この〇〇のない世界で   作:ぱちぱち

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次回は転職後になるので間が開く予定。
他の連載も1回は更新するよう頑張ります(白目)

誤字修正。にょんギツネ様、たまごん様、物数寄のほね様、nekotoka様、sk005499様、仔犬様ありがとうございます!


このアイドルがいなかった世界で

 今回のアイドルアルティメイトは、テレビ業界の威信をかけたイベントだった。

 

 次世代のスターを決定すると謳われたこのイベントに、テレビ業界はほぼ全力で取り組んでいた。協力してくれる媒体全てに大々的に広告を張り、ここ数か月で大分視聴率が落ちていたとはいえ、まだまだ発信力のあるテレビ放送で毎日のようにCMを行い、番組などでも息のかかったタレントに盛んに宣伝を口にさせた。

 

 また、このイベントは衰えたとはいえ未だに影響力の高い全国の大手テレビ局のチャンネル全てで中継されている。そもそも、アイドル自体が現在流行の中心に位置する存在である為、元から注目度が高かったこのイベントは今現在もカメラを通して日本中に注視されている筈だ。

 

 これほどまでの大博打。乾坤一擲とも言える勝負に出るのも、全ては芸能界の復権の為。そして、現在一強となりつつある961プロの影響力を少しでも落とす為でもある。961以外の芸能事務所ほぼ全てと、テレビ局による包囲網。

 

 これを受けてこの半年、961プロ所属のアーティストはラジオを除く放送業界から姿を消していた。日高舞ですらこの半年、テレビの前には出てきておらず、波の激しいテレビ界隈ではすでに過去の人物として扱われている。

 

 包囲網は確実に961プロを追い詰めている。

 

 筈だった。

 

 

『~~~』

 

 

 その歌声に、心が震わされるのを感じて、日ノ本テレビの毒島に低い声で隣に座る美城が語り掛ける。

 

「毒島さん。何故、何故この舞台に日高舞を参加させたんですか」

「……あの流れで961を省けばまた火種になる、それは美城さんもご理解されていたはずです」

 

 小声で責めるようにそう口にすると、隣に座る美城は毒島に青ざめた顔を向ける。いや。その表情は青ざめ、を通り越して白く変色すらしている。その共犯者の表情に、内心の焦燥感を必死に抑えながら毒島は再度口を開いた。

 

「ええ。ええ、勿論理解していましたとも。あれがどんな化け物であるかを。ですが、ですがね。貴方は、幾ら日高舞と言えども半年のブランクがあれば勝てると。“我々のアイドル”なら互角の勝負が出来ると仰っていましたね。あれのどこが、ブランクの、あ……る……」

 

 言葉を続けようとして舞台を見て、毒島は言葉を続ける事が出来なかった。

 

「…………馬鹿な」

 

 美城に向かってそう何とか振り絞った言葉を放ち、そして言葉を失った。舞台の上の彼女は、先ほどと変わらず曲に合わせて踊りながら、ミリオンセラーとなった自身のデビュー曲を歌っている。だが、違う。違うのだ。

 

『~~~~』

 

 例えるのならば、そう。彼女は今、ギアを一つ上げた。ローからトップギアへ。それを肌が、耳が、目が感じた。舞台の上でこの日の為に特別にドレスを誂えた他のアイドルとは違い、よくステージで使用する白いドレスに身を包んだ彼女が纏う空気が変わる。

 

 同年代の中でも小柄な部類に入る日高舞の姿が、やけに大きく見えるような錯覚を受けて、毒島は理解した。

 あれは、浅はかな考えで手を出していい相手では無いのだ、と。

 

「……まだ、底を見せてなかったのか……」

 

 絞り出すような美城の声に、浮かし掛けた腰をすとん、と落として、毒島は舞台を呆けたように見る。たかだか10の小娘である。言ってみれば毒島の4分の1しか生きていない、そんな相手だ。

 

