チーズが食べたい
始まりはなんだったか、今ではとても曖昧だ。
気がつけば俺はこの世界で生を受け、父母から普通の愛情を与えられて育った。
そこそこの家庭でそこそこの暮らし、この世界の事を考えればそれはきっと貴族共や商家に比べればそうでもないだろうが、周囲の家々と比べればなかなかに贅沢な暮らしであったのかもしれない。
きっと俺は普通に生きて普通に死ぬのか、それとも騎士にでもなるのかもしれない、そう考えていた。そんな俺の人生の転機はとある男に出会った事だ。
男は魔術師だった。
学院に通い知識を蓄えた魔術師、そんな男が何を考えたのかそれとも単純に気まぐれかお遊びか何かで俺に学院で蓄えた知識を、魔術を俺に教えこんだ。
十を超えてそう経っていない餓鬼に何を教えるのか、と呆れもしたが俺は魔術と出会ったことで大きく俺の中の世界が変わった気がした。
もとよりこの世界が何時の時代なのかは分からなかったがそれでも、有象無象の一人でしかないのは理解していた。だから、魔術と出会ったのは俺にとってとても大切な経験であった。
もしかすれば、将来魔術師の一人として火の無い灰に協力出来るのかもしれないし、それとも俺が遺したモノが灰の力になるかもしれないと考えたからだ。
故に俺は男の、師のもとで多くの知識と魔術を得た。
そして、俺は竜の学院の門を叩いた。
我が師の紹介もあり、俺は門前払いされることもなく無事に学院の末席にその身を置くことを許された。
だが、俺の中にあった学院の想像は軽々と裏切られたのは間違いなかった。
学院にいるのは殆どが貴族出身の輩でありそこにあるのは自尊心ばかりであった。当たり前だろう、そもそも学院は知識を持つ者がより一層の知識を得る為に足を運ぶ場所であり、その為には学院に入る前から知識を得ねばならない。
であれば学院に入る者など大半が裕福で余裕があり知識を得る事が出来る立場なのは明白だった。
そして、貴族であり学院に入れるだけの知識を持つ者そんな輩が自らを選ばれた人種と考えないはずが無くいつの世もこういった輩があるのは当たり前だった。そして、面倒な事に学院にいる以上、自尊心だけではなくそれに見合った実力があるのもまた必然とも言えた。
無論、彼のビッグハット・ローガンの様に魔術を極めんとし門を叩いた魔術師らもいるがそれは前者に比べれば半数にも届かず、故にこそ彼らは集まり固まるか他者を己の知識や成果を奪おうとする敵と見なして一人で研究する者の二通りだった。
俺もまたそう言った一人きりの魔術師だった。
だが、それでも、彼らほど排他的ではなくそれなりに学院内で友人もいたし、喧しくうっとおしい存在ではあったが扱い方を覚えればどうとでもなる貴族出身の輩ともそれなりに交友を深める事が出来た。
だからこそ、ソレはあまりにも俺の心を壊したのだろう。
あの日、俺の胸にそれが生じた。
黒い穴、黒い輪、不死の証。すなわちはダークリング。
故に俺は不死人となった。
それでも、きっと、そんな希望を抱いて────踏み砕かれた。
まるで掌を返すように俺を迫害する学院の仲間たち。その瞳に映るのは同情や哀しみなんかではなくただ、ただ、軽蔑の色でしかなかった。
どうして、どうして、と俺は嗚咽と共に吐きながらも這って学院から逃げ出した。
そうして、家族のもとへ向かえばそこにいるのは包丁や剣を手にして俺に対して口汚く罵り軽蔑の眼差しを向ける家族だった者ばかり。
駄目だったのだ。
俺は結局の所、駄目だったのだ。
剣と杖を手にして、俺は逃げた。
逃げた。
逃げた。
不死であるからと俺は迫害されて心が壊れて、もう何も考えたくなくて、でも、そんな時に俺は彼らに出会ったのだ。
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「えっと……その……大丈夫ですか?」
兄弟たちによって殺された俺はなぜゆえか、生きていた。
