何度かの呼び出し音の後、『がちゃっ』という音の後に続いて聞こえたのは、叔父のような軽薄な声ではなく、渋く通る声の男性だった。
『はい、美竹でございます』
「もしもし、夜分遅くに失礼いたします。こちら美竹蘭さんのご自宅の電話でよろしいですか?」
モカに聞いているとは言え、さすがにこの時間に電話を自宅にかけられたらたまらないだろう……。
ある程度簡潔に用事を済ましてしまいたい。私は子供なのだから、最後は保護者同志でうまいことやっていただきたいところだ。電話応対方法を頭の中で考えながらも、まずは口火を切っていった。
『そうです』
相手はかなり端的だなぁ。まぁ、所詮電話でやり取りできる事など少ない、ましてや未成年相手だ。
「申し遅れました。私、美竹蘭さんと同級生の望月真琴と申します」
『詳細については青葉さんからある程度聞いております、この度は娘をありがとうございました』
「いえ、私はできる事をしたまでです、ただ……」
少し含みを持たせる。何があったかなど聞いては居ないが、家に帰りたくない理由はいったい何なのか? そこにたどり着くヒントを持っているのではないか? とふと思った。だからちょっとだけ突いてみた。
『ただ?』
「いえ、私が彼女を見た時、やけに憔悴してしまっていたようなので……そこが気になりました」
『そうですか』
「時間はある程度経ったのですが、あまり回復をしていないようですので無理をさせるのもあまりよろしくないかと思いますので、今夜はうちに泊めてちょっと様子を見てあげたいのですが……」
『アレはなんと言ってますか?』
アレ? どれの事だ? この人は蘭の事をアレと呼んだのか? 自分の娘をアレ?
「申し訳ありません。アレというのが指している意味が分かりかねます。もし蘭の事を指しているのであれば差し出がましいようですが、私にそのような暴言は辞めていただきたいです」
これは藪蛇だったと、自分でも思った。自分でも驚くほど早口になった事と低い声を出したことはわかった。緊張とかそういう物が一気に冷めていくのがよく分かった。
『失礼、あー蘭はなんと言ってますか?』
「ただ単に家に帰りたくないと言ってます、そしてひどく泣いていたようでした」
男性は少し言葉を濁した。私の言い草に彼は多少苛立ったかもしれない。でもダメだ、少し私は落ち着くべきだ。このままではこの行動は子供の我儘になってしまう。いや、すでにこの状況は我儘かもしれないが、これが成すべき最後は親へのアプローチだ。ここで下手な事をすれば、蘭が逃げた『何かの』解答への入り口が狭くなってしまうかも知れない。それだけはなんとしても避けたい。冷静になってここはもう保護者を頼るべき局面だ。
『そうですか、蘭は家の事を継いでしっかりしてもらわなければいけないのに、まったくアイツは……』
その愚痴を私に聞かせるんじゃない。その話はどう考えても今、この瞬間はいらないだろう……。そんなもの知ったことあるか。家の話など中学生に押し付けて、彼女の自由はいったいどうなるのだ? 蘭がしたい事はどうなるのだ。
「申し訳ありません、少し聞こえが悪くなりました。という事ですので、蘭が帰ったらもう一度話してあげてほしいです。立ち入ったことを言い、申し訳ありませんでした。後ほど、私の保護者から再度連絡をさせますので」
これ以上は踏み込んではいけない。家族の話に他人が堂々と土足で踏み込んでいいはずがない。違う、もうこの人と電話でしゃべっても意味がないと理解したのだ。結局、蘭を『蘭』としてみてない。私には『家族』という経験がみんなよりも少ない。普通の家族を説明するには役不足すぎる。父母との接し方なんて、もはやリハビリなんかしても致命的に駄目だ。だって、私にはそんなやさしいものはもうココには無い……。
『わかりました。この度はご迷惑をおかけします』
「はい、一応明日には一度帰るようには話しますので。失礼いたします」
通話をオフにし、『終わった、あとよろしく。曲者すぎる』と短いメッセージをSMSで叔父に送り、家の前の公園のベンチから立ち上がり、家へ戻ろうとすると玄関の扉から明かりが漏れていた。
漏れた光の中に蘭の心配そうな顔があった。腕時計はすっかり日が変わった事をしていた。
「真琴……」
「ん? どしたの? 長電話しすぎちゃったね。ごめんなさいね?」
「今までで、一番ひどい顔してる……」
「蘭~。なかなかひどい事言うねぇ」
言っとくけど、光の加減でよく見えてないけど、あなたも目の腫れ方がすごいんだからね?
