
石上は、自宅で思いを巡らせていた。
昼間、伊井野が落としたアレって。
ハートのアクセサリーじゃないか?
しかも、去年僕が落とし物として伊井野に渡したモノと、同じヤツ。
……まさか、伊井野。
奉心祭で、誰かにアレを渡すつもりなのか?
アイツに今、好きな人が居るんだろうか?
もし、そうだとしたら。
僕がいくら告白したところで……
『(はぁ?これから私、○○くんに告白しに行くつもりだったのに……気分が萎えちゃったわ。空気読みなさいよ……ほんと、生理的に無理)』
────ダメだ。そんな事になったら、今度こそ立ち直れない自信すらある。
しかしそんな心配と同時に、石上の脳内にはもう1つの考えが浮かんでいた。
アレがもし、『去年僕が渡したモノと同じ形のモノ』ではなく、『去年僕が渡したモノそのもの』だとしたら。
伊井野はずっと、去年僕から渡されたあのハートのアクセサリーを持っていた事になる。
僕は知らなかったとはいえ、あんな伝説がある奉心祭で、僕から渡されたハート型のモノを、だ。
……という事は。もしかして。
アイツは……伊井野は……僕の事を……?
石上の胸の中で、否応なしに膨らむ期待。
と同時に、『そんなうまい話がある訳がない』という警笛も頭の中に鳴り響く。
希望的観測に任せて、奉心祭の高揚感と伝説にかこつけて想いを伝えるか。
大小いずれとも分からないリスクを恐れて、もっと確実に『伊井野と肩を並べられた』と自認出来るようになるまで控えるべきか。
石上の頭の中は、『告白』のふた文字で満ち満ちていた。
そして、そのふた文字で頭がいっぱいなのは石上だけではなかった。
「(あああああああああああああもう何でアレを落としちゃうのよ!私の馬鹿!)」
伊井野ミコは自室のベッドの上で、昼間の失態を悔いて悶えていた。
石上は、見えなかったって言ったけど。
ホントは見えたのに、私に責められるのが嫌でウソをついたのかもしれない。
もし、アレを見られてしまったのなら。
私の計画は、半分台無しになってしまう。
そう、ミコもまた、奉心祭である計画を練っていたのだ。
『ハート型のモノを贈ると永遠の愛がもたらされる』という、奉心祭の伝説。
それにかこつけて、石上にハート型の贈り物をしようと考えていた。
しかし、ミコは考えた。
何の理由もなしにハート型を贈り物を渡すのは……それはもう直球どストレートな告白のようなものであり、やっぱり……恥ずかしい。
それに、最近身の回りでおかしな事がある。
どうも、見覚えの無い生徒がちょくちょく自分の事を付け回しているようだ。
しかも何人かは、カメラをその手に携えていたのも見ている。
別に何か嫌がらせをする訳でもない、少し離れた所から見たり時折歓声をあげるだけのようなので、別に見られて恥じるような事も無いつもりだし、あまり気にしてはいなかったが……
もし、石上にハート型の贈り物をしている所を、その人達に見られでもしたら。
『(そんな……!真面目で清廉潔白だと思っていた伊井野会長が、不純異性交遊を!?破廉恥ですわ!)』
『(あれだけ男女の過度な接近禁止を謳っていた伊井野会長が石上副会長と!?もしや石上副会長を生徒会に誘ったのはご自分の為!?これはスクープですわ!マスメディア部に持っていかなければ!)』
などという事になってしまうかもしれない!
だから、その2つの懸念に対応する為には。
客観的に見て、納得出来る何か別の理由が必要なのだ。
────そこで、学年1位を堅持し続けるミコが導き出した結論は!
『(はい……これ。去年アンタが落とし物として届けたモノだけど、持ち主が見付からなかったからアンタのモノよ。渡そうと思ってたんだけど、今の今まで忘れてたの。今思い出したから、これ、あげるわ)』
────これで完璧じゃない!
そう、あくまで、所有権の切れた落とし物を届け主のアイツに渡すという、至って当然至極な理由よ。
コレで、誰かに見られても変な勘違いはされないはず。大丈夫よ!