 そんな相手の表情に今、長年芸能界を生きた毒島の心が震えている。歌声に耳が喜んでいる。胸に刻まれる、この熱い想いを自覚しながら、毒島は震える手でテーブルの上に置かれていたビールに手を伸ばした。

 

 ブランクは、もしかしたらあったのかもしれない。ただ、それは彼女の成長速度以上の物ではなかった。それだけの話だったのだろう。あの化け物にとっては。

 そして、もう、舞台上の彼女にブランクはない。

 

 たったの数分でブランクとやらを修正して見せた歌う怪物に、彼らが用意したアイドルが勝つことは出来ないと半ば確信しながら、毒島と美城は苦い酒を口に含んだ。

 

 彼らは少なくとも、この瞬間まではまだ幸せだったのかもしれない。

 

 961プロが用意したもう一人を。まだ、彼らは知らなかったのだから。

 

 

 

 黒井タクミ事変により、日本の芸能界は致命的なまでのダメージを受けていた。これまで暗黙の了解とされていた事が明るみに出され、少なくない人数の芸能関係者が引退や追放ではなく実刑判決を言い渡され、信用は失墜。大物といえる人間にまで逮捕者が出た事により、数多の芸能事務所がその幕を閉じる事になる。

 

 これまで芸能人に華やかなイメージを持っていた世間は、政府から発されたこの一連の事態の流れを見てそれ見た事かと手のひらを反す。元々華やかさの裏に濃い闇を持つ商売なのだ。社会的な信用が失墜すればボロクソに叩かれる事はよくあった。それが、今度は業界全体の番だったというだけだろう。

 

 黒井タクミが日本を去った後。一時の熱狂から我に返った日本の民衆は、芸能関係者を水商売よりも低俗な人種の者たちだと叩き始めた。華やかさの裏にあったどす黒い闇が白日の下に晒されたのだ。その腐臭に顔を顰めた者たちが過剰に反応したのは、むしろ当然の事だった。

 

 だが、これまで芸能界とは蜜月の関係にあった報道関係はこの流れを何とかしようと動いた。芸能界と報道関係は繋がりの強い業界だ。この二つが相互に助け合おうとするのは当たり前の事であり、そして、今回は致命的なまでに愚かな行いであった。その動きは、いくら何でも時期と内容が悪すぎたのだ。彼らの必死の擁護は民衆の感情に油を差してしまう結果となり、各新聞社やテレビ局は芸能関係者と同じように世間の批判を浴びて沈黙、醜態をさらす事になる。

 

 この一連の流れに、民衆達は『やはり自分達は騙されていたのだ』という考えに至ってしまう。熱しやすく冷めやすいと言われる日本人だが、この騒動における熱し方はある種異常ともいえるものだった。新聞、TVの不買運動から始まった騒動はいつしか暴動に発展し、テレビ局や新聞社に火炎瓶が投げ込まれたことにより騒乱へと発展した。

 

 そして、緊急出動した自衛隊や警察の機動隊が各地で暴徒と戦闘を繰り広げる中、とあるテレビ局の前。銃を構える機動隊と、学生運動のように角材やヘルメットを持った暴徒達がにらみ合うその広場に。

 

『うるさいのよあんた達! 私の歌を聞けぇえええ!!!』

 

 右手にメガホンを。左手にランドセルを持ったその10にも満たない小娘は、手に持ったメガホンを対峙する2勢力の間に投げ込み、全身を震わすほどの大声を張り上げた。

 当時、デビューして数か月の新人アーティスト、日高舞。

 彼女のデビューライブは、一つ間違えば多数の死人が出るような緊迫した空気の中。殺気立って睨み合う二つの陣営の正にその中間で、奇異の目に晒されながら行われたのだ。

 

 

 

「お前馬鹿だろ?」

「う、うるさいわね! つい、体が動いたのよ」

「いやー、キツイっすわぁ」

 

 同じ用具室に押し込められた961プロ枠のアイドル、日高舞の着替えを手伝いながら、彼女が話すこの2年ほどの芸能活動について正直な感想を述べる。阿呆の極みである。

 

