一瞬、動揺した蘭だったがすぐに居住まいを正し、叔父からの質問に構える。叔父は叔父で、そんな蘭を見て目を丸くながらテーブルの上に置いてあったペットボトルのお茶を一口飲んで口を潤したようだ、なんだか話が長くなりそうな予感がした。
「あー、そんな構えないでくれるとありがたいなぁ。別に僕は怒るつもりはないしさ」
「まぁ、そういうのはなんか僕の役目と違うからね」と言いながらも、叔父も居住まいを正し、少し猫背だった背中を伸ばす。
「じゃあ、確認してくね。昨日コンビニで君は何をしてたの?」
「……」
いきなり雑な切り込み方をする叔父。ちょっと文句を言おうとすると、叔父に手で制され止められる。蘭は無言のままだった。言葉を選んで居るわけじゃなさそうだ、むしろしゃべりたくないからか……。そのなんとも言えないような蘭の顔を見ながら昨日、電話越しで話した蘭のお父さんとの会話を改めて思い出す。あのお父さんはこんな蘭をちゃんと見ているのだろうか? そこがとても気がかりになった。
「……、やっぱり話しづらいかい?」
「そう……ですね。私の家の話なので……」
「そっか。じゃあ、君のために一つハードルを下げよう。君は昨日、家の会合が急に入った、そこは間違いないね?」
「会合……?」
なるほど……、ハードルを下げるというのはそういう事か。叔父は私の知らない情報を持っているのだろう、どこまで知っているのかはわからないが、昨日の夜に蘭のお父さんとの通話で情報をある程度引き出したのだろう。
「あの……、望月さんはどこまで、ご存知なんでしょうか?」
「いや、そこまで詳しい話はわかんないかな。ただ君の事をお父上から一通り聞いてるかな。とても君の事を自慢の娘と思っているようだったよ」
「……」
蘭は顔を伏せ、その表情が隠れてしまう。私は叔父の話を聞いて違和感を感じた。叔父の話だけを聞けば、きちんとした父親のように聞こえてくるが私にはそう思えない。あの人は蘭の事を『アレ』と呼んだのだ……、今の話を信じれる要素が少なすぎる。
「娘の事を『アレ』呼ばわりにする父親に、そんな要素どこから見出だしたと言うんですか?」
「いやいや、あの人はそれなりの人格者だよ。ちゃんと喋ればわかるさ。それに手塩をかけて育てた自慢の娘が反抗してバカげた行為をすれば、愚痴の一つくらい言いたくなるんじゃないかな? 仮に、僕に娘が居たと仮定して、飛び出してコンビニのベンチで座ってるところを保護されたら、『あのバカ』レベルの暴言は吐くね」
叔父の意見には正直、賛同しかねる。ならば、なぜ蘭をちゃんと見てやらないのか? 人格者というからには、そんな事くらいできて当然じゃないのか?
「そんな怖い顔しないでよ。まこっちゃんのような人も居れば、蘭ちゃんのお父さんのような人もいる、大人が全員完璧なんかじゃない。でも、大人だって学ぶことはできるさ、その機会を失わない限りね。誰だってみんなちょっとずつ色々学んでいくものさ」
幼い私たちに言い聞かせるように。少なくとも叔父は私たちの倍は生きている。その人生観を否定するだけの材料は私たちには無い。だから、叔父には何も言う事が出来ない。叔父はその様子を伺いながら言葉を紡ぐ。
「少なくとも愛情はあるよ。愛情の表現の仕方、自分の子供への幸せの示し方。その方向性が明らかに間違っているなら、何らかの方法で正す必要があると思う。だけど、そこはまぁ、間違っていないかな。だから人格者だと評価してるだけだよ」
叔父の言う愛情の持ち方、幸せの示し方……実感にかけるものだ。保護されている側にはわからないが、保護している側にはわかるものなのだろうか?