玄関の扉を開けて、伸びをするとどこからともなく「ぐぅーっ」とかわいらしい音を立てる。何事もなかったように蘭は玄関を入ろうとするが、その顔は真っ赤だ。確かに、いろいろありすぎてすっかり忘れていたが晩御飯を私たちは食べてなかった。
「ねぇ、蘭? 一緒に悪い子になろうか?」
「悪い子って?」
「この時間から私はカップラーメンを食べるよ……、お腹すいたわ」
この時間にカップラーメンはもはや悪魔の食べ物だろう。本当だったらしょうが焼きを食べてもよかったが、この間叔父も言ってたじゃないか。
「口がカップラーメンになったや……」
「なにそれ……、意味わかんないし」
「なら、蘭は食べないのかしら?」
「……食べる」
リビングに漂っていたほのかに香るジャスミンの香りは、数分後にはカップラーメンの狂暴なにおいにかき消されてしまった。
◆◆◆
「……ーい」
(ん……? だれ?)
「おーい……まこっちゃーん」
(叔父さん? こんな早朝になんで帰ってきてるの?)
「おいコラー、この不良中学生ども起きやがれ」
部屋の扉がひたすらたたかれているのは分かるが、昨日遅かった分、眠気がとんでもなくある。というか、早朝にこのノックの連打とかあのおっさんほんとに空気読んでほしい。浅い眠りの中で、心の中で叔父の悪態をつき私を包んでいる布団を引き上げ頭まで被る。
「おーい、お前たちはすでに包囲されてるっていうか、もう10時だぞ~。いい加減起きてこーい」
(は? いま、何て言った10時? っていうか、目覚ましは? 蘭は?)
がばっ、と勢いをつけて布団から重い体を起こす。反射的にベッドの横に置いた目覚まし時計を見た。時刻はすでに10時を過ぎようとしていた。
(えっ? 嘘、マジで……? ってか、蘭は?)
視界をベッドの横に敷いたはずの布団に移す。やはり少し寒かったのだろうか蘭は布団と毛布の中にくるまって、静かに寝息を立てていた。
(完全に爆睡してるし)
「勘弁してよ~。まこっちゃーん、まじでそろそろ起きて~」
部屋の扉を一定のリズムを付けて叩く音で、叔父の存在を思い出す。
「お、起きた! いま起きたからぁ」
「おお、マジか? まぁ、学校行くなら任せっけど、とりあえず二人とも仮病の連絡は入れといたぞ」
「えっ? どうやって? 蘭の分もって?」
「北条先生に伝言を頼んだ」
寝起きで擦れた声を大きく上げ、扉越しでの会話をする。年頃の友人が居る部屋に強硬突破してこないところは叔父の好感度が上がる。こういうところは気が利くので非常に嬉しく思う。
(ん? 今、北条先生に頼んだって……?)
「叔父様、まさか……」
「ばっか、勘違いすんなよ? 美竹さんについては、うちの不良姪っ子が体調不良を起こして蹲ってるところを保護してくれて、俺が帰るまで家で留守番してくれてるって言ってあるよ」
本当の事をぶちまけてしまったのかと一瞬焦ったが、叔父は2枚舌をうまく活用してくれていたようだ。
「とりあえず、2人とも着替えて降りてこい。話はそれからだ」
まずはこの布団の暖かさを体全部で受け止めている蘭を起こすところから始めなければいけないらしい。
「蘭~。そろそろ起きないとまずいよ~?」
「んっ……、今何時……?」
「10時過ぎてるわよ」
「はっ? 嘘でしょ?」
もういろいろとあきらめて蘭を起こしたが、蘭も時間を見た瞬間から顔が青くなっていくのがよく分かった。いろいろ言いたい事は分かるけど、私を見ても事実は変わんないからね?