 え、普通高々デビュー2か月のクソガキが警官隊とデモ隊の間に入ってバサラるか? それで何で生きてるんだこいつ。というかお前の両親や高木ちゃんに文句付けたくなってきたぞおい。こんな馬鹿の手綱なんで放してるんだよ。

 

「そんな物、黙って行ったに決まってあいだだだだだ」

「反省しろこのお馬鹿」

 

 頭蓋骨に握力200kgオーバーのアイアンクローをかまして制裁を加える。いや、流石に全力は出さんぞ、ザクロみたいになっちまうし。

 

 しっかし、まぁ……

 

 背後にあるドレスのジッパーを下ろしてやりながら、舞の体つきを見る。2年前とはまるで別人だなおい。筋肉と脂肪の付き方も、年齢の割に考えられている。このトレーナー、かなりできるな。舞の伸びしろをある程度把握してやがる……おいおいクロちゃんよぉ、予想以上の隠し玉持ってるじゃん。

 

「あ、ちょ……やん! もう、どこ触ってるのよ!」

「げっへっへっへ。まぁ、冗談はさておきちょいと揉んでやるよ。ったく、ガキの癖に無茶しやがって」

 

 嫌がる手の力の無さに消耗の度合いを見て、私は舞の値踏みから一パイセンのそれへと視線を変える。随分とまぁ無茶をしやがる。こいつ、舞台上でそれと分かるぐらいに進化しやがった。進歩じゃない、進化だ。この位の年代にとってたったの数日がどれだけデカいのかはよく知ってるつもりだったが、たったの数分の舞台での動きで今の自分の最大値を叩き出そうとしやがるとはな。

 

 まぁ、その分が体に負担として乗っちまってるみたいだが。あ、やっぱり駄目なところ張ってやがる。もみもみ。 

 

「わかってる、うん、わよ! もう、あん、たは大丈、ひゃん」

「やたらと艶っぽい声をだすない」

 

 足揉んどるだけだぞこちとら。いや、まぁこの位の年齢でマッサージなんかくすぐったいだけか。痛みもエンドルフィン的なあれで感じてないだろうし……まぁ後は湿布貼っとけばいいかね。医務室もここは使わせてくれそうに……あ。さっきの幸姫ちゃんに貰ってきてもらえばええか。

 

「ちょっと、あんたまた誰かにちょっかいかけたの?」

「またとは一体なんだねちみっ子。お前は自分から私に喧嘩を売ってきたんだぞ?」

 

 折角の古巣への凱旋がいきなりライブバトルに変わっちまったのは未だに根に持つ出来事だ。おっちゃん達から評判は良かったけど、結局ゆっくり話す事も出来なかったんだからな。

 

「それは……その。ちょっとだけ悪かったって、思ってるわよ。でも。今日のはあんたが!」

「やけに突っかかるなお前……ん、んん? 今日……さっきの舞台も……もしかしてお前」

 

 やたらと今日の事を押してくる小娘の言動に引っかかりを覚えた私は、海のリハクにも負けない眼と智謀()を持ってこの珍妙な小娘の珍妙な行動を分析してみる事にした。他者の名前を出した時の反応。やけに気合の入ったステージ。ちらちらとこちらへ向ける意味深な視線。

 

 成程。分かった完ぺきに理解したわ。

 

「飼い主大好きのチワワかお前は」

「違うわよ!」

 

 一から十まで尻尾ぱたぱたしながら飼い主にじゃれ付く子犬とほぼ同じ思考回路じゃねーか。なんだこの可愛い生物。萌え殺す気か私を。

 

「おぉ、よしよしよし! 全くもぉ、くぁわいぃ奴だなお前は。構って欲しいなら口に出せよこの」

「ちょ、こら! 抱き着くなって固っ!」

 