……正直無理な所が多々あるが、初恋に盲目な乙女が精一杯考えた微笑ましい理由付けであった。
たが、石上にあのハートのアクセサリーを見られてしまったとしたら話は変わってくる。
あれを見られてしまったら、いくら理由を付けたところで……
『(伊井野……この前教室でソレ落としてたよな?
という事は伊井野はずっと持ってたワケだ。ハートの贈り物で永遠の愛がもたらされるって話の奉心祭で、僕から渡されたハートのアクセサリーを。
という事は……?何か理由こじつけて僕に渡そうとしてるけどさ……本当は伊井野は僕の事を……へぇ……へええええぇ……)』
となってしまう!
……けれど。今の自分には、これ以外の方法は思い浮かばない。
もう、やってみるしかない。
もし、本当の意図に気付かれてしまったとしても。
石上は、変な意地悪なんか言わないで、きっと受け止めてくれるはず。
ミコはベッドの上に横たわりながら、密かに決意を固めたのであった。
そして、両者の思惑が交差する中で……今年の奉心祭が幕を開けた。
と言っても、石上もミコもすぐ動く事は出来ない。
奉心祭中といえど、秀知院学園の生徒会長と副会長はそれなりに忙しいのだ。
特に生徒会長は、寄付金集めなどという本来いち生徒に任せて良いものではない仕事まで請け負わされる。
裏を返せば、そのくらい出来るであろうという生徒会長への信頼なのだが……
石上は果たしてミコ1人で出来るのかと心配していたが、時折仕事を抜け出してこっそり遠目から見ていた限りでは案外上手く行っているようだった。
低身長でやや童顔であり良くも悪くも嘘が下手なミコの姿勢は、年配の多いOB達からは可愛らしい孫を見るような感覚で逆に好感的に受け入れられているようだった。
とはいえ、2人の仕事はそれだけではない。
2-Aクラスメイトとして、出し物の運営の仕事も交代で有るのだ。
そして、2-Aの今年の出し物は……『メイド&執事カフェ』。
元々はクラスのリア充男子が『メイドカフェやろうぜ!www』とノリで提案したのが発端であり、そこに同じくリア充グループの女子が『なら男子は執事でね!』と被せた結果こうなった。
ミコは微かに抗議の声を上げようとしたが、クラスの熱気のうねりと『良いじゃん。この日だけの話だし』と諌める小野寺の声で沈黙せざるを得なかった。
そして、クラスの男子と女子をそれぞれ半数ずつに分けてシフトを組む事になったのだが……くじの結果、石上は午前の部、ミコは午後の部とシフトが別れてしまった。
つまり、2人は奉心祭を一緒に見て回る事が出来ないことを意味していた。
だが、これは2人ともすんなり受け入れる事が出来た。
もちろん一抹の残念さは残るが……両者共にロマンチストである石上もミコも、2人とも『動くなら後夜祭』と考えていたからだ。
後夜祭では、去年同様キャンプファイヤーの火が焚かれる。
石上もミコも、事を起こすなら、夜の闇にキャンプファイヤーの火が美しく照らされる後夜祭で……とイメージしていた。
とはいえ、朝昼の時間を無駄にするつもりは無かった。
ミコは午前の生徒会長としての仕事を粗方済ませ、一人でこっそりと自クラスへと足を運んだ。
もちろん、執事服姿の石上に接客してもらうのが目的である。
だが、いきなり入って石上に接客して貰えるとは限らない。
ミコはこっそりと、教室の外から中の様子を伺った。
自分のクラスなのだし、ちょっと様子を見ているだけ。そんな言い訳を自分にしつつ中の様子を覗いてみると……
石上はすぐそばに居た。
しかし、先客として他の女子を接客していた。
その相手とは……ミコの尊敬する人物であり、石上とは言葉のナイフで斬りつけ合う仲である珍妙生命・藤原千花であった。
交わしている言葉は聞き取れないが、にこやかだと思ったら、急にぷんぷんし出す藤原千花に、呆れたような顔付きで接客する石上。
──いつものミコなら、この2人のやり取りは何の特別な意味合いも無いモノだと気付けたかもしれない。
だが、告白の時が数時間後に迫り頭の中が恋でいっぱいの今のミコには。
2人のやり取りは、こんな風に見えてしまった。
『このハーブティー美味しいです〜!さすが石上くんですね!』
『お嬢様……僕がお嬢様の為に丹精込めて淹れたお茶を飲みまくってくれるのは嬉しいですけど……あんまり飲食し過ぎて、お嬢様の完璧な体型が崩れたら僕は悲しいですよ』
『……!もう石上くん!いきなり褒め殺してくるのはやめてくださいよ!』