いや、不死であるからそれはとても当たり前なのだが、深淵に侵された以上は不死といえども深淵狩りたる俺たちの剣で殺されればそのままソウルは失せ、肉体は動かず意思もなくし消えていくはずだ。
にも関わらず俺はこうして生きている。
深淵に呑まれている様子もなく、俺はしっかりとした自我を保っている。無論、やはり何処か記憶は喪っているのやもしれないがしかし…………いや、それよりもだ。
目の前に女神がいる。
腰よりも長く伸ばした美しい銀糸の如き髪に何処か修道女を思わせる濃紺の衣は白い帯と金の帯を交じわせており貞淑さを感じさせている。そして、そのアメジストの様な瞳────無論、アメジスト以上の美しさである────はまさしく慈愛の色が見受けられる。
記憶の端に残る、彼の太陽の光の女神の様な大人の女性といった容姿ではなく可憐な少女の様な見姿であるが彼女はまさしく女神である。
故にそんな彼女に俺が口にした言葉は、
「剣草を捧げます」
「へ?」
女神の騎士をしながらファランの騎士は出来るのだろうか。
そればかりが心配だ。
「え、あ、えっと、その、だ、大丈夫です」
「そう、ですか……」
剣草を断られた。
少しショックだ。
さて、どうするか。彼女を見ていると何となく見覚えがあるように感じられるがまったく思い出せない。恐らく死ぬ中で喪った記憶の中にあったのかもしれないが喪ったものを一々気にしていてはどうしようもない。
で、何事も情報こそが重要。
「名も知らぬ女神よ……此処は……何処で、御身はどのような御名なのでしょうか……どうか、この矮小な私めに御教え頂きたい」
「へ……あ、はい。えっと、まず此処はですねアクセルの街から少し外れた所にある廃教会でして……それで私の名はエリス、この世界で幸運を司っている女神です」
幸運────まさしく人に寄り添う女神なのだろう。
幸運とはすなわち人間性と強く関わっており、そして人間性の闇と幸運は比例するという。
その事を考えるに彼女は人間性の闇をも司っていると言えるのでは無いだろうか。そして、人間性の闇は深淵とも繋がりがあり……フッ、深淵に呑まれた俺が幸運を司る女神と出会うとはなんとも因果な事だろうか。
「なるほど、女神エリス様。御身の御名確かに聴き賜りました。不躾ながら他にも御聴きしたい事が存じます」
「はい、なんでしょうか」
あ、そう言えば名を名乗っていなかった。
「まずは我が名をパーシヴァルと申します。とある騎士隊に属していた身でありますが…………しかしながら、私は死んだはずなのです。呪われ死なずの者となった私は結果としてそのソウルごと世界より失せ二度と目を覚まさぬはずでございました……しかし、こうして、私は御身と言葉を交わせている、なぜゆえなのでしょうか」
「なるほど。残念ですが私にも貴方が何故この世界に現れたのかは分かりません。ですがパーシヴァルさん、貴方が転生したのは間違いない事でしょう」
転生。身に覚えしかない。
そもそも俺は嘗ての死により、ヴィンハイムのとある一家の子供として転生した。
人生二度あることは三度あるというが、まさか人生そのものに二度目があったと思えばこうして三度目の人生が与えられる事となろうとは……なんとも不可思議でしかないが…………女神にも分からぬならば俺がいくら考えた所で意味も無いだろう。
運が良かったと考えるか…………やはり、幸運の女神たる彼女に出会えたのは奇跡以外の何物でもないな。
しかし……話の流れとしても、ここは別の世界か。
いや、俺の記憶の片隅が彼女はあの世界とは別の世界の存在であると囁いていた時点で分かりきっていたことだが…………さて、これから俺はどうすればいいのか。
と、そんな思案するような俺の視線でも感じ取ったのか、それとも単純に女神として理解したのか彼女は女神らしく神妙な表情を見せる。
ああ、やはり女神だ。可憐だ。