 おい、固いってのは止めろ私に効く。スタン爺さんに言われてから地味に脂肪を増やすように努力してるんだよこっちは。頑張って付けた脂肪まで固かったのは苦笑いしかでなかったがな。

 

「ま。良いステージだったぜ、舞」

「…………うん。ありがと」

 

 頭をなでくりしながらそう言うと、途端に大人しくされるがままになる舞。安心したのか、少しすると寝息が胸元から聞こえてきた。負けん気が強い性格だがまだ10の子供だ。こんな悪意まみれの演奏会じゃぁな。緊張もあったし、疲れたんだろう。

 

 しかし、このまま休ませてやりたいが、この用具室じゃ横にするのもなぁ。しょうがない、音楽スタッフ用の楽屋に無理言って寝かせてもらうか。私が連れてきたバンドマンどものスペースに寝かせれば良いだろ。

 

 さて、ちみっ子の寝顔を堪能するのはこの辺にして、だ。この控室の格差といいスタッフの対応と言い。随分と露骨に喧嘩売られたもんだなパッパも。いや、まぁこの流れも当然なのかね。明らかに一人勝ちだし、出る杭は打たれるのが日本って国だからな。打たれかけた私が言うんだから間違いない。

 

 と言ってもただ打たれるつもりは毛頭なさそうだがな、あの人。舞だけで明らかにオーバーキルなのに私まで用意したんだ。何となくあの人が持っていきたい落着点は読めて来たけど、その為に私を使うってまぁ随分と過激な考えに染まったなパッパも。しかも私の存在を周囲にギリギリまで知らせない用意周到さ。良いねぇ、面白くなってきた。

 

「汝右の頬をぶたれたらトミーガンをぶっ放せ、だったかな」

 

 舞を背負って、私は割り当てられていた用具室から出る。もう着ぐるみを付ける必要はない。あ、いやあれ毛布代わりにしてやるか。あったかいし。

 起きた時にはめんどくさい事は粗方片付けといてやるから、良く寝るんだぜ。ねんねんころりやおころりよってな。

 

 

 

 舞台の上でおざなりな拍手を受けながら、美城幸姫は一つの確信を浮かべていた。

 自分は決して、化け物にはなれないのだと。

 

『美城幸姫さん、ありがとうございましたー!』

 

 必死に盛り上げようとしてくれた司会の声に合わせて頭を下げる。視界の端では、顔を白く染めた父が隣に座るテレビ局の重役と何か激しく言い争っているのが見える。つい数十分前までなら、その光景を見て自分は悲しく思っただろうか。そんな事を冷静に考えている自分に驚きながら、幸姫は舞台袖へと下がっていく。

 

 その舞台袖には、今、最も会いたくて、会いたくなかった終わりを告げる使者が。黒いドレスに身を包んで、幸姫を待っていた。

 

「おっす、幸姫ちゃんナイスステージ! 良い感じだったよー」

 

 パンパンと笑顔を浮かべて手を叩く彼女の姿に、ああ、そうか。そういえば、そうだったと幸姫は一つ頷いた。

 テレビ局の嫌がらせの一環で、私のステージの後に961の新人と呼ばれていた人物がトリを飾らされるんだったと思い出し、ついクスリとほほ笑みを浮かべてしまう。

 

 成程、確かに彼女は“日本のアイドル”としては新人も良い所だろう……楽屋で思わず詐欺だと本人に面と向かって言ってしまったのは、つい先ほどの話だ。

 

「黒井さん」

「ん? 同い年なんだしタクミちゃんでも良いのよ?」

「お手柔らかに、お願いします」

 

 諦めの中に少しだけの願いを秘めたその言葉に、黒井タクミは小さく笑顔を浮かべて首を横に振った。

 

「全員に圧倒的に勝てって言われてるから、ちょっと無理かな。幸姫ちゃんは良いアーティストだよ。だから、全力で叩き潰すね」

「……貴方にそう言って貰えた事を。誇りに思います」

「……本心だよ?」

 