……妄想力たくましいミコが生み出した、あまりにも現実からかけ離れた一幕である。
なお、実際のやり取りはこうである。
「このタピオカミルクティー美味しいです〜!いくらでも行けますよ〜!」
「藤……いやお嬢様、ホットケーキも合わせてどんだけ飲み食いする気ですか?体重気にしてたんじゃなかったんですか?」
「うるさいですよ毒舌執事!黙ってお嬢様に給仕してください!」
だが、声が聞き取れないミコは己の現実とかけ離れた妄想を信じ込んでしまう他無かった。
居ても立ってもいられなくなったミコは、悲しそうな顔でその場から小走りで立ち去った。
……そして、そんな光景を傍から見ていた人物が2人。
「……伊井野、何してたんだろ」
「決まってるでしょ小野寺さん。最近のミコちゃんが怪し気な行動取る理由は1つだよ」
「……あーね」
小野寺もミコの気持ちは察してはいるが、やはりミコの扱い11年のベテラン・大仏にはまだ及ばぬ所があった。
「まあ、午後の部には私達がひと肌脱いであげよっか」
「ん。面白そうだし乗った」
そして、午後の部。
ミコと一緒に回る事が叶わなかった石上は、一人で奉心祭を見て回っていた。
実のところ、最近は一緒に回ってくれる程度の友人は居ないこともないのだが、何となく一人で回りたい気分であった。
この後の後夜祭、果たしてどう告白すべきか。
そんな事をぼんやり考えながら、廊下を歩いていると。
「はーいそこのお兄さん。美少女が接客してくれるメイドカフェはいかがですか?」
典型的な売り文句が聞こえてきた方向を振り向くと。
「…………いや大仏、声かける相手間違ってるだろ」
声をかけてきたのは、メイド服姿の大仏だった。
ガチのヲタク女子だからか、こういうコスプレを妙に着慣れている感が滲み出ている。
「いや間違ってないよ。すっごく健気な美少女が接客してくれるんだから、ほら入った入った」
「は?え、ちょっ……」
強引に手を引いてくる大仏だったが、力任せに振り解くのも忍びないので渋々従う事にする。
「はーい!男子1名入りましたー」
「「「お帰りなさいませ!」」」
大仏の声に反応して、クラスの女子達が取り決められていた挨拶をする。
「はい、ここで着席してお待ちくださいねご主人様ー」
あまりやる気の感じられない声の調子の大仏が、石上を席に案内するとそそくさと下がっていった。
「……何なんだ一体」
内容の分かりきっている自クラスの出し物に入っても仕方がないだろうに。
そんな事を考えながら石上が待ちぼうけている中、仕切りの向こうでは……
「ほら伊井野、石上来たよ」
「な、何で石上が来たからって私に振るの」
「だって面白そうだし。伊井野がキライなはずの石上にメイドとして接するとどんな感じなのかなーって」
「む、無理無理無理!大体こんな格好……」
「みんなやってるじゃん?伊井野だけ恥ずかしがって接客しないなんてナシだって。ていうかみんな出払ってて空いてるの伊井野しかいないんだって」
女子で手が空いているのがミコしか居ないのは事実であったが、これは総括役の小野寺が石上が来るまでそうなるように回した結果である。
「う、うう……」
それでもなかなかOKを出さないミコに、小野寺はわざとしびれを切らした素振りを見せる。
「もー、しょーがないか。んじゃ私が行ってくるよ、待たせた分サービスいっぱいしてやんなきゃなー」
「えっ?ちょっサービスっていったい……」
ミコの言葉には反応せず、小野寺は石上の元へ向かって行った。
何かしら……サービスって……
気になったミコがこっそりと仕切りの向こうから様子を見てみると。
「ほらご主人様、こちらがメニューです。ゆっくり選んでくれて良いからね」
小野寺が、石上に密着せんばかりの勢いの近い距離で石上に接客していた。
「ちょっ……小野寺、何か近い」
「この程度はメイドの嗜みです。気にせず選んでくださいねー」
やや棒読みであるが、石上にそんな事を気にしている余裕は無かった。
力強い目の整った顔立ちの小野寺の顔が非常に近くに有り、何か良い匂いも漂ってくる。
そして、追い打ちと言わんばかりに……
「ちょっ、小野寺!?当たってる、当たってるって」
「ちょっとお待たせしちゃった分のサービスでーす。お気にせずー」
それほど大きくはないし服越しではあるが、確かな2つの柔らかい感触が石上の身体に当たっていた。
そんな様子を、ミコは顔を赤くしぷるぷると震えながら見ていた。
な、何よあれ。
麗ちゃん……まさか、石上の事?