「まるで、自分が子供の親になったような言い方ですね」
「まぁね~。子供を持たない僕が言えたことじゃないけどさ」
皮肉を言ったつもりだが暖簾に腕押し、スルリと交わされてしまった。
「さて、続きだ。蘭ちゃん。いいかい? 顔を上げてもらえるかな?」
叔父は話の続きをしようと、蘭の顔を上げさせる。ゆっくりと上がってきた眼には少し涙がたまっていた。
「僕からは君の件の解決方法はアドバイスできない。さっきも言ったように子供を持ったことが無いからね。だから、何もしてあげられない。ただ、後にも先にも君の人生は1回きりだ。だからやるべき事はやるべきだとは思うね。それでも昨日の君のように逃げたくなる時はいっぱいある、そんなときは危なっかしいそこらへんのコンビニのベンチじゃなくて、うちの玄関にしたらどうだい? 僕もうちのまこっちゃんも歓迎するよ」
叔父はまるで小さい子に言い聞かせるように、蘭に語り掛け微笑む。子供を持ったことがない大人がよくこういう事ができるもんだと、我が叔父ながらすごいなと素直に思った。
「まぁ、僕はあまり家に居ないから基本は真琴頼りだろうな。学校向けのアリバイ工作なら……逸れなリには手伝うけど、ちゃんと勉強しないと僕みたいに頭がパーになるから気を付けて?……ああ、あとバンドの子達にはしっかり怒られるといいと思うよ」
「……ありがとうございます。しっかり怒られます……」
最後。最後の一言、余計だから……。ちょっと見直してたところに自ら落ちていくスタイルの叔父……。相変わらず残念過ぎる。蘭は最後の一言を聞いてズーンっていう効果音が似合うような、なんとも微妙な顔をしていた。
「面倒な話は以上。……さて、不良少女たちよ、この後は暇かね? 君達だけで外に出たら駄目だろうから、出かけよう」
叔父は蘭のそんな姿を見ながら、満足そうにうなずいた。そして叔父はテーブルに置いてあったスマホを取り、ソファから立ち上がり矛盾したことを言った。
「ん? 意味が分からないんだけど」
「だから、君達だけじゃダメなんだったら僕が連れ出せば大丈夫ってことだ」
ああ、そういう事か……。叔父さんはポケットから愛車のキーを取り出し、少年のようにニカっと笑ったつもりなんだろうけど、残念ながらいささか実年齢と精神年齢が均等に成長していない感が出ている。そんな中、蘭はいまいちよくわからないという顔をしたまま黙って私たち2人のやり取りをキョロキョロしながら見ていた。そんな姿に私は苦笑いを浮かべた。
◆◆◆
私たち2人を乗せた叔父の1BOXカーはひたすら高速道路を走り、県外のとある小さめの漁港に来た。叔父曰く、「今日はここが一番いいと思う」だそうだ。肝心の叔父は漁港に併設されている海産物センターに足早に駆け込んでいった。
(海か……。ここ最近叔父さんの仕事が忙しくて来れてなかったな)
年度末の締めが近い事から、叔父の仕事は立て込んでるらしく、ここ最近の休日でも出かける頻度が減っていた。時折、叔父の休日の予定も潰れているようで、若干心配になって様子を伺ってたが本人は至って平常運転だった。
「蘭、大丈夫? 寒くない?」
「大丈夫。この防寒着、結構あったかい」
「真冬に釣りをしながら、頭から波を被っても平気らしいよ、それ」
「何それ?」
私たちは堤防に設置されたベンチで2人で冬の海を見ている。小さくだが蘭が笑ってくれてる。よかった、車の中では後ろの席でずっと車外の景色を眺めていたけど、その顔はまだまだ険しい顔だったので心配をしていた。
蘭が着込んでるのは、車に積んであった予備の防寒着だ。私と叔父さんで出かけると急遽、夜景撮影やら夜空撮影といった予定外の撮影になったりするので、冬の間は車に予備の防寒着を積み込んである。なかなか出番がない事から、いつもなら圧縮袋に入ったままシーズンを終えるのだが、今シーズンは日の目を見た。
「叔父さんが自慢げにそういってたの。お爺ちゃん曰く叔父さんは年がら年中釣りをしてた釣りキチだって」
「冬って魚って釣れるの?」
「んーわかんない。釣りは私やったことないなぁ。でも、冬の海の中ってすんごく冷たそうよね……。ほんとに釣れるのかしら……」
堤防に設置されたベンチからあたりを見渡してみても、釣り人らしい人の気配はない。時間が悪いのか、それとも平日だからだろうか? いまいち真偽はわからない。ぼーっと流れる雲を眼で見て、波が防波堤を叩く音を耳で聞く。とても贅沢な時間だ……。少しずつ斜めになっていく太陽、もう少しで水平線に太陽は沈むだろう……。