 頬を伝う涙を拭うつもりはない。そんな幸姫の姿をどう思ったのか。滲んだ視界の端を、ステージに向かって黒井タクミが歩いていく。横をすれ違う時。彼女が纏う空気が色濃く変わったのを感じて、幸姫は静かに悟る。彼女は言葉通り、全力を持って蹂躙しに来たのだ。このちっぽけな島国の、ちっぽけな争いを。

 

 幸姫は振り返らなかった。振り返れば、自分が折れてしまうのが分かっていたから。何故だかそんな姿をタクミにだけは見られたくないと。そう思って、幸姫はまっすぐ楽屋へと続く道を歩き出す。

 

 背後から流れ始める音。叫び合いのような何かが終わった後に漏れ出す熱を持った空気の様な何か。化け物がその牙を見せる、その気配を背に受けながら。

 

 ああ、歌が。始まった。

 

 全てを染め上げるタクミの歌が。

 

 

 

『ええ、明日のスーパースターを決めるアイドルアルティメイトもいよいよ大詰めとなりました。この記念すべき初回の最後を務めますは961プロから送り込まれた秘密兵器! 先程素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた日高舞さんの後輩という事ですが、何とこちら匿名での登録となっております!』

『ええ、この舞台に匿名って……日ノ本テレビさんもチャレンジャーですねぇ』

『黒井社長の秘蔵っ子との噂もあります。オオトリを飾るに相応しい人物であると良いのですがね!』

 

 司会に抜擢された関西系の芸人の揶揄するような言葉に黒井の眉がひくひくと動く。会場内の冷え切った空気は、時間を追う毎に会場内にいる人々を責め苛んでいた。

 

 会場内に居る人間はすでに理解していた。誰が勝者であるのかを。今のこれは、言わば蛇足だ。この最悪の空気に息苦しさを感じていた人々は、早く解放してくれと願いながら次に出てくる最後の演者が現れるのを待っていた。

 

 前の演奏スタッフが舞台から降り、次のスタッフが舞台に現れた。さっさとしてくれ、と最前列で苦い酒を呷っていたとあるテレビのプロデューサーは、その準備しているスタッフの顔を見てある事に気が付いた。見覚えのある顔だ。

 

「……あれは、Xross(クロス)のYOSHIじゃないか?」

「あっちはTOSHIKIだ。あれ、このメンバー、まさか」

「いや、間違いない。全員Xross(クロス)のメンバーだ!」

 

 その演奏スタッフの姿に気付いた観衆達が騒めき始める。当然の話だった。かれらXross(クロス)は日本でも屈指と言われる人気を誇るロックバンドだ。折しも大ロックブームの真っ最中である現在、いかに締め出し中の961プロとは言え各所で多忙な日々を送っている筈のグループで、間違っても演奏用スタッフに使われていい者たちではない。

 

 彼等の存在は、これまでの演奏スタッフに比べて明かに場違いだった。だが、そんな場違いの場所で、準備を進めている彼らの表情には暗い物が一切ない……むしろ、今から行う演奏の為に嬉々として準備を進めているように見える。

 

 彼等と仕事をした事の有る人間は、そのプライドの高さを知っているが故に困惑を浮かべながらその様子を見つめていた。

 

 何だ、何がいま、起こっているんだ?

 

 静かに声は大きくなっていく。人気グループである以上注視すれば彼等だと当然すぐにバレるのだ。彼らが熱心に裏方の準備を行っている、その事実に気付いた会場内は先程までの冷え切った空気から一転し、困惑気味な騒めきへと姿を変え……

 

 

『ハロー?』

 

 

 世界で最も有名となった掛け声が、会場内を木霊するように駆け抜けた。

 

 

 

 

『ドーモ、日本の皆=サン。タクミです、声が聞こえねっとと、違った。今は新人アイドルの黒井タクミちゃんです。よろしく?』

 