それに、石上も石上よ。
あんな、あんなスケベな『サービス』とやらにドキドキしちゃって!
────そうよ、これは、接客なんかじゃなくて、生徒会長として、風紀委員として必要な事。
麗ちゃんが石上にくっついてて嫉妬してるとか、そんなんじゃ断じてないんだから。
意を決したミコは、仕切りから脱兎の如く飛び出して石上の席へと小走りで向かった。
「ちょ……ちょっと麗ちゃん!それ以上は生徒会長として、風紀委員として見過ごせません!私が代わります!」
「……はーい。んじゃ、後はよろしくね伊井野」
もはや言うまでもないが、元々こうなる事が目的だったので小野寺
はあっさりと聞き入れて引いていった。
「あっ、ちょっ……」
半ば勢いで言ってしまった為に、自分が代わるという発言を早くも後悔し始めたミコであった。
石上はというと、突如割って入ってきたミコのその姿を食い入るように見つめていた。
普段のきっちり着こなした制服とは大違いの、フリフリの可愛らしさ満点のメイド衣装に身を包んだミコの姿。
正直、メイドコスというもの自体はレトロ趣味であると思っておりそんなに好みではなかった。
だが……
「……そ、それで。注文は何にするのよ」
「ダメだよー伊井野さん。ご主人様にそんな言葉遣いしちゃ」
「…………ご、ご注文は何に致しますか?ご、ごしゅ……ご主人様」
近くに居たクラスメイトに指摘され、恥ずかしそうに言い直すその姿は……控えめに言っても、とても可愛かった。
「え、えっと……」
正直、先程の小野寺の『サービス』からのミコの登場で、何も考えられていなかったのでまだ決まっていなかった。
ただ、実は昼食がまだだったので、好物の1つであるアレを頼むことにした。
「じゃあ……オムライスで」
ミコがそれを聞いて一瞬ピクリとしたが、「かしこまりました、しょ、少々お待ちください」と言うと、仕切りの向こうへメニューを伝えに向かった。
……石上が己のやらかしに気付いたのは、その注文から数分経ってからであった。
ああああああああああ!!やってしまった!!
『メイドカフェ』で『オムライス』と言ったら……あのこっ恥ずかしいアレがお決まりじゃねーか!
いや、断じて違う。そういうのを期待して注文した訳じゃない。昼食がまだでお腹が減ってた、それだけなんだ。
けど、もし伊井野に勘違いされたら……
『(はい、これオムライスね。アンタ、そういうのを期待してコレを注文したんでしょ?モテないからって哀れね……ほんと……生理的に無理)』
あああああああああ!違う!!違うんだ伊井野!!!