「パーシヴァルさん、貴方がこの世界に転生した経緯は分かりませんが、別世界からの転生者として判断する以上、貴方に一つ使命を与えます」
嗚呼……この世界でどうすればいいのかも分からない俺に使命という名の目標を与えてくれるとは……やはり彼女は慈悲深いようだ。
俺はそんな彼女に対して一度立ち上がってから、跪く。
「この世界には魔王と呼ばれる存在がいます。別世界で死んだ方々でこの世界に転生した方に魔王を退治するという使命を与えています。それは我々が行ったわけではありませんが貴方も転生者である為、類に漏れません」
「魔王退治。無論、拒否するという選択肢はありませぬ」
「ありがとうございます。……本来なら転生の際に魔王退治の為にも転生特典を与えているのですが貴方は既に転生している身、故に転生特典は与える事が出来ません……なので、私に叶えられる範囲であるならば何か願いを叶えますが……何かありますか?あ、そこまで大きな事は出来ませんからね?」
もしも灰だったら、願いを叶えてもらった後に何か後ろから刺しに行きそうだが……流石に俺はそんな事はやらない。
さて、願いか。
こういうのは御本人から許されるのが一番だろう。
「女神エリス様。なれば、この身が御身の騎士に、御身に仕える事を御許し頂きたく……」
「…………へ、あ、はい。分かりました、騎士パーシヴァル、貴方が私に仕えることを許します」
特別ですよ?
そんな風にはまるで少女の様に可憐な笑みを浮かべ、俺が捧げたブロードソードを手に取り、その刀身を俺の肩へと乗せる。
騎士任命の儀を簡易的であるがそれを彼女の手により受ければ、何やら俺の中で何かが変動した様な感覚があった。
「ほんの少しではありますが私から加護を授けました」
少し運が上がりましたよ。
そんな言葉を聴きながら俺は自身のソウルを覗き見る。なるほど、確かに人間性の闇が僅かばかり震えた気がする。
俺は彼女に礼をし、立ち上がる。
「まず、この廃教会を出て少し歩いた所にアクセルという街があります。そこにある冒険者ギルドという場所で冒険者登録をおこなってくださいね……あ、その際に登録料がかかるのでその時にはこの袋をそのまま渡してください。ちょうどピッタリ登録料が入っていますので」
なんて慈悲深いのだろうか女神か?女神か。
彼女より手渡された通貨が入ってると思われる袋を懐────ソウルへとしまい込みながら、再び彼女に礼をする。
「ああ、それとアクセルの街には私の教会もあるので何かあればお祈りにでも来てくださいね」
「それでは、パーシヴァルさん。貴方のこれからに祝福があらんことを……」
最後にそう言い残して彼女はまるで夢幻かのようにその姿をこの場から消した。
しばし、彼女がいた名残りを感じながら俺は改めて自身のソウルを覗き見る。
その際にソウルの業によりしまい込んでいた数々の道具を確認して、直ぐに取り出せるように一部の道具の位置を動かしつつ、騎士任命の際に使ったブロードソードをソウルにしまい込んでそこで漸く自分の背に武器が一つも無いことに気がついた。
「ふむ……」
ファランの大剣と短刀をソウルから取り出して大剣を背負い、短刀を腰元に吊り下げて更にソウルから魔術師の杖を取り出し腰のベルトに差し込んでおく。
ふと、自分の誓約を確認してみればそこには女神エリスの騎士である事が確認出来る。いや、まあ、元々ファランの騎士ではあったがアレは誓約とは違うものであったからそこまで気になりはしないが…………何を捧げれば良いのだろうか。
やはり、剣草だろうか?暗月の様に耳を求める様な女神では無いのは明白……人間性……人間性だろうか、もしや。
…………無難に剣草を捧げよう。
俺は廃教会を後にした。
……ところで、この世界には篝火は無いのだろうか?
ちなみに主人公の名前であるパーシヴァルは、初代深淵の監視者とも言える深淵歩きアルトリウスの名前であるアルトリウスがアーサー王の元ネタであるそうでアーサー王伝説の騎士から引っ張ってきました。