「今日はカメラ、持ってきてないんだ。なんか意外」
「あー、そうだね。持ってきてないや。まぁ、私だってカメラ持たないでいる事もあるよ」
カメラは敢えて置いてきた。なんだか今日はそんな気分じゃなかった。
確かに撮るものといっても、頭上を流れる雲を撮るか、音を上げて防波堤に打ち付ける波しぶきを撮るか、水平に沈む太陽を撮るか、……今見ているなんだかちょっとだけすっきりした顔で微笑んでる蘭の横顔を撮るかぐらいだ。きっと撮影するシチュエーションには困らないだろう。
この自然と微笑んでる蘭の顔をシャッターで収めたい欲求は確かにある。いい写真が撮れることだろう。蘭の事を撮ってみたいが、なんだか今日は叔父に全部おいしいところを持っていかれた気がするので、その表情見てを撮るのは釈然としないだろうと思った。
人を撮るにあたって、分かったことがある。その心情だ。自然物相手ならば、特に何も思ってこなかった。撮るまでにいろいろイラつきだってあったが、自然物相手にぶつけるほど愚かじゃない。人を撮るには、相手の心模様と撮る側の心模様、お互いが影響するんじゃないか? と思った。私は今まで『観測者』の心情なんて、これっぽっちも考えた事がなかった。だからこそ、今私がシャッターを切ってしまうと折角のいいシチュエーションが潰れてしまうんじゃないかと、ふと思った。今の私の心はどこか釈然としていない。だからこそ撮るべきじゃない。特に今のコンディションなんかで撮ってしまうと、後から見返すときにさらにささくれ立って、もう二度と人を撮りたくなくなるんじゃないか? と、少し悲しい事を考えた。
いつもならば首には愛機の程よい重量がかかってるはずなのに、今日はそれが無い。それだけでいつもの頼れる何かが無い事が少しだけ寂しい。
「おー、結構いい感じに落ちていくなぁ~」
いつの間にか帰ってきた叔父が買い物袋を両手に持ちながら、私たちの横に立っていた。一体何を買ってきたんだと思うくらいの大きめの買い物袋から、缶コーヒー2本と缶ミルクティーを取り出す。
「まこっちゃんはコーヒーでしょ? 蘭ちゃんはミルクティーとコーヒーどっちがいい?」
「あっ、じゃあミルクティーで」
「だよなぁ、女子ったら大体ミルクティーだもんなぁ。わかるわ~」
……ホント、この人は人がかなり真剣にいろいろと考えているところに、しょうもない事ばっかり言って横から入ってくる人だ。
「叔父様?」
「何、なんでそんな怖い顔してるの? こんなところで黒化とかしないでよ? 帰り道帰れなくなっちゃう……」
蘭にミルクティーを手渡し、叔父は少し私との距離を開け、堤防を背にして缶コーヒーのプルタブを開け、間もなく沈む夕陽の方を見る。
「まぁ、若者は若者らしい悩みを抱えて、頑張って学生生活すればいいんだよ」
「それじゃあ、まるで私が若者らしくないように聞こえますよ? 叔父様?」
「いやぁ、こう言っちゃなんだけど、まこっちゃんは少し大人過ぎて扱い困る。その辺は蘭ちゃんを見習って下さい」
物言いを始めるときりがなさそうなので、叔父の皮肉をあえてスルーする。すると、右隣に座っていた蘭が「ふっふっふ……」と小さく笑っているのが聞こえた。
「なによ、なんで蘭が笑ってるのよ……」
「だって、真琴が完全に言い負けてると思うと笑える」
「……私だって蘭と同じ中学生だもの、叔父さん相手じゃ勝てない」
「ごめん、でも真琴って結構大人の思考だからさ」
「そりゃ、ちょっと違うなー。ただの背伸び思考だよ、まこっちゃんは」
「背伸び思考?」
「そう、同級生の中でも馴染めなくて、大人は会話のレベルを合わせてくれる。だから、自分も同格でしゃべれるもんだと勝手に感じている、背伸びをしているの気が付かなきゃならんね」
背伸び思考なんて初めて聞く言葉だ……、造語か? 叔父が言う事が正しいのであれば叔父はいつも私のレベルまで会話を合わせてくれているのだろうか? ならば、どこまでが本気でどこまで落としてくれているのだろうか?
「つまり叔父様は、いつも私レベルまで思考を落としてると?」
「いんや? 僕はめんどくさがりだから、そんなことしない」
「……」
もう、なんだか叔父としゃべるのは疲れる。これ以上の会話は不要と判断し、あきれ顔で叔父の方に向けていた顔を沈んで行く夕陽のほうに向けた。見事なダルマとは言い難いがそれなりの夕陽の落ち方だ。こんな辺鄙なところでも、結構綺麗に見えるものなんだなぁ……と、思いながら日が完全に沈み切るまで紫に染まっていく空を私はずっと眺めていた。