悩める石上を他所に、複雑な面持ちのミコが皿を持ってやって来た。
「お……お待たせしました」
コトリとテーブルにオムライスを置き、そのまま立ち去ろうとするミコ。
石上の方も自分の名誉の為にそれ以上を求めていなかった為、アレはやらないのか、とホッとしたのだが……
「あーダメだよ伊井野さん!オムライスにはお絵描きサービスが必須って決めたでしょー?」
近くに居たクラスメイトの女子が、立ち去ろうとするミコを呼び止めた。
「い、いや別に良いっていうか……」
「ダメダメ!贔屓でサービスするのはアリだけど、逆に決まってるサービス減らすのはナシだから!さ、伊井野さん?」
「……う、うぅ」
……この女子が『生徒会のお二人を応援し隊』の一員であった事を石上とミコが知るのは、まだ先の話である。
メイド服のポケットからケチャップを取り出すと、ミコは恥ずかしそうに言葉を絞り出した。
「そ、それでは……美味しくなる為のおまじないをさせていただきます」
そう言いながら、ケチャップに絵を書いていく。
────だが、その絵が問題であった。
その絵とは、メイドがオムライスにケチャップで描くものとしては定番のモノ。
だが、この奉心祭では別の特別な意味を持つものであった。
「わー伊井野さん!ハート型とか……だいたーん!」
「えっ?」
ミコは、今しがた己の描いた絵の意味をすぐには理解出来ないでいた。
ミコの中では、『メイド喫茶のメイド=オムライスにケチャップでハートを描く人』であり、自分はあくまでそのイメージに従っただけなのだ。
石上に至近距離でメイド姿を見られる事の恥ずかしさにまみれていたミコは、この時すっかり忘れていた。
この奉心祭にて、ハートとは特別な意味を持つ事を……
数秒後、その意味に気付いたミコはみるみる内にその顔を赤く染めていった。
「ちっ、ちちちちちち違うのよ石上!私の中ではこういう時に描くのはハートっていう固定されたイメージが有ったってだけで、そ、その、そういう意味じゃ!」
「あ、ああ分かってるって」
一瞬、もしやそういう意味なのかと期待したがやはり違ったのか、と石上は内心落胆した。
「んじゃ、最後にあのおまじない行っちゃおー!ほら伊井野さん!」
クラスメイトの女子に背中を軽く押され、ミコが恥ずかしそうにハートの描かれたオムライスの注視する。
そして……
「も……萌え萌えきゅんきゅん……お、おいしく……」
しかし、もうミコの羞恥心のゲージはとっくにリミットを超えていた。
「…………やっぱり無理よおおおおおおおおおおっ!!」
もはや茹でダコの如く顔を真っ赤にしたミコは、恥ずかしさが爆発した叫び声を上げてその場から猛ダッシュして去っていってしまった。
「ちょ、伊井野……」
石上が呼び止め切らない内に、あっという間にその場から去っていってしまったミコ。
……どうせ言い出してくれたのなら。
最後まで、聞きたかった。
そう思ってしまうのを、石上は否定出来なかった。
────いや、何も、今後永遠に聞く機会が無いわけじゃない。
今夜の、結果次第では。
今後、改めてやってくれる機会が有るかもしれない。
石上は改めて、今夜の決行への決意を固めた。
そして時間が流れ、とうとう後夜祭の時がやって来た。
石上の計画は至ってシンプルだった。
時計台の屋上にミコを呼び出し、あらかじめ用意しておいた、ハート型にあしらった花弁を持つ花を渡し……告白する。
何故時計台の屋上かといえば、去年の奉心祭での出来事を白銀から聞いていたからだ。
具体的な事は教えてはくれなかったが、時計台の屋上で互いに想いを伝えた結果、関係が大きく進展したらしい。
だったら自分も、そのゲンを担ぎたい。
少しでも、成功率を上げる為に。
アイツが好きなキャンプファイヤーのよく見える時計台の屋上で、告白する。
ちょっとは期待の持てるシチュエーションなんじゃないかと思えてきた。
そして石上は、ミコにLINEを送り屋上に呼び出す事にした。
文言も至ってシンプル、『伝えたい事があるから時計台の屋上に30分後に来て欲しい』、それだけだった。
そのメッセージを送ってから、15分程が過ぎた頃。
緊張でいつもより早く鼓動する胸を抑え、石上は時計台の屋上へと足を運ぼうとした。
だが、その時彼の耳に入り込んできたのは。
「ままー。どこ?ままー……」
実に心細そうに小さな声を上げる、一人の幼い少女の声であった。
2、3才ほどの幼稚園児だろうか。この年頃ならそばにいるべきはずの保護者がおらず、一人でとぼとぼと歩き回っている。
恐らく、奉心祭に来ていた客の子供なのだろう。迷子である事は、ひと目で分かった。
石上は、どう動くべきか迷った。
今この子に構えば、約束の時間には間に合いそうもない。
自分には、大事な用事が有る。心苦しいが、この子に構っている暇は無い──。
石上は、そのまま時計台の屋上へと向かおうとした。
……だが、その足ははたと止まった。
それで良いのか?