「もうなんか、いろいろとやばい……」
「もう間に合わないわよ、叔父さんが仮病連絡をしてくれた見たい、さっさと着替えましょ……」
「仮病連絡って……、それ大丈夫なの?」
「まぁ、大丈夫じゃないけど、無断欠席よりよっぽどマシだと思うわ」
「確かに……」
叔父さんがある程度釈明してくれたおかげで何とか首の皮が一枚つながった感じだったが、連絡なしの欠席だと下手すれば家に連絡が飛んでいたかもしれない。私は今更どうにもならないが、蘭は違う。家出未遂で無断欠席、どう見ても警察お世話になりました系のお話にしかならない。
蘭が大きくため息をつく。昨日気にしていた目の腫れは幸い、そこまでひどくならなかったようだ。今朝もきれいな切れ目だ。まぁ、はた目から見れば私の貸してあげた寝間着が灰色の上下スウェットという色気も何もない事から素材そのものの良さを感じさせてくれる。
「とりあえず着替えましょうよ」
「うん。ってあたし制服しかないや……」
「あたしの服貸そうか?」
「ごめん、お願いできるかな」
「いいよー」
と、一応見るところ見た。あたしと対して変わらない程度だ。これなら何とかなるだろう。
「ん? 真琴、どこ見てるの?」
「うんうん? ひまりだと絶対無理だったなと思ってさ」
蘭が私の遠慮のない視線を注いでる箇所に目を落とす。
「あんたね……」
「別に何も言ってないじゃない、仲間じゃない」
「バカじゃないの?」
ひどい言われようだ。とりあえずあまり叔父を待たせすぎるのはよくない。洋服ダンスから適当に服を取り出す。
「蘭~。スカートとデニムどっちがいい?」
「デニムの方がいい。ひらひらしてると落ち着かない」
「同感。スキニーとか大丈夫な人?」
「うん、割とそっちの方がいい」
「じゃあ、これと~あとは……シャツとニットぐらいかなぁ?」
蘭に黒のスキニーパンツを渡し、ついでにデニムシャツと上から羽織るニットを渡す。多分どこにも出かけないだろうから、私はパーカーでいいか。男物のデニムを取り出し、ちょっとぶ厚めの裏起毛のパーカーを被る。
「あー、そんな恰好すると蘭はかなりボーイッシュに見えるね……」
「それ、ほめてる?」
「うん。結構ほめてる。私そういう系のばっかりだから素直に羨ましい」
蘭の場合、フリフリの衣装でも大丈夫そうだけどね。ほんと素材がいいのは羨ましいや。
「それじゃあ、うちの叔父さんを紹介するから下に降りようか」
◆◆◆
2階から降りてリビングに入ると、叔父はソファーに座ってスマホを横にしてソーシャルゲームをやっていたであろう手を止め、手をそのまま上げて蘭に挨拶をした。
「やっ、おはよう。っと、君が美竹蘭さんかな? うちの不良姪っ子から聞いてるよー。僕は望月雅也といいます。これでも彼女の保護者をやってます」
「お邪魔してます。昨日は真琴さんにとてもお世話になりました」
「いやいや、お世話なんてできてないし、そんなこと言わないでくれると嬉しいな。君に僕が飲んだことないくらいの特別なお茶を出しちゃうくらい、うちの姪っ子ちゃんは内心で喜んでいたようだし」
「叔父さん?」
喋りだすと余計な事を言うのは叔父の悪い癖だと思っている。昨日遅かったからポットを含めた洗い物を片さず残したままにしたのが裏目に出た。叔父がこれ以上、余計な事を喋らない様に視線で釘をさす。
「おっと、怖い。まこっちゃん、お願いだから闇落ちは辞めてね?」
「誰が闇落ちですか……」
「まぁまぁ。とりあえず蘭ちゃんも座りなよ。とりあえず、まこっちゃんの保護者のおっさん的にはなんでまた宿泊になってるのか、一通り話を聞いとかなきゃいけないしさ」
叔父はにっこりと微笑みながら、ソファーへの着席を促す。保護者というところをアピールされては何も言えない。とりあえずソファーに2人並んで着席をする。叔父も話をするために手に持っていたスマホを裏返しにして応接テーブルの上に置く。
「んー、ある程度話はまこっちゃんから聞いてるし、正直なところ蘭ちゃんからは聞くことないとは思うんだけどね、一応聞いてる事実内容を確認させてもらっていいかい? まぁ、まこっちゃんがこんな事で嘘をつくわけないとも思うけどさ」
蘭がバッと素早くこちらを見る。しまった、蘭に言うのを忘れていた……。敢えて顔を反らし、蘭の視線から逃れる。あー、これはややこしくなりそうな予感がする。と背中に軽く冷汗が流れた。叔父が余計な事を言わないように心で祈る、が、早くも祈りは儚くも打ち砕かれそうだ。