 ロックモードは封印な? と悪戯っぽく笑うその姿に、会場中の大人たちが呆けたような表情を見せる。未だに齢12の黒井タクミは、ただにこりと笑うだけでその場にいた人々の心を掴んだ。彼女の一挙手一投足にその場にいる全ての人間の耳目が集中する。

 

『いやー、ほら私ロックスターは名乗ってるけどアイドルは初めてだからさ。アイドルってあれだよな、歌って踊ってらんらんるーって感じで。ちょろっと練習してきたよ、3日くらい』

 

 おどけた様なその言葉に、だが笑い声をあげる者はいない。たとえ多少技巧がおざなりであろうと、彼女の声が、姿が、存在感がその拙さを全て塗り潰してしまうだろうと、そんな根拠もない事を会場内の人間は半ば本気で考えた。

 

 黒井タクミの声は、そんな甘くて温い遅効性の毒を飲んだかのような痺れを彼らにもたらしている。彼女ならばという妄信に近い感情……レッドショルダーズと彼女の率いるグループのファン達は呼ばれているが、あれほどの狂信を生み出す何かを、確かにこの会場に居た人間は感じていた。

 

「ば、馬鹿な! お前は、お前はアイドルでは、ないはずだっ!」

 

 ガタリ、と大きな音を立てて、最前列に居た毒島が席を立つ。その毒島を表情も変えずに見つめるタクミは、ステージ上という事もあって見下ろすような形になるその中年の男の言葉に首を傾げた。

 

『まぁ、私は分類で言えばロックスターだけどさ。アイドルだってやれるよ? アイドルの定義に当てはめるなら、私だってアイドルさ。熱狂させることに関してはそこそこ自信があるしね』

「違う! お前は、お前の様な化け物が! アイドル等というきらびやかな存在である筈がないっ!」

「毒島さんっ! 貴方、何を言っているんですか!」

「えぇい、止めるな、美城ぉ! あの化け物がっ、我々に、何をしたか……!」

 

 その叫びに隣に座っていた美城が立ち上がって毒島を抑えようとする。言ってはいけない叫びであった。たとえ結果がどうであれ被害者である彼女を起点とした芸能界の凋落。その全ての場面に立ち会ってきた美城にも、彼の気持ちは分かる。

 

 だが、その叫びは決して言葉にしてはいけないものだった。少なくとも、この場においては。

 

「ッ……撮るな、私を、撮るなぁ!!」

 

 羽交い絞めにされる毒島と美城に向かって、中継用のカメラが向けられる。これが現場の判断かは分からない。だが、切り捨てられた。その事だけは毒島と美城にも理解できた。

 

 醜く足掻く様にカメラから自分の身を隠そうとする二人。その様子に取材班もシャッターを切り出し、敗者へと容赦なくフラッシュが叩きつけられる。悲鳴のような、言葉にもならない声を上げる毒島と美城。その様子を公開処刑のように映し出すレンズ。ステージ上の絶対者の機嫌に気付きもしない愚か者達の不愉快な喜劇は、鼻を鳴らした怪獣の一息で終わりを告げた。

 

 

『うっせーんだよ井戸の底のカエル共! ゲコゲコ鳴いてんじゃねーよ!』

 

 

 圧力を伴うようなその一喝に会場の空気が再び凍り付く。961プロの面々以外が目を見開いてタクミを見つめる中、タクミは深いため息をついて腰を下ろした。かかとを地面につけた状態のまま、脚を広げてしゃがむその姿はまさにヤンキー座り。これで手に煙草でも持っていれば明らかな非行少女の出来上がりだろう。

 

『マイコーとマドゥンナ抜きで究極のアイドル? こんなん精々日本アイドル賞とかだろ。そんで大人の都合で今頑張ってる娘達を使って、やりたい事の落着点が給金の談合? 961プロのやり方じゃ確かにあんまり儲からないからな。うん。お前ら馬っ鹿じゃねぇの?