自分の告白の為に、迷子になり心細い幼い子を見捨てて行く。
それは、本当に正しい事なのか?
自分の欲を優先し、困っている人間をスルーして行く。
果たして、そうして告白が成功したところで……気持ちはすっきり晴れやかになるだろうか?
──何よりも、アイツが選んでくれた生徒会副会長として。
アイツに顔向け出来なくなるような真似をしてまで、告白を優先すべきなのか。
石上の心は決まった。
「えーっと、キミ……ママを探してるのかな?」
石上は、屈んで幼子と視線の高さを合わせて話しかけた。
それから、1時間が経ち。
『迷子を探してる親を見かけた』という他生徒の協力も有り、ようやくその子の母親は見つかった。
母親からは涙ながらにお礼を言われたが、そんなお礼を言われている最中……
『間もなく閉会式を始めます 皆様校庭にお集まり下さい……』
それは、後夜祭の終了を告げる校内放送であった。
母親を探すのにかなり時間がかかったので、こうなる事は薄々分かってはいた。
だが、現実にこうして告げられる事は……やはり、心に応えた。
自分は、奉心祭という絶好の告白の機会を逸した。
そして、伊井野を呼び出しておきながらひとり待ちぼうけさせてしまった。
その絶望が顔に出てしまったのか、母親は『あの……せっかくの文化祭中にお時間を取らせてしまって申し訳ございませんでした』と頭を下げてきた。
これは自分が決めてやった事なので、この人に罪は無い。
石上は慌てて『いえ、僕が進んでやった事なので大丈夫ですよ』と告げておいた。
すると、無事母親と引き合えた少女が、母親の後ろからとてとてと歩いて来て。
輝かしいにぱっとした笑顔で、『おにーたん、ありがと!』とお礼を言ってきた。
……これだけでも、この選択を採った救いがあると石上には思えた。
やはり、こんな幼い子の笑顔を曇らせたままなどという事は。
秀知院の……いや、アイツが選んでくれた生徒会副会長として、やってはいけない事だと思えた。
石上は笑顔で、『どういたしまして』とその子の頭を軽く撫でると。
『ちょっと急いで行かきゃならない所があるので』と、急ぎ足でその場を後にした。
そして、数分後。
石上は、待ち合わせの時間からかなり遅れて、時計台の屋上へとやって来た。
ひょっとして、この扉の向こうに伊井野は居ないかもしれない。
呼び出しておきながらちっとも来ない僕に呆れて、もう去ってしまったかもしれない。
仮に居てくれていたとしても、烈火のごとく怒っているかもしれない。
けれど、呼び出して待たせた責任として。
僕は、全てを受け入れる必要が有る。
石上はゆっくりと、屋上へと繋がる扉を開いた。
「…………遅かったわね」
石上の視線の先には、待ちぼうけを食らいながらも、律儀に石上が来るのをずっと待っていた、伊井野ミコが立っていた。
「……伊井野、遅れて悪かった。言い訳はしない、悪かった」
いくら止む無しだった理由が有ったとはいえ、呼び出しておきながら自分が取り返しのつかない遅刻をしてしまった事は事実。
ミコを見ると、小さな身体を小刻みに震えさせている。それだけでも、この寒空の中長い時間待ってくれていた事が分かるというものであった。
そんな伊井野の前では、何を言っても言い訳にしかならない。石上はそう痛感した。
「……それで、その。伝えたい事って、何よ」
実の所、ミコも内心では『期待』していた。
大好きなキャンプファイヤーがよく見える、2人きりのこの場所で、石上から伝えられる事。
否が応でも、期待は膨らんでいた。
もし、期待が外れたとしても。
それならば、自分から仕掛ければ良い。
あの時のハートのアクセサリーを、理由を付けて贈り返す。それで、奉心祭のジンクスは満たせる。
だが、もうその好機は過ぎてしまった。
後夜祭が終わった。つまり、奉心祭も終わってしまった。
ハートの贈り物で永遠の愛がもたらされるという、奉心祭の時間が……
待たされた上に、絶好の機会を逸してしまったミコは落胆していた。
ここで告白するつもりであった石上も、またも『失敗』してしまった事への落ち込みと、奉心祭のジンクスを利用する好機を失ってしまった事で。