 

 絶対零度とすら思えるその声音に、最前列でその圧力を受けた人物が思わず手に持ったグラスを落とした。そして、彼女の言葉を受けて静まり返る会場内に、突如笑い声が響く。最後尾の席でふんぞり返っていた黒井が、もう堪らないとばかりに笑い声をあげたのだ。彼からしてみれば面白い見世物なのだろう。

 

『パッパもパッパだよ。居心地よすぎて961プロに人が集まるからって包囲網なんか食らってさ。もうちょい味方を増やすよう努力したら?』

「すまないな。忙しさにかまけて動きが鈍っていたのは私の失態だ。あと、その格好ははしたないぞ!」

 

 少し声を張り上げるようにそう返した黒井の言葉におっと、とばかりにタクミは腰を上げた。ぽんぽん、と腰のあたりを手でたたく随分と婆臭い仕草をしながら、タクミは再びマイクを口元に持ってくる。

 

『じゃぁ、時間も押してるみたいだしそろそろ一曲行こうか』

 

 エイダだったらここらで茶々の一つも入れてくるんだがなぁ、と固まったまま司会進行の役割を果たさない置物に視線を向けて、タクミは背後にいるXross(クロス)のメンバーに視線で合図を送る。待ってましたと笑顔で楽器に手をかける彼らに、こいつらならもう世界のステージに立っても良い所行けそうだなぁ、と少し場違いな感想を思い浮かべてタクミはギアを切り替える。

 

 会場内は、衝撃的すぎるこの数分の間に意識を飛ばしかけていたらしい。呆けたような顔から、演奏の音楽にふと我に返ったかのように彼らは周囲を見回し、舞台上のタクミへと視線を向ける。そんな”観客達”に、タクミは静かなイントロに合わせて語り始める。

 

『今までのやり方とか、慣習とか。今日、黒井タクミが全部塗り潰してやる。だから、次に会う時は世界のステージを目指して。また会おうぜ……“”』

 

 爆発する音楽に合わせて、タクミは曲名をただ一言叫ぶ。

 

 腐臭に塗れた大人たちの思惑は全て紅色に染め上げられ。

 

 そして、タクミはまた一つ。日本の地に伝説を刻み付けた。

 

 

 

「紅色に……全てが…………」

「……ゆきちゃん……」

「あれが……本物なんですね。三浦さん……」

 

 そして、幾人かの心に。

 

「何で起こしてくれなかったのよ、順さん! 最初っから見れなかったじゃない」

「おいおい、急いで迎えに行っただろ」

「ふんだ……絶対に、次は勝負してみせるんだから」

 

 深く熱い何かを打ち込んで。

 黒井タクミのアイドルデビューは、幕を閉じた。

 




毒島:再登場の予定なし

美城社長:幸姫ちゃんのついでで登場するかも。

日高舞:一文字で鬼、二文字で悪魔、三文字で日高舞、と異名を誇るアイマス界隈のラスボス。今作だと寧ろ勇者枠。あとバサラ枠でもあったようなのでマクロス7が作られたらタクミが押してくる可能性あり。

美城幸姫:デレマスの美城常務の若かりし姿() 今作ではギリギリまでアイドルで居ると思います。天災と天才の背を追い続ける秀才ポジですかね。

Xross(クロス):元ネタはXジャパン。紅は、星輝子バージョンの「ヒィヤッハァアアアア!」が予想以上に出来が良かったのでいつか使おうと思っていました。ぱちぱちは星きの子大好きです。




クソ女神様とタクミっぽいのの小劇場


「いまのこの世界のどこが繁栄しているのかについて3行以内で」

クソ女神様
「人口はどこも爆発してるじゃない。死と生の循環は順調よ」

「違う、そうじゃない。求めてるのはそうじゃない」

クソ女神様
「……わ、私だって、良く分からないけど文化的な部分は、大事だって思ってるわ」

「うん。とっても大事なことだよ。よく理解してくれ。その結果がこれだから。銃撃戦の理由が肩がぶつかったからってソドムとゴモラでももうちょいマシだったはずだぞ?」

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