告白しようという気持ちの高まりが、萎んでしまっている事を感じていた。
だが、呼び出しておいて、こんなに待たせておいて。
『やっぱり何でもない』は、あまりに失礼ではないか。
こっちがその気が萎んできているからって、このまま何もせずに終わるなどという事は、あってはならない。
奉心祭の時間が終わった今、告白はすべきではないのかもしれない。
だが、それと同じくらい大事な事を話すべきだ。
石上がなかなか話し出さない事にしびれを切らしたミコは、石上から視線を逸し眼下の校庭の方を見つめていた。
石上の視界に、そのミコの横顔が映る。
夜風に吹かれ、さらさらとはためくきれいな髪。
少し物憂げな表情。
その全てが、石上の心を打つものであった。
……そうだ。
今、失敗したからって、落ち込んでいる場合じゃない。
成功者の何人もが、こんな言葉を口にしているのを知っている。
『あの頃の失敗が有ったからこそ、今の自分がある』と。
今日は、失敗してしまった。
だが、この失敗にも何かしらの意味が有るのではないか。
だとしたら……
自分は今日、奉心祭の伝説に頼って告白しようとした。
それは、少しでも成功率を高めたかったからであり、間違いであるとは思っていない。
だが、少しその機を逸してしまっただけで、こんなにうじうじと臆病な思考に陥っているのは。
ひとえに、『自分が伊井野と釣り合う自信がまだ無いから』ではないだろうか?
成績だって、この前の試験でようやく30位以内に滑り込めた程度で、まだアイツには及ばない。
生徒会副会長としても、自分ではアイツを補佐しているつもりでも。
その実以前の濡れ衣事件のように、アイツに救われてばかりだ。
今日、この機を逸してしまったのであれば。
次のチャンスまでに、自信を持って『伊井野と釣り合う人間になれた』と胸を張って言える男になる────。
「……伊井野。伊井野は、気が長い方か?」
「えっ?……何よ突然。まあ、短い方だとは思いたくないわね」
曖昧な返事だが、今の石上にはそれで充分であった。
石上は、意を決してミコに話し始めた。
「伊井野。今はまだ言えないけど……来年、またこの場所で。今度は、待たせずにちゃんと来て、胸を張ってお前に言いたい事があるんだ。それまで……待ってくれるか?」
予想だにしていなかった石上の言葉に、ミコは驚いた。
だが、しばしの間目を閉じ、考え込む仕草をした後……
ミコは、ゆっくりと目を開き答えた。
「……なんか、アンタって重たいわね。1年も待ってくれって……」
『伊井野に言われたくない』と一瞬思ってしまった石上であるが、慌てて口をつぐんて続きの言葉を待った。
「けどまあ、良いわ。ちゃんと大事な事を話してくれたみたいだし、遅れたのは許してあげる」
ミコも、石上の言葉の意味するところは薄々勘付いてはいた。
来年また、奉心祭で、この場所で、伝えたい事。
ミコには、1つしか思い浮かばなかった。
もし、考えている通りの事だとしたら。
1年くらい、待っていられる。
「ありがとう、伊井野」
石上は、こんな不甲斐ない自分を待ってくれる事を了承してくれたミコへ、心からのお礼を述べた。
「……じゃあ、早く校庭に行きましょ。生徒会長と副会長が遅れたんじゃ、皆に示しが付かないわ」
「……だな」
石上は、寒そうにしているミコへ自分の上着をかけつつ。
ミコと共に、校庭へと向かって行った。
こうして、2人の秀知院学園高等部での2度目の奉心祭は幕を閉じた。
結局のところ、二人は想いを伝えることは叶わなかった。
だが、確かな約束を交わした事は────二人にとって、確実な進歩となった。
ちなみに、石上が助けたあの少女は国内最大手のブライダル事業を手がける会社の会長の孫娘であり。
その会長から今までになかった秀知院への寄付金が有り、来季の予算が潤沢になった事は余談である。
遅筆すぎて大変長らくお待たせしてしまい申し訳ございませんでしたm(__)m
原作の方はここ数ヶ月で色々あって、石ミコ諸兄は心が揺れ動いている事かと思われますが……こっちの方ではひたすら甘々な石ミコを貫いていきたいと思います。